名古屋高等裁判所 昭和48年(ネ)541号 判決 1975年9月17日
第一審原告 中島
右訴訟代理人弁護士 林千衛
第一審被告 河合紡績株式会社
右代表者代表取締役 河合正司
第一審被告 野村耕作
右両名訴訟代理人弁護士 高須宏夫
右同 近藤倫行
主文
一、第一審原告の控訴にもとづき原判決を左のとおり変更する。
二、第一審被告らは第一審原告に対し、各自金二六八万六、五二二円および内金二三八万六、五二二円に対する昭和四二年五月九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三、第一審原告のその余の請求を棄却する。
四、第一審被告らの各控訴はいずれも棄却する。
五、訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その三を第一審原告の負担とし、その余を第一審被告らの負担とする。
六、本判決主文第二項は内金六〇万円については無担保で、残余部分については第一審原告が第一審被告らに対し、各金七〇万円の担保を供するときは、当該第一審被告に対し、仮に執行することができる。
事実
(申立)
第一審原告訴訟代理人は控訴の趣旨として、「原判決を左のとおりに変更する。第一審被告らは各自第一審原告に対し、金一、一〇五万二、五〇〇円および内金一、〇二九万五、五〇〇円に対する昭和四二年五月九日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。」旨の判決および仮執行の宣言を求め、第一審被告らの控訴に対し控訴棄却の判決を求めた。
第一審被告ら訴訟代理人は控訴の趣旨として「原判決中第一審被告ら敗訴部分を取消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」旨の判決を求め、第一審原告の控訴に対し控訴棄却の判決を求めた。
(主張)
当事者双方の事実上法律上の陳述は、左に附加する外は原判決書事実第二、当事者の主張の項記載のとおりであるから、右記載をここに引用する。
(第一審原告の附加陳述)
一、第一審原告の当審での請求金額の内訳は左のとおりである。
1、入院中の諸経費 三一万円
2、退院後の介護人費用 一三四万円
3、死亡時までの喪失利益 一六九万九、〇〇〇円
4、死亡後の喪失利益の半額 二九四万六、五〇〇円
5、慰藉料 四〇〇万円(亡熊崎清和(以下単に「熊崎」という。)につき二〇〇万円、第一審原告につき二〇〇万円)
(以上合計 一、〇二九万五、五〇〇円)
6、弁護士費用 七五万七、〇〇〇円
総計 一、一〇五万二、五〇〇円
二、第一審被告野村の過失について。
原判決も認定しているとおり、熊崎が道路面に気をとられ下を向いたままの状態で、ハンドルをふらつかせて約二〇センチメートル中央へ寄ったのを、第一審被告野村(以下単に「被告野村」という。)が目撃したのは、約一六メートル手前のところであったのだから、その際、通常の注意をもってすれば、危ないと感じるのが当然であり、これに反する第一審被告らの見解には賛成できない。第一審被告らは乙第一〇号証(田中茂子の検察官に対する供述調書)を援用するが、原審証人田中茂子の証言によると、同人は、熊崎を終始みていた訳ではないし、同女が「フラフラするのを見るまでは別に危ないと感じなかった」と言っているのが、原判決のいう「ハンドルをふらつかせた」地点と同じだとすると、乙第一〇号証は、第一審被告らの見解を補強するには足らぬことになる。
第一審被告らは、被告野村が熊崎の運転する自転車(以下熊崎車という。)のふらつくのを見た地点を、田中茂子ら四名を追越した地点のすぐ西とするもののようであるが、これは追越す直前であった公算もある。そうだとすると、なおさら同女ら及び熊崎に注意を喚起するため、警笛を吹鳴すべきであるのに、被告野村がこれを怠ったのは同人の過失といわなければならない。
