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名古屋高等裁判所 昭和48年(ネ)204号 判決 1974年11月20日

目次

当事者の表示

主文

事実

第一 当事者の申立

(控訴)

一 控訴の趣旨

二 答弁

(附帯控訴)

一 附帯控訴の趣旨

二 答弁

第二 当事者の主張

<以下事実部分省略>

理由

第一 本件事故の発生およびその状況ならびに本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況等

一 本件事故の発生

二 本件事故の発生状況

三 本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況

第二 本件国道の概要ならびに管理状況等

1 機能

2 地形・地質

3 気象

4 管理担当官署

第三 責任

一 国道四一号の危険性とその危険区間

1 過去の崩落事例およびその原因

2 本件事故当夜の崩落等およびその原因

3 降雨による崩落等の危険とその区間

二 本件事故当夜の集中豪雨および崩落等の予測可能性

1 集中豪雨について

2 山地において災害の原因となる自然現象の形態

3 斜面崩壊について

4 土石流について

5 土砂流について

6 国道四一号の危険区間における危険性

7 本件事故当夜の崩落等の発生の危険およびこれによる事故発生の危険の予測可能性

三 設置または管理の瑕疵の有無

1 設置の瑕疵の有無

2 管理の瑕疵の有無

四 被控訴人の不可抗力の主張に対して

五 旅行主催者および運転手らの過失の有無

六 結語

第四 損害

一 概説

1 親族関係等

2 逸失利益

(一) 就労可能年数

(二) 死亡者の年間所得

(1) 有職者

(2) 主婦、家事手伝

(3) 男子大学生

(4) 男子高校生以下

(5) 女子短大生

(6) 女子高校生以下

(三) 死亡者の年間生活費控除

(四) 中間利息控除の方式

3 慰藉料

4 損害の填補

5 労災保険法による保険給付額の控除

6 弁護士費用

7 認容額

8

二 計算関係(1)ないし(42)

第五 結論

別紙

当事者目録

認容金額目録(一)ないし(四)

請求金額目録

表AないしF

賃金上昇率表

資料(一)、(二)の一ないし三《略》

判決

当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

右当事者間の損害賠償請求控訴ならびに同附帯控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一  控訴に基づき原判決中、

1  別紙認容金額目録(一)記載の各控訴人に関する部分を取消す。

2  被控訴人は右各控訴人に対し、右目録認容額欄の各金員およびそのうちの内訳欄損害額の各金額について昭和四三年八月一八日から、同弁護士費用の各金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  右各控訴人のその余の請求を棄却する。

二  控訴に基づき原判決中、

1  別紙認容金額目録(二)および(三)記載の各控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

2  被控訴人は右各控訴人に対し、右目録認容額欄の各金員およびそのうちの内訳欄損害額の各金額について昭和四三年八月一八日から、同弁護士費用の各金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  右各控訴人のその余の請求を棄却する。

三  控訴および附帯控訴に基づき原判決中、

1  別紙認容金額目録(四)記載の各控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

2  被控訴人は、

(一)  控訴人石川タネ子に対し、右目録認容額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの金額について昭和四八年八月六日から、同イの金額について同四三年一一月二三日から、同ウの金額について同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員、

(二)  控訴人高橋美智子に対し、右目録認容額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの金額について昭和四九年二月六日から、同イの金額について同四三三年八月一八日から、同ウの金額について同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員、

(三) 控訴人吉永綾子に対し、右目録認容額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの金額について昭和四八年二月一二日から、同イの金額について同四三年一一月二三日から、同ウの金額について同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額について同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで年五分の割合による金員、

を支払え。

3  右各控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟の総費用はこれを三分し、その一を控訴人らの連帯負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

五  この判決は、各控訴人勝訴の部分に限り、各控訴人において、別紙認容金額目録(一)ないし(四)の認容額欄の各金員の五分の一に相当する金額(ただし、一万円未満の金額は切り捨てる)の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

(控訴)

一  控訴の趣旨

控訴人ら訴訟代理人は、

1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取消す。

2 被控訴人は控訴人らに対し、別紙請求金額目録記載の各金員およびこれに対する昭和四三年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4 この判決は、控訴人ら勝訴部分全額につき、仮に執行することができる。

との判決を求めた。

二  答弁

被控訴人指定代理人は、

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

との判決を求め、仮に仮執行の宣言がされる場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

(附帯控訴)

一  附帯控訴の趣旨

被控訴人指定代理人は、

1 原判決を次のとおり変更する。

2 被控訴人は控訴人石川タネ子に対し金九七万七、七七〇円、同高橋美智子に対し金九三万三、七七一円、同吉永綾子に対し金八八万二、三三〇円およびこれらに対する昭和四三年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3 右控訴人らのその余の請求を棄却する。

4 訴訟費用中、附帯控訴によつて生じたものは、右控訴人らの負担とする。

との判決を求めた。

二  答弁

控訴人石川タネ子、同高橋美智子、同吉永綾子訴訟代理人は、

1 本件附帯控訴を棄却する。

2 附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

との判決を求めた。

第二当事者の主張

当事者双方の事実上および法律上の主張は、次に訂正・付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

<以下事実省略>

理由

第一本件事故の発生およびその状況ならびに本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況等

一本件事故の発生については、当事者間に争いがないこと、原判決理由欄一項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

二本件事故の発生状況については、原判決掲記の各証拠に当審証人河島満の証言および当審の検証の結果を加えて検討したところによるも、次に付加・訂正するほかは、原判決理由欄二項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

付加・訂正は次のとおりである。

1  原判決イ・7丁表七行目から八行目にかけて、「七宗橋(54.1Km)」とあるを、「七宗橋(54.2Km)」と訂正する。

2  原判決イ・7丁裏六行目から七行目にかけて、「当日二三時から二四時までの一時間雨量は、」とある次に、「別紙表Aのとおり、三川(本件事故現場から東北の方向に直線約三キロメートルの距離の三川小学校にある雨量観測所)で七五ミリメートル(成立に争いのない甲第三八号証。なお、同観測所の雨量観測記録としては、成立に争いのない甲第六四号証も提出されているが、形式および内容より検討すると、甲第三八号証によるのが相当であると認める。)、」と加える。

3  原判決イ・13丁裏五行目から七行目にかけて、「以上の作業に約一五分間を要したうえ同崩落地点を通過してさらに南進をつづけた。」とあるを、「以上の作業を終え、約一五分後に同崩落地点を通過して、さらに南進を続けた。」と訂正する。

4  原判決イ・15丁表八行目から九行目にかけて、「その頃の一時間当りの雨量は、」とある次に、「別紙表Aのとおり、三川において、零時〜一時の間に三五ミリメートル、一時〜二時の間に三七ミリメートル、」と加える。

三本件事故当夜の集中豪雨による各地の被害状況については、<証拠>によれば、原判決理由欄三項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

第二本件国道の概要ならびに管理状況等

一本件国道の概要(位置・機能・改良工事の経過・交通量)、本件国道を取り巻く自然条件(地形・地質・気象)、本件国道改良後の状況(本件国道上の崩落等・防護施設等)ならびに本件国道管理の担当官署、災害態勢と気象情報、本件事故当夜本件国道関係者の取つた行動、事故後の道路管理におけるる措置については、原判決掲記の各証拠に、<証拠>を加えて検討したところによるも、次に加除・訂正し、後記二の一部付加するほかは、原判決理由欄五項ならびに六項(原判決ロ・28丁裏六行目に五とあるを六と訂正する。)に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

加除・訂正は次のとおりである。

1  原判決イ・34丁(6)項の次に(7)項として、「現在55.1Km地点で、飛騨川にせり出した大きな岩盤の山腹を貫いてトンネル工事が行なわれている。同所には、「落石注意」の標識も設置されていないが、道路が急なS型カーブになつているため、出合頭による衝突事故や凍結事故が多かつたので、道路の線形改良が目的である(当審検証調書二二丁以下)。」と加える。

2  原判決ロ・1丁表八行目に、「七宗橋(54.1Km)」とあるを、「七宗橋(54.2Km)」と訂正する。

3  原判決ロ・1丁裏四行目から一〇行目にかけて、「この区間を含む七宗村樫原〜加茂・益田郡界間約二六キロメートルでは拡幅にあたつては、旧道拡幅を原則とし、まずできるだけ山側へ切込み旧道(幅員3.5〜4.0メートル)と合せて6.5メートルの暫定幅員を確保しておいてそれから川側に拡幅して8.5メートルの所定幅員を完成する方法がとられた(甲第四一号証三二頁)。」とあるを、「この区間を含む七宗村樫原〜加茂・益田郡界間約二六キロメートルでは、拡幅に当たつては、旧道拡幅を原則とし、標準工法として、まず、河側にコンクリート擁壁または石積擁壁で張り出し、旧道(幅員3.5〜4.0メートル)と合わせて6.5メートルの幅員のほか、路肩1.1メートルを確保しておいて、それから山側に1.65メートル切り込み、8.5メートルの所定幅員を完成するという方法がとられた(甲第四一号証三二頁ないし三九頁)。」と改める。

4  原判決ロ・5丁裏九行の「飛騨川流域」の前に、「本件事故現場附近以北の」を加える。

5  原判決ロ・8丁裏一一行目の次に、「本件沢でも濃飛流紋岩類の方が古生層よりも浸食に対する抵抗が弱い。」と加える。

6  原判決ロ・14丁表七行目から裏七行目にかけて、「そして、……と考えられる。」とあるまでを削り、その跡に、「そして、第九堰堤の上流にも沢に沿う断層があるかどうかについては、証人河井政治は、(問)「九号堰堤から上流については流紋岩に生じているわけですか。」(三五六四丁)に対し、(答)「これは流紋岩に生じているかどうかという前に、下に古生層があるわけですから、古生層と流紋岩が同時に断層を受けていると解釈していいんじやないかと思います。」と述べている証言内容によつてうかがわれるように、河井証人自身は前記野上証言にあるような断層についての具体的な追跡をしたわけではないのであつて、河井証言によつては、いまだ断層があるものとはにわかに認定し難い。また、控訴人らが本件沢において断層だと指摘するその他のものについては、右両証人の証言によつてもこれを断層とも節理とも断定し難いし、飛騨川をはさんで本件沢と対岸(右岸)の谷とが一つの断層でつながつているか否かについては、右両証人の証言および当審の検証の結果によつてもいずれともにわかに断定し難い。

なお、本件沢の第五堰堤の西寄り左岸で古生層と濃飛流紋岩が重なつている事実に、<証拠>を総合検討すると、控訴人らの指摘するように、本件沢における本来の古生層と濃飛流紋岩類との接点は第五堰堤附近ではないかとも思われるが、この点は以上に認定した断層の有無の判断には直接影響を及ぼさないと考える。」と加える。

7  原判決ロ・20丁裏一〇行目に、「別紙13のとおりである。」とあるを、「別紙13および別紙表Aのとおりである。」と改める。

8  原判決ロ・22丁表六行目に、「崩落」とあるを、「主な崩落」と訂正する。

9  原判決ロ・22丁表九行目に、七宗橋(54.1Km)」とあるを、「七宗橋(54.2Km)」と訂正する。

10  原判決ロ・24丁裏九行目からロ・25丁表一行目までを削り、その跡に、「右崩壊起点の崩壊ならびに前記第一一堰堤と第一二堰堤間の左岸の崩壊と本件土石流の関係については、崩壊が土石流発生の要因となつたか否かについては、いずれとも断定し難い。」と加える。

11  原判決ロ・25丁表五行目から九行目にかけて、「国道四一号七宗橋(五5.1Km)から白川口駅(66.8Km)間に設置された防護施設は別紙9の事故前の防護施設一覧表のとおり種子吹付・植生・モルタル吹付・PNC・ストーンガード・石積擁壁よりなるが、」とあるを、「国道四一号七宗橋(54.2Km)から白川口駅(66.8Km)間に設置された防護施設は、別紙9の事故前の防護施設一覧表の種子吹付・植生・モルタル吹付・PNC・ストーンガード・石積擁壁ならびに成立に争いのない甲第五号証、当審の検証の結果(検証調書七〇丁以下)によつて認められる金網・石垣(64.5Km地点〜64.6Km地点)よりなるが、」と改める。

12  原判決ロ・28丁表六行目から七行目にかけて、「この沢の附近の他の沢についても同様にスクリーン堰堤と石垣が設けられた。」とあるを、「この沢の附近の他の沢についても、スクリーン堰堤、石担、ロツクネツト等の防護施設が設けられた。すなわち、63.85Km地点の沢には一ケ所のコンクリート堰堤(当審検証調書5)、64.6Km地点の沢(甲第五号証Eの場所、本件事故当夜崩落)には二ケ所のスクリーン堰堤とロツクネツト(原審第二回検証調書第七見取図写真(17)(18)、当審検証調書8の一二)、64.82Km地点の沢(甲第五号証Cの場所、本件事故当夜崩落)には二ケ所のスクリーン堰堤(原審第二回検証調書第八見取図写真(2)、当審検証調書9)、65.1Km地点の沢(本件事故当夜崩落)にはロツクネツト(原審第二回検証調書第八見取図写真(4)、当審検証調書8の一一)、65.25Km地点の沢(甲第五号証Aの場所、本件事故当夜崩落)には流路工(原審第二回検証調書第八見取図写真(6)、当審検証調書8の一〇)、七八Km地点の沢(本件事故当夜崩落)にはコンクリート堰堤(原審第二回検証調書第一一見取図写真(4)、当審検証調書14の二)等である。」と改める。

13  原判決ロ・28丁裏五行目の次に、「ことに、柿ケ野トンネル(62.4Km)を出た所から白川口の町近く(六六Km)までの間は、随所に拡幅のためにけずられた岩壁が道路に接して切り立ち、そこには低いものは五メートル余、高いものは二〇メートル以上のモルタルを吹き付けて、その上をロツクネツトを張つて覆つてあり、また山すそには石積やストーンガードを設けてあるが、このような箇所が間断なく続いている(原審第二回検証調書第六ないし第八見取図、当審検証調書4の三および8)。」と加える。

14  原判決ロ・46丁表七行目の次に、「なお、金山工区にも本件事故後に警報器付自記雨量計が設置された。」と加える。

15  原判決ハ・12丁表九行目に、「七宗橋(54.1Km)」とあるを、「七宗橋(54.2Km)」と訂正する。

16  原判決ハ・45丁表一行目に、「第二回検証第五見取図(10)の写真)、」とある次に、「白川町地内の六六Km地点(鈴木石油店前、当審検証調書8の二)と69.07Km地点(同町勘八峡地内、同調書12の三)」と、同七行目に「八月中旬頃」とある次に、「白川町地内の二つのゲイトは昭和四八年一〇月頃」とそれぞれ加える。

二右のうち、国道四一号の機能、地形、地質および気象状況ならびに管理担当官署について要点を摘記し、さらに一部付加認定したところを記載すれば、次のとおりである。

1  機能

国道四一号の本件事故現場附近は、もと郡道「白川街道」であつたものが、大正九年に県道に認定され、次いで昭和二八年に二級国道一五五号に、さらに昭和三三年には一級国道四一号に指定されたものであるが、昭和三四年の第二次道路整備五ケ年計画および昭和三六年の第三次道路整備五ケ年計画に基づき改良工事がなされ、昭和四〇年一一月には国道四一号全線の路面改良舗装工事が完成したことにより、国道四一号は、従来と全く面目を一新し、表日本と裏日本を中部山岳地帯を貫通して直結する重要幹線道路として、路線の地域開発および産業活動にも大きな役割を果たしており、バス等を利用して乗鞍岳や下呂方面へ向う観光客等の増加も伴い、交通量は飛躍的に増加している。

2  地形・地質

(一) 地形

国道四一五号は、濃尾平野・富山平野・高山盆地を除けば、大半は川に沿い、一方の路肩には急傾斜の山腹や岩壁が迫つている。管理担当官署の岐阜国道工事事務所管内では、美濃加茂市より飛騨川に沿うことになるが、七宗橋(54.2Km)以北はほとんどすべて右のごとき山岳道路である。ことに、本件事故現場を含む七宗橋と飛泉橋(66.7Km)との間の飛騨川約一二キロメートルは飛水峡といわれ、深く浸食された河床で知られているが、道路は蛇行する飛騨川に沿つて急峻な山岳のすそを縫うように走つている。

(二) 地質

(1) 本件沢附近を含む飛騨川上流域の地質

チヤート・砂岩・粘板岩からなる古生層が広く発達分布し、その基礎の上に濃飛流紋岩類が堆積している。濃飛流紋岩類は、東濃から飛騨地方へかけて広大に分布する白亜紀火山岩類(複合岩体)の総称として呼ばれ、岐阜県の三分の一以上の面積を占めて露出している。塊状無層理の流紋岩質溶結凝灰岩を主体として構成され、しばしば砂岩・泥岩・凝灰岩・礫岩などから成る陸水成層(飛騨川流域では古生層に由来する崖錐角礫岩「白川口層」)を狭有し、花岡斑岩類の岩株ないし岩脈状迸入岩類を密接にともなつている。本件事故現場附近以北の飛騨川流域は濃飛流紋岩類分布地域の西縁部にあたり、ここでは永底に堆積した凝灰岩層(宇津尾層)を基準として、それより上位の白川流紋岩類と下位の飛騨川流紋岩類とに大別される。流紋岩類の中でも白川流紋砦類が最も新しい岩層である。

<証拠>によれば、一般的な意見として、破砕帯や断層線にそう基盤がはげしい“もめ”を受けている地帯に山くずれが多いことも広く認められているが、本件沢附近を含む飛騨川上流地域は、濃飛流紋岩類の形成史のところ(原判決引用部分)で見たように、複雑な地質形成と地質構造を持ち、しかも時期を異にする断層運動・火成活動により、各地層の接触部が破砕され、熱変成作用を被つていることは推察される。地質は形成の古いものほど堅く、一般には古生層よりも相対的に濃飛流紋岩類の方が早く浸食されやすい。

(2) 本件沢附近の地質

本件沢附近は、飛騨川上流地域の南端にあたり、古生層の基盤の上に白川流紋岩類が堆積している。本件バス集団が南進をはばまれた64.17Km地点の崩落附近も古生層(粘板岩)の最上部に濃飛流紋岩類が堆積している。

<証拠>によると、本件沢および64.82Km地点の沢における各斜面崩壊箇所の山腹は、濃飛流紋岩の崖錐を含む土砂が堆積していたもので、崩壊の跡には大きな岩盤が露出しており、崩壊箇所の土砂や露出している岩石等はなお不安定で、登り降りするときは土砂や岩石がずり落ちる状態であることが認められる。そして、右事実と右各検証の結果によつて認められる64.17Km地点の崩落箇所の状況から見て、本件事故現場を含む飛騨川上流域の山腹の土質の風化具合および地質状況についてもある程度堆認し得るといえよう。

なお、本件沢における古生層と濃飛流紋岩類との接触点が第五堰堤附近かあるいは第九堰堤附近であるかということと断層については、先に触れたごとく明らかではないので、断層が本件沢の堆積土石の生産に果たす役割の程度も明らかにはし得ないが、右に認定した本件沢の山腹の土質の風化具合および地質状況から見ても、後記認定のように、本件沢の渓谷自体は、決して土石生産の少ない安定したものとはいえないものである。

(3) 本件沢附近より以南の飛騨川流域の地質

<証拠>によれば、本件沢附近より以南の飛騨川流域の地質は古生層であることが認められる。

3  気象

本件事故現場附近は、飛騨山脈を中心とする中部山岳地帯と濃尾平野とのほぼ中間に位置し、東濃山間部と呼ばれ、わが国でも年間を通じて比較的降雨量の多い地域に属し、特に毎年六月から九月の降雨量がその他の月と比較して著しく、降雨特徴も、山岳地帯の一般に共通する驟雨性のもので、変化が激しくかつ集中豪雨となつて現われることが多い。

なお、岐阜県下の降雨現象としては、多雨の起きることの多い地域は、揖斐川上流域、長良川上流域および牧田川上流域で、東濃山間部はこれらの地域に比べるとそれほど多くはないが、強雨の起きることの多い地域となると、揖斐川上流域と東濃山間部で、両地域とも、一時間降水量三〇ミリメートル以上の降雨が、毎年三回程度の割合で起つている。

4  管理担当官署

本件事故当時には、国道四一号全域が道路法一三条による建設大臣の指定区間に指定され、建設大臣が管理を行なつており、その具体的担当官署は、中部地方建設局の下部機関である岐阜国道工事事務所、同事務所の維持出張所である美濃加茂国道維持出張所および金山町所在の出張所現場監督員詰所(通称「金山工区」)で、その管理担当区間は、事務所および出張所が各務原市鵜沼(38.1Km)から益田郡下呂町東上田(114.2Km)までの76.1キロメートル、金山工区が加茂郡白川町坂東(七八Km)から下呂町東上田までの三六キロメートルであつた。

第三責任

控訴人らは、本件事故は本件国道の設置および管理に瑕疵があつたことによつて生じたものであると主張するので判断する。

ところで、道路の設置または管理に瑕疵があるとは、道路が通常有すべき安全性に欠けていることをいうと解するのが相当であるから、当該道路において通常予測される自然現象(外力)に対し安全性を具備していなければならないものである。したがつて、当該道路に対し交通を阻害する土砂崩落等の災害が発生する危険があり、その危険を通常予測することができる場合には、当該道路の設置または管理に当たり、交通の安全を確保する措置が講じられなければならず、もしこれに欠けるところがあつたために事故が発生したとすれば、設置または管理の瑕疵による責任が生ずることになるから、以下、順次検討することとする。

一国道四一号の危険性とその危険区間

1  過去の崩落事例およびその原因

(一) 改良工事前

改良工事完成以前の昭和三八年一一月二八日、柿ケ野トンネル(62.4Km)北側入口附近で、同所を南進中のトラツクに国道東側上方より岩石を含む土砂の落下事故があり、運転手が重傷を負つたが、崩落の原因については本件全証拠によるも明らかではない。

(二) 改良工事後

改良工事完成後の昭和四一年七月一六日から本件事故前の昭和四三年六月一九日までの約二年間に、事務所管内国道四一号上において、原判決添付別紙10に記載の八件の崩落があつた。このうち、昭和四二年七月九日白川町村君地内(79.4Km)の崩落では、北進する二台の自動車に乗つていた人が国道上の崩落土砂に遭遇し、通行可能か否か降りて現場を見に行つたとき、突然発生した第二次崩落により四人位が生き埋めとなり、死者一名および負傷者二名が出ている。

右八件のうち、別紙表Bの六件は、降雨が直接の原因(誘因)をなしていると認められる。すなわち、<証拠>に照らすと、崩落(後記のごとく斜面崩壊の一種である)等は先行雨量、連続雨量および時間雨量に関係するとされているが、前記別紙10によれば、これら六件のうち、番号1の昭和四一年七月一六日白川町下油井(78.5Km地点)の崩落を除く五件は、いずれも先行雨量があり、かつ、崩落時に降雨があるかまたは降雨がなくとも時間最大降雨量があつたときから一時間あるいは九時間後に発生していること<証拠>によれば、崩落は降雨のピークから数時間あるいは一日位遅れて起こることがあるとされる。)から推察して、降雨が直接の原因(誘因)をなしているといつてさしつかえはないと考える。

なお、前記番号1の件についても、<証拠>によれば、同所には沢があることが認められ、右崩落はこの沢からの土砂流出であると思われるので、土量が4.5平方メートルであつたことから見て、当時の降雨量程度でも直接の原因(誘因)となり得るものと考える。

しかし、残りの二件は、崩落時にも崩落前にも降雨がなかつたと認められるので、降雨が直接の原因(誘因)をなしているとは認め難いものである。

2  本件事故当夜の崩落等およびその原因

(一) 崩落等の箇所および原因

本件事故当夜、事務所管内の国道四一号上で起きた崩落等のうち、主なものは原判決添付別紙7に記載のとおりである。これによると、七宗橋(54.2Km)から白川町村君(七九Km)にかけての間に一九ケ所の崩落等があつた。ことに本件事故現場に近接する63.25Km地点と65.9Km地点との間約三キロメートルに一四ケ所の崩落等があつたことになり、そして、この間の「落石注意」の標識が設置されていた箇所附近は、例外なく崩落等が起こつている。

右崩落等があつた箇所の64.6Km、64.82Km、65.1Km、65.25Km、七八Kmの各地点には、前記認定のごとく形状は異なるがそれぞれ沢があり、78.45Km地点にも<証拠>によれば沢があることが認められるもので、本件事故当夜の右各地点における崩落等は、これらの沢からの土砂流出であると思われる。

なお、<証拠>によれば、右のほかにも、控訴人らの指摘する五五Km地点から78.3Km地点の間の二三ケ所において、土砂流出や崩落があつたことが認められる。

以上の崩落等は、一七日から一八日にかけて飛騨川流域に降つた集中豪雨が直接の原因(誘因)をなしているものであることは明らかである。

(二) 64.17Km地点の崩落

右(一)の崩落等のうち、本件バス集団が南進をはばまれた64.17Km地点の崩落は、道路山側の急斜面の岩壁が高さ83.5メートル、幅23.7メートルにわたつて崩れ落ち、道路上に約七四〇立方メートルの土砂が堆積したものである。これは、長年月の風化と断層によりもろくなつていた古生層(粘板岩)・濃飛流紋岩類およびこれらの風化土から成る表土に、折から急激な豪雨による雨水が浸透した結果発生したものと推定される。

なお、この崩落箇所は、前記1の(二)(原判決添付別紙10)に記載の昭和四三年三月一二日白川町下山(64.2Km)の崩落箇所が再度崩落したもので、右三月崩落の時に加えられた防護施設の補強も役立たなかつたものである。

(三) 本件沢の土石流

右(一)の崩落等のうち、本件沢の土石流は、国道から数百メートルという沢の遙か上方二ケ所の急斜面に堆積していた表土が、折からの激しい集中豪雨によつて沢へ向つて崩落し、これとともに、五〇年ないし一〇〇年の年月を経て以前から沢に堆積しており、右のような集中豪雨によつて不安定な状態となつていた三、〇〇〇ないし七、〇〇〇立方メートルという大量の崖錐様堆積物が、秒速約一〇メートルの速さで流出したものである。

3  降雨による崩落等の危険とその区間

右1および2の認定事実によれば、事務所管内の国道四一号には、本件事故前において降雨を直接の原因とする崩落があり、本件事故当夜においても降雨を直接の原因として随所に崩落等が発生したもので、その場所は、本件事故前における崩落も本件事故当夜における崩落等も、いずれにおいても、①七宗橋(54.2Km)から飛泉橋(66.7Km)までの区間と、②飛泉橋から白川町村君(八〇Km)までの区間に集中しているから、先に認定したごとく国道四一号の七宗橋以北の地形・地質・気象等の自然的条件に照らすと、国道四一号は、これら①および②の区間地域において、集中豪雨などによる相当量の降雨の際には崩落等の発生する危険があつたものである。

二本件事故当夜の集中豪雨および崩落等の予測可能性

ところで、前記のごとく、災害をもたらす自然現象(外力)に対し道路の設置または管理の瑕疵を問い得るためには、まず当該自然現象の発生の危険を通常予測できるものであることを要すると解するのが相当であるが、元来、発生するか否か、発生するとしてもその時期・場所・規模等において不確定要素の多い自然現象について、いかなる場合に発生の危険が通常予測できるといえるかが問題となる。

思うに、自然現象については、必ずしも学問的にその発生機構が十分解明されているとはいい難いが、自然現象のもたらす災害は、学問的にすべてが解明されなければ防止できないというものではなく、また、そのために防災対策をゆるがせにすることは許されないのであつて、その当時において科学技術の到達した水準に応じて防災の行動をとり得るものであり、防災科学はまさにそのような見地に立つて、自然現象発生の危険性を検討し防災対策を研究する総合的な学問の分野である。そして、道路の設置・管理も当然このような防災科学の見地を取り入れて検討されるべきものである以上、当該自然現象の発生の危険を定量的に表現して、時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは困難であつても、当時の科学的調査・研究の成果として、当該自然現象の発生の危険があるとされる定性的要因が一応判明していて、右要因を満たしていることおよび諸般の情況から判断して、その発生の危険が蓋然的に認められる場合であれば、これを通常予測し得るものといつて妨げないと考える。

以下、右の見解により、予測可能性について検討する。

1  集中豪雨について

被控訴人は、本件事故当夜の集中豪雨は、その性状および降雨量において、通常予測し難い異常なものであつたと主張する。

しかして、本件事故当夜の集中豪雨は、先に認定したごとく(原判決引用部分)、特に飛騨川流域および長良川流域に局地的に現れて大きな被害をもたらしたもので、飛騨川流域の降雨量は原判決添付別紙13および別紙表Aのごときものであつたが、このような性状および降雨量の集中豪雨は、飛騨川流域において通常予測し得なかつたものであろうか。

