名古屋高等裁判所 昭和50年(ネ)370号 判決 1976年11月29日
控訴人・附帯被控訴人(被告)
豊嶋運送株式会社
被控訴人・附帯控訴人(原告)
松元重徳
主文
1 本件控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。
2 控訴人は被控訴人に対し金一七二万六、五〇四円およびこれに対する昭和四九年三月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
4 本件附帯控訴を棄却する。
5 本件訴訟の総費用を二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。
事実
控訴人代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および附帯控訴について「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決ならびに請求を減縮のうえ附帯控訴として「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し三九九万二、九六五円およびこれに対する昭和四九年三月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の陳述および証拠関係は次のとおり補正するほか、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
(被控訴人・付加訂正)
原判決中に「被告稲山」とあるのをいずれも「訴外稲山忠」と、訂正し、同三枚目表六行目の「最高制限速度」の次に「(毎時四〇キロメートル)」を挿入し、同三枚目裏五行目に「(ダンプクローリー)」とあるのを「(タンクローリー、以下丙車という)」と、同四枚目裏八行目に「九七万六、四七〇円」とあるのを「一〇三万五、三四〇円」と訂正し、同五枚目表四行目から六行目までを削除し、「一か月平均一七万一、六三四円の収入を得ていたから、昭和四八年一月三〇日から同年七月三〇日までの間に一〇三万五、三四〇円の収入を失つた。」を加入し、同五枚目裏二行目の「(二)将来の逸失利益」の項の全部を削除し、同項に「将来の逸失利益一七九万七、六二五円 被控訴人は前記後遺障害のため、昭和四八年七月三一日から少なくとも五年間、その労働能力を二〇パーセント喪失したものであるから、被控訴人の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると一七九万七、六二五円となる。」を加入し、同七枚目表四行目と五行目との間に「(三)右(一)(二)のうち一六五万円を請求する。」を挿入し、同七枚目表七行目の「を受けた。」の次に「さらに被控訴人は昭和五〇年八月二六日訴外稲山忠から損害賠償金の一部として三〇万円の支払を受けた。」を加入する。
(控訴人・付加訂正)
一 原判決七枚目裏六行目から九行目までを削除し、「一の1ないし5は認める。6のうち制限速度が毎時四〇キロメートルであつたこと、同一方向に進行していた甲車と乙車とが接触したこと、続いて甲車が対向してきた丙車に衝突したことは認めるが、その余は否認する。」を加入し、同七枚目裏末行の次に「五は認める。」を付加する。
二 (免責の主張についての補正)
1 甲車と乙車との接触地点は、ほぼ南北に向つてかけられた佐奈川橋上であり、片側車線の幅員は七・三メートルであり、白ペイントのセンターラインがあつた。橋の北方に通ずる道路の片側車線の幅員は六メートルであつたが、車道の拡幅工事が行われており、車道の端には工事用の資材が置かれていたため、通行可能な幅員はかなり狭められていた。幅員縮小部分の道路では追越禁止の標示がなされていた。甲車と乙車との衝突地点は車道の幅員の縮小開始地点の手前(南方)約一〇メートルであつた。
2 訴外高橋明正は乙車を時速約五〇キロメートルで運転し、車道の左端から約一メートル中央寄りを進行し、橋の手前にさしかかり、前方の車道の幅員の縮小に対応するため、あらかじめ進路をやや右側に変更しようとして、右側の方向指示器で合図し、橋にさしかかつた地点(車道幅員縮小開始地点の手前約五〇メートル)で、乙車の後方約二二メートルを追従してくる甲車の動静を注視しながら、右斜前方に進路を変え、センターラインの約一メートル左側で進路を変えてセンターラインに平行して直進した。
3 ところが訴外稲山忠は本件事故発生の約一時間半前までパーテイーでビールを飲み、酒酔いのため正常な運転ができないおそれがあるのに、甲車を運転し、制限速度の時速四〇キロメートルをはるかに超える猛スピードで、突如追い越しを開始し、センターラインを越えて乙車の右側に進出したが、対向車の接近に気づき、さらに加速して乙車の前方に割り込もうとして左転把したため、甲車を乙車に接触させた。
4 かように、高橋には何らの過失もなく、本件事故は、稲山の酒酔い運転、速度違反、無謀追越し、未熟運転による過失に基づくものである。
(右二の主張に対する被控訴人の認否)