本件事故直前の状況に関する被告野村本人尋問の結果は、たとえば、追越地点などの点で、関係証拠とくい違い、検討を要するが、前方不注意の点は同被告も自認していたところである。
三、過失相殺について。
他の裁判例が類似事案につき被害者の過失を三割としていることにてらしても、原判決の認定した過失割合(原告六割五分)は過酷である。なお、双方の過失割合に忠実に過失相殺をすると、結果的に著しく被害者に酷になる場合には、損害の特定の一部につき過失相殺をせず、あるいは過失割合を減ずるのが妥当である旨説かれているが、本件の場合もこれにしたがうべきである。
原判決の認めた賠償額(弁護士費用を除くと一八万円余)に、自賠保険金一〇〇万円(後遺症給付)を加えても、入院中の諸経費二四万円、退院後の介護人費用一三四万円に対し約四〇万円不足することになる。又、≪証拠省略≫によると、熊崎は退院後死亡迄三年一ヶ月間、最低月五万円、合計一八五万円の生計費を要した由であり、このうち右記介護人費用を控除した残額約五〇万円の熊崎自身の生活費は、第一審原告が負担している。
しからば、第一審原告は右合計九〇万円の出費をしたままで慰藉料も全く入手できなかった計算になり、原判決が過失相殺の裁量を誤っていることは明白である。その他原判決認容額が低額になったのは熊崎の所得額が低かったこと、同人が判決前に死亡したことなどの特殊事情によること、本訴提起後今日迄物価が上昇していること、この種事件の損害認定基準も上昇していることを考慮するとなおさらである。
四、弁護士費用について。
第一審原告の当番における請求が認められるなら、その請求する弁護士費用額は第一審被告ら主張の基準によっても相当となる訳である。
仮に第一審原告の請求が、過失相殺により一部認められぬ場合でも、本件訴訟で過失相殺の主張がはじめて出たのは、原審第一八回口頭弁論期日のことであり、それ迄、第一審被告らは無過失を主張して全面的に責任を否定していたのでこの争点をめぐって攻防がつくされ、半ば人格訴訟化していたものである。右の事情に照らせば原審の認めた弁護士費用は失当とはいえない。
五、訴訟費用について。
原判決が実質的に第一審被告らの「全面勝訴」の如き事態となったのは、判決前の熊崎の死亡という偶然の事故によるものであるから、原審が訴訟費用を第一審被告らに負担させたのは相当である。
六、因果関係について。
≪証拠省略≫も、本件事故と死亡との間の因果関係が全くないと断定している訳ではないし、原審証人国枝篤郎はむしろこれを肯定する趣旨の証言をしている。
医学的に因果関係が肯定されなかったり、疑わしい場合でも、法的に相当因果関係を肯定することは妨げない。かかる場合に、法的因果関係を割合的に認定し、右の範囲に限って賠償責任を負担させることも考慮さるべきであろう。
(第一審被告らの附加陳述)
一、本件事故の責任について。
本件事故につき被告野村には過失がなく、却って、亡熊崎清和に過失があるから、本件には自賠法第三条但書の適用がある。すなわち、
被告野村は熊崎がハンドルをふらつかせたのを見たが、それは「自転車が石ころにつまずいてふらつく程度」で「危ないという感じは全然なかった」うえ「その後は普通の運転をしていて別に変った様子もなかった。」のであるから、熊崎車が道路中央部へ進入してくることは全く予見できなかった。それゆえ、その際、被告野村に「自動車の速度を落して直ちに停車できるよう徐行すべき」注意義務はなかった。
又、自車と道路北端との間に約三・二メートルの間隔があって、熊崎車は道路北端から約〇・六メートルくらいのところを進行していたから、同人と安全にすれちがうだけの間隔は十分にあった。それゆえ、被告野村が進路をそれ以上左へ寄せるべき注意義務もなかった。むしろ被告野村は訴外小林光子ら四名が本件道路の南端から約一・五メートルくらいまでのところを横一列になって歩いているのを追越した直後であったから、自車の進路を急に左へ寄せると、右歩行者を危険にさらすことになり避けねばならなかった。右のように被告野村が熊崎車のふらつくのを見た時点では同被告に過失はない。
