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名古屋高等裁判所 昭和57年(ツ)10号 判決 1982年12月24日

上告人

国際電信電話株式会社

右代表者

児島光雄

右訴訟代理人

芦苅伸幸

星川勇二

山本洋一郎

被上告人

村瀬志づ

右訴訟代理人

福永滋

高橋美博

主文

原判決を破棄する。

本件控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

一上告理由第一点について

1  原審は、(一)上告人は公衆電気通信法等により国際公衆電気通信事業を営むことを目的とする株式会社であり、被上告人は名古屋九七一局〇〇七六番の加入電話(ただし、いわゆる「ピンク電話」)の加入者であること、右加入電話により、原判決添付通話明細表記載のとおり昭和五四年六月八日から同月二四日までの間、合計二三回にわたり上告人を通じて国際通話が行われ、その料金合計額が二六万六〇一〇円であり、同表請求年月日欄記載のとおり上告人から被上告人に対し同料金の支払請求がなされたが、右通話はすべて第三者により被上告人に無断で、しかも通話料を支払わずになされたものであつたことを確定し、(二)右通話料金の上告人に対する支払義務者は本件加入電話の加入者である被上告人である旨判断したうえ、(三)上告人の本訴通話料の請求は、以下の理由により、権利の濫用であるとしてこれを排斥している。すなわち、(1)いわゆるピンク電話は訴外日本電信電話公社(以下「公社」という。)が開発した国内通話における電話機の種別であるが、これは加入者自身及びその家族が利用するというよりは、むしろ店舗、喫茶店あるいはアパート等において他人に利用させることを主たる目的としたものであり、この電話機は公社が「ただがけ」を防止することができるとのキャッチフレーズの下に売り出した商品であるから、加入電話加入者においては、ピンク電話であればこれを他人が使用しても「ただがけ」がなされることはないとの信頼と期待を有しているものといえること、(2)しかるに、ピンク電話であつても、申込みによる通話(着信者払及び国際通話等)の場合においてはいわゆる「ただがけ」をすることが可能であるから、公社においては、ピンク電話設置の申込者に対して右のように「ただがけ」を防止しえない場合のあることを説明し、該申込者に誤解がないようにすべき義務があると解するのが信義則上相当であること、(3)上告人はピンク電話の加入契約の当事者ではないが、国際通話も右加入契約を締結しなければ利用できないこと及びその通話料は当然上告人から加入者に支払の請求ができる仕組みになつていることからすれば、公社が右説明義務を尽くしていない以上、国際電話の「ただがけ」される恐れのあることについては、上告人において右説明義務を果すべきであると考えられること、(4)被上告人は、これまでピンク電話により国際通話をすることが可能であることを知らず、また公社又は上告人からも国際通話の場合に「ただがけ防止装置」が用をなさないものであることを知らされていなかつたこと、(5)以上の諸事情を総合勘案すると、本訴通話料の請求は、被上告人にとつて予期し得ない極めて酷な結果を強いるものというべく、権利の濫用として許されないものであるというのである。

2  原審は、前記のように本件係争の通話料金の支払義務者が被上告人であると判断しているが、当裁判所も原審の右判断を正当として是認すべきものと考える。すなわち、原判決が説示している(原判決理由三項参照)ように、加入者以外の第三者が国際通話をした場合の通話料金についても通話の種別、態様等を問わず、加入者が支払義務を負うのであつて、通話者が加入者の承諾を得て通話した場合のみならず、加入者に無断で通話した場合においてもすべて当該加入電話の加入者が支払義務を負うのである。けだし、法がこのように通話料の支払義務者を一律に加入者と定めたのは、国際公衆電気通信事業を上告人に独占せしめ、迅速かつ確実な公衆電気通信役務を合理的な料金であまねくかつ公平に提供することを図ることによつて公共の福祉を増進しようとする(公衆電気通信法一条)ためであつて、仮にしからずとすれば、上告人において通話申込みの都度、実際の通話者が何人であるか確認するための煩瑣な手続をとらねばならないこと必至であり、かくては迅速かつ公平に合理的な料金で右役務を提供させようとする法の趣旨に背馳することになるからである。そして、このように加入者を支払義務者と定めても、加入電話の電話機の設置場所が加入者の居所、事務所、事業所等に限定されていて(同法二八条)、加入者は電話機を管理することが可能であり、また、他人が通話したときはその者に対し通話料の請求をなしうる(同法四一条一項)のであるから、加入者に対して実質的に酷な負担を強いるものではないのである。右のように加入電話による国際通話料金の支払義務者については条約・法律・公告された営業規約等により定められているのであるから、加入者が事実上その義務の根拠となる規定を知つているか否かによつて該規定の効果が左右されるものではないし、公社あるいは上告人に、ピンク電話による国際通話について加入者に料金支払義務がある旨説明すべき法律上の義務があるということもできない(なお、被上告人は、現行の通話料金制度は法律の明文なくして通話料金を徴収するもので憲法八四条、二九条に違反するとも主張しているが、通話料金は役務提供の対価と解されるから、これと租税とを同視することはできず、しかも国際通話料金の支払義務者が加入電話加入者であることは条約・法律・公告された営業規約等に規定されていること前述のとおりであるから右主張が失当であるこというまでもない)。

