大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和47年(行ケ)4号 判決 1973年9月26日

原告 太田建次郎

右訴訟代理人弁護士 織田義夫

被告 石川県選挙管理委員会

右代表者委員長 三由信二

右指定代理人委員 盛一銀二郎

<ほか三名>

参加人 中野光弘

右訴訟代理人弁護士 面洋

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は上告審分とも原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が、昭和四六年四月二五日施行の金沢市議会議員の選挙の当選の効力に関する原告の審査申立に対し、同年八月二一日付をもってなした棄却の裁決はこれを取消す。右選挙における当選人中野光弘の当選を無効とする。愛知末太郎が右選挙における当選人であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一  原告は昭和四六年四月二五日施行された金沢市議会議員選挙(以下本件選挙という)の選挙人である。

二  参加人中野光弘(以下中野候補という)、訴外愛知末太郎(以下愛知候補という)は右選挙に立候補した者であるところ、選挙会において開票の結果、参加人中野候補は得票数二、九六六票で最下位当選者であり、愛知候補は二、九六三票で最高位落選者と決定した。

三  原告は右決定を不服とし、法定期間内である昭和四六年五月七日、金沢市選挙管理委員会に対し異議を申出でたところ、同委員会は参加人中野候補の得票数は変わらず二、九六六票、愛知候補の得票数は一票増して二、九六四票と認定し、結局当選の効力には影響がないとして、同年五月二九日に原告の異議の申出を棄却する旨の決定をなした。

四  そこで原告はさらに被告に対し法定期間内である昭和四六年六月一一日審査の申出をなしたところ、被告は同年八月二一日付をもって、中野候補の得票を一票増し二、九六七票、愛知候補の得票を同じく一票増し二、九六五票と認定した上結局当選の効力には影響ないとして原告の審査の申出を棄却する旨の裁決をなし、原告に対しその頃その裁決を交付した。

五  しかしながら、被告のなした右裁決には以下のとおり瑕疵があるから取消を免れない。

(一)  被告が無効投票と判定した次の三票は愛知候補に対する有効投票と認めるべきである。

(1)  「」と記載された一票

右投票は文字を書くのに不馴れな選挙人が記載したものであり、第一字目は「愛」とは読めないが、「愛」に非常に類似しており、第二字目は「和」と判読できるが、これも「知」の字を誤記したものと認めうるのであり、本件選挙の候補者中これに類似した氏名を有する者がいないことからみて、公職選挙法六七条に定める「その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効とするようにしなければならない」との趣旨から、これは愛知候補に対する有効投票と認定すべきである。

被告は自書能力のない者のために代理投票の制度があるとし、このような制度があるのにこれを利用しなかったからその限界を越えると主張するが、この様な制度の有無やこれを利用したかどうかということと右投票の効力とは全く別個の問題である。

又被告は片仮名、平仮名で書けばよいのに漢字で書いたのは何等かの意図があるのではないかと主張する。しかし、選挙人は一般に投票は漢字で書くものと思っており、法律的知識のない者は、万一仮名で書いて無効となったのでは、せっかくの一票が無駄になると思って漢字で書こうとするのが普通であって、これをもって有意の記載と判断することは誤りといわねばならない。

(2)  「」と記載された一票

被告は、右投票について単に雑事記載したものとして無効投票と判定しているが、第一字目ははっきりと「あ」と読みうるものであり、第二字目は「こ」とも読みうるが「い」が横に傾いたものとも読みうる。第三字目は「ら」とも読みうるが、これも「ち」の書き損じとも見ることができ、第四字目は「お」ともみえるが、むしろ「す」と読むべきである。ともかく右投票を記載した選挙人は多分「あいちす」えたろうと書く意思であったが、文字を書くのに不慣れなため右のような記載になったものとみるべく、これは愛知候補に対する有効投票と判定すべきである。

(3)  「」と記載された一票

右投票もやはり文字の不慣れな人又は中気等の病気の人が書いたもののようであるが、その意思を推測してみると、第一字目は「あ」と判読できるものであり、第二字目は「い」と判読できるものであり、第三字目も「い」のようであるが、むしろ統一的にみて「あいち」の「ち」の書き損じとみることができ、従ってこれは愛知候補に対する有効投票とみるべきである。

(二)  被告が参加人中野候補に対する有効投票と判定した次の七票は無効投票と認定すべきである。

(1)  「中村光弘」と記載された二票

本件選挙において「中村利吉」、「中村外次」なる候補者があり、従って右「中村光弘」と記載された二票は、中村利吉と中村外次のいずれかの氏と中野光弘の名とを混記したものであって、何人を記載したかを確認できない無効投票と認定すべきである。

被告および参加人は「中川」「中村」「中野」は平凡で混同しやすい氏であること、一方「光弘」は余り多くみられない名で候補者中類似する名の者がいないことを理由として右投票を中野候補に対する有効投票と主張している。

