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名古屋高等裁判所 昭和47年(ネ)432号 判決 1976年6月29日

控訴人

甲一郎<仮名>

右訴訟代理人

大矢和徳

外一名

被控訴人

乙春子<仮名>

右訴訟代理人

増田庄一郎

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  原判決主文中、第一項に「原告と被告とを離婚する。」とある次に、第二項として、次のとおり付加する。

控訴人と被控訴人間の長女甲田夏子<仮名>(昭和三五年一二月一日生)および次女甲田秋子<仮名>(昭和三八年四月二二日生)の親権者をいずれも被控訴人と定める。

三  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示と同じであるから、これを引用する。

(控訴代理人の陳述)

一、本件においては、控訴人の飲酒、性的要求過多による被控訴人への暴力、不当な要求の有無が最大の争点となつている。しかし、原判決も認定するように、控訴人に関して、職場や住居の近所において、とくに飲酒のうえ地域の人に迷惑をかけたり女遊びをするなどの噂は聞かれず、控訴人に暴行歴がないこと、長年にわたる独身生活にもかかわらず女性関係がないこと、そして、控訴人が建設関係の仕事に従事し、肉体的重労働を職業としていることなどからみて、控訴人の飲酒、性生活面からの暴力、不当な要求があり得べからざることは、何人の目にも明らかである。被控訴人は、結婚当初から控訴人の性的要求が激しく、宵から朝にかけて続き、身体の健康を害し、その後は控訴人を避け続けたというが、被控訴人は、結婚後一年七か月あるいは五年後にそれぞれ控訴人と交渉を持ち、二女児を出生しているのである。

二、控訴人と被控訴人とが、結婚式を挙げて以来昭和四一年八月までの間に、二年半程しか同棲しなかつたとの被控訴人の主張は、事実に反する。控訴人が逮捕された昭和四一年八月頃以前から、右両名が離婚を前提として別居状態にあつたものではなく、その後、控訴人の服役中および仮釈放後も極めて円満であつた。

(一)  被控訴人は結婚式後半月足らずで実家に帰つたが、実家に帰つていた期間は一年ではなく、二か月足らずである<証拠>。

(二)  控訴人は建設関係の仕事に従事していた関係上、長期間出張を重ねたことがあり、その間被控訴人が腎臓病のため実家に帰つたことはあるが、控訴人との関係が不和になつて実家へ帰つたことはない。

(三)  被控訴人は、昭和三三年八月頃より同三四年一二月頃までは、控訴人とともに、刈谷市所在の甲株式会社の社宅に居住していた<証拠>。

(四)  被控訴人は昭和三五年一二月八日頃、控訴人とともに、愛知県A郡A町大字A字A○○番地に居住し、同三六年一月一六日、同字B○○番地に転居し、同四二年一二月七日まで同所に居住した<証拠>。

(五)  控訴人と被控訴人間の長女夏子は、昭和四二年三月二〇日まで東海市C保育園に在園しており、少なくとも同日までは、被控訴人が前項記載の愛知県A郡A町大字A字B○○番地の控訴人方に居住していたことを示している。

(六)  控訴人は、昭和四一年八月頃刑事事件によつて逮捕勾留されたが、被控訴人は昭和四二年三月三一日付の控訴人は昭和四二年三月三一日付の控訴人の保釈請求に当たつて、同日付身柄引受書を提出し、また、控訴人の服役中はたびたび面会にきたり、手紙をよこしたりして、妻としての愛情を示し、昭和四三年一〇月二八日仮釈放後は、約五か月間控訴人や子らとともに愛知県半田市D町○○番地において同居し、被控訴人とともに保護司のところへ同道している。しかるに、その後は、被控訴人は正当の理由なく家を飛び出して控訴人と別居し、婚姻を破壊した。

(七)  したがつて、被控訴人が結婚直後から控訴人との離別を決意しては実家に戻つていたとか、昭和三三年四月以降同四一年六月までの約八年間における実質的な同居期間が合計してわずか二年半程度であり、同四一年六月頃から完全な別居状態を六年間も継続したという原判決の認定は、明らかに事実を誤認している。

