名古屋高等裁判所 昭和51年(ネ)448号 判決 1977年6月28日
控訴人
桜井志げ
外三名
右控訴人ら四名訴訟代理人
竹下伝吉
被控訴人
国
右代表者法務大臣
福田一
右訴訟代理人
久野忠志
外四名
主文
本件控訴を棄却する。
訴訟費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人桜井志げに対し金五二万七、七五六円、同桜井良彦、同桜井利彦、同桜井和彦に対しそれぞれ金三五万一、八三七円及び右各金員に対する昭和四八年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上及び法律上の主張、証拠の提出、援用、認否は左に付加するほかは原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
一、被控訴人の主張
(一) 課税処分と不当利得の関係について
不当利得制度は利得の保有が正義・公平の基本原理に照らして是認し得ない場合に個別的救済の法理として公法、私法のすべての分野を支配するものとして存在し、税法においても例外ではない。しかしながら、瑕疵ある課税処分によつて課税庁が利得を得た場合、その瑕疵が課税処分を無効ならしめるものであるときはこれによる利得を直ちに不当利得として返還請求できるのは格別、それが単に取消しうるにすぎない瑕疵であるときは、少くとも取消されない限り課税処分は有効に存在するのであるからこれによる利得は法律上の原因のある利得というべきである。したがつて、原因たる課税処分が権限ある課税庁又は裁判所によつて取消されたときにはじめて不当利得の返還請求が可能となると解すべきである。これを本件についてみるに、控訴人らの被相続人桜井正一は本件課税処分を不服として昭和三六年一〇月七日名古屋地方裁判所へその取消を求めて提訴したが、昭和三九年八月三一日請求を棄却され、名古屋高等裁判所においても控訴棄却となり、最高裁判所において昭和四七年十二月二二日上告棄却の判決があり本件課税処分の適法性は不可争のものとして確定している。すなわち、本件課税処分は有効に存在し、争い得ないものである以上これに基づいて徴収した税金が不当利得となるいわれはない。
(二) 所得税法上の救済措置について
公法上の不当利得の処理については個々の法令に特別の定めをしている場合があり、本件課税処分に適用のある旧所得税法(昭和二二年法律第二七号、昭和三六年法律第三五号による改正前のもの)にも事業所得につき債権確定(発生)主義により債権の現実に回収されない前に納税された後右債権が回収不能となつた場合の救済に関し、1当該回収不能となつた年度の必要経費に算入、2他の種類の所得との損益通算(前同法第九条の三)、3純損失の繰戻しによる還付(前同法第三六条)、4純損失の繰越控除(前同法第九条の四)(但し右3、4は青色申告書を提出する者(前同法第二六条の三)に限つて適用される)の諸方法が存在している。そしてこのような税法上の是正措置は不当利得の一般法理が税法特有の法技術的要請によつて修正された特別規定として発現したもので形態は異なつても本質的には民法上の不当利得と全く同一のものである。したがつて右所得税法上生じた財産関係の不公正はまずこれらの特別規定による救済を求めることによつて是正されるべきであり、直ちに民法上一般の不当利得返還の方法によるべきではない。そして右特別規定の趣旨からすれば請求者は右いずれの方法によるかの任意選択を許されるべきではない。もし以上と反対に解し、前記所得税法上の是正措置を無視して直接不当利得返還請求を認め得るとすれば、課税年度経過後の貸倒れの発生は、事業所得についてもその債権発生年度の所得の変動事由とすることを許す結果となり、所得税法が貸倒れ発生年度の必要経費とすることなどを規定し、これに基づき実務上の処理も行われていることと著しい不公平を生じ、さらに課税処分の安定確定をもととする課税処分の除斥期間及び各種の是正措置並びに行政不服申立前置主義は実質的に空文化し、折角課税処分の法的安定性のもとに制定されたこれらの規定(現行法体系)を根本的に覆えす結果となる。以上のように税法上の是正措置を求めないで直ちに本件不当利得返還請求をなす控訴人らの請求は失当である。