しかし、右被告等の考え方は誤っている。けだし第一に「中村」「中野」の氏が平凡であり「光弘」の名が平凡でないとはいえず、それは全く被告等の主観的主張に過ぎない。

第二に選挙人中には故意に他の者の「氏」と他の者の「名」とを記載するふまじめな者もおり、このような者の投票を有効とすべきでないことは論をまたないところであり、本件の場合このふまじめな混記と区別しうる特別の事情も見当らない。

第三に選挙人において、故意ではないが過失により、例えば「中村外次」と記載する意思であったが、その「名」を忘れ、選挙投票場に掲載してある候補者一覧表を見た際、「中村外次」の処を見誤り「中野光弘」の処を見て「中村外次」の「名」は「光弘」であったと感違いして「中村外次」に対して投票する意思で「中村光弘」と記載することもありうるのである。

このことは候補者中村利吉についてもいえることであり、従って右の様な場合もありうるに拘らず、これを無視して「中村光弘」はすべて「中野光弘」の誤記に過ぎないと認定することは非常な誤りをおかすものである。むしろ、候補者中「中村」という氏の者がおり「光弘」という名の者がいて、これが別人であれば「中村光弘」という記載の投票は何人に対する投票か不明として無効と認定するのが正当な判断といわねばならない。

第四に本件の場合「中村」という氏の候補者が二名いたことから被告等は「氏」に重点を置かず、「名」に重点を置いた感があるが、投票の判定は記載自体からあらゆる可能性を考えて判定すべきものであり、一方的に「名」のみに重点を置くことは避けねばならないものである。

被告等の主張に従えば例えば候補者中「木上秀勝」と「山本明夫」と「山下明夫」なる者がいたとして「木上明夫」と記載された投票については「明夫」が二名いるから「名」に重点を置かず「氏」に重点を置くとして、右投票は「木上秀勝」に対する有効投票と認定することとなり、その不当なること明らかである。

(2)  「中野利光」と記載された一票

被告は、右投票について、これを中野候補に対する有効投票と判定しているが、氏において「中野」と記載してはあるものの、名において「利光」と明記しているのであるから、これをもって右中野候補に対する有効投票とは認定できないものというべきである。

(3)  なお以上のほかに、「中野光」と記載されたもの二票、「中野弘」と記載されたもの一票、「中野光雄」と記載されたもの一票が、いずれも中野候補に対する有効投票とされているが、同名の実在人物があり、公職選挙法六八条五号又は七号によりこれらはいずれも無効投票と認定すべきである。

(三)  以上の理由により被告が認定した参加人中野候補の得票は七票減少することにより二、九六〇票、愛知候補の得票は三票増し二、九六八票となるから、当選の効力に影響の生ずることは当然というべきである。

と述べ、参加人の主張に対し

以下(1)ないし(4)の投票について、被告はこれを愛知候補に対する有効投票と認定しているのに対し、参加人はこれを無効投票と主張しているものであり、(5)の投票について被告は無効投票と判定したが、参加人はこれを中野候補に対する有効投票と主張するので、原告は次のとおり反論する。

(1)  「あい」と記載された一票

右投票は明確に「あい」と読み得ること、そして、本件選挙の候補者中「あい」なる文字を有する者のいないことからみて、これは「あいち」と記載する意思で「ち」の字を書き忘れたものと推認することができ、公職選挙法六七条の「無効投票の規定に反しない限りにおいて、その投票した選挙人の意思が明白であれば、その投票を有効としなければならない」との規定からしても、被告の認定通り愛知候補に対する有効投票と認定すべきものである。

(2)  「あたご末太郎」と記載された一票

参加人は、これは他に右氏名を称する実在の人物がおり、無効投票と主張するが、もし、単に同名の実在の人物がいた場合無効投票となるというのであれば、中野候補に対する有効投票中にも、第一開票区において「中野光」、第二開票区において「中野弘」、第三開票区において「中野光雄」なる投票があり、右各氏名と同一の人物が金沢に実在しており、しかも「中野弘」にいたっては三名も同名人物が実在しているものであるからこれらの投票もひとしく無効投票というべきであろう。