(一) そこで、まず、集中豪雨という自然現象について考察する。

(1)<証拠>を総合すると、次のことが認められる。

いわゆる集中豪雨とは、短時間に局地的に非常に多量の雨が集中して降る現象をいい、通常、三、四回の雨量ピークがある。一般に集中豪雨というと、とかく、梅雨前線豪雨を想起し勝ちであるが、必ずしも梅雨前線だけが舞台ではなく、台風のときでもいちじるしい集中豪雨が起きることがある。台風に伴う集中豪雨は台風の動きによつて予報しやすいのに対し、台風に伴わない集中豪雨はいわばゲリラ部隊であつて、いつどこでどんな勢力で襲つてくるか分らない。このような集中豪雨が台風に伴う豪雨災害とはつきり区別して認識されるようになつたのは、昭和三二年七月の諌早豪雨からで、集中豪雨という言葉が始めて用いられたのも、諌早豪雨の翌年である昭和三三年七月一日付の朝日新聞の夕刊記事の記載によるといわれる。そして、昭和三〇年以降、集中豪雨による災害が目立つて増加し、最近の自然現象による災害に関する限り、集中豪雨はその主役の座を奪つた感さえある。しかるに、集中豪雨の発生機構については、昭和四二年七月豪雨と同年八月下旬の下越豪雨が発端となり、早急に集中豪雨の研究を促進し、予報技術を改善しなければならないという気運が高まり、本件事故前年の昭和四二年には気象研究所で「梅雨末期集中豪雨特別研究」なるテーマで取り上げられ、同四三年から「梅雨末期集中豪雨特別観測計画」として五ケ年間研究観測が行なわれ、相当の成果をあげ、現在もその資料をもとにしてなお研究が続けられているが、いまだその現象が十分解明されているとはいえない。したがつて、集中豪雨の予報も、ポテンシヤル予報といつて、広い範囲(例えば九州北部とか四国南部)で豪雨の可能性のあることを予報し、次に気象レーダーによつて豪雨を降らす積乱雲を観測し、また現地における雨量の観測通報を入手し、それが集中豪雨の初期であると判断した場合に、さらに地域をしぼつて、たとえば県の西部とか北部とか地域を指定して、そこにいつごろ、およそ何ミリの雨が降るか、注意報・警報を発表するという方法で行なわれているが、その予報則が確立されているとはいえず、降雨量を予測することは困難で、その意味では、災害対策も困難で危険な自然現象であるといえる。

しかし、他方、本件事故当時においても、集中豪雨の発生機構としては、南西方向から暖かくて湿つた空気(湿舌)が日本の上空に入り込み、さらにその上空に大陸からの乾いた冷い空気が流入している場合には、大気の状態は不安定となり対流が生ずるので、積乱雲が生じ、集中豪雨が降りやすく(したがつて、日本では、東南アジアから海洋性の湿つた季節風気団が吹き込んでくる六月から九月にかけて集中豪雨が多い。)、その空気中の活発な対流を起こす原因は空気の収束であり、収束の原因は低気圧であるが、集中豪雨の場合に収束を起こす低気圧は非常に小さく、メソ低気圧(小型低気圧)と呼ばれるものであるということが見いだされていて、活発な研究対象となつていた。

すなわち、昭和三二年の諌早豪雨の際には、福岡気象台の背振山レーダーもあり、高層観測も行なわれ、特に細かい雨量のネツトワークが敷かれていたこともあつて、諌早豪雨のあとで初めて細かい解析が行なわれ、メソ低気圧が見いだされ、そのメカニズムが少しわかつてきたが、その後気象研究所が中心となつて、日本海の豪雪の機構を研究し、そのころから局地的豪雪がメソ低気圧で起きるということがわかつてきて、いわゆるメソ気象学といわれる、小さな気象現象を追求する研究がなされるようになつた。その後、たまたま昭和四二年七月豪雨でメソ低気圧がキャッチされてメソ低気圧の移動が解析され、さらにそのあとの同年八月下旬の下越豪雨があつて、その二つを契機にして、昭和四三年から前記の集中豪雨特別研究がなされ、メソ低気圧によつて集中豪雨が起こるということが確かめられた。

なお、メソ低気圧が発見されたのは、決して新しいことではなく、すでに一九四七年アメリカで雷雨特別研究観測が行われたときに、メソ高気圧やメソ低気圧についていろいろなことがわかつた。

メソ低気圧には進行性のものと停滞性のものがあり、したがつて、メソ低気圧に伴う降雨域も進行性と停滞性とがあるが、それが非常に明瞭に見られたのは昭和四二年七月豪雨のさいである。その時の降雨域は九州から山陽を通つて北東へ進み、この降雨域つまりメソ低気圧が到達した時刻に、佐世保、呉、神戸などで豪雨が降つた。また一方、同じ日に神戸地区では、比較的長時間にわたつて、メソ低気圧が停滞し、したがつてその間降雨域が停滞した。

集中豪雨の降雨特性としては、例えば、北海道あたりは大雨が降ることは非常に少ないのに、苫小牧で昭和二五年に一時間降水量一二六ミリメートルという全国歴代一二位に入る集中豪雨が降つたことがあるように(甲第五八号証八三頁表Ⅱ―2)、ある地域に限つて発生するものでもなく、またある一定の地域に限つてみても、その地域として非常に記録的な降雨量になることもめずらしくはない。そして、発達した積乱雲には雷雨を伴い、その多くは夏の特別の気象状態や前線に関連して起こるものであるが、集中豪雨の場合ほとんど雷雨を伴つている。過去の集中豪雨により大きな災害が起こつた例によると、ほとんどの場合が雷を伴つていることからみて、黒い雨雲と雷は集中豪雨のシンボルともいうべき重要な現象である。

(2) ところで、岐阜県下においても集中豪雨が降ることはめずらしくはなく、観測記録<証拠略>により集中豪雨と認められるものの歴代一〇位をあげると、別紙表Dのとおりである。この中で、日雨量順位1の揖斐川電工(揖斐郡藤橋村)の八四五ミリメートル(昭和四〇年九月一四日九時から一五日九時までの二四時間)は、歴代全国九位(甲第五八号証八一頁表Ⅱ―1参照。同表九位の本戸(福井)の八四四ミリメートルもこの時の集中豪雨域のものであつた。甲第八一号証の三、九三頁)で、過去の岐阜県下の記録をはるかに上回るという激しい集中豪雨であつた。そして、この時の天気図(甲第八一号証の三、九二頁)における寒冷前線と温暖前線との様子は、先に述べた集中豪雨の発生機構の特性をよく現しているものである。

(3) これに対し、前記のように、一七日から一八日にかけての飛騨川流域および長良川流域に降つた集中豪雨は、地域的に狭く、短時間に集中し、降雨強度も、上麻生(55.1Km)で日降雨量三八二ミリメートル、時間降雨量一七日零時から一八日一時までの一時間に九〇ミリメートル、三川で日降雨量三五四ミリメートル、時間降雨量一七日二三時から二四時までの一時間に七五ミリメートルに達したものであつて、集中豪雨としての特性をいかんなく現したものといえるが、前示表Dに明らかなごとく、岐阜県下で発生する集中豪雨として見る限り、被控訴人の主張するように特に異常な集中豪雨であつたとはいい難い。

(二) それでは、地域的な観点からみて、本件事故現場附近の東濃山間部においては、このような集中豪雨は通常予測しえなかつたものであろうか。

(1) 前記危険区間またはこれに比較的近い地域における雨量観測所の記録<証拠略>により、過去の降雨量(日降水量および一時間降水量)記録と一七日から一八日にかけての降雨量とを対比してみると、別紙表Cのとおりである。

これによると、一七日から一八日にかけての降雨量は、日降水量においては、七宗と大船渡では過去の記録を三〇ないし四〇ミリメートル上回つており、上麻生では過去の記録の約二倍の雨量であり、黒川でも過去の記録をはるかに越える雨量であつたことがわかる(なお、金山では過去の記録を上回つていない。)。

次に、一時間降水量においては、資料に乏しく、右日降水量について検討したと同一の観測地点における記録はないが、富加では過去の記録の約二倍の雨量であつたことがわかる。

(2) そこで、被控訴人は、乙第一六号証を資料として統計計算を行ない、再現確率雨量を求めると、本件事故発生日(昭和四三年八月一七〜一八日)の降雨量の再現確率年は、大船渡で二四〇年から三三〇年に、七宗で一七〇年から二〇〇年に、上麻生で一、〇〇〇年にそれぞれ一回であるとし、本件事故当夜の降雨がいかに予見し難い異常なものであつたかがわかると主張する。

しかし、<証拠>によると、一般的にいつて、再現確率年とは確率論的に既往の資料からある確率年に災害が発生することを推計することをいうのであつて、この方法は既往最大規模という単純な考え方よりは進んでいるので、戦後は広く採択されているものであるが、この方法においては過去の資料がよりどころとなるので、それが豊富に存在することが必要とされ、この方法の問題点としては、第一に少ない資料で確率災害規模を計算しても信頼度があるかどうかという疑問があることであり、第二は確率年をどうして決めるかという問題もあることである、とされており、<証拠>によるも、同様にこの再現確率年の方法は、その資料となる過去の記録期間が短いと、信頼度がうすくなるとされている。そして、このことは、次の一例によつて実証されるといえよう。すなわち、被控訴人は大船渡の本件事故発生日の降雨量の再現確率年は二四〇年から三三〇年に一回であるというのであるが、<証拠>によれば、大船渡の一七日から一八日にかけての降雨量227.5ミリメートルは、昭和一八年から始まつた観測期間中の日最大降水量記録である昭和三五年の188.5ミリメートルを三九ミリメートル上回つているにすぎず、しかも、前示表Cによれば、大船渡と同じく金山町にあつてさほど距離も隔たつてはいないと認められる金山において、明治二七年から始まつた観測期間中(本件事故当年まで七五年間)に、大正四年と昭和三三年の二回にわたり日降水量二六三ミリメートルを記録しているのであつて、この事実に照らすと、被控訴人の指摘する大船渡の再現確率年の数値は信頼度に疑問なしとせず、右数値をもつて大船渡地区における災害対策上の予測降雨量とすることは危険であると思われ、したがつて、右数値は実用性に乏しいものといわざるを得ない。

右のごとくであるから、被控訴人の主張する七宗の一七日から一八日にかけての降雨量241.1ミリメートルが再現確率年一七〇年から二〇〇年に一回であるとの数値も、<証拠>によれば、昭和二六年から始まつた観測期間中の日最大降水量記録である昭和二八年の211.6ミリメートルを29.5ミリメートル上回つているにすぎないことおよびその観測期間が大船渡の場合よりも短い一七年間にすぎないことから見て、信頼度のうすいものといえよう。

また、上麻生にしても、観測が始まつたのは昭和二八年であつて、観測期間が同様に短いので、この点からだけでもにわかに予測し難い降雨量と断定することはできないと考える。

(3) それでも、上麻生、黒川、富加においては、いずれも短い観測期間ではあるが、その間の過去の記録を相当に上回つた降雨量であつたことは明らかであり、しかも、前示表A、C、Dより見ると、東濃山間部と揖斐川上流域等の西部地域とでは、日降水量および一時間降水量のいずれにおいても、揖斐川上流域等の西部地域の方が上回つているので、これらの点よりすると、本件事故当夜のごとき集中豪雨は、過去において同程度あるいはこれを上回る集中豪雨記録のある揖斐川上流域等の西部地域においては予測されても、過去に同程度の集中豪雨記録のない東濃山間部においては予測し難いものではなかつたかとの疑問が生ずるかもしれないので、さらに、この点について検討する。

ところで、東濃山間部においても、毎年六月から九月の降雨は、山岳地帯の一般に共通する驟雨性のもので、変化が激しくかつ集中豪雨となつて現れることが多く、一時間降水量三〇ミリメートル以上の降雨は揖斐川上流域と同様に毎年三回程度の割合で起こつており、一時間降水量五〇ミリメートル以上の降雨も、本件事故現場に比較的近い岐阜地方気象台の加茂郡八百津町久田見観測所において、昭和三一年から同四二年までの一二年間に、四回記録されていることから見てもわかるように、降雨量には差があり、揖斐川上流域等の西部地域ほど多くないにしても、集中豪雨型の降雨の発生頻度としては、東濃山間部も揖斐川上流域等の西部地域に劣るものではない。

そして、集中豪雨としては、その地域として非常に記録的な降雨量になることもめずらしくはないことは前記のとおりであり、しかも、<証拠>に照らすと、集中豪雨につきその地域性を無視することはできないとしても、他方、<証拠>に照らすと、岐阜県下において、揖斐川上流域等の西部地域と東濃山間部とをはつきり区別できるほどの地域性があるとは認め難く、むしろ、集中豪雨については、そのような狭い範囲の地域性を考え、過去の記録から、東濃山間部においては集中豪雨が起こつても揖斐川上流域等の西部地域ほどの降雨量がないと判断するのは危険であるとされているのである。

(4) 以上の諸点から考えると、本件事故現場附近を含む前記危険区間一帯の地域における一七日から一八日にかけての集中豪雨は、集中豪雨の決して少くない東濃山間部としてみても、過去の降水量をかなり上廻る激しいものではあつたが、前示表Dに見られるように、岐阜県下においてこれをさらに上回る降水量の記録も多いことなどから、通常予測しうる規模のものであつたといわなければならない。

2  山地において災害の原因となる自然現象の形態

(一) <証拠>によれば、次のことが認められる。

山地において災害の原因となる自然現象には、山腹におけるものとして、山くずれ、がけくずれ、地すべり、土砂くずれ、落石等の名称で呼ばれるものと、渓床におけるものとして、土石流、土砂流、泥流等の名称で呼ばれるものがあり、山くずれにも崩落、滑落、流動の三形態がある。

山くずれとがけくずれは、その発生機構の類似性のゆえに斜面崩壊とも総称される。

また、土石流の流動機構としては、岩石や土砂が水でねりあげられて一体となつた物質としてまとまつて運ばれる形式として「集合運搬」と呼ばれ、普通の洪水流のように、砂や泥の粒子がばらばらで水に流されて運ばれる形式は「各個運搬」と呼ばれ、区別される。したがつて、いかに多量の土砂でも掃流形式で生じたものは土砂流であつて、土石流とはされない。

しかし、これらの用語は広く常識的に使用されている割合には、山腹におけるものおよび渓床におけるもののそれぞれにつき、相互の厳密な区別がなされておらず、学術上の定義もさまざまな学説があつて統一されていなく、実際にはこれらの形態の境界を明らかにすることはきわめて困難であることが多い。

そして、これらの自然現象については、それぞれにつき発生機構および発生原因(素因および誘因)が考えられ、これらに共通の発生原因として考えられるものについても、素因としての地質・土質(土の強度、斜面内部の不均質性あるいは不連続性)・地形・植生等と、誘因としての降雨(地下水または地表水)・人為(切土・盛土の工事等)等とが複雑に関係し合つている。

(二) 前記一の1の(二)(改良工事後)に認定したところによれば、改良工事後で本件事故前までの崩落は、右(一)で述べた山地災害の形態のうち、斜面崩壊、沢からの土砂流の形態に属するものであつたと思われる

また、前記一の2(本件事故当夜の崩落等およびその原因)に認定したところによれば、本件事故当夜の崩落等は、右(一)で述べた山地災害の形態のうち、斜面崩壊、土石流、土砂流の形態に属するものであつたと思われるので、次に、これらの形態に分けて、その予測可能性を検討することとする(以下、本件事故当夜の崩落等というときは、これらの形態の総称をいう。)。

3  斜面崩壊について

(一) 斜面崩壊の発生機構および原因

<証拠>によれば、斜面崩壊の発生機構および原因として考えられているのは、次のとおりであることが認められる。

斜面崩壊の形態には二種類あるとされる。一つは、山腹の風化された表層の底に風化の進んでいない固い岩盤あるいは水のしみ込みにくい土層(底層)が存在しているような斜面に、豪雨による雨水が多量に供給され、表層からしみ込んだりあるいは岩の割目を通り抜けたりして底層の表面に水がたまると、その水力によつて表層の土が底層と押し合う力が減少し、その結果摩擦力が減少し、また水の貯留によつて粘着力も減少してくると、表層の土塊を引き止めようとする力が減少してついにくずれ落ちるようになる。もう一つは、底層の表面にたまつた水の層が次第に厚みを増して、ついに地表に達して吹き出す(この現象をパイピングという)ようになると、吹き出した地点附近の土塊がこわれて崩壊が始まるものである。

次に、斜面崩壊の原因は、前記のように素因と誘因が複雑にからみ合つているが、過去の統計によると、素因としての地形・地質については、水を集めやすいくぼんだ形状の三〇から四〇度の急斜面で、十分風化された五〇センチメートルから二メートル位の表土が水の浸透しにくいちみつな岩層をおおつている斜面で発生しやすい。その典型的例が、九州地方のシラス地帯とか、関西に多いマサ土(花崗岩の風化土)地帯である。また、誘因としての降雨については、十分な先行雨量の後の強雨が崩壊を起こしやすく、したがつて、集中豪雨によるものが多い。斜面およびその周辺の土地利用状況は、雨水の地中へのしみ込みやすさと土質の変化を通じて、崩壊の起こりやすさに大きな影響を及ぼすことがある。例えば、植生(地表の植物の生育状態)は降水の地面への到達や地中へのしみ込み具合を変え、またその根系の発達状況は土塊の抵抗力に影響を及ぼすから、森林の皆伐は崩壊を起こしやすくし、道路の建設や宅地造成による切土・盛土も崩壊を起こしやすくなる。

(二) 斜面崩壊の予知・予測方法

<証拠>によれば、次のことが認められる。

斜面崩壊発生の予知・予測方法には、統計的(巨視的)方法と物理的(微視的)方法とがあり、統計的方法とは、多くの斜面崩壊例を集めて外観的に判別しやすい要素との相関性を統計的に求め、総合的な危険度を定量的に表現する方法であり(たとえば、各要素にそれぞれ点をつけ、その合計点から危険度を表現する。)、物理的方法とは、特定の対象斜面についてできるだけ詳しく物理的特性を調査して、危険度を力学的計算に基づいて定量的に表現する方法であつて、それぞれに研究が積み重ねられてきている。しかし、統計的方法は、二つの地域の危険度の相対的な比較や、広い地方を対象にした総合的な防災計画の資料としては有効に利用できるが、個々の対象斜面についてその自然現象の発生を具体的に予知・予測するには不十分であるとされ、また、物理的方法は、原理的にはほとんど問題はないが、実際に適用する場合に困難な問題が残されている。一つは、ある計算方式をたてたときの前提が、実際の斜面にあてはまるかどうかであり、他の一つは、もし計算式の前提が完全に適用されたとしても、計算に用いる具体的な数値が十分入手できるかどうかである。つまり、理論的には崩壊予知の可能性はあつても、具体的な計算に必要な数値が十分入手できるかという点で、非常に制約を受けるから、実行可能な調査によつて得られる数値の信頼性の範囲でしか、危険度の表現はできないとされる。したがつて、現実の問題としては、まず統計的方法で大体の危険域を予想し、次に個々の対象斜面について精密な調査を行なつて、物理的方法である程度の定量的な危険度を判断することになる<証拠略>。特に、重要な問題である斜面崩壊の直接の原因である降雨との関連性については、いまだ数式をもつて表現するまでには至つていないが、各地域で豪雨のたびに資料を集めて整理し、それぞれの地域の危険降雨の目安をたてておけば、ある程度の崩壊予想の判断に役立ち、警報の発令や避難の指示に大いに利用し得るものであり、あるいはまた、崩壊機構がすべて明らかにされていない現段階では、崩壊についていろいろな要因との関係を見て統計的に分析し、因果関係を見ることは、やむをえないし、有力な手法であり、仮にすべての形式について崩壊機構が明らかにされても、複雑な自然現象を考えると、統計的手法を用いざるをえないと考えられる<証拠略>。しかし、いずれにしろ、斜面崩壊の予知・予測には、概観調査、土質調査、水文調査などの現地調査を実施することが必要であるが、いずれの調査も崩壊の機構の一、二の因子をとらえるものであり、一つの方法で完全を期することはできないから、対象斜面の特質に応じた調査法を組み合わせて効果を高めなければならない。

要するに、斜面崩壊現象は、学問的に十分解明されていない面があり、具体的な崩壊発生の予想も高い信頼を寄せることができない現状であるが、斜面崩壊現象による被害については、現在の学問、技術の段階に応じた対策行動によつて、ある程度の抑制、軽減の効果をあげることは可能である(甲第五八号証一七一頁)。

(三) 本件斜面崩壊の予測可能性

(1) 右(一)および(二)に考察したところによれば、斜面崩壊現象は学問的に十分解明されていない面があり、斜面崩壊発生の危険があるとされる要因を定量的に表現して、その発生の危険を時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは困難であることが認められる。

しかし、その発生の危険があるとされる定性的要因は本件事故当時において一応判明していたものと認められるので、先に述べた見解により、本件事故当夜の斜面崩壊につき、その発生の危険を通常予測しえたものであるか否かについて、次に検討することとする。

(2) 前記①②の危険区間は、その地形は、七宗橋を渡つてしばらくすると急傾斜の険しい山腹や岩壁が迫るようになり、ことに柿ケ野トンネル(62.4Km)から白川口の町近くまでの間は、道路は蛇行してS型のカーブが多く、拡幅のためにけずられた岩壁が道路に接して切り立つている。

また、その地質は、本件事故現場附近を含む飛騨川上流域は古生層の基盤の上に白川流紋岩類が堆積しているものであるが、一般に古生層よりも流紋岩類の方が浸食されやすく、先に認定したところからうかがわれるように、右飛騨川上流域の風化は相当進んでいるといえよう。

このような地形・地質であるため、国道四一号では、拡幅の完了した昭和三九年二月から本件事故前の昭和四三年七月までに、七宗橋(54.2Km)から白川口駅(66.8Km)間に、種子吹付・植生・モルタル吹付・PNC・ストーンガード・石積擁壁のほか、金網・石垣(64.5Km地点〜64.6Km地点)等の防護施設が施されたが(原判決引用部分および当審認定部分)、原審証人金森登の証言によれば、右防護施設は一時間雨量五〇ミリメートルの降雨に耐えることを一応の目安として設置されたものであることが認められる。

なお、弁論の全趣旨によれば、防護施設の工法とそれに対応する事象との関係は次のとおりであることが認められる。

① ストーンガード類は、比較的緩斜面における落石、小崩壊に対応する工法であり、落石エネルギーは斜面垂直高と落石荷重で決まるが、通常落石崩土が斜面を転滑してくることを想定しているものである。

② ロツクネツト類は、比較的急斜面の落石、小崩壊に対応するもので、覆式とポケット式があり、斜面を転滑してくる落石、崩土に対応するものである。

③ 洞門および落石シエード類は、比較的中規模の崩落および落石に対応するもので、鋼構造のものとコンクリート構造のものなどがある。設計荷重としては、地形・地質等の条件によりさまざまであるが、斜面転滑のほかに通常予想される直撃荷重およびなだれ荷重も考慮される場合が多い。

④ 植生工は、雨水の浸食防止、凍上崩落の抑制、緑化による降雨流出量の調整をするものであり、地形・地質・勾配により種々の方法がある。

⑤ モルタル吹付工は、切取岩盤面の風化防止、節理等の亀裂面からの剥離防止工である。

⑥ 石積み、法枠等は、風化、浸食の防止、表面部の崩落抑制であり、力学的に土圧の働く場所に設け、小規模な滑りを止める工法である。

⑦ 堰堤は、小渓流の渓床土砂の流出防止、間接的には渓床勾配の安定に役立つが、土石流のような大規模の事象に対応したものではない。

本件事故前になされた右防護施設のうち、64.4Km地点(白川口下山)では、昭和三九年に種子吹付がなされたが、同四二年六月二九日に崩落し、64.2Km地点では、同三九年に石積擁壁の上にストーンガード、法面の中段にPNC工法が施されたが、同四三年三月一二日崩落している。右64.2Km地点は同四三年三月崩落後PNC工法にかえて、スロープネットが設けられていたが、本件事故当夜石垣の約八〇メートルの上部から幅23.7メートルにわたつた64.17Km地点の崩落に対し防護の役を果し得なかつた。

また、前記①②の危険区間には、原判決添付別紙6のとおり、「落石注意」の標識が設置されていた。このうち、本件事故現場附近の64.48Km地点から65.65Km地点の間には四ケ所設置されていたが、本件事故当夜にはこれらの標識のある場所から一〇〇メートル以内で、例外なく崩落が発生している(原判決引用部分)。

そこで、原判決添付別紙9・10と前示別紙6を比較対照して検討すると、右「落石注意」の標識の設けられた64.4Km地点は、前記のとおり、本件事故前において、昭和四二年六月二九日崩落のあつた64.4Km地点および、同三九年三月一二日崩落のあつた64.2Km地点に近い箇所であり、かつ、<証拠>によれば、64.17Km地点附近から64.6Km地点にかけて、本件国道の山側は一帯に切り立つた岩壁やがけが続いていることが認められる。

そして、前記のごとく前記危険区間では本件事故当夜において随所に崩落等があつたが、前示別紙6のごとく、すでに本件事故発生前においても、前記①の危険区間では、本件事故当夜に64.17Km地点等本件事故現場附近で斜面崩壊があつた箇所附近において、また、前記②の危険区間では、本件事故当夜に斜面崩壊があつた箇所附近において、いずれも降雨を直接の原因とする斜面崩壊があつたものである。

以上の事実に照らすと、前記①の危険区間では64.17Km地点等本件事故現場附近で本件事故当夜に斜面崩壊があつた箇所附近および前記②の危険区間では本件事故当夜に斜面崩壊があつた箇所附近は、いずれも前記認定の斜面崩壊発生の危険があるとされる定性的要因を満たしていることおよび本件事故前過去において崩落した事例があるなど前記認定の諸般の情況から判断すると、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される地域内にある右各崩壊箇所附近では、右のような規模の降雨の際には斜面崩壊発生の危険のあることを通常予測しえたものということができる。

4  土石流について

(一) 土石流の発生機構および原因

<証拠>を総合すると、次のことが認められる。

土石流は、古来より「山津波」「山潮」「蛇抜け」などといわれて地域住民に恐れられているもので、数多くの災害のつめあとを残してきている。その定義は、学者によつて必ずしも一様ではないが、土木用語辞典(土木学会監修)によると、「山間のけい川において、多量の土砂、石れき、ときにこれに木材などの破片を混じたものが、それ自身の重力と水の潤滑作用によつて流下する現象をいう。」とされ、その態様も、火山の噴出に伴うもの、山腹の崩壊に伴うもの、渓流堆積物の流動によるもの、地すべりに伴うものなど、地形・地質・水文条件(降雨・気温)に応じてさまざまな形態が考えられているが、学問的研究の歴史が比較的浅いうえに、その対象が複雑でかつ観察による裏付けが得難いため、その発生機構についていまだ十分な解明がなされていないし、したがつてまた、土石流運動の力学的研究についても定量的な運動則が確立されていないので、土石流制禦の問題についても研究途上にあり、土石流を防止する工法は現在の科学技術の水準ではなかなか困難である。

しかし、土石流についての研究結果から得られたところによると、土石流の発生は、渓床の勾配、渓床の堆積土石の量、渓谷の供給雨量、渓谷の地形・地質等に相関づけられ、①渓床の勾配は、二〇度から三〇度の所に多く、中でも三〇度から四〇度位が発生率が高いこと、②渓床の堆積土石の量は、二、三メートルから四、五メートルの厚みで堆積している所に多いこと、③渓谷の供給雨量は、一般的に雨量との対応だけで土石流の発生を予測することは困難であるが、連続降雨量が一〇〇ミリメートルを越えると、堆積物の表面に水流が生じて土石流が発生しやすくなり、さらにまた短時間の強い雨が直接に土石流の発生に関連すること、④渓谷の地形・地質は、右①および③の要因と関連し、地形は多量の降雨を集水しやすいように、上流部に広がりを持ち、下流部が狭くなつている形状で、地質は堆積物が供給されやすいような風化された渓谷や、断層・節理・破砕帯等のある渓谷に頻度が高い。

次に、前記のとおり、土石流の発生機構については、いまだ定量的に解明されていないのであるが、ある程度急峻な谷に沿つて、大量の土石が堆積しており、豪雨によつて多量の水が集中するときに発生することは明らかであつて、要するに、渓谷の勾配、水の供給、不安定な土石の堆積状況の原因が揃つて土石流が発生するのであるが、このような原因が揃つているとき、直接に発生を引き起こすいわゆる「引きがね作用」については、次のようなことが考えられている。

その一つは、山くずれ、がけくずれであつて、渓谷の上流において豪雨によつて斜面が崩壊し、この衝撃によつて、渓床に堆積していた不安定な土石が流動し始めるものであり、他の一つは、一時的な渓流のせきとめであり、渓流が岸からの崩壊土石により一時的にせきとめられて水位が上がり、このせきが決壊して多量の水が短時間に放出され、渓床の堆積土石をまきあげて流下するものである。しかし、このような特殊な現象がなくても、急峻な勾配に大量の土石が堆積して不安定な状態にあるとき、十分水がしみこんで流動しやすくなれば、それ以上のわずかの水の供給によつて表層の土砂が流れ出し、これがきつかけで雪だるま式に堆積物を引きずつて流下する可能性がある。

要するに、きわめて不安定な状態で谷沿いにたまつている土石は、十分水がしみこんだ場合には、どのような形であつてもわずかな刺激でくずれて流下する可能性がある。

もつとも、右にあげた土石流発生についての定性的要因がどの程度に重なり合つた場合に土石流が発生するかという定量的な相関関係は不明である。

以上が本件事故当時における土石流の発生機構についてのおおよその学問的知識の水準である。

(二) 土石流の予知・予測方法

<証拠>によれば、次のとおり認められる。

土石流発生の予知・予測についても、統計的方法と物理的方法があるが、土石流についても、統計的方法により、個々の谷についてその危険度を正確に表現することは困難な場合が多いし、しかも土石流の発生は、斜面崩壊よりもさらに頻度が少なく、特定の地方では数百年に一回しか発生せず、統計的処理を行なうためには資料が不足することが多く、また、ちみつな現地調査による物理的方法をとるにしても、一つの谷の流域の調査範囲は、斜面崩壊の対象域に比べて広く、さらに土石流の発生条件そのものについての定量的判定も、物理的法則に基づく基準がまだ確立されていないから、物理的方法もいまのところあまり有効ではない。結局、土石流発生の定性的要因は一応判明していても、これらの要因を定量的に表現して土石流発生の具体的予知法を確立するまでには、まだ多くの課題が解決されなければならないものである。