三、被控訴人の本訴請求は、有責配偶者による離婚の請求であるから、棄却されるべきである。すなわち、控訴人の服役中の被控訴人の丙野二郎との次に記する浮気は、いわゆる不貞行為にあたり、控訴人の服役前に本件婚姻が破綻していたということは認定されないからである。

(一)  被控訴人は、控訴人の妻でありながら、暴力団員である丙野二郎と約二年八か月にわたつて同棲し、三回にわたつて人工妊娠中絶をした<証拠>による東海市E医院長発行の証明書は、昭和四三年五月二九日に三人目の胎児を中絶したことに関するものであり、<証拠>による半田市F旅館主発行の宿泊名簿に記載された宿泊の昭和四四年九月六日頃まで約二年八か月間にわたり、控訴人の刑務所出所後も肉体関係を続けていたものである。すなわち、<証拠>によれば、被控訴人は昭和四三年五月二九日人工妊娠中絶をし、当時妊娠三か月であつたというのである。しかるに、控訴人は昭和四一年八月頃逮捕され、その以後同四三年一〇月二八日仮釈放されるまで、継続して拘束されていたのであるから、被控訴人が控訴人の子を懐胎するはずがない。そして、被控訴人が控訴人に離婚を申し出たのは、昭和四三年一〇月三〇日頃であるから、離婚の意思表明の前から、他の男性と肉体関係を持ち、懐胎したことは明白である。

(二)  被控訴人が有責配偶者にあたらないというためには、昭和四一年八月以前にすでに婚姻が破綻していたというほかない。しかし、控訴人と被控訴人は、被控訴人が実家において療養していた期間以外は、控訴人方において同居していたものであり、控訴人が逮捕された昭和四一年八月頃まではもちろん、その後も極めて円満であつて、妻として、あるいは控訴人の減刑のため尽力し、仮釈放後も控訴人と同居し、更生への協力を惜しまなかつた。

(三)  仮に被控訴人が結婚直後から離婚を決意していたとしても、控訴人が離婚を望まない以上、被控訴人において、婚姻を育成発展させる努力をすべき義務があつたのにかかわらず、被控訴人はその努力を怠つた。

(四)  また、被控訴人の心因性反応ないし精神分裂病の原因が、控訴人の飲酒、性生活面における被控訴人に対する暴力、不当な要求にあつたという証拠はない。被控訴人の発病原因の究明は、あくまでも医学的判断、学問的判断によるべきである。なお、被控訴人が精神障害者であることは、G病院長の診断によつて明らかなところである。

四、控訴人の被控訴人に対する執拗な捜査は、夫婦である以上妻を捜し求めるのは当然であり、それは一面において、控訴人の愛情の深さを物語るものである。

五、控訴人が昭和四四年六月一五日被控訴人に対し暴行を加えて傷害を負わせた事実はない。控訴人は同日、戊野四郎らから、被控訴人がH競艇場にいると教えられ、右競艇場で被控訴人に会い、どうしても離婚したいのであれば、控訴人の母とも話し合つてほしいと頼み、被控訴人とともに控訴人の実家へ赴く途中、被控訴人は四回にわたつて歩行中のタクシーからドアを開けて、逃げようとしたり、窓から紙幣を捨てたりなどして半狂乱になつたので、タクシー運転手から降車を要求され、やむを得ず、被控訴人の気を落着かせるために比較的静かなIの田園地帯で降車したところ、被控訴人は突然走り出し愛知用水に飛び込みコンクリートで身体を打つたものであつて、被控訴人の受傷は全くの自損行為である。これは、控訴人が被控訴人をJ病院へ連れてゆき、治療を受けさせた事実からも明らかである。なお、被控訴人は、昭和四四年七月二三日、同四五年六月一八日に、控訴人から、暴力団から手を引くようにいわれたことに立腹し、被控訴人の肉身とともに、控訴人に対し暴行を働き、控訴人の背広を破り、かつ、陰部、右下肢打撲傷、頭部・左肩・左前腕・右膝打撲傷を与えた<証拠>。