3  以上の次第で、上告人の被上告人に対する本件通話料の請求は法により認められた金銭債権の行使というべきである。しかるところ、原審が本訴請求をもつて権利の濫用にあたるとした理由はさきに詳細摘記したところであるが、ピンク電話は公社と該電話設置申込書との間において締結される加入電話加入契約に基づいて公社が設置するものであるから、原判決のいう説明義務なるものは、公社と加入者との間に生ずることはあつても、公社とは別個の法人であつて、右加入契約締結に関与せず、また自らピンク電話の広告宣伝をしたわけでもない上告人について生ずるものとみることは妥当でない。そして、このような上告人を公社と同一視してその信義則違背を論じ、あるいは公社の義務懈怠の効果をあたかも同一人格者に対するごとく上告人に及ぼすことは、原判決の挙示する国際通話が加入契約を締結しなければ利用できないこと、その通話料は当然上告人から加入者に支払請求ができる仕組みになつていること等の点を考慮してもなお十分な合理性を有するとはいえない。ひつきよう、原審は、公社と上告人とが公衆電気通信業務を国内と国外とに二分しこれを独占していることによる両者の事実上の関連性、親近性を余りにも重視し、たやすく両者を法律上も一体視した結果、被上告人の権利濫用の抗弁を認容するに至つたものであつて、その見解にはくみしがたい。

4 そして、被上告人の主張を参酌し、本件に現われたすべての事情を考え合せても、本件通話料の請求が権利の濫用にあたるとは到底認められない。そうすると、原判決が本訴請求を権利の濫用であるとしたのは民法一条の解釈適用を誤つた違法があるものというべく、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

二そこで更に、上告人の本訴請求の当否について判断するに、原審が確定した前記事実によれば、被上告人は上告人に対し、本件通話料金二六万六〇一〇円及びこれに対する昭和五四年一一月一八日から完済に至るまで年六分の割合による遅延損害の支払義務のあることが明らかである。そして、被上告人の抗弁が理由のないものであることは既に述べたとおりである。

したがつて、本件通話料金の支払を求める上告人の請求は理由があるからこれを認容すべきところ、これと同旨の第一審判決は相当であり、本件控訴は棄却されるべきものである。

三よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(宮本聖司 清水信之 窪田季夫)

〔上告理由書〕

第一、本件における権利濫用法理適用の可否

一、上告人会社の業務の特質

昭和二七年国際電信電話株式会社法が成立し、同法に基づき上告人会社が国際通信業務を行うこととなつたのは当時の国家的要請にもとづくものであつた。

資源の少ないわが国の経済自立にとつて貿易の占める位置はきわめて重要であり、また貿易活動にとつて国際通信のもつ機能は国民の対外活動のなかでもとくに緊要なものとなつていたのである。

爾来、三〇年になんなんとする間、上告人会社は、世界の通信界において、常に技術革新等に全力を傾注し、もつてその設立の趣旨であるわが国および国民の発展に多大に寄与してきたものである。

上告人会社に課せられた使命は、公衆電気通信法(以下法という)第一条にその目的として「この法律は、日本電信電話公社及び国際電信電話株式会社が迅速且つ確実な公衆電気通信役務を合理的な料金であまねく、且つ、公平に提供することを図ることによつて、公共の福祉を増進することを目的とする。」と端的に規定されるとおりである。

二、権利濫用と公共の福祉との関係

公共の福祉とは、単なる個人の幸福や利益を指すのではなく、まさにそれと本質的に対立するものであつて公共といわれる社会的な共同の幸福や利益を指すものである。

個人的利益と公共的利益との対立は、いかなる社会にもあまねく潜在するものである。しかし現代のように利益の多元性が極度に顕出している時代には、必然の結果として個人的利益と公共的利益とが著しく深刻に対立することが避けられないから、特に公共的利益の擁護と増進が要請されるところである。

