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名古屋高等裁判所金沢支部 平成11年(行コ)14号 判決 2000年9月11日

控訴人

金沢市社会福祉事務所長

金子衞

右訴訟代理人弁護士

合田昌英

右指定代理人

池田信彦

外一二名

被控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

奥村回

橋本明夫

押野毅

二木克明

山口民雄

竹下義樹

侭田明佳

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二  事案の概要

一  本件は、脳性小児麻痺による後遺症のため身体障害者手帳(等級一級)の交付を受け昭和五二年五月から生活保護を受給している被控訴人(昭和二五年一二月一日生)が、生活保護の認定権者である控訴人が平成六年三月二八日付けでした同年四月からの生活保護費支給額を月額一四万七三八〇円に変更する旨の決定処分(本件処分)について、本件処分には①他人介護費特別基準の額が著しく低廉である点、②被控訴人が昭和六三年一月から支給を受けている石川県心身障害者扶養共済制度条例(本件条例)九条に基づく月額二万円の心身障害者扶養共済年金(本件年金)を被控訴人の収入と認定した点、③本件処分が理由付記を怠っている点で違法であるとして、本件処分の取消しを求めた事案である。

原審は、本件処分は右②の点で違法であるとして被控訴人の請求を認容した。そこで、控訴人(原審被告)がこれを不服として本件控訴に及んだ。

二  本件判断の前提となる事実関係は原判決「第二 事案の概要」に、本件の争点は同「第三 争点」に、争点に関する当事者の主張は次のとおり控訴人及び被控訴人の当審における補充主張を付加するほかは同「第四 争点に関する当事者の主張」にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

(被控訴人の補充主張)

原判決は、他人介護費特別基準に関する判断において、広範な行政裁量の存在を前提に、(1)他人介護費に上限を設ける運用は行政裁量権の範囲内である、(2)本件被控訴人に設定された他人介護費特別基準はその裁量を著しく逸脱するまでに低額とはいえない、として被控訴人の主張を退けたが、原判決の右判断は、以下に指摘するとおり明らかに誤りであるから、この点からも本件処分は取り消されるべきである。

1 他人介護費特別基準に関する行政裁量について

(一) 原判決では、他人介護費特別基準の設定については、厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられ、右基準が現実の介護需要を無視して著しく低い基準を設定する等、憲法及び生活保護法(以下「法」という。)の趣旨、目的を逸脱したような場合でないかぎり、右基準に基づいて行われた処分を違法ということはできないと判示し、行政裁量権行使の合目的性の存在を事実上推定する前提に立った判断基準を導いている。

しかしながら、原判決のかかる態度は、余りに広範な行政裁量権の存在を認めるもので、権利救済機関としての裁判所の役割を不当に抑圧し、行政に対する法の優位をないがしろにするものであって、明らかに誤っている。

(二) まず、憲法二五条にいう「最低生活」の解釈について、原判決は従来からの判例の枠組みを出ないものとなっているが、あくまで生活保護基準(他人介護費も含めて)が人間としての生活の最低限度という一線を有する以上、理論的には特定の国における特定の時点においては十分客観的に決定することが可能なのであって、頭から具体的内容の確定は困難であって行政裁量に委ねざるを得ないとの発想は誤っている。

(三) また、仮に本件のような他人介護費特別基準の設定に行政裁量権が存在すること自体は認めざるを得ないとしても、そのことと裁量権行使の範囲の問題とは全く次元の異なる問題であり、原判決では裁量権の存在をもって直ちに限りなく無制限に近い広範な権限行使を許容するが、あくまで裁量権行使の範囲は限定的に捉えられなければならない。

すなわち、本件の問題が個人の最低生活保障という生活の根幹に関わる問題であって、とりわけ他人介護費の支給を抑制するという権利を制約するという方向で裁量が働く場面なのであるから、司法救済の必要が高いというべきであるし、かかる権利制限の適否という場面については、法の趣旨に照らして判断を下すという典型的な司法作用というべきであるから、たとえ行政裁量があるからといっても積極的な司法判断が可能な場面なのであり、行政裁量を広く容認する必要はない。現実問題としても、裁量の範囲の逸脱の有無については、実際の給付内容という外形的なものを見て判断する訳であるから、裁判所による判断は十分可能である。