六、結局、本件の真相は次のとおりである。

控訴人と被控訴人は、結婚以来控訴人が逮捕された昭和四一年八月まで、仲睦まじい夫婦であり、二人の間に子供でもできればうまくゆくだろうと期待できるような関係が少なくとも昭和三八年頃まで続いた。二人の間に溝ができたのは、控訴人が逮捕された後、被控訴人が一杯呑み屋に勤めるようになり(半田市K町の小料理店Lに勤務、<証拠>)、そこで丙野二郎と知り合い、肉体関係が生じた結果である。したがつて、仮に本件婚姻が破綻したとすれば、それは被控訴人の不貞によるものである。

(被控訴代理人の陳述)

一、右控訴人主張事実中、一は否認する。

二、同二は否認する。

(一)  控訴人は、<証拠>をもつて、被控訴人が昭和三五年一二月八日から同四二年一二月七日まで愛知県A郡A町大字Aに居住していたと主張するが、被控訴人は、住民登録をそのままとして、ほとんどを実家である半田市の乙野方で居住していたものであり、<証拠>はただ外国人登録世帯台帳に基づいて証明したにすぎないもので、実際の居住の事実を証明したものとは考えられない。このことは、その期間中の昭和四〇年三月二二日に控訴人が名古屋市M区N町○○番地へ転出していることから認められる<証拠>。

(二)  控訴人と被控訴人間の長女夏子は、昭和四一年四月当時、すでに被控訴人、二女秋子とともに、被控訴人の実家である愛知県半田市D町○○番地の乙野冬子方に居住して、同年四月一日、同地の半田市O保育園に入園し、同四二年三月三一日卒園しているのであつて、控訴人主張のC保育園には通園したことはない<証拠>。

(三)  仮に被控訴人が、控訴人主張のとおり、昭和四二年三月三一日付身柄引受書を提出したとしても、それは、控訴人が保釈出所したい一念であつたため、控訴人から強い要求がなされ、一応その頃身分上は妻としての立場から、やむなくこれに応じたものであつて、身柄引受書と離婚の意思とは別個の問題である。その当時においては、もはや両者の関係はすでに完全に破綻していたものである。

三、同三は否認する。

被控訴人は、控訴人と結婚直後頃精神に異常をきたしたことはなく、したがつて、そのような症状のため医師の診断をうけたことはない。また、被控訴人は丙野二郎と面識がなく、関係のないものであり、したがつて、同人との不貞行為の事実は全くない。

