名古屋高等裁判所 昭和47年(う)162号 判決 1973年7月16日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
<前略>
検察官の所論は要するに、原判決は、被告人両名に対する本件各公訴事実(本判決書末尾に添付した別紙二、記載のとおり)に対し、(一)、右公訴事実記載の日時場所において、名古屋地方裁判所岡崎支部昭和四三年(ケ)第二七号不動産競売事件の競売(以下単に本件競売と略称する)が実施されたこと、(二)、被告人李は本件競買の申出をしたものであり、被告人稲垣は梶浦良雄に、自己に代つて本件競買を申出をすることを依頼し、同人は、右依頼に応じ、その使用人伊藤春清に指示し、同人をして被告人稲垣のため、梶浦良雄名義で本件競買の申出をさせたこと、(三)本件競売の対象となつた不動産は本判決書末尾添付の別紙一中①ないし⑤記載の五筆の家屋であり、そのうち②記載の物件(所有者稲垣幸一以下単に②の物件と略称する)は登記簿上は存在しているが、本件競売当時の現況は不存在で、その最低競売価額は〇円と評価されていたこと、(四)本件競売当日の正午ごろ、山本国夫、平出正光、伊藤努、手塚辰男らのあつせんにより被告人李が被告人稲垣の提供する現金四〇万円を取得するかわりに被告人李が被告人稲垣側の競買申出人伊藤春清より高額の付値をしないことを協定して、談合行為をしたことなどの各事実を認め、また一方、(イ)右五筆の建物の競売は個別競売の方法で行われたものであり、右談合は②の物件の競売手続の際行われたものであること、(ロ)右談合当時には②の物件を除く前記の四筆の各建物について既に梶浦良雄がその競落人になつていたことなどの各事実を認定したうえ、建物不存在である②の物件についてこれを個別競売の方法で競売に付することは関係人に対して不能を強いるものであり、当該競売手続は当然無効であつて、この無効な競売に関して談合がなされても談合罪として問擬すべき保護法益を欠くものであるから、なんらの犯罪をも構成しない旨判示して被告人両名に対し無罪を言渡した。しかしながら、本件各証拠を仔細に調べ、また本件競売調書の記載および、本件談合の趣旨、金額などを併せ考察すれば、本件競売は、昭和四三年一〇月一七日午前一〇時に開始され同日午後〇時二〇分終了したものであるが、その開始後、前記①ないし⑤の各物件についての各競売手続は、同時に並行して進められ、①ないし⑤の物件につき、同時に付値が行われ、また、右の①ないし⑤の物件の各競売手続は、右の終了時刻において、同時に終了し、その終了時期に至るまで、①ないし⑤のいずれの物件についても付値をする可能性があつたといういわゆる同時競売の方法で行われたものであり、本件談合は、その間になされ、かつ①ないし⑤の各物件の競売手続全部に関して行なわれたことが明らかであり、決して原判決がいうように、右①③④⑤の物件についての各競売手続がいずれも終了した後②の物件についての競売手続が実施され、この②の物件の競売手続実施中に本件談合がなされたと認めるべきものではない。従つて、前記のような認定のもとに、本件談合の対象となつた競売手続が無効であり、ひいて本件談合罪も成立しないとした原判決は、右指摘の点において事実を誤認したものであるというのである。
所論にかんがみ検討する。先ず、<証拠略>などによると、被告人稲垣は昭和四〇年六月ごろ、岡崎市日名町九六二番、九七〇ないし九七四番などの所在宅地ならびに登記簿上その宅地上に存在する別紙一記載の各建物を買受けたが、そのうち、③④記載の建物について諸種の事情から、同被告人の所有名義にすることができずに、黒柳興業合資会社の所有名義のままになつており、また各建物に前所有者が、他人を入居させて明渡を妨害している気配を察し、これを一挙に解決しようと考え、昭和四一年一二月ごろ、黒柳興業合資会社に対する債権を有し、この債権のため、前記土地建物につき、根抵当権の設定を受けていた河潤鎮から、同人の右債権を右根抵当権とともに被告人稲垣の息子稲垣幸三名義で譲受けたうえ、稲垣幸三名義をもつて、昭和四三年四月一九日ごろ、名古屋地方裁判所岡崎支部に対し、別紙一記載の各建物につき、不動産任意競売の申立をし、これによつて同支部昭和四三年(ケ)第二七号不動産競売事件として、競売手続が進められ、同支部において右各物件につき競売開始決