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名古屋高等裁判所 昭和54年(う)40号 判決 1986年9月26日

本籍

東京都中央区銀座三丁目五番地

住居

岐阜県各務原市鵜沼南町七丁目二二一番地

(現在名古屋拘置所 別件未決勾留中)

会社役員

中尾初二

明治三八年六月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年九月一四日岐阜地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官平田定男出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月及び判示第一の事実につき罰金七〇万円に、判示第二の事実につき罰金一三〇万円に処する。

この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

被告人において右各罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用中別紙訴訟費用負担表に記載した証人に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人竹下重人名義の控訴趣意書三通(昭和五四年七月三一日付、昭和五五年一〇月二一日付、昭和五六年一月二二日付)、「控訴趣意の補充」と題する書面、「反論書」と題する書面四通(昭和五七年六月七日付、同年一〇月二七日付、昭和五八年六月二七日付、昭和五九年一月二七日付)、「反論書(続)」と題する書面(昭和五七年二月一七日付)及び「上申書」と題する書面(昭和五六年一一月二四日付、但し(二)を除く。)に、これらに対する答弁は検察官鈴木芳一名義の答弁書及び答弁補充書、「弁護人の反論書に対する意見の要旨」と題する書面並びに検察官津村壽幸名義の答弁書(その二)、答弁書(その三)にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

弁護人の昭和五五年一〇月二一日付控訴趣意書第一、一、二(株式会社井善中店に対する抵当権付債権の譲渡損の発生を否定した部分の理由不備の論旨)について

所論は、要するに、原判決は、被告人が原判示被告人の株式会社井善中店に対する抵当権付債権の元利金を昭和三〇年八月九日梅山ようの代理人に一、三〇〇万円で譲渡し、その際右元利金合計額は約一、七八二万五、〇〇〇円(元本一、六四二万五、〇〇〇円、利息分約一四〇万円)であると認定したのであるから、被告人には少なくとも約四八二万五、〇〇〇円の債権譲渡損が生じたことになる理で、その際の譲渡経費一〇〇万円も計算に入れればその譲渡損は五八二万五、〇〇〇円となる理であるのに、被告人が自己の現存債権をその実額を下回る対価で譲渡することは経済人として到底考えられないとの理由で債権譲渡損の発生を否定した原判決には理由の不備ないし齟齬があって破棄を免がれない、というのである。

所論にかんがみ、原判決書を検討してみるに、原判決は、被告人が山田松太郎、新阪神産業株式会社名義を使用して貸し付けた分を含め、昭和三〇年八月九日当時株式会社井善中店に対し貸付元本一、六四二万五、〇〇〇円利息約一四〇万円計約一、七八二万五、〇〇〇円の根抵当権等付(但し根抵当権等は計三個で、その被担保債権極度額は計一、一五〇万円)債権を有しており、その全部を同日梅山よう(代理人梅山實明)に対し一、三〇〇万円で譲渡してた事実を認定したことが明らかであって、右認定事実を前提とすれば被告人は右債権譲渡により約四八二万五、〇〇〇円、貸付元本だけでも三四二万五、〇〇〇円の損失を被ったことになるのに、原判決は他に特段の理由を示すことなく、右債権譲渡損を否定し、単に括弧書内で梅山ようが同月二四日右譲受債権を株式会社丸栄に対し七、五〇〇万円で譲渡したこと、被告人がかかる価値を有する債権を実額を下回る対価で譲渡することは考えられない旨を付言したにとどまるから、原判決にはその理由にくいちがいがあるものというほかない。論旨は理由がある。

弁護人の昭和五四年七月三一日付控訴趣意書一(新阪神産業株式会社等名義の貸付等に関する所得が実質課税の原則上被告人の所得であると認定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、原判示新阪神産業株式会社、森下都、中尾正三は、被告人とは全く別個の営業、取引を行っている独立の人格であって、右の者らがそれぞれの名義でした貸付に関する所得及び新阪神産業株式会社名義の料理旅館業に関する所得は、いずれもそれぞれの名義人に帰属すべきものであるのに、これら所得が原判示第一、第二事実を通じ、実質課税の原則上被告人の所得であると認定して被告人の各所為を原判示第一、第二事実のとおり、所得税法違反罪に問擬した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判決書がその(金融業について――新阪神産業株式会社に関する部分については料理旅館業についても引用する。)の項の一中で所論に関し、その根拠となる証拠まで逐一示して、詳細に認定、説示するところはすべて正当として肯認することができ、所論新阪神産業株式会社、森下都及び中尾正三名義は、原判示事実に関連する限りでは被告人がその所得をかくすために形式上使用していたものに過ぎず、右の者らの名義による所得はすべて被告人の所得であることは明らかで、所論に沿う被告人の当審供述は到底信用できないから、これら所得が実質課税の原則上被告人帰属するとした原判決には所論のような事実誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五七年二月一七日付反論書(続)第三、一、(一)ないし(五)、昭和五八年六月二七日付反論書(菊池六輔に対する貸倒損を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、(一) 被告人は、昭和三〇年一二月三一日に、菊池六輔に対する債権一五〇万円を放棄したから同年度において同額の貸倒損を生じ右貸倒損は当年度の所得計算上必要経費に計上すべきものであり、(二) また被告人は、昭和三〇年一〇月一〇日ころから菊池六輔に対し大同石油株式会社の株式三〇万株余を担保にとって同人に金員を貸し付け、その貸付金額は昭和三一年一月四日ころには一、五四二万九、七六〇円となっていたが、同日同株式会社は倒産し、同株式の市場での取引は停止されてその売却は不可能となり、その株式は無価値となり、それ以外に担保として徴していた三井船舶株式会社等の株価も暴落して他に担保資産を有しない菊池六輔に対する債権はその時点で回収不能となり、被告人は少なくとも右一、五四二万九、七六〇円の債権の二分の一の貸倒損を被り右貸倒損は、同年度の所得計算上必要経費に計上すべきものであるのに、右各貸倒損の発生を否定した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、(一) なるほど弁第五五号証(弁護人提出の証拠は以下にも弁第〇号証として示す。)によれば被告人から菊池六輔宛の昭和三〇年一二月三一日付の債権放棄通知書と題する書面写が存在しており、その内容は昭和三〇年一一月三〇日証書貸付の一五〇万円の債権はその回収が困難と認めるので、この際放棄するとの趣旨のものであることは認められるけれども、昭和三〇年一一月三〇日に貸し付けた一五〇万円の債権をなぜ僅か一ケ月後の同年一二月三一日に回収困難を理由に放棄するのかは到底理解できず、従ってその内容自体に著しい疑問があるのみならず、被告人は昭和三一年以降も菊池六輔に対し相当額の資金を貸し付け、その貸付の都度、十分に安全な担保を徴し、同人と提携して株式の売買をしている事実及び菊池六輔が昭和三〇年末に一五〇万円の借金の支払ができないような状態にはなかった事実は菊池六輔の原審受命裁判官に対する昭和三八年四月二四日付、同月二五日付証人尋問調書、菊池六輔の検察官に対する昭和三四年二月二四日付供述調書、収税官吏大蔵事務官に対する昭和三二年八月二一日付、同年一〇月一〇日付、昭和三三年七月四日付(二通)、同年一〇月二二日付各質問てん末書の記載によって明らかであり、後記昭和三一年度分菊池六輔に対する貸付債権貸倒損の所論に関する説示事実によっても裏付けられるから、たとい、被告人が昭和三〇年度末に菊池六輔に対する一五〇万円の貸付金債権の放棄を真実行ったものと仮定しても、それは菊池六輔との関係を原因として多額の所得を取得し得たことに対する謝礼等なんらかの別の理由に基づいてなされたものと推定され、右債権の回収が不能ないし著しく困難となったことによるものでないことは明らかであり、従って右債権の放棄分を貸倒損として当該年度の損金中に計上しなかった原判決は正当であり、(二) 押収にかかるノートブック一冊(当庁昭和五四年押第一五号の一四一、以下押収物は符号のみで示す。)、同ノート一冊(符二一六号)に前示菊池六輔の各証人尋問調書、検察官に対する供述調書、各質問てん末書、押収にかかる東京証券取引所大同石油株の上場廃止証明書(符二三二号)を併せて検討してみると、なるほど被告人が菊池六輔に対し昭和三一年度末に計金一、五四二万九、七〇〇円の貸付金債権を有していたこと及び大同石油株式会社が昭和三一年中に銀行取引を停止され、これにより株式市場での売買取引も停止されていたところ同株式会社からの申出により同年六月一日同会社の株式の上場が廃止された事実を認めることはできるけれども、右貸付金の担保としては右大同石油株式会社の株式以外に三井船舶株式会社株式二三万四、八〇〇株(当時一、一八〇万円相当の担保価値と評価された)、日本ホテル株式会社六万五、〇〇〇株(同三二五万円相当と評価された)及び東京港湾株式四、五〇〇株(同一〇〇万円相当と評価された)が担保として差し入れられており、大同石油株式会社以外の右担保株式によって前示債権は回収可能であったのみならず、他関係証拠を総合してみても右菊池六輔が同年中に右借入債権を弁済することが将来ともできないような状態に陥っていたとも認められないので、所論のような貸倒損の発生を認定しなかった原判決は正当であって、押収にかかる金銭消費貸借契約公正証書一通(符三三六号)、東京地裁執行官送達証明書一通(符三三七号)はなんら右認定を覆すような意味はなく所論に沿う被告人の当審における供述は到底信用できないし、更に、当審において取り調べた証拠によれば、東京都千代田区富士見町一丁目四番地所在の菊池六輔所有各名義の家屋が昭和三一年四月滞納処分により差押を受けていることは認められるが、他方右差押登記は昭和三二年四月解除を原因として抹消されていることも認められ、右はむしろ菊池六輔が弁済能力を失っていなかったことを示しているものと考えられるし、また、昭和三一年中における東京証券取引所での三井船舶株式会社の最安値は一株四九円(昭和三一年四月五日、なお右株価は昭和三三年三月三〇日ころには一株七二円以上になっている。)であって、このことは前示担保株券の評価は全く相当であることを裏付けているものと解され、その他にも前示認定を覆すような証拠はないから、原判決には所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五七年二月一七日付反論書(続)第三、二、(一)ないし(五)、昭和五八年六月二七日付反論書第三(大同石油株式会社に対する貸倒損の発生を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人は、昭和三一年一月五日大同石油株式会社に一、五〇〇万円を貸し付け、右貸付金元本とこれに対する利息金一三〇万円計一、六三〇万円の債権を有していたところ同株式会社は、昭和三一年六月一日東京証券取引所への上場を停止されて同年中に倒産して右一、六三〇万円の元利金債権は回収不能となり、被告人は、当該年度に右と同額の貸倒損を被った。そして右貸倒損は当然当該年度の所得計算上必要経費中に計上されるべきであるのに、右貸倒損の発生を否定した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、所論に沿うかのような証拠として昭和三一年一月五日付売買契約公正証書正本(写)(弁第二一号証)、昭和三一年二月一四日東京簡易裁判所における和解調書正本(写)、同送達証明書(写)(弁第二六号証の一、二)、有体動産差押調書謄本(写)(弁第二七号証)、押収にかかる大同石油KKの証明書(符二三八号)、同KKの売渡証(符二三九号)、同KKの領収証(符二三〇号)、念書(符二三一号)、東京証券取引所大同石油株の上場廃止証明書(符二三二号)等が存在するが、これらによっても被告人と大同石油株式会社との間に昭和三一年一月五日締結されたのは鉄製櫓三四メートル一基、ツールジョイント四吋四分D・P用五〇〇組等(代金一、五〇〇万円)、鉄鋼管二〇トン(中古品で使用可能品、代金一三〇万円)の売買契約であり、しかも同株式会社はその前日の同月四日銀行取引を停止されており、右売買物件は直ちに岐阜県稲葉郡鵜沼町(現在各務原市)南町の被告人方に送付して引き渡されることと約定されているところ、右各物件は、同株式会社の鉱業所等作業現場で使用される機械設備類であってこれらを操作して稼働させるためには相当の専門的知識、技術を必要とするもので、たとい温泉掘削のためであっても右鵜沼町の被告人方(被告人の経営する料理旅館城山荘の所在地)で直ちに利用できるような物件でないことは勿論、便宜の場所に位置する土地、建物等の不動産のように、比較的容易にその購買需要者を見出して有利にこれを転売、換金できる物件でもなく、本件各証拠を総合してみても被告人がかような特殊な鉱業用諸設備、機械類を取り扱い、これを転売、換金したような事情は認められず、しかも前示領収書中古鉄管二〇トン分の前受金として一三〇万円を受領した旨が記載されているなどの不合理な点もあるうえ、被告人がこれら売買物件を実見確認してその評価をしたような形跡も全くなく、被告人と大同石油株式会社との間に所論のような金銭貸借がなされ、前示売買物件がその物的担保物件であったなどとは到底認められない(また、一月五日に貸し付けた一、五〇〇万円の利息金一三〇万円について、同年の二月一四日裁判上の和解をするなどということも通常理解し難いことである。)のみでなく、右売買契約公正証書の記載内容に沿う真正な売買がなされたものとも認め難い。そして仮に所論のとおりの金銭貸付が昭和三一年一月五日に真実なされたもので右貸付金が前示各物件によって担保されていたものと仮定しても、原判決書も説示しているとおり回収不能の事態を証明する証明書、有体動産差押調書写も昭和三三年度におけるそれでその回収の不能となったのは昭和三三年度になってからのことと認められるから、昭和三一年中における所論大同石油株式会社に対する貸付金が貸倒損となったとの事実は認めるに由なく所論に沿う被告人の当審における供述は信用できず、その他の当審における事実取調の結果もなんら右認定を覆すようなものではなく、所論貸倒損の発生した事実を否定した原判決は結局正当であって、原判決には所論のような判決に影響を及ぼす事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五六年一月二二日付控訴趣意書第三、一(三)、控訴趣意の補充七(二)、昭和五七年二月一七日付反論書(続)五、(一)ないし(七)、昭和五八年六月二七日付反論書第五(内田商事株式会社及び株式会社内田商店に対する被告人の貸付金債権の貸倒損を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人は、昭和二九年ころ内田商事株式会社及び株式会社内田商店に対し、約束手形及び小切手債権計七一〇万円の債権を有しており、これとは別に株式会社共立組が内田一郎ほか一名に対して有していた建物建築代金を準消費貸借債権とした三〇九万三、九〇〇円の債権を譲り受けその債権者となっていたところ、昭和三〇年中の裁判上の和解により右準消費貸借債権の弁済に代えて右建築建物の所有権の移転を受け、同債権は消滅したが、内田商事株式会社及び株式会社内田商店はいずれも昭和三〇年中に倒産、廃業して、右計七一〇万円の約束手形、小切手債権は回収不能となって被告人には同年度において同額の貸倒損が生じ、これは当年の必要経費中に計上すべきものであるのに、右貸倒損を認定しなかった原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原審で取り調べられた関係各証拠を総合してみると、被告人側から提出された関係約束手形、小切手金の合計は七一〇万円(但しそのうち振出日白地の小切手(弁第三九号証の一)の分を除くと六〇五万円となる)で内田一郎に対する原審の証人尋問(昭和三六年八月二四日施行)調書の記載に徴すると右各手形、小切手は支払済後手残りとなった分とか書き換えられた後手残りとなった分が含まれているのではないか等の疑問がありその全部が実体上の原因関係に基づいたものであるとは認められず、いずれにせよ内田一郎は、内田商事株式会社等の借受金についてすべて個人保証をし、昭和二九年大阪簡易裁判所で内田一郎の個人所有不動産をそれまでの後記判決にかかる分を除くすべての債権に対する代物弁済物権として提供し、その際右物件が消滅債権を大幅に上まわっていたのでこれを不満とし、被告人は、右不動産の所有権を移転して和解をすればなお二〇〇万円程度の金員を提供するとの約をしたのにその約束を履行しなかったと主張して争い(但し右主張は裁判上は斥けられた。)、被告人は、その後右和解によって消滅した債権以外の高高一〇〇万円程度の貸付金についても昭和三〇年九月その保証人である内田一郎ほか一名に対する金五三万円の連帯支払を命ずる大阪地方裁判所の判決を得たまま、その後は特段の債権回収措置もとらなかった事実が認められ、右事実によれば被告人に所論のような貸倒損失が生じたものとは認められず、右貸倒損の発生を否定した原判決には結局所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五六年一月二二日付控訴趣意書第三、一(二)、控訴趣意の補充七、(三)、昭和五七年二月一七日付反論書(続)第二、四、(一)、昭和五九年一月二七日付反論書第一、二(大東健治に対する貸付金の貸倒損を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人は、大東健治に対し公正証書を作成して昭和二九年四月六日一二〇万円、同年七月一六日二〇万円、同年九月二四日三〇万円を貸し付けたほか、そのころ数回にわたり手形割引の形式で計九〇万円を貸し付け、右貸付はいずれも担保物件を徴してする旨の合意をなされていたのであるが、現実に担保物件が提供されその処分や和解等によって貸付債権が回収されたのは右手形割引の形式によって貸し付けた九〇万円のみであって、公正証書を作成して貸し付けたその余の一八〇万円については、昭和三〇年中になされた強制執行が債務者の無資産のため債権回収の実をあげ得ず同年中に右債権の回収は不能となり、同年中に右債権を放棄する意思表示をしたので被告人は昭和三〇年度において一八〇万円の貸倒損を被り、右貸倒損は当然同年度中の必要経費に計上すべきものであるのに、右貸倒損発生の事実を否定した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、大阪簡易裁判所における被告人と大東健治との間の和解調書正本(写)(弁第四三号証)中には昭和二九年八月一一日大東健治が被告人に対し金一二〇万円の債務を有していることを認め、神戸市葺合区熊田町四丁目六番地宅地五一六坪ほか五筆の宅地、山林をもって代物弁済することの合意が成立した旨記載されていること、及び昭和二九年九月二四日付で被告人が、大東健治及び大東よしみに対し金三〇万円を利息日歩四銭九厘、弁済期後の損害金九銭八厘、弁済期は同年一〇月二〇日と定めて貸し付けた(但し金員は既に授受済である旨の記載がある。)旨の記載内容の公正証書(その正本が符二四四号)が作成されたことが認められるけれども、右和解調書の記載内容自体が所論無担保貸付、貸倒損の発生の主張と符合しないものであることは明らかであって、右証拠によっても所論貸倒損発生の事実を認めることはできず、所論は採用することができない。のみならず原審において適法に取り調べられた光井貞輔の昭和三二年八月一日付収税官吏大蔵事務官に対する質問てん末書によれば被告人は大東健治に対する金一二〇万円の貸付に際し、同人が経営していた神戸観光ホテルの土地を担保としたことが認められるし、手帳(大和銀行)一冊(符一四四号)の末尾近くのメモ欄には一九五五年(昭和三〇年)末ころ被告人からの金員借受債務者と推認される三光タクシー、内田商事等の名義人中に大東健治名はなく、同人の債務は既に完済されていたものであることが窮がえる。そのうえ当審で取り調べた右熊田町四丁目六番の宅地の閉鎖登記簿謄本によれば被告人は、昭和二九年四月六日大東健治に対する一二〇万円の貸付金(同年四月五日契約、弁済期同年六月四日)について右土地に抵当権設定登記を経由したが、昭和三〇年一〇月七日放棄を原因として同月一〇日右抵当権設定登記の抹消登記を経由していることが認められ、このことは被告人の右大東に対する債権の放棄が同人の無資力、債権取立の不能を真実の理由としてなされたことを意味することは到底解されず、むしろ右抹消登記当日までの被告人の右大東に対する全債権が消滅したことを意味し前示債務完済の事実を裏付けているものと解されるのであって、所論のような貸倒損が生じた事実は到底認めるに由なく、原判決には所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五九年一月二七日付反論書第一、三(大信産業株式会社に対する貸付金債権の債権者及び同株式会社に対する貸付金の貸倒損に関する部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、原判示大信産業株式会社に対する金員の貸主は森下都であるし、仮に貸主が被告人であるとしても、同株式会社振出の約束手形等一三通計一三六万五、〇〇〇円及び公正証書三通(符三七三号ないし三七五号)による貸付金がすべて回収不能となっているので被告人には原判示所得は生じていないのに、右大信産業株式会社からの金融業に関する所得を認定した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というものである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、森下都名義でなされた金融業取引、金銭貸付が、実質的見地からするとすべて被告人による取引・貸付であるとした原判決の事実認定が正当として肯認されることは前示のとおりであって、原審証人二神卯太郎の尋問調書中の記載にもかかわらず、大信産業株式会社との金銭賃借取引のみにつき右実質的取引主体を別異に解すべき特別の事情までは認め難いし、右尋問調書によれば同株式会社の代表者である二神卯太郎は、同株式会社の被告人からの借入金の返済または利息金の支払を現金、または小切手の交付によってしていたが、右返済または支払分に相当する領収証は一一徴しなかったことが窮えるし、他方被告人が所論貸付金の存在を証するために提出した約束手形一三通(符三八六号ないし三八八号、三九〇号ないし三九九号)中には支払場所に提示されて不渡処分をされたものはなく、依頼返却された分も数通含まれている(たとえば符三九一号、三九四号、三九五号、三九九号等)ので右約束手形は、既に返済ずみの貸付金に対応する約束手形または書換えられた約束手形等の手残り分と考えられ従って所論貸付金債権が残存しているとは認められず、仮にその幾分かが残存しているものとしても、原判決説示のとおり昭和三〇年度、三一年度において右残存債権が回収不能によって貸倒となった事実は認めるに由ないから、所論貸倒損の生じた事実を否定した原判決には所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五六年一月二二日付控訴趣意書第一、「控訴趣意の補充」一ないし四、昭和五七年一〇月二七日付反論書(有限会社藤為工務店に対する貸付による収益の発生の認定及び同工務店に対する貸倒損の発生を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、森下都名義で有限会社藤為工務店と金融取引をしたのは真実森下都であるのに、右取引をしたのは実質的にみて被告人であるとした原判決は事実を誤認したものであり、仮に同有限会社と森下都名義で取引したのが被告人であるとしても、(一) 被告人は同有限会社に対し計九七〇万円を貸し付けるに際し利息計六二万九、三四八円を天引したことはないし、(二) 仮に原判示のとおりの利息の天引がなされたものと仮定しても、右貸付元利金支払のため同有限会社が被告人に対し振り出し交付した約束手形計七通は、いずれも不渡となり、同有限会社は昭和三一年一二月二〇日破産宣告を受け、右手形金の取立、貸付金の回収は不可能となったので被告人は昭和三一年中に九〇〇万円余の貸倒損を被り、(三) 被告人は同有限会社に対する昭和三〇年一二月三一日振出、満期昭和三一年一月三一日の金額一二七万円の約束手形金のうち一二一万円に対する代物弁済として担保不動産を譲受けたことはなく、(四) 原判示昭和三〇年中の同有限会社からの受取利息一〇八万七、〇九一円のうちの五四万五、九二〇円に相当する分の支払のため同有限会社が振り出し被告人に交付した約束手形計七通金額計六八万九、一九九円は不渡となり回収不能となったから右受取利息分の収入は発生しなかったといわざるを得ないし、少なくとも右利息金部分は昭和三〇年度分所得の計算上必要経費として損金に算入させられるべきである、(五) そして原判示有限会社藤為工務店に対する原判示受取利息が発生したものとしても右各年度の受取利息に対応する貸付元本は、昭和三〇年七月(同有限会社が不渡手形を出して銀行取引を停止された日時)か、昭和三一年一二月二〇日(同日同有限会社は破棄宣告を受けた。)には回収不能となり貸倒となったから、右貸倒損を昭和三〇年分または昭和三一年分の必要経費に計上すべきものであり、(六) 同有限会社が被告人からの借入金支払のために振り出した約束手形八通金額計九五九万四、〇〇〇円及び右各約束手形に経過利息を加算して書き換えた約束手形計八通額面計一、六〇〇万一、〇〇五円は全部不渡となり同有限会社は昭和三一年一二月二〇日破産宣告を受けて右各約束手形債権並びにその原因債権である貸付元金及び利息金債権は回収不能となり被告人には同金額の貸倒損を生じこれは昭和三一年の所得計算上必要経費に計上させるべきものであるのに、原判決が右(一)ないし(六)の事情を認めず、原判示利息を被告人の所得に計上する等したのは事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに原審で取り調べた関係各証拠すなわち証人藤本敬司、同竹市肇に対する原審受命裁判官の各証人尋問調書、藤本敬司の検察官に対する昭和三四年二月二五日付供述調書、押収にかかる有限会社藤為工務店関係金銭出納帳三冊(符一七六号ないし一七八号)、同銀行勘定帳一冊(符一七九号)、同手形控一綴(符一八〇号)、有限会社藤為工務店関係手形控四綴(符一八一号ないし一八四号)、同有限会社関係振替伝票九綴(符一八五号ないし一九三号)、同有限会社商業登記簿謄本、請負契約書各一通(符三五一号の一、二)、承認御願及び承認書、藤為工務店の委任状、債権譲渡契約書、工事出来高証明願及び同証明書各一通、債権譲渡通知書二通(符三五二号の一ないし六)、藤本敬司の領収証、同印鑑証明書各一通(符三五三号の一と二)、藤為工務店の約束手形六通、藤本敬司の領収証二通、藤為工務店の領収証一通(符三五四号の一ないし九)、藤為工務店の約束手形一通(符三五五号)、藤為工務店の領収証一通、同約束手形一通(符三五六号の一、二)、藤為工務店の約束手形二通(符三五七号の一、二)、藤為工務店の小切手一通、同約束手形五通(符三五八号ないし三六三号)、藤本敬司の領収証二通、藤為工務店の約束手形及び領収証各一通(符三六四号の一ないし四)、藤為工務店の約束手形、金銭消費貸借等公正証書正本一通、同謄本一通(符三六五号ないし三六八号)、金銭消費貸借契約公正証書謄本、承認御願書及び同承認書、債権譲渡契約書、委任状、債権譲渡通知書、請負契約書各一通(符三六九号の一ないし六)、金銭消費貸借契約公正証書謄本二通、同正本四通(符三七〇号ないし三七五号)、藤為工務店の約束手形一二通(符三七六号、三七八号の四ないし七、三七九号の一ないし三、三八〇号、三八一号の一ないし三)、金銭消費貸借契約公正証書、売渡証書、藤本敬司の念書、藤為工務店小切手各一通(符三七七号、三七八号の一ないし三)、藤為工務店の委任状、承認願及び同承認書(二通)、請負契約書、債権譲渡契約書、約束手形、委任状、代理人の嘱託による公正証書作成のおしらせ、(通数を記載してない物は各一通)(符三八一号の四ないし一〇、三八二号)、登記簿謄本、債権譲渡契約書、債権譲渡通知書、請負契約書、承認御願書及び同承認書(符三八三号、三八四号の一、二、三八五号の一、二)を併せれば、原判示のとおり被告人が森下都名義で金員を有限会社藤為工務店に貸し渡すに際し被告人が、利息計六二万九、三四八円を天引したこと及び被告人は同有限会社からの利息金はすべて回収しており、また原判示のとおり(その譲渡性に関する法律的性質は別として)池田市の同有限会社に対する工事代金支払金中から現実にその元本債権をも逐次回収したり、また際貸付したりし、最終的には昭和三一年七月二一日の残債務一二一万円は担保不動産を代物弁済に供することを約し、その引渡をしまた所有権移転登記手続に必要とされる書類等一切を被告人に委ねてこれにより一切の債務が消滅したものとすることを特約することにより完済されたことが認められるのであって、右代物弁済による債務消滅の事実は、右債務が完全に消滅したと認められる前示昭和三一年七月二一日以後は同有限会社に対しては勿論のこと、その連帯保証人となったり、同有限会社が振り出し、被告人に交付した約束手形の裏書人となったりした藤本敬司に対してもなんらの請求、督促もなされていないことからも裏付けられるし、更に当審における事実取調の結果によれば右代物弁済の対象とされた不動産は豊中市大字麻田一〇二二番の五家屋番号麻田七〇六木造瓦葺平家建居宅一棟及び同番一八地上の家屋番号麻田七〇七木造平家建居宅一棟であることも認められるのであって、所論は被告人が有限会社藤為工務店に対する貸付過程で利息を天引したのにもかかわらずこれを控除しない名目貸付額を記載し、これに利息を天引したことは付記せず、名目貸付金全額を交付したかのような体裁、形式を整えて作成された証拠書類や、書換等によってその実質的基礎を欠くに至った手残りの資料を根拠にして虚構の弁疎を備えているものに過ぎないと認められ、従って、所論に沿う被告人の当審における供述は信用できず、また当審で取り調べた関係証拠によれば、藤為工務店から森下都(実質的には被告人)に対してなされた、同工務店の池田市に対する工事代金債権六〇四万六、〇〇〇円の債権譲渡の取消の意思表示等が池田市長宛なされたことは認められるけれども、右取消の意思表示にもかかわらず、被告人は森下都等名義による藤為工務店に対する貸付金を同工務店の池田市に対する工事代金を代理受領し、又は、藤為工務店が同市から支払を受けた工事代金中から回収し、あるいはその他の方法で弁済を受けて結局被告人の同工務店に対する債権は前示代物弁済によって皆済された事実を否定することはできず、所論は採用するに由ない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五四年七月三一日付控訴趣意書三、昭和五五年一〇月二一日付控訴趣意書第二、昭和五八年六月二七日付反論書第二(被告人の三光タクシー自動車株式会社に対する債権の譲渡損、貸倒損の発生を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人は、原判示三光タクシー自動車株式会社に対し昭和二八年末までに合計八二四万円を貸し付け(三光タクシー振出の約束手形を見返りに受けとった分)、その一部一二四万円が一旦代物弁済契約で消滅したが、その後右代物弁済契約は解除されて債権額は元通りの八二四万円に復する等若干の経緯を経て昭和三一年二月宮本勢之助に対し、これを代金二〇〇万円で譲渡し、その結果六二四万円の債権譲渡損を生じ、また右手形見返りの八二四万円の貸付金とは別に昭和二九年一月二三日付公正証書により一五〇万円を貸し付けてあったが同会社に対しては昭和二九年三月一八日会社整理決定がなされ、右一五〇万円の貸付金債権は昭和三一年度中に回収不能となって右と同額の貸倒損を生じたのに、右債権譲渡損及び貸倒損の発生を否定し、これを同年度の必要経費として認めなかった原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、原審において取り調べられた各証拠、特に証人山値義雄に対する原審裁判所の尋問調書(昭和三六年八月二一日尋問)、山根義雄の検察官に対する昭和三四年二月一八日付供述調書の各記録、中尾正三旧債勘定一枚(符一五三号)、領収書綴一袋(符一五四号)、自動車抵当権設定登録申請書(符四〇八号)を総合して検討すると、被告人は昭和二九年四月一日原判示三光タクシー自動車株式会社に対し計八二四万円の貸付債権を有していたが、その後右債権は原判示のとおり代物弁済により一部消滅し、昭和三一年二月二日までにはその貸付金債権は中尾正三ら他人名義分を含め、また、それまでの利息、遅延損害金額分までをも含めてもなおいかに多くとも二五四万円にまで減少しており、被告人は同日右債権を宮本勢之助に対し右債権額に付加して担保物件の所有権移転登記費用等の費用弁償金二一万円を加え、二七五万円で譲渡し(うち五〇万円は損害賠償金名義とする。)、右譲渡代金全額を同日宮本から支払を受けた事実を認めることができるから、被告人に所論のような債権譲渡損、貸倒損が生じたとは認められず(なお所論の八二四万円とは別に貸し付けたとする一五〇万円につき、右貸付の事実を裏付けるかのような公正証書(符二四八号)は、前示八二四万円の債権の一部をなしている債権について公正証書を作成したものに過ぎないものと認められる。)、所論は、前示八二四万円の貸付過程等で生じた資料を根拠とし、弁済等によって貸付金の減少した事実は除外して虚構の弁疎を構えているものに過ぎず、従って所論に沿う被告人の当審供述も信用できないから、所論は到底採用できない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五四年七月三一日付控訴趣意書二、昭和五五年一〇月二一日付控訴趣意書第一の一、三ないし八、昭和五六年一一月二四日付上申書一の(一)、(三)、昭和五八年六月二七日付反論書第一(株式会社井善中店に対する被告人の債権譲渡損の存在を否定した部分の事実誤認の論旨)について

