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名古屋高等裁判所 昭和49年(ネ)498号 判決 1978年6月12日

控訴人

丹羽新一

右訴訟代理人

野尻力

亡松原寛治承継人

被控訴人

松原かね

右訴訟代理人

杉山忠三

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する

別紙目録記載12の土地につき控訴人が所有権を有することを確認する。

被控訴人は控訴人に対し、右土地を明渡せ。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本訴請求について

一請求の原因(一)(三)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで控訴人の抗弁について審案する。

(一)  <証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。

亡松原寛治は洋服仕立を業としておつて叔母の婿にあたる訴外酒井増一の娘の可児よねに洋服の仕立を見習わせていたが昭和二七年四月一三日頃までの間に金三〇万円を酒井増一から借受け、右よねの使用する生地の購入費用にあて、その頃酒井増一に「金三一万円(但し月金一万円)を借用し、昭和二七年五月二八日に返済するその担保として試験所東山を差し出す」旨を記載した昭和二七年四月一三日付書面を差し入れておいた。ところが亡松原寛治は昭和二八年頃右よねを通じて酒井増一から右の貸付金の返還を請求されるやよねに対して「お前は出戻りのくせにだまつておれ」等と言つて殴打したので、これを聞いた酒井増一は激昂して亡松原寛治に対し、右貸付金を返還するかあるいは明確な担保を差し入れるように要求し、その結果、昭和二八年五月一一日頃右両名間に「亡松原寛治は酒井増一に対して昭和二八年四月末日現在で利息月金一万円の割合による元利合計金三七万五、〇〇〇円の債務を負担していることを確認し、これを昭和二八年八月末日かぎり支払うこととし、本件土地を含む別紙目録記載の土地建物について所有権移転登記手続をする。以上の方法によつて債務を整理するも、酒井増一において従前どおり利息を請求できる。右約定期日までに亡松原寛治において右の金員を支払つたときは、右不動産の返還を受けられるが、右期日までに支払わないときは、右不動産を酒井増一において処分するも異議を述べない。」等の内容の契約が成立し、その契約書として乙第三号証が作成された。そしてその頃右不動産のうち農地については売買契約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記が、農地以外の土地については贈与を原因とする所有権移転登記が酒井増一のためになされたが、亡松原寛治は右の期限を過ぎるも、右の金員の支払をしなかつた。

以上の事実が認められ、<る。>

右認定の事実からすれば、亡松原寛治は昭和二八年五月一一日酒井増一との間に成立した契約によつて元利合計金三七万五、〇〇〇円の貸金債務担保のために本件土地を含む別紙目録記載の不動産を譲渡し、同年八月末の貸金弁済期を徒過したときは、酒井増一において担保物件を自ら処分して債務の弁済に充てることができるものとされたものとみるべきであり(前記乙第三号証の表題は買戻付売買契約書となつているけれども、前認定の契約の趣旨からすれば、右契約は控訴人主張のように買戻特約付売買ではなく、譲渡担保契約とみるべきである)、酒井増一は右契約にもとづき担保物件の所有権を取得したものというべきである。

(二)  しかるところ、被控訴人は、右貸金債権は弁済により消滅したと主張し、控訴人はこれを争い、却つて本件土地を控訴人において確定的に取得していると主張するので、さらにこれらの点について判断する。

控訴人が昭和二八年一一月一二日別紙目録記載1、2の土地建物を代金一〇万円で、同二九年二月八日同3の山林を代金一万円で売却処分し、次いで、昭和三三年四月一一日に旧品野町(後に合併により瀬戸市の一部となる)から同4ないし11の宅地・原野の買収代金の残金として金一七万五、七〇〇円を受領したことは当事者間に争いないのであるが、<証拠>によると、右買収代金の残余は亡松原寛治において受領していることが認められ、他に酒井増一において貸金の弁済を得たことを認めるに足る証拠はない。この点について被控訴人は、控訴人が手形により昭和二八年四月三〇日までに金六万五、〇〇〇円の支払を受けたというけれども、<証拠>によると、右の手形は不渡りとなつたことが認められるのである。