定がなされ、ついで、同年九月一三日、競売期日を同年一〇月一七日午前一〇時とする旨の公告がなされたが、被告人稲垣は前記のような事情から、前記各建物を自己の側において競落したいと考え、知合いの梶浦良雄に対し、右競売期日に同人名義で競買の申出をしてくれるよう依頼したところ、梶浦はこれを承諾し、その後昭和四三年一〇月一七日同支部競売場において、執行官宮地幸次郎によつて、競売が実施されたのであるが、その際梶浦は、被告人稲垣の依頼に基き使用人の伊藤春清を競売場に赴かせ、梶浦良雄名義で競買の申出をさせたことが認められ、また、本件競売の方法は、<証拠>によると、本件競売は、別紙一に記載した数個の不動産の競売であるが、その競売の方法は一括競売の方法でなく、個別競売の方法によつたものと認められる。なお、証人八木代吉の証言によると、名古屋地方裁判所においては、競売の方法として一括競売、個別競売のほかに、同時競売という方法があるというのであるが、同証人のいう同時競売とは、むしろ一括競売に類似した方法であつて、所論の同時競売とは異り、本件競売が同証人のいう同時競売の方法によるものでないことは明らかである。さらに<証拠略>によれば、別紙一記載の②の物件は登記簿上は存在しているが、実際には、この建物は存在せず、右の競売および競落期日公告にも、②の物件につき、現況不存在と記載し、その最低競売価格が〇円とされてあつたことが認められる。つぎに、本件競売の方法について<証拠略>には、本件競売は所論のように、別紙一記載の各物件につき、並行して競売手続が進められ、その各物件についての競売手続は同時に終了した旨の所論に添うと思われる部分がある。(なお所論引用の原審の証人朴成一、同牧野貞次に対する各証人尋問調書の各記載、原審第一一回公判調書中の証人松浦泰平の供述記載は必ずしも、所論に添うものとは認められない)しかし、当審第七回公判期日における証人八木代吉の供述に徴して、所論のような競売の方法は考えられず、殊に前掲証人宮地幸次郎の各供述記載および供述によれば、同証人は、本件競売の方法が所論のような方法によつたということを明らかに否定し、別紙一記載の各物件につき各別に競売手続を実施し、各別に、その競売手続を終了し、その都度最高価競買申出人以外の競買申出人の納付した保証金も返還した旨を述べ、前掲伊藤春清の供述記載および供述もこれに添うものであつて、所論のような方法によつて競売が行われたことを認めることができない。なお、所論は前記の不動産競売調書に「昭和四三年一〇月一七日午前一〇時〇分競売価額の申出を催告し……梶浦良雄を最高価競買人と定めその氏名並びに最高価額を呼上げた後、昭和四三年一〇月一七日午後零時二〇分競売の終局を告示した」との記載があることをもつて、本件競売が所論のいわゆる同時競売であつた証左の一つとしているが、前記の証人八木代吉の供述に従えば、これをもつて前記認定を左右するに足りないと思われる。ただ後記本件談合が行われた情況を認定するための各証拠によると、本件談合は別紙一記載の②の不存在の物件について行われたのに、被告人李が被告人稲垣から受領した談合金は四〇万円、山本国夫、平出正光、伊藤努、手塚辰男らが談合あつせんの報酬等として、被告人稲垣から受領した金員は合計六〇万円の高額に達し、さらに、前記不動産競売調書謄本の記載によれば、②の物件は結局梶浦良雄によつて五六万五、〇〇〇円で競落されたかたちになつていることにいささかの疑義を存し、右金員の出捐の理由については種々の憶測が可能であるけれども、明確な結論をひき出すことが困難であることなどを考慮すれば、この点における証拠関係が前叙のようなものである限り、この疑義を存することから直ちに本件競売の方法が、通常、競売の方法として認められていない所論のいわゆる同時競売であるとの結論に達することを得ない。