成程愛宕末太郎なる氏名を称する者が金沢市内に在住していることは認める。しかしわが国での公職選挙は長年にわたり立候補制度による選挙方法を採用しており、候補者以外の者の氏名を記載してなされた投票が無効となることは一般公知の事実であるが、選挙人が故意にかかる投票をなす場合は格別として、一般には候補者に対して投票する意思で投票の記載をするものであるから、たとえ、ある投票に記載された氏名が候補者以外の実在者の氏名に合致する場合でも、その実在者に投票したと認められる特別の事情が存しない限り、候補者に対して投票したものと認定すべきである。しかして右投票に記載されている「あたご」なる氏は、漢字では「愛宕」と書くものであるが、そうすると愛知末太郎候補の氏名との差異は「知」と「宕」の一字でしかなく、残りの四字はすべて同じで、また平仮名においても「たご」と「ち」の差異があるにすぎず、両者の類似性は非常に高いものといわねばならない。なお、判例には候補者の氏名に類似した氏名を称する実在の人物がいる場合同人の氏名を記載した投票が無効とされた事例は多数あるが、これらはいずれもその実在の人物が漁業会長、県会議員、元衆議院議員、市長、元市会議員、町会議員等の要職にあり、当該選挙区域において、社会的に知名度が高く、いわゆる著名な人物であった場合に限られているのである。しかるに、本件において実在の人物である「愛宕末太郎」は自動車の運転手を業とする者であり、かって公職に就いたり、公の選挙に立候補したりした経験は一度もなく、社会的知名度は全くない。このことは本件選挙の全投票数一八七、六八四票中「あたご末太郎」なる投票は本票のみであったことによっても明らかである。よって右投票は愛知候補に対する有効投票と認定さるべきものである。

(3)  「愛知未太郎御中」と記載された一票

参加人は右投票を他事記載として無効であると主張する。

しかし、公職選挙法六八条五号によれば職業、身分、住所又は敬称の類を記入したものは有効としている。従って右「御中」は「様」「殿」等と同様に単なる敬称とみるべきで右は有効投票と認定すべきものである。

(4)  「あいつ」と記載された一票

参加人は右投票を一般的な代名詞として無効と主張する。

しかし、右投票の記載は、不特定代名詞である「あいつ」ではない。同投票には少なくとも「あい」と記載されており、その記載のある投票は愛知候補に対する有効投票とみるべきことは前述のとおりである。ただ、この「あい」の次に「つ」がついた場合、不特定代名詞を記載したのではないかとの疑問が生ずるのであるが、選挙人のほとんどの者は真面目に候補者に対して投票しているのであって、右投票は「あいち」と記載する意思で「あいつ」と書き損じたものか、あるいは言葉使い上方言として「ち」を「つ」と発音する場合があることは公知の事実であるところ、右は発音のままを表記したものと考えられるのであり、いずれにせよ愛知候補に対して投票する意思でこれを記載したことを推測しうるから、右投票は愛知候補に対する有効投票と認定すべきものである。

(5)  「中野実」と記載された三票ならびに「中の実」と記載された一票

被告は右四票について無効投票と判定したが、参加人はこれを中野候補に対する有効投票と主張する。

しかし、本件選挙においては「白沢実」なる候補者がおり、従って白沢「実」と「中野」光弘との氏と名とを混記したもので、しかもいずれの候補者に対して投票する意思でこれを記載したものか不明であり、従っていずれも無効投票といわねばならない。

さらに「中野実」なる実在の人物は金沢市内に少なくとも三名はおり、その内一名は「中野光弘」候補の住所地と同一の小立野地区に居住していること、小立野開票区である第五開票区の中から「中野実」と「中の実」の各一票が出ていることからみて、これらが中野候補に対するものとは判定しがたい。

参加人は民社党候補として、市会議員には中野光弘、県会議員には荒木実がそれぞれ公認され、両名が同時に共同で宣伝活動したから「中野実」は中野候補に投票する意思をもって名を誤記したにすぎず、同人に対する有効投票と主張する。

しかし、参加人主張のように、中野候補が民社党の公認候補であること、荒木実と共同で選挙活動をした事実はこれを認めるにしても、本件候補者中に別に「白沢実」候補がいる以上、「中野実」なる記載は「白沢実」と書く意思であったか、「中野光弘」と書く意思であったか不明といわざるをえず、このことは参加人主張の事実の有無とは関係なくいいうるものである。

と述べたほか、なお、当差戻審における審判の限界について次のとおり付陳した。

参加人は「」「」と記載された投票について、差戻前の原審はこれを愛知候補に対する有効投票と判断しているが、上告審の審判の拘束力は右判断に及ばないから差戻審たる当審においてはこの点について再度判断を求めることができると主張する。

しかし、差戻前の原審において一旦判断が示されたがこれに対して上告されず、別の理由で上告され原審に差戻された場合、差戻後の裁判所は、破棄理由となった以外の事由によっても、すでに差戻前の原審がなした判断について、これと異る判断をなすことはできないものというべきである。すなわち、たとえ裁判所の構成が異るとはいえ同一の裁判所において裁判がなされる以上同一事件についてすでに示した判断と異る判断をなしえないことは当然であって、一旦なされた判断事由についての不服申立は上告以外にはその方法がなく、同一裁判所に対してこれを変更する判断を求めることはできないものである。本件上告審の判決においても「原審において判断を経ていない票があり、この判断如何によって結論を異にする」といい、差戻審において予想しているものは、いまだ判断を経ていない投票についての判断であって、すでに判断をへている投票についての判断ではないのである。