所論は要するに、被告人は昭和三〇年八月九日に株式会社井善中店に対する抵当権付債権元利合計一、七八二万五、〇〇〇円を一、三〇〇万円で梅山ように譲渡し、その際譲渡経費が一〇〇万円かかったので、結局五八二万五、〇〇〇円の譲渡損失を被り、また、右抵当権付債権とは別に株式会社井善中店及びその経営者である村瀬徳朗に対し無担保で計一二〇万円の金員を貸し付けてあったが、同株式会社及び右村瀬は、いずれも昭和三〇年中に全資産を処分したうえ倒産してしまったので、右無担保貸付金はすべて回収不能となり被告人には右無担保貸付金と同額の貸倒損失を生ずることとなった。

そして、右抵当権付債権譲渡損及び貸倒損はいずれも昭和三〇年度の所得算出上必要経費に計上されるべきであるのに、右債権譲渡損及び貸倒損の生じたことを否認した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、原審で取り調べた関係各証拠、特に原審第九回、第一一回、第一二回公判調書中の証人村瀬徳朗の供述記載部分、村瀬徳朗の検察官に対する昭和三四年二月一六日付供述調書、大蔵事務官小林忠三作成の写真撮影てん末書(昭和三三月七月一八日撮影)及びこれに添付された写真、株式会社丸栄取締役経理部長後藤朝守作成の上申請、梅山實明作成の「おぼへ」と題する書面、村瀬徳朗の収税官吏宛上申請(別紙三枚添付)、金銭消費貸借公正証書綴(符四号)、会社重要書類綴(符五号)、井善関係書類綴(符七号)、新阪神産業KK会社重要書類原本一袋(符一三九号)、不動産売買契約公正証書謄本一通(符二二〇号の一)を総合すると、以下のとおりの事実を認めることができる。すなわち、

村瀬實明は、昭和二九年二月一八日株式会社井善の代表者として被告人から債権者を名義上のみ新阪神産業株式会社として金五〇〇万円を借り受け(同じ利息を天引されて実手取額は四四〇万円)、村瀬てる及び村瀬むなの協力を得て岐阜県稲葉郡鵜沼町字清水七四五番の二宅地二二坪ほか多数筆の土地建物を担保に提供し、借入金利息(前示天引利息のほかは月四分)のみを支払ってきたが、昭和二九年一一月三〇日大阪簡易裁判所における和解で、右村瀬てる及び村瀬むなと共に前示担保不動産を被告人(但し被告人は名義上のみ原判示新阪神産業株式会社の代表者として当事者となる。)に対し五〇〇万円で売り渡し、その代金と前記借受金とを相殺する旨及び売主らが同年一二月末日までに被告人に金六〇〇万円を提供する場合には右売渡物件を買い戻すことができる旨の合意が成立したが右村瀬は、右買戻はせず、また、村瀬徳朗は右買戻特約や、右和解の効力自体に不満をもっていたため昭和三〇年三月分までは依然として右借受金の利息を支払い、被告人もこれを受領しつづけていたが、被告人は新阪神産業株式会社の代表者名義で、昭和三〇年七月から八月にかけて前示担保物件として提供を受け、その後買い受けの合意をした不動産に対し明渡の強制執行をした(もっとも、右執行に際しごく一部の建物が滅失して執行不能となったことは認められるが、それを除いても村瀬徳朗の評価によれば執行された物件の価値は数千万円にのぼり、右評価額を多少割引いて考えても被告人が右貸付金を数倍する価値の所有権を取得して、これによって貸付金債権が完全に消滅したことは明らかである。そして、新阪神産業株式会社は名目のみの法人で、その取引主体が税法上、実質的見地から被告人と認められることは原判示のとおりである。)。

また村瀬徳朗は昭和二九年三月末ごろ約一〇〇万円余(元利金計一四五万円)を自動車購入資金として、同年九月末ころ同様自動車購入資金として約五〇万円余(元利金計七〇万円)をそれぞれ借り受けたが右一〇〇万円余の借受金は昭和二九年一一月ころまでに、右五〇万円余の借受金は昭和三〇年七月ころまでに元利とも完済した。

そして村瀬徳朗はさらに昭和二九年六月から同三〇年五月までの間に原判示株式会社井善中店の代表者として被告人から(但し貸付名義人は被告人、原判示新阪神産業株式会社、山田松太郎の三名に分かれるが、同会社及び山田松太郎は形式的名義人で実質的貸主は被告人であったと認められる。なお、債務の一部につき村瀬徳朗は連帯債務者あるいは連帯保証人となる。)多数回に分けて事業運営資金等として合計一、一四二万五、〇〇〇円を借り受け、右債務の担保(根担保の趣旨も含む。)として名古屋市東区久屋町八丁目所在の宅地ほか数筆の土地(前示株式会社井善の五〇〇万円の借受金債務を担保するために提供した不動産とは全く別個の物件)を担保として提供したが、右合計借受金一、一四二万五、〇〇〇円のうちの一部である二〇〇万円(昭和二九年六月一日貸付分一〇〇万円。同年七月二六日貸付分一〇〇万円)の貸付に際して村瀬徳朗の所有にかかる名古屋市千種区猪高町大字一社上打越一、五三八の三九山林一反六畝二二歩他数筆の土地(前示いずれの担保物件とも全く別の土地)の所有権を担保として取得し、取得の際は別途貸付金に対する十分な担保の提供がなされた場合には右譲受担保物件は返還する旨の一応の話合いがなされていたが、右話合による合意に反し結局右各山林の所有権移転登記を昭和三〇年七月一一日受けたまま、その所有権を確定的に取得してしまい、右二〇〇万円の債務はこれにより元利とも消滅し結局昭和三〇年八月九日当時被告人は株式会社井善中店に対し貸付金元本九四二万五〇〇〇円とこれに対する未収利息高高一四〇万円弱計一、〇八二万五、〇〇〇円弱の元利金債権を有していたにすぎないものであって、無担保分を含め、これを超える債権を有していたものではなく、同日右元利債権合計一、〇八二万五、〇〇〇円弱を梅山よう(代理人梅山實明)に対し代金一、三〇〇万円で譲渡し、右梅山實明に対し譲渡契約成立の謝礼等譲渡費用として一〇〇万円を支払い、一、二〇〇万円を取得した事実を認めることができる。

この点に関し、前示公判調書中の証人村瀬徳朗の供述記載部分及び村瀬徳朗の検察官に対する供述調書及び同人の上申告書等中には右債権譲渡当日村瀬徳朗の井善関係の債務は元本一、六四二万五、〇〇〇円利息一四〇万円弱であったかのような記載内容があるが、これは株式会社井善も株式会社井善中店も同一の経営主体であるとの観念をもつ右村瀬徳朗が前示五〇〇万円の株式会社井善の借金に関する前示和解内容が譲渡不動産と消滅債権との価値の均衡を余りにも欠くものであるとして納得せず、また前示猪高町の山林の売買も被告人が約旨に反して勝手に成立せしめたものであるとして不満をもち、右譲渡不動産の所有権は移転しておらず、これに相応する債務も消滅しないものとの独自の解釈から右計七〇〇万円の既に消滅した債権まで元利金に加える等独自の方法で計算した結果によるものであって、なんら前認定の事実を覆すものではなく、所論はいずれも前示債権譲渡前に作成され、弁済後も手残りとなった金銭貸借公正証書等を根拠にして虚構の弁疎を構えるものに過ぎず、被告人には所論のような債権譲渡損や、貸倒損があったとは到底認められない。

そして、右債権譲渡当日における被告人の株式会社井善中店に対する債権額合計が仮に検察官主張(検察官津村壽幸名義昭和五六年六月九日付答弁書(その二)参照)のとおり一、一四九万〇、九五一円であったとしても被告人に所論のような債権譲渡損や貸倒損が全く生じていないとの事実にはなんの変わりもない。

右認定に反する被告人の当審供述は不合理で到底信用できないし、これに関連する登記簿謄本類等当裁判所の事実取調の結果もなんら右認定を覆すようなものではない。

右債権譲渡損等に関連し、原判決の認定説示するところは明瞭ではないが、結局前示梅山ように対する債権譲渡の当日である昭和三〇年八月九日現在被告人は新阪神産業株式会社名義、山田松太郎名義で貸し付けた分をも含め、株式会社井善中店関係の貸付元金債権一、六四二万五、〇〇〇円、利息債権一四〇万円弱計一、七八二万五、〇〇〇円弱の債権を有し、それを代金一、三〇〇万円で梅山ように譲渡した事実を認定したものと解するほかなく、右原審の認定は前認定の事情に徴し事実を誤認したものというほかはないけれども、原判決は結局において所論債権譲渡損、貸倒損の発生を否定しているのであるから右事実誤認は判決の結論に影響を及ぼさない。

弁護人の昭和五四年七月三一日付控訴趣意書四、昭和五七年六月七日付反論書(料理旅館城山荘の経営者に関する部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、原判示城山荘の使用する土地、建物の所有権を取得したのは被告人と全く別個独立の法主体である新阪神産業株式会社であって、これを借りて料理旅館業を城山荘として行っていたのは山田松太郎または株式会社井善であり、従ってその経営による所得は右山田または株式会社井善に帰属するのに、被告人を右城山荘の経営者であるとして同料理旅館業からの所得を被告人に帰属するものと認定した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、新阪神産業株式会社名義による活動が実質的見地に立つときすべて被告人の活動であると認められるとした原判決の認定が正当として肯認できることは前説示のとおりであり、また原判決の挙示する関係各証拠を総合すれば料理旅館業城山荘の経営者が被告人であって、同料理旅館業からの所得が実質上被告人に帰属することに関し、原判決が詳細に認定、説示するところはすべて正当として肯認することができる。右認定、説示に反する被告人の当審供述は信用できず、その他当審で取り調べた白川不動産株式会社を控訴人とする判決書正本写等の関係証拠もなんら右認定を覆すような意味をもつものではないから原判決には所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五六年一月二二日付控訴趣意書第二、控訴趣意の補充五、昭和五七年二月一七日付反論書(続)第二、二(原判示別表1記載の昭和三〇年年度分大正紙業株式会社からの受取利息認定に関する部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人は、昭和三〇年中に大正紙業株式会社から原判決別表1の受取利息八、五〇〇円を受領したことはないのに、右受取の事実を認めた原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原判決別表1に記載された昭和三〇年中に被告人が原判示大正紙業株式会社から八、五〇〇円の利息金を受領した事実は原判決の挙示する堀源一の国税局収税官吏大曽根明に対する質問てん末書によって優に認定できるのであって(なお右利息金は昭和三〇年一月三一日に五、五〇〇円、同年三月一八日に三、〇〇〇円と二回に分けて支払われたものであって、右三月一八日には右利息金加えて元金二万の返済がなされ、計二万三、〇〇〇円が当座預金に振り込まれたことが同質問てん末書によって認められるが、これは株式会社住友銀行梅田支店長伊藤正の国税局収税官吏小林忠三に対する上申書(昭和三二月八月二六日付)中にある島崎達夫名義の当座勘定出入記入表の記載と一致していると認められる。)所論は伊藤正、佐野俊一の上申書中に昭和三〇年一月三一日付受取利息や、前示堀源一の国税局収税官吏に対する質問てん末書中にある借金元本返済に相当する記載がないとか、右堀源一の質問てん末書や、原判決の挙示する加藤孝之、竹市肇作成の貸付金収入利息けい算調書に関しては証拠にするについての被告人の同意がないとか、利息算定の基礎となる利率が明らかでないとかを根拠として原判決の事実誤認を主張するけれども、所論伊藤正、佐野俊一の上申書は島崎達夫名義の住友銀行梅田支店における預金勘定口座取引内容を明らかにしたもので大正紙業株式会社からの受取金が全部同勘定口座中に振り込まれたものではないことは明らかであるし、堀源一の質問てん末書は右堀死亡のため刑訴法三二一条一項三号により適法に取り調べられたものであり、また右貸付金収入利息けい算調書は原審五二回公判期日に取り調べられたものであるが、その内容は、他関係証拠によって認定できる本件の貸付金及び収入利息計算関係を整理、集約して表として明示したに過ぎないもので、原判示事実は右けい算調書を除いても十分認定でき、また貸付金元本に対する利率が、たとえば月何分とか、日歩何銭とかいう割合として正確に算出できないからと云って必ずしもその授受の事実自体が否定されねばならないものではないから、所論はいずれも採用するに由ない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五六年一月二二日付控訴趣意書第三、一(一)、控訴趣意の補充、六、七(一)、昭和五七年二月一七日付反論書(続)第二、三、昭和五九年一月二七日付反論書第一、一(原判示大久保佐一郎からの受取利息及び同人に対する被告人の貸付金の貸倒損に関する部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、被告人は原判示大久保佐一郎に対し昭和三〇年二月一日及び同年三月八日それぞれ一〇〇万円を貸し付けたが、昭和三〇年八月一二日右計二〇〇万円の貸付金のうち第一回貸付分の一〇〇万円に対する元金三〇万円の返済を受けたのみで、利息金は全く受け取らないうちに同人は同年中に所在不明となり貸付残金計一七〇万円は回収不能となってその分及びこれに対する利息分だけの貸倒損を生じたのに、被告人が昭和三〇年中に右大久保から一六万円の利息を受け取った事実を認定し、昭和三〇年中に右貸倒損を生じた事実を認定しなかった原判決は事実を誤認したもので、右各事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原判決の挙示する池田銀行梅田支店の証明書中被告人が使用した仮名と考えられる昭和建設工業KKの普通預金口座の取引内容記載部分、手帳(大和銀行)一冊(符一四四号)中の三月二〇日の日付部分、金銭消費貸借契約公正証書正本一通(符三四五号)、大久保佐一郎念書一通(符三四六号)を総合すれば、被告人は大久保佐一郎に対し昭和三〇年三月二〇日ころ現在一〇〇万円の貸付金債権を有していたが、これに対する利息金として同年四月二日、五月九日、六月七日、七月五日に各金四万円の利息の支払を受け、右貸付金債権も昭和三〇年八月一二日ころには弁済により七〇万円に減少し、同年九月中ころ全部弁済された事実を認めることができ、このことは前示金銭消費貸借公正証書(金額一〇〇万円、作成日付昭和三〇年二月一日弁済期は同月二五日とされる。)中に保証人とされる仲勝に対してなんらの支払請求もなされた形跡もなく、また右大久保佐一郎に対しても右九月以降なんらの請求も、大久保の方からの利息支払がなされた形跡もないことからも裏付けられていると考えられるのであって、前示公正証書中には期限後の損害金が日歩九銭八厘であると記載されていることや、金融業者である被告人が大久保佐一郎からなんらの利息の支払も受けず三〇万円の金員の返済を受けて先ずこれを元金の支払に充当することは不合理であって、被告人が右大久保に対し利息約定をせず金員を貸し付けたなどとは到底考えられないし、所論三月八日の一〇〇万円の貸付を証明するために提出された仮領収証(符三四九号)は借主として大久保尚彦名義が記載されており、名下の印影も同書面上に添付された大久保佐一郎の実印のそれとは異なっている等書面の意味内容が不明であって、到底所論一〇〇万円の貸付の事実や、貸倒損失発生の事実を認めることはできないし、右各事情に照らすとき所論は到底採用できず、原判決には所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五四年七月三一日付控訴趣意書五、昭和五六年一月二二日付控訴趣意書第四、昭和五九年一月二七日付反論書第二、(被告人の犯意に関する部分の事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、新阪神産業株式会社、中尾正三、森下都等の名義でなされた金融取引は、被告人とは全く別個独立の取引主体である右新阪神産業株式会社等がしたもので、これによる所得は被告人には帰属せず、また仮に同株式会社等名義による金融取引が実質上被告人の取引であるとしても被告人の金融業による収支は、前主張のとおり貸倒損の発生によって大幅欠損ばかりであったし、被告人は、藤木準太郎、市口仙太郎、浪速鉱金工業株式会社、カネダイン工業株式会社、ライオン株式会社に対する貸付債権もすべて貸倒損になったと判断していたし、また料理旅館城山荘の営業主体も被告人ではないのであるから、被告人には所得税逋脱の犯意はないし、中央信託銀行桑名支店における預金利子(原判決別表1)は、確定申告をする必要のない分離課税分であるから右所得部分についても被告人には所得税逋脱の犯意は認められないのに、原判示犯罪事実を認定した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも參酌して検討するに、原判決書の挙示する関係各証拠を総合すれば新阪神産業株式会社等名義による金融業取引が実質的にはすべて被告人の取引行為であるとした原判決の認定及び料理旅館城山荘の経営者が被告人であるとした原判決の認定が正当として肯認できることは前説示のとおりであって、その他原審で取り調べた各証拠によれば被告人が相当数の他人名義を使用してその所得の発生を秘匿し、また手残りとなった手形類等を根拠として、被告人の貸付は、そのほとんど全部が貸倒の発生により損失に帰したなどと不合理な弁疎を備え、架空の多額に及ぶ貸倒損の発生を主張して本件犯罪の成立を争っていることは明らかであり、藤木準太郎らに対する所論貸倒も認められず、また所論中央信託銀行桑名支店からの収入もいわゆる導入預金をしたことに対する報酬であって、正規の定期預金に対する利息ではないとした原判決の認定は肯認でき、右は分離課税の対象となるものではなく、これに対し被告人が分離課税手続をとったような形跡も全く認められないから、被告人に昭和三〇年度、三一年度所得税逋脱の犯意のあったことは明らかである。論旨は理由がない。

弁護人の昭和五九年一月二七日付反論書第三(訴訟手続の法令違反の論旨)について

所論は、要するに、原判決書別表1の有沢商事株式会社からの昭和三一年分受取受取利息七万五、〇〇〇円は、検察官の所得金計算書及び立証趣旨説明書「貸」等の中で主張されていないのであるから、原判決には申立のない事項について判決をした訴訟手続の法令違反があり、右訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、所論有沢商事株式会社からの昭和三一年中における受取利息七万五、〇〇〇円が同年の所得税逋脱罪の訴因中に包含されていることは明らかであるのみならず、所論受取利息七万五、〇〇〇円は原審第四回公判期日において検察官が書面(所得金額計算書)によってなした釈明中に明らかにされていて(原審記録一冊目一九三丁)、攻撃防禦の対象とされていることが明らかであるから、原審の訴訟手続には所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

その他当審で提出され、陳述されるには至らなかった被告人名義の控訴趣意書や多数の陳述書、補充書、反駁書等中で縷説するところに従い、これらを仔細に検討しても前示原判決の理由のくいちがい部分以外には原判決に影響を及ぼすような事実誤認や、違法の点は認められない。

以上の次第で、所論のうち株式会社井善中店に対する債権の譲渡損に関する部分の理由不備(理由のくいちがい)の論旨は理由がある(その余の論旨は結局すべて理由がない。)から刑事訴訟法三九七条一項、三七八条四号により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決する。

(罪となるべき事実)

左のとおり改めるほか、第一、第二事実とも原判決書(罪となるべき事実)の項第一、第二(原判決書別表1ないし3を含む。)と同一(原判示第一を当審第一と原判示第二を当審第二とする。)であるから、これを引用する。

原判決書別表の1の三枚目犯則益金の「以上合計」とあるうち、昭和三一年「8325428」とあるのを「8325458」と、同表四枚目電話料のうち昭和三一年「28080」とあるのを「23080」と改める。

なお、別紙訴訟費用負担表中に<5>(公)等とあるのは原審第五回公判期日等の意味であり、36・5・9等とあるのは昭和三六年五月九日等の意味である、また以下の略号等については左のとおり付加、訂正するほかは原判決書(略号等について)の項に記載してあるとの同一の略号等を使用しまたは記載を省略することがあるから、ここにこれを引用する。

原判決書(略号等について)の項7のうち「昭和三七年押第四七号符二三号」とあるのを「昭和五四年押第一五号符二三号(原審昭和三七年押第四七号符二三号)」と、同8の「公判回数」を「原審公判回数」と、同項9の「記録」を「原審記録」と、同項11の「提出証拠」を「原審提出証拠」と同項11の「公判記録」を「原審公判記録」とそれぞれ改め、同項11の「表示する」の次に「ことがある」を加え、右「表示する」の次の「。」を削り、同11の「)」の次に「。」を加え、同項12中の「公判調書」を「原審公判調書」と、「受命裁判官」(二箇所)を「原審受命裁判官」と、「当裁判所」(二箇所)を「原審裁判所」とそれぞれ改め、同項12の五行目の「裁判所」の次に「の当該期日における尋問調書であることを、」を加え、同項12中の「各」を「それぞれ」と改め、同項13を全部削除し、同項「14」を「13」と改め、そのうちの「公判調書」を「原審公判調書」と改め、その「供述記載」の次に「(被告人の当審公判廷における供述は、被告人の当審供述とする。)」を加え、同項の「15」を「14」と改め、そのうちの(1)中の「記録第一五冊」を「記録第二八冊」と改める。

(証拠の標目)

左のとおり訂正するほかは、原判決書(証拠の標目)の項(原判決書別表12に掲記した分を含む。)中に記載してあるのと同一であるから、これを引用する。

(判示各事実を認定した理由及び被告人、弁護人の原審、当審における各主張を採用し、又は排斥した事情に関する補足説明)

右の理由、諸事情等に関する当裁判所の理由説明は左のとおり削除、訂正、補足するほかは、原判決書一六枚目から九八枚目裏一〇行目まで及び原判決書別表1、2の補足説明の欄に記載してあるとおりであるから、これを引用する。