四、同四ないし六はいずれも否認する。

(証拠)<省略>

理由

一本件離婚訴訟につき、わが国の裁判所に裁判権があることについては、原判決理由一に記載のとおりであるから、これを引用する。

二被控訴人主張の離婚原因事実に関する認定は、原判決理由二に記載のおりであるから、これを引用する。ただし、次のとおり付加、訂正する。<証拠省略>

(一)  <略>

(二)  原判決九枚目裏三行目から六行目までを次のとおり訂正する。

以上の各事実が認められ、<証拠判断略>。

<証拠>には、甲田夏子は、もと住所愛知県A郡A町大字A字B○○番地であつて、昭和四一年四月一日より同四二年三月二〇日まで東海市立C保育園(当時、A町立C保育園)に在園していたことを証明する旨の東海市長名義の証明の記載があり、また、<証拠>には、控訴人と被控訴人が昭和三六年一月一六日に愛知県A郡A町大字A字A○○番地から同字B○○番地に転居し、引続き昭和四二年一二月七日まで同所に居住したことを証明する旨の東海市長名義の記載があり、これらの記載によれば、甲田夏子が右C保育園に在園した当時、その住所は控訴人および被控訴人の住所と一致するので、あたかも控訴人と被控訴人が右住所において同居していたかのごとくである。しかしながら、<証拠>によれば甲田夏子の右C保育園在園期間については、<証拠>の記載は誤りであつて、正確には昭和四〇年四月より同四一年三月までであり、昭和四一年四月一日から同四二年三月三一日までは半田市O保育園に在園したものであること、控訴人および被控訴人の各住居に関する<証拠>の記載は、外国人登録台帳に基づくもので、実際の同居状態を調査した結果に基づくものではなく、かつ、同台帳上でも、控訴人は右夏子が前記C保育園に入園した昭和四〇年四月以前の昭和四〇年三月二二日、すでに名古屋市M区N町○○番地に転出しており、<証拠>の台帳上の記載の昭和四二年一二月七日まで愛知県A郡A町大字A字B○○番地に居住となつているのは、被控訴人のことであつて、被控訴人は昭和四二年一二月七日に同所から半田市D町○○番地へ転出しており、<証拠>の右記載は正確でないことが認められる。そして、前記引用の原判決理由二で認定のとおり、被控訴人はしばしば子らを連れて実家である半田市D町○○番地乙野冬子方に居住していたものである。これらの事実と、<証拠>を総合すると、控訴人と被控訴人が、愛知県A郡A町大字A字B○○番地を婚姻共同生活の根拠とした形跡は、せいぜい昭和四一年二、三月まで存在するだけで(その間にも、被控訴人は実家へ帰つている方が多かつた)、同年四月には、被控訴人は離婚を決意して実家に帰つてしまい、それまでA町の保育園に在園していた長女夏子は、同年四月一日半田市の保育園に入園したことが認められ、<証拠判断略>。

次に、<証拠>によれば、被控訴人名義の身柄引受書が、昭和四二年三月七日付で名古屋地方裁判所に、同年三月三一日付で名古屋高等裁判所にそれぞれ提出されたことが窺われ、また、<証拠>によれば、発信人被控訴人名義の手紙が昭和四二年一一月二七日富山刑務所に服役中の控訴人によつて受信されたことが窺われる。しかしながら、<証拠>によれば、<証拠>は、いずれも被控訴人が刑事処罰という窮境に陥つたので、仮にも妻としての地位にある者として、世間体もあり、控訴人の社会復帰を願つているかのごとき態度を司法官憲の手前示したものにすぎず、離婚の決意には変りがなかつたことが認められ<証拠判断略>。

次に、<証拠>には、備考として、控訴人が昭和四三年一〇月二八日から同四四年三月一八日まで愛知県半田市P町○○番地(<証拠>によれば、被控訴人の叔父丁野三郎の住所)に居住した旨の記載があり、また、<証拠>には、控訴人の仮出獄中指定された居住地は、半田市Q町義叔父丁野三郎の許であるが、実際上半田市D町○○番地に妻子とともに居住し、戊山保護司の保護観察を受け、丁野三郎の許に通勤稼働していたこと、控訴人は戊山保護司宅へ昭和四三年一〇月二八日仮釈放後被控訴人およびその母乙野冬子とともに訪問したこと、昭和四三年一一月一四日まで妻子同居していたことの記載がある。しかしながら、<証拠>によれば、控訴人は仮釈放されるや、被控訴人が二人の子とともに身を寄せていた実家の半田市D町○○番地乙野冬子方に赴いたが、被控訴人は、もとのような生活の再来することを恐れ、控訴人の前に姿を現わすことを避け、近くの知合いの家に一時居たことがあり、結局、仮釈放後同居生活といえる程のものはなかつたに等しいことが認められ、<証拠判断略>。

さらに、<証拠>によれば、被控訴人が昭和四二年一二月四日に叔父丁山三夫(前記丁野三郎のこと)とともに富山刑務所において控訴人と面会したことが窺われるけれども、<証拠>によれば、被控訴人としては、昭和四一年六月実家に帰つて、その母や叔父に離婚をしたいといい、それまでの事情をはつきり打ち明け、一応の賛成を得たが、控訴人が同年八月頃逮捕され、続いて服役することになつたため、控訴人が服役中に離婚することもできず、出所してから離婚手続を進めることとしていたものであつて、控訴人主張のように両人の仲が極めて円満であつたとはとうてい認め難いものである。