(三) 本件土石流の予測可能性

(1) 右(一)および(二)で考察したところによれば、土石流発生の危険があるとされる要因を定量的に表現して、その発生の危険を時期・場所・規模等において具体的に予知・予測することは、斜面崩壊に比べて一層困難なことは明らかであるが、土石流についても、その発生の危険があるとされる定性的要因は一応判明しているものと認められるので、先に述べた見解により、本件土石流発生の危険を通常予測し得たものであるか否かについて、次に検討することとする。

(2) 本件沢は、<証拠>によれば、渓床の勾配は約二四、五度から約三〇度であること、渓床の堆積土石は三〇センチメートルから二メートル位あつたこと(原判決引用部分)、渓谷の形状は上流に広く下流(出口)に狭くて深いことがそれぞれ認められ、渓谷の地質については、ことに上流部および左岸山腹は濃飛流紋岩の相当に風化した一メートル前後の表土(濃飛流紋岩より成る崖錐を含む)で形成され、傾斜角も約三六度から四〇度という急斜面で(原判決引用部分)、その地質および傾斜角の点では崩壊しやすい条件にあり<証拠>によれば、本件事故発生当夜の崩落は非常によく起こる形態および規模のものであつて、土石の生産という点では、本件沢は決して安定したものではないことが認められること(なお、このことは、<証拠>によれば、本件沢の第三、第五、第七の各スクリーン堰堤に相当量の土石が堆積しているが、その全部が山腹から供給されたものではないとしても、石の大きさや形状から見て、山腹から供給されたものも相当量あると思われることからも推認される。)、以上によれば、本件沢は前記定性的要因のうちの①、②および④を満たしていることが認められ、そして、③の供給雨量については、本件事故現場附近において、集中豪雨など強い雨の際には、連続雨量一〇〇ミリメートルを越える降雨量を予測し得たものであることは先に認定したところにより明らかである。

(3) なお、供給雨量として、連続雨量一〇〇ミリメートルを越えると、堆積物の表面に水流が生じて土石流が発生しやすくなるという要因については、本件土石流発生時までの連続雨量が三川で一五〇ミリメートルを越えており、また<証拠>によれば、昭和四六年八月三〇日から三一日にかけての台風二三号にともなう降雨の際に、岐阜県養老郡の江原谷および小山谷において、連続雨量二五二ミリメートル(上石津観測所)で土石流が発生している例が記録されているなど、かなりかけ離れた数値となつているが、同じく<証拠>によれば、昭和四七年七月の梅雨前線の際、岐阜県下において発生した土石流発生渓流数二二をを、土石流発生までの総雨量で分類すると、一六〇ミリメートルが九、一九二ミリメートルが七、二六五ミリメートルが二、三六〇ミリメートルが四と、一六〇ミリメートルと一九二ミリメートルに集中している結果が出ており、これを全国的に眺めて見ると、連続雨量一五〇ミリメートル以上になると土石流が発生し始めている結果が出ていることが認められる。しかして、<証拠>によれば、全国各地の現地調査等による資料統計によると、土石流発生の危険がある降雨量は、日頃から降雨量が多い地域か少ない地域かによつて異なり、少ない地域である北海道では連続雨量が一〇〇ミリメートルを越えるとよく発生し、多い地域である九州の南部とか四国の南部や三重県の尾鷲のような所では連続雨量が三〇〇ミリメートル近くにならないとなかなか発生しなく、比較的多い地域である中部地方では連続雨量が一五〇から二〇〇ミリメートルを越えると発生するが、山のふもとの方で測つた雨量と、山の上で土石流の起こる源の近くで測つた雨量とでは異なる場合が非常に多く、一般的には平地よりも山の高い所の方が雨量が多いので、一般的に利用できる雨量は、特殊の場合を除いて、平地で得られた雨量であることを考慮すると、一般的な警戒の目標として利用できる雨量としては、連続雨量一〇〇ミリメートル位にしておいた方が相当であることが認められる。加えて、統計的方法としては、複雑な自然現象に対しそう正確な数値を求めること自体がもともと無理であり、しかも、土石流発生の危険のある定量的な雨量を統計的方法により求める以上、右奥田証言にあるように、できるだけひかえめな数値とするのが安全であり、これを一応の警戒数値として、それぞれその地方における実情に見合つた数値を求めて行くようにすればよいのであるから、前記連続雨量一〇〇ミリメートルという数値は、本件土石流発生の危険があるとされる要因としては、決して非科学的なものとはいえないと考えられる。

(4) さらに、本件沢においては少くともここ五〇年ないし一〇〇年位の間は土石流が発生していないことがうかがわれるが、このことは、渓流堆積物の流動による土石流の場合にみられる周期性<証拠>に徴すると、かえつて安心のできない事情といえるし、しかも、<証拠>によれば、本件沢よりも渓床勾配のゆるやかな南隣りの沢(63.85Km地点)において、かつて発生した土石流の痕跡と推認される巨大な岩石が堆積していることが認められるという事情もある。

(5) しかして、事務所管内の本件国道には、本件事故現場附近だけでも数本の沢があり、この沢において土石流が発生した場合、本件国道の通行者に対し大きな災害をもたらす危険があることは容易に予想し得たところであり、ことに、本件沢附近には「落石注意」の標識が設置されており、かねがね斜面崩壊もあり、地質的には相当に風化した地域であることは前記認定のとおりであるから、道路設置管理の担当者としては、各沢の地形・地質・堆積土石量および既往の土石流の痕跡の有無等につき十分の調査を要するものであつた。そして、このような調査・発見は、<証拠>によれば、国道四一号の改良工事の際に、現に地質調査のなされたことが認められることや、<証拠>に照らせば、本件事故当時可能な技術水準にあつたことが認められるのであるから、専門家に依頼して実地踏査をするなどして、右諸点を調査・発見することは十分可能であつた。

(6) 被控訴人の主張に対して

ア 被控訴人は、計画線調査および実測線調査に当たつては、技術者による現地調査を何回となく繰り返えして行ない、詳細な地形測量に基づき、使用開始後の維持管理上の問題点を総合検討したものであると主張するが、右調査・検討がその主張のとおり実際になされたものであつたならば、それにもかかわらず本件事故が起こつたのは、いかに本件事故当夜の集中豪雨や崩落等が予測不可能なものであつたかを推認せしめるものとも考えられるので、右主張について検討する。

① <証拠>によれば、「計画線調査」とは、改築せらるべき道路の経済性・走行性・安全性(走行上および構造上)を調査して、線形、勾配、幅員などについて具体的に決定し、また必要に応じその他の調査も行ない、事業費の概算を求めるもの、「実測線調査」とは、工事が実施できる程度に道路が通る予定地の地形・高さを測量および調査を行ない、事業費の算定を行なうもの、であることが認められること、

② 地質調査については、原審証人坂上義次郎は、「七曲り峠以外に全然地質調査がなかつたということではないと思う。」「地質調査をしておれば、編集の際落さない限り、工事記録に書いてあると思う。」「別表一(原判決添付別紙一〇)にある崩落の補修工事でその周辺の地質を専門家に調べてもらつたことはないと思う。」「土砂の崩落に関しては地質屋さんが専門に必要だとは考えていない。」「本件沢の上流部を調査したという書類はなかつた。」「本件沢に登つたとか、職員を登らせたというようなことはない。本件沢の上流部の土質等が気になつたことはない。」「本件事故前に危険箇所ということで調べたことはないが、……」「私の在任中(昭和四〇年一二月から同四五年八月)、地質調査を含めた大規模な調査をすべきであるということを中部地建に具申したことはない。」旨の一連の証言をしていること、

③ 甲第四一号証(国道四一号線工事計画概要)には、七曲り峠の地質調査、欧穴箇所の地質概査・弾性波探査等の記録はあるが、本件沢および前記危険区間の各沢について地質調査を行なつたとの記載はないこと、本件事故後に被控訴人から本件沢の調査を依頼された原審証人野上裕生は、「右依頼を受けた際に手渡された資料中には、道路を建設する際に建設省が行なつた地質調査の結果についての資料はなかつた。」旨証言していること、

以上の諸事実に照らすと、被控訴人のいう現地踏査は、本件沢および本件事故当夜崩落のあつた前記各沢の沢筋にまでは及ばなかつたものであることがうかがわれるし、土石流発生の危険性について専門学者からも意見を徴しなかつたものと推認される。したがつて、被控訴人の右主張は採用し難い。

イ また、被控訴人は、本件沢の渓床勾配三〇度から四〇度は谷としてごく一般的なものであり、断層や崖錐様堆積物の分布状況等もなんら特異のものではなく、そのほかに本件沢において特異な地質条件の要因を見出すことはできず、また本件沢と流域面積、渓床勾配、頂上附近の植生状況(航空写真で判定すると本件沢と同じ頂上尾根となつていることがわかる)、渓流土石の堆積状況およびその地質等、土石流を発生せしめる条件がほとんど質的に同一である南隣りの沢(63.85Km地点)で土石流が発生しなかつたことから見ても、土石流の発生は、地形・地質等の外的形状だけでは、具体的予知に結びつかないものである旨主張する。

しかし、本件沢が焼岳東麓の上堀沢等の沢(上高地大正池西岸にある)のような特殊な地質条件(頂上から山腹にかけて浸食を受けやすい噴出物でおおわれ、渓床にたえず土石が供給されて不安定な堆積状態にあり、毎年一、二回はかなりの規模の土石流が発生している。<証拠略>の沢でないことは勿論であり、また、<証拠>に照らすと、本件沢が日本の多くの沢と比べて特別に破砕された危険な沢とはいえないことも認められるが、本件沢が右のような特殊な地質条件や他の沢に比べて特別に危険な条件を備えていなくとも、前記定性的要因を満たしているものであるか否かおよび諸般の情況から判断して、本件沢につき個別的・具体的に土石流発生の危険を検討すべきものである。もし、本件沢のほかにも前記定性的要因を満たす沢があれば、その沢についても、右判断基準の下に、土石流発生の危険を検討すべきものである。本件沢がほかの山岳道路における沢と比べて特別に危険なものであるとはいえないからといつて、本件沢について土石流発生の危険を予測しえないとするのでは本末転倒というべきである(勿論、このことが、各沢について土石流発生の危険性の度合に差異があることを無視するものではないことはいうまでもない。)。

この点、被控訴人は南隣りの沢との対比を問題とするが、<証拠>によれば、南隣りの沢は、国道四一号より二〇〇から三〇〇メートル辺りの距離の渓床勾配は二〇度以内であることが認められ、その上流の方もこれと同程度の勾配であると推認せられ、本件沢の渓床勾配約二四、五度から約三〇度に比べると、少なくとも勾配において異なつているのであり、しかも渓床勾配三〇度から四〇度位の沢に士石流の発生率が高いことに照らすと、渓床勾配の点において、本件沢は非常に危険の程度の高いものであるといえるのに対し、南隣りの沢はそれほどでもないといえるのであり、同証人も、相対的問題としては、堆積土石の供給具合や上流部分の地形・植生の状況等から見て、本件沢の方が南隣りの沢よりも土石流発生の危険性が高いと思う旨証言しているように(第四回九三丁裏)、南隣りの沢に土石流が発生しなかつたからといつて、本件沢について土石流発生の危険を予測しえなかつたものとはいえない。のみならず、前記認定のごとく、南隣りの沢にもかつての土石流の痕跡と認められる巨大な岩石が堆積していることが認められることからすると、たまたま本件事故当夜の条件下において発生しなかつたからといつて危険がないとするのは、渓流堆積物の流動による土石流については、前記認定のごとく堆積土石量との関係において周期性があり、特殊な地質条件の沢でない限り、そうたびたび発生するものではないことに照らすと早計であつて、この沢においても、将来、集中豪雨による降雨量のいかんによつては土石流発生の危険を予測し得ないものでもない。沢の地質学的・堆積学的調査および前歴調査の必要が指摘されるゆえんである。<証拠略>。したがつて、被控訴人の右主張は採用し難い。

ウ 次に、被控訴人は土石流発生の要因としての、「ほぼ一〇度以上の勾配の渓谷で、多量の土石が堆積していると、一〇〇ミリメートル程度の連続雨量で発生する危険性がある。」という条件の谷は、わが国のほとんどの谷がそれに該当することになるので、そのすべてについて防災工事を施すことは、河川の中、下流部における河床の低下に伴う堤防の沈下、河川流出土砂の減少による海岸の浸食など、下流部での大災害にもなりかねないし、これらに起因する農業・工業・水道など集水口の問題、水産業に対する影響などがあつて非現実的であるという意味において、予知不可能な不可抗力的自然現象である旨主張する。

しかし、山岳道路の多いわが国の道路において、前記のような要因を満たすすべての沢について一様に防災工事を施すことは、工法上の可否、土石流発生の周期性から見た経済性の問題だけでなく、それが自然の調和を乱し自然環境の破壊につながるおそれがあるという問題もからみ、道路管理面からのみ眺められないことは、被控訴人の指摘するとおりであるが、今ここで問題としている道路管理の面から眺めた土石流発生の危険性の予測も、右のような問題を一切無視して防護施設を講ずべきであるとまでいつているのでは勿論ないのみならず、このような問題点があるからといつて、土石流発生の危険性を予測しえないものでないこともまた勿論である。土石流発生の予知・予測の問題とこれに対処する防災方法とは密接な関係にはあるが、防災方法は、右に述べたような問題点の総合的観点に立つて、それぞれの目的および場合に応じた適切な処置を講ずべきである。したがつて、被控訴人の右主張は採用し難い。

(7) なお、本件土石流が先に述べた土石流の態様のうちの山腹崩壊に伴うものであつたか、それとも渓流堆積物の流動によるものであつたかについては、学者の見解が一致しておらず、これをいずれとも断定し難いものであつて<証拠略>、本件土石流の崩壊起点の崩壊ならびに本件沢の第一一堰堤と第一二堰堤間の左岸の崩壊が本件土石流発生の要因となつたか否かについては、先に認定したとおり、いずれとも断定し難いものである。

(8) 以上のような事実に照らすと、本件沢は、土石流の形態が山腹崩壊に伴うものであれ、渓流堆積物の流動によるものであれ、土石流の発生の危険があるとされる定性的要因を満たしていること(ことに供給雨量が連続雨量一〇〇ミリメートルを越えてかなりの雨量に達するような激しい集中豪雨などによるものであつた場合には、本件沢はその他の要因から見て相当に危険な沢であつたと考えられる)、および近くに土石流の痕跡のある沢があり、過去に土石流発生の事例があること(これは専門家が見れば比較的容易に発見され得るものである)など諸般の情況から判断して、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される地域内の本件沢では、右のような規模の降雨の際には土石流発生の危険のあることを通常予測し得たものということができる。

5  土砂流について

(一) 本件事故当夜において、前記認定のごとく、前記①の危険区間における本件沢附近の沢および前記②の危険区間における七八Km地点、78.45Km地点の沢から土砂流のあつたことが認められる。

(二) しかして、土砂流には、土石流と同様に山腹崩壊による土砂流出と渓床堆積土砂の流出などが考えられるが、その流動機構が土石流と区別されることは前記のとおりであり、したがつてまたその発生機構および原因も土石流とは異なるものではあるが、本件事故前においても、78.55Km地点の沢において降雨を直接の原因とする土砂流があつたこと、前記のごとく、本件事故当夜の崩落等のうち、土石流および斜面崩壊の発生の危険は通常予測し得たものであることに照らすと、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される右各沢では、右のような規模の降雨の際には土砂流発生の危険を通常予測し得たものということができる。

6  国道四一号の前記①②の危険区間における危険性

前記①②の危険区間は、前記1認定の規模の集中豪雨など強い雨の予測される地域にあり、前記2・3・4で考察したように、右のような規模の降雨の際には前記のような斜面崩壊、土石流の発生の危険が通常予測しえたのであるから、激しい集中豪雨などによつてこれらの崩落等が実際に発生した場合には、これらが互いに関連して事故の発生する危険があつた。すなわち、その場合、通行車両等が崩落等の直撃を受ける事故のほか、本件のごとくすでに発生した崩落等によつて通行を阻止されているところへさらに続いて生起する崩落等の直撃を受け、これにより飛騨川へ転落したり、あるいは、道路上で崩落した土砂等の下敷きとなるなどの事故の発生の危険があつたものであり、これらはいずれも通常予測しえたものである。

7  本件事故当夜の崩落等の発生の危険およびこれによる事故発生の危険の予測可能性

(一) ところで、本件事故前後の岐阜県下の気象情況は先には先に認定(原判決引用部分)とおりであつて、台風七号の接近に伴い、岐阜地方気象台では、八月一六日一七時三五分発表の台風情報第一号に始まり、各種の注意報を発表し、特に、同月一七日二〇時には、「岐阜県南部のところどころに雷を伴う強い雨雲が発生していますので、今夜半頃まで、所によつては落雷や局地的に強い雨が降りますので注意して下さい。このため低地の浸水・河川の増水・山くずれ・がけくずれの起こるおそれがあります。……」との雷雨注意報を発表し、同注意報は二〇時五〇分に事務所に伝達され、次いで、同日二二時三〇分には、「県内のところどころに雷を伴う雨雲があり、二二時現在、長良川流域の美並では二一時までの前一時間五六ミリメートル、二二時までの前一時間一四九ミリメートル、降り始めてから二七四ミリメートルになりました。今後もまだところどころに強い雨が降りますから警戒して下さい。……今後雨は明朝まで時々強く降り、長良川流域・飛騨川流域・東濃地方では一〇〇〜一五〇ミリメートルに達する見込、このため低地の浸水・洪水・山くずれ・がけくずれの起こるおそれがあり、……警戒して下さい。……」との大雨警報・洪水注意報を発表し、同警報・注意報は二三時二五分事務所に伝達され、現に二三時までの前一時間に、原判決添付別紙13および別紙表Aによつて明らかなごとく、川辺(44.7Km地点)では三六ミリメートル、上麻生(55.1Km地点)では四四ミリメートル、名倉(七七Km地点)では三〇ミリメートル、七宗(81.3Km地点)では八〇ミリメートルの降雨があり、さらに二四時までの前一時間に、川辺では三三ミリメートル、上麻生では七八ミリメートル、三川(白川町三川小学校)では七五ミリメートル、名倉では二八ミリメートル、七宗では二〇ミリメートルという降雨が降り続いていたのであるから、国道四一号の管理担当官署である事務所・出張所は、本件事故当夜において、本件事故現場附近を含む東濃山間部に集中豪雨が起こつていることを把握し得たものである。(なお、美並の降雨量については、<証拠>によれば、二一時までの前一時間五一ミリメートル、二二時までの前一時間八三ミリメートルとなつていることが認められるので、これと異なる前記大雨警報・洪水注意報にある美並の降雨量は誤りであると思われる。)

したがつて、前記認定より明らかなごとく、本件事故当夜のような集中豪雨があり得ることも予測し得たものであるから、本件事故当夜にあつては、前記内容の注意報・警報の発せられた時点以降において、本件事故当夜のごとき激しい集中豪雨があり、これを原因とする斜面崩壊、土石流、土砂流などの崩落等の発生する危険のさし迫つていることを予測し得る状況にあつたものというべきであり、したがつて、本件のごとき事故の発生の危険も予測し得えたものというべきである。

三設置または管理の瑕疵の有無

国道四一号の前記①②の危険区間は、前記認定のとおり集中豪雨の通常予測される地域にあり、斜面崩壊、土石流、土砂流の発生の危険およびこれらの関連による事故発生の危険のある道路であつたことが認められるので、このような危険性を有する国道の設置または管理に当たる官署としては、その当時における科学技術の最高水準に拠つて、適切妥当な措置をとることを要し、これを欠いた場合には設置・管理の瑕疵があることになるので、以上その瑕疵の有無について検討する。

そこで、最初に、そのような危険性のある国道に対する適切妥当な対処の基本的なあり方について考察するに、自然現象による災害(自然災害)を防止し、被害を被らないようにするためには、まず、将来発生すると考えられる災害の諸現象を科学的に推定し、それに基づいて防災計画を立てることになるが、防災計画を立てる上に、二つの方策が考えられる。第一は施設の強化によつて災害を防止する施設対策であり、第二は被害を被らないようにする避難対策である。災害防止のため、防護施設を設けたり、強化拡充することにより、ある程度の被害を防止することは可能であるが、これには現在の科学技術の限界があることなどからみて、絶対完全に防止することは至難であるから、ある程度以上の自然災害に対しては、その予報を確実に行なつて避難をし、危険の判明した時には危険域から退避することが必要である。したがつて、ある程度以上の自然災害に対しては、施設対策と避難対策の二つを併用する必要がある。

ところで、自然現象について純粋に学問の分野で考えると、なお未知の分野が多いのであるが、現実の科学知識あるいは情報の程度に応じて有効な対策を立てることは可能であり、たとえば判明した科学的知識や情報の次元に応じて、それが低いときにはより低いところから警戒に入り、徐々に情報の次元が高くなれば、警戒の範囲を上げてゆくという方法もとり得るのである。そして、そのような対処の仕方は防災科学がその研究対象とするところで、本件事故以前から研究が重ねられていて、前記の災害対策の基本的考え方とともにすでに以前から明らかにされていたものである(<証拠>)。

次に、近年道路網の発達に伴い、レジヤーなどの目的で他県からの流入車両が多くなり、いわゆる土地勘のない運転者が多い関係上、道路についての総合的な情報を把握しやすい立場にある道路管理者は、できるだけ必要な情報収集に努めるとともに、これを通行車両の運転者に対し適時に提供する必要があるが、これは結局、適切なパトロールの実施とともに前記の避難対策を有効適切なものとするのに必要な方法である。

1  設置の瑕疵の有無

まず、控訴人らは、本件国道は、改良に当たつて道路の安全性を犠牲にしたルートの選定および工法の選択がなされ、その設置に瑕疵があつた旨主張するので検討する。

控訴人らが設置の瑕疵として主張する事実のうち、その主張自体から考えて、本件事故当時においても、その瑕疵が存続し、本件事故の発生に寄与したものと考えられるものを挙げると、①本件国道の改良に当たり、防災の見地に立つて、使用開始後の維持管理上の問題点につき、詳細な事前調査が十分になされたか否か、②ルートの選定および工法について、道路の安全を犠牲にしたことはなかつたかどうかの二点である。なお、防護施設の不備については、本件国道の設置(改良)の時から本件事故の時まで相当の日時が経過しており、設置当時の不備があつたとしても、設置後の道路管理の面において検討するのが相当と考えられるから、この点については後記管理の瑕疵の項で判断することとする。

(一) まず、右①については、前記認定のとおり、使用開始後の維持管理上の問題点につき詳細な事前調査のなされた事実は認め難いので、そのため前記崩落等の危険が予め十分に認識せられず、設置の時点のみならずその後における防災対策や道路管理上重要な影響を及ぼした根本原因となつていることは否定できない。したがつて、この点における瑕疵ありとされる余地がないではない。しかし、本件事故に対する責任の有無を考える上においては、右事前調査の不備が直接管理態勢、管理行動として現われる点において、その瑕疵の有無を検討するのが相当であるから、特に設置の瑕疵としてはこれを取り上げないこととする。

(二) 次に、右②の点について、道路の設置に当たつてのルートの選定および工法の選択は、地形・地質・気象および予想される交通状況等に照らし、道路の安全確保の見地に立脚して最善と認められるものでなければならないことはいうまでもない。

そこで、国道四一号の改良工事の経過は、前記認定(原判決引用)のとおりであり、被控訴人は、昭和三八年五月から国道四一号の全面改良工事に着手するに先立ち、昭和三四年から同三七年にかけて、全線の航空写真撮影と航空写真図化を行ない、事務所管内の未改良区間である美濃加茂―加茂・益田郡界までの間についていえば、全般的な計画線調査および実測線調査や、七宗橋・大利橋・鷲原橋等の重要構造物調査は勿論、ことに重要な難所とされたところの、①七曲り峠地区(七二〜七三Km)のルート決定、②平山トンネル(65.5Km附近)の工法、③欧穴箇所(七宗トンネル、56.3Km附近)の工法については、地質の調査のうえ各種の工法案が慎重に比較検討されて、最終案が決定されたものである。また、道路構造は、美濃加茂―七宗村樫原までは旧道路構造令(昭和三三年政令第二四四号)第二種平地部の規格に、七宗村樫原―加茂・益田郡界までは同令第二種山地部の規格にそれぞれ合うように設計施行され、ことに山地部を適用される右区間は、前記のように急峻な山岳と蛇行した河川にはさまれているため、新ルートを設定するのではなく、前記認定のごとき標準工法により、旧道を拡幅するという方法が採用されたものである。

以上の経緯に照らせば、本件国道の改良に当たつてのルートの選定および工法は、その地形・地質上やむをえないものであつたというべきであつて、控訴人らの主張するように安全性を無視したものであつたとは認め難いところであるから、この点において設置の瑕疵があつたということはできない。

2  管理の瑕疵の有無

道路の管理に当たつても、地形・地質・気象および交通状況を考慮し、特にその道路の有する危険性については万全の配慮を払い、防護施設その他適切妥当な方法を講じることにより、道路の安全を確保しなければならないことはいうまでもない。

そこで、以下、本件事故当時における本件国道の管理が適切妥当なものであつたか否かについて検討する。

(一) まず、前記区間に設置されていた防護施設につき見ることとする。

(1) 本件事故発生前において、前記認定の区間には、原判決添付別紙6記載の位置に「落石注意」の標識が設置され、同別紙9記載の位置にその記載のごとき法面保護の防護施設がなされ、さらに六五Km地点附近、65.25Km地点附近および64.5Km地点から64.6Km点にかけて石垣・金網等の法面保護の防護施設がそれぞれなされていた。

(2) 右防護施設のうち、64.4Km地点では、昭和三九年に種子吹付をしてあつたが、昭和四二年六月に崩落しており、64.2Km地点では、昭和三九年にPNC工法をしてあつたが、昭和四三年三月に崩落したので、PNC工法にかえてスロープネツトが設けてあつたが、本件事故当夜の約八〇メートルの上部から幅23.7メートルにわたつた64.17Km地点の崩落に対し防護の役を果たし得なかつた。

その他の本件事故当夜の崩落箇所には、防護施設はなかつたか、あつてもモルタル吹付・種子吹付等の程度のものであつた。ことに、原判決添別紙9、当審付加認定部分(第二の一の12)、<証拠>によれば、本件沢(64.3Km地点)、64.6Km地点の沢(の沢)、64.82Km地点の沢(の沢)、5.1Km地点の滝状況、65.25Km地点の沢(の沢)、七八Km地点の沢、78.45Km地点の沢には、堰堤などの防護施設はなんら設けられていなかつたが、本件事故当夜、これらの沢ではすべて土砂の流出(本件沢では土石流)があつて、交通が阻害された。

(3) 右(1)および(2)の認定事実によれば、前記①②の危険区間に設けられていた防護施設は、道路の安全性を確保するのに十分なものではなかつたといわなければならない。ちなみに、本件事故後、建設省の「道路の災害による事故防止の強化対策に関する実施要領について」と題する通達により総点検がなされた結果、事務所管内の国道四一号約76.1キロメートル間に、主に落石・崩落等の危険箇所が五〇ないし六〇ケ所指摘された。本件沢については一二ケ所のスクリーン堰堤と六ケ所の石垣が設けられ、前記その他の沢についても同様にスクリーン堰堤やコンクリート堰堤が設けられ、本件バス集団の南進を阻んだ64.17Km地点については、崩落の危険をはらむ土砂を山側法面から約七〇〇立方メートルを取除いて岩盤を露出させたうえ、いくつもの防護柵が設けられたほか、危険箇所については、堰堤や石垣の設置、崩落の危険のある土砂の取除き、ネツト張り立て等種々の工法を用いて、防護施設の強化が実施されてきている。

(4) しかし、ひるがえつて考えてみると、前記認定のとおり、事務所管内の本件国道に設けられていた防護施設は、本件事故前より、一時間雨量五〇ミリメートルの降雨に耐え得ることを一応の目安として設置されていたというのであるから、右雨量を越える本件事故当夜のごとき集中豪雨の際には、防護の役を果たし得るかどうか疑問であつたといえようし、山くずれやがけくずれ等を防護施設によつて防止することには工学上の限界があろうと思われる。

また、前記認定のように、土石流を防止する工法は現在の科学技術の水準ではなかなか困難であり、本件沢に本件事故後に設置された防護施設の効用についても、<証拠>に徴すると、これが本件土石流の発生の防止あるいはそのエネルギーの緩和に全く役立ち得なかつたとはいえないにしても、本件土石流の発生を確実に防止し得たとまではいえないように思われる。

しかも、前記認定のごとく、前記①②の危険区間には、本件事故当夜のような集中豪雨の際には、崩落等の危険およびこれによる事故発生の危険があつたのであるから、このような危険区間においては、防護施設にたよるだけでは交通の安全を確保することは困難であつたといわなければならない。