原判決書一八枚目表六行目及び、同二〇枚目裏二行目の「副う」を「沿う」と、同二五枚目表九行目の「同人」を「長束良雄」と、同二八枚目表四行目から五行目にかけての「同人」を「宮本勢之助」と、同枚目表六行目の「同人」を「宮本勢之助」と、同裏九行目の「債権発生主義」を「権利確定主義」とそれぞれ改め、同二九枚目裏二行目の「。」を削り、同四行目の「(」の次に「。」を加え、同三十枚目表七行目の「同人」を「菊池六輔」と改める。

原判決書三〇枚目裏二行目の次に「なお、これに関連する事情は前示菊池六輔に対する貸倒損の発生に関する部分の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三〇枚目裏四行目から一〇行目までを削り、これにかえて「大同石油(株)に対する被告人の貸倒損が発生したとは認められない。その理由は前示大同石油(株)に対する貸倒損の発生に関する部分の事実誤認に関する論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三一枚目九行目から一〇行目にかけての「を担保として提供していることが認められ右貸金が」を「(大阪市西成区千本通一丁目四一番地の一所在宅地一二三坪九合一勺等)の所有権をそれまでの大部分の債務の代物弁済として被告人に移転し、その所有権移転登記手続をすることも右和解条項中で約定し、これにより被告人の債権の大部分は消滅し、右和解による消滅債権以外の債権として残存していた高高一〇〇万円程度の貸付金債権についても」と改め、原判決書三二枚目表一行目の次に「なお、これに関連する事情は前示内田商事(株)、(株)内田商店に対する貸倒損の発生に関する原判決の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三二枚目裏五行目の「同人」を「大東健治」と改め、同九行目の次に「なおこれに関する事情は前示大東健治に対する貸倒損の発生に関する部分の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三三枚目表一行目の同人を「藤木準太郎」と、同六行目の「同人」を市口仙太郎」と、同三四枚目表七行目の「同人」を「和田輝男」とそれぞれ改める。

原判決書三五枚目表三行目の次に「なおこれに関連する事情は前示大信産業(株)に対する貸付金の債権者及びその貸倒損の発生に関する部分の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三六枚目表七行目の次に「なおこれに関連する事情は前示藤為工務店に対する貸倒損の発生に関する部分の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三七枚目表七行目の次に「なお、これに関連する事情については、前示三光タクシー自動車(株)に対する貸付金債権の譲渡損、貸倒損の発生に関する部分の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加える。

原判決書三八枚目裏五行目の「前掲」から同九行目までを削り、これに代えて「新阪神産業(株)名義分、山田松太郎名義分を加えても元利合計で一、二〇〇万円を超えていたとは認め難い。右に関連する事情について前示(株)井善中店に対する債権貸倒損、債権譲渡損の発生に関する部分の事実誤認の論旨について認定、説示したとおりである。」を加え、同三九枚目裏一行目の「。」を削り、同六行目の「)」の次に「。」を加える。

原判決書四〇枚目裏八行目の「な」を削り、同四一枚目裏二行目の「が各」を「らが」と改め、同四二枚目裏一〇行目の「入」を削り、同六〇枚目裏一一行目の「同人」を「上者英夫」と同六一枚目裏一〇行目の「同人」を「右桑原彦二郎」と同一一行目の「副」を「沿」と、同六二枚目裏八行目の「同人」を「井上政雄」と、同六八枚目表五行目の「同人」を「菊池六輔」と、同九行目の「幅」を「沿」と、同八八枚目裏四行目の「同人」を「上野美治」とそれそれぞれ改める。

(確定裁判)

確定裁判及びその認定根拠は原判決書(確定裁判)の項に記載してあるとおりであるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示各所為に対し原判決がその(法令の適用)の項に示すところと同一の法条を適用(刑種の選択、合併罪の処理を含む。)した刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役四月及び判示第一の罪につき罰金七〇万円、判示第二の罪につき罰金一三〇万円に処し、刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとし、被告人が右罰金を完納することができないときは、刑法一八条一項により、それぞれ金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、なお原審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、別表に記載した分は被告人の負担とする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川哲男 裁判官 鈴木之夫 裁判官 川原誠)

別紙

<省略>

控訴趣意書

被告人 中尾初二

右の者に対する御庁昭和五四年(う)第四〇号所得税法違反被告事件について控訴の趣意は次のとおりである。

昭和五四年七月三一日

弁護人

弁護士 竹下重人

名古屋高等裁判所刑事第二部

原判決は明らかに判決に影響を及ぼす事実の認識がある。すなわち、

一、昭和三〇年、三一年を通じ、新阪神産業株式会社、森下都及び中尾正二は、いずれも被告人とは別の独立した取引の主体として自らの資金をもつて金銭貸付の行為をしたものであるところ、原判決は新阪神産業株式会社、森下都及び中尾正二はいずれも被告人が自己のために使用した取引上の名義であると認定し、これらの者のした貸付による利益もすべて被告人に帰属するものとして、被告人の昭和三〇年分の所得を少くとも四一三万二、二一七円、昭和三一年分の所得を少くとも六二八万六、八九六円であると認定した。

右は、所得の帰属者についての認定の誤りであり、この誤認は明らかに判決に影響を及ぼすものである。

二、昭和三〇年中に、被告人が有していた株式会社井善中店に対する抵当権付債権を元利合計金額より五八二万円下廻る対価で他人に譲渡したことによる損失、および同年中に、株式会社井善中店に対する別口の債権一五〇万円、合計七〇二万円の金融業にかかる損失があり、その結果原判決認定の取引による利益が四一三万二、二一七円生じていたとしても、差引課税所得は存在しなかつたにかかわらず、原判決が右譲渡損失、貸倒損失を認めなかつたのは事実の誤認であり、これが明らかに判決に影響を及ぼすことは言うまでもない。

三、昭和三一年中に被告人が株式会社三光タクシーに対する債権を第三者に譲渡した際の譲渡差損六二四万円、および同社の倒産と商法上の整理により回収不能となつた別口の債権一五〇万円の貸倒損、以上合計七七四万円の金融業に係る損失が生じていたので、その結果原判決認定の取引による利益が六二八万六、八九六円生じていたとしても、差引課税所得は存在しなかつたにかかわらず、原判決が右譲渡損失、貸倒損失を認めなかつたのは、事実の認定を誤つたものであり、これが明らかに判決に影響を及ぼすことは言うまでもない。

四、昭和三一年中に城山荘の商号によつて料理旅館業を営んでいたのは、山田松太郎と株式会社井善であるのに、これをすべて被告人の営業であると認定したのは誤りであり、この誤認も明らかに判決に影響を及ぼすものである。

五、被告人は、前記二、三のとおり両年度において課税所得は存在しないものと確信をしていたのであるから、両年分所得税の確定申告をしなかつた際に、脱税の犯意を有していなかつたことも当然である。多くの他人名義を使用した取引や預金をした等事実を誤認したうえで、それらを不正の行為に当ると判断し、それにより被告人の脱税の犯意を認定したことも事実誤認であり、これも明らかに判決に影響を及ぼすものである。

六、以上摘示した事実の誤認を原判決の理由と証拠に即して詳述すれば被告人提出の趣意書記載のとおりである。

昭和五四年(う)第四〇号

所得税法違反被告事件

被告人 中尾初二

昭和五六年一月二二日

弁護人 竹下重人

名古屋高等裁判所刑事第二部 御中

控訴趣意書

右被告人に対する頭書被告事件につき、昭和五四年七月三一日付で、被告人が提出した控訴趣意書のうち、有限会社藤為工務店との取引状況、大正紙業株式会社との取引状況、金融業による事業所得金額の計算上必要経費に算入されるべき貸倒金の発生、被告人の犯意について、左のとおり要約して、陳述する。

第一 有限会社藤為工務店(以下(有)藤為工務店と略称する。)との取引について

一、原判決は森下都名義による(有)藤為工務店との金融取引は、実体において、被告人の取引であると認定した。仮にそうであるならば、森下都名義による金融取引によつて次に述べるとおり損失を生じているのであるから、この損失金額は被告人の金融業による事業所得金額の計算上は控除されなければならない。

二、原判決は原審記録二三冊五二丁以下の計算書の記載を証拠として、森下都の(有)藤為工務店に対する貸付金と貸付の際の天引利息を次のとおりであると認定した。

<省略>

三、しかしながら、右貸付の際右のとおり利息の天引をした事実はない。検察官提出の証拠には右天引の事実を証明するものは存在せず、却つて被告人提出の領収書(弁第一八三の一、一八三の三、一八三の六、一八三の九、一九四の二、一九四の一、一九四の四、一八六の一号)によれば、右貸付に際しては元本金額全額が交付されたことが明らかである。右領収書は、被告人の要請によつて利息を差引かない金額を記載して作成されたというのは、証拠に基かない独断である。

四、仮に利息の天引がされていても、その元利金合計を額面とする約束手形八通(弁証第一八九、一八四の一、一八四の四、一八四の七、一九四の三、一九六、一八六の二号)はすべて不渡となり、振出人(有)藤為工務店は銀行取引を停止され、支払不能の状態に陥つたのであるから、九〇〇万円余の元本貸倒損失を生じた。

五、また(有)藤為工務店は昭和三一年一二月二〇日に破産宣告を受けたので、右手形金九七〇万円は、遅くとも右破産宣告当時において回収不能となつたものと認めるべきである。

六、原判決三六頁によれば、被告人は(有)藤為工務店昭和三〇年一二月三一日振出、支払期日昭和三一年一月三一日の約束手形金一二七万円のうち、金一二一万円に対する代物弁済として、昭和三一年七月二五日に担保不動産を譲受けた、とされるが、右代物弁済の目的たる不動産が何であるかを特定することのできる証拠は存在しない。

被告人は右のような代物弁済を受けた事実はない。

森下都は、(有)藤為工務店との間の金銭消費貸借並びに不動産信託譲渡契約(弁第一九七号)によつて、同社所有の不動産につき仮登記を経由し、その後昭和三〇年六月八日受付第二二一八号抵当権設定登記がされた抵当権の被担保債権一五〇万円につき、右担保物件につき代物弁済をうけ、昭和三〇年六月八日受付の二二二〇号所有権移転登記を経由した事実はあるが、原判決認定のような代物弁済を受けたことはない。

七、原判決別表一によれば、昭和三一年中における(有)藤為工務店からの受取利息は一〇八万七、〇九一円とされているが、そのうち次の部分は、その支払のために振出交付を受けていた約束手形が同年中に不渡となり、回収不能であつたから、収入はなかつたものといわなければならない。

<省略>

したがつて、原判決の言うとおり森下都名義の取引が被告人のものであるならば、右の回収不能の分は被告人の事業所得金額の計算上必要経費に算入されるべきである。

八、(有)藤為工務店は、原審記録二三冊計算書五二丁ないし五九丁に記載されている約束手形八通、額面合計金九五九万四、〇〇〇円およびこれらに経過利子を書き加えた約束手形八通(弁証第一八三の一、一八九、一九三、一八五、二一一の五、二一一の六、二一一の七、二一四の九号)額面合計金一、八七一万三、五二六円をすべて不渡としたうえ、昭和三一年一二月二〇日には破産宣告を受けて、支払不能となつた。

したがつて、原判決のいうとおり森下都名義の取引が被告人の取引であるならば、右の回収不能額一、八七一万三、五二六円は、昭和三一年度の被告人の譲渡所得金額の計算上必要経費に算入されるべきである。

第二、被告人は原判決別表一記載の大正紙業(株)からの利息を昭和三〇年中に取立てたことはない。

一、右の点に関し原判決は、九冊伊藤正および佐野俊一の上申書を挙示するが、同上申告によると、当該住友銀行梅田支店預金口座が、被告人の資金の出入を記録したものである旨の上申はされていない。

二、のみならず、一三冊三六丁「貸」実際収入利子欄の記載と右上申書を対比すると、次のような不符合が見られ、原判決の認定は適切な証拠に基いたものとはいえない。

(一) 右「貸」三六丁三行目の昭和三〇年一月三一日付受入利息五、五〇〇円、同丁二行目の同日元本一〇万の回収、の事実は右上申書には記載がない

(二) 右「貸」三行目の昭和三〇年一月三一日貸付の八万円、同四行目の同年二月一八日貸付の七万円、三月一八日のその回収に対応する出入金も右上申書には記載されていない。

(三) 右「貸」五行目の受入利子三、〇〇〇円については年月日の記載がなく、これに該当すると思われる入金は右上申書に記載されていない。

三、一三冊、一六冊の「貸」および一二冊堀源一の「大質」等は、いずれも被告人は証拠調に同意していない。

のみならず、被告人が取立てたとされる利息八、五〇〇円の計算根拠となる「貸」の利率欄は空白となつていて、計算上利息額認定の当否を判断することができない。

試みに「貸」三六丁「計算上の利子」欄三行の一月三一日から二月一八日までの期間利息五、五〇〇円、同五行の三月一八日から四月一八日までの期間利息三、〇〇〇円を、元本、期間を用いて逆算してみると、一日当り利子の金額としても、日歩としても割切れる答が出ないのであつて、金融取引上このような利息の支払はなされないことが明らかである。

四、九冊上申書七六丁五行によると、昭和三〇年二月一九日八、〇〇〇円の入金があつたものが、同六行には手形不渡により同額の入金が取消されている。

五、以上のとおり、原判決の認定は証拠に基いたものということはできない。

第三、被告人の金融業による事業所得金額の計算上控除されるべき貸倒金について

一、昭和三〇年分について

(一) 原判決別表一の二枚目において、被告人は大久保佐一郎から利息金一六万円を取立てた、とされたがそのような事実はない。

同人には昭和三〇年二月一日に一〇〇万円、同年三月八日に一〇〇万円(弁証一七九)を別途に追加貸付をし、当初の貸付については、同年八月一一日までに三〇万円の弁済を受けた(弁証一七七)が、残余の一七〇万円および利息は全額回収不能となつた。

同人は同年夏頃所在不明となり、残存財産は発見できなかつた。

(二) 被告人は、大東健治との間で、同人が土地を担保に入れさせる約束で、公正証書を作成して左のとおり貸付をした。

昭和二九年

四月 六日

一二〇万円

七月一六日

三〇〃

九月二四日

三〇〃

またその頃数回の手形割引によつて計九〇万円を貸付けたので、貸付金合計は二七〇万円であつた。この手形貸付についてだけ現実に担保が提供されていたので、昭和三〇年頃担保物が売却された際九〇万円の弁済を受けたが、残りの一七〇万円は無担保債権であり、被告人は強制執行をしたが、無資産で回収不能に終つた。

(三) 被告人は、昭和二九年頃内田商事(株)および内田商店(株)に対し約束手形および小切手金債権合計六〇五万円(弁証第三八、六〇の一、六〇の二、六〇の三、三九の一、三九の二、四〇号)および、(株)共立組が内田一郎外一名に対して有していた建物建築代金三〇九万三、九〇〇円の準消費貸借上の債権ならびに代物弁済予約上の権利を右共立組から譲受けた債権を有していた。

昭和三〇年中に裁判上の和解によつて、被告人は右三〇九万三、九〇〇円の弁済に代えて、右建物の譲渡を受けた。

これにより、右内田商事(株)、内田商店(株)は倒産・廃業して無資産となつたため、約束手形、小切手金債権六〇五万円は全額回収不能となつた。

原判決三一丁裏においては、和解による代物弁済での弁済を受けた債権を右手形、小切手金債権の一部であると誤認したため、回収不能はないとしたが、誤りである。

第四、犯意について

一、原判決は、新阪神産業(株)、中尾正三、森下都等のした金融取引を、すべて被告人が脱税の手段として他人名義を使用したものと認定したが、誤りである。

右の個人もしくは法人は、いずれも固有の資金を持ち、独立の取引主体として行動をしていたものである。

例えば、森下都は、昭和二九年中に預入れがされた左の同女名義の銀行預三、三二〇万円を有しており、これが同人の貸付資金となつていた。(二七冊四七五丁ないし四七八丁の同人名義銀行預金入金内訳参照)

二、仮に右名名義人による金融取引も被告人の取引とみられるべきであるとしても、以上に詳細は主張したとおり、金融業による収支は両年ともに多額の損失を生じ、課税所得は存在しないと確信していた被告人に、脱税の犯意は認められない。

また原判決は、中央信託銀行桑名支店における預金利子を認定しているが、これは分離課税によるものであるから、確定申告を必要としない。この点でも被告人の犯意は認められない。

控訴趣意書

被告人 中尾初二

右の者に対する所得税法違反被告事件について、控訴趣意書を左に退出する。

昭和五四年七月三一日

刑事被告人 中尾初二

名古屋高等裁判所刑事第二部 御中

第一、私は所得税を不正に、ほ脱する犯意は全くなく、本件の所得年度昭和三〇年及び三一年の両年度はいずれも赤字で、申告得所が生じない故の不申告です。

即ち、本件の犯意の点につき、判決六頁七行の証拠の標目(全般につき)中、昭和三七年押第四七号符一四号手帳一冊、とくに四月二八日の欄「脱税」を一日かゝつて読んだ旨の記載を捉えて、被告人の犯意を認定している。

一、右手帳は住友銀行が、昭和三二年用に配布したもので、一二冊一二四丁差押顛末書によると、昭和三二年七月三一日に被告人の所持品中から押収したとある。更に右手帳の五枚目には「昭和三二年日記」と印刷してある。又、附録の年齢早見表最末尾の昭和三二年生まれの年齢が○と印刷してあることから、その記載内容は本件所得年度昭和三〇年の二年后の昭和三二年四月二八日に書かれたものである。

二、右書物「脱税」の出版は本件の二年后の昭和三二年二月五日で、その内容も脱税の手段、方法の教科書ではない。

国会図書館蔵書目録第二編社会科学の五七四頁右欄下より一四~一七行によると、右「脱税」の本は次のように記載してある。

谷山治雄著編、東洋経済新報社昭和三二年発行、一七二頁、-税金の天国、地獄物語-「日本の税金」を増補改訂。

三、本件昭和三〇年の犯行を、昭和三二年に出版した本を読んで決意したとする認定や、昭和三二年度の日記で昭和三〇年度以前の犯意、事実を証明することは、時間的倒錯があつて証明不能である。

第二、原判決理由第一によると、被告人は昭和三〇年度の所得が四一三万二、二一七円あつたのに申告をなさず、所得税を不正にほ脱したと認定されるが、

被告人は右所得は計算上生じないと考えた。

当該年度は赤字で申告所得がない故の不申告であつて、犯意は全くなかつた。

一、(株)井善に対する抵当権付債権の譲渡損について。

原判決三八丁裏四行以下九行に於ては、被告人が梅山ように譲渡した昭和三〇年八月九日当時に於ける残債権額は元本一、六四二万五、〇〇〇円、未収利息分は約一四〇万円(山田、新阪神産業(株)名義分を含む)と認定した。

即ち、被告人らが、梅山ように譲渡した債権金額は、貸付元本一、六五二万五、〇〇〇円のうち、一、六四二万五、〇〇〇円と未収利息分約一四〇万円とであるとされ、その合計額を当時に於ける残債権額と認定した。

(一) 被告人分として、弁八号根抵当権設定契約公正証書に基く弁二六六号写真撮影顛末書(三冊三〇〇~三五八)の順位第四番根抵当権付債権である、三冊二九七~二九九丁に記載の小切手及び手形四四通、額面合計一、〇〇二万五、〇〇〇円(判決三九丁表一~六行)。-書証、弁一四号の内、承認書と題する書面及び、弁一三号の抵当権付債権譲渡通知書(二五冊三二三~三二七丁)。

(二) 原判決が認定した新阪神産業(株)の分として、弁九号抵当権設定金銭消費貸借公正証書に基く金三五〇万円の元利金(二五冊一二八丁~一三四丁)。-書証、六冊一七三丁おぼえと題する書面の(イ)同社名義抵当権付の同額の債権(弁一四号のうち、承認書及び停止条件付代物弁済契約証書、弁一二号供述調書、弁一三号同社より債務者宛抵当権付債権譲渡通知の書留内容証明郵便)。

(三) 原判決が認定した山田分として、弁一〇号抵当権設定金銭消費貸借公正証書に基く金三〇〇万円の元利金、即ち、六冊一七三丁おぼえと題する書面の(ロ)同人の同額の抵当権付債権に該当する。

-書証、二五冊三二八丁~三三四丁。弁一三号同人の抵当権付債権譲渡通知書、弁一四号のうち、承認書及び同人宛借用証書並びに代物契約証書。

(四) 以上(一)ないし(三)の当該抵当物件、符五号の一六、弁二五三号

名古屋市中区針屋町四丁目一二番地

家屋番号 第二〇番の一

木造瓦葺二階建店舗 建坪九〇坪四合五勺

二階三五坪八合五勺

他一棟、土地五筆

<省略>

<省略>

二、他方、原判決三七丁裏末尾行以下三八丁裏三行に於ては、右債権の譲渡価格は合計金一、三〇〇万円(三冊二六八丁~二七七丁)、手取額は合計金一、二〇〇万円と認定される。

判示の利息約一四〇万円は別にして、貸付元本一、六五二万五、〇〇〇円のうち、原判決認定のように、梅山ようの譲り受けた被告人他二名の当時の抵当権付残債権額が一、六四二万五、〇〇〇円であつたとしても、手取額が原審認定のように金一、二〇〇万円とすれば、計算上、右抵当権付貸付元本のみでも合計金四四二万五、〇〇〇円の譲渡損が生じる。

つまり、昭和三〇年度の被告人の所得額が、仮りに、原審認定のように金四一三万二、二一七円あつても、右譲渡損失額は所得額を約三〇万円超過し、被告人は赤字で申告の必要はなかつた計算となる。

三、本件債権及び本件物件に関する一切の権限は昭和三〇年八月二四日(株)丸栄に金七、五〇〇万円で、梅山ようから譲渡されているのであるから、被告人が自己の現存債権をはるかに下廻る対価で、これをあえて譲渡するということは経済人として到底考えられないところである旨判示して、被告人の右譲渡差損金を認めない。

が然し、

(一) 梅山ようは(株)丸栄に対して、本件債権及び本件物件に関する一切の権利を七、五〇〇万円で譲渡したのではない。

判示の如く七、五〇〇万円で(株)丸栄に譲渡したものであれば同人は(株)丸栄より当該七、五〇〇万円を取立て得た筈であるが、三冊二八八丁以下の和解調書の第一によると、同人は(株)井善中店及び村瀬徳朗の為に(株)丸栄は同代金を支払い、同和解条項第二によると、同人は被告人らより譲受けた債権の約定代金一、三〇〇万円を差引き受領し、残額六、二〇〇万円は村瀬徳朗が本件物件の代金として受取つておる。(三冊二九〇丁)梅山は右一、三〇〇万円の他に、一〇〇万円を附加して(株)丸栄より受取つただけである。(同和解条項第三項)

(二) 右七、五〇〇万円は本件土地建物の所有権を(株)丸栄に移転し、其旨の登記手続及び現実にその引渡しをなすことを条件とした(同和解条項第一)、実質は本件物件の売買代金額である。

梅山実明と(株)丸栄との間に於て、本件の債権譲渡に関する契約に附帯して為した特約三項に明らかなように、宅地建物を現に占有していた(株)井善中店、村瀬徳朗、福徳合資会社、村瀬弘子ら居住者の立退料他、抵当権抹消に要する費用等を含めた本件物件の売買金額である。(六冊一六八丁(株)丸栄経理部長取締役後藤朝守上申書第一項)即ち、新阪神産業(株)及び被告人並びに山田松太郎より、梅山ようが譲り受けた一切の権利を、(株)丸栄に譲渡し、(株)井善中店及び村瀬徳朗の両名は、代物弁済を原因として、右権利の対象である本件不動産の移転登記をし、福徳合資会社及び村瀬弘子らはその占有を解いた。

(三) 市街地に於ける不動産売買の実体は、借地借家法の制定以来、居住権者の権利が年々高くなり、その不動産対価の二割乃至三割を所有権者が、残余の八割乃至七割を占有者若しくは賃借人が受取るのが実状であり、判例もこうした実状を支持していることは具体例を示すまでもないであろう。本件の場合に於ても、福徳合資会社、村瀬弘子らの賃借人の存在を考える時、上述の実状からみて、被告人らが譲渡した債権譲渡額は、判示のいうような経済人として考えられない数額ではないのは自明である。

(四) 三冊二六九丁契約書に綴込の本件不動産登記簿謄本に記載の左の差押を解除しなければ、移転登記手続は出来ない筈である。

1.昭和二八年一一月五日付名古屋法務局不動産受付第二九八九六号の昭和二八年一〇月一七日付市税滞納処分に因る名古屋市の差押。

2.昭和二九年四月九日付同法務局受付第一〇九四四号の同年四月七日付市税滞納処分に因る同市の差押。

3.昭和二九年五月一日付同法務局受付第一三四四七号の同年四月一五日付市税滞納処分に因る同市の差押。

4.昭和二九年一一月一七日付同法務局受付三四〇〇三号の同年一〇月二〇日付市税滞納処分に因る同市の差押。

5.昭和三〇年三月一九日付同法務局受付第六八八八号の同年一月一〇日付市税滞納処分に因る同市の差押。

6.甲区欄に、名古屋法務局昭和二五年一〇月一〇日受付第一六四五号の昭和二五年一〇月五日付売買予約を原因とする順位二番の移転請求権保全の仮登記。

権利者 名古屋市南区六条二ノ一七 高田磯

(五) 乙区欄には被告人らより先順位の抵当権者として、左の者達の抵当権設定登記がしてあつた。従つて、七、五〇〇万のうちから、これらの債務の履行をして、抵当権設定登記の抹消をしなければならなかつた筈である。これらの者より、弁二六五号の抵当権実行のてき除通告もあつた。

順位一番乃至四番(株)富士信託銀行に対する合計七〇〇万円

順位五番 大蔵省に対する滞納税金

順位六番及び七番名古屋市信用金庫に対する合計四〇〇万円

順位八、一、十四番日本麦酒(株)に対する合計九五〇万円

(六) 担保物件の価格が債権額以上であることは普通であつて流通性に重点をおく実経済社会に於ては、本件のような指名債権(倒産会社の)を額面で買い取つてくれる人が仮りにあるとすれば、各種ローンや売掛債権を集金人を傭い、交通費を支出して取立てる者はない筈である。

六冊一六八丁(株)丸栄の上申書によると、本物件の所有者(株)井善中店、村瀬徳朗は事業不振、世評よろしからざる様子でしたので、かゝる所有者から直接買入れることは、後日何らかの紛争を生じる恐れもあることですから拒絶した云々とある如く、債務超過会社の物件については、トラブルはつきもので、弁一一号判決の如く本件も訴訟になり、被告人らも被告となり、弁護士に報酬をとられ、実質手取譲渡金は、原審認定の合計一、二〇〇万円より、更に、これらの費用たけは減つておる。こうした債務者の低い信用度や予期され得るトラブルの為め、倒産会社の債権は例え担保付であつても、現実の債権額をはるかに下廻る対価で、即ち、債権の半額以下で取引されているのが現実である。

