大判例

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名古屋高等裁判所 昭和62年(行コ)4号 判決 1988年10月31日

控訴人

四日市労働基準監督署長

竹内正一

右指定代理人

杉垣公基

関戸美朗

池崎満雄

被控訴人

亀山あい

右訴訟代理人弁護士

小野幸治

長谷一雄

森井利和

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(控訴人)

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

主文同旨

第二  当事者双方の主張及び立証

当事者双方の事実上の主張及び立証は次に付加するほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人)

一  医学上、一般に通常の脳内出血発症後の嘔吐は、血腫量が少量では起こりにくく、ある程度の血腫量になった時、頭蓋内圧亢進の一端として急速に起こるものである。

被災者亀山豊(以下「被災者」という。)の脳内出血のように内側型出血の場合、「身体が思うように動かなくなった。」という発言があるのは、視底から出血が外側へ進展し、内包への圧迫を生じた結果と推定される。従って、嘔吐出現時や身体が思うように動かなくなった時点では既に脳内出血は相当量の血腫量に達し、外側へも進展したものと認められる。よって、被災者に脳内出血の生じた最初の時点は、気分の悪くなった午前一一時三〇分から午後〇時〇五分頃までの間と認められるから、右午後〇時〇五分頃までの間に安静に保ち、医師の適切な処置を受けていれば、脳内出血に至らなかったとするのは誤りである。

のみならず、被災者の脳内出血は激症で且つ内側型であったから、手術の適応がなく脳内出血後はいかなる措置を講じても、救命は極めて困難であったと認められる。よって、仮に、脳内出血発症後の処置に不適切な点があったとしても、被災者の死と業務との間に相当因果関係を認めることは出来ない。

二  現行法上、事業者は、高血圧症の労働者に対し運転を禁止したり、配置転換等をして健康を配慮すべき義務を課せられてはいない。訴外日本運送株式会社(以下「訴外会社」という。)は、年二回の健康診断を実施し、月一回の安全衛生兼運営委員会を開催し、又出発前の点呼等においても健康に留意すべきことを強く指導し、体調不調の場合には申し出るよう指示し、申し出があれば業務に就かせないよう十分配慮していた。本件で訴外会社は、健康診断担当医から被災者に対して措置すべき具体的指示は受けておらず、又被災者からも何の申し出もなかったため、なんの措置もとらなかったにすぎない。

また仮に、訴外会社になにがしかの健康配慮義務上の落ち度があったとしても、右は民法上の損害賠償の問題とはなりえても、これをもって労災補償における業務起因性を認める要素とはなしえない。

(被控訴人)

控訴人の主張はすべて争う。

(証拠関係)<省略>

理由

一請求原因1(被災者の死亡)、同2(本件処分の存在)、同3(審査請求及び再審査請求の経由)の各事実については当事者間に争いがない。

二事実関係について、当事者間に争いのない事実及び当裁判所が証拠によって認定した事実は、次に付加訂正するほか、原判決理由二と同一であるから、これを引用する。

1  原判決の二三枚目表八行目から九行目にかけて「一ないし三、」とある部分の次に「官署作成部分については当事者間に争いがなく、その余の部分については弁論の全趣旨によって成立の認められる乙第七号証、」と付加し、同裏六行目「4712.3」とあるのを「4712.5」と、同七行目「二四日」とあるのを「二三日」と、同行「四日」とあるのを「五日」と各訂正する。

2  原判決二六枚目表四行目から五行目にかけて「福井章の証言」とある部分の次に「(後に措信しない部分を除く。)」と付加する。

3  原判決二七枚目裏一〇行目「二弁当峠を越えた頃」とあるのを「二弁当峠を越え、松島町倉江辺り」と改める。

4  原判決二八枚目表七行目「その後」とある部分以下同一〇行目「すすめたものの、」とある部分までを「その後国道三二四号線、同五七号線を経て松橋インターチェンジから九州自動車道へ入るまでの間、三角辺りで被災者は悪心を訴え、前記インターチェンジに入る頃までに三度嘔吐した。特に、松橋町内での嘔吐は可成り激しいものだったので、福井は被災者に医師の診察をすすめたものの、」と改める。

5  原判決二八枚目裏七行目「運行を続け、」とある部分の次に「午後一時三〇分頃、九州自動車道に入った。しかし、先に認定したとおり三度目の嘔吐は下着を汚す程ひどいものであったため、福井は、」と付加する。

