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名古屋高等裁判所 昭和56年(行コ)6号 判決 1981年12月23日

愛知県犬山市大字羽黒字高橋郷四七番地

控訴人

長谷川清康

右同所

控訴人

長谷川弥希子

右両名訴訟代理人弁護士

竹下重人

右訴訟復代理人弁護士

桑原太枝子

愛知県小牧市大字小牧一九五〇番地

被控訴人

小牧税務署長

石川新三郎

右指定代理人

横山静

大山守

梅村石雄

成瀬元久

右当事者間の所得税更正処分取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決をする。

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人らの昭和四九年分各所得税について昭和五〇年一二月一六日なした各更正処分はいずれもこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠関係は、次に付加する外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し、原判決一二枚目裏七行目の「菊井支店」を「菊井町支店」と改める。)

(控訴人ら代理人の陳述)

一  控訴人清康が昭和四九年中にした商品先物取引は所得税法上の事業に当るものである。

1  納税者がある種の経済的行為により得た所得が、所得税法上の事業所得に当るか雑所得に当るかは、その経済的行為の態様が「対価を得て継続的に行なう事業」であるか、「営利を目的とする継続的行為」に過ぎないかによって区別されることになる。

2  ところで、右の法令の規定それ自体からは、「事業」とそうでない「継続的行為」とを区別する基準が明らかでないが、当該経済的行為が社会通念上事業と認められる客観性、外観性を有することを基準と解するときは、いわゆる自由職業者の所得の大部分が事業所得ではなく雑所得に含まれることになって、妥当な解釈ではなく、右行為を所得税法上の「事業」と認めるためには継続性・反覆性のあることで十分であると解すべきである。

3  したがって、事業性認定の要素に、人的物的設備等の客観的要素を持ち込んでこれを強調することは正しくない。「事業とは、営利を目的とする継続的行為であって、社会通念に照らして事業とみられるものをすべて含み、特に事業場を設置したり、人的・物的要素が結合した経済的組織によるものであることを必ずしも必要としないし、またその者の本来の事業或いは職業としてなされた場合であると副業的なものとしてなされる場合であるとを問わない。」とするのが正当である。

仮に、事業性を認定するにつき客観的要素が必要であるとしても、商品取引は元来非公開なものであるから、公認の取引市場において継続的な取引をする者として知られるに至ったときは、その者の行為は事業としての客観性を帯びたというべきである。

4  従来の課税実務においては、有価証券の信用取引、商品先物取引等について、所得が発生した場合にはこれを事業所得としながら、損失が生じた場合には、現行所得税法が雑所得にかかる損失を他の所得と通算することを認めていないことを活用するため、その損失を雑所得にかかるものと認定するのが通例であるが、これは恣意的な課税というべきである。

二  控訴人清康は昭和四九年から本件商品取引を「事業」として青色申告をし、その後もこれを継続しているが、商品取引以外には「事業」を経営していない。しかるに、被控訴人は昭和五〇年分以降についても毎年控訴人清康宛に青色申告書の用紙を送付してきている。これによってみれば、被控訴人は控訴人清康を「事業所得者」として取り扱っているとみなければならない。

(被控訴代理人の陳述)

一  控訴人らの右一、二の主張はいずれも争う。

先ず控訴人らは、「事業」であるかどうかの判断に当たり、客観性、外形性及び物的設備等の客観的要素を持ち込んでこれを強調することは適当でない旨主張する。そして、納税者の行なう経済的行為が営利を目的として継続的に行なわれる限り、人的物的要素が結合した経済的組織体等が存在せず、また、右の経済的行為が副業的なものとしてなされる場合であっても、右行為を以て「事業」となしうる場合のあることは、控訴人ら主張のとおりである。しかしながら、一般に継続的な営利事業は、人的物的要素が結合した経済的組織体を有し、また、主として本業として営まれることを通例とするのであるから、他に特別の事情が存しない以上、右の客観的要素等を無視することは許されず、これらは事業性を認定するに当たり重要な要素となるものと解すべきである。

二  課税庁による租税法の恣意的な解釈が許されないことは控訴人らの指摘するとおりである。しかし、本件のような訴訟が少なくないのは、納税者が所得税法上の「事業」に該当しない場合でも、これが「事業」に当たるとしてその損失を他の所得と通算して確定申告してくることによるものであって、課税庁による恣意的な解釈が行われていることによるものではない。

(証拠関係)

控訴人ら代理人は甲第一号証を提出し、乙第一一号証の成立は認める、と述べ、

被控訴代理人は乙第一一号証を提出し、甲第一号証については原本の存在及びその成立を認める、と述べた。

理由

一  当裁判所も控訴人らの本訴請求はいずれも失当としてこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は、次に訂正・付加する外、原判決の理由説示と同一であるから、ここにこれを引用する。

1  原判決二一枚目表七行目の「約四億五、〇〇〇万円」を「約四億円」と改める。

2  原判決二二枚目表五行目の「弁論の全趣旨」から同六行目の「乙第九号証」まで、同二四枚目表八行目から同末行までをいずれも削る。

3  原判決二五枚目裏四行目と五行目の間に行を変えて次のとおり加える。

「そして、原本及びその成立に争いのない甲第一号証によっても、右認定判断を覆すことができない。」

二  控訴人らは、事業性認定の要素に、人的物的設備等の客観的要素を持ち込んでこれを強調するのは正当でない旨主張する。

ところで、個人のある経済的活動が所得税法施行令六三条一二号に規定する「対価を得て継続的に行なう事業」に該当するか否かの判断をなすについては、先ずその経済的活動が社会通念上営利を目的として継続的に行なわれるかどうかを基準とすべきであって、必ずしも経済的組織体としての人的物的設備を備えることを必要としないと解すべきことは、控訴人ら主張のとおりである。しかしながら、半面、継続的な営利事業であれば、多くの場合、経済的組織体としての人的物的設備を備えているのもまた通例なのであるから、右のような設備の有無も事業性の判断をするにあたっての一つの重要な基準となりうると解するのが相当である。

したがって、控訴人らの右主張は採用できない。

三  控訴人らは、被控訴人は昭和五〇年分以降についても毎年控訴人清康宛に青色申告書の用紙を送付してきているから、被控訴人は控訴人清康を「事業所得者」として取り扱っているとみなければならない旨主張する。

ところで、所得税法によれば、居住者が確定申告書を青色の申告書により提出しようとする場合には、法定の事項を記載した申請書を所轄税務署長に提出した上、その承認を受けなければならないとされている(同法一四四条、一四六条)が、所得の生ずべき業務が「事業」に該当しないことは右申請を却下し、または承認を取り消す事由には含まれていない(同法一四五条、一五〇条)。したがって、仮に控訴人ら主張のような事実があるとしても、このことから直ちに被控訴人が控訴人清康を「事業所得者」として取り扱っているということはできないから、控訴人らの右主張も採用できない。

四  そうすると、右と同旨の原判決は相当であるから、本件控訴をいずれも棄却することとし、控訴費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条本文、九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秦不二雄 裁判官 三浦伊佐雄 裁判官 喜多村治雄)

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