(四) さらに、原判決は、特に実証的なデータを挙げることなく財源問題を取り上げ、それを広範な行政裁量を容認する一つの根拠としているが、そもそも証拠に基かない判断である上、内容としても全く説得力がないというほかない。本件被控訴人と同じ立場の人が全国でどれだけいるのかという点を考えてみても、現実には財源不足を危惧するような事態はおよそあり得ないし、他の諸施策との均衡といってみても、前提として重度障害者に対する社会福祉政策上の対応は極めて不十分であって、そういう中で制度間の均衡ということを持ち出すこと自体が問題である。

(五) よって、原判決における行政裁量論は、以上の諸点に照らして明らかに誤りであって、法律による行政の原理や司法府の役割に則って、行政府の裁量権を実質的に合理的な範囲に限定して判断すべきである。

2 他人介護費特別基準に上限を設定する運用の違法性について

(一) そして、他人介護費特別基準に上限を設定する運用については、理論上の問題から言っても、現実の運用状況に照らしても、明らかに裁量権の逸脱・濫用の場合に当たり、違法というべきである。

この点、原判決では、他人介護費特別基準に上限を設定する運用について、①収容保護を含め保護の手段における裁量権が存在すること、②財源問題があること、③他の制度における介護給付の水準との対比、といった観点から、その運用自体に裁量の逸脱はないと判示する。

(二) しかし、まず、生活保護法における必要即応の原則や特別基準の性格に照らして考えるかぎり、理論上は他人介護費特別基準には上限はないことを押さえておかなければならない。上限を設ける運用はあくまで「政策的判断」として許容される可能性があるにすぎないのであり、上限を設定する運用が安易に合理性ありとされるべきいわれはない。

そして、行政運営上は、他人介護費特別基準限度額は、在宅介護についてある程度定型化しうる特別需要をカバーしているにすぎないから(通達や口頭通知であってもある程度一律的な取り扱いがなされている状況を踏まえれば、かかる見方をするのが合理的である)、この金額では当該要保護者の介護需要を充足できないというケースは当然に想定されているというべきであり、本件においてもまさしくかかるケースとして特別基準額をも上回る特別な需要を最低生活費として認定するだけの権限(裁量)が行政に与えられているというべきである。

よって、本件においては、現実の特別基準上限額をも上回る支給を行うべきか否かに関する行政裁量の有無が問題とされるべきである。具体的には、実際上の行政庁の対応は、現実の特別基準上限額を上回る需要を認めながら、それにもかかわらず現実の特別基進上限額の範囲での支給にとどめていることから、その点についての行政裁量の範囲の逸脱、濫用の有無が問題とされるべきである。

(三) また、上限を設ける運用に合理性があるというためには、その前提として上限金額そのものに合理性があることが必要なはずである。本件でも、他人介護費が相当高額になることが予想されていて、しかも現実の支給額も相当高額なものになっているという場面において、全額を出すのは難しいから上限を設定するという運営に合理性があるのかという問題設定であれば、上限設定の運用の合理性の有無を判断する意義があるといえる。しかるに現実には、上限額とされている金額が現実の需要額と「顕著な開きがある」状態なのであり、かかる低すぎる上限金額を前提としながら上限設定の運用に合理性があるかどうかと議論すること自体がおかしい。

(四) 原判決では、法三〇条一項但書を根拠として、他人介護費の算定において収容保護の可能性を考慮し、上限額支給の合理性を基礎付けている。

しかしながら、そもそも本件においては、収容保護決定が争われているケースではないのに、法三〇条一項但書を根拠とするのは、当該規定の適用場面を無視しているというほかないし、解釈上も明らかに誤りがある。すなわち、法三〇条一項但書というのは、あくまで収容保護の要件、方法に関する規定なのであって、収容保護決定における考慮事項は、個別のケースにおける要保護者の処遇に関する考慮事項に限定されることから、当該規定の解釈に、財政上の制約といった政策的考慮を混入させることは明らかに他事考慮であって、解釈上誤っている。