又、熊崎車が突然進路を控訴人野村の車の方へ直角に近く変更し、中心に向って接近して来た時点では、当然衝突の危険が予測されたが、その時は、熊崎車は被告車の直前二・三メートルの位置にあったものであるから同被告が急停止又は転把しても、もはや事故を回避する余地は全然なかった。よって右時点でも同被告に過失はない。
熊崎としては自転車を運転して被告車とすれ違うに際し、できるだけ道路左側端により、前方を注視し、対向車との接触をさけるべく適切なハンドル操作を行なうべき注意義務があるのにこれを怠たり、道路面に気をとられて自車前方を注視せず、下向きのまま進行し、被告野村車の直前で急にハンドルを直角に近く右に切って道路中央部に進行した過失があり、右過失により本件事故が起きたものである。
被告野村の運転する車には、構造上の欠陥又は機能の障害はなかった。
二、過失相殺について。
仮に被告野村に何らかの過失ありとしても、上記によればその過失は、訴外熊崎のそれに比して軽微であり、一〇分の二以下に過ぎない。
三、弁護士費用について。
第一審被告らとしては、第一審原告には損害賠償請求権が全然ないと思料するから、同人の弁護士費用が損害となることはないと思料するが、仮りに第一審原告の本訴損害金請求が、一部認容される場合でも、弁護士費用は認容額の一割前後に限られるべきである。
四、訴訟費用について。
第一審被告らとしては全面勝訴を信じるから、訴訟費用は全額第一審原告の負担となるべきであるが、仮に第一審原告が一部勝訴した場合でも、本件では、第一審被告らが訴訟費用の全額を負担すべき合理的理由(事情)はないから、民訴法九二条但書を適用すべきではない。
(証拠関係)≪省略≫
理由
一、本件事故の発生
熊崎が昭和三九年一一月六日午後三時頃、自転車で、愛知県尾西市西萩原一、九八五番地の二先道路を東進中、同所附近を西進中の第一審被告河合紡績株式会社(以下単に「被告会社」という。)の従業員、被告野村耕作運転の自家用普通貨物自動車(愛4さ八七五六。以下単に「被告車」という。)の前部右側部分と右自転車とが衝突し、熊崎はその場に顛倒負傷したことは当事者間に争いのないところである。
二、責任と結果
(一) 責任
右事故につき第一審原告は被告野村の過失による旨主張し、第一審被告らは、右は熊崎の過失による旨反駁抗争するので、本件事故の状況につき考えるに、≪証拠省略≫を綜合すると、本件事故の状況につき左記諸事実を認めることができる。すなわち、
(1) 本件事故発生現場は、前記所番地先の県道尾西清洲線(有効幅員五・六メートル、アスファルト舗装の平坦路面で、歩車道の区別なく、道路中心線の標示なし。)上で、附近は西方約三〇メートル、東方約五〇メートルにわたって直線路であり、道路南側は人家が連立し、北側は約一・九メートル幅の通行不能の草生地および用水路をはさんで水田となって居り、見透しは良好である。なお本件事故発生当時、交通はそれほど頻繁でなく被害自転車以外には東進の対向車もなかった。又、風は強くは吹いていなかった。
(2) 被告野村は幅一・六九メートル、長さ四・六七メートルの被告車を運転して、本件道路を時速約四〇キロメートルで西進中、進路前方南側(左側)路上を、子供二人を大人二人が中に挾んだ四人連れの歩行者が、西方に向い横一列(幅約一・八七メートル)になって歩いているのを目撃し、これと約一メートルの間隔を保ちつつ自車の殆んど全部を道路右側部分に置いて時速約三〇キロメートルで追越し、その後は徐々に車体を左へ寄せながら時速三、四〇キロメートルで進行を続けるうち、まもなく進路前方三八メートルの本件道路(有効幅員部分)北端(右端)から約〇・六メートル中央よりに入ったところを、普通よりやや遅い速度で道路面を気にしてか下向きで、自転車を操縦して東進してくる熊崎を発見したが、同被告は介意せずそのまま西進を続けた。