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として

一  原告主張の請求原因事実第一ないし第四項を認める。

二  同第五項中、本件選挙において原告主張のような文字の記載された投票のあったことは認めるが、その投票の効力についてはすべて争う。

三  参加人の主張に対する原告の反論中本件選挙において原告主張のような文字の記載された投票のあったこと、および右投票の効力について被告が原告主張のとおりに判定したことはいずれも認める。

四  被告が原告および参加人主張の投票について無効と判定した理由は以下のとおりである。

(一)  「「」」と記載された投票について

第一に、右投票の第一字目は文字として全く存在しないものであるし、又、第二字目も「知」と記載しようとしたのかも知れないが、それにしても間違っているので投票を有効とするための限界を越えていると解されること。第二に、公職選挙法は自書能力のない者のために、代理投票の制度を設けて選挙人の意思を最大限に尊重しているのにこれを利用しなかったことからもその限界を越えているものと解されること。第三に、自信のない漢字を書くよりは、片仮名又は平仮名で候補者の氏名又は本件の場合は氏を書けば足りると思われるのに、あえて漢字を書こうとしたのは何らかの意図があるのではないかと疑われる節があること。第四に、法律の規定は、「公職の候補者の何人を記載したかを確認し難いもの」と規定し、確認不能のものとはいっていない。従って、法は当初から投票の有効無効の判断をなす場合に一定の限界のあることを予定していると解されること等の理由からすれば、右投票は無効と解するほかはない。

(二)  「「」」ならびに「「」」と記載された各投票について

右投票は、いずれも、第一に、字形全体が不明であり、投票を有効とするための限界を越えており、候補者中の誰に投票したか確認できないものと解されること。第二に、公職選挙法は自書能力のない者のために、代理投票制度を設けて選挙人の意思を最大限に尊重しているのに、これを利用しなかったことからもその限界を越えているものと解される。第三に、法は当初から投票の有効無効の判断をなす場合に一定の限界のあることを予定していると解されるからである。

(三)  「中野実」ならびに「中の実」と記載された各投票について

参加人は右各投票を中野候補に対する有効投票と主張する。

しかしながら、本件選挙の候補者中に「白沢実」なる者がおり、従って「白沢実」の名の部分と、「中野光弘」の氏の部分の「中野」とを混記したものとして、いずれの候補者に対し投票したか不明である。

仮りに、本件選挙の候補者以外に「実」なる名の者がいたとしても、選挙人は、単記無記名制度の下においては候補者中一人の候補者に対して投票する意思をもってその氏名を記載するものと解するのが妥当であるから、右投票は氏と名の混記として無効投票と認定すべきものである。

五  被告が原告および参加人主張の投票について有効と判定した理由は以下のとおりである。

(一)  「中村光弘」と記載された投票について

本件選挙の候補者中に「中村」、「中川」、「中野」と「中」のつく氏の者が三名あるが、第一に、「中村」、「中川」、「中野」の氏は比較的多くみられる氏であり、平凡で特徴がなく、ために混同しやすい氏であること。第二に、「光弘」なる名は余り多くみられない名で、しかも本件選挙の候補者中にこれと類似する名がないことから氏と名の混記と解するよりは選挙人は中野候補に投票する意思で「中野」と記載すべきところを「中村」と記載したもので、第二字目の誤記と解したからである。

(二)  「中野利光」と記載された投票について

右投票の名の部分「利光」は、中野光弘候補の名の部分を「利光」と書き誤ってはいるが、語呂に類似性を有し、これは単なる選挙人の記憶違いと判断するのが妥当である。

(三)  「中野光」、「中野弘」、「中野光雄」とそれぞれ記載された投票は名の部分の単なる誤記であって、中野光弘候補に対する有効投票である。仮りに、同名の実在人物がいたとしても、選挙人は立候補制度のもとでは候補者に投票する意思であったと推定すべきだからである。

(四)  「あい」、「あたご末太郎」、「愛知未太郎御中」、ならびに「あいつ」と記載された各投票については、いずれもこれを有効投票と判定したがその理由は原告主張の理由と同じである。

と述べ、

参加人は答弁および主張として

一  原告主張の請求原因事実第一ないし第五項については被告の答弁と同一であるからこれを援用する。

二  参加人の主張

(一)  被告は「中野実」ならびに「中の実」と記載された四票の投票を無効投票と認定している。これは本件選挙の候補者である訴外白沢実の名との混記と解して無効投票と判断したものと解される。しかし右認定は誤っており、右投票は左の理由により有効投票と認定すべきである。

すなわち、中野候補は民社党公認の金沢市議会議員候補者であったが、同党は金沢市選挙区における石川県議会議員候補者として訴外荒木実を公認した。

県議会議員の選挙は昭和四六年四月一一日であり、金沢市議会議員選挙は四月二五日であって、二つの選挙はほぼ同じ時期に行われたので、民社党は選挙作戦として「市会は中野光弘、県会は荒木実」の標語で両候補名を同時に選挙人に浸透させる方針をたて、三月一五日に金沢市観光会館大ホールにおいて荒木・中野をはげます集会を開催し、その他講演会も両候補が一緒に行うなどの方法をとったのであった。そのため選挙人の中には中野光弘の氏、「中野」と荒木実の名、「実」を混同して記憶したりすることがおこりうることも十分推測されるところである。