6  原判決二九枚目表四行目「福井は」とあるのを「福井は、この段階で被災者の様子がただならぬものであるのを感じて、」と、同末行「到着し、」とあるのを「到着した。この間福井は、目的地に一刻も速く到着するべく時速八〇キロメートルを越す高速で走行した。」と各同二九枚目裏四行目「死亡した。」とある部分の後に、「以上(三)の認定に反する原審証人福井章の証言部分は前掲証拠に対比し措信し難いので採用しない。」と付加する。

7  原判決三〇枚目表六行目「弁論の全趣旨」とあるのを「当番における検証の結果」と改め、同裏初行冒頭以下同八行目末尾までを「約一〇〇か所のカーブがあり、その内にはいわゆるヘヤーピン・カーブ又はこれに類する急なものも可成りあり、見通しが悪いためカーブ・ミラーが設置してあるところが約五〇か所にわたるほか、勾配の急な所も少なくない。道路幅員は五ないし六メートルの区間が殆どで、制限速度は太原付近より以遠はおおむね時速三〇キロメートルに制限され、路面は全面舗装されてはいるものの、舗装不良箇所もみられ、一般幹線道路に比べて劣悪な状況にあり、特に旧姫戸トンネル及び姫浦町内、大風留付近では人家が両側からせまったり等して道路幅員が五メートルより更に狭まっている所もあって、対向車があれば走行できない場所も少なくない。全般を通じて11.5トンの大型貨物自動車を運転して走行するには容易ではなかったとは認められるが、職業運転手が困難をきたす状況にあったとは認めがたい。」と改める。

8  原判決三一枚目表八行目「第六号証、第一八号証」とあるのを削除し、同九行目「第二〇号証の一、」とある後に「第二九号証」と、同一〇行目「第三号証」とある後に「(後に措信しない部分を除く。)」と各付加し、同裏三行目「弁論の全趣旨」とある部分以下同四行目「乙第二一号証、」とある部分までを削除し、同四行目から五行目にかけて「伊藤博治」とある部分の後に「同池田堅一」と付加する。

9  原判決三二枚目表四行目の「明らかに」を削除する。

10  原判決三三枚目裏五行目「増悪によるものであり、」とある部分以下同八行目末尾までを「増悪によるものである。被災者は脳血管撮影を受けただけで、死後解剖を受けたわけでもないので、血腫量は判明しないが、右撮影の結果から判断すると、内側型の高血圧性脳内出血であった可能性が高く、その場合は手術の適応がない。」と改める。

11  原判決三三枚目裏九行目冒頭以下同三五枚目表七行目末尾までを次のとおり改める。

「(四) 先に3の(二)で認定したように被災者は、前日来の連続二二時間余、約一〇〇〇キロメートルの乗務、特に目的地に近い松島町以遠公進ケミカルまでの約二七キロメートルの区間の決して楽とはいえない道路を二時間余運転したうえ、公進ケミカルに到着後直ちに一個二〇〇キログラムのドラム缶の荷卸作業を四〇分間かけて行い、休む間もなく帰途につき、鳥栖と向かったものであるが、かかる前日来の労働の連続と短時間とはいえ緊張を伴う松島町以遠の運転及び所謂こつがあるとはいえ、一時的に多大の筋力を要するドラム缶の荷卸しが、被災者の血圧を異常に亢進させ、かねてからの本態性高血圧症と相まって、これが容易に下降せず、亢進し続けたものと認められる。そして被災者は、魚釣り見物を終えて午前一一時三〇分頃出発して後、気分が悪いのを我慢できなくなり、福井に声をかけて停車してもらったのが午後〇時〇五分であるが、この間に本件脳内出血の前駆症状が発現しはじめたものと考えられ、本件脳内出血の発症が開始したのは、松橋インターチェンジから一つ目のパーキングエリアにおいて「身体が思うように動かなくなった」と訴えるに至った午後一時四〇分頃の少し前であると推認されるけれども、右脳内出血が発症したとみられる時以降、午後三時二〇分頃三輪堂医院に収容されるまでの約二時間の搬送が病状の進行を早め、破綻した血管の収縮による止血作用に悪影響を与えたことは否定しえない。以上(一)ないし(四)の認定に反する乙第二一号証、第五四号証、第三五号証の一部及び原審証人伊藤博治の証言部分は前掲証拠に照らし採用しえない。

三ところで、被控訴人が、本件遺族補償給付及び葬祭料の給付を受ける為には、被災者の死が労働者災害補償保険法一二条の八の二項が準用する労働基準法七九条、八〇条の「労働者が業務上死亡した場合」、即ち、業務と死亡との間に相当因果関係が存する場合でなければならない。そうして労働者がもともと有していた基礎疾病が条件または原因となって死亡した場合でも、業務の遂行が、右基礎疾病を誘発または増悪させて死亡の時期を早める等その基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いた場合は、特段の事情のない限り、右の死と業務の間には相当因果関係があると認めるのが相当である。

