名古屋高等裁判所 昭和49年(ネ)21号 判決 1977年7月19日
主文
控訴人らの当審における新請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じ控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら訴訟代理人は当審において訴を交換的に変更して「原判決を取消す。被控訴人は控訴人らに対し愛知県豊橋市下地町一丁目一八番宅地一二八・六九平方メートル(以下本件土地という)につき各持分五分の一の所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は一、二審を通じ被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。
控訴人ら訴訟代理人はその請求の原因として
一、控訴人らと被控訴人の亡夫山下孝二(昭和三九年九月六日死亡)及び訴外山下光一は昭和三四年五月二六日死亡した訴外山下辰二の子である。また被控訴人は訴外山下孝二の財産を同人の死亡により相続取得した。
二、亡山下辰二は生前の昭和二三年ころ代金一万六、六〇〇円で訴外杉江保二から本件土地を買受けたが、第三者が地上家屋に居住していたのと税金対策上の便宜から二男である山下孝二の名義をもつて昭和二八年七月三一日売買を原因とする所有権移転登記を経由した。従つて本件土地は亡山下辰二の相続財産に属し、控訴人らと訴外山下光一及び亡山下孝二の相続人である被控訴人らが各五分の一の共有持分権を有するものである。
三、よつて現に本件土地につき単独所有名義を有する被控訴人に対し、控訴人ら各五分の一の持分移転登記を求めるため本訴請求に及んだ次第である。
と述べた。
被控訴代理人は答弁として
一、請求原因一の事実は認める。
二、同二の事実中本件土地につき訴外杉江保二から亡山下孝二に所有権移転登記が経由されたことは認めるが、その余の事実は否認する。本件土地は亡山下孝二が自己の資金で右訴外人から買受け、孝二の死亡により被控訴人がこれを相続取得したものである。かりに右資金の一部又は大部分が孝二の亡父辰二により出損されたとしてもそれは孝二が辰二からその金銭を贈与されたものである。
三、同三の主張は争う。
と述べた。
(立証省略)
理由
一、 請求原因一の事実については当事者間に争いがなく、同二の事実中本件土地につき訴外杉江保二から亡山下孝二に売買を原因として所有権移転登記が経由されている事実も当事者間に争いがない。
二、 そこで右登記が実体権利関係に副うものであるか、或いは単に登記簿上のみの不実のものであるかについて考えるに、
(一) 成立に争いのない乙第一一号証(登記簿謄本)によると本件土地は訴外杉江保二から亡山下孝二に昭和二八年七月三一日の売買を原因として同日所有権移転登記が経由され、次いで昭和三九年九月六日相続を原因として昭和四〇年九月一一日被控訴人名義に移転登記されていること
(二) 当審証人杉江保二、同杉江良一の各証言と弁論の全趣旨及び以上により真正に成立したものと認めうる乙第一四、一五号証、原審における控訴人山下光義、同大国護とし子各本人尋問の結果を総合すると、本件土地は他の一、二筆の土地と共に昭和二三年頃亡山下辰二が杉江保二よりその代理人杉江良一を通じて買受けたが、長らく登記が未了となつていたものであること
(三) 成立に争いのない乙第三ないし第五号証、第七ないし第一〇号証、第一六号証原審における控訴人大国護とし子本人尋問の結果、原審及び当審における控訴人山下光義同被控訴人各本人尋問の結果を総合すると亡山下辰二はその所有にかかる豊橋市下地町二丁目四九番宅地及び同地上家屋(以下別件家屋という)に居住して戦前からカネ辰の商号をもつて死亡に至るまで材木商を営んでいたこと、右営業中本件土地上には右材木商に供用される工場と機械器具があつたが、それらは昭和二八年二月五日付売買により辰二から孝二が買受けた旨の公正証書が作成されていること、辰二の二男である右の亡山下孝二は昭和二三年頃から郷里を離れ横須賀方面に居住して時折帰省するのみで、その間格別資力を蓄えた事情も窺われず、実家に送金していた形跡も認められないから右の本件土地など買受の当時及び本件土地の登記名義が同人に移転された当時の年令(孝二は昭和二年生れ)、本件土地の売買価格(一万六、〇〇〇円前後と認められる)とも考え合せその代