一 同二の1の事実中、甲車と乙車との接触地点が橋上であつたこと、同所の片側車線の幅員が七・三メートルであつたこと、白ペイントのセンターラインがあつたこと、幅員縮小部分の道路では追越禁止の標示がなされていたこと、拡幅工事中であつたことは認めるが、幅員縮小部分の状況については否認する。その部分の自動車の通行可能な片側車線の幅員は五・五メートルであつた。
二 同二の2の事実は否認する。
三 同二の3の事実は否認する。
四 稲山が乙車を追い抜くため乙車の右斜後方に進出したところ、高橋は右後方を注視せず、急速に右転把し、センターライン辺まで進行し、センターラインの左側を進行して来た甲車に乙車を接触させた。
(控訴人の過失相殺の主張)
控訴人は稲山の知人であり、パーテイーで同人らと飲酒し、同人が正常な運転をすることができないおそれのあることを知りながら、その運転する甲車の助手席に同乗したものであり、仮に損害を被つたとしても、損害額の算定にあたつて右事情を斟酌すれば、控訴人の負担すべき損害賠償額は存在しないことになる。なお被控訴人の治療費九四万六、七〇〇円は自賠責保険金によつて填補された。
(過失相殺の主張についての被控訴人の認否)
右主張事実中、稲山が被控訴人の知人であること、助手席に同乗したこと、治療費がその主張どおり填補されたことは認めるがその余の事実は否認する。
(証拠関係)〔略〕
理由
一 昭和四八年一月二九日午後三時二五分ころ愛知県豊川市白鳥町下垂四一番地付近の道路(国道一号線)で、同一方向に進行していた訴外稲山忠運転の甲車と訴外高橋明正運転の乙車とが接触し、続いて甲車が対向してきた丙車と衝突したこと、被控訴人が甲車の助手席に同乗していたことは当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第五、六号証、原審および当審での被控訴本人尋問の結果ならびにこれにより成立を認める甲第二号証の一、二によれば、被控訴人が右接触、衝突事故により原判決請求原因三の1ないし4のとおりの傷害および後遺障害を受けたことが認められる。
三 控訴人が乙車を保有し、自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。
四 そこで控訴人の免責の主張について検討するに、これに沿う甲第一号証の七、第七号証の二の各記載部分、ならびに原審および当審証人高橋明正の各供述部分は、甲第一号証の三、八、原審被告稲山忠本人尋問の結果および当審証人稲山忠の証言にてらし措信できずそのほかに、控訴人主張とおりの事実を認めるにたりる証拠はない。かえつて
1 原本の存在および成立に争いのない甲第一号証の三ないし八、成立に争いのない甲第四号証、第七号証の二、第八号証の一、二、原審および当審証人高橋明正の証言、当審証人稲山忠の証言、原審被告稲山忠本人尋問の結果(いずれも後記措信しない部分を除く)、原審および当審での被控訴本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件道路はほぼ南北に通じ、本件事故現場では、佐奈川上に約四五メートルの長さの橋がかけられており、橋上および橋の南端から南方へ約三三メートルの地点までの間では、道路上には白ペイントのセンターラインがあつたが(この点は当事者間に争いがない)、これ以外には車両通行帯の区画標示がなかつた。右区間よりもさらに南方の道路上には、各片側車線をそれぞれ二車線の車両通行帯に区画する標示があつた。本件道路は橋の北端より南方では、車道の各片側の幅員は七・三メートルであり、その車道の両端には幅員一・七メートルの歩道が設置されていた。ところが、橋の北端は本件道路に幅員三メートルの道路が交わる交差点になつており、さらにその北側から本件道路は歩道の幅員が三メートルになり、車道の片側車線が前記の幅員よりも歩道の幅員の広くなつただけ狭くなつたため、六メートルとなつており、そのうえ、本件事故発生当時歩道の一部分を車道にするための工事が行われ、車道の両端に、工事用防護柵が設置されていたので、片側車線の有効幅員は五・五メートルであつた。右車道の幅員の縮小区間には追越禁止の標示があつた(この点は当事者間に争いがない)。そして本件道路は直線であつて見通しがよく、本件事故発生当時、自動車の交通は頻繁であつた。
(二) 本件道路上では最高制限速度は毎時四〇キロメートルと規制されていたが(この点は当事者間に争いがない)、乙車が時速約五〇キロメートルで前記の外側の通行帯を進行し、橋の南端の南方約一〇メートル付近にさしかかつた際、高橋は橋の北方の車道の幅員の縮小に対応するため、あらかじめ進路をやや右方に変更しようとして、橋の南端辺に進出したとき、右側の方向指示器で合図をすると同時にハンドルを右に切りやや右斜前方に約三二メートル進行して、センターラインの左側約一・五メートルの地点に達したが、このとき乙車(長さ一一・六メートル、幅二・四九メートル)の右前輪のホイルのステツプ辺と甲車(長さ三・九四メートル、幅一・五メートル)の左側前部辺とが接触した。