ところが彼我の距離が約一六メートルに接近したとき、同被告は熊崎が前記のように下を向いたままの状態でハンドルをふらつかせて約二〇センチメートル中央へ寄るのを目撃した。右時点での彼我の距離、双方の進行速度はそれぞれ前記のとおりであり、当時の被告車の左後輪の位置(後記衝突時の同車輪の位置よりも南によるべき理由はないから、)は、道路南端より少なくとも二・〇五メートルは北(中)へ入っており、したがって被告車体右側は、少なくとも〇・九四メートルは道路右側部分に入っており、道路北端との間隔は一・八六メートルに過ぎなかった。右状況下において、被告野村は被告車と道路北端との間に余裕があるから、なお安全にすれ違いし得ると考えて、そのまま警笛も吹鳴せず、特に転把や減速もせず時速約三五キロメートルで直進したところ、依然下向きで被告車への注視を怠ったまま進行して来た熊崎車が、被告車の直前二、三メートルの位置に来たとき、急に進路を被告車の方へ変更して道路中心線に向って接近してきたため、被告野村は急制動をかけるとともに左に転把したが及ばず、道路有効幅員部分北端から二・二メートル南へ入った地点で、被告車右前輪附近に熊崎車前輪が衝突し(そのときの被告車左後輪の位置は道路南端から南―中―へ二・〇五メートル入った地点にあった。)、被告車は衝突地点から約二・五メートル進んで、道路南側の工場の塀に当って停止したが、熊崎は右衝突の際、被告車車体のかどに顔面を強打した結果、後記のような創傷を負ったものである。
以上のとおり認められる。
≪証拠判断省略≫
上記認定事実にてらすと、本件事故の主因は、前記のように下向きになって自己の進路前方の注視を怠ったまま自転車を進行させ、被告車の直前で急に大きく進路を変えた熊崎の自転車操縦上の過失に求めざるを得ないけれども、他方、被告野村にも自動車運転上の過失を認め得るものである。すなわち、被告野村が自車前方約一六メートルの地点で熊崎が下を向いたままハンドルをふらつかせて約二〇センチメートル道路中央へ寄るのを目撃した際、被告車がこのまま進行を続ける場合は熊崎車の進行を妨害し、果ては、接触衝突の危険も予測されぬではないから、このような場合、自動車運転者としては、直ちに転把のうえ進路を変更して道路左側部分に復すべく、もし左側部分の道路の状況により、直ちに復し難いときには、減速又は徐行すると共に、警笛を吹鳴して相手方の注意を喚起すべき注意義務があり、同被告にして右義務をつくしていたならば、熊崎が被告車に衝突することもなかったし、たとえ衝突しても後記のような重傷を負うこともなかったと思われるのに、前記のように同被告が右義務を怠ったからである。
被告らは被告車の右側と熊崎車および道路北端との間の間隔がそれぞれ十分であったから、直ちにこれを回避する義務はない旨抗争するが、追越が終った以上、直ちに左側部分に復すべきであり、まして、右側部分に対向車のある以上はなおさらである。殊に、不安定な自転車が、自車の一六メートル前方でふらついて進路を道路中央へ向けた以上、そのまま道路中央部へ進入してくる危険が感じられる訳であるから、双方が直進を続けてすれ違うのに十分な間隔があるというだけで安心してしまうことは許されない。しかも、何らかの事情で一旦進路を道路中央へ向けた熊崎車が、その後又、進路を正面に向け直したのが事実であったとしても、再度同様な行動に出る危険がないとはいえぬ訳であり、その場合には、前記認定の相互の距離、進行速度にてらして考えると、右時点(一六メートル前方で熊崎車のふらつくのを見た時点)で直ちに転把又は減速徐行の措置をとっておかなければ、もはや事故を回避し得ぬ状況であったことは明白であるから、熊崎車が一旦進路を正面に復した事実があったとしても、右一事をもって被告野村の事故回避義務が免除される訳のものではない。