そもそも権利濫用と公共の福祉とは、理念的にふかい相互関係を有しており、公共の福祉に反する権利の行使が権利の濫用と認められる関係となる場合が多い。

ところで上告人会社の業務は、前記のとおり、公共の福祉を増進することを目的とするものであり、従つてその本来業務の忠実な遂行は、原則として公共の福祉の増進に帰すうすることゝなる。

以上により明らかなとおり上告人会社の本来業務の遂行は、その性質上、権利濫用法理に極めて親しみにくいものなのである。

もつとも公共の福祉の原則は、常に公共的利益のためには多少の私的利益の制限はやむをえないとする結果を生ずるものだけに慎重な配慮が要請されることも当然であろう。

いずれにしろ本件において権利濫用の主張を認容するためには、上告人会社の業務の特質を正しく認識したうえで、関連する諸事実全般を慎重に審理しなければならず、このことは法第一条、民法第一条各項等の要請するところでもある。

しかるに原判決は上告人会社の業務の本質に目を向けずにたんにいわゆるピンク電話による通話ということのみを対象とし、しかも後に詳述するとおりいわば独断ともいうべき認定事実に基づき極めて安易に権利濫用の主張を認容するという誤まりをおかしている。

三、権利濫用の要件

権利濫用とは、権利の社会的・経済的目的あるいは社会的に許容される限界を逸脱した権利の行使である。

すなわち権利は、権利者個人の向上発展のために認められるものである(私権の社会性・公共性)から権利の行使は権利者個人の利益と社会全体の利益との調和において行なわれるべきであり、したがつて、権利の行使が第三者に加害する意思・目的をもつている場合や、公序良俗に違反する場合、権利行使者の側において正当の利益が存しない場合、さらに相手方が権利行使によつて権利者の利益に比肩しえない著しい損害を被る場合には、権利濫用とされ、権利の行使としての法律効果が否定される。

権利濫用の成立要件を定型化・明確化することは、いわゆる一般条項の性格からして困難なことではあるが、判例・学説はおおむね主観的標識と客観的標識の二要件をもつて成立要件としているので、以下にこの区分にしたがつて本件権利行使が権利濫用にあたるものであるかどうかを検討する。

(一) 主観的標識

主観的標識とは、権利を行使するに当り、第三者に加害する意思・目的をもつて行なわれたか否かについての標識である。

判例は、古くより権利濫用の成立要件として右主観的標識の存在を重視し、ニュアンスの差こそあれ数多くの地裁・高裁判決が主観的標識の存否を基本として権利濫用の判断をなしているほか、最高裁判所も昭和三一年一二月二〇日の判決理由中において「(前略)或は他人に損害を加える目的のみでなされる等公序良俗に反し道義上許すべからざるものと認められるに至れば、ここにはじめてこれを権利の濫用として禁止する。」と判示している。

上告人会社の本件権利行使が、第三者(被上告人)に加害する意思・目的をもつてなされたものでないことは疑問の余地がなく、したがつて上告人会社の本件権利行使は、権利濫用における重要な成立要件である主観的標識を欠如するものであることが明らかである。

(二) 客観的標識

客観的標識とは、権利行使者の利益と相手立の利益との不均衡ということである。

すなわち、権利行使によつて保全される権利者の利益が微小で、権利行使によつて相手方から侵害される利益が著しく多大である場合に権利濫用とされる。

右標識は、さらにこれが肯定される類型として、

① 正当な利益を欠く権利行使。

② 不当な利益の獲得のための権利行使。

③ 不法行為になる権利行使。

④ 受忍の程度をこえた損害を惹起する権利行使。

⑤ 親族間の不当な権利行使。

に分類されるのが一般である。

しかし上告人会社の本件権利行使が右の①ないし③の類型に該当しないことは明らかであり、⑤の類型は性格を異にするものである。

そこで右の④の類型を意識しつつ上告人の本件権利行使が、当事者の利益に著しい不均衡を生じるものかどうかを検討することとする。

1.先ず本訴請求が認容された場合。

被上告人がいかなる損害を被るかについて案ずるに、確かに請求金額について支払義務を負担することとなるが、一方、現実に通話をなした者に対し同額の求償債権を取得することとなり、この意味において被上告人に金銭的損害は生じないのである。

