名古屋高等裁判所 昭和55年(ネ)671号 判決 1981年7月16日
控訴人(附帯被控訴人)
千代田火災海上保険株式会社
右代表者
川村忠男
右訴訟代理人
田邨正義
被控訴人(附帯控訴人)
安鍾永
被控訴人(附帯控訴人)
朴玉伊
右両名訴訟代理人
片山主水
主文
一 控訴人の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。
被控訴人(附帯控訴人)らの請求を棄却する。
二 本件附帯控訴を棄却する。
三 訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。
事実《省略》
理由
一昭和五二年六月八日午前四時二五分頃、名古屋市南区上浜町三〇番地路上において、青木が運転し正道が助手席に同乗する本件乗用車が道路右端の電柱に衝突したことにより、正道が頭部外傷等の傷害を受け同日死亡したこと及び訴外会社が昭和五二年六月六日その所有にかかる本件乗用車につき控訴人との間に保険金額金一五〇〇万円の自賠責保険契約を締結していたことは当事者間に争いがない。
二被控訴人らは、訴外会社は自賠法三条の運行供用者であり、正道は同法条の「他人」であると主張し、控訴人は、訴外会社が運行供用者ではなく、正道と青木が共同運行供用者であり、正道は「他人」に該当しないと主張する。
よつて検討するに、<証拠>によると、次の各事実を認めることができる。原審証人青木の証言中右認定に反する部分は前掲乙第一六号証と第三、第六号証(実況見分調書、捜査報告書)中の「本件事故直後本件乗用車の運転席と助手席の間にシンナーの臭のするビニール袋一個が落ちていた」旨の記載に照らして措信することができないし、他に右認定を覆すに足る証拠がない。
1 (訴外会社の本件乗用車の駐車状況等について)
訴外会社は、名古屋市南区上浜町三六番地において、自動車修理販売業を営み、昭和五二年六月六日頃その所有に係る本件乗用車(この点は当事者間に争いがない)につき道路運送車両法に基づく運輸大臣の検査(いわゆる車検)を済ませたうえ、これを顧客から車検のため預る車両の代車用ないし従業員の業務用に使用していたところ、訴外会社の従業員訴外河合敏雄は、同月七日午後七時四〇分頃、本件乗用車を運転して出張先から訴外会社事務所及び修理工場の前面にある道路まで帰り、幅員約7.5メートルの道路の右事務所建物の向い側の位置(東西に走る道路の南端沿い)に西向きの状態で駐車したのであるが、その際間もなく訴外会社の碓井隆清社長がいつものように本件乗用車を使用して帰宅するものと考え、エンジンを停止しブレーキをかけたもののエンジンキーを差し込んだままにし、ドアにロックをしなかつた。右駐車の状態は、右事務所から見通すことができるので、訴外河合は、特に碓井社長に右駐車の状況を報告することもなくその頃退社した。ところが、右河合の予想に反し、碓井社長は、右事務所における来客との応待が長引き、翌八日午前一時半頃来客が乗つていた乗用車に同乗して事務所から退出したため、本件乗用車はそのまま公道上に無施錠の状態で駐車されていた。
2 (正道と青木が本件乗用車に乗り込んだ目的等について)
正道と青木は共に本件当時一六歳の少年で、正道の住所(被控訴人らの肩書住所)から歩いて四、五分の近隣に青木の住所があり、中学二年生の同級生の頃から四、五名の仲間と常習的にシンナーやたばこを吸い、自動二輪車又は普通乗用車を盗み出して共に無免許で乗し廻し交通事故を惹起するなど、警察の補導を各数回受けていた。特に本件事故の約二か月前の昭和五二年四月一二日には、友人の盗み出した乗用車を青木を同乗させて正道において運転中民家の植木を破損する交通事故を起したことがあつた。右のようにシンナーを常用し、無免許運転に興味を示す仲間同志であつた正道と青木の両名は、同年六月八日午前零時過頃、秘密の隠し場所から各自ビニール袋に通常コップ半分位の量のシンナーを取り出してこれを携行し、両名の自宅から直線距離で約1.8キロメートル離れた名古屋市南区元鳴尾町所在星崎第二公園付近の新幹線高架下公道上に放置された廃車(普通貨物自動車)の座席に入り込んでビニール袋の中からシンナーを吸い始め、同日午前四時前頃周囲が明るくなり始め、通行人などから発見されて警察に通報されるのをおそれ、自宅へ帰るべくビニール袋を携行して歩き始めた。