従って「中野実」と記載された投票は、中野光弘と白沢実との混記と解すべきではなくして、参加人中野候補に投票する意思をもって名を誤って「中野実」と書いたものと解すべきであって同参加人に対する有効投票と認定すべきものである。

しかも、無効投票中に四票も「中野実」(ただし、うち一票は第二字が野でなくして平仮名の「の」であるが)という投票が存することは、単なる偶然ではなくして参加人の主張の正当性を物語るものである。

更に、「選挙人は常に必ずしも平常から候補者たるべき者の氏名を記憶しているわけではなく、選挙に際して候補者氏名の掲示、ポスター、新聞紙、演説会等を通じてその氏名をはじめて記憶する者も多かるべく、その場合に氏名を誤って記憶し、或いは二人の候補者氏名を混同して一人の候補者の氏名として記憶することのある場合も十分に想像し得るのである。

そして特段の事由によるものを除き、選挙人は一人の候補者に対して投票する意思をもってその氏名を記載するものと解すべきであるから、投票を二人の候補者氏名を混記したものとして無効とすべき場合は、いずれの候補者の氏名を記載したか全く判断し難い場合に限るべきであって、そうでない場合は公職選挙法六八条五号又は七号に該当する無効のものでない限り、いずれか一方の氏名にもっとも近い記載のものはこれをその候補者に対する投票と認め、合致しない記載はこれを誤った記憶によるものか、又は単なる誤記になるものと解するを相当とすべきである。」とは最高裁判所も明示しているところである(昭和三二年九月二〇日最高裁民集一一巻九号一六二一頁参照)。

本件選挙の候補者中に「中野」の氏は参加人のみであり、「実」の名の候補者である白沢実の氏「白沢」と「中野」の氏は全く類似性がなく、しかもポスター、演説会等を通じて、中野光弘と荒木実の二人の候補者氏名を混同して記憶する場合も十分に想像しうる本件の場合は、参加人主張の右四票は参加人中野候補に投票する意思をもって記載したものと解すべきことは疑いをいれざるところである。

(二)  原告主張の有効投票についての反論

(1)  「あい」と記載された投票について

右投票は平仮名の「あい」の二文字しか記載がなく「ち」が脱漏していると考えられなくもないが、ただ二文字のみにてはそう考えるための材料や根拠が全くないといわざるをえず、公職選挙法六八条七号に該当するとみるべきである。

(2)  「あたご末太郎」と記載された投票について

金沢市押野ホ二二九番二号に愛宕末太郎という氏名の人物が実在し、同人の氏「愛宕」はアタゴと発音し、右投票の「あたご」の部分と同一発音であり名は同一文字である。従って右投票は原告でなくして右愛宕末太郎なる人物に対する投票とも解せられるので、右は公職選挙法六八条五号又は七号に該当する無効投票である。

(3)  「愛知未太郎御中」と記載された投票について

右投票は原告名の下に「御中」の二文字が記載されている。御中は団体、会社などへの宛名の下に書くことばであって「氏」「クン」「サマ」「ドノ」の如く敬称の類に属するとはいえない。

ところで公職選挙法六八条五号は同法四六条二項、五二条などとともに憲法一五条四項の定める秘密投票主義に由来するもので、公職選挙法一条が掲げるように、選挙が選挙人の自由に表明した意思によって公明かつ適正に行われることを制度として担保しようとするものであるが、この意味において本号の規定は極めて重要なものというべく、いかに投票の記載から選挙人がある候補者を選ぼうとする意思が明白であっても、制度としての、また全体としての選挙に関する右の観点からの制約を免れないことは当然である。

従って候補者の氏名及び公職選挙法六八条五号但書列挙の事項とこれに準じて考えられる若干のものを除けば、それ以外の記載のなされた投票は、選挙人の意図いかんは明らかでなくとも、それが無意識的なものでなく、ともかくも書くことにつき意識があって記載したものである限りは、原則として事項の大小などを問わず、一般的に選挙の公正を害する恐れがあるものとして無効投票とされなければならないのである。

原告は「殿」「様」は個人に対する敬称であり、「御中」は会社、団体等多数人の集団に対する敬称であるが、一般人は右のような区別をそれほど意識しておらず、まして学力、知識の低い人にあってはこれを区別せず、「殿」「様」の代りに「御中」と書くことがしばしばあるのであるから、「御中」も敬称として有効とみるべきであると主張するけれども、「御中」は「殿」「様」に比べれば一般的でなく学力知識の低い人はかかる用語、文字を使用しないのがむしろ通常であって、原告の右主張は当らないものである。しかして公職選挙法六八条五号の趣旨や、「へ」「呈」「に」を他事記載にあたるとする判例の立場からいけば、「御中」もまた敬称をこえた有意の記入にあたるものというべく、右投票は同条号に該当する無効投票と認定すべきである。