以上のほか、<証拠判断略>。

三控訴人は、被控訴人は精神病歴のあることを隠して結婚し、控訴人と同棲して一週間位後に高度の精神分裂病が発病し、控訴人はあらゆる手段を講じ被控訴人を養護してきたと主張するが、<証拠>中右主張に副う部分は、<証拠>に照らし措信し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

つまり、<証拠>によれば、被控訴人は昭和三三年五月三一日控訴人に伴われて、名古屋市R区S町○○G病院において受診し、心因性反応と診断され、イソミタール0.4グラム、乳糖2.0グラム六日分の投薬を受けたこと、当時の症状の概要は、無為、無口、強迫泣、滅裂思考であつたことが認められるが、<証拠>前記認定の諸事実によれば、この心因性反応とは、この場合主として環境の変化の影響(つまり前記認定のように、控訴人が婚姻当初数日間にわたり、被控訴人に対し、不適切な態度をとつたことの影響)に基づく体験反応であつて、精神分裂病とは無関係であり、また、<証拠>によれば、控訴人は昭和四一年八月一二日岐阜市T町○○番地丙山内科の医師丙山五郎により往診を受け(当時控訴人の住所は、半田市D町○○番地乙野冬子方であつて、控訴人の要請による往診)、メニエール氏症候群との診断をされたことが認められるものの、メニエール氏症候群とは、<証拠>によれば、精神分裂病とは無関係の中枢の発作ないし肉体的疾患を原因とする疾病である。

また、控訴人は、被控訴人を家出人として警察へ捜索願をしたり、精神分裂病罹患者で自己および他人に危害を加えるおそれのある者と強弁詐称して、形式上は夫として保護義務者の地位にあるのを奇貨とし、精神衛生法を悪用して、被控訴人を強制収容して、自己の実力の支配下に置こうとしたものであることが明らかである。すなわち、

<証拠>によると、控訴人は、昭和四五年六月六日付で、愛知県知事に対し、被控訴人について、「精神障害者または精神障害者の疑いのある者の診察および保護申請書」を提出し、同年六月二四日これを受理されたが、精神衛生鑑定医の調査、診断の結果、同年八月、被控訴人は正常であつて精神障害は認められず、また、過去において保護を必要とするような精神病に罹患したとも思われないとされたこと、そのほか、控訴人は、昭和四三年一一月二八日、愛知県半田警察署長に対し、被控訴人は同年一一月六日午後七時頃家出をしたといつて、家出人捜索願出をし、これを受理され、さらに、同四四年三月一九日、愛知県港警察署長に対し、家出人捜索願の届出をしたこと、また、控訴人は、同四五年八月、中部管区警察局に対し、精神障害者の護送申請書を提出したが、同申請書は愛知県警察本部に転送され、同年一二月、愛知県警察本部長から、被控訴人の警察保護については、被控訴人は居所がわかつており、警察の呼出および精神鑑定医の診断にも応じていること、ならびに、精神衛生鑑定医の診断によれば、正常にして精神障害は認められないとされているので、被控訴人を家出人として扱うこともできないし、強制入院等の措置はとれないとの連絡を受けたこと、控訴人は、「精神障害者強制保護理法書」と題し、秘の判を押して、公文書まがいの体裁をした書面を作成し、被控訴人が医師から精神分裂病の診断を受けたごとく作為し、強制的に入院させようと図つたことが認められ、<証拠>中右認定事実に反する部分は措信し難く、<証拠>の各記載は右認定を左右するに足りず、他に右認定に反する証拠はない。

右のほか、<証拠>によれば、控訴人は、昭和四四年一〇月頃から同四五年六月一〇日頃までの間に、長女夏子の小学校担任教諭に対し、学校または自宅に電話をしたり、学校へ訪ねたりして、妻を保護したいので、夏子に妻の居所を聞き出してほしいと、しつこく頼み込んでいたことが認められ、<証拠>は右認定を左右するには足りない。

