名古屋高等裁判所 昭和54年(う)66号 判決 1979年6月04日
被告人 Y
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人渡辺明治名義の控訴趣意書(なお、当審第一回公判調書中の同弁護人の釈明参照)に、これに対する答弁は、検察官浅田昌巳名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
控訴趣意第一(法令適用の誤り)の論旨について
所論は、要するに、原判決は、被告人は原判示A、同B、同Eに対し自己と性交する女子中学生を誘い出してくるよう申し向け原判示C子、同D子、同F子、同G子の四名と性交し、もつて右Aらが児童に淫行させる行為をしたことを教唆したと認定したうえ、被告人の右各行為は、右Aらの各児童福祉法三四条一項六号違反の罪の教唆犯に該当するとしたが同号にいう「児童に淫行をさせる行為」とは、児童に対し自己以外の第三者と性交することを作為する場合をいうことが明らかであり、児童の性交の相手方となること自体は処罰されないと解すべきであるから、児童の淫行の相手方となつた被告人を児童福祉法三四条一項六号違反の罪の教唆犯として処断した原判決は、法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。
そこで検討するに、原判決は、罪となるべき事実(第一ないし第四)として、被告人が原判示Aらに対して自己を相手方として性交する女子中学生を誘い出してくるよう申し向け、よつて同人らをして原判示女子中学生C子ほか三名を勧誘させて同女らを被告人に紹介させたうえ、同女らと性交し、もつて児童福祉法三四条一項六号にいう「児童に淫行をさせる行為」を教唆した事実を認定し、同号及び刑法六一条一項を適用処断していることが判文上明らかである。
所論は、被告人は児童の淫行の相手方であるから同号の適用を受けない旨主張するが、本件のように、被告人が他人を教唆し、同人をして児童に淫行をさせる行為を実行させた場合には、右淫行の相手方が被告人自身であつたとしても、これにより被告人の前記児童福祉法違反教唆罪の成立は妨げられないものと解するのが相当である(東京高等裁判所昭和五〇年三月一〇日判決・家裁月報二七巻一二号七六頁参照)。したがつて、原判決に弁護人の所論のような法令適用の誤りは存しない。(なお、同所論引用の大審院昭和八年一一月二七日判決・刑集一二巻二一三四頁は、教唆者が被教唆者と共に教唆にかかる犯罪を実行したときは正犯の単純一罪をもつて処断すべき旨判示したものであるから、本件に適切でない。)
控訴趣意第二(量刑不当)の論旨について
所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当である。というのである。
所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、証拠に現れた被告人の性行、経歴、前科をはじめ、本件各犯行の動機、態様、罪質等、とくに、本件各犯行は、前記のとおり、被告人の教唆により、前記Aら三名をして甘言を弄して同人らの同級生、下級生または知人の女子中学生四名を被告人のもとに誘い出させ、被告人自ら右女子中学生らと各性交に及び、もつて児童に淫行をさせる行為を教唆した事案であつて、その各犯行の態様及びその結果はまことに悪質かつ重大であり、加えて、被告人は、これまでに、原判示の累犯前科を含めて、暴力事犯により合計五回にわたつて処罰を受けたほか、本件各犯行とほぼ時期を同じくして犯した愛知県青少年保護育成条例違反の罪により昭和五三年九月一日岡崎簡易裁判所で罰金刑に処せられた前科があることなどを総合考察すると、原判決の量刑(懲役九月)は相当であつて、肯認しうる被告人に有利な一切の事情を十分に斟酌しても、右量刑が弁護人の所論のように重過ぎて不当なものであるとはとうてい認められない。本論旨もまた理由がない。
よつて、本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 服部正明 土川孝二)
〔参考一〕 控訴趣意書(弁護人作成)
原判決は、公訴事実と同趣旨の事実認定をなし、被告人に対し懲役九月の実刑を言渡したが、法令の適用の誤りおよび量刑不当が明らかであるから破棄を免がれないものと思料する。
第一、法令の適用の誤り
一、原判決は、被告人がA、B、Eに対し、自己と性交する女子中学生を誘い出してくるよう申し向けて、C子、D子、F子、G子の四名と性交し、右Aらが児童に淫行させる行為をなしたことを教唆したとして有罪の認定をしたが、明白な法令の適用の誤りがある。