(4)  「あいつ」と記載された投票について

右投票記載の「あいつ」は、第三者を軽蔑して又は親しみをこめていう代名詞である。「あいち」と書くつもりで第三字目の「ち」が「つ」と誤記されたと解するには、右投票の「つ」の文字が余りにも明白に「つ」と書かれており意識的に「あいつ」と記載したと解する方が相当であると考えられる。また特定の地域において「ち」を「つ」と発言する方言があるかも知れないが、本件選挙の行われた金沢市の地域にはかかる方言はない。従って、右は公職選挙法六八条七号にあたる無効投票である。

(三)  「中野利光」と記載された投票について

原告は右投票を無効と主張するが、右投票の上の二字「中野」は参加人の氏であり、下の二字の中に参加人の名「光弘」の一字「光」の字が記載されている。

右投票の記載は参加人の氏名と一字しか違わないものであり、しかも本件選挙の候補者中に中野の氏は参加人が唯一人なのであるから、右投票を参加人の有効投票とすることは全く問題がなく、原告の主張は失当である。

(四)  「中野光」、「中野弘」、ならびに「中野光雄」と記載された票がいずれも参加人に対する有効投票と解すべきこと、被告の主張と同じであるからこれを援用する。

(五)  「」「」と記載された投票について

原告は右投票をいずれも原告の有効投票と認定すべきであると主張するが、右投票の記載はいずれも判読も困難な記載であって単なる雑事記入と解するほかなく、公職選挙法が自書能力のない者のために代理投票の制度を設けている趣旨から考えても、到底原告への有効投票と解することは困難である。

なお、右の各票の効力に関する差戻前の原審の判断については上告理由となっていなかったので、上告審においてはこれに対して直接の判断を示していないのであるが、上告裁判所の破棄判決の破棄理由となった事実上および法律上の判断のみが差戻を受けた裁判所を羈束するものであり、右の各票の効力いかんは破棄理由とは全く無関係であるので、当審においてその効力を争うことは当然許されるところである。

と述べた。

証拠関係≪省略≫

理由

一  原告主張の請求原因のうち第一ないし第四項の事実ならびに原告主張のような文字の記載された各投票の存在することは当事者間に争いがない。

二  そこで以下原告主張にかかる係争投票について被告のなした判定の可否につき順次検討することとする。

(一)  「」と記載された投票について

検証(第一回)の結果によれば、右投票の第一字目は漢字として記載されたものと推測しうるが、通常日本語として使用される漢字には全く存在しない文字であって判読不可能というほかないし、第二字目は漢字の「和」と読めるが、両文字合わせても結局本件候補者中何人に対して投票したのか判断し難いものというほかない。

およそ選挙における投票は、選挙人が候補者の何人に対して投票する意思を有するかを判断するための資料であるから、投票用紙に記載された文字又はこれに類似する符号は、投票の秘密保持、選挙の公正確保という要請からいっても、右記載自体から一般的、客観的に了解可能なものでなければならないのである。

しかるに、当該係争の投票用紙に記載された第一字目は前記のように漢字に類似しているというだけで、如何なる意味の文字か判断が困難であって、漢字のもつ多様性、多面性からいっても、右文字を原告が主張するように「愛」に非常に類似した文字であるというのは、些か飛躍した見方であって、単なる希望的判断というほかなく、これを支持すべき根拠はない。

してみれば、右投票は候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効というべきである。

(二)  「」と記載された投票について

検証(第一回)の結果によれば、当該投票の第一字目は「あ」と読むことができ、第二字目は「こ」又は縦に傾斜して書かれた「い」とも読むことができ、第三字目は「ら」であり、第四字目は「お」又は「す」のいずれかに読むことができる。従って、右投票は、「あこらお」、「あこらす」、「あいらお」、「あいらす」の四通りの読み方をすることができるわけであるが、問題は、右記載のうち、いずれが本件選挙の有効投票と認めることができるかにある。

ところで、右投票の記載内容は一見明瞭を欠くかにみえるけれども、投票の記載は、文字に誤りや脱漏があり、又は明確を欠く点があっても、記載された文字を全体的に考察することによって当該選挙人が右記載によっていかなる候補者に対して投票する意思を有するのかについて判断ができさえすれば、右投票はその当該候補者に対する有効投票と認めるのが相当である。