(二) ところで、すでに明らかにされたとおり、前記①②の危険区間では、防護施設のみによつて、その予測される災害を完全に防止し、交通の安全を確保することは至難なものといわなければならないから、このような場合には、まず災害防止の基本的な考え方として、先に述べたところに従い、防護対策とともに避難対策の併用が検討されるべきであり、現に道路法四六条において、道路管理者は、交通の危険を防止するため、区間を定めて、道路の通行を禁止し、または制限することができる旨定められている。すなわち、本件危険区間は、本件事故当夜のような集中豪雨など強い雨の際には、いつなんどき崩落等が発生するかもしれなかつたのであるから、このような場合には、この区間へ進入すること自体がもはや危険であり、交通の安全が確保されないと見なければならず、したがつて、現に崩落等が発生しているか否かを問わず、崩落等の危険があると認められる雨量時点で、この区間への進入を禁止するといういわゆる通行の事前規制措置をとるべきものであつた。そして、かかる通行の事前規制措置を的確に実施するには、平素から災害態勢の中にこれを取り入れ、危険箇所の調査・点検を行ない、また降雨量による規制基準を定めるなどの準備を整えておく必要があり、かつ、実際にこれを実施するに当たつては、気象台から発表される気象情報の迅速な伝達と路線における降雨量の綿密かつ迅速な把握が不可欠であつた。

しかるに、従来の道路管理は、先に認定(原判決引用部分)のごとく、道路の通行の確保をいかにはかり、道路に障害が発生した場合いかに迅速に通行を回復させるかに主眼があり、道路上に現実の交通障害が発生し、物理的に通行が不能となつて始めてその部分のみの通行止めの措置をとつていたものである。したがつて、本件事故当時においては、いきおい、気象台からの気象情報の伝達に迅速を欠き、路線における降雨量の把握も不十分であつた(原判決引用部分参照)。

かかる道路管理の姿勢によつては、前記①②の危険区間に対処した適切妥当な道路管理をなしえないことは明らかであつて、本件事故後にとられたところの、①基本姿勢の変更②予備規制の実施、③気象情報の重視と伝達の迅速化、④パトロールの強化、⑤関係諸機関との連絡強化、等の措置が、従来の道路管理の姿勢を反省し、道路管理の基本理念である安全かつ円滑な交通の確保に向けられた施策であることはいうまでもない。そして、これらの施策を本件事故以前においてとり得ないものではなかつたことは次の(三)に述べるとおりである。

(三) 被控訴人は、現在時点における通行規制の実施基準も概括的な一応のものであるし、事前の通行規制は、本件事故を契機に世論の高まりがあつたからこそ実施しえたもので、本件事故当時においては必ずしも合理的施策とは考えられていなかつたのであるから、本件事故以前に通行規制の要領が定められていなかつたことや、本件事故当夜通行規制を行なわなかつたことをもつて、道路管理の瑕疵としたり、まして本件事故直後の規制基準をもつて、道路管理のあるべき客観的基準を決め込むことは明らかに誤りであるといわざるをえないと主張する。

たしかに、降雨による災害が予測される場合の通行規制の実施については、現実の問題として、基準とすべき降雨量の定め方、通行車両の運転者らとの紛争の解決、さらに例えば急病人のごとき緊急を要するものに対する処置など問題点は多い。しかし、防護施設のみによつて災害を完全に防止することが至難であることは、前記のとおりであつて、降雨等による落石・崩落等の危険がある道路をより機能的・合理的に管理するためには、実施の当初概括的な雨量基準によることはやむを得ないとしても、漸次実情に沿うように改めてゆけばよいのであつて、そのためにはテレメーター・落石検知器の開発・設置等による機械化・自動化と相応して、適時適切な雨量基準等(例えば、風雨による落石の多い箇所では、雨量だけではなく、風力も規制基準とすべきであろう。)による通行規制ができるようにしてゆけば、防護施設を補いあるいは相当な防護施設を設けえない場合の合理的な管理方法でありうるものと認められる。

なお、別紙表Bの番号1・2・5の崩落等は、現行通行規制の基準雨量よりはるかに低い連続雨量で発生しているが、前に述べたように、道路管理の方法には施設対策と避難対策の双方を併用する必要があるのであるから、右にあげた事例のごとく比較的少い雨量による崩落等については、本来事前規制の観点からではなく、むしろ、防護施設の問題があるものとしてその運用・改善の観点から検討されるべきが相当と考えられる。

次に、今日のごとき道路交通が重要な生活様式の一部を占める時代において、交通の安全の確保は、窮極のところ、道路を利用する国民の利益に合致するものであつて、道路管理の基本理念もここにあるといえよう。したがつて、事前規制に当たつての雨量基準については、過去の災害例に関する資料等を検討・研究し、現実の実情に照らしてより相当な基準の策定に努めるべく、また、通行車両の運転者等との紛争とか、緊急を要するものに対する問題については、道路利用者や住民の側にとつて重要な問題であることに鑑み、ひとり道路管理の面のみではなく、当該道路を中心とした地域社会の防災・生活環境の問題としてより総合的見地からの検討を加え(特に緊急を要する問題については、現場責任者の判断により臨機の処置を要することはいうまでもない)、交通の安全の確保という道路管理の理念に合致する方策を見いだすことが肝要であつて、これが通行車両の運転者等道路利用者や当該地域住民の利益に背馳するものとは考えられないところであるから、右に述べたような方法によりそれぞれ適切妥当な解決方法を採ることこそ至当であつて、右のような問題点を抱えているから通行規制を実施しえないというのでは、本来顛倒というべきである。

したがつて、本件事故の後に実施されている通行規制は、なお適宜改善の余地があるものではあろうが、通行規制そのものは合理的な避難対策の一つであるということができ、かつ、本件事故当時において実施可能なものであつたことは、もとより明らかなところであるから、被控訴人の右主張は採用し難いものである。

(四) そこで次に、現行の雨量基準による事前規制を的確に運用した場合の本件事故の回避可能性について考察する。

(1) まず、雨量基準による事前規制を的確に実施するには、規制区間の降雨量を綿密かつ短時間単位で迅速に把握する必要があるから、この観点に立つて、テレメーターの設置によりあるいは他機関の有する観測所との連係による雨量観測態勢をとるべきである。テレメーターの設置による場合は、設置場所としては、各規制区間が直線距離で約八キロメートルあること、過去および本件事故当夜の崩落等のあつた箇所の位置ならびに集中豪雨域というものが時には一〇キロメートル以内という狭い範囲の場合もあることから考えると、少くとも各規制区間の境界附近である七宗橋、飛泉橋および白川町井尻附近に各一ケ所設置するのが理想的であろう。しかし、要は、右のような集中豪雨の特性から考えて、集中豪雨にテレメーターを避けて降られるようなことのないようにするために、できるだけ密な配置が望ましいのであるから、この観点から適切な配置を検討すべきである。

なお、被控訴人は、七宗観測所(81.3Km)附近にテレメーターを設置することは、道路管理の常識として承服し難いというが、この批判は必ずしも当たらないことは右に述べたところからうなずけよう。

ところで、本件事故当時、前記規制区間沿線における雨量観測所としては、上麻生(55.1Km)三川(白川町三川小学校)、名倉(七七Km)、七宗(81.3Km)があり、上麻生は七宗橋に、三川は飛泉橋に、七宗は井尻に近いものであるから、右の関係ではほぼ同一降雨量と認めて、これらの観測所の観測記録を利用し、現行事前規制の運用による本件事故の回避可能性を考察しても不当ではないと考えるので、次に検討することとする。

(2) 本件事故後事務所管内の国道四一号では別紙表Fの①②の区間が通行規制の区間として指定されたが(原判決引用部分)、右各区間につき通行規制の基準雨量に達した時点を検討するに、同表記載のごとく、交通注意の連続雨量八〇ミリメートルについては、右①の区間では、その一観測所である上麻生が、二三時の連続雨量が四六ミリメートルであること、および、二四時までの前一時間雨量が七八ミリメートルで、本件バス集団は、二三時ころ篠突く豪雨の中を上麻生近くの七宗橋(54.1Km)を通過したが、この降雨状態は二三時一九分ころ飛泉橋を渡り終るまで降り続いたことに照らすと、上麻生では二三時以降二四時の相当以前には右基準値に達していると推定してもさしつかえはないと考えられるし、右②の区間では、その一観測所である七宗で二三時前ころにはすでに右基準値に達している。また、交通止めの連続雨量一二〇ミリメートルについては、右①の区間では、その一観測所である上麻生で二四時前ころに、右②の区間では、その一観測所である七宗で二四時にそれぞれ右基準値に達している(前示別紙13によれば、七宗の連続雨量は二四時で一一七ミリメートルであるが、当時の降雨状況に照らすと、規制雨量基準としての一二〇ミリメートルに達したものと認めてさしつかえないと考える。)。

そして、これらの雨量は、上麻生および七宗から出張所へ右基準値に達し次第速やかに通報される態勢にあるべきだから、出張所では、右各時刻ころに右各基準雨量を把握し得たものである。これをテレメーターによる場合でも、前述のようにできるだけ短時間単位、すくなくとも一時間に三、四回位すなわち一五分か二〇分位の割で降雨量を受信できるように設置すべきであるから、七宗での連続雨量八〇ミリメートルは二三時ころに、上麻生での連続雨量八〇ミリメートルは二三時以降二四時の相当以前に、上麻生および七宗での連続雨量一二〇ミリメートルはいずれも二四時ころにそれぞれ出張所へ送信されてきていることになる。しかも、二二時三〇分発表の大雨警報・洪水注意報が、二三時二五分には事務所へ、同五〇分ころには出張所へそれぞれ伝達されており、現に、七宗では二三時までの前一時間雨量が八〇ミリメートル、上麻生では二四時までの前一時間雨量が七八ミリメートル、三川では二四時までの前一時間雨量が七五ミリメートルをそれぞれ記録する豪雨が降つたのである。

右のようなわけであるが、規制区間の性質から考えると、降雨量が一つの規制箇所で規制基準に達すれば、その全区間につき通行規制措置に入るべきであるから、上麻生と七宗で通行注意の基準に達した段階で、右両規制区間のすべての規制箇所で通行注意の措置に入り、事前規制を的確に実施するための当然の措置として、各規制箇所に職員が配置されたか、あるいは予め委嘱してある白川派出所・白川町役場や地元住民等に通行注意の措置に入つた旨および通行止めに移行する可能性があるから待機されたい旨の連絡がなされたことになる。したがつて、通行止めの基準に達した時点ですみやかにその措置に入れば、①鈴木石油店(六六Km)前路上であれば、同店に直接依頼しても、配置されている職員に同店から連絡してもらつても、数分の間には右措置を完了し得たと思われるし、②飛泉橋(66.7Km)であれば、前記官公署から飛泉橋までの距離が後記のごとく数百メートルと推認されることから見て、右官公署に直接依頼しても、配置されている職員に同官公署から連絡してもらつても、一〇分位の間には右措置を完了し得たと思われるので、右いずれの箇所で規制したにしても、零時一〇分ころには優にその措置を完了し得たことになるから、本件バス集団が右①の危険区間へ進入するのを阻止し得たものと推定してさしつかえはないと考える。

なお、第一回パトロール隊の七宗橋附近からの連絡により、出張所が前記官公署に依頼して飛泉橋附近で南進禁止の措置をとるという場合については、後記のごとく、当時における右官公署等の情況から推察して、計算どおりの行動をなし得たかどうか疑問に思うのであるが、現行事前規制を運用した場合は、右に検討したように、零時以前において、かなりの時間的余裕をもつて予め通行止めの用意を依頼し得たものであるから、第一回パトロール隊の場合と同様には論じ得ないと考える。

このように、現行事前規制が当時実施されていれば、本件バス集団は前記①の危険区間内に進入せずにすみ、本件事故を回避し得たものと認められる。

(3) ところで、控訴人は、本件事故当夜のような急激な気象の変化に対しては、そのすべての場合に道路管理者が事前規制をもつて通行車両の危険回避の措置を講ずることは不可能を強いるものであると主張する。

しかし、先に認定(原判決引用部分)した本件事故前後の気象概況および集中豪雨のところより見てわかるように、集中豪雨は突如としておそつてくる全く予報不可能な自然現象ではなく、集中豪雨をもたらすような気象配置、積乱雲の発生、降雨の開始という段階と時間的経過を伴うものであり、そして、この間、気象台は、気象配置の動きをとらえつつ、ポテンシヤル予報としての気象情報の発表、次いで気象の動きに従い各種注意報および警報を発表し、道路・河川・鉄道その他の災害対策関係者にこれを逐次伝達するのであるから、集中豪雨に対し注意および警戒の態勢をとるべき余裕がないものではなく、現に、本件事故当夜の集中豪雨についても、気象台からは比較的的確に気象情報および注意報・警報が発表されていたものであり、被控訴人において防災態勢を整える余裕がなかつたとは認められない。

また、集中豪雨には、先に認定したごとく、通常、三、四回の雨量ピークがあり、降雨現象の緩急それ自体は集中豪雨そのものの特性なのであるから、道路管理者としては、このことを十分のみこんで防災態勢をとるべきものである。

なお、集中豪雨の際の降雨量が事前規制の基準雨量に達するには、短時間ではあれ、時間的経過を要するものであること、および前記規制区間の距離から見て、現行の事前規制の措置を的確に実施したとしても、交通止めとなつた時点で右規制区間内に通行車両がいないとも限らないであろう。そこで、このような車両をどのようにして安全に誘導・退避させるかが、事前規制をとる際の一つの問題点となる。そして、この点については、例えば、右規制区間内をできる限りパトロールして適切な指示・誘導に当たるように考えるべきであろうし、また、右規制区間内に道路情報板や非常電話などを設けたりすることや、現在はほとんど設けられていないが、バス等の大型車両が反転できる場所とか、車両が一時的に退避できる場所を設けたりすることも検討を要するところであろう。勿論、右規制区間内に残つている車両の運転者の側においても、適切な情況判断と行動が求められることはいうまでもなかろう。

(五) ところで、本件事故当時とられていた本件国道の管理は、その基本姿勢そのものに問題があつたといえるのであるが、当時の管理態勢の下において、はたして手落ちのない管理行動がとられたものであるか否かにつき、さらに検討を進めることとする。

(1) 気象情報、降雨状況、崩落等の伝達とパトロールについて

ア 当時の管理態勢の下においても、事務所、出張所および金山工区は、気象情報、降雨量、崩落等を把握し、パトロールをするなど、適切な管理行動をとるべきであつたことはいうまでもない。

イ 当夜の事務所の宿直員河合は、二〇時五〇分宿直室において、気象台二〇時発表の雷雨注意報の連絡を受けたのであるが、<証拠>によれば、当時、事務所の宿直係に入つた気象情報は、宿直員において、各出張所へはすべて通報し、鈴木管理課長へは緊急を要するもののみを連絡することになつていたことが認められるので、河合は右雷雨注意報を速やかに管内の各出張所へ通報すべきであつたのに、これを岐阜出張所および八幡出張所へは通報せず、また、美濃加茂出張所へ通報した際美濃加茂附近では降雨が認められないとの報告を受けたことから、鈴木管理課長へも連絡をしなかつた。しかし、この時八幡町所在の雨量観測所では二〇時から二一時の間の時間雨量五一ミリメートルという降雨を記録していたのであるから、河合が右雷雨注意報を八幡出張所に通報しておれば、同出張所の当夜の宿直員であつた永井から何らかの降雨情報を入手しえたかもしれず、したがつてまた、河合から鈴木課長へ右雷雨注意報とともに八幡出張所の降雨状況が報告されたものと思われる。

ウ 出張所の当夜の宿直員青木は、二一時ころ河合から前記雷雨注意報の通報を受けたのであるから、これを速やかに金山工区へ通報すべきであつた。ことに、青木は、二〇時ころに金山工区の諸井から、降雨があつたのでパトロールした結果、九三Km地点の三ツ渕において落石があつたとの報告を受けていたのであるから、金山工区に右雷雨注意報を通報し、降雨状況も尋ねるべきであつたし、また、金山工区からの右落石の報告を、直ちにまたは遅くとも事務所の河合から右雷雨注意報の通報を受けた時点で、事務所へ報告すべきであつたと思われるのに、これをなさなかつた。ちなみに、金山工区では、国道沿いに1.7、八キロメートル北方にある中部電力の大船渡堰堤で、一一時までの前一時間雨量が二〇ミリメートル、一七時までの前一時間雨量が二五ミリメートル、一八時までの前一時間雨量が一九ミリメートルを記録したので、翌日が日曜日のことでもあり、道路に不安を感じ、諸井が下呂方面にパトロールに向かい、右落石に出合つたものであつた。

エ そして、もし、河合から、右雷雨注意報および八幡出張所の降雨情報が鈴木課長に報告され、また、青木から河合を経て鈴木課長に金山工区での落石が報告されていれば、当時の気象状況、すなわち、一六日から一七日かけて台風七号が日本海を北上しながら通過したため、岐阜県北部・西部の山間部に局地的な大雨が予想され、気象台は、①一六日一七時三五分台風情報第一号、②同日二二時〇〇分風雨注意報、③一七日九時三〇分大雨注意報等、④同日一一時一〇分大雨注意報・雷雨注意報等が相次いで発表され、⑤同日一七時一五分右各注意報が解除されたという状況下にあつて、鈴木課長より具申し、坂上事務所長の裁断を得て、直ちに災害対策本部を設けて注意態勢に入り、出張所に対してもその旨を指示し、出張所においても、できるだけ速やかに運営事項に定められた注意態勢下の人員を確保するように努力すべきであつた(当時、出張所構内の官舎には郷右近係長と塩谷が居住しており、また出張所から、七、八キロメートル離れた川辺町の官舎には松岡、谷端、岩田が居住していたから、宿直員の青木を含めて緊急に六名の人員は確保し得た。)。

オ 次いで、二二時二〇分ころ、宿直員河合に岐阜県警察本部から国道一五六号白山地内で土砂くずれがあつたことを知らせる電話が入つた時点では、災害対策本部としては、国道四一号につき警戒態勢に入り、その旨を出張所に指示し、出張所では、遅くともこの時点ではパトロールに出発すべきであつた。けだし、当時の防災態勢がパトロールによる現場確認を重視する方法であつたことに鑑みれば、控訴人らの主張するごとく青木が二一時ころ事務所の河合から二〇時発表の雷雨注意報の通報を受けた段階で注意パトロールに出発すべきであつたかどうかはともかくとして、二二時二〇分ころの時点では、その情況から見て、パトロールへの出発は当然な措置であつたといえよう(<証拠>によれば、村田所長の指示により二〇時から二二時までの間のパトロールを行なつたごとくパトロール日誌に記載された事実から見ると、出張所における現場管理担当者の感覚としては、右二二時二〇分以前においてもパトロールに出発すべきであつたとの考えがあつたからであろうと思われる。そうとすれば、前記認定のような情況から見て、右二二時二〇分ころの時点においてのパトロールは当然な措置であつたといえよう。)。

カ 以上のように指摘することができよう。そして、右の時点でパトロールに出発しておれば、このパトロール隊は、本件バス集団と相前後して七宗橋に向かい(本件バス集団が出張所附近を通過したのは二二時四〇分ころと推定される)、下麻生地内からの篠突く豪雨の中を飛泉橋に至り、二三時三〇分ころ金山工区へ向う途中で下油井地内(七八Km)の崩落に対面したことになろう。

しかして、このころには二二時三〇分発表の大雨警報が事務所に伝達されていたのであるから、事務所管内の国道四一号としては正に非常態勢の発生である。ここにおいて、事務所・出張所・工区およびパトロール隊としては、当時の管理態勢のもとにおいて、いかなる措置を講ずべきであり、またそれが可能な情況であつたかどうかが問題となるが、ここで考えられるのは、パトロール隊による前記①の危険区間の通行規制である。

前に述べたとおり、当時の災害態勢では、非常の場合の通行規制として、予め雨量基準を定めておいて、その雨量に達すれば、危険な段階になつたものとして通行規制に入るといういわゆる事前通行規制を取り入れてはいなかつたが、パトロールを中心として、現実に危険のさし迫つていることを確めたうえ、その時における必要な区間を通行規制する方法が取り入れられていたことは明らかである。すなわち、中部地建においては、本件事故当時、「建設省中部地方建設局巡回要領」<証拠略>に、大雨、洪水、暴風などの際に特別に行われる異常時パトロールがあり、被害状況、交通状況を連絡し、適切な指示をなすことになつており、また、異常事態の予想される場合には、重点的にパトロールし、緊急の事態に備えて、「注意」、「通行止め」などの道路標識・保安柵を携行することが定められていた(原判決引用部分)。

したがつて、前記のように篠つく豪雨の中を進行し、下油井附近で崩落に行き当たつたパトロール隊としては、右「巡回要領」に従つて、非常態勢下において最も適切な行動をとるべきであり、それは前記①の危険区間の通行規制にほかならないものと考えられる。

そして、パトロール隊が右に述べたような適切妥当な管理行動をとつておれば、あるいは本件バス集団は、飛泉橋附近における南進禁止の通行規制措置によつて、南下を阻止されたかもしれない。

キ しかし、これはあくまでも二二時二〇分ころの時点でパトロールに出発したことを前提としての一つの想定であつて、パトロール隊が右に述べたような管理行動をとるべきであつたといつても、はたしてその過程において何らの支障もなくそのような管理行動をとり得たものといえるかについては、いまひとつ断定し難いところといわなければならない。

(2) 第一回パトロール隊による南進禁止措置の可否について

控訴人らは、青木・郷右近が第一回パトロールをした時の降雨(郷右近は、原審において、「七宗橋辺りからはほとんど走れる状態ではなかつた」旨証言しているが、その時の七宗橋附近の降雨は、上麻生発電所(55.1Km)での二三時から二四時の間の時間雨量は七八ミリメートルという豪雨であつた。)および道路の状況から見て、七完橋附近で電話を借り、白川警察官派出所へ連絡して飛泉橋での南進禁止の措置を依頼すべきであつたと主張する。しかして、郷右近は、原審において、降雨状況を出張所へ連絡しようとしたが交信不能であつたと証言していることから見ても、右時点における出張所への連絡および飛泉橋における南進禁止の措置自体は相当な措置であつたと考えられるから、この時点での右南進禁止の依頼措置の可否およびこれによる飛泉橋での南進禁止措置が、本件バス集団が飛泉橋を南下したと認められる一八日零時一七分ころ以前にとりえたかどうかを検討する。

第一回パトロール隊が出張所を出発したのは二三時三五分ころであり、時速五〇キロメートル位の速度で七宗橋へ向つたというのであるから、七宗橋(54.2Km)には二三時五三分ころにさしかかつていることなり、七宗橋から一キロメートル位の地点にある七宗町役場で電話を借りるとして、若干の余裕を見て同役場へ一八日零時ころ到達し得たとして、本件バス集団が飛泉橋を通過した一八日零時一七分ころまでには、十数分の時間があり、白川派出所や白川町役場から飛泉橋までは数百メートルの距離と認められるので(右各距離は、原審第二回検証の結果および、弁論の全趣旨により認められる右各地点と67.2Km地点との距離を総合比較することにより推認することができる)、第一回パトロール隊が出張所へ降雨状況等を報告した後、出張所において、速やかに決断のうえ、白川派出所や白川町役場へ飛泉橋における南進禁止の措置を連絡依頼し、依頼先において迅速適切な行動をとつておれば、右十数分の間に飛泉橋での南進禁止の措置をとることはあるいは不可能ではなかつたとも考られる。

しかし、同時刻ころ、白川派出所では、高橋巡査部長および巣山巡査は下油井崩落による交通整理のため不在で、同派出所には高橋巡査部長の家族だけしかおらず、また、白川町役場の状況は詳らかではないが、白川町自体が一八日零時ころに飛騨川の水位が上つて危険な状態となり、零時一〇分ころには消防団員召集のためのサイレンが吹鳴されるというあわただしい状況下にあつて、零時過ぎころになつて右のような措置依頼をしても、はたして計算どおりの行動をなし得たかどうか疑わしい面もある。したがつて、第一回パトロール隊が七宗橋附近で出張所へ連絡のうえ、出張所が飛泉橋での南進禁止の措置に踏み切つたとしても、はたして本件バス集団の南進を飛泉橋でくい止めることができたかどうかは疑問が残るものといわなければならない。

(3) 64.17Km地点での処置について

控訴人らは、青木・郷右近の第一回パトロール隊が64.17Km地点において判断を誤り、何らの避難・救助の措置をとらなかつた旨主張する。

しかして、第一回パトロール隊は、64.17Km地点の崩落現場にさしかかつた際、崩落北側には車両がいようとは思わなかつたというが、途中北進車両があり、64.17Km地点にも第一回パトロール隊と相前後して北進してきた三重急行バスがいたことは青木も現認していることや、当夜が土曜日であり、季節柄乗鞍へ向う観光バスなどが下油井の崩落に会つて引き返えすかもしれないことも容易に想像し得たところであるから、同地点で無線の交信もできず、飛泉橋附近での南進禁止の措置がなされているかどうかも確認し得なかつた以上、もう少し慎重に北側の様子を探るべきであつたといえよう。ことに、片山達雄運転の自動車が北側の川側に車幅灯を点灯したままで停車しており<証拠略>、同人はパトロールカーの赤と黄色のライトと一人の人が標識を置いたのを目撃していること、青木らが同地点に到達した頃は、崩落の規模もガードレール側で高さ五〇センチメートル、前後の幅二メートル位であつたので、崩落上を強いて渡ろうとすれば渡れない状態ではなかつたことに照らすと、右のような印象を免れない。

しかし、よしんば、青木らが崩落の北側に本件バス集団等多数の車両がいることを確認し得たとしても、その退避につき、いかなる適切な行動をとり得たかになると疑問であるといえる。けだし、先に見たように(原判決引用部分)、64.17Km崩落地点から北方約引四六〇メートルにある中部電力株式会社上麻生発電所下山堰提にかけての道路上には、当時約三〇台に及ぶ観光バス・トラツク・乗用車等が無秩序に駐車し、その間を縫つて後退することは至難の状況にあり、道路幅員からしても観光バスが反転することは不可能なことであつたこと、これに加えて、同日一時ころ、本件事故現場北方約一五〇メートルの道路上において、同所に停車中の定期観光バス「のりくら号」等の数台の観光バスの間を通り抜けようとしたトラツク二台が、ともに左前輪を道路山側の側溝に落し、これを引き上げるべく後退したトラツクの右後部が「のりくら号」の左後部ボデーに接触破損し、その頃から約一時間にわたり同所附近は通行不能となる事能が発生し、さらには、同日二時ころまでの間に、本件事故現場北方約五〇〇メートルの道路上(64.80Km地点)および同方向約三〇〇メートルの道路上(64.60Km地点)に土砂崩落が発生し、これにより本件バス集団は前後方とも封鎖されるに至つたこと、同日一時過ぎころ64.17Km地点の崩落箇所附近までやつてきた白川消防団員が、手分けして駐車車両の運転者に対し白川口駅方面へ脱出・移動するよう勧告したが、前記のような道路状況のため、後部にいた五、六台の乗用車が白川町方面へ引き返したにすぎなかつたこと、以上の諸事実に照らすと、青木らが、本件バス集団の退避につき、いかなる程度の行動をなし得たかも疑問なしとしないからである。

(4) 右(1)ないし(3)で見たように、当時の管理行動にも問題がなくはなかつたが、本件事故の原因と認められるほどの手落ちがあつたとは認め難いといわなければならない。

四被控訴人の不可抗力の主張に対して

被控訴人は、本件事故を発生せしめた土石流は、現在の科学技術の最高水準をもつてしても予見不可能な、しかも防災工法の見当たらない規模のものであり、また、これを誘発せしめた集中豪雨は予報不可能なものであつたために、現在想定可能ないかなる交通規制をもつてしても、本件事故は回避できなかつたものであるから、かかる予見不可能かつ防止不可能な自然現象に起因して発生した本件事故は、道路管理者にとつて不可抗力である旨主張する。

しかし、被控訴人が本件事故は道路管理者にとつて不可抗力であるとする事由のすべては、すでに判断したとおりいずれも理由のないものであるから、被控訴人の右主張は採用し難いものである。すなわち、本件土石流の発生そのものが予知し得なかつたものであることは前記認定のとおりであるが、その発生の危険およびこれを誘発せしめた集中豪雨は通常予測し得たものであることも前記認定のとおりであるから、被訴控人は、本件土石流による事故を防止するために、適切な管理方法を講ずべきものであつた。たしかに、本件土石流を防止することは、現在の科学技術の水準ではなかなか困難であつたことは前記のとおりであるが、本件土石流による事故を防止するためには、防護施設が唯一のものではなく、避難方式たる事前規制その他の方法により、その目的を達し得たものであるから、被控訴人の主張するような事由によつては、本件事故が不可抗力であつたとはとうていいい得ない。

五旅行主催者および運転手らの過失の有無

ところで、道路の設置および管理に瑕疵があつたにしても、道路に崩落等の危険が予測され、道路の利用者側において、これによる事故を回避するための適切な判断・行動を期待し得たのに、かかる判断・行動を欠いたことが事故発生の一因をなしていれば、道路の利用者側においても、事故発生につき過失があるといわなければならない。

そこで、本件事故当夜、本件バス集団の旅行主催者および運転手らは、本件事故現場附近における崩落等の危険を予測しうる事情にあつたか否かにつき検討するに、本件バス集団は往路に下麻生地内から飛泉橋を渡り終る頃まで激しい豪雨に遭つていること、下油井地内崩落により行き先を断念させられ、モーテル飛騨から反転帰路に着いた際にも、往路ほどではなかつたが、かなりの降雨(三川で一八日一時までの前一時間雨量は三五ミリメートル)であつたこと、65.25Km地点で小崩落に出会つたのに、さらに前進したこと等の事情があるので、右事情を64.17Km地点の崩落による停止、果ては本件土石流の発生という結果に結びつけて考えれば、これらの危険を予測し得たかのように見えないでもない。