四次に、控訴人は、被控訴人は控訴人の服役中丙野二郎と二年八か月にわたつて肉体関係を持ち、不貞行為をした旨主張する。

<証拠>によれば、被控訴人は昭和四三年五月二九日腎臓炎のため妊娠三か月で人工妊娠中絶をしたことが認められ、<証拠>中右認定に反する部分は措信し難い。そして、控訴人は前認定のとおり昭和四一年八月頃逮捕されてから引続き昭和四三年終り頃まで富山刑務所において服役したものであるから、被控訴人は控訴人以外の他の男性と肉体関係をもつたことは確実であり、その相手方も控訴人の主張するような、いわゆるやくざであると推測される。そして、<証拠>によれば、被控訴人が男と知り合うに至つたのは、二人の子を抱えて生活に困窮し、生計を得るため飲食店に勤めた間のことであることが認められる。

五次に、控訴人は、被控訴人から、八回にわたり、集団を使つて暴行を受け、傷害を負わされた旨主張するが、<証拠>によるも右主張事実を認めるには十分でなく、他にこれを認めるに足る証拠はない。なお、<証拠>は前記認定事実に照らし措信し難い。

六控訴人が被控訴人に対し、生活費、養育費として、毎月金一〇万円ずつ手渡してきた旨の控訴人の主張に対する判断は、原判決理由三の4に記載のとおりであるから、これを引用する。右認定に反する<証拠判断略>。

七以上によれば、被控訴人の本件離婚請求は正当として認容すべきである。すなわち、

控訴人と被控訴人の婚姻生活は、当初から夫に粗暴で性的にも執拗な面があり、そのような態度を極度に嫌悪した被控訴人に性的婚姻生活への理解不足の点があつたにしても、控訴人には夫として性経験不足の妻に対し適切に指導する態度を欠いていた。そのため、妻は結婚と同時にノイローゼ(つまり前記認定の心因性反応を指す)となり、精神医の治療を受けた。しかし、この段階では、どちらの責任ともいいきれない面があり、ぎごちない出発ではあつたが、夫婦間にはまだ婚姻共同生活に対する相互協力の意思はあつた。

ところが、控訴人は被控訴人との婚姻継続を強く望むものの健全な仕事により収入を得ようとせず、いわゆる白タクをやろうとして、自動車窃盗などの犯罪行為を重ねて実刑判決を受け、社会的にも容認されず、経済的にも破綻し、妻子の扶養にも不自由したのである。つまり、夫は妻を実家に残して、近隣、近県に職を求めて、別居生活が続き、両名の気持は遊離してゆき、妻はついに離婚を望むようになつた。そして、そのような状態にあつて、昭和四一年八月頃控訴人は逮捕され、同四三年終り頃まで刑務所で服役するようになつて、婚姻生活は破綻した。

被控訴人が、控訴人の服役中、他の犯罪性のある男としばしば性関係を結んだことは事実であるが、男と知り合うに至つたのは、被控訴人が二人の子を抱えて生活に困窮し、生計を得るため飲食店に勤めた間のことであり、したがつて、控訴人の入所もその原因の一端をなしているのである。しかし いかに離婚の意思が堅かつたにしろ、被控訴人のこのような不貞行為は、一応は自分の方が離婚を求める資格を失わしめるものというべきであつたろう。しかしながら、控訴人が出所後にとつた態度は、この妻の有責性をかなり上廻る高度の有責性を帯び、結局は妻に離婚の請求権を認めざるを得ないのである。つまり、控訴人は妻が他に男を作り、その心が全く自己より離れ去つたのを知り、妻を実力で自己の支配下に置こうとして手段を選ばず極度に違法性のある行動に出、実家の援助を受けて二人の子を保育園や小学校に通わせている妻を暴力で連れ去ろうとし、控訴人のために生活を破壊されることをおそれその居所を転々し控訴人の前から姿を隠している妻に暴行を加えて略取しようとした。

そして、これらの方法が効を奏しないと見るや、控訴人はついに前記のように官憲を欺罔して精神衛生法上の強権力を借りて、妻を精神病院に強制収容しようと企てるに至つたのである。ことここに至れば、夫婦間の精神的連帯は、とうてい回復不能の程度にまで破壊されたものというべく、このように破綻の程度をさらに著しく進行させた責は、これを控訴人が負担しなければならず、夫の有責性は妻の有責性を上廻るに至つたものと判断されるのであつて、実質を失つて形骸と化した本件婚姻生活に終止符を打つ権利はこれを妻に認容せざるを得ないのである。