(三) ところが甲車は乙車の後方約二〇メートルを追従してきたが、稲山は前記の内側の通行帯に進路を変え、車道の幅員の縮小部分に達するまでに乙車を追い抜こうとして加速し、乙車の前記の方向指示器による合図がなされたときは、乙車の右側後方に進出し、併進状態にあり、なおも時速約七〇キロメートルでセンターラインの左側をこれに接する状態で直進し続け、前記のとおり乙車と接触し、その衝撃により操縦の自由を失い、センターラインを越えて右斜前方に約一四・五メートル進行して対向して来た丙車の右前面に甲車の前面右角辺を衝突させた。
(四) 高橋は、方向指示器による合図をしたとき、甲車が乙車の右側後方辺を併進していたことに気付かず、甲車が乙車の二、三〇メートル後方を追随しているものと思い込んでいた。
(五) 稲山は本件事故発生時の一時間半前ころまで少量のビールを飲み、本件事故発生時でも、顔面が赤く、呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム未満の酒気を帯びていた。
以上の事実が認められる。
2 そして右認定事実によれば、稲山は乙車が制限速度の四〇キロメートル毎時を約一〇キロメートル超えて進行していたのであるから、乙車を追い抜く理由がなく、かつ車道の幅員縮小部分に進入するため、乙車があらかじめ右側に進路を変更することが当然に予測できたのであるから、本件道路の左側部分で乙車を追い抜くことは著しく困難な状況にあつたので、追い抜きを中止すべき注意義務があつたのに、酒気も加わつてこれを敢えて強行した点に重大な過失があつたものということができるが、他方高橋が乙車の進路を右斜前方に変えようとして右側の方向指示器で合図をしたとき、稲山は最高制限速度を約三〇キロメートル超える毎時約七〇キロメートルで乙車を追い抜こうとし、最高制限速度を約一〇キロメートル超える毎時約五〇キロメートルで進行していた乙車の右側後方まで進出し併進状態にあつたが、このように甲乙車とも速度違反の状態で進行していた場合でも、高橋は、右側の方向指示器で合図をするときは、乙車の右側辺を注視して他の自動車の動静に注意し、他車が併進状態にあれば、他車との接触事故を避けるため、進路変更を一時見合わせ他車をやりすごさせるなどして事故を未然に防止すべき注意義務があるのに、漫然甲車が乙車の後方二、三〇メートルの地点を追従しているものと軽信して右合図時と右転把時に乙車の右側を注視せずに、突然右斜前方に進路を変更して進行し続けたものでこの点に過失があつたということができ、たやすく乙車の運行につき注意を怠らなかつたということはできない。したがつて控訴人の免責の主張は採用できず、控訴人は自動車損害賠償保障法三条により被控訴人の被つた損害を賠償する責任がある。
五 次に被控訴人の損害について判断する。
1 休業損害
(一) 原審および当審での被控訴本人尋問の結果、弁論の全趣旨ならびにこれにより成立を認める甲第三号証の一ないし三によれば、被控訴人は本件事故当時四五歳の健康な男子で建築下請業を営み、自ら一〇名位の臨時雇用の人夫とともに工事に従事し、妻に事務を担当させていたこと、昭和四五年度の売上金額は一六五八万七、八二一円、売上原価は四四万一、二三〇円、経費は一四九四万八、九四八円であり、昭和四六年の売上金額は九六九万三、八五〇円、売上原価は一四万七、七〇〇円、経費は九〇三万三、三八九円であり、昭和四七年の売上金額は六八八万八、二二五円、売上原価は五一万六、三七五円、経費は五六八万〇八七三円であつたこと、被控訴人は本件事故当時進行中の下請工事については同業者の協力を得て完成させたことが認められ、ほかに右認定を左右するにたりる証拠はない。
ところで、企業主が身体を侵害されたため企業に従事することができなくなつたことによつて生ずる財産上の損害額は、特段の事情のないかぎり、企業収益中に占める企業主の労務その他企業に対する個人的寄与に基づく収益部分の割合によつて算定すべきものと解するのが相当であり、前記認定事実によれば、被控訴人の本件事故当時における一か月間の企業収益は前記三年間における売上金額から売上原価と経費を控除した残額についての一か月平均額であると推認するのが相当であり、この平均額を算出すると六万六、七〇五円となり、このうち被控訴人の妻の右企業に対する寄与率は一〇パーセントとするのが相当であるので、一か月の企業収益のうち被控訴人の収益部分は六万〇〇三四円と認められる。
(二) なお被控訴人は、平均月収を算定するにあたつては、昭和四五年ないし昭和四七年の総売上高から、休業により節減し得る経費(総経費から休業により節減し得ない経費すなわち水道光熱費、損害保険、減価償却費、利子割引料、地代、法定福利費、燃料費を控除したもの)を差し引いた残額を一か月に平均して算定すべきであると主張している。そこで前掲の甲第三号証の一ないし三によれば、前記(一)の各年度の経費中には、被控訴人主張の右経費の各項目の全部又は一部が組み入れられていることが認められる。そして原審および当審での被控訴本人尋問の結果によれば、本件事故の直後に一時、被控訴人の営業用の事務所兼労務者宿舎(借地上に所有するもの)を使用し、電気、水道等を使用したことが認められるが、右施設の使用は前記認定の本件事故当時継続中の下請工事を完成するためのものか否かについてはこれを認定する資料はない。