(三) なお最高裁判所が同庁昭和四三年(オ)第三一四号事件についてなした昭和四九年三月八日第二小法廷判決は当時税法上是正措置のなかつた雑所得につき不当利得の法理を拡張適用したものであつて本件のような是正措置のある事業所得については不当利得の法理を適用することができないことを示唆している。
二、控訴人らの主張
(一) 不当利得は形式的、一般的には正当視される財産的価値の移動が実質的、相対的には正当でなく、また公平に反すると認められる場合に公平の理念にしたがつてその矛盾の調節を試みる制度である。民法第七〇三条が「法律上の原因なくして」と規定しているのもこのことをいうに外ならない。しかして所得税法が徴税の便宜のため金銭債権の所得算定方法としていわゆる債権発生主義を採用して現実に所得がない時点でも所得があるものと看做して納税義務を課しているのはこれによる課税が手続法上形式的に合法であることを保証しているにすぎずこれによつて実体法上納税義務が発生したり、実質的にその課税が正当として認容されることを示したものではない。さればこそ、形式的には合法であつた債権発生主義による課税が後にその債権の回収不能により、結果的には現実の所得のないところに課税したことになつた場合につき実質的な不公平を是正するため所得税法自体が各種の救済措置を定めているのである。したがつて債権発生主義による課税は後に現実の所得があることを前提として仮りに徴税手続を進行させることを認めた手続法上の制度で本質的には税金の仮納付又は予納に外ならぬことが明白である。すなわち実体法上の原因のある利得であることは何ら確定していないのである。しかるに被控訴人並びに原判決はこの仮執行的な徴税手続即ち課税処分が存続する以上それは所得税法に基づく有効な処分であるとしてこれに基づく納税はたとえ国が受益して納税者が損失を蒙つてもこれを民法第七〇三条の「法律上の原因なくして」利得したものということはできないとするのである。しかしこれほど形式論に落ち所得税法の根本精神を忘れたものはない。いかなる強弁をもつてしても所得のないところに所得税を課するのは苛斂誅求であつて、正義に反するものである。
(二) 所得税法が右のような不合理を是正するために各種の救済方法を定めていることは被控訴人主張のとおりであるが、これは納税者に右のような不合理から生ずることがある被害を救済するために規定された例外的措置であつてその趣旨目的に鑑みれば決して納税者にこの方法による以外の選択を許さないものとして強制されるべきものではない。ちなみに被控訴人主張の四つの是正措置はその税法特有の徴税の便宜性から特殊の発現形態をとつているとはいえ本質的には民法上一般の不当利得返還の法理によるのと何ら異ならないことは被控訴人主張のとおりであり、たゞ納税者の救済の便宜のため税法手続内部での簡易或いは迅速な方法を定めたに過ぎないのであるから、この方法をとらないからといつてそのために民法第七〇三条の不当利得返還請求権を失つたりすることは決してない。以上要するに税法上の是正措置といつてもそれは前記のような債権発生主義に基づいて予納した税金を後日精算するための手続に外ならないので、その本質目的は一般の不当利得制度と共に同一であり、四つの是正方法というのも結局は一つの是正方法に過ぎず、右方法によつてその目的を達しえない場合は勿論右是正方法を知らないためこれを利用してその救済を求めえなかつた場合を含め、いずれの方法によるかはすべて全く納税者の任意であるといわなければならない。
(三) 被控訴人主張の最高裁判所判決は控訴人らの利益に援用するが、これについて被控訴人のする法律上の主張は争う。
理由
当裁判所も控訴人らの請求は失当であると考えるが、その理由については左のとおり付加するほかはすべて原判決の理由説示と同一であるからここにこれを引用する。(但し原判決一〇枚目裏二行目から三行目にかけ「三八万〇五五六円」とあるのは「三八万二〇五六円」と、同一一行目に「六〇万〇五五六円」とあるのは「六〇万二〇五六円」と訂正する。)
一課税処分と不当利得との関係について