しかし、このような事実関係だけからでは、右旅行主催者および運転手らが右崩落等の危険を予測し得たといえるかどうかは疑問である。なぜなら、地元の人以外は必らずしも道路の危険性を判断するのに十分な知識・情報を有しないのが通常であろうから、本件事故後に設けられたような道路情報板の設置、道路情報モニター制度、交通規制の制度等、危険性を客観的に判断し得る情報の取得手段が設けられていない以上、前記のような個別的事象の認識があつたというだけでは、これから進行しようとする道路についての危険性を予測することは、道路の利用者にとつては必ずしも容易ではないと思われるからである。現に、モーテル飛騨において、反転帰路に着くことに決定した際に、誰一人として反対した者はなく、本件バス集団以外の他の車両もその前後に相次いで反転帰路につき南下していること、また、65.25Km地点でも、北進車が下油井の崩落を知つて反転帰路に着いており、本件バス集団の後にも、下油井の崩落によつて行き先を断念させられ、反転帰路につき南下しようとしていた多数の車両があつたことも、この間の事情を物語るものといえよう。勿論、被控訴人の指摘するごとく、これらの車両の存在が復路の安全を保証するものではないが、当夜の車両の運転手等が復路につき有していた一般的認識の程度を推測せしめる証左にはなり得よう。したがつて、右旅行主催者および運転手らにおいて、本件事故当夜の判断・行動につき、より慎重な配慮が望ましかつたとはいえようが、過失があつたとまで断定するのは酷というべきである。被控訴人の右主張は採用できない。

六結語

以上のとおり、国道四一号は、その設置(改良)に当たり、防災の見地に立つて、使用開始後の維持管理上の問題点につき、詳細な事前調査がなされたとは認め難く、そのため崩落等の危険が十分に認識せられなかつたため、その後における防災対策や道路管理上重要な影響を及ぼし、防護対策および避難対策の双方を併用する立場からの適切妥当な道路管理の方法が取られていなかつたもので、国道四一号の管理には、交通の安全を確保するに欠けるところがあり、道路管理に瑕疵があつたものといわなければならない。そして、本件事故は右管理の瑕疵があつたために生じたものであるから、被控訴人は国家賠償法二条により本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

第四損害

一概説

まず、損害額算定についての一般的な説明をする

1  親族関係等

各控訴人と各死亡者との親族関係(承継関係を含む)、各死亡者の年令、職業、収入については、年令につき、番号(22)の亡岩松浩子の「八才一ケ月」とあるを「七才〇ケ月」と、同亡岩松昌弘の「六才一ケ月」とあるを「五才〇ケ月」と、番号(23)の亡関口千枝子の「四〇才六ケ月」とあるを「三七才五ケ月」とそれぞれ訂正し、収入につき、番号(14)の二宮剱一のところに「亡剱一の営んでいたサツシ取付業の収入が明らかでないので、同剱一の収入は、当裁判所に顕著な労働大臣官房労働統計調査部賃金統計課編集の昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の男子労働者学歴計の平均月間給与五一、二〇〇円と平均年間賞与等一四三、二一〇円より算出する。」と付加し、番号(26)の亡成田清の総収入「八九九、三六〇円」とあるを「八五九、三六〇円」と訂正し、番号(31)の亡石原久治のところに、「第二〇回日本統計年鑑によれば……である。」とあるを削り、その跡に、「前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告によれば、出版業・企業規模計の男子労働者学歴計の平均月間給与は五三、七〇〇円、平均年間賞与等は一四九、四〇〇円である。」と加えるほかは、原判決理由欄八項にある各死亡者毎の損害欄各1(親族関係等)の項に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

2  逸失利益

各死亡者の逸失利益については、逸失利益の項に記載のとおりであるが、その基準は次のとおりである。

(一) 就労可能年数

原則として一八才から六三才までとし、死亡時に五五才以上の者(未就職者、主婦、家事手伝を除く)については、昭和四三年簡易生命表による日本人男子・女子の平均余命年数の二分の一を就労可能年数とする。なお、年令は満年令により、また就労可能年数は一年未満は切り捨てる。

(二) 死亡者の年間所得

(1) 有職者

本件事故当時における実際の所得額を基礎として逸失利益を算定するが、なお、控訴人らは本件事故後における賃金上昇を考慮すべきであると主張するので検討するに、死亡者が生存していたならば、賃金上昇による収入の増加を得たであろうことが証拠に基づいて相当程度の確かさをもつて推定できる場合には、逸失利益の算定にあたつてこれを考慮することも許されるものと解するのが相当である。そして、賃金上昇の確実性については、各死亡者毎に当該職場における同僚の事例等により個別的・具体的に立証されるべきところ、本件においてはそのような立証はなされていないのであるが、本件事故当時より最近までの間において、わが国における労働者の賃金上昇傾向は公知の事実であり、これを本件事故当年の昭和四三年以降について見るに、当裁判所に顕著な労働大臣官房労働統計調査部賃金統計課編集の昭和四三年から同四七年の各賃金構造基本統計調査報告(本件口頭弁論終結時までに利用しうる資料)によれば、企業規模一〇〜九九人・産業計の男子労働者(学歴計)および女子労働者(学歴計)の月間所定内給与額の上昇率は、右統計に表れている各年令層毎に検討したところによると、別紙賃金上昇率表のとおり、昭和四四年から同四七年までの間、前年比の各一〇パーセント以上という結果となつていることが認められるので、この事実に照らすと、本件各有職死亡者についても相当程度の賃金上昇はあつたものと推認し得べく、その程度は、昭和四四年から同四七年までの間、前年の少くとも各五パーセントは確実であつたと認めてもさしつかえはないといえるから、本件各有職死亡者の逸失利益の算定にあたつては、右の限度で賃金上昇を考慮するのが相当であると考える。したがつて、就労可能年数一年目((a))の昭和四三年九月から同四四年八月にかけては本件事故当時における実際の所得額を基礎とし、同二年目((b))の昭和四四年九月から同四五年八月にかけては一年目の所得額に五パーセント、同三年目((c))の昭和四五年九月から同四六年八月にかけては二年目の所得額に五パーセント、同四年目((d))の昭和四六年九月から同四七年八月にかけては三年目の所得額に五パーセントをそれぞれ加算した金額をもつて当該年度の所得額とし、同五年目((e))の昭和四七年九月から同四八年八月にかけて以降は四年目の所得額に五パーセントを加算した金額をもつて当該年度の所得額とし、これらの所得額を基礎として、逸失利益を算定する。ただし、右上昇率を加算して行く途中において、すでに一般的な就労可能年数と認めた満六三才の年限に至つた者については、その時点で上昇を認めないこととする。なお、以下、計算関係においては、すべて円未満は切り捨てる。

(2) 主婦・家事手伝

前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の女子労働者学歴計の平均年間総所得額三六万八、三〇〇円(平均月間給与二万五、八〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与五万八、七〇〇円より算出)をもつて、家事労働による財産上の利益とし、これを基礎として逸失利益を算定する。

控訴人らは、主婦や家事手伝の逸失利益についても賃金上昇を考慮し、本件口頭弁論終結に至るまでの年毎の前記賃金構造基本統計調査報告によつて算出される平均賃金により順次算出すべきである旨主張する。しかし、主婦や家事手伝の家事労働は、財産上の利益を生ずるものとして、右に述べた基準によりその財産上の収益を推定するのを相当と考えるのであるが、主婦や家事手伝が事故により死亡した場合の財産上の収益を推定するに当たり、これを有識者と同様に取り扱つて一般的賃金上昇に見合つた収益の増加を考慮することは必ずしも相当ではないと考えられるので、控訴人らの主張する算定基準は採用しない。

(3) 男子大学生

死亡時大学生であつた男子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の男子労働者新大卒二〇才〜二四才の平均年間総所得額四九万九、〇〇〇円(平均月間給与三万六、八〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与五万七、四〇〇円より算出)をもつて、年間収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。

控訴人らは、男子大学生以下の未就職者の逸失利益についても賃金上昇を考慮し、本件口頭弁論終結に至るまでの年毎の前記賃金構造基本統計調査報告によつて算出される平均賃金により順次算出すべきである旨主張する。しかし、これら未就職者は、程度の差はあつても、将来いかなる職業につき、いかなる形態の収入をあげ得べきものか予測することが困難であるから、逸失利益もひかえめに算定すべきものであり、したがつて、賃金上昇による収入の増加を予測することも疑問であるから、有職員と同様に賃金上昇を考慮する結果となるような逸失利益の算定方法は必ずしも相当ではないと考えるので、前記および後記(4)ないし(6)のごとき基準によりひかえめに算定するのが相当であると認める。控訴人らの主張する算定基準は採用しない。

(4) 男子高校生以下

死亡時高校生以下であつた男子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の男子労働者新高卒一八才〜一九才の平均年間総所得額三五万二、〇〇〇円(平均月間給与二万七、五〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与二万二、〇〇〇円より算出)をもつて、年間の収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。

(5) 女子短大生

死亡時短大生であつた女子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の女子労働者新高卒以上二〇才〜二四才の平均年間総所得額三八万九、五〇〇円(平均月間給与二万六、一〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与七万六、三〇〇円より算出)をもつて、年間の収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。

(6) 女子高校生以下

死亡時女子高校生以下であつた女子については、前記昭和四三年賃金構造基本統計調査報告による産業計・企業規模計の女子労働者新高卒以上一八才〜一九才の平均年間総所得額二八万五、六〇〇円(平均月間給与二万二、一〇〇円と平均年間賞与その他の特別給与二万〇、四〇〇円より算出)をもつて、年間の収入とし、その固定方式によつて逸失利益を算定する。

(三) 死亡者の年間生活費控除

(1) 扶養家族のある者、配偶者のある者については、年間所得額の三分の一を控除する。

(2) 単身者で世帯の一員として生活を営んでいると認められる者については、年間所得額の五分の二を控除する。

(3) 単身者で世帯の一員として生活を営んでいるとは認められない者については、年間所得額の二分の一を控除する。

(四) 中間利息控除の方式

本件事故当時における現価計算をする場合の中間利息控除については、ホフマン係数(小数点第五位以下は切り捨てる)を用いる。

3  慰藉料

死亡者一人につき、その慰藉料額を三〇〇万円と認定する。ただし、番号(23)の亡関口英子については二〇〇万円とする。

なお、右のほか、相続権を有しない固有の慰藉料請求権者には、一率三〇万円の慰藉料を認める。

控訴人らは、右程度の慰藉料金額は、本件事案としては低きに失すると主張する。しかし、本件に現われた一切の事情を斟酌すると、右金額をもつて相当と認める。

4  損害の填補

<証拠>によれば、本件事故を原因として、死亡者一人当たり、自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円および本件バス旅行に関与した三社(名鉄観光サービス株式会社、団地新聞奥様ジヤーナル株式会社、岡崎観光自動車株式会社)よりの示談金三三万円が支払われていることが認められる。ただし、番号(23)の亡関口英子については一二五万円であり、番号(38)の亡石川義夫、番号(39)の亡高橋和男、番号(40)の亡吉永政義については、本判決引用の原判決の親族関係等の項に記載のとおりである。

そこで、右金員を、各死亡者の法定相続人である控訴人らの損害額から、その相続分に応じた割合による金員でそれぞれ控除することとする。

5  労災保険法による保険給付額の控除

(一) 控訴人石川タネ子、同高橋美智子、同吉永綾子は、被控訴人の保険給付額控除の主張は時期に遅れた防禦方法であり、かつ、訴訟の完結を遅延させるものであるから、民訴法一三九条により却下されるべきであり、したがつて、本件附帯控訴は不適法として却下を免れない旨主張する。

ところで、昭和四八年法律第八五号による改正前の労災保険法二〇条の規定は、災害補償の原因である事故が第三者の行為によつて生じた場合に、その第三者の民法上の損害賠償責任と政府の労災保険法上の災害補償責任とは相互補完の関係にあり、同一事由による損害の二重填補を排除する趣旨と解せられ、右改正法一二条の四の規定も根本的には同趣旨と解せられる。これらの規定の趣旨によれば、遺族が現実に労災保険法による保険給付を受けたときは、その価額の限度で、同一事由による第三者に対する損害賠償請求権は政府に代位取得されることにより減縮するものと解するのが相当である。それゆえ、被控訴人としては、右控訴人らが本件損害賠償請求権と同一事由により現実に労災保険法による保険給付を受けた事実があるときは、本件損害賠償請求権の減縮事由として口頭弁論終結に至るまで提出できる筋合いであるから、本件附帯控訴による保険給付額控除の主張が時期に遅れたものというを得ないし、また、右主張は保険給付の種類、給付額および給付年月日を特定すれば足りるところ、被控訴人はこれを<証拠>によつて立証しようというのであるから、訴訟の完結を遅延させることにもならない。右控訴人らの右主張は採用できない。

(二) そこで、<証拠>によれば、右控訴人らは被控訴人の主張する各遺族補償年金および葬祭料の保険給付を受けていることが認められる。したがつて、右控訴人らの本件損害賠償請求権のうち、右各保険給付と同一事由による各逸失利益および葬儀費の損害賠償請求権は、右各給付額の限度で減縮するものと認められるので、右各損害額から右各給付額を控除する。

右控除は、損害賠償請求権そのものの減縮によるものであるから、その元本債権についてなされるべきであるが、保険給付のときまでにすでに発生している遅延損害金債権は、元本債権が減縮されたからといつて当然に消滅するものではない。したがつて、右控除に関する計算関係は、(38)の亡石川義夫、(39)の亡高橋和男、(40)の亡吉永政義の各保険給付額控除の項に記載のとおりとなる。

(三) なお、労災保険法(昭和四〇年法律第一三〇号)附則四一条、同法(昭和三五年法律第二九号)附則一六条によれば、遺族補償年金等の給付額についてはいわゆるスライド制が採用されているから、右制度の下に改訂された遺族補償年金給付額を本件逸失利益の損害額から控除することになるが、この点については、一時金賠償たる民法上の損害賠償制度の下においては将来の予想し難い賃金上昇を考慮することは困難であるから、年金制度の下にスライド制を採用している労災保険法上の給付額と民法上の損害額をそのまま対比すること自体疑問であるのみならず、右控除は、前述した二重填補の排除という趣旨により、損害額から保険給付という形で損害の填補があつたと認められる金額を控除しようというにすぎないから、その限りにおいては不合理ではないと考える。

6  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、控訴人らは、控訴代理人らに本訴の提起と追行を委任し、その弁護士費用として控訴人ら主張の金員の支払を約していることが認められる。しかして、本件事案の内容、審理の経緯、損害の請求額、算出額(6損害の填補欄に記載の残額。以下同じ。)その他諸般の事情を斟酌すると、控訴人らが被控訴人に対し本件事故による損害として賠償を求め得べき弁護士費用は、算出額(ただし、前記残額が損害の請求額をこえるときは同請求額。)につき、原判決がとつたと同一割合により算出される別紙認容金額目録(一)ないし(四)内訳欄弁護士費用の項に記載の各金額と認めるのが相当である。

7  認容額

ところで、一つの事故により生じた生命侵害を理由とする精神上の損害と財産上の損害(弁護士費用を含めて)との賠償請求の訴訟物は一個であると解するのが相当であるから、算出額が損害の請求額をこえる別紙認容金額目録(二)記載の控訴人らについては、その本訴請求額の限度において、同目録内訳欄記載のとおり損害額と弁護士費用が認容されることになる。

8  なお、前記1の親族関係等にある死亡者の年令のうち、月令を訂正したものは、就労可能年数に影響を及ぼさないので、特に掲記しなかつた。<編注、判決文は計算関係(1)〜(42)のあとにつづく>

(1) 死亡者秋山アイ子,同秋山晶子

1 年令・年間所得・ホフマン係数年等(以下,年令等という。)

亡アイ子 36才5ケ月・主婦・27年

亡晶子 35才0ケ月・家事手伝・28年

2 逸失利益

亡アイ子

368,300×2/3×16.8044×1/3=1,375,346円……控訴人茂則,同美香,同康郁の各相続分

亡晶子

368,300×3/5×17.2211=3,805,518円……控訴人いとの相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人茂則の損害

4 慰藉料

控訴人 茂則 1,000,000円

同   美香 1,000,000円

同   康郁 1,000,000円

同   エツ 300,000円

同   いと 3,000,000円

5 損害総額

控訴人 茂則 2,675,346円

同   美香 2,375,346円

同   康郁 2,375,346円

同   エツ 300,000円

同   いと 6,805,518円

6 損害の填補

控訴人 茂則 2,675,346円−1,110,000=1,565,346

同   美香 2,375,346−1,110,000

=1,265,346円

同   康郁 2,375,346−1,110,000

=1,265,346円

同   エツ 300,000円(填補額なし)

同   いと 6,805,518−3,330,000

=3,475,518円

7 弁護士費用

控訴人 茂則 130,000円

同   美香 100,000円(損害の請求額による)

同   康郁 100,000円(上同)

同   エツ 30,000円

同   いと 270,000円

8 認容額

控訴人 茂則 1,695,346円

同   美香 1,240,487円(本訴請求額の限度)

同   康郁 1,240,487円(同上)

同   エツ 330,000円

同   いと 3,745,518円

(2) 死亡者池田昌雄,同池田ツヤ子

1 年令等

亡昌雄 56才5ケ月・835,000円・9年

亡ツヤ子 49才6ケ月・主婦・14年

2 逸失利益

亡昌雄

835,000×2/3×0.9523=530,113円……(a)

(835,000×1.05)×2/3×0.9090=531,310円……(b)

(876,750×1.05)×2/3×0.8695=533,633円……(c)

(920,587×1,05)×2/3×0.8333=536,987円……(d)

(966,616×1.05)×2/3×(7.2782−3.5643)

=2,512,940円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=4,644,983円

4,644,983×1/3=1,548,327円……控訴人守雄,同利彦,同眞知子(原判決に真知子とあるを訂正する)の各相続分

亡ツヤ子

368,300×2/3×10.4094×1/3=851,951円……控訴人守雄,同利彦,同眞知子の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人守雄の損害

4 慰藉料

控訴人 守雄 1,000,000+1,000,000

=2,000,000円

同   利彦 1,000,000+1,000,000

=2,000,000円

同   眞知子 1,000,000+1,000,000

=2,000,000円

5 損害総額

控訴人 守雄 4,700,278円

同   利彦 4,400,278円

同   眞知子 4,400,278円

6 損害の填補

控訴人 守雄 4,700,278−(1,110,000×2)

=2,480,278円

同   利彦 4,400,278−(1,110,000×2)

=2,180,278円

同   眞知子 4,400,278−(1,110,000×2)

=2,180,278円

7 弁護士費用

控訴人 守雄 200,000円

同   利彦 180,000円

同   眞知子 180,000円

8 認容額

控訴人 守雄 2,680,278円

同   利彦 2,360,278円

同   眞知子 2,360,278円

(4) 死亡者加藤健郎,同加藤太喜子,同加藤邦子

1 年令等

亡健郎 53才9ケ月・883,007円・10年

亡太喜子 56才11ケ月・主婦・11年

亡邦子 17才7ケ月・197,628円・46年

年間所得……16,469×12=197.628円

2 逸失利益

亡健郎

883,007×2/3×0.9523=560,591円……(a)

(883,007×1.05)×2/3×0.9090=561,857円……(b)

(927,157×1.05)×2/3×0.8695=564,314円……(c)

(973,514×1.05)×2/3×0.8333=567,860円……(d)

(1,022,189×1.05)×2/3(7.9449−3.5643)

=3,134,460円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,389,082円

5,389,082×2/7=1,539,737円……控訴人幹夫,同幸子,同孝子の各相続分

5,389,082×1/7=769,868円……控訴人淳子の相続分

亡太喜子

368,300×2/3×8.5901×1/3=703,051円……控訴人幹夫,同幸子,同孝子の各相続分

亡邦子

197,628×3/5×0.9523=112,920……(a)

(197,628×1.05)×3/5×0.9090=113,175円……(b)

(207,509×1.05)×3/5×0.8695=113,670円……(c)

(217,884×1.05)×3/5×0.8333=114,384円……(d)

(228,778×1.05)×3/5×(23.5337−3.5643)

=2,878,192円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,332,341円

3,332,341×2/7=952,097円……控訴人幸子,同孝子の各相続分

3,332,341×1/7=476,048円……控訴人淳子の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人幹夫の損害

4 慰藉料

控訴人 幹夫 850,000+1,000,000

=1,850,000円

同   幸子 850,000+1,000,000+850,000

=2,700,000円

同   孝子 850,000+1,000,000+850,000

=2,700,000円

同   淳子 450,000+ 450,000

=900,000円

5 損害総額

控訴人 幹夫 4,392,788円

なお,幹夫は亡健郎と同太喜子夫婦の養子であるから,民法727条により右夫婦間の子である亡邦子とも兄弟姉妹としての親族関係があり,したがつて,民法889条1項2号により控訴人幸子,同孝子,同淳子と同順位で亡邦子の相続人となる。しかるに,幹夫は,本訴において,亡邦子の相続人とはなり得ないとして,その相続分を請求していないので,亡邦子の逸失利益相続分952,097円および慰藉料相続分850,000円は,いずれも認容しない。

同   幸子 5,894,885円

同   孝子 5,894,885円

同   淳子 2,145,916円

6 損害の填補

控訴人 幹夫 4,392,788−(951,428+

1,110,000+951,428)

=1,379,932円

同   幸子 5,894,885−(951,428+

1,110,000+951,428)

=2,882,029円

同   孝子 5,894,885−(951,428+

1,110,000+951,428)

=2,882,029円

同   淳子 2,145,916−(475,714×2)

=1,194,488円

7 弁護士費用

控訴人 幹夫 120,000円

同   幸子 230,000円

同   孝子 230,000円

同   淳子 110,000円

8 認容額

控訴人 幹夫 1,499,932円

同   幸子 3,112,029円

同   孝子 3,112,029円

同   淳子 1,304,488円

(5) 死亡者川本正雄,同川本正治,同川本敏男

1 年令等

亡正雄 55才9ケ月・727,116円・9年

年間所得……484,745×12/8=727,116円

亡正治 15才10ケ月・高校1年生・(48―3)年

亡敏男 14才6ケ月・中学3年生・(49―4)年

2 逸失利益

亡正雄

727,116×2/3×0.9523=461,621円……(a)

(727,116×1.05)×2/3×0.9090=462,663円……(b)

(763,471×1.05)×2/3×0.8695=464,686円……(c)

(801,644×1.05)×2/3×0.8333=467,606円……(d)

(841,726×1.05)×2/3×(7.2782−3.5643)

=2,188,260円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=4,044,836円

4,044,836×1/3=1,348,278円……控訴人タミ子の相続分

4,044,836×2/9=898,852円……控訴人チヅ子,同陽子,同三枝子の各相続分

亡正治

352,000×1/2×(24.1263−2.7310)=3,765,572円……控訴人タミ子の相続分

亡敏男

352,000×1/2×(24.4162−3.5643)=3,669,934円…控訴人タミ子の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人タミ子の損害

4 慰藉料

控訴人 タミ子 1.000.000+3,000,000+

3,000,000=7,000,000円

同   チヅ子 660,000円

同   陽子 660,000円

同   三枝子 660,000円

5 損害総額

控訴人 タミ子 16,083,784円

同   チヅ子 1,558,852円

同   陽子 1,558,852円

同   三枝子 1,558,852円

6 損害の填補

控訴人 タミ子 16,083,784−{1,110,000+

(3,330,000×2)}=8,313,784円

同   チヅ子 1,558,852−740,000=818,852円

同   陽子 1,558,852−740,000=818,852円

同   三枝子 1,558,852−740,000=818,852円

7 弁護士費用

控訴人 タミ子 570,000円

同   チヅ子 60,000円(損害の請求額による)

同   陽子 60,000円(同上)

同   三枝子 60,000円(同上)

8 認容額

控訴人 タミ子 8,883,784円

同   チヅ子 754,497円(本訴請求額の限度)

同   陽子 754,498円(同上)

同   三枝子 754,498円(同上)

(6) 死亡者来栖健三

1 年令等 69才5ケ月・50,000円(月収)・5年

2 逸失利益

50,000×12×2/3×4.3643×1/3=581,906円……控訴人ヒサ子,同途子,同勝子の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人ヒサ子の損害

4 慰藉料

控訴人 ヒサ子 1,000,000円

同   途子 1,000,000円

同   勝子 1,000,000円

5 損害総額

控訴人 ヒサ子 1,881,906円

同   途子 1,581,906円

同   勝子 1,581,906円

6 損害の填補

控訴人 ヒサ子 1,881,906−1,110,000

=771,906円

同   途子 1,581,906−1,110,000

=471,906円

同   勝子 1,581,906−1,110,000

=471,906円

7 弁護士費用

控訴人 ヒサ子 70,000円

同   途子 40,000円

同   勝子 40,000円

8 認容額

控訴人 ヒサ子 841,906円

同   途子 511,906円

同   勝子 511,906円

(7) 死亡者河野信子

1 年令等 22才0ケ月・285,040円・41年

年間所得……142,520×12/6=285,040円

2 逸失利益

285,040×1/2×0.9523=135,721円……(a)

(285,040×1.05)×1/2×0.9090=136,028円……(b)

(299,292×1.05)×1/2×0.8695=136,623円……(c)

(314,256×1.05)×1/2×0.8333=137,481円……(d)

(329,968×1.05)×1/2×(21.9704−3.5643)

=3,188,547円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,734,400円……控訴人善美の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人善美の損害

4 慰藉料

控訴人 善美 3,000,000円

5 損害総額

控訴人 善美 7,034,400円

6 損害の填補

控訴人 善美 7,034,400−3,330,000

=3,704,400円

7 弁護士費用

控訴人 善美 280,000円

8 認容額

控訴人 善美 3,984,400円

(8) 死亡者左殿正文,同左殿喜代子,同左殿孝子

1 年令等

亡正文 56才5ケ月・無職

亡喜代子 48才3ケ月・387,851円・15年

亡孝子 18才1ケ月・高校3年生・(45-0)年

2 逸失利益

亡喜代子

387,851×2/3×0.9523=246,233円……(a)

(387,851×1.05)×2/3×0.9090=246,789円……(b)

(407,243×1.05)×2/3×0.8695=247,868円……(c)

(427,605×1.05)×2/3×0.8333=249,426円……(d)

(448,985×1.05)×2/3×(10.9808−3.5643)

=2,330,928円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,321,244円

3,321,244×1/3=1,107,081円……控訴人由紀子,同泰夫,同和夫の各相続分

亡孝子

285,600×1/2×23.2307×1/3=1,105,781円……控訴人由紀子,同泰夫,同和夫の各相続分

3 葬儀費

300.000円……控訴人由紀子の損害

4 慰藉料

控訴人 由紀子 1,000,000+1000,000+

1,000,000=3,000,000円

同   泰夫 1,000,000+1,000,000+

1,000,000=3,000,000円

同   和夫 1,000,000+1,000,000+

1,000,000=3,000,000円

5 損害総額

控訴人 由紀子 5,512,862円

同   泰夫 5,212,862円

同   和夫 5,212,862円

6 損害の填補

控訴人 由紀子 5,512,862−(1,110,000×3)

=2,182,862円

同   泰夫 5,212,862円−(1,110,000×3)

=1,882,862円

同   和夫 5,212,862−(1,110,000×3)

=1,882,862円

7 弁護士費用

控訴人 由紀子 180,000円

同   泰夫 160,000円=1,882,862円

同   和夫 160,000円

8 認容額

控訴人 由紀子 2,362,862円

同   泰夫 2,042,862円

同   和夫 2,042,862円

(9) 死亡者竹尾一郎,同竹尾ハツ子

1 年令等

亡一郎 62才11ケ月・326,395円・7年

年間所得……135,998×12/5=326,395円

亡ハツコ 57才3ケ月・539,112円・10年

年間所得……(228,400+41,160)×12/6

=539,119円

2 逸失利益

亡一郎

326,395×2/3×5.8743×1/4=319,557円……控訴人明,同悟,同弘,同ヒサエの各相続分

亡ハツコ

539,119×2/3×0.9523=342,268円……(a)

(539,119×1.05)×2/3×0.9090=343,041円……(b)

(566,074×1.05)×2/3×0.8695=344,540円……(c)

(594,377×1.05)×2/3×0.8333=346,706円……(d)

(624,095×1.05)×2/3×(7.9449−3.5643)

=1,913,737円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,290,292円

3,290,292×1/4=822,573円……控訴人明,同悟,同弘,同ヒサエの各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人明の相続分

4 慰藉料

控訴人   明 750,000+750,000=1,500,000円

同     悟 750,000+750,000=1,500,000円

同     弘 750,000+750,000=1,500,000円

同   ヒサエ 750,000+750,000=1,500,000円

同   コユキ 300,000円

5 損害総額

控訴人   明 2,942,130円

同     悟 2,642,130円

同     弘 2,642,130円

同   ヒサエ 2,642,130円

同   コユキ 300,000円

6 損害の填補

控訴人   明 2,942,130−(832,500×2)

=1,277,130円

同     悟 2,642,130−(832,500×2)

=977,130円

同     弘 2,642,130−(832,500×2)

=977,130円

同   ヒサエ 2,642,130−(832,500×2)