確かに、現実に求償債権を回収するための手数等の不利益が生ずることはあり得ることであろうが、これは通信料金については、現実に利用した者がだれであつても全て加入者がその支払義務を負担し、利用者に対する関係では加入者が求償債権を取得し、これを行使するという通信料金回収制度上、やむを得ないことといわねばならない。

右通信料金回収制度は、単に債権者の利便ということではなく、通信役務の提供という極めて公共性の強い事業の円滑かつ公平な提供を可能ならしめるため、換言すれば法第一条の目的達成のため認められたものであり、この理は幾多の裁判例も認容するところである(甲第四号証)。

2.次に本訴請求が権利濫用になるとして棄却された場合、上告人会社がいかなる影響を被るかについてであるが、同社は単に本訴請求債権を回収し得なくなることにとどまらず、同社の業務全般にすくなからぬ影響をうけることとなるのである。

すなわち上告人会社に課せられた「迅速且つ確実な公衆電気通信役務を合理的な料金で、あまねく、且つ、公平に提供する」という目的との関係から業務全般を見直す必要が生じ、具体的には、ピンク電話について何等かの説明義務が存するとするならば説明の内容はどのようなものとするべきか、更にはその方法はどうするか、経費はどの程度になるか、これらが他の通信役務の提供にいかなる影響をおよぼすか、また過去にピンク電話を通してなされた通話の料金として収納した通話料金をどう取扱うべきか等の山積する問題を生じ、なおケースによつては加入者に対する通話料金の請求が認められない事態が想定されてきた以上、今後迅速かつ公平に役務を提供するにはどのような方法によればよいのかという点にまで進展し、これらの処理を上告人会社の責任と費用とにおいて解決しなければならないこととなるのである。

さらに極めて重要なことは、本訴請求が権利濫用になるとするならば、上告人会社の有する本件債権は、実質上、完全に消滅する結果になるということである。

権利濫用の効果については難解な問題が存するところではあるが、本件債権が、実質的に無価値に帰するという点については疑問の余地がない。

もともと権利濫用の禁止は、権利者の個人的・利己的な立場からする権利の行使に対して社会的公共的な見地から一定の制約を加えようとするものであつて、本質的には権利そのものに内在する法的(社会規範的)な要請から出ているのである。

したがつて財産権としての権利を全面的に無価値ならしめるということは、そもそも権利濫用の法理の予想するところではなく、原判決が本訴請求を権利濫用としたのは、明らかに同法理の解釈、適用を誤つたものといわねばならない。

民事法関係に限定しても権利濫用に関する裁判例は膨大な数に及んでいるが、当代理人らが調査したかぎりにおいては、(当然のことと思われるが)原判決のように財産権を全面的に無価値ならしめる結果となる例は一例も見い出し得ない。

よく問題とされる所有権に関する権利濫用を例にとつても、所然権に基づく各種物上請求権の行使が権利の濫用であるとされても、基本権利である所有権自体には何等の影響も及ぼさないのであり、また解除権の行使が権利の濫用とされるケースにあつても、解除権の行使が効力を生じないだけであり、基本たる契約関係に影響を及ぼすものではない。

いずれにしても本件権利行使が権利濫用とされるならば、上告人会社は正当に取得した権利を全面的に失うこととなるのであり、この結果は、権利行使者と相手方の利益との相対的比較という客観的標識に照らしたとき、権利行使者に著しい不利益を課すものであることは明らかである。

以上のとおり上告人会社の本件権利行使は権利濫用における客観的標識という成立要件にも該当しないのである。

以上のとおり権利濫用の成立要件を検討した結果上告人会社の本件権利行使はいずれの面からしても権利濫用に該当しないことが明白なのである。原判決は民法第一条第三項の解釈、適用を誤まり、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背をおかしたものである。

第二、原判決の問題点

一、弁論主義違背

原判決は、権利濫用の主張に対する判断(原判決理由第四項)にあたり、極めて重要な間接(前提)事実として「ピンク電話は、公社が加入電話機に一〇円硬貨を投入することにより通話することができる装置を取り付けて『ただがけ』を防止し、加入者がその家族以外の者にも気軽に加入電話を利用させることができるとのキャッチフレーズの下に売り出した商品であつて」とし、続いて「ただがけ」について種々認定したうえ、「そうだとすれば、『ただがけ』を防止しうるとのキャッチフレーズの下にピンク電話を設置させた公社においては、右のような『ただがけ』を防止しえない場合があることをピンク電話設置の申込者に対し説明して、該申込者に誤解がないようにすべき義務があると解するのが信義則上相当であり、」と結論づけている。しかし本件一審、二審における当事者双方の主張を調査しても右の「ただがけ」という主張は、昭和五七年二月四日付被上告人(控訴人)準備書面第三項中の「しかもピンク電話に於いては、ただがけ防止のため設置されているのが一般であり、設置者に於いて、ピンク電話についてもコレクトコールが可能であるという認識はされていなかつたのである。」という個所にわずかに見い出せるだけである。