そうだとすると被告野村も本件事故につき過失を免れぬものであり、同被告の過失と熊崎の過失とが競合して本件事故が発生したものとみるべく、両者の事故発生に寄与した割合としては熊崎の過失二に対し野村の過失一の割合とみるのが相当である。
よって被告野村は民法第七〇九条による責任を免れぬし、運転者野村に過失のある以上、その他の免責条件の存否を考えるまでもなく、被告車の運行供用者であることを自認する被告会社も自賠法第三条の責任を免れない。
(二) 結果
≪証拠省略≫を綜合すると、右交通事故により、熊崎は顔面挫滅創、前頭骨、鼻骨、涙骨、上顎骨各粉砕骨折、頭部挫創、頭蓋内出血、右海綿状洞動静脈瘻、左眼外傷性網膜剥離症(即日失明)等の創傷を負い、事故当日から昭和四一年年末頃迄引続き、尾西市民病院、大垣市民病院、名大附属病院、岐阜大学附属病院等に入院し治療に努めたが、右眼も前記右海綿状洞動静脈瘻による搏動性眼球突出症を併発したため昭和四〇年九月二五日に失明するに至った。熊崎はもともと難聴、構音障害の身体障害があったところへ、このように両眼失明まで加わったためか、情緒不安定になり、しばしば頭痛を訴え、年に二、三回はショック状態を起すようになった。右のような状態で常時他人の介護を必要としたが、母親である第一審原告は勤務を持って一家の生計を支えなければならぬ関係上、常時介護人を依頼していた。以上のとおり認められて他にこれに反する証拠もない。
なお第一審原告は熊崎は本件事故後に聴覚機能も低下した旨主張するが右事実の認め難いことは後記三、の(一)に記載したとおりである。
(三) 熊崎の死亡
更に第一審原告は熊崎の死も本件事故に起因する旨主張するが、当審も本件事故と同人の死亡との間に相当因果関係があるとは認めないものであり、その理由とするところは左に附加する以外は原判決書一四枚目表一〇行目より同一六枚目表一〇行目までに記載のとおりであるから右記載をここに引用する。
原判決書一六枚目表一〇行目の次に左記を附加する。
(≪証拠省略≫中右因果関係を肯定する如き趣旨の部分は≪証拠省略≫にてらしにわかに措信し難いし、≪証拠省略≫によっても未だ本件交通事故と熊崎の死との間に相当因果関係のあることは認めるに足らない。ちなみに、いわゆる割合的因果関係論は二つ以上の原因が競合する場合とか、甲、乙のうち、いずれもが原因となる可能性のある場合などに適用されるものであるところ、本件においては、本件事故が熊崎の死の原因となる可能性さえ認めるに足るべき証拠がないのだから、割合的因果関係論を適用することはできない。)
三、損害
(一) 入院中の諸経費 金二四万六、五二二円
当審は第一審原告主張の入院中の諸経費中右記金額に限り認定し得るが他は認定し難いとするものであり、その理由とするところは左に附加又は訂正する以外は原判決書一六枚目裏二行目ないし同一七枚目裏一行目までに記載のとおりであるから、右記載をここに引用する。
原判決書一六枚目裏一行目、同一七枚目表六行目中、各「二四万五、六五〇円」とあるを、それぞれ「二四万六、五二二円」と訂正する。
同一六枚目裏七行目から八行目にかけて、「三一万〇、〇〇〇円」とあるのを「三一万〇、八七二円」と訂正する。
原判決書一七枚目表一行目「認められず」の次に、「(≪証拠省略≫によると、熊崎の聾唖学校当時の聴力は六〇デシベル程度であったと認められるのに対し、≪証拠省略≫によると、本件事故後岐阜大学病院耳鼻科での診察の際は、六〇デシベル以下の聴力を認めると測定されて居り、大差はないことになる。≪証拠判断省略≫)と附加する。