(七) 本件の譲渡対価一、三〇〇万円は判示の残存債権元本一、六四二万五、〇〇〇円に対して、約二割下廻ることになるが、これら被告人らの譲渡希望価格一、五〇〇万円(額面から約一割引としたのは訴訟代理人に支払ねばならない着手金、旅費、日当、印紙、タイプ料等の訴訟費用や執行費用をみたからである)に対して、本件の譲受代理人梅山実明が債務会社は沢山の借入金があり、裁判で何年も後に貸付金を回収するよりも、早く回収して儲うけた方が利益だから、半額にせよという主張と折り合つて協定した対価だつた。

(八) 昭和三〇年当時(株)井善中店は資本金一〇〇万円で、借入金が三、〇〇〇万円位あり、毎月利息のみで一〇〇万円位必要であつた。(名古屋地裁原本番号昭和三八年第七一号の一速記録五五四丁~五五九丁)他に商品の買掛未払債務金が千五、六百万円位あつた。(同速記録五六四丁)

同会社及び村瀬徳朗の両名共に銀行取引停止処分をうけた。(同五六八丁及び三冊三〇〇丁~三五八丁、符七号の六)土地建物の福徳合資会社に貸渡し、旅館、料理店営業を廃止し回収の見込みが立たなかつた。以上(一)~(八)に於て明らかにしたように、判示の経済人として到底考えられない譲渡価格云々こそ、実経済社会の実際的動きを知らないものと云わざるを得ぬ。

四、原判決三八丁裏二行以下によると、三冊二六九丁以下の契約書と題する書面によつて、貸付者の名義の如何を問わず、右両者を連帯債務(保証)者とする残債権全部を、梅山ように譲渡したとみるべきである旨判示されるが、被告人らが取引した抵当権付債権は、右契約書と題する書面に添付した「昭和三〇年六月二七日付名古屋法務局認証の登記簿謄本」に記載の不動産に対し、被告人、山田、新阪神産業(株)が各自に有していた抵当権付債権並びに停止条件付移転請求権等の仮登記上の各権利を一括して評価した売買取引であつて、右登記謄本の抵当権付債権以外の債権については、当初より、譲渡契約も、譲渡通知もしていない。(弁八~一四号、六冊一七三丁~一七八丁)原始債権者のまゝであつた。即ち、根抵当権設定後、手形割引の方法で被告人が貸付けた債権である手形は、全部同人に引渡したが、弁証一四号の承認書及び、代物弁済証書と題する両書面に記載の昭和三〇年二月一〇日の根抵当権設定以前の左の債権は、同人に譲渡はしていない。そして債務会社の倒産により、その全額が回収不能になつておる。

(一) 弁証二六四号公正証書(公証人堀内済第七九七二四号)による昭和二九年一二月九日付被告人、(株)井善中店間の無担保貸付金一〇〇万円

-押収にかゝる符五号の六(検一一五の六)及び符五号の三七の念書を差入れしめて、昭和三〇年九月三〇日まで返済を延期中であつた被告人の債権。

(二) 押収にかゝる符四号公証人佐藤重臣作成の第八三二三〇号公正証書及び符五号の八並びに同号二九の送達証明書に基く、昭和二九年一一月二九日の貸借金一〇〇万円、新阪神産業(株)の債権。

(三) 押収にかゝる証四号(検一一四号)のうち、昭和二九年二月二七日付金銭消費貸借公正証書及び山田松太郎宛一〇〇万円の受領証並びに昭和三〇年七月五日付大阪中央郵便局イ一五八号山田松太郎より村瀬徳朗宛の内容証明郵便等に基く山田松太郎の一〇〇万円の債権(第一一回公判村瀬徳朗証言調書三冊一五三丁、一五四丁参照)

(四) 押収にかゝる符四号のうち、公証人佐藤重臣第八三二〇七号公正証書及び金九八万円の受取証に基く昭和二九年一一月二六日付金九八万円の中尾正三の貸付金債権。

(五) 押収にかゝる符四号(検一一四の二〇)小切手一通(昭和三〇年二月七日付先付小切手)に基く昭和二九年六月二一日に現金で貸付(村瀬徳朗証言証書三冊五六丁、六〇丁)けた、抵当権設定前のため、抵当権付の債権に当らないと考え、梅山に譲渡しなかつた被告人の債権。

五、判決三八丁裏末尾三行以下三九丁三行に記載の「(株)井善中店の債権に関する手形、その他の書証は全部引渡済」の附言の意味は、当該契約書に添付の不動産登記簿謄本に記載の抵当権付の債権に関するものに限るものであつて、この前提を欠く債権は含んでいない。(弁八~一四号)前記四、の(一)~(五)の書証をご検討願いたい。

要するに、被告人としては、昭和三〇年所得年に於て、これらの(株)井善中店関係のみで、被告人の所得金計算は、前記抵当権付債権の譲渡差損金、元本差損四四二万五、〇〇〇円と未収利息差損一四〇万円との合計五八二万円余及び、前記四、の(一)~(五)の合計四一八万円の貸倒債権のうち、被告人名義の一二〇万円との総計金七〇〇余万円他もの赤字となり、計算上当該年度の申告の必要はないと考えた。

第三 原判決理由第一によると、金融業につき、貸付取立等に際しては、新阪神株式会社など他人名義を使用したり、他人名義の銀行預金をする等の不正手段を講じて所得の隠匿を図つた旨認定されるが、

一、右判決理由の新阪神株式会社の法人名義の貸付金は二七冊同判決書別表1.金融業の本件債権者中には全然ない。従つて同社名で毛厘も取立をしたことはない。

二、原判決書に挙示される証拠の標目及び、同補足説明欄に記載の書証中には、新阪神株式会社の七字で表現された社名の債権者の貸付、取立は全然存在しない。金融業の所得は利息であり、利息は元本から生じる故、同法人名義の貸付金がなくては、その利息の取立は不能である。

三、昭和三〇年度の利息所得金として原判決が認定した四一三万二、二一七円のうち、何程の金額を、同名義で、誰人から、被告人が取立たとされるのか、具体的に数額は判示していない。

四、被告人は税を免れる目的で他人名義を使用したのではない。名義人の元本を被告人が媒介した場合にのみ、債権者の名義が被媒介人の名義とされたゞけのことである。その本人が貸付た貸借取引を、被告人が他人名義で貸付たと誤認されたのであつて、被告人には全く犯意はなかつた。

五、被告人が他人名義を使用して貸付れば、元本及び利息は被告人に帰属しないといつた不都合が生じ、被告人自らは元利金の取立が不能となり、債権者の瑕疵を求めている債務者に自ら口実を与え、貸付金を踏倒される結果を招くことになる。

六、課税所得金の計算上、支払利息は必要経費として認められるため、殆んどの債務会社では、利息支払いの際、担当者はその受領証を要求し、通常、利息と引換えに受領証書を徴するが、被告人が他人名義を使つて取立てたとされる元本又は利息の当該受取証書は証拠のうちには存在しない。

七、利息は元本から生じ、金融所得は利息である。その所得税を免れる目的で他人名義を使用して貸付はしない。というのは、通常、債務者に貸金の返済を迫れば、彼等の多くは、口実をもうけ、或は、借金にケチをつけて、容易には、返済をなそうとはしない。若し、被告人が他人名義を使用して貸付ければ、元本の借入を否認される口実を自ら与えることになり利息に対する税金を免れる手段が、返つて利息債権処か、貸付元本さえ、取立回収を甚々しく困難にする結果を招くことゝなる不都合が生じる。

第四、原判決二一頁裏一、二行によると、被告人は税を脱れる目的で、森下都名義(以下同女と略称することがある)を使用して貸付け、取立をした認定をしておるが、被告人は当該所得を免れる目的で同女名義を使用して、貸付け、取立た覚えはない。本件の二〇年も以前に、被告人が同女に財産分与した同女の所持金を、同女の名義で、一部、貸付けの媒介をしたことがあつたので、それを、被告人の原資とみた誤謬で、税を脱れる犯意はなかつた。

一、(有)藤為工務店、大信産業(株)に同女が貸付けた原資は、本件の数年前から、同女名義で銀行に預入れられていた預金総計九、九三二万五、〇四七円の一部に当る。このことは池田銀行梅田支店の証明書(元帳写し)のうち、左の同女の預金によつて明らかである。

八冊二〇二~二〇三

当座

自二九、 六、二五日

一二、八三三、六一〇円

至二九、 九、 二日

〃 二〇四~二一六

自二九、 九、 二日

五〇、三三八、四三七円

至〃 一二、三一日

〃 二二六~二二七

通知

二九、 二、二七日

一、八〇〇、〇〇〇円

〃 二二八

当座

自二九、 三、一七日

一二、五〇〇、〇〇〇円

至二九、 七、 九日

〃 二二七~二二九

自二九、 七、 七日

一九、二五六、〇〇〇円

至二九、一〇、二五日

〃 二三四丁(4)

通知

〃 六、二六日

二九七、〇〇〇円

〃 〃

〃 九、 二日

二、三〇〇、〇〇〇円

二、右両会社に対する同女の貸付利息は元本と共に貸倒れ、実際には取立をしてない未収利息債権である。当該元利支払いのために振出された受取人森下都宛の手形は不渡りとなつて支払担当銀行に於て受戻されず債権者の手中にある。つまり右利息を取立た証明はない。換言すれば、右両会社の手形の支払場所になつている銀行が、右手形の支払をした証明は存在しない。

同女の元本から、被告人の利息が生じようとは知らず、同女の所持金は同女のものと確信し、同女を債権者として(有)藤為工務店に媒介をして、貸借取引を成立させたのみで、他意はなかつた。

私は、当該所得を免れるために、同女名義を使用した覚えはない。仮りに、右所得が私の課税所得に相当するとしても、一般的にみて、現金を貸して、紙屑のようになつた不渡手形を受取つても、それが申告所得に当るとは考えられず、然も前記のように、同女の元本から私の所得が生じ、申告の対象になるとはつゆ知らず全く犯意はなかつた。

三、同女の貸付元本から、私の所得が生じた理由を、判決二〇頁裏四行以下で、同女は被告人の(夫婦生活は引続き持続し)内妻で、被告人の大阪の営業所に於て、被告人と同居していた点を挙示されるが、私は昭和二二年春頃、同女と長男正三には末尾添付登記簿謄本の建物の他に財産分与をして夫婦生活も断絶した。爾来被告人は大阪、東京で生活し、同女は豊川で長男と共に暮し、被告人とは別居していた。

四、昭和二七、八年頃、長男正三に右大阪の営業所の建物を分与し、引渡して、被告人は同市大開町に、後に同市桑津町へ移転したから、判示の営業所では同女と同居したことはなかつた。従つて、同女は、原審判示の大阪の営業所に於て、被告人の同居人として、住民登録したことはなかつた。同女は豊川市より引続き大阪市でも長男正三の同居人として住民登録されておつた。

原判決のように、被告人は同女との間に二七年間余もの夫婦生活はなかつた。現在も、当時も、同女を家族の一員とは考えないし、なかつたから、仮りに、同女の所得があつたとしても、私は同女の所得につき、申告する必要はないと考えたまでゞ犯意はない。

五、同女の所得が私に帰属する理由として、同女や長男正三が貸金業の届出をしていないことを挙示されるが、私は同人達に業としての金融を勧めたことはない。同人達は、私が分与した建物、預金、株式の配当等で、普通の生活を維持出来た筈であるし、大阪に移つて不特定多数の人を相手に貸金業を始めたとも思われず、私は届出を同人らに勧告しなかつた。

唯、被告人が彼らに自己の財産を分与したこともあつて、彼らの財産状態を熟知していたこともあつて、特定の会社又は個人に融資すべく媒介したことはある。

金融業の届出の有無で、当該貸借の債権者が変動したり又は手形の引換証券性が失われるとも思われない。

六、大信産業(株)の貸付について

(一) 同女名義を使用して被告人が貸付けたと認定されるが、大信産業(株)の貸付元本一一〇万円につき、弁証二〇六、二〇七、二〇八号の金銭消費貸借公正証書三通の作成に際し同女は債権者として公証人役場に出席しておる。

又債務会社の代表者二神卯太郎は、右弁証二〇六号の証書によると、個人で会社と連帯して債務を負う契約を同女に対して特約しておる。被告人の私に対してゞはない。のみならず、同社では、手形の受取人を全部同女宛にして振出しておる。(弁証二二二号~二三五号の不渡手形一三通)被告人宛にはなつていない。

(二) 右債務会社の支払利息について

会社元帳に相手方を「中尾」として記載していたとかいわれるが、同元帳はもとより、当該被告人の受取証書すら証拠物中にはない。その上、支払つたと認定された手形は同女より借り受けて私の手中にある。

二冊四九二丁二神卯太郎証言調書によると、同証人は、右「中尾」とは被告人の初二さんというのか、息子さんやら知らないです。税務署の人がおつしゃるから、あの人が初二さんかなというふうに考えた旨供述している。同調書の四九八、五〇三、五〇四丁を、ご検討下されば、「中尾」は被告人ではなく長男の正三に当ることになる。

七、(有)藤為工務店に対し、同女名義を使用して貸付けたと判示されるが、

(一) 同女自身が債権者として、公証人役場に出向いて、弁証一九七乃至二〇二号の金銭消費貸借公正証書五通を作成しておる。

(二) 債務会社同工務店の代表者藤為敬司は、右債権について同女に対し、個人で連帯保証人になる特約をしておる。

(三) 手形振出しに関しても、同人は個人で同債務会社との共同振出人になつて振出しておる。

(四) 当該手形金の受取人宛名はすべて同女となつており、被告人にはなつていない。

即ち、弁証一八三乃至一八九、弁一九六、弁二一一、弁二一二、弁二一四号の約束手形はすべて受取人が森下都宛になつておる。

(五) 同女が本債権の債権者であることは、藤本敬司も心得ており、弁証一八三の一、弁一八四の一乃至四、六、九、弁一八六の一の右手形代金受領証を自筆で、同女宛にしたゝめ、実印を押捺し、同女に差入れておる。

(六) 同人及び同会社が右借入金を被告人から借りたものであれば、同女宛に右受領証を差入れる訳がない。

(七) 右手形の支払期日に至つて、書換え利息を元本に加えた弁証一八三の一、弁一八五、弁一八九、弁一九三、弁二一一の五、六、七、弁二一四の九の各手形の受取人も同女宛になつておる。

(八) 支払利息手形弁証一九〇乃至一九二、弁一九五、弁二一一の三、四も同様で被告人宛ではない。

八、右貸付元本の返済を求めたり、利息債権を取立てることは被告人の私では、債務名義を取り得ないから不能であり、第一、右森下都の元本から私の利息が(所得)生じるとは思いもよらぬことであつた。右利息を同工務店は現金で支払つたことは一回もなく、全部手形に利子を書き加えた約束手形の支払いであつたことは、前項記述の弁証によつて明らかであり、従つて、当該手形を支払担当銀行が支払期日に支払わない限り、利息債権を取立てたことにはならない。処が、前項弁証通り、同工務店は一度として決済をしたことがなかつた。よつて、被告人は勿論、同女にも利息所得が生じた筈もないし、脱所得税の犯意もなかつた。

第五、原判決別表一に於て、大信産業(株)より金一四万二、五四五円の利息を、同女名義で被告人が取立てたと認定しておるが、被告人は、これを取立たことは全くない。

仮りに被告人「貸」三七~三九の通り貸付けたとしても、弁二〇六号乃至二〇八号公正証書、弁二二二号乃至二三五号の手形合計金一七五万円の支払を被告人は、不渡りの事実が示す通り受取つていないから、差引金一六〇万七、四六五円の損失となり、これについて、無申告の犯意がなかつたのは計算上、明らかである。

一、証拠として挙示せられる「貸」三七~三九丁によると、借付元本及び実際収入利子欄には天引の記載はなく、弁証二〇六、弁二〇七、弁二〇八号公正証書の二条によると、右利息の支払時期は「元本の返済と同時」と特約してある。つまり天引で利息を取立てる特約はしていない。又、同公正証書一条には、債権額全額を同会社は借り受けた旨も認諾してある。だからこそ、判示の右一四万二、五四五円に対応する私の同女名義を使用して大信産業(株)に差入れた筈の受取証は、証拠物件中には一枚も存在しない。原審判決は当該利息金を何によつて、取立を認定したのか不明である「貸」三七~三九丁については、被告人は証拠の同意をしていない。従つて、仮りに「貸」に記載してあつたとしても、被告人が取立てたことにはならないし、検察官の単なる主張もしくは伝聞に過ぎないと考えられる。

二、実際には収入し得なかつたのに、大信産業(株)より被告人が森下都名義を使用して取立たとした原審判決に基く不渡手形一覧表

<省略>

<省略>

右一覧表の最下欄に記載の利息額三万八九、五五〇円と、最上欄に記載の弁証の各手形金一二八万五、〇〇〇円とを、森下都名義を使用して私が取立て収受したと原審では、判断されている。然しながら、右元本金を、私が取立て収受した事実の証明は、挙示の証拠中には存在しない。即ち、

三、二冊二神卯太郎証言調書(昭和三六年八月二三日)では、右証明は不能であり、特に、三四一丁、三四二丁によると借入元本返済欄は全部空欄となつており、当該手形を受戻した旨の上申をしていない。つまり、借入金の返済については全部がブランクで、弁証した日時の記載は全くない。

四、池田銀行梅田支店の証明書八冊の何処にも、右当該手形金を支払つた記載はない。同行支店は当該手形の支払担当銀行ではない。従つて、同行で右手形金を支払う筈が法律上あり得ない。

右手形金の振出し人大信産業(株)が指定した手形金の受取人は、総べて森下都であつて、被告人の私ではない。

右債務は、その履行に当つては手形と引換えでなければならない手形債務と化していたのに、手形の引換証券性、受戻証券性を無視して、原審判決は被告人がこれを取立たとしておる。(二七冊五〇〇丁裏)、一部支払の場合でも受戻しに代る措置がとれる(手形法三九条、七七条)が、その形跡は全然ない。

手形の呈示、受戻証券性は法律上明定され、債務会社では、手形と引換えでなければ、その履行を拒否出来た筈でもある。

一五冊被告人の銀行出入金調査結果調と結びつくものに、検察官が「貸金」「預金」のゴム印と丁数とを欄外に、押捺記載して表示したという一五冊のそれも、被告人が取立たとされる右判示の利息金及び元本については、同様に記載が全く見当らない。にも拘らず、原審判決では、「貸」三七、三八を三九丁の記載通り回収した旨認定しておる。

第六、(有)藤為工務店に対する貸付を、被告人が森下都名義を使用した貸付けと看るならば、課税所得金計算上、貸倒れ損金八百万円を、昭和三〇年又は三一年度の貸金業に伴う必要経費の損金に計上して、算入していない誤認がある。

一、同工務店は弁二一九号の通り、昭和三一年一二月二〇日破産宣告を受け、それ以前にも弁証二一三号約手の符箋の通り支払銀行池田銀行本店より不渡処分を受け、銀行取引停止処分の結果として、取引を解約され、税法上、貸倒れの損金に算入し得る形式の理由があつた。

二三冊五二丁以下の計算書に書換えたとされる「貸」四一以下の同工務店が森下都を受取人として振出した、利息を含む約束手形二六枚(弁一八一乃至一九七、弁二一一、弁二一二、弁二一四の九、弁二二〇、弁二二一、後出の第一、第二目録不渡手形)全部が不渡りとなり、支払われてはいない。

にも拘らず、二三冊五二丁以下の計算書によると、Cと記載マークした右手形金額の記載があり、これら全部を支払済と認定されておる。然し、押収にかゝる左の同工務店の帳簿(証拠物)には、原審認定の同工務店より被告人が取立てた貸金元本又は利息の支払に対応する記録はない。

符一七六、一七八号金銭出納帳三冊及び、符一七九号銀行勘定帳には、右計算書のCに対応する支払の記帳は全然ない。

例えば、

(一) 右計算書五二丁四行に記載される七月七日金二二〇万円Cを回収した旨判示されるが、右帳簿には之に対応する出金の記載はない。

(二) 弁証一八九号約手二二四万四千円の手形には、右計算書三行目に記載してある六月二二日付四万四千円の利息相当額を取立て、手形の一部を履行した旨も、七月七日二二〇万円を支払い履行した旨の記載もない。又、右手形の受戻しに代る措置をとつた形跡も存しない。

(三) 右帳簿によると、原審で認定した被告人の債権元本又は利息の支払は〇銭である。例えば、右計算書五二丁一行には四月二二日二〇万円、同三行には六月二二日四万四千円実際の収入利子があつた旨記載してあるが、同帳簿では証明不能。原審で認定した右出金は〇銭で記載がない。空白となつている。

(四) 手形の引換証券性は明文化されており、同工務店は手形と引換えでなければ、当該手形金の支払は拒否出来るし、又、被告人が当該手形金の支払をうけて受取つた旨の領収証又は、それに代る証拠も存在しない。

右不渡手形の支払担当銀行池田銀行本店では呈示され、支払えば必ず、当該手形との引換を要求する。同工務店振出手形の支払担当銀行は、総て池田銀行本店である。これは弁証の各号の手形及び、これに対応する符一八〇~一八四号手形控五綴によつて明確である。他の支払場所の手形はなかつた。金融機関を支払担当者とした手形は、通常手形交換所で呈示し、引換えに決済するが、弁証の各手形は、いずれも交換払を取消した附箋がしてある。池田銀行本店が受戻して支払つた手形は一枚もない。全部不渡りである。

(五) 検察官は一二冊一三四丁領置目録番号一〇乃至一三財産勘定及び損益勘定の総勘定元帳を押収しながら、証拠の取調請求をせず、その基となる森下都又は被告人を相手方とする借入金についての元帳の提出がない。つまり、原審で被告人が取立済と認定された手形支払による財産変動を記録し、計算して、その結果を明らかにする特種元帳の提出はなく、総勘定元帳はあつても証拠の取調請求がなされず同帳には原判決で認定された手形金取立について、本件の金銭移動を証する記載は全然ない。

二、右検察官提出の計算書六〇丁最下段の行に、最終的には代物弁済で元利金を回収したとあり、之を鵜呑みにして判示されるが、後出のように、代物弁済を原因として不動産を、被告人が取得した事実はない。代物弁済をしたという当該不渡り手形、弁証一八七の一、二、弁二一一の七、弁二一三の一計四通が、同女より借り受け手中に存在する。これらの不渡手形金の取立をした証明は挙示の証拠中には存在しない。

三、原判決に挙示される右手形の決済を認定した証拠の符一八〇乃至一八四手形控五綴は同工務店が、計算書に記載の借入れ又は利息の支払い、或いは書換え等のために、受取人森下都宛、池田銀行本店払いの手形を振出した事実を証明するのみ。これらの手形を支払担当の池田銀行本店が支払つた事実を証明し得るものではない。これらの手形は全部不渡りとなつて、前記二、のとおり森下都の手中にある。

四、債務会社が振替伝票を起すことで手形債務を履行した法律上の効果が生じるものであれば、誰れもその支払いに苦労することはない。しかも、判示の符一八五~一九三振替伝票九綴中には、被告人又は森下都を相手方とした科目の伝票は一枚も存在しない。前出の不渡り手形及び弁証一九八~二〇二号金銭消費貸借公正証書の合計債権額八二〇万円の債務を同工務店が弁済した当該伝票及び前記二の代物弁済に該当する伝票も存在しない。

五、「貸」四一~四五丁、六三丁は債務者に面接して取調べたものではなく(二四冊竹市肇証人調書)被告人不同意の証拠である。一四冊藤本敬司の検面調書も不同意の書面である。例え、債務者が支払つた旨ウソの供述をしたとて、法律上、手形債務の履行は手形と引換えない限り、支払の効果は発生しない。

第七、原判決別表1二枚目(有)藤為工務店の収入利息の証拠の標目及び、補足説明(1)内訳、最高裁判所判例に基く収入利息計算書(二三冊)別表第一目録の利息を被告人は森下都名義で、同工務店より天引して、取立てゝいない。同女名義で取立てる犯意もなかつた。右債権は、同工務店の代表者藤本敬司が同女からの借入れと認めた、同女の債権で、被告人の債権ではない。

第一目録

原判決別表1の(有)藤為工務店の利息一〇八万七、〇九一円の内、森下都名義を使用し、天引したとされる利息一覧表

<省略>

右最下欄の反証は、債務者が自署の上、印鑑証明書(弁証一八三の二)の印を押捺してある債権額全額の領収書。この領収書について、被告人の要求により、天引分を控除しないで貸付額全額を領収した旨書いたとする原審判示のような人証は存在しない。

一、右説明(1)に於て、被告人が反証として提出した領収証は、上記各証に対比して考えると、被告人の要求により天引分を控除しないで、貸付額全額を領収した旨を右領収証に記載したものとみることが出来るので矛盾しない旨判示されるが、被告人は右要求をした覚えがない。挙示される原判決証拠中には、これを裏付けるものは存在しない。

(一) 藤本敬司の証言調書(二冊)及び同人の検面調書(一四冊)には、右弁証一八三の一、弁一八四の一乃至四、六、九、弁一八六の一の各受取書は被告人の要求により、債務会社の代表者又は個人として、森下都宛に差入れた旨の供述は全くない。

(二) 押収にかゝる右工務店の金銭出納帳符一八六~一八八の三冊及び符一七九銀行勘定帳によると、右天引利息に対応する同女名義で、同工務店が利息を被告人に支払つた記載はない。

(三) 右受領証書八枚は全部、藤本敬司が自身で書き、弁証一八三の二の印鑑証明書と同じ印を捺し、宛名は全部、森下都殿と書かれ、同人が同女より受取つた旨を認めている。

(四) 又、右受取金額について、被告人の要求によつて、右利息の天引分を控除しないで、貸付額全額を領収した旨、右領収証に記載した旨を、証人藤本敬司は供述していない。

(五) 原審に於て、右八枚の領収証の貸借に対応する旨判示された弁証一九八乃至二〇一の金銭消費貸借公正証書第二条によると、利息の支払時期を「元本の返済と同時とする」後払いの特約条項が、同女と同工務店間に於て、締結してある。

(六) 債務者兼債務会社代表者藤本敬司は、右四件のいずれの貸借取引についても、貸借金額の全額を受領したことを、右公正証書四通の第一条で確認して、天引で利息を支払つていないことを認諾しておる。

(七) 弁証第二一一号の二森下都宛昭和三六年六月八日付念書を以つて、経過利息三五万円、元本七四五万円計金七八〇万円の元利金債務を、(有)藤為工務店代表者藤本敬司は同女に対し認諾した旨の書面を差入れておる。

四月二二日付弁証一八三の一受領証

金二二〇万円

元本額

四月三〇日付弁証一八四の三受領証

金二一〇万円

五月二〇日付弁証一八四の六受領証

金二一〇万円

五月三一日付弁証一八四の九受領証

金一〇〇万円

六月 六日付弁証一九四の一受領証

金 一五万円

合計元本額

金七四五万円

(八) 原判決が採用した二三冊の計算書の如く、二ケ月分の利息を天引しておれば、計算上、六月二二日乃至八月五日迄の利息は支払済となり、右念書の債務額は、貸付元本額の合計七四五万円のみで足り、経過利息債務三五万円を、債務者は認諾しなかつた筈である。