そこで、右観点から係争投票の記載について考えてみると、本件選挙の候補者中、氏名を呼称する際の初めの二字が「あこ」に該る者はおらず、「あい」に該る者は愛知候補のみであるから、右投票の記載についての前記四通りの読み方のうち、「あこらお」と「あこらす」は無意味であるというほかない。そして、残る「あいらお」と「あいらす」のうち、右候補者愛知末太郎(あいちすえたろう)の氏名の呼称にもっとも近い記載は「あいらす」であることは明らかであるから、右記載は結局愛知候補に対し投票する意思をもって、ひらがなで第四字目までを記載したところ、第三字目「ち」を「ら」と誤記したうえ、しかも第五字以下を記載することをやめたものであると解することができる。

されば、右投票は些か明確を欠くことは否定できないにしても、選挙人の意思としては愛知候補に対して投票したものと判断することができ、従って、同候補に対する有効投票と認むべきである。

(三)  「」と記載された投票について

検証(第一回)の結果によれば、右投票の第一字目は「あ」又は「お」と読むことができ、第二字目は「い」とも読め、あるいは、単なる書き損じにすぎないとも考えられ、第三字目は「い」と読むことができる。そうすると、右投票は「あいい」、「おいい」、「あい」、「おい」のいずれかであるが、選挙人の投票が一般に候補者のいずれかに対してなされるものであると推認されるべきことから考えると、本件選挙の候補者愛知末太郎の「あい」と記載したものと考えるのが最も合理的であると解せられる。しかして、被告においても、単に「あい」と記載した投票をもって愛知候補に対する有効投票と判定していることは当事者間に争いがないこと、更に、右判定は選挙人において「あいち」の「ち」を書き忘れたものであること、他の候補者に対する投票と見誤る可能性の全くないこと等の点からして正当というべきであることからみても、右係争の投票を被告が無効投票と判定したのは失当というほかはない。

よって、右投票は愛知候補に対する有効投票と認定すべきである。

三  次に原告は以下の投票について、いずれもこれを無効投票と主張する。

(一)  先ず「中村光弘」と記載された投票について

右投票は中野候補に対する投票として有効と認めるのが相当である。

すなわち、なるほど≪証拠省略≫によれば、本件選挙において中野光弘の氏名に類似する候補者氏名として「中村利吉」、「中川哲夫」、「中村外次」の三名のいることが認められるが、投票を二人の候補者氏名を混記したものとして無効とすべき場合は、いずれの候補者氏名を記載したか全く判断し難い場合に限るべきであって、「中村光弘」なる投票が候補者中野光弘と右類似の候補者三名をもあわせ、いずれの候補者の氏名を記載したものかどうか全く判断しがたいということはできず、むしろ「中村光弘」なる投票は、「村」の一字を除けば中野光弘に最も近似した氏名であるし、名前の「光弘」だけとらえても候補者中野光弘を特定するに十分であることにかんがみると、「中村光弘」なる投票は、当該投票者が「中野光弘」の「野」を「村」と誤って記憶していたか、又は誤記したことによるものと認められるのである。

(二)  「中野利光」と記載された投票について

前記三の(一)の観点からすると、右投票は名の「利」の一字を除いて、候補者中野光弘の氏名に最も近似していること、≪証拠省略≫によれば本件選挙における候補者中「中野」の氏を称する者が中野光弘のみであることが明らかであることからみて、氏の「中野」だけとらえても中野候補に対する投票と判断しうるに十分であることにかんがみると、「中野利光」なる投票は、「中野光弘」の「弘」を「利」と誤記し、更に語順をも誤ったことによるものと解されるのである。

従って右投票は中野候補に対する投票として有効と認めるのが相当である。

(三)  「中野光」、「中野弘」、「中野光雄」と記載された各投票について

右各投票については、中野候補に対し投票する意思をもって、名のうちの一字を脱落したか、もしくは誤記したことは右各投票の記載自体から明瞭であり、しかも他の候補者に対する投票と混同されるおそれは全くないから、これらはすべて中野候補に対する投票として有効と認むべきである。

四  参加人の主張について

(一)  「中野実」および「中の実」と記載された各投票について

「中野実」および「中の実」と記載された投票四票が存在することは当事者間に争いがない。

被告は、右各投票はいずれも本件選挙の候補者中の「白沢実」の名の部分と、候補者「中野光弘」の氏の部分とを混記したものとしていずれの候補者に対し投票したか不明であると主張するので審按する。

≪証拠省略≫によると本件選挙の候補者中には「白沢実」なる氏名の者がいたことが認められるのであるが、「光弘」と「実」との間にはなんらの類似性も認められないことを考えれば、参加人主張のような事情、すなわち本件選挙において中野光弘候補は民社党の公認候補として、同じく同党の公認をうけて県議会議員選挙に立候補した訴外荒木実と共同して選挙活動をしていたこと(この事実は当事者間に争いがない)から直ちに「中野実」および「中の実」と記載された各投票は選挙人が中野光弘候補に投票する意思をもって名を誤記したものとは即断しえず、結局右各投票は、中野光弘、白沢実両候補の氏名を混記したものと認めるのほかないものというべきであって、候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効投票と認定すべきものである。