ところで、本件離婚訴訟の準拠法として、法例第一六条により、夫たる控訴人の本国法である大韓民国民法によるべきところ、以上の事態は同法第八四〇条第一項第六号にいう「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」にあたり、本件離婚請求は正当として認容すべきである。

八 次に、被控訴人の親権者指定の申立について検討する。

離婚の場合の未成年者の子の親権者の指定は、離婚を契機として生ずる親子関係にほかならないから、法例第二〇条によるが、同条の定めるところによると、親子間の法律関係は父の本国法によるとされるところ、大韓民国渉外私法第二二条によると、「親子間の法律関係は父の本国法による」とあり、法例第二九条による反致条項を適用する余地はない。そうすると、本件離婚にともなう未成年者の子の親権者の指定の準拠実質法は、大韓民国法にほかならないことになる。

ところで、大韓民国民法によると、

第九〇九条(親権者)①  未成年者である子は、その家にある父の親権に服従する。

② 父がないとき又はその他親権を行使することができないときは、その家にある母が親権を行使する。

③ 婚外子の出生子に対し、前項の規定による親権を行使する者がないときは、その生母が親権者となる。

④ 養子の実父母は、出継子に対し親権者となることができない。

⑤  父母が離婚するとき又は父の死亡後母が実家に復籍又は再婚したときは、その母は前婚姻中に出生した子の親権者となることができない。

とあり、離婚にともなう未成年者の子の親権者の指定に関しては、法律上自律的に父と定まることになつており、母は親権者に指定される余地はなく、したがつて、同国の人事訴訟手続上も、わが国の人事訴訟手続法第一五条のような規定はない(ただし、大韓民国民法第八三七条には離婚と子の養育責任の規定があり、同国人事訴訟手続法第三〇条には離婚にともなう養育者の指定が定められている。)。

そこで、離婚に際し未成年者の子の親権者に母を指定することが、父の本国法上認められない場合、これが法例第三〇条にいわゆる公序良俗に反するか否かについて考えるに、本件の場合、前認定のとおり、夫、妻とも、大韓民国の国籍を有するが、婚姻当時日本に居住し、婚姻届出、婚姻生活すべて日本でなされ、二人の未成年者の子は、いずれも日本で出生し父母の監護養育を受けてきたところ、離婚のやむなきにいたつたものであり、父は扶養能力を欠き、扶養能力のある母が二人の子を監護養育しているものであり、諸般の事情を考慮すると、父は名目上親権者とはなり得てもその実はなく、実際上親権者たるに不適当であることが顕著な場合である。

しかるに、わが国では戦後日本国憲法第二四条により、家族生活における個人の尊厳、男女の平等が確立し、親族・相続法では家の制度を廃止し、とくに、親子間の法律関係においては、親権の共同行使、離婚にともなう親権者の指定の制度が定着し、かつ、親権者の指定は子の福祉を中心に考慮決定されるべき事柄であることが定説として実際に現在まで実施され、戦後わが国における親族共同生活ならびに社会秩序の基盤となつているものである。そうすると、本件の場合、いかに外国人間の離婚の問題とはいえ、父の本国法である大韓民国法に準拠すると、わが国ではすでに廃止された旧民法時代の親子関係が復活することになり、子の福祉についてみても、扶養能力のない父に子を扶養する親権者としての地位を認め、現在実際に扶養能力を示している母からその地位を奪うことになり、法例第三〇条にいわゆる公序良俗に反するものということができる。そこで、わが国の民法第八一九条第二項を適用し、被控訴人を親権者と定める。

九よつて、被控訴人の離婚請求を認容した原判決は相当で、本件控訴は理由がないから棄却し、さらに、主文第二項のとおり親権者指定の裁判をなし、訴訟費用の負担につき民訴法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(植村秀三 西川豊長 寺本栄一)

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