原判決書一七枚目表三行目「出捐するものであるから」の次に、「(第一審原告が本件事故による自転車の損傷による減価額を損害として請求するならば格別であるが、)」と附加する。
同一七枚目表一一行目中「個の経費として」の次に「(但し、そのうち三万五、六四〇円は後記(二)のとおり退院後の介護人費用の一部として)」と附加する。
(二) 退院後の介護人費用 一三四万円
≪証拠省略≫を綜合すると、退院後の昭和四二年一月より同四五年一月二九日までの間の介護人費用および謝礼として訴外木村ヨネに対し合計一二二万六、〇六〇円を支払ったことが認められる。
もっとも≪証拠省略≫によると、そのうち昭和四二年一月四日から同年二月二日までの間の介護人費用三万五、六四〇円を第一審被告会社において支払っていることが認められるので、残額は一一九万〇、四二〇円となる。
その外昭和四三年四月一日以後は右現金支給分以外に木村ヨネの食事も熊崎の方で支給することになり、その食費が月額七、五〇〇円以上要したことが≪証拠省略≫により認められるから、熊崎の死亡する迄に一六万五、〇〇〇円以上を要したことになる。
以上を合計すると、第一審原告の主張する一三四万円以上になるが、前に認定した熊崎の後遺症にてらすと、介護人を常時要する状態にあったと認められるので、右支出は本件事故と相当因果関係を有するものというべきである。
(三) 喪失利益 金一六九万九、〇〇〇円
熊崎の喪失利益を右金額と認める理由につき、原判決書一八枚目表一〇行目ないし同一九枚目一行目、「九万九、〇〇〇円となる。」までの記載を引用(但し同一八枚目表一〇行目中「熊崎」の次に「の死」を挿入する。)し、左記を附加する。
被告らは熊崎がマッサージの業務に従事して一日金一、〇〇〇円以上の収入を得ていたと主張するが、≪証拠省略≫中その趣旨の部分は、≪証拠省略≫にてらし措信し難く、他に右事実を認むべき証拠はなく、むしろ≪証拠省略≫によると、熊崎はマッサージ術を習ったものの、本件事故の後遺症による心身不調のため、到底就業するどころではなく、稀に知人等にマッサージ等をして御礼を受けた程度にとどまることが認められるものである。しからばこの点に関する第一審被告らの主張は理由がない。
(四) 慰藉料(熊崎分) 金三〇〇万円
熊崎が本件事故により受けた傷害の部位程度、その治療経過および後遺症は前に認定したとおりである。熊崎は生来、難聴で構音障害があったとはいえ、職業につき本件にみる如くサイクリングを楽しむ等、略通常人に近い生活を送っていたところ、本件事故により両眼を失ない、介護者なくしては過し得ぬようになったものであるから、これにより熊崎の蒙った苦痛は多大なものであり、これが慰藉料は本人の過失の要素を除外して考えた場合には金三〇〇万円をもって相当と認められるものである。
(五) 第一審原告の相続
≪証拠省略≫によると第一審原告が熊崎の実母としてその権利義務を一人で相続したことが認められる。
(六) 慰藉料(第一審原告分) 金六〇万円
第一審原告は熊崎の実母であり、唯一人の実子である熊崎を、老後の頼りとして愛育してきたところ、その熊崎が前記のような重傷を負い、殊に両眼失明して介護を要する身となったので、実母である第一審原告がこれにより蒙った精神的苦痛の程は熊崎の死亡の場合にも匹敵するものがあり、右は熊崎が慰藉料三〇〇万円を受けることによっても償い難いものと思料される。よって第一審原告は固有の慰藉料請求権を取得したものであり、その数額は熊崎の過失の要因を除外して考えた場合には金六〇万円が相当であると思料する。
(七) 過失相殺および損害填補
被告らが熊崎の入院中の治療費、付添看護婦費として合計二〇八万一三一三円を負担した(内金三〇万円は自賠法による保険給付)ことは当事者間に争いがない。その中から前記退院後の介護人費用三万五、六四〇円を控除した残額二〇四万五、六七三円の各費目は第一審原告が本訴で請求している損害の費目とは相違するから、右二〇四万五、六七三円は本訴請求にかかる損害の填補にはならず、却って本訴請求額以外に前記金額の損害が発生し、それが填補されたものとみるべきである。