すなわち、被告人の行為が児童福祉法第三四条一項六号の「児童に淫行をさせる行為」に該当するというのであるが、その犯罪構成要件は、児童が自から性交する行為或いはその相手となること自体を禁止し処罰するものでなく、被告人が児童に対し自己以外の者と性交することを作為した場合を構成要件としていることは明白であるから、被告人は自己の性交の相手方になる女子を勧誘するよう指示したものであり、被告人は、児童が淫行する相手方になることが前提であるので第三者と淫行させることを条件とする構成要件を充足しないことが明白である。
二、次に、原判決は、被告人の行為は刑法第六一条一項の教唆に該当するというが、被告人が前記Aらに教唆した内容は自己と性交する女子を勧誘することであり、自から女子の淫行の相手方となることを前提としているので、児童に淫行させる行為に着目すれば被告人はAらと共同正犯の関係にあると解すべきであるから、共同正犯と教唆が競合するときは教唆罪は実行した正犯の罪に吸収されるので(大判昭和八年一一月二七日刑集一二巻二一三四頁)教唆罪を別個に取上げて処罰できないことは明白です。
三、右の如く原判示の認定事実が児童福祉法第三四条第一項六号の「児童に淫行させる行為」の解釈を誤り、結局、児童淫行の相手方となつた被告人を教唆罪で処罰した違法は明白です。
第二、量刑不当
原判決は、違法な事実認定をなした上被告人に懲役九月の実刑に処したが、被告人は、現在名古屋地方裁判所岡崎支部において強盗致傷等の事件が係属しており、本件と併合審理されれば仮りに有罪の認定をされた場合でも併合罪として有利な取扱を受けるのは当然の結論であるから、量刑不当は明白であり、控訴審において併合の上量刑されることを希望します。
右の次第で控訴しました。以上。
〔参考二〕 答弁書
本件控訴は、理由がないので棄却を相当と思料する。
一 法令適用の誤り
所論は、「児童に淫行をさせる行為」とは被告人が、児童に対し自己以外の者と性交することを作為した場合を構成要件としているから、被告人は、児童が淫行する相手方になることが前提であるので構成要件を充足しない。また被告人がA、Bらに教唆した内容は、自ら児童の淫行の相手方となることを前提としているので、児童に淫行させる行為に着目すればAらと共同正犯の関係にあるから、教唆罪は正犯の罪に吸収されると主張するのであるが、右主張は独自の解釈であり法令の適用の誤りは認められない。児童福祉法第三四条第一項第六号にいう「児童に淫行をさせる行為」のうちには、児童に対し事実上の影響力を及ぼし児童が淫行をなすことを助長し促進する行為をも包含するものと解するのを相当とする(最高裁・昭和四〇年四月三〇日第二小法廷決定)から、本件児童のC子、D子、F子及びG子らが被告人の要求により被告人と性交するに至つたものであつても、右AらがC子ら四名に被告人と性交させる目的で勧誘し、同女らを被告人に紹介した行為は、右C子ら四名が淫行をなすことを助長し促進した行為として右「児童に淫行をさせる行為」に該当するものというべきである。なお所論のとおり「児童に淫行をさせる行為」には、自己が直接児童と淫行した場合は包含されないと解するが、本件のように、右Aらを教唆し児童をして自己を相手方として淫行させる場合は、児童をして第三者と淫行させる場合と区別すべき理由がなく、また右Aら被教唆者にのみ児童に淫行させた責任を問うべきものではなく、教唆者も同法条の罪の教唆犯として責任を免れることができない(福岡家小倉支判・昭和三五年三月一八日、東京高判・昭和五〇年三月一〇日、東京家判・昭和五一年一〇月二六日参照)ことは明白である。
また、Aらの供述によれば、被告人の「シャブをやると女とやりとうなる、やれるええ女おらんか、同級生ぐらいでいいわ、すぐ連れて来い」などと申し向ける行為がなかつたならば、右C子ら四名の児童に淫行をさせるまでの犯意を生ぜしめなかつたことが明らかに認められる(証拠ー編略)から、被告人の言動が右Aらの児童福祉法違反行為の教唆にあたることは明白であり論旨は理由がない。
二 量刑不当について
本件犯行の態様は極めて悪質というほかはない。前記Aら児童を教唆して自己の性交の相手方として前記C子ら四名の児童を紹介せしめ、同女らに覚せい剤を使用したうえ性的欲望を満たしたもので、児童福祉法の精神を真向からじゆうりんするものであり、その犯情は極めて重いものがあるが、量刑は別件の強盗致傷被告事件が公判係属であることを十分考慮したものであるから、原判決の量刑は相当であつて論旨は理由がない。