=977,130円

同   コユキ 300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人   明 110,000円

同     悟 90,000円

同     弘 90,000円

同   ヒサエ 90,000円

同   コユキ 30,000円

8 認容額

控訴人   明 1,387,130円

同     悟 1,067,130円

同     弘 1,067,130円

同   ヒサエ 1,067,130円

同   コユキ 330,000円

(10) 死亡者中根泰三,同中根文子,同中根美好

1 年令等

亡泰三 62才0ケ月・640,218円・7年

年間所得……426,812×12/8=640,218円

亡文子 50才10ケ月・主婦・13年

亡美好 17才0ケ月・高校2年生・(46―1)年

2 逸失利益

亡泰三

640,218×2/3×5.8743×1/2=1,253,610円……控訴人光惠,同晴美の各相続分

亡文子

368,300×2/3×9.8211×1/2=1,205,703円……控訴人光惠,同晴美の各相続分

亡美好

285,600×1/2×(23.5337−0.9523)=3,224,623円……第一審原告秀子の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人光惠の損害

4 慰藉料

控訴人 光惠 1,500,000+1,500,000

=3,000,000円

同   晴美 1,500,000+1,500,000

=3,000,000円

第一審原告秀子 300,000+3,000,000

=3,300,000円

5 損害総額

控訴人 光惠 5,759,313円

同   晴美 5,459,313円

第一審原告秀子 6,524,623円

6 損害の填補

控訴人 光惠 5,759,313−(1,665,000×2)

=2,429,313円

同   晴美 5,459,313−(1,665,000×2)

=2,129,313円

第一審原告秀子 6,524,623−3,330,000

=3,194,623円

7 弁護士費用

控訴人 光惠  200,000円

同   晴美  170,000円

第一審原告秀子  250,000円

8 承継関係

訴訟受継申立書添付の戸籍謄本(第1号証の1ないし7)によれば,第一審原告秀子は昭和46年11月11日死亡しており,亡文子,控訴人西元雄,同有坂美弥子は同人の子である。したがつて,第一審原告秀子の上記6の残額3,194,623円および弁護士費用250,000円の損害賠償債権は,次のとおり承継されたことになる。

3,194,623×1/6=532,437円……控訴人光恵,同晴美の各承継(代襲相続)分

3,194,623×1/3=1,064,874円……控訴人元雄,同美弥子の各承継分

250,000×1/6=41,666円……控訴人光惠,同晴美の各承継(代襲相続)分

250,000×1/3=63,333円……控訴人元雄,同美弥子の各承継分

9 認容額

控訴人 光惠 3,203,416円

同   晴美 2,873,416円

同   元雄 1,128,207円

同   美弥子 1,128,207円

(11) 死亡者那須弘

1 年令等 51才11ケ月・789,560円・12年

年間所得……(56,630+54,130)×12/2+55,000+70,000=789,560円

2 逸失利益

789,560×2/3×0.9523=501,265円……(a)

(789,560×1.05)×2/3×0.9090=502,397円……(b)

(829,038×1.05)×2/3×0.8695=504,593円……(c)

(870,489×1.05)×2/3×0.8333=507,764円……(d)

(914,013×1.05)×2/3×(9.2151−3.5643)

=3,615,433円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,631,452円

5,631,452×1/3=1,877,150円……控訴人冨美枝の相続分

5,631,452×2/3=3,754,301円……控訴人国宏の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人冨美枝の損害

4 慰藉料

控訴人 冨美枝 1,000,000円

同   国宏 2,000,000円

同   えつ  300,000円

5 損害総額

控訴人 冨美枝 3,177,150円

同   国宏 5,754,301円

同   えつ  300,000円

6 損害の填補

控訴人 冨美枝 3,177,150−1,110,000

=2,067,150円

同   国宏 5,754,301−2,220,000

=3,534,301円

同   えつ 300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人 冨美枝  170,000円

同   国宏  270,000円

同   えつ  30,000円

8 認容額

控訴人 富美枝 2,237,150円

同   国宏 3,804,301円

同   えつ  330,000円

(12) 死亡者新川信義,同新川千恵子,同新川晴子

1 年令等

亡信義 48才4ケ月・799,430円・15年

年間所得……532,954×12/8=799,430円

亡千恵子 49才6ケ月・1,375,664円・14年

年間所得……802,471×12/7=1,375,664円

亡晴子 10才0ケ月・小学生・(53-8)年

2 逸失利益

亡信義

799,430×2/3×0.9523=507,531円……(a)

(799,430×1.05)×2/3×0.9090=508,677円……(b)

(839,401×1.05)×2/3×0.8695=510,901円……(c)

(881,371×1.05)×2/3×0.8333=514,112円……(d)

(925,439×1.05)×2/3×(10.9808−3.5643)

=4,804,462円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=6,845,683円

6,845,683×1/3=2,281,894円……控訴人利一,同ふたを,同みさをの各相続分

亡千恵子

原審における控訴人新川利一の本人尋問の結果によれば,亡千恵子は日本生命保険相互会社名古屋南支社に保険募集外交員として勤務していたものであることが認められるので,その必要経費として前記年間所得の40パーセントを控除するのが相当である。

1,375,664×0.6=825,398円

825,398×2/3×0.9525=524,017円……(a)

(825,398×1.05)×2/3×0.9090=525,200円……(b)

(866,667×1.05)×2/3×0.8695=527,496円……(c)

(910,000×1.05)×2/3×0.8333=530,812円……(d)

(955,500×1.05)×2/3×(10.4094−3.5643)

=4,578,345円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=6,685,870円……控訴人ムメヨの相続分

亡晴子

285,600×1/2×(25.5353−6.5886)=2,705,588円

……控訴人ムメヨの相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人ムメヨの損害

4 慰藉料

控訴人 ムメヨ 3,000,000+3,000,000

=6,000,000円

同   利一 1,000,000円

同   ふたを 1,000,000円

同   みさを 1,000,000円

5 損害総額

控訴人 ムメヨ 15,691,458円

同   利一 3,281,894円

同   ふたを 3,281,894円

同   みさを 3,281,894円

6 損害の填補

控訴人 ムメヨ 15,691,458−(3,330,000×2)

=9,031,458円

同   利一 3,281,894−1,110,000

=2,171,894円

同   ふたを 3,281,894−1,110,000

=2,171,894円

同   みさを 3,281,894−1,110,000

=2,171,894円

7 弁護士費用

控訴人 ムメヨ  620,000円

同   利一  120,000円(損害の請求額による)

同   ふたを  120,000円(同上)

同   みさを  120,000円(同上)

8 認容額

控訴人 ムメヨ 9,651,458円

同   利一 1,516,020円(本訴請求額の限度)

同   ふたを 1,516,020円(同上)

同   みさを 1,516,020円(同上)

(13) 死亡者西川喜代美

1 年令等 31才11ケ月・主婦・32年

2 逸失利益

368,300×2/3×18.8060×1/3×=1,539,166円……控訴人武史,同嘉人,同欣吾の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人武史の損害

4 慰藉料

控訴人 武史 1,000,000円

同   嘉人 1,000,000円

同   欣吾 1,000,000円

5 損害総額

控訴人 武史 2,839,166円

同   嘉人 2,539,166円

同   欣吾 2,539,166円

6 損害の填補

控訴人 武史 2,839,166−1,110,000

=1,729,166円

同   嘉人 2,539,166−1,110,000

=1,429,166円

同   欣吾 2,539,166−1,110,000

=1,429,166円

7 弁護士費用

控訴人 武史  150,000円

同   嘉人  110,000円(損害の請求額による)

同   欣吾  110,000円(同上)

8 認容額

控訴人 武史 1,879,166円

同   嘉人 1,369,930円(本訴請求額の限度)

同   欣吾 1,369,930円(同上)

(14) 死亡者二宮釼一,同二宮幾枝,同二宮玉代,同二宮仁志

1 年令等

亡釼一 41才0ケ月・757,610円・22年

年間所得……51,200×12+143,210=757,610円

亡幾枝 42才5ケ月・主婦・21年

亡玉代 13才3ケ月・中学1年生・(50-5)年

亡仁志 9才5ケ月・小学生・(54-9)年

2 逸失利益

亡釼一

757,610×2/3×0.9523=480,981円……(a)

(757,610×1.05)×2/3×0.9090=482,067円……(b)

(795,490×1.05)×2/3×0.8695=484,174円……(c)

(835,264×1.05)×2/3×0.8333=487,217円……(d)

(877,027×1.05)×2/3×(14.5800−3.5643)

=6,762,746円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=8,697,185円

8,697,185×1/2=4,348,592円……控訴人東一,同ヒサヲの各相続分

亡幾枝

368,300×2/3×14.1038×1/6=577,158円……控訴人亘,同艶子,同克己,同糸枝,同一介,同十二子の各相続分

亡玉代

285,600×1/2×(24.7019−4.3643)×1/2

=1,452,104円……控訴人東一,同ヒサヲの各相続分

亡仁志

352,000×1/2×(25.8056−7.2782)×1/2

=1,630,411円……控訴人東一,同ヒサヲの各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人東一の損害

4 慰藉料

控訴人 東一 1,500,000+1,500,000+

1,500,000=4,500,000円

同   ヒサヲ 1,500,000+1,500,000+

1,500,000=4,500,000円

同     亘  500,000円

同   艶子  500,000円

同   克己  500,000円

同   糸枝  500,000円

同   一介  500,000円

同   十二子  500,000円

5 損害総額

控訴人 東一 12,231,107円

同   ヒサヲ 11,931,107円

同     亘 1,077,158円

同   艶子 1,077,158円

同   克己 1,077,158円

同   糸枝 1,077,158円

同   一介 1,077,158円

同   十二子 1,077,158円

6 損害の填補

控訴人 東一 12,231,107−(1,665,000×3)

=7,236,107円

同   ヒサヲ 11,931,107−(1,665,000×3)

=6,936,107円

同     亘 1,077,158−555,000=522,158円

同   艶子 1,077,158−555,000=522,158円

同   克己 1,077,158−555,000=522,158円

同   糸枝 1,077,158−555,000=522,158円

同   一介 1,077,158−555,000=522,158円

同   十二子 1,077,158−555,000=522,158円

7 弁護士費用

控訴人 東一  510,000円

同   ヒサヲ  490,000円

同     亘  50,000円

同   艶子  50,000円

同   克己  50,000円

同   糸枝  50,000円

同   一介  50,000円

同   十二子  50,000円

8 認容額

控訴人 東一 7,746,107円

同   ヒサヲ 7,426,107円

同     亘  572,158円

同   艶子  572,158円

同   克己  572,158円

同   糸枝  572,158円

同   一介  572,158円

同   十二子  572,158円

(15) 死亡者肥後元子

1 年令等 22才0ケ月・351,987円・41年

年間所得……234,658×12/8=351,987円

2 逸失利益

351,987×3/5×0.9523=201,118円……(a)

(351,987×1.05)×3/5×0.9090=201,572円……(b)

(369,586×1.05)×3/5×0.8695=202,453円……(c)

(388,065×1.05)×3/5×0.8333=203,725円……(d)

(407,468×1.05)×3/5×(21.9704−3.5643)

=4,724,934円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,533,802円

5,533,802×1/2=2,766,901円……控訴人由衛,同絹子の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人由衛の損害

4 慰藉料

控訴人 由衛 1,500,000円

同   絹子 1,500,000円

5 損害総額

控訴人 由衛 4,566,901円

同   絹子 4,266,901円

6 損害の填補

控訴人 由衛 4,566,901−1,665,000

=2,901,901円

同   絹子 4,266,901−1,665,000

=2,601,901円

7 弁護士費用

控訴人 由衛  230,000円

同   絹子  210,000円

8 認容額

控訴人 由衛 3,131,901円

同   絹子 2,811,901円

(16) 死亡者深水ヨシ子,同深水勝

1 年令等

亡ヨシ子 39才10ケ月・572,857円・24年

年間所得……474,075+98,782=572,857円

亡  勝 13才6ケ月・中学2年生・(50-5)年

2 逸失利益

亡ヨシ子

572,857×2/3×0.9523=363,687円……(a)

(572,857×1.05)×2/3×0.9090=364,508円……(b)

(601,499×1.05)×2/3×0.8695=366,102円……(c)

(631,573×1.05)×2/3×0.8333=368,402円……(d)

(663,151×1.05)×2/3×(15.4997−3.5643)

=5,540,480円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=7,003,179円

7,003,179×1/2=3,501,589円……控訴人護,第一審原告健介の各相続分

亡  勝

352,000×1/2×(24.7019−4.3643)=3,579,417円……控訴人護の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人護の損害

4 慰藉料

控訴人   護 1,500,000+3,000,000

4,500,000円

第一審原告健介 1,500,000円

5 損害総額

控訴人   護 11,881,006円

第一審原告健介 5,001,589円

6 損害の填補

控訴人   護 11,881,006−(1,665,000+

3,330,000)=6,886,006円

第一審原告健介 5,001,589−1,665,000

=3,336,589円

7 弁護士費用

控訴人   護  490,000円

第一審原告健介  260,000円

8 承継関係

前記申立書添付の戸籍謄本(第2号証の1ないし3)によれば,第一審原告健介は昭和47年4月14日死亡しており,控訴人坂本逸夫,同坂本絹子は同人の子である。したがつて,第一審原告健介の上記6の残額3,336,589円および弁護士費用260,000円の損害賠償債権は,次のとおり承継されたことになる。

3,336,589×1/2=1,668,294円……控訴人逸夫,同絹子の各承継分

260,000×1/2=130,000円……控訴人逸夫,同絹子の各承継分

9 認容額

控訴人   護 7,376,006円

同   逸夫 1,798,294円

同   絹子 1,798,294円

(17) 死亡者藤本耕平,同藤本公子,同藤本昭平

1 年令等

亡耕平 60才10ケ月・1,002,134円・7年

年間所得……(562,756−125,600)×12/8+

125,600+220,800=1,002,134円

亡公子 26才4ケ月・家事手伝・37年

亡昭平 23才11ケ月・326,815円・40年

年間所得……136,173×12/5×326,815円

2 逸失利益

亡耕平

1,002,134×2/3×0.9523=636,221円……(a)

(1,002,134×1.05)×2/3×0.9090=637,657円……(b)

(1,052,240×1.05)×2/8×(5.8743−1.8614)

=2,955,773円……(c)

(a)+(b)+(c)=4,229,651円

4,229,651×1/3=1,409,883円……控訴人絹子の相続分

4,229,651×2/9=939,922円……控訴人咲子,同薫,同寮子の各相続分

亡公子

368,300×3/5×20.6254=4,557,800円……控訴人絹子の相続分

亡昭平

326,815×3/5×0.9523=186,735円……(a)

(326,815×1.05)×3/5×0.9090=187,157円……(b)

(343,155×1.05)×3/5×0.8695=187,975円……(c)

(360,312×1.05)×3/5×0.8333=189,156円……(d)

(378,327×1.05)×(21.6426−3.5643)

=7,181,484円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=7,932,507円……控訴人絹子の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人絹子の損害

4 慰藉料

控訴人 絹子 1,000,000+3,000,000+

3,000,000=7,000,000円

同   咲子  660,000円

同     薫  660,000円

同   寮子  660,000円

同   政伊  300,000円

5 損害総額

控訴人 絹子 21,200,190円

同   咲子 1,599,922円

同     薫 1,599,922円

同   寮子 1,599,922円

同   政伊 300,000円

6 損害の填補

控訴人 絹子 21,200,190−{1,110,000+

(3,330,000×2)}=13,430,190円

同   咲子 1,599,922−740,000

=859,922円

同     薫 1,599,922−740,000

=859,922円

同   寮子 1,599,922−740,000

=859,922円

同   政伊  300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人 絹子  850,000円

同   咲子   80,000円

同     薫   80,000円

同   寮子   80,000円

同   政伊   30,000円

8 認容額

控訴人 絹子 14,280,190円

同   咲子  939,922円

同     薫  939,922円

同   寮子  939,922円

同   政伊  330,000円

(18) 死亡者穂積和子

1 年令等 44才4ケ月・630,528円・19年

年間所得……420,352×12/8=630,528円

2 逸失利益

630,528×2/3×0.9523=400,301円……(a)

(630,528×1.05)×2/3×0.9090=401,204円……(b)

(662,054×1.05)×2/3×0.8695=402,959円……(c)

(695,156×1.05)×2/3×0.8333=405,491円……(d)

(729,913×1.05)×2/3×(13.1160−3.5643)

=4,880,337円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=6,490,292円……控訴人克彦の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人克彦の損害

4 慰藉料

控訴人 克彦 3,000,000円

5 損害総額

控訴人 克彦 9,790,292円

6 損害の填補

控訴人 克彦 9,790,292−3,330,000

=6,460,292円

7 弁護士費用

控訴人 克彦  460,000円

8 認容額

控訴人 克彦 6,920,292円

(19) 死亡者南久子

1 年令等 42才1ケ月・352,957円・21年

年間所得……176,479×12/6=352,957円

2 逸失利益

352,957×2/3×0.9523=224,080円……(a)

(352,957×1.05)×2/3×0.9090=224,586円……(b)

(370,604×1.05)×2/3×0.8695=225,568円……(c)

(389,134×1.05)×2/3×0.8333=226,985円……(d)

(408,590×1.05)×2/3×(14.1038−3.5643)

=3,014,434円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,915,653円

3,915,653×1/3=1,305,217円……控訴人齊の相続分

3,915,653×1/6=652,608円……控訴人和雄,同裕子,同孝志,同欽司の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人齊の損害

4 慰藉料

控訴人   齊 1,000,000円

同   和雄  500,000円

同   裕子  500,000円

同   孝志  500,000円

同   欽司  500,000円

5 損害総額

控訴人   齊 2,605,217円

同   和雄 1,152,608円

同   裕子 1,152,608円

同   孝志 1,152,608円

同   欽司 1,152,608円

6 損害の填補

控訴人   齊 2,605,217−1,110,000

=1,495,217円

同   和雄 1,152,608−555,000

=597,608円

同   裕子 1,152,608−555,000=597,608円

同   孝志 1,152,608−555,000=597,608円

同   欽司 1,152,608−555,000=597,608円

7 弁護士費用

控訴人   齊  130,000円

同   和雄  50,000円

同   裕子  50,000円

同   孝志  50,000円

同   欽司  50,000円

8 認容額

控訴人   齊  1,625,217円

同   和雄  647,608円

同   裕子  647,608円

同   孝志  647,608円

同   欽司  647,608円

(20) 死亡者森脇道恵

1 年令等 25才10ケ月・423,870円・38年

2 逸失利益

423,870×1/2×0.9523=201,825円……(a)

(423,870×1.05)×1/2×0.9090=202,281円……(b)

(445,063×1.05)×1/2×0.8695=203,165円……(c)

(467,316×1.05)×1/2×0.8333=204,442円……(d)

(490,681×1.05)×1/2×(20.9702−3.5643)

=4,483,890円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,295,603円

5,295,603×1/2=2,647,801円……控訴人潔,同敏乃の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人潔の損害

4 慰藉料

控訴人   潔 1,500,000円

同   敏乃 1,500,000円

5 損害総額

控訴人   潔 4,447,801円

同   敏乃 4,147,801円

6 損害の填補

控訴人   潔 4,447,801−1,665,000

=2,782,801円

同   敏乃 4,147,801−1,665,000

=2,482,801円

7 弁護士費用

控訴人   潔  220,000円

同   敏乃  200,000円

8 認容額

控訴人   潔 3,002,801円

同   敏乃 2,682,801円

(21) 死亡者井上美智子,同井上敦詞

1 年令等

亡美智子 36才1ケ月・主婦・27年

亡敦詞 8才0ケ月・小学生・(55-10)年

2 逸失利益

亡美智子

368,300×2/3×16.8044=4,126,040円

4,126,040×1/3=1,375,346円……控訴人英太郎の相続分

4,126,040×2/3=2,750,693円……控訴人智津子の相続分

亡敦詞

352,000×1/2×(26.0723−7.9449)=3,190,422円……控訴人英太郎の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人英太郎の損害

4 慰藉料

控訴人 英太郎 1,000,000+3,000,000

=4,000,000円

同   智津子 2,000,000円

同   さ乃  300,000円

5 損害総額

控訴人 英太郎 8,865,768円

同   智津子 4,750,693円

同   さ乃 300,000円

6 損害の填補

控訴人 英太郎 8,865,768−(3,330,000+

1,110,000)=4,425,768円

同   智津子 4,750,693−2,220,000

=2,530,693円

同   さ乃 300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人 英太郎  330,000円

同   智津子  180,000円(損害の請求額による)

同   さ乃  30,000円

8 認容額

控訴人 英太郎 4,755,768円

同   智津子 2,480,977円(本訴請求額の限度)

同   さ乃  330,000円

(22) 死亡者岩松園子,同岩松浩子,同岩松昌弘,同岩松聡

1 年令等

亡園子 33才6ケ月・主婦・30年

亡浩子 7才0ケ月・小学生・(56-11)年

亡昌弘 5才0ケ月・幼児・(58-13)年

亡聡 3才6ケ月・幼児・(60-15)年

2 逸失利益

亡園子

368,300×2/3×18.0293×1/2=2,213,397円……控訴人弘祐,同カツの相続分

亡浩子

285,600×1/2×(26.3354−8.5901)=2,534,028円……控訴人弘祐の相続分

亡昌弘

352,000×1/2×(26.8516−9.8211)=2,997,368円……控訴人弘祐の相続分

亡聡

352,000×1/2×(27.3547−10.9808)=2,881,806円……控訴人弘祐の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人弘祐の損害

4 慰藉料

控訴人 弘祐 1,500,000+3,000,000+

3,000,000+3,000,000

=10,500,000円

同   カツ 1,500,000円

5 損害総額

控訴人 弘祐 21,426,599円

同   カツ 3,713,397円

6 損害の填補

控訴人 弘祐 21,426,599−{(3,330,000×3)+1,665,000}=9,771,599円

同   カツ 3,713,397−1,665,000

=2,048,397円

7 弁護士費用

控訴人 弘祐  660,000円

同   カツ  160,000円(損害の請求額による)

8 認容額

控訴人 弘祐 10,431,599円

同   カツ 2,117,038円(本訴請求額の限度)

(23) 死亡者関口亮英,関口千枝子(原判決に千恵子とあるを訂正する),同関口英子

1 年令等

亡亮英 45才5ケ月・2,039,910円・18年

亡千枝子 37才5ケ月・主婦・26年

亡英子 72才3ケ月

2 逸失利益

亡亮英

弁論の全趣旨によれば,亡亮英は55才で定年に達し,以後の年間所得は定年時の70パーセントと認めるのが相当である。

2,039,910×2/3×0.9523=1,295,070円……(a)

(2,039,910×1.05)×2/3×0.9090=1,297,994円…(b)

(2,141,905×1.05)×2/3×0.8695=1,303,670円…(c)

(2,249,000×1.05)×2/3×0.8333=1,311,864円…(d)

(2,361,450×1.05)×2/3×(7.9449−3.5643)

=7,241,197円……(e)

2,479,522×0.7×2/3×(12.6032−7.9449)

=5,390,166円……(f)(定年以後の分)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)+(f)=17,839,961円

17,839,961×1/2=8,919,980円……控訴人藤太,第一審原告哲世の各相続分

亡千枝子

368,300×2/3×16.3789×1/2=2,010,782円……控訴人藤太,第一審原告哲世の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人藤太の損害

4 慰藉料

控訴人 藤太 1,500,000+1,000,000+

1,500,000=4,000,000円

第一審原告 哲世 1,500,000+1,000,000+

1,500,000=4,000,000円

第一審原告 たかえ  300,000円

控訴人 政雄    300,000円

5 損害総額

控訴人 藤太  15,230,762円

第一審原告 哲世 14,930,762円

第一審原告 たかえ  300,000円

控訴人 政雄    300,000円

6 損害の填補

控訴人 藤太 15,230,762−{(1,665,000×2)+625,000}=11,275,762円

第一審原告 哲世 14,930,762−{(1,665,000

×2)+625,000}

=10,975,762円

第一審原告 たかえ  300,000円(填補額なし)

控訴人 政雄    300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人 藤太   710,000円(損害の請求額による)

第一審原告 哲世  690,000円(同上)

第一審原告 たかえ  30,000円

控訴人 政雄    30,000円

8 承継関係

前記申立書添付の戸籍謄本(第3号証の1ないし8)および原審における控訴人安田政雄の本人尋問の結果によれば,第一審原告哲世は昭和47年6月21日,第一審原告たかえは同年9月27日死亡しており,控訴人山本美代子,同平野笑子,同吉田幸子,同安田万智子,同安田敏夫,同深田芙美,同土田千鶴子,同安田光夫は控訴人安田政雄と第一審原告たかえ夫婦間の子である。したがつて,第一審原告哲世の認容額10,657,498円(本訴請求額の限度から弁護士費用690,000円を差し引いた金額)および上記弁護士費用690,000円の損害賠償債権,ならびに,第一審原告たかえの上記6の残額300,000円および弁護士費用30,000円の損害賠償債権は,それぞれ次のとおり承継されたことになる。

第一審原告哲世の関係

10,657,489×1/2=5,328,749円……控訴人政雄,第一審原告たかえの各承継分

690.000×1/2=345,000円……控訴人政雄,第一審原告たかえの各承継分

第一審原告たかえの関係

300,000+5,328,749円=5,628,749

5,628,749×1/3=1,876,249円……控訴人政雄の承継分

5,628,749×2/27=416,944円……控訴人藤太,同万智子,同敏夫,同光夫,同美代子,同笑子,同幸子,同芙美,同千鶴子の各承継分

30,000+345,000円=375,000

375,000×1/3=125,000円……控訴人政雄の承継分

375,000×2/27=27,777円……控訴人藤太,同万智子,同敏夫,同光夫,同美代子,同笑子,同幸子,同芙美,同千鶴子の各承継分

9 認容額

控訴人 藤太 12,122,219円(同控訴人固有分についても本訴請求額の限度)

同   政雄 8,004,998円

同   万智子  444,721円

同   敏夫  444,721円

同   光夫  444,721円

同   美代子  444,721円

同   笑子  444,721円

同   幸子  444,721円

同   芙美  444,721円

同   千鶴子  444,721円

(24) 死亡者高笠原和子,同高笠原敏洋

1 年令等

亡和子 37才6ケ月・439,704円・26年

年間所得……109,926×12/3=439,704円

亡敏洋 15才5ケ月・高校1年生・(48−3)年

2 逸失利益

亡和子

439,704×2/3×0.9523=279,153円……(a)

(439,704×1.05)×2/3×0.9090=279,783円……(b)

(461,689×1.05)×2/3×0.8695=281,007円……(c)

(484,773×1.05)×2/3×0.8333=282,772円……(d)

(509,011×1.05)×2/3×(16.3789−3.5643)

=4,565,940円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,688,655円

5,688,655×1/3=1,896,218円……控訴人武の相続分

5,688,655×2/3=3,792,436円……控訴人邦洋の相続分

亡敏洋

352,000×1/2×(24.1263−2.7310)=3,765,572円……控訴人武の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人武の損害

4 慰藉料

控訴人   武 1,000,000+3,000,000

=4,000,000円

同   邦洋 2,000,000円

同   留雄  300,000円

同   ふさ子  300,000円

5 損害総額

控訴人   武 9,961,790円

同   邦洋 5,792,436円

同   留雄  300,000円

同   ふさ子  300,000円

6 損害の填補

控訴人   武 9,961,790−(1,110,000+

3,330,000)=5,521,790円

同   邦洋 5,792,436−2,220,000

=3,572,436円

同   留雄  300,000円(填補額なし)

同   ふさ子 300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人   武  410,000円

同   邦洋  250,000円(損害の請求額による)

同   留雄  30,000円

同   ふさ子  30,000円

8 認容額

控訴人   武 5,931,790円

同   邦洋 3,538,869円(本訴請求額の限度)

同   留雄  330,000円(なお,主文には,(29)の箇所に認容の同控訴人の金額に合算して掲記する。)

同   ふさ子  330,000円(なお,主文への掲記については,控訴人留雄の場合と同じ。)

(25) 死亡者田中月子,同田中浩

1 年令等

亡月子 43才11ケ月・主婦・20年

亡浩 8才7ケ月・小学生・(55-10)年

2 逸失利益

亡月子

368,300×2/3×13.6160=3,343,181円

3,343,181×1/3=1,114,393円……控訴人平八の相続分

3,343,181×2/3=2,228,787円……控訴人美穂の相続分

亡浩

352,000×1/2×(26.0723−7.9449)=3,190,422円……控訴人平八の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人平八の損害

4 慰藉料

控訴人 平八 1,000,000+3,000,000

=4,000,000円

同   美穂 2,000,000円

5 損害総額

控訴人 平八 8,604,815円

同   美穂 4,228,787円

6 損害の填補

控訴人 平八 8,604,815−(1,110,000+

3,330,000)=4,164,815円

同   美穂 4,228,787−2,220,000

=2,008,787円

7 弁護士費用

控訴人 平八  320,000円

同   美穂  160,000円(損害の請求額による)

8 認容額

控訴人 平八 4,484,815円

同   美穂 2,068,726円(本訴請求額の限度)

(26) 死亡者成田清,同成田喜久子,同成田明子

1 年令等

亡清 45才5ケ月・1,289,040円・18年

年間所得……859,360×12/8=1,289,040円

亡喜久子 38才1ケ月・683,520円・25年

年間所得……56,960×12=683,520円

亡明子 16才9ケ月・高校2年生・(47−2)年

2 逸失利益

亡清

1,289,040×2/3×0.9523=818,368……(a)

(1,289,040×1.05)×2/3×0.9090=820,216円……(b)

(1,353,492×1.05)×2/3×0.8695=823,802円……(c)