<証拠>によると控訴人らの先代桜井正一は昭和三二年ないし昭和三四年分の事業所得につき名古屋国税局長の審査決定を経た課税処分を不服としてその取消を訴求したが昭和四七年一二月二二日最高裁判所において上告棄却の判決言渡があり右課税処分は確定したことが認められる。被控訴人はこのように不可争のものとして確定した課税処分により納付された税金が法律上の原因のない利得となるいわれはないと主張し控訴人らはこれを争う。課税処分が有効に存在する以上形式的にはこれに基づく税金の納付が不当視できないのは被控訴人所論のとおりであろう。しかしながら、いわゆる権利確定主義による課税は債権についてその収入すべき権利の確定したときをとらえて所得があつたものとみなして課税するものであるから、予め現実の支払があることを前提としており、課税対象とされた債権が後日貸倒れなどで回収不能となつたときは右前提が失われる結果、実質的には所得なきところに課税したことになるのであつて、この不合理に対しては当然何らかの是正措置が要請されなければならない。そうだとすれば、権利確定主義による課税処分が適法、有効に存在し不可争のものとして確定しているとしてもそのことだけで、右課税処分に基づく税金の納付が一切不当利得の法理を容れる余地のないものであるとはいえない筋合である。たゞ不当利得の法理といつてもそれが発現する形態は個々の法域によつて異なり必ずしも直ちに民法第七〇三条以下の一般原則が適用されるとは限らないで、控訴人らの本訴請求が民法上の不当利得返還請求として成立ちうるものかどうかは別個に検討を要する次の問題である。少くとも権利確定主義による所得税の賦課徴収から生ずる前記のような不合理の是正のためには不当利得の法理による救済がありうることは前記のとおりであるから、もし被控訴人において主張する趣旨が課税処分の確定はそれによる納税を一切不当利得となしえないとするものであるならば、所論は採用することはできない。
二所得税法上の救済措置について
当裁判所はこの点に関し被控訴の主張するところを正当と考える。したがつて所得税法上の救済措置と民法上の不当利得返還請求との任意選択を許す旨の控訴人らの所論は採用することができない。けだし本件課税処分に適用のある旧所得税法(昭和二二年法律第二七号、昭和三六年法律第三五号による改正前のもの)に事業所得につき被控訴人主張のような所得税法独自の是正方法か規定されていることは争いがない。このように特別法である同法に実質的に不当利得返還の方途を講じているのに、これによらず直ちに一般法である民法上一般の不当利得返還の請求を許すとすれば右規定は空文化するのみならず、納税者の恣意を許し、課税の公平を期しがたいし、被控訴人主張のごとく現行税法に準拠した実務処理との間に権衡を失わせるなどの弊害をもたらし現行税法体系を崩すおそれがあるからである。したがつて、控訴人らとしては先ずもつて右是正方法を先行させるべきものであり、このことはその部分の存否、範囲につき課税庁の認定判断を留保させるなど右是正措置の設けられた趣旨からして当然のことと考えられる。そして右是正措置請求が可能であるのにこれをしなかつたゝめに税法上の救済が受けられないことになつた者は原則としてさらに不当利得等による別途の請求もなしえないと解するのが相当である。ところで控訴人らの先代桜井正一が右是正措置を求めることなく直接本件不当利得返還請求に及んだものであることは弁論の全趣旨により明らかであるから前記の理由により本訴請求はすでにその点において失当である。
三なお最高裁判所昭和四三年(オ)第三一四号昭和四九年三月八日第二小法廷判決は当時所得税法上後に貸倒れが生じた場合の是正措置を定めていなかつた雑所得につき貸倒れによる不当利得返還請求を認容したもので、控訴人らの本訴請求にかかる事業所得上の債権の貸倒れにつき所得税法上是正措置があるのと事案を異にし本件には適切なものではないから直ちに控訴人らの有利に援用できるものとは解しがたい。
(結論)
以上の次第で控訴人らの請求を棄却した原判決は結局相当であり、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(丸山武夫 杉山忠雄 上本公康)