(九) 藤本敬司は右念書を同女に差入れ、一三冊「貸」五〇丁の弁証一九七号公正証書に基く追加分一五〇万円の借金を同女より重ねたが、この分は検察官の釈明によると、不起訴のため、二三冊の計算書に計上しなかつた。

二、原判決では債務者は同工務店の単名と認定しているが、当該各手形(弁証一八四の一、四、七、弁一八六、弁一九四の二、弁一九七)七通合計金九七〇万円全部が、同工務店と藤本敬司の連名振出しである。従つて、当該手形による借入金の全額が、必ずしも同工務店に入金されたとは限らない。

(一) 同人が一部消費しない証明はない。

(二) 原審採用の右計算書に記載される天引相当利子を、私が同女名義で受取つた事実を証する書証の提出は一通もない。

(三) 同女名義の利息の支払についての記帳も全然ない。

(四) 同工務店に借入元本の入金がないとて、直ちに、利息相当額を天引で被告人が、同女名義で取立てをしたことにもならない。

三、仮りに、原判決認定のように、合計貸付額金九七〇万円から利息計六二万九、三四八円を天引し、残余の九〇七万〇、六五二円を貸付たとしても、その天引利息を含む九七〇万円の当該手形は不渡りとなり、全額が貸倒れ、弁証として提出されておるのに、(弁証一八九、弁一八四の一、弁一八四の四、弁一八四の七、弁一八六の二、弁一九四の三、弁一九六)原判決は二三冊の計算書を援用して、右手形は履行され、右天引後の元利を取立たと誤認しておる。実体上は、右天引利息分相当額計六二万九、三四八円の貸倒債権額の合計が減るだけのことで、課税所得の発生する余地はないことゝなる。

四、原審で挙示された証拠である藤本敬司の証言調書(二冊)及び同人の検面調書(一四冊)には左の供述はない。

(一) 右計算書五二丁実際収入利子欄一行の昭和三〇年四月二二日付で、被告人に利子二〇万円を天引された事実及び同計算書同丁三行目六月二二日に四万四千円を被告人に支払た事実。

(二) 被告人の要求で、森下都宛に利息を天引しない全額の借入金受取証を書き差入れた旨。

(三) 同人若しくは同工務店が弁証一九〇号額面四万四、〇〇〇円及び同一八九号額面二二四万四、〇〇〇円の各手形の支払をした旨。

(四) 計算書四行の七月七日二二〇万円Cを現金で被告人に支払つた旨。その受取証も存在しない。

五、押収にかゝる符一七六乃至一七八の金銭出納帳三冊及び符一七九銀行勘定帳に、右計算書に記載の支払に対応する記録は全然ない。符一八五~一九三の振替伝票九綴中には、当事者森下都若しくは被告人を相手方とする勘定科目の伝票は全然ない。

一二冊一三三丁領置顛末書によると、この伝票に基いて記録された帳簿である目録番号八、九手形受払帳及び同番号一〇乃至一三の総勘定元帳を、検察官は同工務店より押収したが証拠として取調の請求をしなかつた。同帳には、これらに対応する支払の記載がないからである。

六、右不渡り手形の支払期日に至つて、手形を書換え、その利息支払のため、弁証一九〇乃至一九二、弁一九五、弁二一一の三、四、弁二一二の不渡りの各利息手形を同女宛に、債務会社及び藤本敬司は連名で振出した。

(有)藤為工務店の手形控(符一八〇~一八四)でも、これらの手形に対応する受取人は全部、同女宛になつておる。

被告人からの借入れならば、支払利息手形の控の相手方を被告人とした筈で、同女宛にはしなかつた筈である。

又、利息を右元本に加えて書換えた弁証一八三の一、弁一八五、弁一八九、弁一九三、弁二一一の五、弁二一一の六、弁二一一の七、弁二一四の九の不渡り各手形の宛名及び、右手形控綴の受取人は、いずれも悉皆、同女宛になつておる。

これらは被告人が要求したものではない。

第八、(有)藤為工務店は、原判決の別紙内訳とされる二三冊計算書五二丁乃至五九丁第一目録に記載され、又反証として提出した貸付元本の不渡手形八通額面合計九五九万四、〇〇〇円及び、之に利子を加え書換えた不渡り手形、弁証一八三の一、同一八九、同一九三、同一八五、同二一一の五、同号の六、同号の七。同二一四の九、計八枚額面合計一、八七一万三、五二六円也を森下都を受取人として振出した。原審判決は之ら不渡手形全部を支払済と認定された誤謬がある。即ち、

一、約束手形の受戻は支払能力の要件とされるから、手形証券を受戻さないで支払つても、有効な手形の支払にはならず、手形関係はそのまゝ残ることになる。従つて右不渡り手形の履行として、原審認定のように、被告人が森下都名義を使用して取立たとすれば、債権者たる森下都に金が渡つたことになり、当然、当該手形の引換に代るなんらかの措置をする筈であるが、その形跡は全く判示されていない。

二、右手形金を回収済と認定した理由は、原判決別表一の説明(2)によると、支払済の手形が被告人の手許に存するものもあるが、このような例は、被告人のほかの取引でも見られるところであり、必ずしも前記勘定の妨げにならないものと思料する旨判示される。

(一)、手形の受戻は支払効力の要件であるから、例え、手形証券を受け戻さないで支払つても、有効な手形の支払に当らず、振出人の(有)藤為工務店は当該手形と引換えでなければその支払を拒否出来た筈である。

(二)、商業都市大阪の企業が、そのような危険負担を自ら負つてまで、判示のような決済をする筈がない。

(三) 手形の受戻証券性は法律上明定され(手形法三九、五〇七七の三)、その一部履行についてさえ、手形の受戻しに代る措置が認められておる。然るに、その措置をした形跡すらない。

三、本件金銭貸借の方法は、一ケ月又は二ケ月后を支払期日とした受取人森下都、池田銀行本店を支払場所に指定した第三者方払いの約束手形を、債務会社の同工務店の単名又は債務者藤本敬司と連名して振出し、当該手形と引換えに金員を森下都より借り受け、同女は右約手の支払期日に、池田銀行本店から支払をうけ返済金に充当する方法であつた。

(一) 二三冊計算書五二丁一行目の昭和三〇年四月二二日に、押収にかゝる符一八二号の一五金額二二〇万円、支払期日六月二一日、受取人森下都の約束手形を同社は振出して、同女より同額を借りうけた。(弁一八三の一)

(二) 処が六月二一日に至り、同工務店は資金の調達が出来ないため、当然支払場所の池田銀行本店も預金不足を理由に支払を拒否せざるを得ず、因つて、同計算書同丁二行目の六月二二日に、利息四万四〇〇〇円を右元本に加算して、額面二二四万四〇〇〇円の手形を、債務会社及び債務者藤本は振出し書換えた。(弁証一八九号)

(三) 同冊同丁四行にある七月七日二二〇万円Cを、回収したと認定し、右手形は決済々と判示される。実際に右手形が池田銀行本店に於て支払われたものであれば、同行に受戻され、受取人の同女の手中に右不渡り手形は残らない。

(四) 弁証一八九号の右手形は大阪手形交換所に七月六日呈示され、池田銀行は一旦は支払をしたが、(同手形裏面に交換払の捺印あり)同日同工務店の預金が不足して右手形金を支払えず、翌七日に、右交換支払の捺印を取消して、依頼返却の形式で返却した旨の附箋があるとおり、再交換にかけて支払を取消して不渡りとなつている。

四、判示されるように、七月七日金二二〇万円を弁証一八九号の手形の履行として支払つたとは、手形の引換証券性を無視しても、次のことから到底いゝ得ない。

(一) 池田銀行が大阪手形交換所で七月六日に呈示を受け、一旦は交換により支払い、翌日、預金不足を理由に交換を取消した。

右手形金二二〇万円を、翌七日に支払い得る資金力が同工務店にあれば、同社はわざわざ同日当該手形を不渡りにする筈はない。その金員を池田銀行本店の同工務店の当座口座に振込めば、同店は七日中に、右不渡り手形を買戻し、受戻し得た。銀行入金によつて決済すれば、同社の経済的対外信用を疵つけることもないし、手数が省け、時間がかゝらない。

(二) 二二〇万円は当時としては決して小額とはいえなかった。従つて、普通、手形と引換えに支払れるべき処であり、六日に支払われるべき手形は(手形交換所に於て銀行間では一旦交換払済になつた)、翌七日中に当該手形を買戻せば、銀行間決済となし得たのに、之をせずに、当該手形の履行をして、猶且つ、受戻しに代る念書も、又は手形代金受取証を要求しなかつたとする判示は、経済活動の実体を知らないものといわざるを得ない。

(三) 前出の押収にかゝる符一七六~一七八の同社金銭出納帳三冊及び符一七九号銀行勘定帳の一丁乃至二八丁に、右支払は記録される筈であるが、右二二〇万円の支払に対応する支払の記載はない。同工務店の商業帳簿にては、これらの支払は立証が不可能である。

(四) 債務会社の代表者で右弁証一八九号手形の連名の振出人である藤本敬司の証言調書、検面調書にも、当該手形金を支払つた旨の具体的な供述はない。当該手形債務を履行した旨を証し得る書証も、押収にかゝる証拠中には存在しない。

五、押収にかゝる符一八〇~一八四手形控綴は、同工務店が受取人森下都、支払場所池田銀行本店とした当該第三者方払いの手形を振出し、同額の手形債務を負担していた事実の証明しか出来ない。これらの手形を被告人に支払つた証明能力はない。

六、押収にかゝる符一八五~一九四号振替伝票九綴中には、被告人又は森下都を相手方とした科目の伝票は一枚も存在しない。例え、これによつて勘定科目を振替えても、当該手形の支払効力は、手形と引換えない限り生じ得ないから、不渡手形が支払済となる必然性はない。

当該伝票には、被告人の所得に関係のある署名捺印された書証は添付されていない。又、本件の貸借につき、手形の更改相殺、代物弁済等の法律上の効果を証し得るものも存しない。同社の被告人又は森下都に対する借入金についての口座元帳、財産勘定及び損益勘定の総勘定元帳(記録一二冊一三四丁領置番号一〇乃至一三)等の提出もない。

従つて、二三冊の計算書に記載の、被告人が回収したとされる支払は、同社の財産変動を記録、計算、整理した結果である同社の口座元帳からは、これを明らかにすることは不能といわなければならない。

第九 (有)藤為工務店について、原判決書三六頁一~七行によると昭和三〇年度に於ては、「貸」四五丁下より四行の昭和三〇年一二月三一日振出し翌三一年一月三一日払いの金一二七万円の約束手形の支払(弁二一一号の七)に代えて、昭和三一年七月二五日現在の残債務一二一万円について、担保不動産を代物弁済に供することにより返済された旨認定し、原判決別表一の一〇八万余円の利息を取立たとされるが、被告人は同年同月同日(有)藤為工務店と代物弁済契約を締結し、不動産を取得した事実はない。従つて、原審で認定した利息を取立た事実は存在しない誤認がある。

一、被告人と同工務店間で、昭和三一年七月二五日現在に於て当該代物弁済契約及び当該担保不動産が被告人に差入れられていなければ、代物弁済を原因として、当該不動産の提供を受け、被告人が取得することは不能である。処が、挙示の証拠中には、当該代物弁済契約の存在、担保物件の種類、面積、個数、代物弁済価格、所有者等の契約の存否を特定的、具体的にする証拠の説示はない。

二、当該不動産代物弁済取引に関し、その引渡しを受け、右代物弁済を原因とした所有権移転登記をするには、代物弁済を証する原因証書や、当該登記済証等を必要とするが、当該代物弁済契約書、当該不動産の引渡書、登記済証書又は登記簿謄本等の書証、又はこれらに代り得る証拠は押収にかゝる一件記録中には存在しない。

三、二七冊五〇二丁には、担保不動産が、土地か建物かの区別所在、面積等の特定的記載はない。又、証拠中には、代物弁済の日時及び価格についても、これを証するものはない。

一三冊及び一六冊「貸」六三丁の担保物件の記載欄は空白であり、同丁下より三行目の記載のみで、具体的に当該不動産について、代物弁済を原因とした所有権の移転があつたか否か、全く不明で証拠も挙示されていない。

四、代物弁済によつて、支払が履行されたと判示する左記手形(不渡り)が四通共同女の手中にある。

弁証

二一一の七号

十三冊

「貸」

四五丁

下より四行目

二三冊計算書

五九丁

最下行

書換

一八七の一号

六三丁

二、三行目

六〇丁

二行目

〃の二号

四、五行目

四行目

弁証

二一三 号

十三冊

「貸」

六三丁

七行目

二三冊計算書

五九丁

六行目

書換

手形の受戻証券性については先に触れた通りであり、同工務店は右四通の書換不渡り利息手形と引換えでなければ、代物弁済の目的不動産の提供を拒否し得た筈であり、或は手形との引換に代る措置もとれた筈であるが、その形跡も全然ない。

五、判示の担保不動産が特定的、具体的に記載されていなければならない筈の十三冊及び十六冊「貸」四一丁~四五丁、六三丁、十四冊四七一丁~四七六丁の藤本敬司検面調書各一覧表の見返り及び担保物件欄は、いずれも空欄で、その記載がない。

右「貸」の作成者名古屋国税局大蔵事務官竹市肇の証言調書二四冊一五六丁によると、当時調査するも、担保に該当する不動産が見当らなかつた旨供述及び代物弁済物件については知らぬ旨の供述。

一件記録には、当該代物弁済の時点に、担保不動産が存在した証明はない。又判示の被告人が同女名義を使用して当該不動産の引渡しを受けたことを証する受取書も証拠として挙示されはていない。

一二一万円と評価した担保不動産を如上のように、取得した事実はない。従つて、原審で認定した利息一〇八万七、〇九一円より一二万二、九〇九円を超過する金一二一万円相当の不渡り手形を被告人が、計算上、取立てゝいないのは明らかである。

六、同工務店が利息の支払に振出した森下都宛の手形は、全部不渡りで、そつくりそのまゝ存在する。のみならず、判示の代物弁済契約の存在については、左の如き不合理が生じる。

(一) 右代物弁済契約をなし、その履行をすれば、その日に、同社の所有不動産が減り、当該手形債務が消滅したといつた変動が生じる。その結果を明らかにするため、同社では振替伝票に右を記録、計算し、整理しなければならないが同社の振替伝票(符一八五~一九三)九綴中には、一二一万円の手形債務を履行した右昭和三一年七月二五日付代物弁済に対応する振替伝票は存在しない。

右代物弁済が現実に実行されておれば、十二冊一三四丁以下の領置目録書番号一一~一四号総勘定元帳、及び元帳同書番号八及び九号の同社手形受払帳等に右弁証手形の支払済を記帳し、右計算を記載した筈である。が押収しながら、検察官は証拠の取調すら請求していない。

(二) 債務者が現金を調達し得ない時に、代物弁済をする、だから、普通、代物弁済の場合は、債務額と物件とを同じ価格に評価、相殺して○とするのが、通例である。処が、本件の十三冊「貸」六三丁七行の弁二一三号金一四二万八、五七七円の手形金(昭和三一年三月三一日振出、同年四月三〇日支払期日、支払場所池田銀行本店、受取人森下都)の代物弁済の場合は、右「貸」六三丁八行によると、昭和三一年四月二三日金一一万円也を現金で取立たとされる。つまり、右約手一四二万八、五七七円の支払期日四月三〇日の一週間前に、一部履行として、一一万円支払い、差引一三一万八、五七七円の残債に対して、本件代物弁済により、一二一万円を支払つたとされる。従つて、計算上、一〇万八、五七七円の残債権額が残る。

(三) 手形の引換証券性については法律上明定され、一部履行の場合も受戻し措置をとれる(手形法三九条三項)ことは既に述べたが、実際に十一万円を取立て、且つ支払われておれば、通常、手形の額面を訂正して減額するか、又は手形を書換えるが、その形跡は全くない。

現金で実際に十一万円を同社が支払えば、同社の現金高が同額減る変動が生じる。その記録、計算を、押収にかゝる符一七六~一七八号金銭出納帳に記載せねばならぬ筈だが、これに対応する記録、計算、整理はしていない。換言すれば、右債務会社の支払手形金額の減少といつた変動が生じ、振替伝票に記載しなければならないが、押収にかかる符一八五~一九三号同綴中には、これに対応する伝票すらない。従つて、同社の計理上も、右支払をしたとはいいえない。

(四) 藤本敬司の証言調書(二冊)及び検面調書(一四冊)中にも、右「貸」六三丁八行の昭和三一年四月二三日付金十一万円相当の現金を、被告人に支払つた旨の供述はない。又、私が同女名義を使用した筈の金十一万円の受領証も存在しない。加うるに、右十三冊、十六冊の「貸」は被告人が同意した証拠物ではない。検察官の主張のみで、同社が右支払をした証拠は絶無である。

(五) 一三冊「貸」五〇丁に当る弁証一九七号債権者森下都、債務者藤為工務店、藤本敬司間の金銭消費貸借並びに不動産信託譲渡担保契約公正証書に基く、仮登記をなした不動産の取得は、判示の代物弁済日時昭和三一年七月二五日の一年前昭和三〇年六月八日大阪法務局池田出張所受付二二二〇号で登記済である。当該不動産の固定資産税を昭和三一年五月一日より納付日まで日歩三銭の割合で延滞金を課せられ、督促状を、同女は受けている。(末尾添付弁証号池田市役所の督促状参照)

取得原因は判示の手形債権ではなく、同法務局昭和三〇年六月八日受付第二二一八号の抵当権付債権一五〇万円であり、取得の日時、債権額が全く相違している。判示の弁済時昭和三一年七月二五日には、右不動産は債務会社の所有ではなく、判示の代物弁済には該当しない。

第十 原判決には、判決別表の(有)藤為工務店の利息一〇八万七、〇九一円のうち、左の不渡り手形七通計金五四万五、九二〇円は不履行だが、これらの取立済と計算した誤認がある。

<省略>

一、原審では、右利息の不渡り手形を支払済と認定されるが、手形の受戻証券性を無視した認定であつて、同工務店は当該手形と引換でなければ支払いを拒否した筈である。

手形の支払に当つて、当該手形の支払担当の池田銀行本店はその呈示を求め、当該手形に、額面金額を受領した旨及び、日時の記入並びに、受取人の記名捺印をせしめた上、その手形の受戻す。従つて、手形と引換えずには、金の支払は受けられないシステムとなつている。

手形交換所に於ける交換払も同様で、手形を呈示し、引換えずには、手形金の取立は不能となつておる。

二、押収にかゝる同社の符一七九号銀行勘定帳には、右不渡り手形(利息)に対応する支払の記帳はない。又、符一七六~一七八金銭消費出納帳三冊にも、右手形の支払に対応する出金の記載はない。証拠の標目に挙示してある右支払を証し得る右帳簿には、当事者の森下都若しくは被告人を相手方とする科目は見当らない。又、当該手形の受戻しに代る何んらかの措置をした形跡も、同社帳簿書証類中には存在しない。

つまり、判決に於て指摘された二三冊計算書に記載の森下都に支払つた年月日、金額、支払先に対応した記帳はない。

右支払利息は課税所得の計算上、損金として必要経費に計上を認められる。従つて、右手形債務を履行すれば、同社は記録、整理、計算して、その結果を明らかにするため記帳した筈である。

三、右は、二三冊計算書の実際収入利子欄に記載してある不渡り手形全部に当る。従つて、前出の代物弁済の手形金には関係がない。つまり、右表の二三冊計算書による金額は、支払済と判示されるが、現在も債権者の手中にある不渡り手形金額に相当する。刑訴三二一条による連帯債務者藤本敬司の検面調書一四冊四六三丁裏によると、最初のうちは、それ程借入金が大きくなかつたので、担保を要求されませんでしたが途中で借入額が増加した際に、豊中市麻田番地不詳所在の住宅二棟((有)藤為工務店名義)を差入れ、売買予約の仮登記をした旨の供述及び、同四六八丁裏に於て、破産管財人側では代物弁済の契約は担保の趣旨であつて、その売買の完結前に破産宣告をあつたから、物件を返せということで、現在裁判となつている旨の供述、即ち、代物弁済の仮登記はあつたが代物弁済の完結前に破産宣告を受けた旨の供述をし、代物弁済した旨の供述はしていない。私は勿論、債権者本人も、同社の破産を知らなかつたから、債権の申出もせず、配当も受けず、管財人より何ら弁済の否認又は、取戻し請求を受けなかつたことは末尾添付の弁証 号の通りである。

第十一、原判決理由第一、昭和三〇年度の所得税を不正に免れようと企て、金融業につき、他人名義の銀行預金をする等の不正手段を講じて所得の隠匿を図り、同年度の所得を不正にほ脱したと認定し、被告人が他人名義により銀行予金をする等して所得の隠匿を図つた点の証拠として、原判決書八頁裏の末尾行以下同九頁に銀行予金を列挙してあるので、被告人は本件の犯行によつて得た所得金を、同女名義で銀行予金した覚えがないので調査した処、それらは、本件の貸付以前即ち、昭和二九年前に、同女が同女名義で予入した銀行予金である。昭和三〇年の所得を二九年には銀行に預入れ不能だから、原審の誤認は明らかである。

昭和二九年中に預け入れた左の同女名義の銀行預金三、三二〇万円の一部が前出同女名義の貸付金の原資となつた。

二七冊

四七五丁

八行裏

九冊

一四〇丁

大阪不動銀行本店

定期預金

一〇〇万円

四七六丁

一〇行表

一六七丁

三井銀行西野田支店

一〇〇万円

裏末尾行

一八八丁

三和銀行奈良支店

一〇〇万円

四七七丁

九行表

十冊

十一~六

大和銀行梅田支店

通知預金

一、六一〇万円

三五丁

定期預金

三〇〇万円

三八丁

近畿相互銀行梅田支店

三〇〇万円

二七冊

四七八丁

五行表

一二五丁

神戸銀行大阪駅前支店

通知預金

一五〇万円

四七七丁

七行裏

一四〇丁

住友銀行名古屋支店

定期預金

一五〇万円

四七五丁

九行表

八冊

二五七丁

鹿児島銀行大阪支店

一〇〇万円

四七七丁

二行裏

十冊

三〇丁

三栄相互銀行高田支店

二二〇万円

四七八丁

一一行表

二六、二七

第三相互銀行尾鷲支店

一〇〇万円

二行表

一二二丁

大和銀行生野支店

二六〇万円

五行表

一二五丁

神戸銀行大阪駅前支店

五〇万円

第十二、原判決別表一の(株)愛知電機工作所に、新阪神産業(株)の社名を使用して、私の所得を免れる目的で、私の金を貸付けたのではない。

一、新阪神産業(株)の資金に余裕が生じた(弁証二七二~二九三)から私は同社の代表者として、資金を遊しておくよりも、短期だから、貸付で運用した方が、会社の利益になると考えたに過ぎない。又、同社は法律上の手続を経て設立された株式会社で、登記手続も完了し、弁証三九六号の同社の株券も発行して株主に交付し、符一三九号会社設立の届出も所轄の税務署に提出してあつた。私は法人として同社が権利義務の主体たり得ると信じ、符一二五号の公正証書を会社の為に作成したのであつて、被告人の所得を隠匿する為に、之を作成したのではない。

判示のように、この元本債権より、私の利子が生じるなど思いもよらず、寧ろ、この金を被告人個人の名義にすれば、横領とか背任になるかと思い、同社名を使用した迄である。

二、同社の資金は本件所得年度前の昭和二八年以前より、第一銀行梅田支店(一〇冊一二七丁以下)に、同社名義で預金して個人の金とは区別していた。

第一銀行梅田支店

一〇冊一二八丁~二五〇丁

池田銀行梅田支店

八冊二〇四丁~二一六丁、二二八丁、二三三丁

兵庫相互銀行今里支店

九冊二〇二丁

泉州銀行堺支店

一〇冊 三三丁

大阪不動銀行十三支店

九冊一四四丁

〃   梅田支店

九冊一九三丁

〃   九条支店

九冊一四六丁

三、判決一六頁裏末尾以下一七頁によると、新阪神産業(株)は形式的に法律上設立された会社にすぎず、正規に株主総会とか取締役会を開催した形跡が認められないから、被告人の貸金に相当する旨判示されておる。

(一) 仮りにそうであつたとしても、当該会社は、法定の定款を作成し、公証人の認証をうけ、発起人が株式を引受け、当該株式払込金を銀行に予託して、その証明書を添付し、当該会社の設立登記手続を完了すれば、法人格を取得して法人成りしたと看るのが現実的である。というのも我国の法人の大半を占める同族会社的色彩の強い小売商、町工場の法人成りした会社に、判示の如き格調高い判断をすれば総て、その法人格を失うであろうことは自明だからである。当社は正規の手続を経て設立登記された会社である。今日に至る迄、その登記抹消請求、会社設立無効等の提訴はない。

(二) 理由の二として、同会社の登記簿上の本店所在地に営業所を置かず、同所で営業活動を営まぬ事実を挙示されるが株式会社の登記簿上の本店所在地に営業所が置かれず、営業活動が同所で営まれない例は、証券取引所に上場されている会社に、いくらも見ることが出来る。弁控訴第三号の一別添への事実実験に関する公正証書謄本の通り、東京株式取引所に上場されている国際航業(株)のそれには建物すら存在しなかつたし、三光汽船(株)の本店は尼崎市にあつて、それは社長の別宅に過ぎなかつた。又、昭和飛行機工業(株)も登記簿上の本店所在地を青梅市に置き乍ら、実際には東京日本橋のビルの一室に於て本店事務、営業活動を行つている等々その例にいとまはない。我国の商業登記簿に公信力があるや否やについては議論のあるところで、判示の如き判断は聊か乱暴に過ぎるかと思われる。

(三) 法規上要求される帳簿類を完全に整理、作成、保存するには尋問の会計士に依頼する外ないが、弱小法人にとつて、その負担は大きく、俗に伝う餠より粉が高くなりがちで、完全には整備保存されないのが通常で、之を捉えて、当社の法人格を否認する理由とされる。

然し乍ら、営利法人に於ける帳簿備付義務の第一義的意義は株主及び債権者の保護を目的としたものである。法理論上一人会社さえも認められ、又今日のように個人的色彩の強い所謂同族会社が営利法人の大半を占める現況に於ては帳簿整備の有無が、法人格の有無に必ずしも直結するものとも思えない。帳簿の不整備処か、紛飾帳簿による紛飾決算によつてさえ、その法人格を否認された例はない。

要するに会社の形式(登記)、実体(資本、財産)営業体(執行機関)を具え、現実に経済社会の一単位として、営業活動をしている当社のような会社の法人格を否認することが、実体に則した法解釈といえるものであろうか。寧ろ原審の判断は、課税上の便宜主義的法解釈といわざるを得ない。