(五) また、原判決では、他人介護費の算定上、財政上の制約は無視できないとして、財源問題から上限額支給の合理性を基礎付けている。

この点については、前記のとおり問題があるほか、最低生活の確保という人間の尊厳の根幹にかかわる保護基準の設定において、財政事情というコスト面を考慮した政策判断が無制限に許容されることは、明らかに法の趣旨を没却するものであり、かかる事情を全面に押し出すことは本末転倒である。

3 本件における特別基準上限額設定の違法性について

(一) また、本件の被控訴人に対する金一二万一〇〇〇円との上限額の設定は、明らかに金額が低すぎて裁量権の逸脱・濫用の場合に当たり、違法というべきである。

この点、原判決は、「現実の介護需要を無視して著しく低い基準を設定する等」の場合は違法だとしつつ、金一二万一〇〇〇円という上限額の設定について、①収容保護が可能であったこと、②他の制度における介護給付水準が他人介護費特別基準とほぼ同額であることから、この金額が介護需要を無視したものであるとまではいえないとする。

(二) しかし、原判決の判断基準自体、前述のとおり広範な行政裁量権を容認している点で不当であるが、仮に右の判断基準を前提としても、本件上限額設定が前記①、②の理由で「現実の介護需要を無視して著しく低い基準を設定する等」の場合に当たらないとするのは、全く説得力がない。原判決では、なぜ被控訴人に対する他人介護費特別基準の設定が金一二万一〇〇〇円で合理的といえるのかについての積極的な理由付けは何ら示されてはいない。

(三) そして、原判決が指摘する理由そのものについても、以下のような問題点がある。

(1) 理由の①(収容保護との関連性に関する問題)について

まず、原理的な疑問として、原判決は、収容保護の可能性があれば何故他人介護費を低額に抑えてよいのかについて、その関連性(根拠)を全く示していない。つまり、本件で控訴人に収容保護の可能性があったことが、どうして金一二万一〇〇〇円という金額でも被控訴人の本件介護需要を無視したものとはいえないという評価につながるのか、ということを何ら説明していないのである。とりわけ、収容保護を望んでない被控訴人に対しては、収容保護の可能性の存在が他人介護費額の減額事由になるという根拠についてより説得的な具体的説明が必要なはずである。

被控訴人の介護需要(必要介護費)は、月額約七〇万円であり(ただし、これは控えめに見積もってのものである)、他人介護費特別基準の上限額はその六分の一にすぎず、原判決自体、両者間に「顕著な開きがある」と認めているのである。しかるに、この開きをもってしても介護需要を無視したものといえないというのであれば、いったいどれくらいの開きがあれば介護需要を無視したといえるのであろうか。その点について原判決は全く答えていないのである。

原判決の論旨は不明確であるが、その趣旨を突き詰めると、結局は収容保護の選択を被控訴人に事実上強制するものであって、原判決が別の箇所では障害者の自立生活が人権として尊重される旨を判示したこととも矛盾するといわざるを得ない。そもそも、法三〇条によれば、在宅保護が原則なのであり、障害者関連の諸立法上も障害者の「自立」が説かれ、在宅での自立生活が原則的生活形態と見られている中において、憲法二五条が国の国民に対する最低限度の生活保障の義務を規定しているかぎり、在宅であろうが施設であろうがその保障すべき生活レベルは同じであるべきなのは言うまでもない。

したがって、収容保護の可能性があることは、他人介護費特別基準額を本件の具体的金額とすることの合理性を説明する根拠にはなりえないものというべきである。

(2) 理由の②(他の制度との比較に関する問題)について

原判決は、被爆者特別措置法による介護手当や自動車事故対策センター法による介護料の給付水準が、本件の具体的上限額とほぼ同額であること、本件上限額設定が裁量内であることの一つの根拠としている。