してみると、酒井増一は昭和三三年四月一一日までに貸金債権の弁済として合計金二八万五、七〇〇円の回収ができたにとどまるところ、<証拠>によると担保物件のうち本件土地はもと瀬戸市大字中品野字広之田一二四七番の原野の一部で後に分筆されたものであるが、右原野は昭和三三年五月八日頃酒井増一において訴外の水野保矩、長江房之、戸田亘の三名に売渡し、右同人らがこれを同三六年一二月一九日頃鈴木よしに、同人はそのうち本件土地を同四四年一〇月六日頃、控訴人に順次売渡したことが認められる(右認定に反する証拠はない。)ので、酒井増一は右訴外水野らに本件土地を売却処分するまでの間においては貸金元本額に満たない金額の回収を得ただけであるから、本件土地の売却は前記約定金利が旧利息制限法の制限を超えるか否かについて論及するまでもなく、酒井増一は譲渡担保権者としての処分権限にもとづき、本件土地を処分したものということができるから、控訴人は右認定の経過により本件土地の所有権を取得したものというべきである。

(三)  しかのみならず<証拠>によると、昭和三五年一〇月一三日頃亡松原寛治と酒井増一の間で天羽智房弁護士の立会のもとに、前記譲渡担保に供された不動産について「酒井増一がすでに処分し、代金を取得したものについては松原寛治は酒井増一の所得とすることを認め、処分していない物件は無償で松原寛治に返還することとし、亡松原寛治は酒井増一に対して示談金として金一〇万円を支払う。」等の内容で従前の両者間の貸借関係を円満に解決する旨の示談をし、その結果右の返還する土地建物のうち農地以外の土地と建物については昭和三五年一一月八日錯誤を原因とする酒井増一の所有権移転登記の抹消登記が、また農地については昭和四三年三月一三日仮登記の抹消登記がそれぞれ経由されたことが認められ(他に右認定を左右するに足る証拠はない。)、前認定のとおり既に売却処分のされている本件土地等については返還の要のないことが確認されて前記譲渡担保契約は清算がなされているのであるから、被控訴人において本件土地等について所有権を主張し、これが返還を求め得る筋合いのものではないというべきである。

(四)  以上のとおりであるから被控訴人の債務消滅に関する主張は理由がなく本件土地は控訴人の所有に属するものというべきである。

三そこで次に、被控訴人の時効取得の予備的主張について検討する。

<証拠>によると、亡松原寛治は酒井増一に対して本件土地を譲渡担保に供した後も引きつづいて占有していたことが認められる。

ところで、被控訴人は、まず、亡松原寛治が酒井増一に対して昭和二八年五月一一日頃本件土地を譲渡担保に供したことを前提として右同日以降の取得時効期間の進行をいうものであるところ、右譲渡担保契約にもとづき酒井増一のために所有権移転登記のなされたことは前認定のとおりであり被控訴人は、右譲渡担保契約の成立を否認するのみで右契約が無効であるとして従前の占有を継続したことについては何らの主張も立証もしないので、右同日以降の亡松原寛治の本件土地に対する占有は所有の意思のない占有となつたものと認める他はない。しかるところ、被控訴人は前記昭和三五年一〇月一三日の契約によつて亡松原寛治は、本件土地所有権が自己に復帰したと信じたというが、右契約においても本件土地が酒井増一から亡松原寛治に返還することが約されているものでないことは前認定のとおりであるから、右同日以降亡松原寛治が本件土地を自主占有するようになつたものということもできない。

したがつて右の点に関する被控訴人の主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

四してみれば被控訴人の本訴請求は理由がないから失当として棄却すべきである。

第二反訴請求について

前記第一において認定したとおり本件土地は控訴人の所有に属するものであるところ、被控訴人が控訴人の右所有権を争つておりかつ本件土地を占有していることは当事者間に争いがないから、右の占有権原について他に何らの主張も立証もしない本件においては、被控訴人に対し本件土地所有権確認並びに明渡を求める控訴人の反訴請求は理由があり正当として認容すべきである。

第三結び

以上の次第で、右と結論を異にする原判決は不当であるからこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九六条を適用して主文のとおり判決する。

(綿引未男 白川芳澄 高橋與一郎)

目録<省略>

計算書<省略>

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