四、判決一八頁裏四行以下(三)に於て、藤本敬司の検調(一四冊)中尾正三の証言調書(二七冊一〇九回公判)によると、右新阪神産業(株)名義による貸付もなされていた事実が認められる旨判示されるが、判決別表一の藤本敬司、(有)藤為工務店を相手方とした貸金即ち、二三冊五二丁~六一丁「貸」の内には債権者名義が同社名のものは全然ない。

判決書二一丁裏一行に於て、(有)藤為工務店には森下都名義で貸付けた旨の判示と矛盾する。

又、一件記録には、中尾正三が新阪神産業(株)名義で付けた債権はない。

五、新阪神産業(株)の貸付が被告人の事務所で行われたとしても同法人の貸付元本が被告人に化するとは考えられない。

大会社の社債の発行は、銀行、証券会社と当該会社の役員達の間で、料亭の奥座敷等に於て取決められることが多いが、当該債券の債権者或は債務者が料亭名義で売出されたことはないことからも、そうは考えられない。当社の社名地位を明らかにして、当社の代表者として為した法律行為の果実の帰属が、その代表者個人に移行するとは夢想だにしなかつた。因つて、被告人は同社の所得を被告人の所得として申告しなければならないとは考えなかつた。

第十三、本件所得を隠匿するため、他人名義を使用して銀行預金した旨判示せられるが、これら預金は本件以前よりあつたもので判示の如き犯意はなく、誤認である。

一、判決八丁裏末尾行以下一二丁裏二行に挙示した証拠の内には、原判決理由第一に判示の銀行預金、新阪神株式会社名義の七字のものは存在しない。右社名「産業」の二字を加入した新阪神産業(株)の社名預金は大部分が、本件の所得年度昭和三〇年以前のもので、前述第十二の通り、私は同社の資金を同社名で取引したに過ぎない。第一銀行梅田支店義濃部佐兵衛の回答書(一〇冊一二七丁以下)、大阪不動銀行梅田支店の元帳写し、(九冊一九三丁)昭和二八年度四三二万余円、昭和二九年度三〇〇万円、池田銀行梅田支店の証明書(元帳写し八冊一九四丁、二〇四丁~二一六丁、二二八丁)通知預金合計二億四千余万円等の昭和二八、二九年に預入れた当該会社の預金を以つて、私の本件による昭和三〇年又は、三一年の所得を隠匿した銀行預金と誤認した。

昭和二九年又は、二八年の新阪神産業(株)名義の銀行予金を以つて、私の本件昭和三〇年以降の所得を予入れ隠匿したと誤認した証拠は、右の他に左の如く存在する。のみならず、昭和三〇年、三一年当時は、盛んに無記名預金を勧誘しており銀行の預金利子は分離課税のため、社会通念上、預金者の名義を明確にしなくとも、「不正」にみられなかつた。

判決丁数

行目

銀行名

記録

一一丁裏

三行

泉州銀行

一〇冊三二、三三丁

九丁裏

一〇行

大阪不動銀行十三支店

九冊一四四丁

一〇丁表

二行

大阪銀行船場支店

九冊一四九丁

二、原審判決書によると、本件所得年度昭和三〇年の数年前に被告人が本人名義で銀行に預入れた合計金一億三、七〇九万六、五四六円也の預金を、被告人が他人名義で銀行に預入れ、本件の所得を隠匿したと誤認している。即ち、二七冊四七五丁裏八、九行に於て、検察官が挙示した大阪不動銀行本店の昭和二六年預入金、九冊一〇六丁乃至一四〇丁に記載される被告人名義の当座預金一億三、五〇八万一、二六二円、同冊一〇六丁に記載される被告人名義の普通預金二〇一万五、二八四円、昭和二六年分総計預入高一億三、七〇九万六、五四六円也を、本件の昭和三〇年又は三一年の所得金の隠匿金と判示しておる。

同銀行には、右の他に、九冊一四〇丁の森下都名義定期預金一五〇万円があり、同行の証明書によると、右印鑑は同女の弁証控訴二四号の印鑑証明書の印で、昭和二九年八月一〇日に預入をした同女の所持金に該当する。印鑑の同一性は添付の印鑑証明書と対比されて、又右預入日時と本件の所得年度を御検討下されば本件と無関係な預金であることは首肯なされ得ると確信する。同様な誤認の例を挙げると、二七冊四七七丁一、二行に記載の証拠、大阪不動銀行梅田支店の

当座預金

四〇二万円余

九冊一九三丁

昭和二八年

一一月二〇日

定期預金

一〇一万円

九冊一九五丁

昭和二七年

一〇月 六日

当座預金

一、一五四万円

九冊一九四丁

昭和二八年

一月 五日

一二月 迄

一、四五〇万円

九冊一九五丁

昭和二八年

四月一一日

一〇月一七日迄

三〇〇万円

昭和二九年

一〇月二六日

総計

三、四〇〇万円

三、前出の池田銀行梅田支店の元帳写しを検討すると、私のところの事務員島田はな子(八冊一六九丁)及び小野山恵美子(一七二丁)のもの、甥山田隆(二二〇丁)のものゝ他に一七三丁乃至一八六丁に合計十三名の預金を挙示してあるが、これらはいずれも、被告人の預金口座ではない。又、これらの預金口座が、私に帰属する旨の証明を同行はしていない。つまり、他人の預金を被告人の本件犯行による隠匿金と誤認されておる。

四、同行の他に、左の銀行預金も同様に、被告人の取引口座に該当する旨の証明はなされていない。にも拘らず、被告人の預金と認定されておる。

判決

一〇丁裏

五行

第一銀行御堂筋支店

九冊

一七九丁

一一丁表

六行

三菱銀行梅田支店

一〇冊

一丁

九行

大和銀行梅田支店

八丁

九丁裏

六行

住友銀行梅田支店

八冊

二丁

七行

九冊

五丁以下

五、原判決に挙示された本件所得年度以前に於ける昭和二六年乃至昭和二九年の間に預入られた大約の銀行預入高は総計九億三千数百万円に達し、これらの預金すべてを、本件昭和三〇年、三一年の所得を隠匿した私の銀行預金に当るとみた誤謬がある。

六、右判示の本件犯行による所得金に認定された銀行預金の内私自身の名義のもの、内妻とみた森下都、長男中尾正三、新阪神産業(株)ら名義の本件以前、即ち、昭和二九年までの預入高内訳は、大約左の通りである。

昭和二六年度の預金合計 約一億三、七〇九万六、五四六円

昭和二七年度の預金合計 約一億一、六一七万一、九七〇円

昭和二八年度の預金合計 約一億九、六八五万四、一八〇円

昭和二九年度の預金合計 約一億八、〇〇六万四、〇二〇円

七、右の他、被告人の本件の所得に該当しない誤認の銀行預金は左の通りである。

(一) 二七冊四七七丁一〇行の証拠の標目、住友信託銀行梅田支店、内田吉次の元帳写し一〇冊二三丁以下、一〇〇万円の預入は昭和二七年九月二日で、当該所得年度以降の預金ではない。

(二) 二七冊四七七丁の証拠標目、住友信託銀行梅田支店内田吉次の元帳写し一〇冊昭和二七年度普通預金一〇〇万円も本件所得年度以降のものではない。

(三) 二七冊四七六丁裏六行、七行証拠の標目、住友銀行梅田支店、佐野俊一の上申書八冊二~一〇六丁、同支店伊藤正の上申書九冊五丁~二六丁に記載される昭和二十年度に於ける五、六九八万九、四二〇円は、同様に本件所得年度以前のものである。

(四) 池田銀行梅田支店に被告人、その他の名義で預入られたもの。

八冊

二二〇丁~二二二丁

昭和二六年

一億一、〇八八万五、九九〇円

昭和二七年

一億一、六一七万〇、一九七円

八冊

二一七丁~二一九丁

昭和二七年

二、九四三万九、〇三六円

昭和二八年

一、八二五万六、〇〇〇円

二二三丁~二二六丁

昭和二七年

九〇〇万〇、〇〇〇円

昭和二八年

一八七丁~一九五丁

昭和二八年中

一億三、三九四万五、四〇〇円

当座預金

一九九丁~二〇一丁

昭和二八年

一億三、三九四万五、四〇〇円

二〇四丁~二一六丁

昭和二六年

二億四、〇九二万八、三四〇円

昭和二九年

二二三丁~二二六丁

昭和二九年

一、二〇〇万〇、〇〇〇円

四、二八九万一、四六〇円

一九七丁~一九九丁

昭和二九年

四、五六九万八、一三〇円

(五) 八冊二五七丁 鹿児島銀行大阪支店 定期預金

昭和二九年八月一一日 二九三万七、〇〇〇円

(六) 一〇冊一一~一六丁 大和銀行梅田支店 通知預金

昭和二九年二月四日 一〇〇万〇、〇〇〇円

(七) 一〇冊八丁~一二丁 大和銀行梅田支店 普通預金

昭和二九年二月四日 一、四三〇万〇、〇〇〇円

(八) 一〇冊三五丁 大和銀行北浜支店 定期預金

昭和二九年七月二四日 一、五〇〇万〇、〇〇〇円

三〇〇万〇、〇〇〇円

(九) 一〇冊三八丁 近畿相互銀行梅田支店 定期預金

昭和二九年一二月四日 三〇〇万〇、〇〇〇円

(十) 一〇冊一二五丁 神戸銀行大阪駅前支店 通知預金

昭和二九年一二月一二日 五〇万〇、〇〇〇円

(十一) 八冊二六、二七丁 第三相互銀行 定期預金

昭和三〇年三月三〇日 一〇〇万〇、〇〇〇円

第十四、原判決別表一の二枚目の大久保佐一郎より金一六万円の利息を取立た事実はない。同人には昭和三〇年二月一日に一〇〇万円、同年三月八日更に一〇〇万円(弁証一七九)を、別途に追加貸付をなした。当初の貸付金については、同年八月一二日迄に三〇万円の弁済を受けた(弁証一七七)が、残余の一七〇万円の元利は踏倒された。例え、一六万円を利息の名目で取立ようとも、差引貸付元本金一五四万円の被害を蒙つておる計算となる。

一、原判決別表一の説明の末尾三行に於て、何故、右弁証一七七号の八月一二日迄に回収した三〇万円の領収書が提出されないのか明らかにされておらない旨判示されておるが、元来領収書は被告人が同人から、返済金を受取つた際に、相手方の大久保佐一郎宛に書き、金員と引換えに同人に手渡すもので被告人の手中にあるべき筈のものではない。大久保の所在が不明のため、本件の調査時点に於て、同人宅より、その押収が不能だつたのではないかと考える。

二、被告人が公正証書を提出し得ない理由は、昭和三〇年二月一日付百万円の貸借后、更に、同年三月八日弁一七八号公正証書作成委任状及び印鑑証明書を受取つて、金百万円の追加貸付をなし、同日、相手方大久保に、同額の領収証(弁証一七九号)と引換えに金百万円を貸し渡し、合計二〇〇万円の貸付となつたが、同年夏頃に至つて、同人は所在不明となり右貸金は回収の見込がなくなつたから、追加貸付の一〇〇万円については、公正証書の作成を中止したからである。

三、右追加貸付分の一〇〇万円について、公正証書を作成すれば、弁証一七八号の印鑑証明書付き公正証書作成の委任状は同公正証書の原本に割印をして綴込み、公証役場に保存される関係上、これに代る同公証人の証書正本が交付されることになる。従つて作成した公正証書と、それを作成する委任状や印鑑証明書は併存することはあり得ない。

作成を中止した理由は、公正証書作成手数料、印紙代等の諸経費がかさむ、のみならず、作成したとて、メリットがないし、夜逃した債務者の所在が明らかにならないからであつた。

四、要するに、昭和三〇年三月八日弁一七六号の念書を以つて判示の貸借の返済を四月七日迄猶予し、別件の追加貸として弁一七八号の委任状と印鑑証明を、同人より受取つて、同日百万円貸渡した債権(弁一七九号)と、同年同月同日現在、判示の弁一七五号(符三四五号)の債権が七〇万円残存する旨念書に明示された債権とは、同一の債権に属しない認識を原判決は欠いている。又、原審で採証の「貸」は検察官の主張であつて、証拠能力を欠くと被告人は考える。

五、原判決は、被告人の銀行口座と看た八冊池田銀行梅田支店の証明書元帳の写しの入金によつて、右利息十六万円の取立を認められたが、例え、右入金が同人によつて振込まれたものであつても、当該貸借の元本返済には当らないし、利息とみなければならない必然性も証拠もない。

(一) 右口座が被告人の銀行預金口座に該当する旨の当該銀行の証明は存在しない。

(二) 仮りに、被告人の預金口座があつても、判示の左の入金が大久保佐一郎から振込入金に該当する旨の銀行の証明はない。

昭和三〇年

四月二〇日

四万円入金

五月 九日

六月 七日

七月 五日

(三) 大久保佐一郎が被告人に右一六万円を利息として支払つた証明はない。

(四) 弁証一七五号(符三四五号)貸借公正証書によると、当事者間に利息についての契約はない。従つて、右一六万円を利息とみなければならない証拠はない。

(五) 「貸」四七丁二行によると、七月一九日に一〇〇万円の貸金を回収した旨記載してあるが、「預」一五丁以下にこれに対応する記載はなく、弁証一七七号昭和三〇年八月一二日付念書によると、同日現在、七〇万円の残債務が存在することを、大久保佐一郎は確認しておる。とすれば、同人は三〇万円相当を被告人に返済した勘定となるから、同額の入金が「預」に記入されるべきだが、右利息と認定した一六万円の他には見当らない。因つて、「預」によつては、大久保が右債務を被告人に返済をした事実証明をなすことは不能である。

第十五、原判決別表一の有沢商事(株)から、被告人は判示の利息を受取つてはいない。右利息の発生原因たる抵当権付債権は昭和二九年四月一六日に消滅していた(弁証三三二号)。のみならず被告人は「貸」四〇丁一行目の「前年繰越」の当該債権を貸付た事実はない。即ち、弁三三一号債権者兼抵当権者中尾正三と同債務会社間の抵当権付金銭消費貸借公正証書に基く貸借契約の誤認で、債権者中尾正三名義の貸付は、同人の元本で、被告人の原資ではない。

一、右抵当権付貸借は本件以前の昭和二八年六月一五日、貸付元本五〇万円、返済期限同年七月一二日であつて、同会社代表取締役有馬頼寧所有の土地建物に第一順位の抵当権を設定登記し、返済期限に返済をしない時は、その翌日、抵当物件を以つて、弁済する特約をした上、元同債務会社取締役神沢益欠郎と、公正証書通りの契約を、債権者兼抵当権者中尾正三が、公証人役場に自身が出席をして、本人が契約をしたものであつて、被告人は債権者でもなければ、抵当権者でもない。債権者正三は、当時末尾添付のハガキで、右神沢の代理権につき、社長兼担保物件所有者有馬頼寧に問合せ、相違ない旨の回答を得て后に、当該契約を締結した。

二、昭和二八年六月一七日付大阪法務局江戸堀出張所受付七三一二の登記は、別紙登記簿謄本の通り、抵当権者は中尾正三であつて、被告人ではない。

同人は昭和二二年二月一九日に被告人が贈与した貸家を豊川市内に一棟所有しており、(末尾添付の登記簿謄本参照)同人名義の銀行預金も本件以前の昭和二六、七年頃より、左の通りあつた。

一〇冊一〇二丁以下 住友銀行名古屋支店

九冊一八七丁 三和銀行築港支店

〃 一〇四丁 鳥取銀行若桜支店

又、同人は被告人と別居しておつたし、その居宅も同人所有のものであつた。(弁証控訴四号)

三、判決二三丁裏面によると、同人が融資に充てた金員は、かねて被告人から贈与を受けた資産であるということであるが同人からは、所得税等の申告や納税がなされた形跡が認められず、直ちに措信しがたい旨判示されるが、左の通り、同人は本件以前に於て、所得の申告をしたり納税をした領収証が存在しておる。

(一) 昭和二九年分贈与税の申告書の受取証が、所得税三〇年七月一二日付で北税務署より中尾正三に交付したものが存在する。(添付弁証控訴五号証)

(二) 昭和二九年分相続贈与税の領収証四枚(弁証控訴番号六ないし九)

昭和三〇年 七月一三日付 金 三、一五〇円

昭和三〇年 八月一二日付 金 三、一五〇円

昭和三〇年 八月二〇日付 金二三、一五〇円

昭和三〇年 九月一七日付 金 二、〇〇〇円

(三) 昭和三〇年分贈与税の領収証二枚(弁証控訴一〇号)

昭和三〇年 九月二八日付 金 一、〇〇〇円

昭和三〇年一二月二〇日付 金 三、〇〇〇円

(四) 昭和三一年分贈与税領収証一枚

昭和三一年 五月二六日付 金 三、八〇〇円

四、弁三三二号和解調書正本の通り、返済期日が過ぎても、弁済されず再参返済期日を延期し猶予の上、翌二九年四月一五日午后一時、売買の形式をとつて、貸金を担保物件で相殺することになり、大阪簡易裁判所に於て昭和二九年(イ)第七七五号の代物弁済等の和解を、当事者間でしており、被告人が介在する余地はなかつた。

中尾正三は昭和二九年四月一六日右担保物件を取得し、所有権の移転登記も済ましていたので、判示の右元本債権は昭和三〇年度には消滅し、直正な債権者たる中尾正三にとつてすら、利息債権の発生は全く期待出来なかつたものである。

末尾添付のハガキの通り、不動産取得税につき、同人は県税事務所に呼び出されておる。

五、右利息は「貸」四〇丁、六三丁で認定した旨判示されるが六三丁は藤為工務店に関するもので、(元)有沢商事(株)のそれには該当しない。従つて、四〇丁のみとなるが、之れによつては利息の取立日時が明らかに出来ない。というのは同丁の実際収入利子欄の年月日欄が空白で、具体的な記載は全くないからである。つまり、当該三〇万円の利息を受取つたとされるのか、日時が全く不明である。

元本五〇万円の六〇%に当る三〇万円を取立て、残余の元本二〇万円は翌年に繰越した旨、四行目の残高欄に記載してあるが、繰越した筈の昭和三一年度の一三冊「貸」には、同社の分は記載されていない。従つて、判示の右昭和三一年度分利息七万五、〇〇〇円の根拠は「貸」には存在しないといわざるを得ない。

六、挙示の証拠「預」一五冊九丁を検討すれば、

一行目

昭和三〇年

一月

一九日

・他1

四、〇〇〇円

住友、梅新、

有沢商事

五行目

二九日

・他3

二五、〇〇〇円

十三信用

と記載してあるが、一〇丁以下には全く記載がない。右が利息に相当するとすれば、計算上、判示の昭和三〇年分三一万九、〇八〇円、三一年分七万五、〇〇〇円を差引いた残余の三六万五、〇八〇円が、判示利息額に不足する。

七、右「預」九丁の二万九、〇〇〇円の入金を、判示の五〇万円の利息額と看るのは、合理的とはいえない。

(一) この入金は「貸」四〇丁一行の利子欄に記載の三〇万円の利息に対応しない。判示月割利息二万五、〇〇〇円より四、〇〇〇円超過するからである。

(二) 「預」九丁五行の説明欄によると、同会社振出しの十三信用金庫払の小切手三枚で入金の旨が記載してある。利息二万五〇〇〇円を支払うのに、通常同日付小切手三枚に分割したりはせず、一枚で支払う。

(三) 同社は社名の如く株式会社であつて個人ではない。会社経理公開の原則からも、又支払利息は、会社計理上、必要経費として損金に出来、且つ会社の金で支払う以上、証拠として、通常利息を支払う際に、その受領証を引換えに徴した筈であるが、その提出がない。

右当該入金小切手が利息に相当する人証、書証もない。

(四) 八冊、池田銀行梅田支店の証明書には、判示の右「預」九丁の昭和建設工業の予金口座が、被告人のものに当る記載はない。又、二万九〇〇〇円は判示の有沢商事(株)の払込んだ小切手に相違ない旨の証明もない。

(五) 右利息の支払を記載した筈の同社の商業帳簿の写しさえ提出されていない。

八、神沢益次郎大質添付の借入明細(二二冊七一丁)、同人の上申書(同冊)は、いずれも税務当局に迎合した、反対訊問にさらされない被向人不同意の証拠であり、同人は元同会社の取締役で、業務執行の代表権は当然には持たない。(商法二六〇、二六一条)従つて、証拠能力はないと考える。右上申書は同会社の帳簿に基く記載ではない。同証言調書(二冊)も然りである。

九、証拠の標目に記載の八冊池田銀行梅田支店の証明書には、当該元帳写しが、被告人の予金口座に該当する旨の証明はない。

第十六、原判決別表一の大正紙業(株)より、被告人は利息の取立をしたことは全然ない。

一、同社より利息を取立た根拠として、証拠の標目によると、九冊伊藤正及び、佐野俊一の上申書を挙示される。然し、同上申書一丁以下一〇四丁によると、当該住友銀行梅田支店予金口座が、被告人の入出金を記載した通帳に相当する旨は上申されていない。のみならず、

(一) 十三冊三六丁三行目の「貸」実際収入利子欄に記載される被告人が取立たという昭和三〇年一月三一日付五、五〇〇円に対応する同額の入金額の記載は、判示の右上申書にはない。

(二) 「貸」同丁二行の同日貸付元本を一〇万円回収した旨の記載に対応する同額の入金又は、前記(一)の同日の入金五、五〇〇円との合計一〇万五、五〇〇円に対応する入金額の記載も右同じく、判示の上申書にはない。

(三) 同三行目の同日付被告人が貸付けたとされる元本金八万円の出金に対応する記載もなければ、又前記(一)及び(二)を差引た残余の二万五、〇〇〇円に対応する金額の記載も、前同様に見当らない。

(四) 同四行目に於て、二月一八日金七万円の貸付をなし、三月一八日に回収したとされるが、この入出金額に対応する記載も右上申書にはない。つまり、判示の貸借に対応する入出金はない。

(五) 同五行目実際収入利子欄に、三、〇〇〇円の利息を取立た旨記載してあるが、年月日の記載欄は空白となつていて、いつ取立たのか明らかではない。そこで、右三、〇〇〇円と同額入金が判示の右上申書にないか調べた処、やはり見当らない。

(六) 「貸」三六丁一行の前年即ち、昭和二九年の貸付元本一〇万円を、次のように順次回収した旨判示されるが、これに相当する同額の入金も見当らない。

昭和三〇年

一月三一日

二万円

二月一八日

一万円

三月一八日

二万円

右の通り、「貸」六三丁一~五行に記載してある事項は、判示の右上申書では全く立証不能である。

二、一三冊、一六冊の「貸」及び一二冊堀源一の大質等はいずれも、被告人は証拠として、同意した覚えはない。

証拠能力があるとしても、被告人が取立たとされる利息八、五〇〇円の計算根拠となる「貸」の利率欄は空白となつていて記載はない。従つて、算数上、当該利息金額の当否についての判断は不能。

(一) 判示の当該利息の利率を逆算して割出してみると、右金額は事実上、金利たり得ないことがわかる。

証拠の標目中、「貸」三六丁計算上の利子欄三行によると一月三一日より二月一八日迄の期間利息が五、五〇〇円となつており、これを片落ちの一八日で、五、五〇〇円を割れば三〇五円五五・・と割り切れない。又、元本八万円で割つても、一万円について一日三八円一九銭四厘四毛三七強でやはり割り切れない。つまり、観念上、計算上は有り得ても、実際の商取引にあつては有り得ない利率となる。

(二) 同五行の計算上の利子につていても同様である。即ち、三月一八日より四月一八日までの期間利子は三、〇〇〇円となつておるが、これを片落ちの三一日で割ると、九六円七七銭四厘一毛九三・・となつて割切れず、元本の五万円で割つても、一万円につき一日一九円三五銭四厘八毛三八・・となつて割り切れない。困って、算数上は存在し得ても、実際の商取引上あり得ない利率となる。

この利率は前の利率の約半分に当り、こうしたことは通常の貸借とは逆である。というのは、通常返済期日後の利率は約束不履行の罰則的意味あいで、二倍に高く定める。

三、九冊伊藤正の上申書七六丁五行によると、昭和三〇年二月一九日八、〇〇〇円入金され、同六行には同手形が不渡りとなつて、同額が出金され、入金を取消した旨の記載がある。従つて、この上申書によつてすら、その入金は否定されている。

第十七、原判決三七丁六行以下によると、弁六二号の三光タクシー自動車(株)を相手方とした被告人の債権確認等和解調書に基く債権額八二四万円は、一部弁済され減少しており、債権譲渡時の昭和三一年二月二日に於ける残債権が、債権譲渡額を上回つていたとは認めがたいとして、この債権譲渡差損金六二四万円の損益通算を否定される。

が然し、同社は整理会社となり、裁判所より弁済禁止の命令が出されていたゝめ、一部弁済も不能で、減少していなかつた。

一、弁六二号和解調書の当事者は、中尾正三ではない。又、同人と被告人両名が当事者になつて、同社を相手方とした両名の債権確認の和解調書でもない。被告人のみが、当事者で、被告人のみの債権確認和解事件であつて、中尾正三の債権をも含めた債権確認和解ではない。このことは本和解調書上明白である。にも拘らず、原審は中尾正三、被告人両名の合計債権額の確認を求め、和解を申立たと事案の誤認をしている。

昭和二八年、被告人と山根義雄間に於て、同会社の一、〇〇〇万円の債務を限度とした同人の保証契約を締結した。右保証契約に基き、山根個人の所有にかゝる車庫一棟三四坪を、昭和二九年一月八日代物弁済の形式で、被告人に売渡した。その買戻権及び無償使用権を、債務会社の当時代表者であつた山根義雄は確保するために、又被告人は債権額を確認するため、同日、大阪簡易裁判所に被告人が、同人と同会社を相手方として申立た調書であつて、中尾正三の同会社に対する債権とは別個のものである。中尾正三は、当時既に二五才で、独立して法律行為が出来る能力者と考え、同人の債権については、右和解から除外していた。然るに、原審判決は、同人に対する同会社の一部弁済を、被告人の右債権についての弁済と誤認しておる。

二、右債権の譲渡時に於ける残債務が、債権譲渡額を上回つていたとは認めがたい旨判示されるが、流動性に重きを置く実経済社会に於て、本件のような指名債権を、債権額以上に買取る人は有り得ない。ブレミアム付でなくとも、額面でも買つてくれる人があれば、各種ローンや、売掛金を集金人を傭い、交通費を支出して取立る者はない筈である。

三光タクシー自動車(株)のような山のような借金を負つて倒産した整理会社のこげつき債権は、額面の五%でも買つてくれる人を、見つけることは、むつかしい。事実、被告人には一人も見当らなかつた。そこで、債務会社の代表者であり、且つ保証人であつた山根に、次のような経緯で頼んだ。

右弁六二号和解調書和解条項二条によつて、車庫は同整理会社が無償で使用しており、これを処分されると、同社は困るし、他方、被告人は回収のメドも立たないので、山根に、同社の不渡り手形を一四枚計八百余万円の債権を、車庫の代価一二四万円以上で肩代りしてくれる人を探すように頼んだ処、