(二)  「あい」および「あいつ」と記載された投票について

検証(第一回)の結果によれば、右各投票には、いずれも明確に「あい」および「あいつ」と記載されていることが認められ、また≪証拠省略≫によれば本件選挙の候補者中には「あい」なる文字をもってはじまる氏名の者は愛知候補のほかにはないことが窺えることおよび方言として「ち」を「つ」と発音する地方があることは公知の事実であるところ、証人愛宕末太郎の証言によると、金沢市においてはかかる方言はないことが窺えるけれども、さりとて本件選挙の選挙人にかかる方言を使用する者がいないとは断定しえないこと等の諸点を考えあわせると、右各投票はいずれも選挙人が「あいち」と記載する意思を有していたものであるが、前者は「ち」を書き忘れて単に「あい」とのみ記載し、後者は「あいち」を「あいつ」と誤記したか、あるいは前記方言を使用する選挙人が「あいち」を訛言どおり「あいつ」と記載したもののいずれかと推認されるものである。参加人は右投票記載の「あいつ」は第三者を軽蔑して又は親しみをこめていう代名詞としての表現であって、右投票は愛知候補に対する有効な投票と認めるべきでない旨主張するけれども、一般に選挙人は真摯な態度で投票に臨んでいるものと考えられ、本件においてはこの点につき特段の反対の事情を認めうる証拠もないので右主張はにわかに採用できない。

されば右各投票は些か明確を欠くことは否定できないにしても選挙人の意思としては愛知候補に対して投票したものと判断することができ、従って同候補に対する有効投票と認むべきである。

(三)  「あたご末太郎」と記載された投票について

「あたご末太郎」は漢字で書けば「愛宕末太郎」であって候補者愛知末太郎とは一字異るだけであり、また≪証拠省略≫によると本件選挙の候補者中には「末太郎」なる名の者は愛知候補のほかにはないことが窺えること等の点を考えあわせると右投票は選挙人が愛知候補に投票する意思をもって記載したが、氏の部分を誤記したものと認むべきものである。

参加人は、右投票は金沢市押野ホ二二九番二号に在住する「愛宕末太郎」なる実在の人物に対する投票とも解せられるので無効である旨主張し、証人愛宕末太郎の証言によると、愛宕末太郎は昭和三四年頃から金沢市に在住していることが明らかであるが、しかしながら、一般に選挙人は候補者に投票する意思で投票するものであるから、故意に候補者以外の者に投票したと認められる特段の事情の存する場合は格別として、そうでなければ、ある投票に記載された氏名が候補者以外の実在者の氏名に合致する場合でも、候補者に対して投票したものと認めるのが相当であるところ、本件においてはかかる特段の事情を認めるに足りる証拠はないのみならず、前掲証人の証言によれば、愛宕末太郎は金沢市に居住後、鉄工所、建設会社、あるいはタクシーの運転手などをして稼働し、従来公職選挙に立候補したり、その他の公職についたりしたことは全くなく、いわゆる社会的な知名度の低い人物であることが認められるので、むしろ右投票の記載は実在者である愛宕末太郎に対して投票する意思で記載されたものではなく、愛知候補に投票する意思でただ投票にあたり氏の部分を誤記したものと解されるから、右投票は同候補に対する有効投票と認むべきである。

(四)  「愛知未太郎御中」と記載された投票について

右投票中「未太郎」と記載されているのは選挙人が「末太郎」と書くべきところを誤記したものと認められるのであるが、さらに同票には「愛知未太郎」の名下に「御中」なる二文字が記載されているのでこの点について審按するに、そもそも右「御中」なる文言は会社、団体など個人あてでない郵便物などの宛名の下に添える語で、しかも「へ」「に」あるいは「宛」などの語と同趣旨の呈示の意思を表示する意味を含んでいるものであって「殿」「様」などの単なる敬称とは異り、これをこえた有意の文言と解すべきものであるところ、さらに加えて右投票においては「御中」なる語が右のような通常の用法と異り、個人名の下に添えて記載されているのであって、以上の点をあわせ考えるとかかる文言の記入は公職選挙法六八条五号に定める他事記載に該当するものと解するのが相当であり、されば右投票は無効というべきである。

五  以上の理由により、愛知候補の本件選挙における得票総数は、被告が判定した二、九六五票に前記認定にかかる有効投票二票を加算し、同じく無効投票一票を減じた結果二、九六六票となるのに対し、参加人中野候補の得票総数は被告の判定した二、九六七票と変らないこととなるから、結局、愛知候補の得票総数は中野候補の得票総数を依然として下廻るものであって同候補者の当選の効力にはなんら影響はないものといわざるを得ない。

してみれば、原告の審査申立を棄却した被告の裁決は相当であるので、右裁決の取消を求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡本元夫 裁判官 土井俊文 裁判官丸山武夫は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 岡本元夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例