名古屋高等裁判所 昭和52年(う)6号 判決 1977年5月10日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、名古屋地方検察庁検察官検事塚本明光名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人瀧川重郎名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
(控訴趣意に対する判断)
検察官の控訴趣意は、要するに、本件起訴状記載の旅行鞄が被害者の実力的支配内に存在したとみることは困難であるとの理由で無罪の言渡しをした原判決は、事実を誤認し、ひいて法令の解釈適用を誤ったものであるから、破棄を免れない、というのである。
そして、記録によれば、本件起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、昭和四五年一一月一一日名古屋簡易裁判所において、窃盗罪により懲役一年四月に、同四八年一月五日同裁判所において、窃盗罪により懲役一年に、同四九年四月二五日同裁判所において、窃盗罪により懲役一年二月に各処せられ、いずれも当時、右刑の執行を受け終ったものであるが、さらに常習として、昭和五一年四月四日午後八時一五分ころ、名古屋市中村区笹島町一丁目一八番地国鉄ハイウエイバス待合室において、中山栄所有の現金三〇〇円及び中古カメラ一個ほか一〇点在中の旅行カバン一個(時価合計約四万三、〇〇〇円相当)を窃取したものである。」(罪名常習累犯窃盗、罰条 盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律三条、二条、刑法二三五条)というのであり、これに対し、原判決が検察官の論旨摘録のような理由で無罪の言渡しをしたことは、原判決書により明らかである。
そこで、まず、本件の事実関係について審案するに、
一、原審第二回公判調書中の証人中山栄の供述記載部分及び司法警察員作成の各捜査報告書のほか、当審で取り調べた右中山栄の検察官に対する昭和五一年一二月二三日付供述調書を総合すると、
(一) 右の中山栄は、埼玉県川口市安行領家四番地に居住する日本電信電話公社の職員であるが、昭和五一年四月四日午後七時三〇分頃国鉄東海道線上り列車で名古屋駅(名古屋市中村区笹島町一丁目一八番地所在)に着き、同駅で下車し、名古屋から国鉄ハイウエイバスを利用して右居住地へ帰ろうと考え、同駅構内に在る国鉄ハイウエイバス待合室へ赴き、東京方面行きのバスの発車時刻を確かめたうえ、同駅前の地下商店街へ行き、同所を見物して廻った後、同日午後八時頃右待合室へ引き返し、同待合室内の西側に一人掛けの腰掛けが四個一組になって前後二列に並んだ後列の向って右端の腰掛けに腰を掛けて暫時休息し、間もなくして、何処かで夕食をすませておこうと考え、自己の腰掛けの右隣の空席の腰掛けの上に所持していた横約五〇センチメートル、高さ約二、三〇センチメートルのビニール製の緑色の旅行鞄を置いて、その蓋を開け、中から小銭を若干と定期券及び切符等を取り出し、これを自己の着衣のポケットに移し換えるなどしたが、その際、被告人は、右空席の腰掛けの次の腰掛けに腰を掛けて週刊誌を見ながら、時折右旅行鞄の中をのぞき見するなどした後、右中山が待合室を出て行く少し前に同待合室を出て行ったこと、
(二) 前記中山は、右待合室が駅長の管理する駅舎の一部で、しかも、同待合室の向って左隣には外勤者の詰所もあり、また、待合室自体も間口約六・四メートル、奥行約四メートルの比較的小部屋で、当時同待合室には、被告人が出て行った後は、南側の腰掛けに労務者風の男が一人横になって寝ており、東側の腰掛けに二人連れの男女が腰を掛けている程度で比較的閑散であったので安心して、自己が腰を掛けていた前記腰掛けのすぐ横の、向って右側の同待合室西北隅の床の上に前記旅行鞄を置いたまま、同待合室を出て行き、同待合室から約二〇三メートル離れた同駅構内の食堂へ行き、同所で夕食をすませて、同日午後八時五〇分頃右待合室へ引き返して来たところ、さきに置いて行った前記旅行鞄が既に誰かに持ち去られてなくなっていたこと、が認められ、また、