(一) 同人は西口雄三司法書士に二五冊三一七丁乃至三二二丁の昭和三一年一月九日付和解調書閲覧証明書を作成せしめた上、宮本勢之助に、この被告人の弁六二号和解調書の債権額相当の計八二四万円の不渡手形を金二〇〇万円で肩代りすることを頼みこんだ。

(二) 被告人、山根義雄、宮本勢之助の三名で協議した結果、車庫を被告人より宮本勢之助に所有権の移転登記をする代りに、所得税、登録税等の費用を省くため、弁六二号和解調書に基く所有権移転を取消すことにして、三名立会の上被告人は二五冊三一六丁昭和三一年二月二日付債権譲渡証を宮本宛に書いて、不渡手形一四枚計八四〇万円と共に、同人に手渡した。而して、被告人は宮本より、弁証二五〇号の一の「証」と題する書面と、同号三の念書を受取つた上、当該移転登記を取消す私の印鑑証明書と白紙委任状各一通を、同人右金員と引換えに引渡した。

(三) そこで、弁証六二号和解調書第二項の車庫一棟は、被告人より山根に返戻して、登記簿上、以前の所有山根義雄に、その所有権が戻り、当該一二四万円の代物弁済は取消され、この間の家賃又は損害金の支払もなく、代物弁済の履行は実体上は、しなかつたことになつた。

三、弁六二号の和解調書に基く金八二四万円

弁六三号の公正証書に基く金一五〇万円

合計九七四万円の旧債権のうち、右公正証書の一五〇万円は別にして、右和解調書に於て、確認された昭和二九年一月八日現在の債権額八二四万円が二〇〇万円に減少するには、計算上、六二四万を、同整理決定の昭和二九年三月一三日以后債権譲渡日の昭和三一年二月二日迄の間に、回収した計算になるが、被告人は、同社より、之を取立たことは、全然ない。同社は法律的にも、財政的にも、弁済が出来なかつた。

(一) 弁二四〇号の一、二、三の如く、大阪地裁昭和二九年(ヒ)第二二号会社整理の決定が、昭和二九年三月一八日にあり同日以前に同社が負担した一切の債務の弁済は(会社側よりなす相殺、その他債務消滅行為も含む)禁止された。

会社整理の条件は、

昭和二九年四月より二ケ年間、借金全部を据置き、

その后三ケ年間乃至五ケ年間に年賦分割で支払い、

債務は一切無利息

となつていた。

(二) 弁六二号債務確認和解調書の執行力ある正本に基き、昭和二九年五月七日債権額七〇〇万円全額について、同社々長山根義雄宅の動産の強制執行をしたが、(弁二四三号動産差押調書)、同人より、右債権金額七〇〇万円については、何らの異議の申立もなかつた。判示の如く、一部でも右債務の履行をしておれば、当然、八二四万円より代物弁済の車庫代一二四万円を差引た残債額七〇〇万円全額の執行について、異議を申立た筈だが、同人は右債権全額を認め、差押に応じておる。つまり、同社は、被告人に、昭和二九年五月七日迄には、少なくとも、右債務を全然弁済していなかつた。この事実は、当時、同人自身が債務の弁済を全くしていなかつたことを、認めていることになる。

(三) 原判決三七丁一行以下によると、公正証書二通(弁二四〇号の三、四)及び自動車抵当権設定申請書一通(弁二四〇号の五)によつて、右八二四万円の債権について、相当数の自動車が担保に供せられていたのであつて、それによる代物弁済で、相当減少しておる旨判示されるが、右弁二四〇号の五自動車抵当権設定申請書の抵当権者は、中尾正三であつて被告人ではない。前出符一五三号の中尾正三旧債勘定の担保の一部の当る書証である。右は弁証六二号の被告人中尾初二の八二四万円の債権担保に供せられていた車輛には該当せず、明らかに誤認である。

(四) 元来、自動車は新車のうちは価値が高いが、タクシーは消耗が甚々しく、自家用で十数年も使用出来る車輛が、大体二、三年でスクラップ化して、僅か二、三万円にしか売れず、高い金をかけて整備しても所謂「タクシー上り」として嫌われ、仲々に、売り得ないのが実状である。それに被告人は、代物弁済による車輛は一台も受取つていない。

(五) 弁六一号決定謄本の被告人が抵当権者であつた(ケ)一一八号フォード一九五三年四扉セダン普通乗用車(番号大3-2555)を、判示の代物弁済として、被告人は受取つていない。右車輛の競売を申立た処、債務会社の当該車輛代金不払のため、当該フォード自動車販売店ニュー・モータース(株)は、その売買契約を解除し、車自体を三光タクシー自動車(株)に引渡さなかつたゝめ、競売の執行不能で、取下げざるを得ず、競売はしていない。従つて、判示の右車輛による貸金の回収は出来なかつた。

四、原判決三七丁四行以下六行によると、月賦による(五万円宛一八回)弁済もなされているとされるが、これらは被告人の弁六二号手形割引による貸付金の弁済に該当しない。判示の符一五四号領収書五万円一八通の綴は、中尾正三の弁証二四〇の二乃至四の公正証書三通合計三九五万円及び、弁証三三四号、同二四〇号の七乃至一六の約束手形六通合計六七〇万円符一五三号中尾正三旧債勘定に該当する債権の内払として、中尾正三自身が受取り、同人が同債務会社に手渡した領収証である。つまり、弁証三三三号手形割引代金受領証に記載の貸付元本の回収に当る。

(一) 弁証六二号和解調書に記載の債権の弁済金として、被告人又は、その代理人として中尾正三が、これらを受取つたものではない。その旨の記載もない。

(二) 山根義雄証言調書二五五丁乃至二五七丁によると、三光タクシー自動車(株)では、中尾正三よりの借入金は、同人名義で、被告人とは別々に記帳していた旨供述。

(三) 中尾正三は右整理会社に債権額を届出、整理の条件を承認していたので、被告人の弁六二、同六三号の債権とは全然別個の債権で無関係である。

五、符一五三号中尾正三旧債権勘定という書面は、被告人弁六二号和解調書及び、弁六三号の公正証書に基く、被告人の合計九七五万円の債権とは、全く別のものである。

同タクシー会社が、中尾正三に弁済したのは、同人から債務を負担していたからであり、同人に弁済したものが、被告人の債権に対する弁済とはなり得ない。

第十八、原判決三六丁八行15三光タクシー自動車(株)関係の弁六三号公正証書(昭和二九年一月二三日付一五〇万円)の貸付を、被告人が果して貸したであろうかとして、この貸倒れを、昭和三一年度分の損金に認めない。然し、実際に被告人は貸渡しておる。被告人は后記の如く、これが金融業の必要経費として損金に該当すると確信し、損益通算をした結果、同年度は、所得は生じないから、申告しなかつたもので、全く犯意はなかつた。

一、二冊二五五丁山根義雄の証言調書によると、右借入債務を認め、同人は被告人より、右返済の免除を受け、弁済しなかつた旨を供述している。

右公正証書は同人自身が公証人役場に赴き、右債務会社の代表者として、金員一五〇万円を借り、受領した旨を認め、自身も、連帯して債務者になつている。同日被告人は、千円札で確に一五〇万円貸し渡した。

その経緯は、この取引以前の弁証六二号和解調書の貸付金に追加して、越年資金として、強く要求され、既に貸付けた債権に対して、山根義雄の所有にかゝる車庫一棟を、売買の形式で差入れた上で、この貸付に応じる話にしたが、年末年始の休日続きで、裁判上の和解の申立、右車庫の登記手続が旧年内には出来ず、翌昭和二九年一月九日に大阪簡裁に於て、弁六二号の債務確認代物弁済等の裁判が開かれ、同年同月二二日頃に和解調書を送達され、移転登記の手続も完了した。

その同社より、改めて、強くこの貸付を求められ、不得止貸付けたものである。

右車庫は弁六二号和解調書第四項の特約により、同会社倒産后も引続き、昭和三一年二月二日同和解調書の債権を譲渡する迄、同社が無償で使用し、同和解調書の債権譲受人宮本勢之助の指示により、右車庫の代物弁済を原因とした、被告人への所有権移転登記は取消すことになり、元の所有者山根義雄に返戻した。

二、右一五〇万円の貸倒債権元本及び、前記債権譲渡差損六二四万円合計七七四万円也は、昭和三一年度の被告人が金融業を営むための必要経費に、該当すると、被告人が考えた根拠は次のとおりである。

(一) 二冊二四三丁、二五五丁の山根義雄証言調書のように、整理会社となつた同社に、被告人は弁六三号公正証書の債権一五〇万円の支払を昭和三一年二月二日に免除した。

(二) 同社は弁二四〇の七~九、同号の一五、同号の一六、弁三三三号、弁三三四号の不渡り手形を出し、銀行取引停止処分をうけていた。

(三) 保証人山根義雄に対し、弁六二号和解調書に基く強制執行をしたが、弁証二四三号の通り、到底、貸付元本の回収の見込がなかつた。

(四) 因つて、国税通達二六九の(1)、二七四の(1)(6)に該当し、損金に算入し得ると考へ、弁六二号の譲渡差損六二四万円及び、弁六三号の一五〇万円の貸倒損を、昭和三一年の必要経費とみて、昭和三一年分の益金より控除したのである。

(五) 右一五〇万円に対する昭和二九年分の未収利息合計五六万六、〇〇〇円を元本一五〇万円に加えた計二〇六万六、〇〇〇円及び、前出の債権譲渡差損金六二四万円を、損金の必要経費として、損益通算すると、損金が八三〇万六、〇〇〇円にも達し、原判決第二で認定した所得六二八万六、八九六円より、二〇一万九一〇四円超過する。因つて、同年度の所得はないことになるから、被告人は申告しなかつた。

三、原判決三六丁裏の終より三行以下で、前出符一五三号の中尾正三旧債勘定という書面に対比して、右一五〇万円の貸付は直ちに措信しがたいとされるが、右符一五三号の旧債勘定という書面の支払先の欄八行目には、「中尾正三」と記載してあり、この旧債勘定が、同社と被告人との貸借金勘定に該当しないのは歴然としいる。同金額欄の記載額は三八四万三、四一四円となつており、同区分欄の記載によれば、その全額が二八年分となつておる。つまり、二四分冊四一八丁裏検察官の釈明書昭和五二年九月一五日付釈明書、釈明書項八に於て、被告人が同社に対して、昭和二九年四月一日に貸付けたとされておる債権と全く異なる。判示の対比した右証拠物の債権者は中尾正三であつて、被告人ではない。全く別途の貸借金に相当する。

右三八四万三、四一四円の記載は、弁証二四〇の二乃至四の債権者中尾正三、債務者三光タクシー自動車(株)間の金銭消費貸借公正証書三通の合計三九五万円の債権、弁二四〇の五自動車抵当権付債権一三〇万円、弁証三三四号、同二四〇号の七乃至一六債権者中尾正三宛、債務会社三光タクシー自動車(株)が振出した約束手形六通合計六七〇万円等の残債権に相当する金額の記載ではなかろうか。

弁六二号和解調書及び弁六三号公正証書の債権者は被告人中尾初二である。中尾正三は無関係の別途の貸借取引である。

四、山根義雄の証言調書に対比して、直ちに、弁証六三号の公正証書による貸付を措信しがたい旨判示されるが、

(一) 同調書二冊二五五丁乃至二五八丁、二六〇丁裏によると同証人は、債務会社三光タクシー自動車(株)は、債権者中尾初二及び、債権者中尾正三両名より借金していた旨供述。

(二) 同社に於ては、中尾正三よりの借受金については、被告人からの借入金と区分して、処理をしていた旨供述。

(三) 同社は弁証六三号公正証書による債務金は、被告人よりその債務履行を免除された旨供述しておる。

五、右同人の供述と併せ、弁証二四〇の二乃至四の債権者中尾正三の公正証書、弁二四〇の五抵当権者中尾正三の抵当権設定書、弁三三三号中尾正三宛手形割引代金受取証、申立人兼抵当権者中尾正三に対する大阪地裁の競売中止決定等によつて、同人の債権が別途に存在していた事実は明らかで、原判決は被告人と中尾正三とを混同しているのである。

第十九、原判決三一丁裏三行以下4に於て、内田商事(株)及び内田商店(株)関係の貸金債権は、実際には貸倒れ、代物弁済もうけていないのに拘らず、回収したと誤認している。即ち、

一、原判決は内田一郎の証言証書、約束手形一通(弁三八)、約束手形三通(弁六〇の一乃至三)、小切手二通(弁三九の一、二)、判決一通(弁四〇)によると、被告人が同会社に対して貸金債権を有していたことが、一応認められるが、右内田一郎の証言によると、昭和二九年大阪簡裁で残債権について、和解が成立し、その際不動産を担保として提供していることが認められ、右代金が昭和三〇年、三一年に於て回収不能になつた事実は認められない。そして他に右両年度に於て、貸倒れが生じた事実を認める証拠はないとされる。

が然し乍ら、

(一) 右和解によつて、被告人が代物弁済を原因として取得した不動産の対象となつた債権は、判示の右弁三八乃至四〇同六〇の手形金六通合計額面六〇五万円ではない。

(二) 代物弁済をうけた原始債権は訴外の(株)共立組が内田一郎他一名に対して有していた当該建物の建築費三〇九万三、九〇〇円の準消費貸借上の債権及び当該代物弁済の物件に設定してあつた順位二番抵当権を、被告人が譲り受けた抵当権付債権である。(二冊二四四丁同人証言調書及び添付の和解調書参照)(弁証控訴番号15号)

二、(株)内田商事、(株)内田商店らの振出した約束手形四通、小切手二通の弁済を目的ちして、内田一郎らが、当該不動産を被告人に提供したのであれば、その履行と同時に、これらの手形は引換えに同人が受戻し、被告人の手中に残らないし、或は当該不動産の提供を、同人は拒否した筈である。(大阪地裁昭和三〇年(ワ)第四七四号保証債務請求事件判決、弁四〇)

三、右両債務会社はいずれも、不渡り手形を出し、銀行取引も停止され、営業を廃止し閉鎖した。(二冊五二九丁同証言調書)架設の電話も料金不払いのために、加入権を全部取消され(二冊五四五丁)、多額の債務を負つて倒産した。

四、昭和三〇年に於て、完全に閉店をし、営業を廃止したので回収の見込みはないと考え、損金として計上した。これらの貸金全額を必要経費とみて、損益通算し、同年度の所得は生じないと、被告人は考え申告しなかつたまでゝある。つまり、脱税の犯意はなかつた。

第二〇、原判決三二丁裏6の大東健治関係について、損金不算入の誤認がある。

一、原判決は、和解調書一通(弁四三)公正証書正本一通(弁四四)によれば、被告人が同人に対して昭和二九年に於て、貸付債権を有していたことが一応、認められるが、右によると、土地を担保として貸付たものであることが認められ、回収不能が生じた事実は直ちに認めがたいし、他に右事実を認めるに足る証拠はないとされる。

が然し乍ら、当該土地に抵当権、又は代物弁済の予約の設定登記が出来なかつたので、実際には、后記の九〇万円の返済を受けたのみとなつて、しまつた。

二、担保に土地を差入れる約束で、昭和二九年頃、数回に亘つて手形割引方式によつて、合計九〇万円及び、大阪法務局所属公証人佐藤重臣役場に於て、金銭消費貸借公正証書三通を債権者被告人、債務者大東健治間で、左の通り作成し、三回に亘り計一八〇万円、総合計二七〇万円の金員を貸し渡した。

貸付年月日

金額

公正証書番号

昭和二九年四月 六日

一二〇万円

第八万二二一七号

昭和二九年七月一六日

三〇万円

第八万二五三〇号

昭和二九年九月二四日

三〇万円

第八万二八六八号

三、担保付債権九〇万円については、債務者が担保不動産を売却した際、弁済を受けたが、残余の一八〇万円は債務者が不渡りを出し、支払に応じないので、強制執行をした。処が、差押物件もなく、間もなく同人は旅館営業を廃止したから、到底回収が出来ないので、元利金の支払を免除して、貸金業に伴う必要経費の損金に計上する方が、被告人は有利と考えたので、同人に全額の支払を免除した。被告人は、昭和三〇年度の損金になると信じ、損益通算したまでゝある。(添付16号の証明書参照)

第二一、処罰理由第二によると、被告人は昭和三一年度の所得を免れようと企て、金融業については前同様、料理旅館業については、他人名義を使用して営業をなし、二重帳簿を作成する等の不正手段を講じて所得の隠匿を図り、同年度六二八万六、八九六円の申告をなさなかつた旨、認定される。

が然し乍ら、同年度は三光タクシー自動車(株)(原判決三六頁15)に対する貸倒損金のみでも七七四万円に達し、この損金によつて課税上の所得の生じる余地のないことを信じて、被告人は申告しなかつたまでゝ、判示の如き犯意は全くなかつた。

即ち、弁六二号和解調書の貸付元本合計八二四万円の債権譲渡による差損金六二四万円及び、弁六三号公正証書に基く貸付元本一五〇万円の右同債務会社の整理倒産による貸倒、総計七七四万円は、判示の所得六二八万六、八九六円より一四五万三、一〇四円超過する。

料理旅館業について、他人名義を使用して、二重帳簿を作成する等の不正手段を講じて、被告人は所得を隠匿した覚えも無論ない。

証拠の標目によると、原判決一二丁裏三、四行に「城山荘」を挙示されておる。が然し乍ら、

一、被告人が「城山荘」の名義を使用して料理旅館業を営んだとされ、これを捉えて、所得の隠匿する不正手段と断定するが、特別の事由は説示してない。巷間、屋号又は商号と戸籍に載つている氏名とは異なるのが通例で、他人名義とはいえないと考える。

原判決四一丁五行以下は判示される本件は土地建物を、使用して、(株)井善が昭和二四年以来料理旅館業を「城山荘」と称して今日まで営業しておる(二二冊原審民事判決書)。つまり、本件所得年度昭和三一年の数ケ年前より約三〇年間も同営業中である。

二、「城山荘」を他人名義と認定した理由として、原判決五一丁裏二行以下に於て、次のように判示される。

松太郎が経営者であることを支持する証拠としては、僅かに松太郎の証言調書(一冊第八回公判)があるのみで、これを裏付ける資料としては、前述旅館業の営業許可名義が松太郎ということゝ、被告人が松太郎から支配人に昭和三一年三月二三日選任されたという閉鎖商業登記簿謄本以外はない。が然し乍ら、次の証拠が判示の他にある。即ち、

(一) 本件の事業所得について、松太郎が所轄税務署長宛に弁証二三九号の本件料理旅館業を開始した届出書を提出し、同税務署の受理、受付印の押捺された書証が存在する。

(二) 昭和三〇年当時、松太郎は無職で、妻子は同人の郷里、蒲郡市三谷町に住んでいた処、本件の旅館業を開始すると共に、本件の営業場所に妻子と供に移り、松太郎は、自らが館主となつて、后記三の(五)のように、押収にかゝる符三九給料計算表一綴に記載の通り、従業員を使用して同業を営み、符四〇号源泉徴収表一綴り通り、所得税の源泉徴収をして申告納付し、符一三二失業保険者離職票の証明書を発行した各書証が存在する。労働基準局に事業主として、登録をして、被解雇者が失業保険金の給付をうけられるように、同人は当時、失業保険料の半額を経営者として負担していた。

(三) 当時、一人につき、一回一、五〇〇円以上の飲食物を販売した飲食店営業者は、その売上代金の一割相当の遊興飲食税を消費者より取立る義務を県税事務所から負され、徴収義務者として登録をして、毎月申告納付しなければならないことになつていた。

同人は本件所得年度に於て、同税の徴収義務者として、岐阜県税事務所に登録をして(符二〇八号雑書類綴中同人の同所長宛遊興飲食税徴収義務者登録申請書)同税の申告、納付をしておつた。同税の同人宛受領証書も存在する。

(四) 山田松太郎は右昭和三四年(わ)第六二号押収物目録符五二号納税預金メモ四枚を同人宅より押収されておる。

同人は本件営業開始以前の数年間は無職であつたから、本件事業所得の納税準備でなければ、その必要はなかつた。

つまり、このメモ書は同人が本件料理旅館業の許可をうけ同業を開始し、その旨を岐阜南税務署に届出(弁証二三九号営業開始届書)、本件の事業所得税を納付する準備預金をしておつたものと考えざるを得ない。

(五) 本件商業帳簿に関する昭和三四年(わ)第六二号押収目録符四二乃至四五及び同符五四乃至一二四の被押収者欄の記載は山田松太郎となつておる。

大蔵事務官竹市肇作成にわゝる右差押調書によると、松太郎の妻ユキ枝が立会人となつて、右帳簿類全部が松太郎宅より押収されている。この事実からも、本件営業が同人によつてなされていたものであり、その計理監督を、松太郎が自ら行つていたことは明らかである。

符二八、三四、三五本件の営業に関する仕入帳、符三二本件の売上金を預入れた同人名義の当座勘定帳、符三七仕入日計表、符五六伝票その三等はいずれも、松太郎自身が記帳した筆跡である。符四三乃至四八の納品書、請求書の「支払日」「現金とBK」の記入文字の筆跡も同人のものである。

(六) 本件の旅館営業についての売上金小切手、日本交通公社の宿泊券、その他取立を要する金券を、同人の東海銀行犬山支店当座預金口座に入金するための符五一号代金取立通帳の名義も松太郎であり、同人宅より押収されている。即ち、松太郎の妻ユキ枝が右通帳を保管しており、松太郎宅より押収されておる。又、右営業に伴う掛売の飲食代金の送金、振込は全部、右松太郎の銀行口座に諸会社、遊興飲食者よりなされ、昭和三一年度の売上金は同人が受領して、符三二号当座勘定帳に記帳しておつた、各書証が存在する。

(七) 符五四乃至七七売上票のうち、松太郎夫妻が招待した人達及び同人らの飲食代は、全部招待扱となつており、全く入金されていない。つまり、松太郎は自分の経営だからこそ、その接待費を支払う必要がなかつた。即ち、符九〇乃至一二五の入出金伝票中、松太郎より飲食代金の入金がなされたものは全くない。

三、二重帳簿を作成して所得税を免れたと認定されるが、被告人は本件料理旅館業の納税義務者は山田松太郎と考えていた。従つて、被告人には、その必要性も、その意思すらなかつた。勿論作成した事実もない。

(一) 松太郎は弁二三九号の旅館営業開始届を所轄の南税務署へ申告済であつて、名実共に同人の経営であつたから、この事業所得に関しては、同人が申告納付すべきものであつて、被告人が納税義務者に当ることは夢想だにしなかつた。

(二) 押収にかゝる右帳簿類は、被告人自身、若しくは指示して作成したものはない。押収物総目録符二三乃至二五、二七、二八、三二、三四、三五、三七、四二乃至四五、五一、五二、五四乃至八八、九〇乃至一〇〇、一〇二乃至一二三、一三二、一三三、一三五乃至一三七、一四八、二〇三乃至二一五の合計百余冊の右帳簿は、被押収者住所氏名欄の記載によると、各務原市鵜沼、山田松太郎より押収されている。

右帳簿のうち符二八、三四、三五の仕入帳の記載、符五六、五九、六〇乃至七九の売上票の表紙、符四三乃至四八の納品請求書に書き込まれている「日付欄」の「支払日」、小切手と現金の区別に関する記載、「BK」文字の筆跡、符三二の当座勘定帳及び、符三七の仕入日計表並びに、符五六伝票その三の筆跡等は、いずれも松太郎の自書である。右帳簿は松太郎が、自ら或は指示して作成したものであり同人宅より押収されたものである。

(三) 押収にかゝる帳簿は、本件の所得を免れる為、被告人が、故意に法定の帳簿以外に作成した二重帳簿ではない。これらは、被押収者山田松太郎の作成にかゝり、符二八、三四、三五仕入帳、符三二当座勘定帳、符三七仕入日計表、符五六伝票その(三)、符五六、五九、六六乃至七九売上票等には同人の筆跡がある。符四三乃至四八の請求、納品、領収書は同人が記入したと考えられる。同人の筆跡で「支払日」「現金と小切手払の区別」が記入されており、被告人のよく知る処ではないが、架空のものではないと思われる。

例え、右帳簿が法律上の二重帳簿に該当しても、山田松太郎の証言調書(第八回公判一冊)には、右帳簿について、被告人の指示又は、依頼で作成した旨の供述はない。

(四) 右仕入帳の他には別口の帳簿はなく、仕入品の金額や数量に水増し、又は架空の記帳の証拠もない。符五四乃至七七の売上票と右仕入帳及び符四九原材料在庫調の数量は一致しており、売上金が除外してないことは、代金入金のない松太郎夫妻及び同人の接待した分の売上票は、いずれも<招>の押印をして、無料の旨が表示してあることからも、うかゞい知ることが出来る。つまり、代金を請求することもない料理、酒、ビールの売上票までが除外することなく記帳されていることは、その記帳の正確さを示すものであつて、判示の如き二重帳簿を否定する一資料である。

(五) 別口の実際には支払つていない、架空の給与、経費を記録した二重帳簿はない。

符三九給料計算表一綴には、松太郎が実際に支払つた給料のみが、記載されており、松太郎は各被傭者より、所得税を源泉徴収して、符四〇源泉徴収一覧表一綴のように記帳納付しておる。

松太郎は顧傭者として、各被傭者の失業保険金を半額負担して納付し、解雇者には、符一三二失業保険被保険者離職票を交付し、失業保険金の給付をうけさせておつた。

四、昭和三〇年末、松太郎が料理旅館業の許可を受けた土地建物は、原判決四一頁表五行以下に判示された、岐阜県稲葉郡鵜沼町南町に在る岩山の頂上、中腹、下の平地の各土地及びその地上にある建物全部ではない。登記簿によると、二四分冊四九四丁図面一の右土地合計六、七〇〇坪程のうち、同年所有権が村瀬てるから、新阪神産業(株)に移転した一〇筆の土地合計七五〇坪の一部のみで、全体の土地約七千坪の約一割の面積に過ぎない。

(一) 判示の区有地の登記簿上の面積は次の二筆で、合計五四三九坪七合五勺となつており、他に次の四名の所有地一、二六〇坪があつた。(御庁昭和五〇年(ネ)第四八五号、第四八六号土地明渡請求事件添付の公図、登記簿謄本の参照を乞う)

鵜沼南町七四六二番の一 宅地四〇一三坪七合五勺

同町七四六四番 山林四反七畝一六歩

以上所有者 南町区有一八三名

同町七四六番の一、二 宅地三筆四〇二坪

同町七四六三番 以上所有者 三輪静子

同町同 番の三 山林七九坪

以上所有者 三輪誠

同町七四六六番の四 畑 二九歩

以上所有者 三輪ゑ津

(二) 原判決四一丁表五行以下四二丁裏七行に於て、右地上に存在した建物も被告人が取得して旅館営業に使用した旨の認定をされるが、(株)井善が旅館料理業を営んでいた建物(二四冊四九五丁及び四九六丁の図面)は被告人は勿論、新阪神産業(株)も取得していない。誤認も甚々しい。