しかも右主張はコレクトコールに関する主張に係るものであり、前後の文脈からして判決の認定する主張とは無関係とすべきものである。

ましてや「ただがけ」を防止しうるとのキャッチフレーズの下にピンク電話を設置させたといつた主張は、いずれの当事者からも全くなされていない。前記判示部分が権利濫用を認定するについて最大ともいうべき前提事実となつていることは判決を精読したとき明らかである。

ところで権利濫用のごとく抽象的な法理を判断するにあたつては、右のようにその内容をなす間接事実が主要事実の存否を判断するのに重大な影響をもつものについては、主要事実と同様に、当事者が主張していない事実を採用認定してはならないとするのが弁論主義の要請するところである。

原判決が弁論主義に違背するものであることは明らかである。

二、経験則違背等

(一) 原判決は、理由第四項1において前記判示部分を含む重要な間接事実を認定している。

しかも原判決は、右事実を証拠によらず公知の事実としている。

公知の事実とは一般に周知されているため裁判所にもまた疑いのない事実をいう。

しかし右の間接事実はその真贋さえも不明であり、ましてや一般に周知されたものといい得ないことは明白である(蛇足ではあるが、ピンク電話が「ただがけ」を防止しうるとのキャッチフレーズの下に売り出された商品である旨は当代理人らにおいても初めて耳にすることである)。

原判決が右事実を公知の事実として、認定したことは明らかに経験則に違背するものである。

(二) 原判決は、次に理由第四項2において「ピンク電話であつても『ただがけ』の防止ができるのはダイヤル通話によるものであつて、申込みによる通話(着信者払及び国際通話等)の場合には『ただがけ』を防止することができないこと、そして、ピンク電話によつても『ただがけ』が可能であることは未だ一般には理解されていないものと認められる。」という事実認定を弁論の全趣旨によりなしている。

しかし本件弁論の全趣旨をもつてしても右事実を認定することは到底なし得るものではなく独断の譏りをまぬがれない。

原判決の右認定は結局自由心証主義の限界を逸脱し、経験則に違背するものである。

(三) 以上のとおり原判決は、権利濫用を判断するにあたつて、その前提となる重要な事実の認定を「公知の事実」と「弁論の全趣旨」によつて認定しているのであり、この点だけをみてもほとんど例をみない特異な判決であるといい得よう。

いずれにしても原判決は、判決に影響をおよぼすこと明らかなる法令の違背をおかしたものであることは明白である。

三、理由不備、齟齬

原判決は権利濫用を認定するにあたつて、先ず公社に、「ただがけ」を防止しえない場合があることをピンク電話設置の申込者に対し説明して、該申込者に誤解がないようにすべき義務があると認定し、次いで公社が右説明義務を尽していない以上、「ただがけ」される国際通話の通話料については、公社と上告人会社との間で何らかの解決策を考えるべきであるとする。

原判決が、公社に右のような説明義務があるとすること自体、到底首肯し難いことであるが、この点はさておくとしても原判決の右判示は全く理解に苦しむといわざるを得ない。

この点について原判決は、理由第四項3で、①ピンク電話は公社が開発した国内通話における電話機の種別である。②ピンク電話の加入契約の当事者も公社と加入者であつて上告人会社は、右契約の締結に関与していない。③しかし国際通話も右加入契約を締結しなければ利用できないものであり、その通話料は上告人会社から加入者に支払の請求ができる仕組みになつている。と認定したうえ「そうすれば、公社が前記説明義務を尽していない以上、「ただがけ」される国際電話の通話料については、公社と上告人会社との間で何らかの解決策を考えるべきであり、強いて言うならば、上告人会社において、公社に対し右説明義務を果すように求めるか、或いは、みずからそれを一般に周知させる方策を講ずるなどして加入者の通話料の支払拒絶を封ずる措置がとれないはずはないと考えられる。」と結論づけている。

しかし原判決も右①で認定しているようにピンク電話は国内通話における電話機の種別であり、電話の種類としては一般のいわゆるクロ電話と同様、加入電話以外の何物でもなく(法第二五条)、また②で認定しているように上告人会社は加入契約の締結に直接関与するものでもない。