二、≪証拠省略≫を総合すると、被告人は、これまでに強盗罪で一回、窃盗罪で三回処罰され、昭和五〇年五月八日名古屋刑務所を仮出獄し、日雇人夫などをしていたが、昭和五一年四月初め頃以降は日雇人夫もせず、徒食し、同月四日午後六時頃以降前記待合室において週刊誌を読んだり、居眠りをするなどして時間を費やしているうち、同日午後八時頃前記中山栄が前叙のとおり右待合室に来て、前記腰掛けに腰を掛けて暫時休息した後、所持していた前記旅行鞄を被告人が腰を掛けていた腰掛けの左隣の腰掛けの上に置いて、旅行鞄の蓋を開け中から小銭などを取り出すのを傍で見ていて同旅行鞄の中をのぞき見するなどした後、腰掛けから立ち上って前記中山栄よりさきに、右待合室を出て行き、前記中山栄が被告人の後から右待合室を出て行くや、これと殆んど入れ替りに被告人が右待合室に引き返して来て、右中山が前記旅行鞄を右待合室の西北隅の床の上に置いたまま同待合室から出て行き同所に居ないのを見て、右旅行鞄の置いてある方に近づいて行き、あたりの様子を窺ったうえ、すばやくこれを窃取して付近の駐車場に至り、同所で右旅行鞄の中味を調べて見るなどした後、同日午後八時三〇分頃前同市中村区宜町四丁目四四番地所在の質商三共商会に赴き、右旅行鞄の中に入れてあったカメラ一台を偽名で入質し、その後同市中区広小路通りの大衆酒場へ行き、同所で飲酒したあげく、右旅行鞄の中に入れてあった洋傘一本を持って、爾余の物品は右旅行鞄と共に右大衆酒場内に置いたまま、同酒場を出て行ったことなどが認められる。
そして、刑法二三五条の窃盗罪の対象である他人の財物は犯人以外の者の実力的支配内に存在することをもって足り、必ずしも、その者が現実に所持又は監視することを要しないと解するのが相当であるところ、前認定の事実関係に徴すれば、前記中山栄が、名古屋駅長の管理する駅構内の待合室の一隅に、不用意に前記旅行鞄を置いたまま食事のため同所から約二〇三メートル離れた同じ駅構内の食堂へ行ったからといって、これをもって直ちに前同人が右旅行鞄の占有を放棄したものであるというわけにいかず、また、被告人は、右旅行鞄が前同人のものであることはもちろん、同人が右旅行鞄を一時前記待合室の一隅に置いてその場を離れたものであって、同旅行鞄が遺失物でないことも十分知悉しながらこれを前認定のとおり窃盗の意思で持ち去り窃取したものであることが推認されるので、右のような客観的かつ具体的状況の存する本件においては、被告人の右所為は窃盗罪に該当すると解するのが相当である。そうとすると、本件公訴事実について、犯罪の証明が十分でないとして無罪の言渡しをした原判決は、結局、事実を誤認し、ひいて窃盗罪に関する法令の解釈適用を誤ったものであるといわなければならず、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。検察官の論旨は理由がある。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条に則り、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に判決する。
(自判)
第一罪となるべき事実
被告人は、以下いずれも名古屋簡易裁判所において窃盗罪により、昭和四五年一〇月二七日懲役一年四月に、次いで、昭和四七年一一月二七日懲役一年に、その後の昭和四九年三月二八日懲役一年二月にそれぞれ処せられ、当時、右各刑の執行を受け終ったものであるが、さらに常習として、昭和五一年四月四日午後八時一五分頃、名古屋市中村区笹島町一丁目一八番地国鉄名古屋駅構内ハイウエイバス待合室内において、中山栄所有の現金三〇〇円位及びカメラ一台ほか雑品一〇点位在中の旅行鞄一個(時価合計約四万三、〇〇〇円相当)を窃取したものである。
第二証拠の標目≪省略≫
第三法令の適用
被告人の判示所為は盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律三条、二条、刑法二三五条に該当するところ、被告人には冒頭掲記の累犯原因となる各前科があるので、同法五九条、五六条一項、五七条に従い、同法一四条の制限内で累犯の加重をするが、犯情を考慮して、同法六六条、七一条、六八条三号に則り、酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条に従い、原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、これを全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤本忠雄 裁判官 深田源次 川瀬勝一)