当該物件は当高等裁判所民事部第一部に昭和五〇年(ネ)第五八五号、第五八六号建物土地明渡請求事件として係争中である。

前記一八三名の区有地二筆五四三九坪余の山の頂上、中腹にある建物は、所有者が当時三輪誠(承継者三輪静子-現在は白川不動産(株)に移転)で、右建物を(株)井善が、賃借して、同業を営んでおつたものである。

(三) 右建物の所有者は、(株)井善及び山田松太郎両名を相手方として、同建物の空渡しを求め、現在、当庁民事部で控訴審理中である。

右裁判に於ては、被告人は昭和三一年当時の訴訟以来、占有者とはされず、当時者として、被告にさえなつていない。つまり、右建物の占有についてさえ、被告人は、なんら関係がないとされておる。

(四) 本件の所得年度昭和三一年当時、判示の土地建物の主たるものは、いずれも、(株)井善がその営業許可を、昭和二四年に得たもので、今日迄休、廃業をしたことはない。(添付の所轄庁の証明書、弁証22号御参照)右建物は、山田松太郎の旅館営業の許可対象にはなつていなかつた。添付の当時のパンフレットの写真の全部が、(株)井善の許可をうけた建物の一部である。

(五) 右三輪静子所有の建物の賃料について、検察官は本件の必要経費と認め、損金に計上している。(一冊一八三丁所得金計算書)

本件の料理旅館営業の右建物内の造作、建具、畳類、電話、風呂、廚房、食器、机、テーブル、椅子等は、いずれも(株)井善の法人税等の滞納処分により、昭和三〇年五月三一日に岐阜南税務署より、全部差押をうけ(弁証三二八)、昭和五〇年三月二一日差押が解除される迄の期間、右建物内に(株)伝善の所有物として、約二〇年間、同社が保管、使用しておつた。(弁三一〇)

(六) 右(株)井善の滞納処分による有体動産類は、(株)井善が廃業しておれば、国税徴収法上、当然換価処分しなければならなかつたもので、二〇年間も執行しないで、競売を延期していた事実から、右差押中の什器備品類を使用して、(株)井善が実体上、料理旅館業を営業していた事実を、当該主轄課税官庁の岐阜南税務署が認諾しておつた事実証明の一資料と、これがなると考える。

五、原判決四〇頁の裏面によると、(株)井善は清算手続に入り、営業活動も右目的の範囲内に制限されるところ、井善は昭和三〇年一〇月三一日限りで、その主 たる目的の料理旅館の廃業届を所轄庁に届出し受理されている旨の認定をしている。

が然し乍ら、

右岐阜県税事務所は飲食店営業に伴う遊興飲食税の徴収義務者を登録し、徴収義務者をして、毎月末までの同税の申告、取立の事務をせしめ又は、扱う処であつて、料理旅館業の許可をする庁ではない。次葉ご参照を願います。

(一) 判示の右符二〇五号雑書類綴中の同届書は、判示届書に該当しない。つまり、(株)井善が主たる目的の料理旅館営業に伴う飲食店営業を廃止する届ではない。元来、同営業をなすためには、旅館業法の定めるところにより、所轄官庁岐阜県稲葉保健所を経由して県知事宛に、許可願を提出し、施設構造上の検査に合格すれば、有効期限を二、三年間に限定して許可され、期限后は更新の手続をして継続を許され、飲食店営業に関する検査指導取締を常時うけるのが(株)井善としては、創業以来三〇年間休廃業したことはない。昭和二四年に願出た前出の土地建物を使用して、本件所得年度の昭和三一年には、同業を営んでおつたことは前出の通りである。

(二) 旅館業法によると、県知事の許可がない建物では、同業は営めない筈であるが、(株)井善は増築して未許可のまゝ建物を使用し、手続を怠つたまゝ営業をしておつた。又改築の場合も同様に、申請して許可を要することになつているが、(株)井善は許可をうけていなかった。

右(株)伝善が増、改築をした建物についてのみ、新たに、山田松太郎が、本件の料理旅館についての飲食店営業許可を申請し、昭和三〇年末に許され、同人は弁二三九号料理旅館業の営業開始届を所轄の岐阜南税務署へ提出して、その控に、同庁の受付押印をうけている。

○岐阜県税条例

<省略>

(三) 原判決四一頁五行以下に判示の城山荘の土地建物については、昭和三一年度に於ては、(株)井善の法人と山田松太郎個人の企業態が、それぞれ料理旅館業を許可を受けて同業を営んでおつた。

主轄官庁でみる限り、(株)井善は同業を創業以来、休廃業することなく、今日迄約三〇年間営業をしておる。(末尾添付の証明書ご参照)原判決認定の如く(株)井善又は山田松太郎のどちらか、一つの企業態が、同業を営んでおつたものではない。

六、原判決四〇丁表八行以下によると、井善は次項に述べる経緯で昭和三〇年一二月一〇日株主総会の決議により、解散して清算手続に入り、その后昭和三三年三月二二日に至り、右井善を継続する旨手続をなしたものである。従つて、本件係争年度は、清算手続中であつて、清算の目的の範囲内で井善は存在していたに過ぎず、営業活動も右目的の範囲内に制限される旨認定される。

が然し、

(株)井善が清算中に、残務処理の形態で同営業をなさねばならなかつた事情は左のとおりである。

(一) 同じ場所で同業を松太郎と(株)井善の二企業態が競争して経営するのは、一企業に比較して、企業経営上、甚々しく無駄が生じ、人件費、原材料、光熱費等の損失が多く、企業としては合理的ではなかつた。

(二) (株)井善は直接、又は、旅行業者を通じて、半年乃至一年后の宿泊、慰安、研修旅行の予約をうけていた。のみならず、日本交通公社、近畿ツーリスト、日本旅行会、日本交通旅行会、名鉄観光等の旅行業者を通じて、全国的に、二年乃至三年間位の送受客契約をしており、一方的に、すぐ廃業すれば、(株)井善は当然、右契約不履行による損害賠償の責を負わなければならなかつた。

(三) (株)井善は昭和二九年乃至三〇年の従業員の未払給料も優先して支払わねばならなかつた。

飲食代金と(株)井善の債務金との相殺による弁済を、よぎなくされることが多く、経営上、職員の給与の支払に困つた。商法上の会社としては、判示のように、営業全体を松太郎に賃貸した形式をとつて、つまり、清算中の形にして、旅行業者との契約を履行した。よつて、(株)井善は旅館業法上の食品衛生法上、実体上では、同営業を廃止していなかつた。

(四) (株)井善は資本金一〇〇万円の数十倍の簿外債務があつて債務を否認すればトラブルが生じ、営業上好ましくなく、旧債務の整理、流動資金のやり繰りに支障が生じた。

(五) (株)井善の営業は昭和三〇年一一月一日以降、当時同社の取締役松太郎に委せ、同人が(株)井善の営業を負請う形態にして、契約中の宿泊、飲食の処理及び残債務の処理をする他なかつた。被告人は別に所得を隠匿する犯意はなく、本件料理旅館の事業所得は、松太郎が、当然、自主申告するものと考え、この申告をしなかつたゞけである。

(六) 旅館業を許可する監督官庁の保健所側からみて、(株)井善は創業以来休廃業したことはなく、松太郎に委せても、被告人は同社の業務執行責任者の一人として、アドバイスが出来るように、同業について、松太郎の支配人として登記した。(弁四七五)松太郎の営業については、たゞそれだけであつて、本営業所得が被告人に帰属するこはなかつた。

七、原判決四五丁八行以下裏三行によると、山田隆の証言調書「昭和三三年五月二二日に城山荘を出た。いてもいゝことないし、金を出しても利益、分前なし、名前を使われるだけのことでおつてもしようがない・・」とあるのに注目したい。松太郎が城山荘の経営者であるならば、このようなことは考えられない。松太郎が真の経営者ではなかつたが故に、利益も分け前も貰えず城山荘を出たものと解するのが妥当である旨判示されるが、然し乍ら、

(一) 右供述は松太郎自身の証言ではない。同業を手伝つていた同人の息子、隆の証言である。隆から被告人は金を借りたことはない。松太郎からも同様である。隆の名前を使つたと同人はいうが、被告人は隆の名前も、松太郎の名前も使つことはない。使う必要もなかつた。又、被告人は隆や松太郎に借金を申込んだり、事業の出資を求めたこともない。隆に協力を求めて、同人を呼びよせたり、雇つたこともない。従つて、被告人の使用人でもなかつた。

(二) 昭和三三年五月二二日隆が城山荘を出た実際の理由は次のとおりである。同人の父、松太郎は蒲郡市三谷町に於て、太平洋戦争まで織布工場を営んでおり、企業統制令によつて廃業したが、本件の旅館業を営むに当り、妻子に手伝せるために、息子の隆と、妻のユキ枝の両名を呼び寄せ協力させた。元々、被告人が同人らを雇傭したり、頼んだのでもなかつた。

松太郎は一人息子の隆が年頃となり、昭和三三年嫁を迎え息子夫婦に空屋になつている自分の所有する家で新婚生活をさせたかつた。隆自身もしたかつたからである。嫁の百合子は子供が出来たが、夫が無職ではと思つて、自動車工場に入れたとか、被告人に語つた。

(三) 隆の「いてもいゝことなし、金を出しても利益、分け前なし、名前を使われているが、それだけのことで、おつてもしようかない」旨の証言を捉えて、松太郎は経営者に当らないとされるが、本件の旅館営業について

(1) 経営に無関係の松太郎又は息子の隆が、利益、分け前を期待し、受取る権利があると考えるだろうか。松太郎はいつでも、自由に、廃業は可能だが、城山荘を出て住居移転に際して、同人は被告人に代えて、二村隅子を支配人に選任登記しておる。

(2) 経営者でない松太郎が、その家族と共に食し、或は客を接待して飲食した営業上の酒食を、金を払わずに、おられるものであろうか。符54ないし77の売上票によつて、その事実が明らかであることは既に述べた。

(3) 松太郎妻子の居住した土地建物に対する賃料も毛厘も支払われた形跡はない。それどころか、営業用土地建物に関する新阪神産業(株)に対する賃料の前払手形金の履行すらない。

(4) 符九〇乃至一二五の入出金伝票によると、利益、分け前名目の出金はないが、給料の形式で妻子と共に松太郎自身、毎月、定期に定額の出金をしていたし、その他昭和三一年度に於て、数百万円も理由、名目不明の金を、出している。

(5) 被告人がもし経営者であつたならば、事務能力は勿論電話の応待すら満足に出来ない同人の妻子は、即日解雇したであろう。松太郎の経営だからこそ、被告人は口をはさまなかつたし、その権利もなかつた。

(6) 本人は勿論、隆にも松太郎の名前を使せてくれと頼んだことはない。被告人の支配を受けることなく、松太郎は自身、いつでも廃業出来た。被告人は同人の名前を借りる程、同人のネイム・バリューを評価しなかつた。たまたま同人が無職だつたので、よかつたら経営してみませんかと話し、同人が応じたゞけのことである。

証拠標目(被告人提出分)

弁証控訴番号 第一号

標目 国会図書館目録のうち

第二編社会科学五七四頁の写し

弁証控訴番号 第二号

標目 谷山治雄編著 東洋経済新報社発行

「脱税」の目次と奥付

立証趣旨

昭和三二年四月二八日に右弁控証一及び二の「脱税」を読んだ事実を以つて、被告人が本件全般の犯行を決意したとは到底いゝ得ない。なんとなれば、

一、原判決六丁七行の証拠の標目、昭和三七年押四七号符一四号の右「脱税」を読ゝだ旨記載のある日記帳は、本件所得年度の二年后の手帳である旨が、右手帳五頁に印刷してある他に、年齢早見表末尾の昭和三二年生まれの年齢が〇才とあることでも、昭和三二年の印刷は明確であるが、昭和三二年であることの補充として、更に「脱税」の出版が、本件の二年后の刊行物であることを証明する。即ち、

二、右図書は弁控証一の国会図書館目録第二編社会科学五七四頁の写しにより、及び弁控証二の「脱税」の奥付写しによつて、昭和三二年に発行された書物であることを証明し、本件の昭和三〇年以前に於ては、右書物を閲覧することが不能である事実を証明する。

三、図書名からは脱税の手段方法の内容かと思わしめるものがあるが、社会科学の分類に属し、目次から見ても、脱税を意図せしめるような本ではないことを証明して、原判決が全くの誤認である事実証明をする。

弁証控訴番号 第三号の一

標目 公証人宮脇信介の事実実験に関する公正証書(謄本)

弁証控訴番号 第三号の二

標目 東京株式日報

立証趣旨

原判決は一七丁四行以下に於て、登記簿上の本店所在地に営業所が、おかれていなかつたことを捉えて、新阪神産業(株)の貸付金を否認して、被告人個人の貸金所得とみた理由の一つとされるが、東京証券取引所の株式市場の上場取引銘柄、国際航業(株)は登記簿上の本店所在地に、事務所、営業所がなく、株式の名義書換が不能であつた事例を証明し、現在も東京株式市場第二部で、同会社の株式は売買されておる事実を証明する。

弁証控訴番号 第四号

標目 中尾正三所有家屋登記簿謄本

弁証控訴番号 第五号

標目 昭和二九年分中尾正三の贈与税申告受取証

弁証控訴番号 第六号乃至第九号の三

標目 同年分の同人の贈与領収書

弁証控訴番号 第一〇号

標目 昭和三〇年分同人の贈与税領収書

弁証控訴番号 第十一号

標目 贈与税徴収猶予許可書

弁証控訴番号 第十二号及び十二の二

標目 同税三万三、五九〇円の納入催告書

弁証控訴番号 第十三号の一

標目 右同

弁証控訴番号 第十三号の二

標目 不動産取得についての問合せハガキ

立証趣旨

原判決は二三丁裏によると、中尾正三が融資に充てた金員は、被告人より贈与をうけた資産というが、同人は所得税等の申告や納税の形跡がない旨の認定をしているが、同人は本件の八年以前より建物を所有しており、申告、納税をしていた事実の立証をする。よつて、原判決の誤認の証明をする。

弁証控訴番号 第十四号

標目 山根義雄の証明書

立証趣旨

被告人が手形割引の方法で三光タクシー自動車(株)に貸付けた総額八二四万円の債権を昭和三一年二月二日に宮本勢之助に金二五五万円にて譲渡した事実及び、昭和二九年一月二三日公正証書による貸付金一五〇万円の元利金の支払を、昭和三一年二月二日支払免除した事実を、右債務会社の元代表取締役山根義雄の証明書で立証する。被告人の課税所得金額は、右債権譲渡損及び債権放棄によつて合計七一九万円の赤字になつたと信じ、所得税の申告をする必要はないと考えて理由を証明する。

弁証控訴番号 第十五号(株)井善が使用中の三輪静子所有建物

標目 内田一郎の「証」と題する書面

立証趣旨

原判決書三一丁裏によると、大阪簡裁の和解は(株)内田商店及び内田商事(株)を当事者とした同法人の手形、小切手の割引による貸借に関して、不動産担保が提供されたものである旨認定されるが、右和解は当事者が内田一郎個人で、同人の準消費貸借割賦金三九〇万三、九〇〇円の債務についての和解であることを証明し、右取立済とみた認定の誤謬を証明する。

弁証控訴番号 第十六号

標目 大東健治の証明書

立証趣旨

土地が担保にはなつていたが、九〇万円回収したのみで、残余の一八〇万円は回収不能であつた事実を証明。

弁証控訴番号 第十七号

標目 土地台帳公図の写し

弁証控訴番号 第十八号の一、二

標目 土地登記簿謄本(鵜沼南町一八三名の共有地二筆)

弁証控訴番号 第十九号の一ないし四

標目 右同(三輪静子他二明の三筆)

弁証控訴番号 第二十号

標目 城山荘のパンフレット

弁証控訴番号 第二十一号

標目 建物登記簿謄本

弁証控訴番号 第二十二号

標目 岐阜稲葉保健所の証明書

立証趣旨

一、料理旅館業について、原判決四一頁表五行以下によると、被告人は山田松太郎名義で岐阜県稲葉郡鵜沼町に在る山の頂上、中腹、下の平地の各土地及び、その地上にある建物を使用して同業を営んだ旨認定されたが、右山の上、中腹、下の平地の主たる建物は、いずれも(株)井善が昭和二四年に営業許可をうけたものであつて、松太郎が許可をうけたものではない。右弁証控第二十号城山荘の当時のパンフレットの写真は、全部(株)井善が許可をうけた建物の一部に当り、被告人は同建物を取得していない事実を証明。(弁証控第二十一号)

二、二四分冊四九四丁の(株)井善、城山荘構成図その一の土地、一七筆計六、七〇〇坪及び三輪静子他二名の三筆計五一〇坪、総計七、二一〇坪を被告人が昭和三〇年に取得した旨認定されたが、その事実がない証明をする。即ち、

(一) 右土地二筆坪は、当時鵜沼南町一八三名の共有地で、被告人に所有権の移転がなかつた事実を証明する。

(弁証控十八の登記簿謄本)

(二) 三輪静子他所有の三筆五一〇坪も、同様に被告人は取得していない事実(弁証控第十九号の登記簿謄本)

三、二四分冊四九四丁乃至四九八丁の(株)井善、城山荘構成図の土地建物を、(株)井善は本件以前より使用して、料理旅館業を営み、現在に至つている事実を弁証控第二十二号の主管庁岐阜県稲葉保健所の証明書で立証する。

弁証控訴番号 第二十三号

標目 家屋登記簿謄本(弁証控訴四号の森下都所有分)

弁証控訴番号 第二十四号

標目 森下都の印鑑証明書

立証趣旨

右謄本によつて、昭和二二年四月一一日現在森下都は貸家一棟を所有した事実。同人には、同人名義で、同人の印鑑証明書の印鑑を池田銀行梅田支店に届出た、本件所得年度以前に預入れの銀行預金が総計九、九三二万円あつた(記録八冊二〇二丁~二一六丁、同冊二二六丁~二二九丁)の他、大阪不動銀行本店他十余行に合計三、三二〇万円の定期又は通知予金(控訴趣意書丁数第四八丁)があつた事実を証明する。

弁証控訴番号 第二十五号

標目 不渡り約束手形(昭和三一年三月二一日払)

立証趣旨

原判決別表一の有沢商事(株)に、中尾正三は昭和三一年一月一七日手形割引の方法にて、支払期日同年三月二一日、(株)住友銀行梅田新道支店で貸付け、予金不足で不渡りとなり、手形額面分の損害をうけている。

弁証控訴番号 二五号の二ないし四

標目 和解調書、登記簿謄本、念書

立証趣旨

控訴趣意書一五の証明。即ち、有沢商事(株)、中尾正三間の弁証331号抵当権設定金銭消費貸借契約公証証書の五〇万円の債権は右謄本の通り代金弁済で削減し、物件所有社に異存がなかつた事実。

弁証控訴番号 第二六の一~三

標目 不渡小切手 三枚

立証趣旨

有沢商事(株)、神沢益次郎は小切手を振出しても支払をしない事実を証明する。

証拠証明書はタイプ中につき后より補充します。

<省略>

証明書

三光タクシー自動車(株)は自社振出し手形を、手形割引の方法で中尾初二より(息子の中尾正三ではなく)十数回に亘り借り受け昭和二九年一月五日現在で同人に対する債務金は総額八二四万円存在し、その后一月二三日に金一五〇万円を借り増し合計九七四万円を借り受けました。

大阪地方裁判所昭和二九年(ヒ)第二二号会社整理事件の決定によつて、昭和二九年三月一八日以前に負担した債務は、二年間据置き五年間の年賦分割支払、無利息となり、一切の弁済が禁止され、支払得なかつたから、右利息の支払や、元本の返済は全然しておりません。

私所有の大阪市北区堂島北町十六番、家屋番号六〇番、車庫一棟建坪三三坪七合五勺を、右債務の担保として中尾初二に差入れていたが、このまゝ支払わないと右車庫の買戻権を消失する恐れがあつた為、血縁の宮本勢之助に私が頼んで、手形割引の方法による中尾初二よりの総額八二四万円の借受債務を、同人より二五五万円にて、私が立会の上、右宮本に譲受けて貰い、右車庫は私に返戻され、その移転登記もして貰いました。

大阪簡易裁判所昭和二九年(イ)第八号債務確認等請求事件の右八二四万円の借受金債務は宮本勢之助が二五五万円を中尾初二に支払い買取つたもので、従つて、残余の五六九万円及び利息を中尾初二に支払つておりませんし、その必要もありませんでした。

前記金銭消費貸借公正証書によつて追加借した一五〇万円についても、宮本が中尾初二より右債権譲渡を受けた昭和三一年二月二日に、元利全額共、債務支払の免除を中尾初二より受けました。

右に相違ありません。

昭和五四年四月一三日

兵庫県芦屋市松ノ内町四番七号

元 三光タクシー株式会社

代表取締役 山根義雄

<省略>

和解調書

裁判官 福本一

裁判所書記官補 小倉みよ子

列席の上事件の呼上を為したるに

申立代理人弁護士 中元兼一

相手方本人 内田一郎

相手方本人 内田全也

各出頭

右期日に於いて明確にする事左の如し当事者双方に於いて左の通り和解をなしたり

当事者の表示

大阪市北区小深町弐拾参番地

申立人 中尾初二

大阪市北区老松町二丁目三十一番地

申立代理人辯護士 中元兼一

大阪市西成区千本通壱丁目四拾壱番地

被申立人 内田一郎

同所

同 内田全也

一、代物弁済等和解申立事件

申立の趣旨

別紙「和解条項」記載の通り和解御勧告を求む

申立の理由

一、申立人は昭和廿九年弐月拾日被申立人両名及び申立外株式会社共立組との間公正証書を以て左記要旨の契約を締結した

一 共立組が被申立人両名に対して有する金参百九萬参千九百円の準消費貸借上の債権及別紙第一、第二目録記載物件に設定しある抵当権を共立組より申立人に譲渡し被申立人は之を承諾した。

二 被申立人両名は連帯して申立人に対し其の債務金参百九萬参千九百円を昭和廿九年弐月末日を初回とし昭和廿五年四月迄毎月金参萬円宛(ロ)昭和廿年弐月五日金八拾壱萬円(ハ)昭和廿五年五月廿壱日金弐参千九百円に分割し申立人住所に持参支払ふこと

但、一回でも遅帯した時は右分割朋払の利益を失い残額一時に請求せられても異議なきこと

三 被申立人両名が右の支払をしない時は申立人は抵当権の実行に代へ本抵当物件の価額を本債権額と同等と看做し即時代物弁済として充当決済せられるも異議なきこと

二、然るに、被申立人は前記契約にも不拘初回たる昭和弐拾九年弐月末日支払の金参萬円支払はないのみならず此の上更に申立人に対し借金の申込を為す始末であるから到底今後の支払を期待することが出来ないので全額の請求をした処被申立人より種々の示談交渉を受けた結果別紙記載の様な和解が成立する見込がついたので本申立に及んだ次第である。

和解条項

一、被申立人両名が申立人に対し負担する金参百九萬参千九百円の債務の支払に代へ被申立人内田一郎は其の所有に係る第一目録記載物件を被申立人内田全也は其の所有に係る第二目録記載物件を申立人に対し代物弁済として本日提供した。依て直ちに被申立人両名は其の旨登記手続を為すこと。

二、被申立人内田全也は其の所有に係る第三目録記載物件に付本日申立人の為左記賃借権を設定したので其の棟登記すること

(イ) 賃貸借期間は本日より向ふ参ケ年間

(ロ) 賃料は壱ケ月に付金五百円とし参ケ年分は既に受領済

(ハ) 申立人の申出ある時は期間満了の時は之を更に更新することが出来る

(ニ) 申立人は右賃借権を他に譲渡し又転貸することが出来る

三、昭和廿年四月拾日限被申立人一郎は第一目録記載物件を被申立人全也は第二目録記載物件を申立人に対し明渡さねばならない。

四、被申立人両名が昭和参拾年参月末日迄に金弐百五拾萬円を申立人に現実に提供して買受申込をした時は申立人は之を売渡さねばならない

尚此の場合申立人は第二項記載の賃借権を放棄する旨の特約する。

以上の場合何れも当事者は夫々必要な登記手続をせねばならない

五、申立費用は各自弁のこと。

裁判所書記官補 小倉みよ子

裁判官 福本一

<省略>

和解調書

裁判官

裁判所書記官補 小倉みよ子

列席の上事件の呼上を為したるに

申立人 中尾正三

相手方代理人弁護士 中元兼一

各出頭

右期日に於いて明確にする事左の如し当事者双方間に於いて左の通り和解をなしたり

大阪市北区小深町貮拾五番地

申立人 中尾正三

芦屋市打出小樋町五拾四番地

被申立人 有馬頼興

大阪市北区老松貮丁目参拾壱番地

右代理人

弁護士 中元兼一

一、家屋明渡等和解申立事件

申立の趣旨

別紙「和解条項」記載の通り和解御勧告を求む

原審弁証331参照 申立の理由

一、申立人は被申立人の懇請に依り昭和貮拾八年六月拾五日金五拾萬圓を弁済期日昭和貮拾八年七月拾貮日と定め当別紙記済土地建物に第一順位の抵当権を設定し、且期日に支拂なき時は其の翌日抵当物件を代物弁済として提供する旨の予約を為した上貸渡した処、被申立人は期日到来しても一向に支持をしない。

依てこれが履行に付属々交渉を重ねた結果漸く別紙記載和解条項の通り和解成立の見込みがついたので本申立に及ぶ次第であります。

和解条項

一、被申立人は申立人に対し負担する金五拾萬圓の借受金債務の履行に代へ別紙記載物件を本日金五拾萬圓と看做して申立人に代物弁済として充当した。依て直ちに其の旨の登記手続をしなければならない。

二、被申立人が昭和貮拾九年四月末日迄に金五拾萬圓を現実に提供して右物件の買受申込を為した時は申立人は之に応じなければならない。

三、被申立人は前項の申込をなすことなく前項期日を徒過した時は買受申込の権利を失い直ちに別紙記載土地及家屋を申立人に対し明渡さねばならない。

四、被申立人は申立人に対し同年五月壱日から右明渡完了するに至る迄壱日付金八百五拾圓の損害金を支払はねばならない(月五分の割)

五、申立費用は各自弁のこと

以上

裁判所書記官補 小倉みよ子

裁判官

物件目録

大阪市福島区海老江上壱丁目五拾壱番地の拾

一、宅地 拾九坪参合八勺

仝所 五拾壱番地の拾壱

一、宅地 参拾五坪五合壱勺

仝所 五拾壱番地の拾貮

一、宅地 拾坪六合貮勺

仝所 五拾壱番地の拾地上所在

一、木造スレート葺平屋建車庫 壱棟

建坪 拾参坪壱合五勺

<省略>

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