価の全部又は相当部分を支弁したものとは考え難いこと、しかしながら辰二の長男訴外山下光一は昭和二六年頃上京してその後東京に住みつき、三男控訴人山下光義も昭和二九年初め頃教員となつて実家を離れたのに対し、孝二は昭和二九年二月頃に至つて横須賀から父辰二のものに戻り辰二と共に別件家屋に居住し以後共同して材木商に従事し、その経営は父辰二が主として建築材を孝二が建具材を扱うなど主体となつて辰二死亡後は専ら孝二がその名義で材木商を営みその間昭和三一年一月被控訴人と結婚して身を固め辰二の死亡数年前からは孝二が実家のいわゆる跡取りとしての地歩を占めるに至り、本件土地や別件家屋など不動産の固定資産税や家屋修繕費なども辰二或いは孝二がその材木商の営業収益から支払い辰二死亡後は孝二においてこれら殆んどすべてを支弁していたこと、かくして亡辰二としては本件土地の買受け及び登記当時はともかくとして遅くとも昭和三四年五月の死亡直前の意思としては本件土地が登記上のみならず実体的にもまた亡孝二の所有とすることを肯認していたと推量されること
(四) 成立に争いのない乙第一、第二、第六、第一三号証原審における被控訴人本人尋問の結果によると別件家屋につき昭和二五年五月亡辰二より長男である訴外山下光一に贈与を原因とする所有権移転登記がなされていることから同家屋が光一の所有であることを前提とし、昭和四一年九月右訴外人より被控訴人に対し別件家屋の使用貸借解除を事由とする家屋明渡請求訴訟が提起されたが(名古屋地方裁判所豊橋支部昭和四一年(ワ)第一七五号)同訴外人はその訴状請求原因第三項において、本件土地が辰二より孝二に贈与されているとしてそれ故被控訴人において右明渡請求に容易に応じうるものであると主張していること、また控訴人山下光義も右事件の証人として本件土地が孝二の所有であることを認める前提で同趣旨の証言をしていること、かくして右事件において成立した裁判上の和解により被控訴人は別件家屋を退去して同事件の原告である前記訴外山下光一にこれを明渡すと共に、本件土地上に家屋を新築して家族と共にこれに移住していること
を認めることができ以上の認定に抵触する原審証人鈴木祐治の証言、当審における被控訴人本人尋問の結果並びに叙上認定に供した各証拠中の当該部分は爾余の部分と対比して措信しがたく、他に叙上認定を左右するに足る証拠はない。
叙上の事実によつて考えるに本件土地は亡山下辰二が昭和二三年頃買受けたものであるが、同人は当時はもとより昭和二八年七月の登記当時においても登記簿上の買主たる二男孝二に真実所有権を帰属せしめる意思まで有していたとはにわかに断じがたいところ(この意味で孝二の登記は名目上のものに過ぎなかつた)その後孝二が帰り同居して材木商に協力し、家業を承継するようになつた頃から、その意思に変化を生じ前記登記上の名目を実質的にも権利関係の実体に副うものとして承認するようになり、この意思は辰二が死亡するまでの間に本件土地の登記簿上の所有名義人をさらに移転させようとしなかつたところから遅くとも辰二の死亡(昭和三四年五月二六日)によつて確定したものというべく当時控訴人らも本件土地が孝二の所有に帰したことを承認して争いがなかつたとみるべきである。これを法律的にみるならば本件土地はその登記簿の表示とは別に、昭和二三年頃亡山下辰二が買得して所有者となつたが、これを亡山下孝二が昭和三四年五月六日辰二の死因贈与によつて取得し、さらに被控訴人がこれを昭和三九年九月六日相続取得したものと評価することができる。
そうすると本件土地は現に被控訴人の所有するもので登記の表示は実体権利関係に合致するものである。そこでこれに反する権利関係を前提とする控訴人らの本訴請求はすべて失当であるからこれを棄却すべきものである。ところで原判決は控訴人らの本件土地につき被控訴人及び控訴人らがそれぞれ五分の一の持分を有する旨の相続による共有登記手続を求める訴につきなされたものであるが控訴人らは当審においてその請求の趣旨を交替的に変更し、本件土地につき控訴人らに各持分五分の一の所有権移転登記を求めるよう改めたものであつて、右変更は被控訴人において異議がなくまた請求の基礎を一にするから許されるべきところ、これによつて原判決は当然失効するものと解される。よつて控訴人らの当審における新請求を棄却することとし、民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。