(1,421,166×1.05)×2/3×0.8333=838,980円……(d)

(1,49224×1.05)×2/3×(12.6032−3.5643)

=9,441,644円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=12,733,010円……控訴人良正の相続分

亡喜久子

亡喜久子は日本生命保険相互会社の保険募集外交員をしていたものであるから,その必要経費として前記年間所得の40パーセントを控除するのが相当である。

683,520×0.6=410,112円

410,112×2/3×0.9523=260,366円……(a)

(410,112×1.05)×2/3×0.9090=260,954円……(b)

(430,617×1.05)×2/3×0.8695=262,095円……(c)

(452,147×1.05)×2/3×0.8333=263,741円……(d)

(474,754×1.05)×2/3×(15.9441−3.5643)

=4,114,151円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,161,307円……控訴人良正の相続分

亡明子

285,600×1/2×(23.8322−1.8614)=3,137,430円……控訴人きみの相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人良正の損害

4 慰藉料

控訴人 良正 3,000,000+3,000,000

=6,000,000円

同   きみ  300,000+3,000,000

=3,300,000円

5 損害総額

控訴人 良正 24,194,317円

同   きみ 6,437,430円

6 損害の填補

控訴人 良正 24,194,317−(3,330,000×2)

=17,534,317円

同   きみ 6,437,430−3,330,000

=3,107,430円

7 弁護士費用

控訴人 良正 1,050,000円

同   きみ  240,000円

8 認容額

控訴人 良正 18,584,317円

同   きみ 3,347,430円

(27) 死亡者水野あい子,同水野洋一,同水野由紀子

1 年令等

亡あい子 38才10ケ月・主婦・25年

亡洋一 15才3ケ月・中学3年生・(48-3)年

亡由紀子 12才8ケ月・中学1年生・(51-6)年

2 逸失利益

亡あい子

368,300×2/3×15.9441×1/2=1,957,404円……控訴人茂,第一審原告さゝをの相続分

亡洋一

352,000×1/2×(24.1263−2.7310)=3,765,572円……控訴人茂の相続分

亡由紀子

285,600×1/2×(24.9836−5.1336)=2,834,580円……控訴人茂の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人茂の損害

4 慰藉料

控訴人   茂 1,500,000+3,000,000+

3,000,000=7,500,000円

第一審原告 さゝを 1,500,000円

5 損害総額

控訴人   茂   16,357,556円

第一審原告 さゝを 3,457,404円

6 損害の填補

控訴人   茂 16,357,556−{1,665,000+

(3,330,000×2)}=8,032,556円

第一審原告 さゝを 3,457,404−1,665,000

=1,792,404円

7 弁護士費用

控訴人   茂     560,000円

第一審原告 さゝを   150,000円

8 承継関係

前記申立書添付の戸籍謄本(第4号証の1.2)によれば,第一審原告さゝをは昭和46年1月21日死亡しており,控訴人佐藤龍彦,同加藤はな子,同鈴木ひな子は同人の子である。したがつて,第一審原告さゝをの上記6の残額1,792,404円および弁護士費用150,000円の損害賠償債権は,次のとおり承継されたことになる。

1,792,404×1/3=597,468円……控訴人龍彦,同はな子,同ひな子の各承継分

150,000×1/3=50,000円……控訴人龍彦,同はな子,同ひな子の各承継分

9 認容額

控訴人   茂 8,592,556円

同   龍彦  647,468円

同   はな子  647,468円

同   ひな子  647,468円

(28) 死亡者森みや子,同森明美

1 年令等

亡みや子 41才0ケ月・主婦・22年

亡明美 12才4ケ月・中学1年生・(51-6)年

2 逸失利益

亡みや子

368,3000×2/3×14.5800×1/3=1,193,291円……控訴人鋹夫,同久美子,同馨一郎の相続分

亡明美

285,600×1/2×(24.9836−5.1336)=2,834,580円……控訴人鋹夫の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人鋹夫の損害

4 慰藉料

控訴人 鋹夫 1,000,000+3,000,000

=4,000,000円

同   久美子 1,000,000円

同   馨一郎 1,000,000円

5 損害総額

控訴人 鋹夫 8,327,871円

同   久美子 2,193,291円

同   馨一郎 2,193,291円

6 損害の填補

控訴人 鋹夫 8,327,871−(1,110,000+

3,330,000)=3,887,871円

同   久美子 2,193,291−1,110,000

=1,083,291円

同   馨一郎 2,193,291−1,110,000

=1,083,291円

7 弁護士費用

控訴人 鋹夫  300,000円

同   久美子   90,000円(損害の請求額による)

同   馨一郎   90,000円(同上)

8 認容額

控訴人 鋹夫 4,187,871円

同   久美子 1,096,691円(本訴請求額の限度)

同   馨一郎 1,096,691円(同上)

(29) 死亡者森嶌章夫,同森嶌喜代子,同森嶌理津子,同森嶌一浩

1 年令等

亡章夫 38才8ケ月・850,570円・25年

亡喜代子 35才1ケ月・主婦・28年

亡理津子 5才11ケ月・(58-13)年

亡一浩 3才4ケ月・(60-15)年

2 逸失利益

亡章夫

850.570×2/3×0.9523=539,998円……(a)

(850,570×1.05)×2/3×0.9090=541,217円……(b)

(893,098×1.05)×2/3×0.8695=543,584円……(c)

(937,752×1.05)×2/3×0.8333=547,000円……(d)

(984,639×1.05)×2/3×(15.9441−3.5643)

=8,532,743円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=10,704,542円

10,704,542×1/2=5,352,271円……訴外森嶌仙右衛門,同森嶌すての各相続分

亡喜代子

368,300×2/3×17.2211×1/2=2,114,177円……控訴人留雄,同ふさ子の各相続分

亡理津子

285,600×1/2×(26.8516−9.8211)×1/4=607,988円……控訴人留雄,同ふさ子,訴外仙右衛門,同すての各相続分

亡一浩

352,0000×1/2×(27.3547−10.9808)×1/4=720,451円……控訴人留雄,同ふさ子,訴外仙右衛門,同すての各相続分

3 葬儀費

300,000円……訴外仙右衛門の損害

4 慰藉料

控訴人 留雄 1,500,000+750,000+750,000

=3,000,000円

同   ふさ子 1,500,000+750,000+750,000

=3,000,000円

訴外 仙右衛門 1,500,000+750,000+750,000

=3,000,000円

同   すて 1,500,000+750,000+750,000

=3,000,000円

5 損害総額

控訴人 留雄 6,442,616円

同   ふさ子 6,442,616円

訴外 仙右衛門 9,980,710円

同   すて 9,680,710円

6 損害の填補

控訴人 留雄 6,442,616−{1,665,000+

(832,500×2)}=3,112,616円

同   ふさ子 6,442,616−{1,665,000+(832,500×2)}=3,112,616円

訴外 仙右衛門 9,980,710−{1,665,000+

(832,500×2)}=6,650,710円

同   すて 9,680,710−{1,665,000+

(832,500×2)}=6,350,710円

7 弁護士費用

控訴人 留雄  240,000円

同   ふさ子  240,000円

8 認容額

控訴人 留雄 3,352,616円(なお,主文掲記の金額は,(24)の箇所に認容の同控訴人の金額を合算したものである。)

同   ふさ子 3,352,616円(なお,主文掲記の金額は,控訴人留雄の場合と同じ。)

(30) 死亡者柳川久榮,同柳川徹哉

1 年令等

亡久榮 33才0ケ月・429,000円・30年

年間所得……286,000×12/8=429,000円

亡徹哉 9才8ケ月・小学生・(54-9)年

2 逸失利益

亡久榮

429,000×2/3×0.9523=272,357円……(a)

(429,000×1.05)×2/3×0.9090=272,972円……(b)

(450,450×1.05)×2/3×0.8695=274,166円……(c)

(472,972×1.05)×2/3×0.8333=275,889円……(d)

(496,620×1.05)×2/3×(18.0293−3.5643)

=5,028,525円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=6,123,909円

6,123,909×1/2=3,061,954円……控訴人久男,同ヒデ子の各相続分

亡徹哉

352,000×1/2×(25.8056−7.2782)=3,260,822円……控訴人信夫の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人ヒデ子の損害

4 慰藉料

控訴人 久男 1,500,000円

同   ヒデ子 1,500,000円

同   信夫 3,000,000円

5 損害総額

控訴人 久男 4,561,954円

同   ヒデ子 4,861,954円

同   信夫 6,260,822円

6 損害の填補

控訴人 久男 4,561,954−1,665,000

=2,896,954円

同   ヒデ子 4,861,954−1,665,000

=3,196,954円

同   信夫 6,260,822−3,330,000

=2,930,822円

7 弁護士費用

控訴人 久男 230,000円

同   ヒデ子 250,000円

同   信夫 230,000円

8 認容額

控訴人 久男 3,126,954円

同   ヒデ子 3,446,954円

同   信夫 3,160,822円

(31) 死亡者石原久治

1 年令等 58才4ケ月・793,800円・8年

年間所得……53,700×12+149,400=793,800円

2 逸失利益

793,800×2/3×0.9523=503,957円……(a)

(793,800×1.05)×2/3×0.9090=505,094円……(b)

(833,490×1.05)×2/3×0.8695=507,303円……(c)

(875,164×1.05)×2/3×0.8333=510,491円……(d)

(918,922×1.05)×2/3×(6.5886−3.5643)

=1,945,367円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,972,212円

3,972,212×1/3=1,324,070円……控訴人和子の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人和子の損害

4 慰藉料

控訴人 和子 1,000,000円

5 損害総額

控訴人 和子 2,624,070円

6 損害の填補

控訴人 和子 2,624,070−1,110,000

1,514,070円

7 弁護士費用

控訴人 和子 130,000円

8 認容額

控訴人 和子 1,644,070円

(32) 死亡者天野五平,同天野ゆき枝,同天野彰子,同天野良禎

1 年令等

亡五平 46才10ケ月・1,196,118円・17年

亡ゆき枝 41才6ケ月・主婦・22年

亡彰子 19才1ケ月・短期大学1年生(20才で卒業)・(44-1)年

亡良禎 6才6ケ月・小学生・(57-12)年

2 逸失利益

亡五平

1,196,118×2/3×0.9523=759,375円……(a)

(1,196,118×1.05)×2/3×0.9090=761,089円…(b)

(1,255,923×1.05)×2/3×0.8695=764,417円…(c)

(1,318,719×1.05)×2/3×0.8333=769,221円…(d)

(1,384,654×1.05)×2/3×(12.0769−3.5643)

=8,250,903円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=11,305,005円……控訴人裕子の相続分

亡ゆき枝

368,300×2/3×14.5800=3,579,875……控訴人裕子の相続分

亡彰子

389,500×1/2×(22.9230−0.9523)×1/2=2,139,396円……控訴人アサノ,第一審原告伴六の各相続分

亡良禎

352,000×1/2×(26.5952−9.2151)×1/2=1,529,624円……控訴人アサノ,第一審原告伴六の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人裕子の損害

4 慰藉料

控訴人 裕子 3,000,000+3,000,000

=6,000,000円

同   アサノ 300,000+1,500,000+

1,500,000=3,300,000円

第一審原告 伴六 300,000+1,500,000+

1,500,000=3,300,000円

5 損害総額

控訴人 裕子 21,184,880円

同   アサノ 6,969,020円

第一審原告 伴六 6,969,020円

6 損害の填補

控訴人 裕子 21,184,880−(3,330,000×2)

=14,524,880円

同   アサノ 6,969,020−(1,665,000×2)

=3,639,020円

第一審原告 伴六 6,969,020−(1,665,000×2)=3,639,020円

7 弁護士費用

控訴人 裕子 760,000円(損害の請求額による)

同   アサノ 280,000円

第一審原告 伴六 280,000円

8 承継関係

前記申立書添付の戸籍謄本(第5号証の1ないし8)によれば,第一審原告伴六は昭和46年3月15日死亡しており,上妻淳子,亡五平,平田幸子,酒井トモヨ,河野いを,控訴人天野弘策は第一審原告伴六と控訴人アサノ夫婦間の子である。したがつて,第一審原告伴六の上記6の残額3,639,020円および弁護士費用280,000円の損害賠償債権は,次のとおり承継されたことになる。

3,639,020×1/3=1,213,006円……控訴人アサノ承継分

3,639,020×1/9=404,335円……控訴人裕子(代襲相続),同弘策の各承継分

280,000×1/3=93,333円……控訴人アサノの承継分

280,000×1/9=31,111円……控訴人裕子(代襲相続),同弘策の各承継分

9 認容額

控訴人 裕子 13,349,436円(同控訴人固有分について本訴請求額の限度)

同   アサノ 5,225,359円

同   弘策  435,446円

(33) 死亡者五十嵐英子

1 年令等 50才8ケ月・主婦・13年

2 逸失利益

368,300×2/3×9.8211×1/3=803,802円……控訴人四郎,同優子,同洋夫の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人四郎の損害

4 慰藉料

控訴人 四郎 1,000,000円

同   優子 1,000,000円

同   洋夫 1,000,000円

同   房子  300,000円

5 損害総額

控訴人 四郎 2,103,802円

同   優子 1,803,802円

同   洋夫 1,803,802円

同   房子  300,000円

6 損害の填補

控訴人 四郎 2,103,802−1,110,000

=993,802円

同   優子 1,803,802−1,110,000

=693,802円

同   洋夫 1,803,802−1,110,000

=693,802円

同   房子  300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人 四郎  90,000円

同   優子  60,000円

同   洋子  60,000円

同   房子  30,000円

8 認容額

控訴人 四郎 1,083,802円

同   優子  753,802円

同   洋夫  753,802円

同   房子  330,000円(なお,主文には,(34)の箇所に認容の同控訴人の金額に合算して掲記する。)

(34) 死亡者竹内孝,同竹内越子,同竹内恵美子

1 年令等

亡孝 40才10ケ月・1,366,980円・23年

亡越子 45才4ケ月・主婦・18年

亡恵美子 9才7ケ月・小学生・(54-9)年

2 逸失利益

亡孝

弁論の全趣旨によれば,亡孝は55才で定年に達し,以後の年間所得は定年時の70パーセントと認めるのが相当である。

1,366,980×2/3×0.9523=867,850円……(a)

(1,366,980×1.05)×2/3×0.9090=869,809円……(b)

(1,435,329×1.05)×2/3×0.8695=873,612円……(c)

(1,507,095×1.05)×2/3×0.8333=879,103円……(d)

(1,582,449×1.05)×2/3×(10.9808−3.5643)

=8,215,363円……(e)(以上定年に達するまでの分)

1,661,571×0.7×2/3×(15.0451−10.9808)

=3,151,457円……(f)(定年以後の分)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)+(f)=14,857,194円……控訴人靖の相続分

亡越子

368,300×2/3×12.6032=30,94,505円……控訴人房子の相続分

亡恵美子

285,600×1/2×(25.8056−7.2782)=2,645,712円

……控訴人房子の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人靖の損害

4 慰藉料

控訴人   靖 3,000,000円

同   房子 3,000,000+3,000,000

=6,000,000円

5 損害総額

控訴人   靖 18,157,194

同   房子 11,740,217円

6 損害の填補

控訴人   靖 18,157,194−3,330,000

=14,827,194円

同   房子 11,740,217−(3,330,000×2)

=5,080,217円

7 弁護士費用

控訴人   靖  920,000円

同   房子  380,000円

8 認容額

控訴人   靖 15,747,194円

同   房子 5,460,217円(なお,主文掲記の金額は,(33)の箇所に認容の同控訴人の金額を合算したものである。)

(36) 死亡者西垣み子,同西垣隆,同西垣博

1 年令等

亡み子 35才6ケ月・主婦・28年

亡隆 9才6ケ月・小学生・(54-9)年

亡博 5才10ケ月・(58-13)年

2 逸失利益

亡み子

368,300×2/3×17.2211×1/2=2,114,177円……控訴人守雄,同静のの各相続分

亡隆

352,000×1/2×(25.8056−7.2782)=3,260,822円……控訴人守雄の相続分

352,000×1/2×(26.8516−9.8211)=2,997,368円……控訴人守雄の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人守雄の損害

4 慰藉料

控訴人 守雄 1,500,000+3,000,000+

3,000,000=7,500,000円

同   静の 1,500,000円

5 損害総額

控訴人 守雄 16,172,367円

同   静の 3,614,177円

6 損害の填補

控訴人 守雄 16,172,367−{1,665,000+

(3,330,000×2)}

=7,847,367円

同   静の 3,614,177−1,665,000

=1,949,177円

7 弁護士費用

控訴人 守雄 550,000円

同   静の 150,000円(損害の請求額による)

8 認容額

控訴人 守雄 8,397,367円

同   静の 2,038,675円(本訴請求額の限度)

(37) 死亡者森下諒子,同森下裕一,同森下晴代

1 年令等

亡諒子 35才6ケ月・主婦・28年

亡裕一 10才4ケ月・小学生・(53-8)年

亡晴代 4才10ケ月・(59-14)年

2 逸失利益

亡諒子

368,300×2/3×17.2211×1/2=2,114,177円……控訴人信也,同彰の各相続分

亡裕一

352,000×1/2×(25.5353−6,5886)=3,334,619円

……控訴人信也の相続分

亡晴代

285,600×1/2×(2.71047−10.4094)=2,384,088円

……控訴人信也の相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人信也の損害

4 慰藉料

控訴人 信也 1,500,000+3,000,000+

3,000,000=7,500,000円

同     彰 1,500,000円

5 損害総額

控訴人 信也 15,632,884円

同     彰 3,614,177円

6 損害の填補

控訴人 信也 15,632,884−{1,665,000+

(3,330,000×2)}=7,307,884円

同     彰 3,614,177−1,665,000

=1,949,177円

7 弁護士費用

控訴人 信也 510,000円

同     彰 160,000円

8 認容額

控訴人 信也 7,817,884円

同     彰 2,109,177円(なお,主文には,(41)の箇所に認容の同控訴人の金額に合算して掲記する。)

(38) 死亡者石川義夫

1 年令等 39才9ケ月・762,507円・24年

年間所得……508,338×12/8=762,507円

2 逸失利益

亡義夫の自動車運転手という職務の性質・内容から見て,55才以後の年間所得は55才時の70パーセントと認めるのが相当である。

762,507×2/3×0.9523=484,090円……(a)

(762,507×1.05)×2/3×0.9090=485,183円……(b)

(800,632×1.05)×2/3×0.8695=487,304円……(c)

(840,663×1.05)×2/3×0.8333=490,367円……(d)

(882,696×1.05)×2/3×(11.5363−3.5643)

=4,925,796円……(e)(以上55才に達するまでの分)

926,830×0.7×(15.4997−11.5363)=2,571,378円……(f)(55才以後の分)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)+(f)=9,444,118円

9,444,118×1/3=3,148,039円……控訴人タネ子,同憲治,同美智子の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人タネ子の損害

4 慰藉料

控訴人 タネ子 1,000,000円

同   憲治 1,000,000円

同   美智子 1,000,000円

5 保険給付額の控除

控訴人 タネ子

(1) 遺族補償年金の控除

支払

年月日

支払額(円)

逸失利益残額(円)

支払日までの

遅延損害金(円)

3,148,039

昭44.2.5

111,993

3,036,046

43.8.18~44.2.5

74,172

5.5

43,714

2,992,332

44.2.6~5.5

37,014

8.5

58,390

2,933,942

5.6~8.5

37,711

11.5

58,390

2,875,552

8.6~11.5

36,975

45.2.5

58.390

2,817,162

11.6~45.2.5

36,239

5.5

52.002

2,765,160

2.6~5.5

34,346

8.5

55,196

2,709,964

5.6~8.5

34,848

11.5

55,196

2,654,768

8.6~11.5

34,152

46.2.5

71,994

2,582,774

11.6~46.2.5

33,457

5.5

80,676

2,502,098

2.6~5.5

31,488

8.5

98,034

2,404,064

5.6~8.5

31,533

11.5

98,034

2,306,030

8.6~11.5

30,297

47.2.5

98,034

2,207,996

11.6~47.2.5

29,062

5.5

81,630

2,126,366

2.6~5.5

27,221

8.5

84,330

2,042,036

5.6~8.5

26,798

11.5

84,330

1,957,706

8.6~11.5

25,735

48.2.5

84,330

1,87,3376

11.6~48.2.5

24,672

5.5

94,913

1,778,463

2.6~5.5

22,839

8.5

36.060

1,742,403

5.6~8.5

22,413

合計

1,405,636

630,972

以上のとおり,控訴人タネ子の逸失利益の残額は,残元本1,742,403円,

昭和48年8月5日の給付日までの民法所定の年5分の割合による遅延損害金630,972円となる。

(2) 葬祭料の控除

300,000−90,230=209,770円(残元本)

300,000×0.05×97/365=3,986円(給付日である昭和43年11月22日までの民法所定の年5分の割合による遅延損害金)

6 損害総額

控訴人 タネ子 3,587,131円

同   憲治 4,148,039円

同   美智子 4,148,039円

7 弁護士費用

控訴人 タネ子  230,000円

同   憲治  320,000円

同   美智子  320,000円

8 認容額

控訴人 タネ子 3,817,131円

同   憲治 4,468,039円

同   美智子 4,468,039円

(39) 死亡者高橋和男

1 年令等 35才8ケ月・661,644円・28年

年間所得……441,096×12/8=661,644円

2 逸失利益

亡和男の自動車運転手という職務の性質・内容から見て,55才以後の年間所得は55才時の70パーセントと認めるのが相当である。

661,644×2/3×0.9523=420,055円……(a)

(661,644×1.05)×2/3×0.9090=421,004円……(b)

(694,726×1.05)×2/3×0.8695=422,844円……(c)

(729,462×1.05)×2/3×0.8333=425,502円……(d)

(765,935×1.05)×2/3×(13.6160−3.5643)

=5,389,264円……(e)(以上55才に達するまでの分)

804,231×0.7×(17,2211−13.6160)=2,029,533円

……(f)(55才以後の分)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)+(f)=9,108,202円

9,108,202×1/3=3,036,067円……控訴人美智子の損害

3 葬儀費

300,000円……控訴人美智子の損害

4 慰藉料

控訴人美智子 1,000,000円

5 損害の填補

受領額 3,000,000×1/3(相続分)=1,000,000円

各損害残額

受領額を,後記の保険給付額控除との関係があるので,控訴人美智子の上記各損害額の割合に応じて充当すると,次のとおりとなる。

逸失利益 3,036,067−700,189=2,335,878円

葬儀費 300,000−69,187=230,813円

慰藉料 1,000,000−230,623=769,378円

6 保険給付額の控除

控訴人 美智子

支払

年月日

支払額(円)

逸失利益残額(円)

支払日までの

遅延損害金(円)

2,335,878

昭46.11.5

46,211

2,289,667

43.8.18~46.11.5

375,980

47.2.5

46,271

2,243,396

46.11.6~47.2.5

28,856

5.5

43,871

2,199,525

47.2.6~5.5

27,658

8.5

2,154,454

5.6~8.5

27,720

11.5

45,071

2,109,383

8.6~11.5

27,152

48.2.5

45,071

2,064,312

11.6~48.2.5

26,584

5.5

51,394

2,012,918

48.2.6~5.5

25,167

8.5

64,041

1,948,877

5.6~8.5

25,368

11.5

64,041

1,884,836

8.6~11.5

24,561

49.2.5

64,041

1,820,795

11.6~49.2.5

23,754

合計

515,083

612,800

以上のとおり,控訴人美智子の逸失利益の残額は,残元本1,820,795円,

昭和49年2月5日の給付日までの民法所定の年五分の割合による遅延損害金612,800円となる。

7 損害総額

控訴人 美智子 3,433,786円

8 弁護士費用

控訴人 美智子  220,000円

9 認容額

控訴人 美智子 3,653,786円

(40) 死亡者吉永政義

1 年令等 37才8ケ月・806,023円・26年

年間所得……537,349×12/8=806,023円

2 逸失利益

亡政義の自動車運転手という職務の性質・内容から見て,55才以後の年間所得は55才時の70パーセントと認めるのが相当である。

806,023×2/3×0.9523=511,717円……(a)

(806,023×1.05)×2/3×0.9090=512,872円……(b)

(846,324×1.05)×2/3×0.8695=515,115円……(c)

(888,640×1.05)×2/3×0.8333=518,352円……(d)

(933,072×1.05)×2/3×(12.6032−3.5643)=5,903,761円……(e)(以上55才に達するまでの分)

979,725×0.7×(16.3789−12.6032)=2,589,404円……(f)(55才以後の分)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)+(f)=10,551,221円

10,551,221×1/3=3,517,073円……控訴人綾子の相続分

10,551,221×2/9=2,344,715円……控訴人義幸,同弘文,同康男の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人綾子の損害

4 慰藉料

控訴人 綾子 1,000,000円

同   義幸  660,000円

同   弘文  660,000円

同   康男  660,000円

同   シケノ  300,000円

5 保険給付額の控除

控訴人 綾子

(1) 遺族補償年金の控除

支払

年月日

支払額(円)

逸失利益残額(円)

支払日までの

遅延損害金(円)

3,517,073

昭44.2.11

142,965

3,374,108

43.8.18~44.2.11

85,758

5.11

85,779

3,288,329

44.2.12~5.11

41,136

8.11

50,920

3,237,409

5.12~8.11

41,441

11.11

76,272

3,161,137

8.12~11.11

40,800

45.2.11

76,272

3,084,865

11.12~45.2.11

39,838

5.11

71,286

3,013,579

2.12~5.11

37,609

8.11

73,779

2,939,800

5.12~8.11

37,979

11.11

73,779

2,866,012

8.12~11.11

37,049

46.2.11

92,840

2,773,181

11.12~46.2.11

36,119

5.11

103,675

2,669,506

2.12~5.11

33,810

8.11

125,342

2,544,164

5.12~8.11

33,643

11.11

125,342

2,418,822

8.12~11.11

32,063

47.2.11

125,342

2,293,480

11.12~47.2.11

30,483

5.11

125,342

2,168,138

2.12~5.11

28,275

8.11

102,242

2,065,896

5.12~8.11

27,324

11.11

123,242

1,942,654

8.12~11.11

26,035

48.2.11

14,408

1,928,246

11.12~48.2.11

24,482

合計

1,588,827

633,844

以上のとおり,控訴人綾子の逸失利益の残額は,残元本1,928,246円,

昭和48年2月11日の給付日までの民法所定の年5分の割合による遅延損害金633,844円となる。

(2) 葬祭料の控除

300,000−97,670=202,330円(残元本)

300,000×0.05×97/365=3,986円(給付日である昭和43年11月22日までの民法所定の年5分の割合による遅延損害金)

6 損害総額

控訴人 綾子 3,768,406円

同   義幸 3,004,715円

同   弘文 3,004,715円

同   康男 3,004,715円

同   シケノ   300,000円

7 弁護士費用

控訴人 綾子  240,000円

同   義幸  240,000円

同   弘文  240,000円

同   康男  240,000円

同   シケノ   30,000円

8 認容額

控訴人 綾子 4,008,406円

同   義幸 3,244,715円

同   弘文 3,244,715円

同   康男 3,244,715円

同   シケノ   330,000円

(41) 死亡者伊藤とき子,同伊藤尚子,同伊藤洋,同佐倉圭一,同佐倉朱美

1 年令等

亡とき子 57才6ケ月・271,450円・10年

亡尚子 21才8ケ月・322,051円・42年

年間所得……214,701×12/8=322,051円

亡洋 18才8ケ月・大学1年生(22才で卒業)・(45-4)年

亡圭一 11才1ケ月・小学生・(52-7)年

亡朱美 8才10ケ月・小学生・(55-10)年

2 逸失利益

亡とき子

271,450×2/3×0.9523=172,334円……(a)

(271,450×1.05)×2/3×0.9090=172,723円……(b)

(285,022×1.05)×2/3×0.8695=173,478円……(c)

(299,273×1.05)×2/3×0.8333=174,568円……(d)

(314,236×1.05)×2/3×(7.9449−3.5643)

=963,579円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=1,656,682円

1,656,682×1/3=552,227円……控訴人郁子,同彰,同靖俊の各相続分

亡尚子

322,051×3/5×0.9523=184,013円……(a)

(322,051×1.05)×3/5×0.9090=184,428円……(b)

(338,153×1.05)×3/5×0.8695=185,235円……(c)

(355,060×1.05)×3/5×0.8333=186,399円……(d)

(372,813×1.05)×3/5×(22.2930−3.5643)

=4,398,850円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=5,138,925円……控訴人彰の相続分

亡洋

499,000×1/2×(23.2307−3.5643)=4,906,766円

……控訴人彰の相続分

亡圭一

352,000×1/2×(25.2614−5.8743)=3,412,129円

……控訴人藤吉,同郁子の各相続分

亡朱美

285,600×1/2×(26.0723−7.9449)=2,588,592円

……控訴人藤吉,同郁子の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人藤吉の損害

4 慰藉料

控訴人 藤吉 1,500,000+1,500,000

=3,000,000円

同   郁子 1,000,000+1,500,000+

1,500,000=4,000,000円

同     彰 1,000,000+3,000,000+

3,000,000=7,000,000円

同   靖俊 1,000,000円

5 損害総額

控訴人 藤吉 9,300,721円

同   郁子 10,552,948円

同     彰 17,597,918円

同   靖俊 1,552,227円

6 損害の填補

控訴人 藤吉 9,300,721−(1,665,000×2)