また右③で認定する通話料請求の仕組みは加入電話全般につき認められているところであり、それは前述したとおり通信役務の提供という極めて公共性の強い事業の迅速、円滑かつ公平な遂行という法の趣旨に発するものであつて、もとより十分な合理性を有するものである。

これらの認定事実から原判決の結論を導き出すことは到底なし得ないといわざるを得ない。

また右判示の「強いて言うならば」以下の指摘も極めて抽象的であり、結局、どうすればよいかという点については、何ら具体的な判示がないと断ぜざるを得ない。かかる抽象的な措置不履行をもつて権利濫用を認容することは、同法理が一般条項であるという点を考慮しても許されざるものである。

原判決に理由不備ないし齟齬の存することは明らかである。

四、採証法則違背

原判決は理由第四項4の後段で「上告人会社からも、国際通話の場合に『ただがけ防止装置』が用をなさないものであることを知らされていなかつたことが認められる。」と認定している。

しかし前述のとおり上告人会社にとつては、ピンク電話という種別は何等意味を有するものではない。

またピンク電話が加入電話であることは諸法令により明らかであるだけでなく、加入者にとつてもこれが加入電話の一種であることは十分承知しているのである。

しかして、上告人会社が公衆電気通信法第一一条、第六八条、第一〇八条の二により郵政大臣の認可を受けて定めた国際通話サービス営業規約(甲第一一号証)第四条第一項には(国際通話の取扱いとして)、「国際通話は、本邦内のいずれの加入電話においても行なうことができます。」と明定されている。

すなわち上告人会社は、その営業規約において、国際通話はいずれの加入電話(いうまでもなくピンク電話も含まれる)においても行なうことができることを一般に周知しているのである。

右の重要な証拠を黙殺して前記の認定をなした原判決は、採証法則に反し、もつて判決に影響を及ぼす重大な経験則違背をおかしたものである。

第三、憲法違背

我国のような資本主義社会のもとにおいては、私有財産の尊重とその保障は、本質的な使命となつている。

資本制国家の全てが、私有財産を憲法の中に規定しこれを保障していることはこのことを端的に示すものである。

しかし現代社会の多様化は、私有財産制度の無制限な行使に対する一定の制限を必要とするに至り、ここに私有財産を社会公共的観点からコントロールすることの必要性が生ずることとなつた。

民法第一条に規定する、私的財産権の行使は公共の福祉に遵わなければならないとか、これを濫用してはならないなどの法思想が生じたゆえんである。

このように権利濫用の法理は、あくまで私有財産の保障という根本基盤の上にたち、その範囲内で一定の制限を行なうという意味において生じた法理である。

換言するならば私権そのものに内在する社会規範的な最小限度の要請にその本質があるのである。

従つて権利濫用の名のもとに、私権を全面的に無価値ならしめることは、もともと同法理の全く予想しないことであつて、ひいては資本主義社会における本質的な使命である私有財産制の否定に直結することとなるのである。

権利濫用に関する裁判例を調査しても本件のように財産権を全面的に無価値ならしめるような結果を招来する例を見い出せないのは当然であり、また本件と実質的に同一の争点をもつ事件において東京地裁が権利濫用の主張を排斥したのも正当である(甲第五号証)。

金銭債権の行使に関する権利濫用の例はそれ自体それほど多くないようであるが、例えばごく少額の債務不履行を理由とする解除権あるいは同時履行抗弁権の行使を権利濫用であるとするケースにおいても当然のことながら、そのごく少額の債権自体は存続し、これを請求することは容認されるのである。

原判決は、上告人会社の本件通話料債権を諸法規に照らして正当なものと認定したうえ、これを権利濫用の名のもとに全面的に無価値ならしめる判断を下した。

原判決の右判断は民法第一条第三項の解釈、適用を誤り結局憲法第二九条第一項に違背するものである。

第四、むすび

原判決は、理由第三項において国際通話の料金は、その通話者がだれであろうとも、また加入電話についてはそれがピンク電話であろうとも、全て加入者が支払義務を負担する旨を関連諸法規を摘示して正しく認定している。

しかし原判決は右認定をなしたうえで、被上告人の権利濫用の主張を認容している。

原判決が右権利濫用を認容したことが誤まりであることは、前記のとおりいずれの面からも明白である。

従つて原判決は破棄をまぬがれないものであり、これを破棄したうえ御庁において自判されたく本書面を提出する次第である。

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