しかし、そもそも特別基準という個別具体的事情に応じた認定がなされる場面において、他の制度との比較という相対評価的な手法を持ち出すこと自体に原理的な疑問がある。つまり、本来、上限額設定の合理性の有無は、当該個人に対する給付額がその人の最低生活保障にふさわしいと評価できるだけの金額に達しているか否かという絶対評価の問題のはずである。

そして、原判決では、何の説明もなく右の各制度における給付水準が「国民一般の介護享受水準を反映したものであると解しうる」旨判示しているが、これは明らかな理由欠如であり、そもそも各制度の給付額が給付水準として合理的なのか否かが検討されなければならない。

また、右各法の沿革や制度趣旨を踏まえるかぎり、生活保護の他人介護費特別基準とは全く異なる制度というほかない。すなわち、右措置法による介護手当は、支給対象者が原爆被爆という特殊な戦争被害者に限られ、支給要件に所得制限があるし、また、右センター法による介護料も、支給対象者が自動車事故に起因する重度後遺障害者に限られ、やはり支給要件に所得制限があるのであり、いずれも生活保護のような一般的制度ではなく特殊な制度であって、その法的性格が異なる。このような性格の異なる制度において、給付の水準が同じであるべき理由はなく、むしろ生活保護の補完的性格からすれば、右の特殊な制度における給付水準では現実需要を充たさない場合には、その不足分を最終的には生活保護が保障するというのが、各法制度間の整合的な理解というべきであり、原判決の見方は全く誤っている。

反面、原判決では、被控訴人が、介護保険法に基づく介護サービスとの比較からも本件上限額が低すぎると主張した点について、ここでは法的性格論を持ち出し、同法による介護は生活保護とは性格が異なるとして右主張を退けている。しかし、介護需要はその性質上、心身状態や介護状況に応じて多様なものであり、しかも生活保護は要保護者の事情に応じた個別具体の最低生活需要を充足するものである。かかる観点からすれば、すくなくとも特別基準額の設定に当たってはこれにより賄うことのできる介護の内容を考慮すべきものである。この点で、介護保険導入に当たって示されている要介護度別の在宅サービスモデルとこれに応じた支給額(約六万円から三〇万円)は介護サービスの費用保障という共通点を持つことに照らしても参酌されるべきである。

4 以上の検討からも明らかなとおり、他人介護費特別基準の点に関する原判決の判断は誤りであるから、この点からも本件処分は違法として取り消されるべきである。

(控訴人の補充主張)

原判決は、本件年金を収入として認定した点につき、本件収入認定が違法か否かの判断は本件年金が生活保護法四条一項の資産等及び八条一項の金銭等に当たるか否かの法律解釈の問題であるとした上で、本件年金が生活保護費の上乗せ的性格のものであり、収入認定の対象となるべき法四条一項の資産等ないし八条一項の金銭等には含まれないとし、その収入認定を前提とする本件処分は違法であるとしてこれを取り消した。しかしながら、原判決の右判断は、以下に述べるとおり、法四条一項及び八条一項の解釈並びに本件年金の性格の認定判断を誤るとともに、行政庁の裁量判断である本件収入認定に対する司法判断の在り方を誤ったものであり、取消しを免れない。

1 法四条一項の資産等及び法八条一項の金銭等の解釈

(一) 法四条一項は、「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。」と規定し(補足性の原理)、自己責任を基本原則とする資本主義社会にあって、生活保護が右自己責任の原則に対する補足的な役割を担うことを明らかにしている。このことは、右規定の「利用し得る資産、能力その他のあらゆるもの」との規定ぶりからも明らかであり、右資産・能力には何らの限定も付されていない。したがって、ここにいう資産とは、土地、建物はもとより、金銭、債権、無体財産権等のあらゆる財産的価格を有するものを包含する。

(二) 次に、法八条一項は、「保護は、厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。」と規定する(基準及び程度の原則)。

右規定は、保護は厚生大臣が定めた基準により要保護者の需要を測定すべきであること及び保護の程度は「その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分」に限られることを規定したもので、後者の点は前記の法四条の補足性の原理をふまえ、これを確定的に規定したものであり、また、右規定上も「金銭又は物品」には何らの限定もない。