つぎに、本件談合の行われた状況については、<証拠略>などを総合すると、別紙一記載の物件に関し、前記のように競売手続が実施され、先ず、①の物件から始めて、②の物件に移つたが、②の物件については手続が長引いたので、これを最後に廻すこととして、③④⑤の物件についての競売が順次実施され、それぞれ競売手続が終了し、正午少し前ごろより②の物件に関する競売が再開された後、山本国夫、平出正光、伊藤努、手塚辰男らは、被告人稲垣幸一が本件競売物件全部を、前記伊藤春清(名義人は前記梶浦良雄)に競落させたいと考えている事情を察知し、同被告人に対し、本件競売において前記伊藤春清に対抗して、競買の申出をしていた被告人李重学に談合金を提供するかわりに、同被告人をして、それ以上高額の付値をさせないようあつせんしてやる旨申出て、被告人稲垣の承諾を得、直ちに、被告人李に対し、金四〇万円を提供するかわりに、爾後右伊藤春清より高額の付値をしないよう交渉説得して、その承諾を得、これによつてそのころ、被告人稲垣より、被告人李に対し金四〇万円が手交される一方、被告人李は以後競買の申出をせず、本件競売手続はまもなく、終了した事実を認めることができる。これに関し、原審第五の二回公判調書中の被告人李重学の供述記載によると、同被告人は、右金四〇万円を被告人稲垣が提供するものであることを知らず、また右金四〇万円は、これが受領を拒否する自由をもたないような状況でやむなく受取つた旨の記載があり、また同公判調書ならびに原審第三五回公判調書中の被告人稲垣幸一の各供述記載によると、右のような談合が成立したのは、本件競売がすでに終了した後であつた旨の記載が存し、右認定とやゝ異るのであるが、これらの各供述記載は、その内容自体、およびさきに掲記した各証拠と対照考察して措信できず、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。
以上の認定に従えば、結局本件談合は、②の物件の競売に関してなされたものであるといわざるを得ず、しかも②の物件は、前記のとおり、登記簿上は存在しているが、現実には存在しなかつたのであるから、別紙一の各物件に対する前記の競売開始決定は、②の物件に関する部分については、その目的物を欠き、無効であるといわねばならない。ところで、刑法第九六条の三第二項の規定する談合罪は、公の競売または入札に関し、公正な価格を害し、又は不正の利益を得る目的で、談合をすることによつて成立し、談合によつて現実に公の競売又は入札の公正が害され、あるいは談合者らが不正の利益を得たことを要しないけれども、右談合罪処罰の目的は、公の競売又は入札を保護し、公の競売又は入札における公正な自由競争を保障しようとするものであるから、談合行為によつて、公の競売入札の公正が害される可能性があることを要し、そのためには少くとも、権限を有する機関によつて適法に競売又は入札に付すべき旨の決定が存在することを要するものと考える。ところが、本件競売開始決定は、前記のごとく②の物件に関する部分につき、目的物を欠き無効であつて、これについて、談合をしても、同競売の公正を害する危険を発生するに由ないものといわざるを得ない。そうとすれば、本件においては被告人両名の談合行為があつても、談合罪は成立しないことに帰し、結局、別紙二記載の検察官の被告人両名に対する本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰着する。従つて、本件を談合未遂罪であるかの如く判示した点に幾分疑点はあるが、結局のところ、前記と同趣旨に出た原判決には、所論のような事実誤認の違法が存しない。論旨は理由がない。
よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則り、これを棄却することとして、主文のとおり判決をする。
(井上正弘 杉田寛 吉田誠吾)
別紙一
不動産目録
① 略
② 岡崎市日名町九六弐番地
家屋番号 壱壱参番四
一、木造亜鉛メツキ鋼板葺弐階建倉庫
床面積 壱階 363.63平方米(110坪)
弐階 290.90平方米(88坪)
現況 不存在
右弐筆所有者 稲垣幸一
③ないし⑤ 略
別紙二
被告人李重学、同稲垣幸一は、昭和四三年一〇月一七日名古屋地方裁判所岡崎支部において執行官宮地幸次郎により実施された同支部昭和四三年(ケ)第二七号不動産競売事件の競売に際し競買申出をした者および競売申出をした者の関係者であるが、不正の利益を得、かつ公正な価格を害する目的で、同日午後零時ころ、岡崎市明大寺町所在の同支部競売場において、平出正光ほか三名を介し、被告人李が被告人稲垣の提供する談合金四〇万円を取得するかわりに、被告人李が被告人稲垣のため梶浦良雄の氏名で競買申出をした伊藤春清より高額の付値をしないことを協定し、もつて公の競売につき談合したものである。 以上