=5,970,721円

同   郁子 10,552,948−{1,110,000+

(1,665,000×2)}=6,112,948円

同     彰 17,597,918−{1,110,000+

(3,330,000×2)}=9,827,918円

同   靖俊 1,552,227−1,110,000=442,227円

7 弁護士費用

控訴人 藤吉  430,000円

同   郁子  440,000円

同     彰  660,000円

同   靖俊   40,000円

8 認容額

控訴人 藤吉 6,400,721円

同   郁子 6,552,948円

同     彰 10,487,918円(なお,主文掲記の金額は,(37)の箇所に認容の同控訴人の金額を合算したものである。)

同   靖俊  482,227円

(42) 死亡者神足第助,同神足しづこ

1 年令等

亡第助 59才10ケ月・649,036円・8年

年間所得……432,691×12/8=649,036円

亡しづこ 51才11ケ月・452,940円・12年

年間所得……301,960×12/8=452,940円

2 逸失利益

亡第助

649,036×2/3×0.9523=412,051円……(a)

(649,036×1.05)×2/3×0.9090=412,981円……(b)

(681,487×1.05)×2/3×0.8695=414,787円……(c)

(715,561×1.05)×2/3×0.8333=417,393円……(d)

(751,339×1.05)×2/3×(6.5886−3.5643)

=1,590,592円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,247,804円

3,247,804×1/4=811,951円……控訴人忠男,同冨男,同美惠子,同和子の各相続分

亡しづこ

452,940×2/3×0.9523=287,556円……(a)

(452,940×1.05)×2/3×0.9090=288,205円……(b)

(475,587×1.05)×2/3×0.8695=289,466円……(c)

(499,366×1.05)×2/3×0.8333=291,285円……(d)

(524,334×1.05)×2/3×(9.2151−3.5643)

=2,074,034円……(e)

(a)+(b)+(c)+(d)+(e)=3,230,546円

3,230,546×1/4=807,636円……控訴人忠男,同冨男,同美惠子,同和子の各相続分

3 葬儀費

300,000円……控訴人忠男の損害

4 慰藉料

控訴人 忠男  750,000+750,000

=1,500,000円

同   冨男  750,000+750,000

=1,500,000円

同   美惠子  750,000+750,000

=1,500,000円

同   和子  750,000+75,0000

=1,500,000円

同   はつ  300,000円

同   ひさを  300,000円

5 損害総額

控訴人 忠男 3,419,587円

同   冨男 3,119,587円

同   美惠子 3,119,587円

同   和子 3,119,587円

同   はつ  300,000円

同   ひさを  300,000円

6 損害の填補

控訴人 忠男 3,419,587−832,500

=2,587,087円

同   冨男 3,119,587−832,500

=2,287,087円

同   美恵子 3,119,587−832,500

=2,287,087円

同   和子 3,119,587−832,500

=2,287,087円

同   はつ  300,000円(填補額なし)

同   ひさを  300,000円(填補額なし)

7 弁護士費用

控訴人 忠男  210,000円

同   冨男  190,000円

同   美恵子  190,000円

同   和子  190,000円

同   はつ   30,000円

同   ひさを   30,000円

8 認容額

控訴人 忠男 2,797,087円

同   冨男 2,477,087円

同   美惠子 2,477,087円

同   和子 2,477,087円

同   はつ  330,000円

同   ひさを  330,000円

第五結論

以上のとおりであるから、被控訴人は、別紙認容金額目録(一)ないし(三)記載の各控訴人に対し、同各目録認容金額欄の各金員およびそのうちの内訳欄損害額の各金額について本件事故発生日である昭和四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の各金額について原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、別紙認容金額目録(四)記載の控訴人石川タネ子に対し、同目録認容金額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの逸失利益残額については遺族年金が被控訴人の附帯控訴額まで給付されたと認められる日の翌日である昭和四八年八月六日から、同イの葬儀費残額については葬祭料が給付された日の翌日である同四三年一一月二三日から、同ウの慰藉料額については本件事故発生日である同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額については原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、同目録記載の控訴人高橋美智子に対し、同目録認容金額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの逸失利益残額については遺族年金が被控訴人の附帯控訴額まで給付されたと認められる日の翌日である昭和四九年二月六日から、同イの葬儀費および同ウの慰藉料の各残額についてはいずれも本件事故発生日である同四三年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額については原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日から、同目録記載の控訴人吉永綾子に対し、同目録認容金額欄の金員およびそのうちの内訳欄損害額(1)アの逸失利益残額については遺族年金が被控訴人の附帯控訴額まで給付されたと認められる日の翌日である昭和四八年二月一二日から、同イの葬儀費残額については葬祭料が給付された日の翌日である同四三年一一月二三日から、同ウの慰藉料額については本件事故発生日である同四八年八月一八日から、内訳欄弁護士費用の金額については原判決言渡の日の翌日であること記録上明らかな同四八年三月三一日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。したがつて、控訴人らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから、棄却すべきである。

よつて、原判決中、右と結論を異にする別紙認容金額目録(一)記載の各控訴人に関する部分は不当であるから控訴に基づきこれを取消し、右と結論の一部を異にする別紙認容金額目録(二)および(三)記載の各控訴人に関する部分は控訴に基づきその限度においてこれを変更し、右と結論の一部を異にする別紙認容金額目録(四)記載の各控訴人に関する部分は控訴および附帯控訴に基づきその限度においてこれを変更することとし、訴訟の総費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(西川豊長 土井俊文 寺本栄一)

当事者目録

控訴人 秋山茂則

外一三一名

右控訴人一三二名訴訟代理人弁護士 伊藤公

外三八名

被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という) 国

右代表者法務大臣 濱野清吾

被控訴人指定代理人 松崎康夫

外一〇名

認容金額目録 (一)(単位円)

番号

控訴人名

認容額

内訳

損害額

弁護士費用

8

左殿由紀子

二、三六二、八六二

二、一八二、八六二

一八〇、〇〇〇

左殿泰夫

二、〇四二、八六二

一、八八二、八六二

一六〇、〇〇〇

左殿和夫

二、〇四二、八六二

一、八八二、八六二

一六〇、〇〇〇

33

五十嵐四郎

一、〇八三、八〇二

九九三、八〇二

九〇、〇〇〇

五十嵐優子

七五三、八〇二

六九三、八〇二

六〇、〇〇〇

五十嵐洋夫

七五三、八〇二

六九三、八〇二

六〇、〇〇〇

合計

九、〇三九、九九二

(注) 番号欄の数字は請求金額目録番号欄の数字と一致する。

認容金額目録(二)ないし(四)についても同じ。

認容金額目録(二)(単位円)

番号

控訴人名

認容額

内訳

損害額

弁護士費用

1

秋山美香

一、二四〇、四八七

一、一四〇、四八七

一〇〇、〇〇〇

秋山康郁

一、二四〇、四八七

一、一四〇、四八七

一〇〇、〇〇〇

5

神足チヅ子

七五四、四九八

六九四、四九八

六〇、〇〇〇

江尻陽子

七五四、四九八

六九四、四九八

六〇、〇〇〇

川本三枝子

七五四、四九八

六九四、四九八

六〇、〇〇〇

12

新川利一

一、五一六、〇二〇

一、三九六、〇二〇

一二〇、〇〇〇

野原ふたを

一、五一六、〇二〇

一、三九六、〇二〇

一二〇、〇〇〇

下村みさを

一、五一六、〇二〇

一、三九六、〇二〇

一二〇、〇〇〇

13

西川嘉人

一、三六九、九三〇

一、二五九、九三〇

一一〇、〇〇〇

西川欣吾

一、三六九、九三〇

一、二五九、九三〇

一一〇、〇〇〇

21

井上智津子

二、四八〇、九七七

二、三〇〇、九七七

一八〇、〇〇〇

22

千葉カツ

二、一一七、〇三八

一、九五七、〇三八

一六〇、〇〇〇

23

関口藤太

一二、一二二、二一九

一一、三八四、四四二

七三七、七七七

安田政雄

八、〇〇四、九九八

七、五〇四、九九八

五〇〇、〇〇〇

安田万智子

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

安田敏夫

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

安田光夫

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

山本美代子

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

平野笑子

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

吉田幸子

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

深田芙美

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

土田千鶴子

四四四、七二一

四一六、九四四

二七、七七七

24

高笠原邦洋

三、五三八、八六九

三、二八八、八六九

二五〇、〇〇〇

25

田中美穂

二、〇六八、七二六

一、九〇八、七二六

一六〇、〇〇〇

28

森久美子

一、〇九六、六九一

一、〇〇六、六九一

九〇、〇〇〇

森馨一郎

一、〇九六、六九一

一、〇〇六、六九一

九〇、〇〇〇

32

天野裕子

一三、三四九、四三六

一二、五五八、三二五

七九一、一一一

36

玉井静の

二、〇三八、六七五

一、八八八、六七五

一五〇、〇〇〇

合計

六三、五〇四、四七六

認容金額目録 (三)(単位円)

番号

控訴人名

認容額

内訳

損害額

弁護士費用

1

秋山茂則

一、六九五、三四六

一、五六五、三四六

一三〇、〇〇〇

庄林エツ

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

秋山いと

三、七四五、五一八

三、四七五、五一八

二七〇、〇〇〇

2

池田守雄

二、六八〇、二七八

二、四八〇、二七八

二〇〇、〇〇〇

池田利彦

二、三六〇、二七八

二、一八〇、二七八

一八〇、〇〇〇

平原真知子

二、三六〇、二七八

二、一八〇、二七八

一八〇、〇〇〇

4

加藤幹夫

一、四九九、九三二

一、三七九、九三二

一二〇、〇〇〇

加藤幸子

三、一一二、〇二九

二、八八二、〇二九

二三〇、〇〇〇

加藤孝子

三、一一二、〇二九

二、八八二、〇二九

二三〇、〇〇〇

山下淳子

一、三〇四、四八八

一、一九四、四八八

一一〇、〇〇〇

5

松根タミ子

八、八八三、七八四

八、三一三、七八四

五七〇、〇〇〇

6

柴田ヒサ子

八四一、九〇六

七七一、九〇六

七〇、〇〇〇

来栖途子

五一一、九〇六

四七一、九〇六

四〇、〇〇〇

来栖勝子

五一一、九〇六

四七一、九〇六

四〇、〇〇〇

7

河野善美

三、九八四、四〇〇

三、七〇四、四〇〇

二八〇、〇〇〇

9

竹尾明

一、三八七、一三〇

一、三七七、一三〇

一一〇、〇〇〇

竹尾悟

一、〇六七、一三〇

九七七、一三〇

九〇、〇〇〇

竹尾弘

一、〇六七、一三〇

九七七、一三〇

九〇、〇〇〇

福地ヒサエ

一、〇六七、一三〇

九七七、一三〇

九〇、〇〇〇

津田コユキ

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

10

三浦光恵

三、二〇三、四一六

二、九六一、七五〇

二四一、六六六

中根晴美

二、八七三、四一六

二、六六一、七五〇

二一一、六六六

西元雄

一、一二八、二〇七

一、〇六四、八七四

六三、三三三

有坂美弥子

一、一二八、二〇七

一、〇六四、八七四

六三、三三三

11

那須冨美枝

二、二三七、一五〇

二、〇六七、一五〇

一七〇、〇〇〇

那須国宏

三、八〇四、三〇一

三、五三四、三〇一

二七〇、〇〇〇

那須えつ

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

12

中谷ムメヨ

九、六五一、四五八

九、〇三一、四五八

六二〇、〇〇〇

13

西川武史

一、八七九、一六六

一、七二九、一六六

一五〇、〇〇〇

14

二宮東一

七、七四六、一〇七

七、二三六、一〇七

五一〇、〇〇〇

吉田ヒサヲ

七、四二六、一〇七

六、九三六、一〇七

四九〇、〇〇〇

花田亘

五七二、一五八

五二二、一五八

五〇、〇〇〇

花田艶子

五七二、一五八

五二二、一五八

五〇、〇〇〇

花田克己

五七二、一五八

五二二、一五八

五〇、〇〇〇

堀糸枝

五七二、一五八

五二二、一五八

五〇、〇〇〇

花田一介

五七二、一五八

五二二、一五八

五〇、〇〇〇

山本十二子

五七二、一五八

五二二、一五八

五〇、〇〇〇

15

肥後由衛

三、一三一、九〇一

二、九〇一、九〇一

二三〇、〇〇〇

肥後絹子

二、八一一、九〇一

二、六〇一、九〇一

二一〇、〇〇〇

16

深水護

七、三七六、〇〇六

六、八八六、〇〇六

四九〇、〇〇〇

坂本逸夫

一、七九八、二九四

一、六六八、二九四

一三〇、〇〇〇

坂本絹子

一、七九八、二九四

一、六六八、二九四

一三〇、〇〇〇

17

藤本絹子

一四、二八〇、一九〇

一三、四三〇、一九〇

八五〇、〇〇〇

藤本咲子

九三九、九二二

八五九、九二二

八〇、〇〇〇

藤本薫

九三九、九二二

八五九、九二二

八〇、〇〇〇

藤本寮子

九三九、九二二

八五九、九二二

八〇、〇〇〇

藤本政伊

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

18

穂積克彦

六、九二〇、二九二

六、四六〇、二九二

四六〇、〇〇〇

19

南斉

一、六二五、二一七

一、四九五、二一七

一三〇、〇〇〇

南和雄

六四七、六〇八

五九七、六〇八

五〇、〇〇〇

南裕子

六四七、六〇八

四九七、六〇八

五〇、〇〇〇

南孝志

六四七、六〇八

五九七、六〇八

五〇、〇〇〇

南欽司

六四七、六〇八

五九七、六〇八

五〇、〇〇〇

20

森脇潔

三、〇〇二、八〇一

二、七八二、八〇一

二二〇、〇〇〇

森脇敏乃

二、六八二、八〇一

二、四八二、八〇一

二〇〇、〇〇〇

21

井上英太郎

四、七五五、七六八

四、四二五、七六八

三三〇、〇〇〇

吉岡さ乃

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

22

岩松弘祐

一〇、四三一、五九九

九、七七一、五九九

六六〇、〇〇〇

24

高笠原武

五、九三一、七九〇

五、五二一、七九〇

四一〇、〇〇〇

25

田中平八

四、四八四、八一五

四、一六四、八一五

三二〇、〇〇〇

26

成田良正

一八、五八四、三一七

一七、五三四、三一七

一、〇五〇、〇〇〇

浜口きみ

三、三四七、四三〇

三、一〇七、四三〇

二四〇、〇〇〇

27

水野茂

八、五九二、五五六

八、〇三二、五五六

五六〇、〇〇〇

佐藤龍彦

六四七、四六八

五九七、四六八

五〇、〇〇〇

加藤はな子

六四七、四六八

五九七、四六八

五〇、〇〇〇

鈴木ひな子

六四七、四六八

五九七、四六八

五〇、〇〇〇

28

森鋹夫

四、一八七、八七一

三、八八七、八七一

三〇〇、〇〇〇

29

生川留雄

三、六八二、六一六

三、四一二、六一六

二七〇、〇〇〇

生川ふさ子

三、六八二、六一六

三、四一二、六一六

二七〇、〇〇〇

30

柳川久男

三、一二六、九五四

二、八九六、九五四

二三〇、〇〇〇

馬場ヒデ子

三、四四六、九五四

三、一九六、九五四

二五〇、〇〇〇

吉岡信夫

三、一六〇、八二二

二、九三〇、八二二

二三〇、〇〇〇

31

石原和子

一、六四四、〇七〇

一、五一四、〇七〇

一三〇、〇〇〇

32

天野アサノ

五、二二五、三五九

四、八五二、〇二六

三七三、三三三

天野弘策

四三五、四四六

四〇四、三三五

三一、一一一

34

竹内靖

一五、七四七、一九四

一四、八二七、一九四

九二〇、〇〇〇

片寄房子

五、七九〇、二一七

五、三八〇、二一七

四一〇、〇〇〇

36

西垣守雄

八、三九七、三六七

七、八四七、三六七

五五〇、〇〇〇

37

森下信也

七、八一七、八八四

七、三〇七、八八四

五一〇、〇〇〇

38

石川憲治

四、四六八、〇三九

四、一四八、〇三九

三二〇、〇〇〇

石川美智子

四、四六八、〇三九

四、一四八、〇三九

三二〇、〇〇〇

40

吉永義幸

三、二四四、七一五

三、〇〇四、七一五

二四〇、〇〇〇

吉永弘文

三、二四四、七一五

三、〇〇四、七一五

二四〇、〇〇〇

吉永康男

三、二四四、七一五

三、〇〇四、七一五

二四〇、〇〇〇

吉永シケノ

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

41

佐倉藤吉

六、四〇〇、七二一

五、九七〇、七二一

四三〇、〇〇〇

佐倉郁子

六、五五二、九四八

六、一一二、九四八

四四〇、〇〇〇

伊藤彰

一二、五九七、〇九五

一一、七七七、〇九五

八二〇、〇〇〇

伊藤靖俊

四八二、二二七

四四二、二二七

四〇、〇〇〇

42

神足忠男

二、七九七、〇八七

二、五八七、〇八七

二一〇、〇〇〇

神足冨男

二、四七七、〇八七

二、二八七、〇八七

一九〇、〇〇〇

長尾美恵子

二、四七七、〇八七

二、二八七、〇八七

一九〇、〇〇〇

松原和子

二、四七七、〇八七

二、二八七、〇八七

一九〇、〇〇〇

池田はつ

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

島田ひさを

三三〇、〇〇〇

三〇〇、〇〇〇

三〇、〇〇〇

合計

三一八、五二八、五八七

請求金額目録 <単位円>

番号

控訴人名

請求金額

1

秋山茂則

二、二六九、八九七

秋山美香

一、一三二、二八八

秋山康郁

一、一三二、二八八

庄林エツ

一、〇七二、三四九

秋山いと

四、三一五、二八六

2

池田守雄

二、八五九、一七九

池田利彦

二、五六三、〇三二

平原真知子

二、五六三、〇三二

4

加藤幹夫

四、三〇二、二一〇

加藤幸子

三、九三六、九三〇

加藤孝子

三、九三六、九三〇

山下淳子

二、三三一、五五五

5

松根タミ子

一九、一九七、九五〇

神足チヅ子

五三三、七二六

江尻陽子

五三三、七二六

川本三枝子

五三三、七二六

6

柴田ヒサ子

一、八一六、一三七

来栖途子

一、五〇一、八九六

来栖勝子

一、五〇一、八九六

7

河野善美

三、七五三、六六六

8

左殿由紀子

四、二〇九、五六五

左殿泰夫

三、八七九、五六五

左殿和夫

三、八七九、五六五

9

竹尾明

一、九二三、一三五

竹尾悟

一、五九四、七二六

竹尾弘

一、五九四、七二六

福地ヒサエ

一、五九四、七二六

津田コユキ

一、〇九八、二三三

10

三浦光恵

四、九五一、五四二

中根晴美

四、六二九、八七九

西元雄

二、二〇一、四九三

有坂美弥子

二、二〇一、四九三

11

那須冨美枝

二、三七三、九四三

那須国宏

二、五九〇、三九七

那須えつ

九七七、七四二

12

中谷ムメヨ

一五、四八四、一二二

新川利一

八三九、六七六

野原ふたを

八三九、六七六

下村みさを

八三九、六七六

13

西川武史

二、一九八、五〇五

西川嘉人

一、〇八二、一〇八

西川欣吾

一、〇八二、一〇八

14

二宮東一

八、八六九、七七七

吉田ヒサヲ

八、五八二、五二九

花田亘

五三〇、九八七

花田艶子

五三〇、九八七

花田克己

五三〇、九八七

堀糸枝

五三〇、九八七

花田一介

五三〇、九八七

山本十二子

五三〇、九八七

15

肥後由衛

二、九四七、六九〇

肥後絹子

二、六六二、二九五

16

深水護

一一、八九〇、九五五

坂本逸夫

一、四九三、四三九

坂本絹子

一、四九三、四三九

17

藤本絹子

一三、七〇三、〇九三

藤本咲子

七八三、三四五

藤本薫

七八三、三四五

藤本寮子

七八三、三四五

藤本政伊

一、〇四三、二九二

18

穂積克彦

四、九一四、七八三

19

南斉

一、四二八、九三一

南和雄

七三〇、九九八

南裕子

七三〇、九九八

南孝志

七三〇、九九八

南欽司

七三〇、九九八

20

森脇潔

三、九七六、七三一

森脇敏乃

三、六六八、五〇一

21

井上英太郎

一〇、三〇九、一七〇

井上智津子

二、二六九、七九一

吉岡さ乃

一、〇七三、一五二

22

岩松弘祐

二二、七一〇、六六九

千葉カツ

二、〇六七、三五二

23

関口藤太

七、一二七、一二二

安田政雄

四、九一五、五六九

安田万智子

二七三、〇八七

安田敏夫

二七三、〇八七

安田光夫

二七三、〇八七

山本美代子

二七三、〇八七

平野笑子

二七三、〇八七

吉田幸子

二七三、〇八七

深田芙美

二七三、〇八七

土田千鶴子

二七三、〇八七

24

高笠原武

一〇、九九四、五六一

高笠原邦洋

二、八四四、八三二

25

田中平八

一〇、二二六、二七七

田中美穂

一、九九七、九七四

26

成田良正

一九、六二九、七〇一

浜口きみ

三、七七五、七三二

27

水野茂

一六、七三〇、二七〇

佐藤龍彦

七七八、九三三

加藤はな子

七七八、九三三

鈴木ひな子

七七八、九三三

28

森鋹夫

七、一六七、八七三

森久美子

一、〇四〇、六一四

森馨一郎

一、〇四〇、六一四

29

生川留雄

四、八三三、八一九

生川ふさ子

四、八三三、八一九

30

柳川久男

三、〇〇〇、八三七

馬場ヒデ子

三、二八二、九五八

吉岡信夫

七、四五三、六〇一

31

石原和子

三、九六八、〇二三

32

天野裕子

一〇、二九六、三九四

天野アサノ

八、一四一、四〇一

天野弘策

六七八、四五〇

33

五十嵐四郎

一、九四三、九九一

五十嵐優子

七八八、九九一

五十嵐洋夫

七八八、九九一

34

竹内靖

一四、四四六、八九六

片寄房子

七、〇一一、六〇九

36

西垣守雄

一八、六二〇、九五六

玉井静の

一、九二一、四二六

37

森下信也

一七、七〇一、六六六

38

石川タネ子

四、八〇七、〇九九

石川憲治

三、八四四、一〇一

石川美智子

三、八四四、一〇一

39

高橋美智子

四、六四一、五〇九

40

吉永綾子

五、二七四、九九七

吉永義幸

二、九三八、九九八

吉永弘文

二、八二八、九九八

吉永康男

二、八二八、九九八

吉永シケノ

八三六、〇〇〇

41

佐倉藤吉

六、八九二、七三四

佐倉郁子

七、一七二、七二〇

伊藤彰

二〇、七〇五、七九七

伊藤靖俊

六〇〇、九〇八

42

神足忠男

二、五八六、九二七

神足冨男

二、二八二、一五六

長尾美恵子

二、二八二、一五六

松原和子

二、二八二、一五六

池田はつ

一、〇四三、三八一

島田ひさわ

一、〇七二、一九一

合計

五二〇、一八三、五八七

(注) 番号欄の数字は原判決添付別紙3の損害明細表(請求)に記載されている左上欄括弧内の数字による。

表A

日雨量・時間雨量・連続雨量(mm)

観測所名

三川

日雨量

354

日時

雨量区分

時間雨量

連続雨量

17日

10

11

6

6

12

20.5

26.5

13

20.5

47

14

2

49

15

17

66

16

28

94

17

5

99

18

0

19

0

20

0

21

0

22

1.5

1.5

23

10

11.5

24

75

86.5

18日

1

35

121.5

2

37

158.5

3

44

202.5

4

25

227.5

5

6

233.5

6

0

7

0.5

234

8

9

表B

番号

粁標

推定土量(m2)

観測所名

連続雨量(mm)

時間最大雨量(mm)

七八・五

四・五

黒川

六・八

三・八

九七・三

四〇〇・〇

下原

二三・〇

八・八

六四・四

一〇〇・〇

上麻生

一九九・七

二九・〇

七九・四

六九六・〇

名倉

一五八・五

六五・五

六四・二

一六〇・〇

名倉

二六・八

八・五

六八・〇

一八・〇

黒川

一五四・〇

五六・〇

表C (日最大降水量mm)

観測所名

観測開始年

1

2

3

一七日~一八日

上麻生

昭二八

一九七

一八八・五

一八一・五

三八二

昭二九

昭四二

昭三四

黒川

昭一七

一九八

一八六

一六二

三三五

昭三六・同四二

昭三九

昭四二

七宗

昭二六

二二一・六

一六六・八

一六三・二

二四一・一

昭二八

昭三八

昭四二

金山

明二七

二六三

二二五

一六九

二〇五

大四・昭三三

明四三

昭四二

大船渡

昭一八

一八八・五

一六八・二

一六〇・五

二二七・五

昭三五

昭四二

昭二七

(時間最大降水量mm)

観測所名

観測開始年

1

2

3

一七日~一八日

久田見

昭三一

五八

五五

五三

四五

昭三四

昭三三

昭四二

一八日 二時

冨加

昭三一

六一

五六

五〇

一〇五

昭三六

昭三八

昭四二

一七日 二四時

加子母

昭三一

八六

四七

四六

四七

昭四二

昭三八

昭三五

一七日 二三時

表D (日最大降水量mm)

順位

降水量

観測所名

観測年

1

八四五

揖斐川電工

昭四〇

2

六〇七

八幡

明二六

3

四二〇

美濃

昭二九

4

三八五

春日

昭三四

5

三七五

東横山

昭一〇

6

三六九

昭三四

7

三六三

今尾

昭三六

8

三四二

揖斐川

大五

9

三三八

樽見

昭三四

10

三三七

八幡

大九

(時間最大降水量mm)

順位

降水量

観測所名

観測年

1

一一八

桑名

昭二九

2

一一二

湯屋

昭三三

3

一〇八

大之田

昭二九

4

一〇八

黒津

昭三五

5

一〇八

春日

昭二八

6

一〇〇

中切

昭二八

7

一〇〇

揖斐川電工

昭四〇

8

九三

広瀬

昭三四

9

八九

下山

昭三四

10

八八

美濃

昭二九

表E

崩落等の

地点(Km)

崩落等の時刻

雨量

観測所(Km)

それまでの

時間最大降雨量

(mm)

それまでの

連続降雨量

(mm)

それまでの

九時からの降雨量

(mm)

七八・〇〇

七八・四五

二三時〇五分頃

名倉(七七・〇)

三〇

約 三二

約 四七

六五・二五

二三時五五分頃

三川(三川小)

上麻生(五五・一)

約 七五

約 七八

約 八六・五

約 一二四

約 一八五・五

約 一六九

六四・一七

〇時一〇分頃

三川(三川小)

上麻生(五五・一)

約 七五

約 七八

約 八六・五

約 一二四

約 一八五・五

約 一六九

表F

規制区間(Km)

七宗橋先

飛泉橋

飛泉橋

井尻

五四・七

六六・七

六六・七

八一・六

観測所(Km)

上麻生(五五・一)

三川(三川小)

三川(三川小)

七宗(八一・三)

連続雨量が

八〇mmに

達した時刻

二三時以降

一七日二四時の

相当以前

一七日二四時前頃

右同

一七日二三時前頃

同上一二〇mmに

達した時刻

一七日四時前頃

一八日一時頃

右同

一七日二四時

賃金上昇率表

男・女

男(企業規模10~99人)

女(企業規模10~99人)

月間所定内

給与額(円)

上昇率

月間所定内

給与額(円)

上昇率

~17才

昭43

20,100

17,600

44

23,200

1.154

20,500

1.164

45

27,900

1.202

25,500

1.243

46

32,200

1.154

29,600

1.160

47

36,000

1.118

33,800

1.141

18~19才

昭43

24,100

19,600

44

27,700

1.149

22,300

1.137

45

33,500

1.209

27,300

1.224

46

38,600

1.152

32,000

1.172

47

43,400

1.124

36,200

1.131

20~24才

昭43

31,300

22,500

44

35,400

1.130

25,300

1.124

45

42,700

1.206

30,200

1.193

46

49,500

1.159

35,400

1.172

47

56,300

1.137

40,300

1.138

25~29才

昭43

40,700

24,500

44

46,300

1.137

27,100

1.106

45

55,100

1.190

32,300

1.191

46

62,800

1.139

37,900

1.173

47

69,600

1.108

42,300

1.116

30~34才

昭43

46,800

23,300

44

53,200

1.136

25,700

1.103

45

62,900

1.182

31,600

1.229

46

71,200

1.131

36,200

1.145

47

80,100

1.125

41,500

1.146

35~39才

昭43

49,400

22,500

44

55,500

1.123

25,600

1.137

45

65,900

1.187

30,800

1.203

46

75,000

1.138

35,400

1.149

47

84,600

1.128

39,700

1.121

40~49才

昭43

50,100

22,400

44

56,000

1.117

25,700

1.147

45

66,200

1.182

31,400

1.221

46

73,900

1.116

35,800

1.140

47

83,400

1.128

40,200

1.122

50~59才

昭43

46,000

21,900

44

52,500

1.141

25,500

1.164

45

61,100

1.163

30,900

1.211

46

67,600

1.106

34,600

1.119

47

75,300

1.113

38,800

1.121

60才~

昭43

38,900

21,100

44

43,300

1.113

23,800

1.127

45

50,700

1.170

29,000

1.218

46

56,700

1.118

32,900

1.134

47

63,700

1.123

36,400

1.106

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