次に当審での被控訴本人の供述中には本件事故以後右借地の地代を負担して支払つているとの部分があるが、これは前掲の甲第三号証の二、三および弁論の全趣旨にてらしたやすく信用できず、さらに本件事故以後、被控訴人がその主張する節減し得ない経費を現実にいくら負担しているかについての認定資料もなく、かつ本件事故発生以後も被控訴人の主張する休業損害および逸失利益の発生期間中、本件事故発生以前の右節減し得ない経費の一か月平均相当金額が本件事故と相当因果関係のある毎月の損害にあたることを認定するにたりる的確な資料はない。したがつて、被控訴人の右主張は理由がないので、前記(一)説示の損害額算定についての特段の事情があるということはできない。
(三) 前記認定の受傷、治療経過等によれば、被控訴人は本件事故により昭和四八年一月三〇日から同年七月三〇日までの六か月一日間休業を余儀なくされ、その間前記割合による三六万二、一四〇円の収益を失つたことが認められる。
2 逸失利益
前記認定の後遺障害の部位程度その他の諸事情によれば、被控訴人は右後遺障害のため、昭和四八年七月三一日から少なくとも五年間その労働能力を二〇%喪失するものと認められるから、後記七の昭和四九年三月二八日を基準日として、逸失利益をホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して算定すると、六四万七、八七一円となる。
3 過失相殺
前掲の甲第一号証の八、第四号証原審での被告稲山忠本人尋問の結果、当審証人稲山忠の証言、原審での被控訴本人尋問の結果によれば、控訴人と稲山とは知人関係にあり(この点は当事者間に争いがない)、本件事故当時、稲山は建設関係の会社に勤務し、被控訴人と親しく交際していたこと、本件事故当日被控訴人は、稲山に誘われて愛知県豊橋市内のアイゼン図書出版社のビル落成祝賀パーテイーに出席するため、名古屋市内から稲山の運転する甲車の助手席に同乗し、同日正午すぎころから右パーテイーに参加し、午後一時半ころまでの間にビール二本分位の量を飲んだこと、稲山も前記のとおりビールを飲み、本件事故発生時でも顔面が赤かつたほどであつたこと、午後二時ころ帰途につき、本件事故が発生したことが認められる。
以上の認定事実によれば、稲山において酒気を帯びていたことが本件事故発生の一因となつていたものであり、被控訴人としては、稲山に運転を中止するように忠告できる立場にあつたのに、これを中止させないで、助手席に同乗し、稲山の運転を放置していたものと認められるので、被控訴人にも過失があつたものというべく、その過失割合は被控訴人側一五、高橋側八五と認定するのが相当であるから、控訴人は被控訴人に対し前記の休業損害と逸失利益の合計一〇一万〇〇一一円のうち八五万八、五〇九円を賠償する責任があるといわなければならない。
なお前記認定事実によれば、被控訴人は稲山と身分上、生活関係上、一体をなすとみられるような関係にあるということができないので、稲山の過失を被控訴人側の過失とみることはできず、控訴人は自己側の過失等の割合以上の損害金を被控訴人に支払つたときは、稲山との求償関係で処理すべきである。
4 慰藉料
以上認定の本件事故の態様、被控訴人の傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容程度、被控訴人の過失、その他の諸般の事情を考慮すると、被控訴人の精神上の苦痛は一五〇万円をもつて慰藉するのが相当である。
六 損害の填補
1 被控訴人の要した治療費九四万六、七〇〇円が自賠責保険金によつて填補されたことは当事者間に争いがなく、前記の過失割合を考慮すると、右保険金のうち一四万二、〇〇五円は他の損害に填補されたものというべきである。
2 被控訴人が昭和五〇年八月二六日稲山から三〇万円の弁済を受けたほか、後遺障害分の自賠責保険金として一九万円を受領したことは当事者間に争いがない。
3 前記五の3の損害金八五万八、五〇九円、同4の慰藉料一五〇万円合計二三五万八、五〇九円から右1、2の合計六三万二、〇〇五円を控除すると、損害金残は一七二万六、五〇四円となる。
七 してみると、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し損害金一七二万六、五〇四円およびこれに対する本訴状送達日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四九年三月二八日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。
よつて右と結論を一部異にする原判決を変更し、本件附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民訴法三八六条、三八四条、九六条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三和田大士 鹿山春男 新田誠志)