又、熊崎が自賠責保険から金一〇〇万円を受領していることも当事者間に争いがないが、右は金額からみて後遺症補償と解せられる。よって、そのうち五分の二の四〇万円は熊崎の後遺症についての慰藉料の補償であり、残余(六〇万円)は同人の後遺症による喪失利益に対する補償として、それぞれ本訴請求中該当部分への入金とすべきである。
ところで、本件事故の発生についての熊崎および被告野村の各寄与の割合は、前に理由二、の(一)において説示したとおりである。しかしながら≪証拠省略≫によると、第一審原告方は、もともと聾唖者で、収入も乏しい熊崎と、初老の身でなお働かねばならない第一審原告とが、母子相協力して僅かに生計を維持してきたものであるところ、本件事故により、熊崎は両眼失明その他重篤な後遺症に悩む身となり、収入を全く失ったのみか、却って、他人の介護なしでは日用を弁じ得ぬ身となり、一家は経済的にも精神的にもどん底に転落したものといってさしつかえない。これに対し、第一審被告会社が或る程度の規模と資力とを有する株式会社であることは弁論の全趣旨から窺い得るし、第一審被告野村が、なお働き盛りの身であることは≪証拠省略≫により認め得るところである。これらの点を考え合せると、前記認定の過失割合で全損害につき過失相殺をするのは却って衡平の観念に反すると思われるので、本件事故による損害のうち治療費、介護費等(未払分既払分を含む)については過失相殺をなさず、喪失利益、慰藉料についてのみ、前記過失割合により熊崎の過失を相殺又は斟酌することにする。
そうすると第一審被告らの負担すべき損害は、入院中の諸経費二四万六、五二二円、退院後の介護人費用一三四万円、喪失利益の三分の一の五六万六、三三三円、熊崎慰藉料一〇〇万円、第一審原告慰藉料二〇万円、入院中の治療費、付添費等(既払分)(前記二〇八万一、三一三円から退院後の付添費三万五、六四〇円を控除した残額)二〇四万五、六七三円であり、以上合計は五三九万八、五二八円となる。
これに対し右二〇四万五、六七三円と自賠責保険金(後遺症補償分)一〇〇万円のうち九六万六、三三三円(後遺症による財産損害補償として六〇万円支払われたと思料されるが、前記のように右財産損害は五六万六、三三三円しか認定されないのでこれをこえる分は過払の計算になる。)とが入金補填されているのでこれを控除すると結局残額は二三八万六、五二二円となる。
(八) 弁護士費用 金三〇万円
≪証拠省略≫によると、第一審被告らが前記損害金を支払わぬので、熊崎ならびに第一審原告は弁護士に委任して本件損害賠償請求訴訟を追行しており、右弁護士費用も相当範囲内で本件事故による損害となるものであるが、本件訴訟の経過、請求額、認容額、訴訟追行の難易度等諸般の事情を勘案するときには、金三〇万円の限度で第一審被告らに負担させるのが相当と思われる。
四、上記を総合するに、第一審被告らは第一審原告に対し各自金二六八万六、五二二円およびそのうち弁護士費用を除いた金二三八万六、五二二円に対する本件不法行為成立の日以後の日である昭和四二年五月九日以後完済に至るまで民事法定利率年五分による遅延損害金を支払うべき義務があり、第一審原告の本訴請求は右限度で正当として認容すべく、その余は失当として排斥すべきである。
そこでこれと結論を異にする原判決は第一審原告の控訴に基づき変更することとし、第一審被告らの控訴は理由なきに帰するから棄却することとする。
よって民訴法三八六条、三八四条、九六条、八九条、九二条本文、九三条一項本文、一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 柏木賢吉 裁判官 夏目仲次 菅本宣太郎)