正道と青木は直線距離で約八〇〇メートル歩いた後訴外会社前の公道を東から西へ通りがかり、同所に駐車中の本件乗用車を見付け、青木において半ドア状態の運転席ドアを開けて運転席に乗り込み、正道も自から助手席ドアを開けて助手席に乗り込んでそれぞれのドアを閉じた。青木は間もなく、エンジンキーが差し込んであるのを見つけ、自宅へ乗つて帰るため本件乗用車を窃取しようと決意し、自分のシンナー入りビニール袋を正道に「持つていてくれ。」と頼んで手渡した上、エンジンを始動して本件乗用車を発進させた。青木の運転する本件乗用車は約一一七メートル西方へ直進して丁字型交差点(南北に交差する道路の有効幅員約5.5メートル)を北へ右折したが、約三四メートル進行した地点で道路右端に立つているコンクリート製電柱に正面から激突し、青木はその衝撃によりハンドルで胸腹部を強打受傷するにとどまつたが、正道は助手席から前面のフロントガラスに頭を突込み、ダッシュボードに胸腹部を打ちつけ、頭部外傷のほかガラスの破片で頭や首に重い切創を受けて出血し、意識不明のまま病院へ収容されたが、同日午前五時三〇分死亡した。
3 (正道の意識状態について)
正道は前示のとおりシンナー遊びをしていたことから正常な判断ができる状態ではなく、本件乗用車の助手席に着席したときは、「ビニール袋を持つてグターとしていた(乙第一六号証)」のであるが、なお前示のように自から本件乗用車の助手席ドアを開けてこれに乗り込み、青木が運転操作に移る際差し出したシンナー入りビニール袋を手に取り預つたことから考えると、青木が本件乗用車を動かすことを認識できたものと認められるのにかかわらずこれを制止しようとした形跡はない。そして、本件乗用車に乗込んでから後には正道と青木の間に会話らしい会話がなされたことはなかつたが、前示両者の親密な関係に照らせば、両者の間に以心伝心による意思の疏通は十分可能であつたと考えられるので、正道は、青木と意を通じ青木が本件乗用車を盗み出し運転を開始することを容認していたものと推認される。
三以上認定の事実によると、本件乗用車の所有者である訴外会社の従業員及び社長がエンジンキーをつけたままドアに施錠することなくこれを公道上に駐車したことが、青木の本件事故に至る運転を誘発したということができる。このことと本件事故が青木の運転開始後瞬時にして発生したことを併せ考えると、訴外会社が当時本件乗用車の運行を直接的、具体的に指示制御すべき立場になく、その運行利益が直接的、具体的には訴外会社に帰属しなくても本件事故当時訴外会社はなお本件乗用車の運行供用者であつたと認めざるを得ない(したがつて、本件乗用車による事故の被害者が全く第三者の通行人である場合には訴外会社は運行供用者として損害賠償責任を負う。)。しかしながら、本件事故は、青木が同人らの自宅まで乗つて帰るために本件乗用車を窃取して運転中に生じたものであり、同乗者である正道も青木と意を通じこれを容認していたのであつて、右両名が本件事故の原因となつた本件乗用車の運行を支配し、その運行利益も右両名に帰属していたものであるから、右両名も本件乗用車の共同運行供用者であつたと認めるのが相当である。もつとも、前叙のとおり、右両名による本件乗用車の運行は所有者である訴外会社の運行支配を全面的に排除してされたとは解されないが、そうだからといつて右両名の運行支配者たる地位が否定される理由はない。却つて訴外会社による運行支配が間接的、潜在的、抽象的であるのに対し右両名のそれははるかに直接的、顕在的、具体的であるということができる。
そうすると、自賠法三条にいう「他人」とは自己のために自動車を運行の用に供する者及び当該自動車の運転者を除くそれ以外の者をいうのであるところ、本件事故の被害者である正道は他面本件事故当時本件乗用車の共同運行供用者の一人であつたのであるから、正道の両親である被控訴人ら(このことは成立に争いのない乙第八号証によつて認められる。)は、正道が自賠法三条の「他人」であることを主張して訴外会社に対し同条による損害賠償を請求できないといわなければならない。<以下、省略>
(瀧川叡一 早瀬正剛 玉田勝也)