これを本件についてみるに、先に認定したように被災者は昭和五一年以降本態性高血圧症に罹患し、要注意、要治療の状態であったが、一時通院治療したとはいうものの、自覚症状のないままに、何等の治療もしていなかったところ、本件天草運行及びこれに続く荷卸作業が被災者の血圧を亢進させ、脳内出血の前駆症状を惹き起きしたものとは認められるけれども、被災者の基礎疾病の状況、運転業務、勤務の内容及び天草運行をするに至った経緯経過等をし細に検討すれば、右前駆症状が直ちに業務に起因するとまでは未だ認め難い。

しかしながら、先に認定した事実関係によって認められる次の事実、即ち、被災者は、(1)公進ケミカルからの帰路、午後〇時〇五分頃から午後一時三〇分頃までの間に前記の脳内出血の前駆症状(気分が悪くなり、悪心を感じ、激しい嘔吐にみまわれた。)を覚えたのであるが、土地不案内の遠隔地を走行していたうえに、既に帰りの仕事の予定もせまっていて、なるべく早く鳥栖営業所に到達して積荷作業をしなければならぬと考えたこと、(2)被災者は、公進ケミカルへはかって一度来たことがあるにすぎず、当該土地の事情に暗く、健康保険証も所持していなかったために、気軽に医師の診察を受けうる状態になく、知り合いのいる鳥栖営業所にとにかく行こうと考えたこと、(3)前記前駆症状を日頃の癖もあって車酔いと誤認していた福井が、被災者の様子にただならぬものを感じたのは、既に高速自動車道上で、容易に方向転換したりできる状態になく、一刻も早く電話のあるサービスエリアに行き、電話連絡したうえで鳥栖に向かうほか方法がなかったこと、(4)脳内出血が発症した場合の救護は、安静にして、できるだけ早く医師の診察をうけるべきであるという公知の事実を合わせ考えれば、松橋町内で医師の診察を受けずに鳥栖へ向かおうとした被災者の選択は、業務上やむなくなした選択と認められ、かかる業務の継続の結果被災者の救護のためとはいえ、廃車時期のせまった大型貨物自動車によって高速自動車道を時速八〇キロメートルを超す高速で走行したことが、被災者の血圧を更に亢進させて病状の進行を早め、また破綻した血管の収縮による止血作用に悪影響を及ぼしたものと認められる。即ち、本態性高血圧症という基礎疾病を有する被災者が、偶々業務遂行中に脳内出血の前駆症状を呈したのであるから、その段階、或いは遅くとも松橋インターチェンジから一つ目のパーキングエリアの段階で、安静に保ち医師の適切な措置を受けてさえいれば、脳内出血までには至らなかったか、或いは軽度でそれを止め、救命の可能性があったと認められるにかかわらず、やむをえず業務を継続したことが血圧を更に亢進させ、急激に病状を増悪させて脳内出血を発症させ、死の結果を招いたものというべく、業務と死の結果には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四控訴人は被災者の脳内出血には前駆症状はなかったと主張し、これに添う証拠として乙第三五号証、第五四号証を提出し、又原審証人伊藤博治は右に添う証言をする。しかしながら、乙第五四号証はその判断の前提となった資料が必ずしも明らかでないのみならず、その判断も症例を中心としていて、これのみでは未だ控訴人の主張を認めるに足りず、又原審証人伊藤博治の証言及び乙第三五号証のこの点に関する記載は、原審証人橋本健の証言に対比し直ちに採用しがたい。

控訴人は、更に、被災者は激症且つ内側型の脳内出血であり、手術の適応がなく救命の余地がなかったと主張し、原審証人橋本健の証言にはこれに添う部分が存する。しかしながら、一方同証人は、脳内出血発症後の大型貨物自動車による搬送が病状を悪化させたとも証言しており、又、成立に争いのない乙第六二号証によれば、内側型の発症は、外側型に次いで多く、総てが予後の悪い激症型であるとは認めがたいこと、同じく同号証によれば、高血圧性脳内出血は急速に昏睡等の意識障害が出るのが一般的症候とされているにも拘わらず、被災者は先に認定したように北熊本のサービスエリアまで意識はしっかりしていたと認められることからすれば、前記橋本証言のみでは未だ激症型だとは認めがたく、他にこの点の控訴人の主張を認めるに足る証拠はない。

五以上のとおりであるから、爾余の点の判断をするまでもなく被災者の死亡を業務上の事由によるものとは認められないとした控訴人の本件処分は違法であるから取り消しを免れず、これと結論を同じくする原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官瀧田薫 裁判官笹本淳子 裁判官豊永多門)

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