(三) 以上から明らかなとおり、法は、これら資産等や金銭等には何らの限定も付しておらず、最低限度の生活に充てうる金品は、すべてこれに含まれると解されるから、本件年金が収入認定の対象となる法四条一項の資産等及び法八条一項の金銭等にあたることは明らかであり、これを判断するにあたり特定の金銭が右資産等や金銭等から除外されると解する余地はない。その上で、それが「利用し得る」ものであるか否か、さらにはその「活用」を求めるべきかどうかということが問題となる。

2 本件年金の活用を求めることの適否

(一) ところで、法四条は補足性の原理を、また、法八条は基準及び程度の原則を規定しているが、右の原理・原則を厳格に適用することは、法が特に被保護者の自立助長を図ることも目的としていること(法一条)や社会通念に鑑みれば必ずしも適切でなく、資産である金銭又は物品の中には利用しうる資産として活用を求めることが相当でないものがある。したがって、法は右の原理・原則の例外を認め弾力的に運用することを否定するものではないと考えられるが、どのような場合にその例外を認めるかについては、次のような理由から、保護の実施機関が一定の範囲で裁量権を有すると解される。

すなわち、第一に、法八条は保護を「厚生大臣の定める基準」を基として行うものとしているが、厚生大臣の行う保護基準の設定については、最高裁判所昭和四二年五月二四日大法廷判決が「健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴って向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量して初めて決定できるものである。したがって、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治的責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。」と判示しているところである。そこで、どのような場合に補足性の原理、基準及び程度の原則の例外を認めるかの判断は、被保護者が享受することができる生活の水準を直接左右することになるから、その判断は「厚生大臣の定める基準」による最低限度の生活との均衡を考慮しつつ行うべきである。したがって、右の判断も合目的的な裁量に委ねる必要がある。

第二に、法四条一項の「利用し得る」あるいは「活用する」という文言は、法制定当時の「生活保護制度の運用の実際が、……あまりにも機械的で自立の源をわざわざ涸渇させているという批判」があり、この点を是正するという配慮の下に選ばれたものであって、この運用は、まさに被保護者の自立助長の見地から、時代とともに変化する国民の一般的生活水準、国民感情等種々多様な不確定要素を総合考慮して行うべきものである。このように、法四条一項の「利用し得る」及び「活用する」の文言は一義的に明確なものではなく、その運用は保護の実施機関の合目的的裁量に委ねることが予定されていると解される。

(二) そして、保護の実施機関が前記原理・原則の例外を認めるにあたっては、恣意を防止して保護を無差別平等に行う(法二条)ために、統一的基準によることが必要である。

そこで、「厚生大臣の定める基準」との均衡を考慮しつつ、時代とともに変化する国民の一般的生活水準、国民感情等種々の要素を総合考慮して、自立助長や社会通念に基づいて裁量基準を示達したのが、昭和三六年四月一日付け厚生省発社第一二三号各都道府県知事・指定都市市長あて厚生事務次官通達(「生活保護法による保護の実施要領について」。以下「次官通達」という。)であり、これを基本として昭和三八年四月一日付け社発第二四六号厚生省社会局長通知(以下「局長通知」という。)及び同日付け社保第三四号厚生省社会局保護課長通知(以下「課長通知」という。)が発せられている。

本件処分が違法か否かの判断は、控訴人に裁量権の逸脱・濫用があったかどうかという観点から行われるべきであるが、本件のように裁量基準が設定され、行政庁がこれに依拠して処分をした場合の司法審査は、まず右裁量基準に不合理な点があるかどうかについてされるべきであり、これが否定される場合には、当該裁量基準に従った処分には裁量権の逸脱・濫用はないというべきである。

3 裁量基準の合理性

(一) 本件の場合の裁量基準は、控訴人が本件処分を行うにあたり依拠した次官通達の収入に関する規定である第7、3、(1)ないし(3)が該当する。そこで、次官通達の本件に関する部分についてみると、以下のとおりである。

(1) 収入の認定に関する裁量基準の構造

厚生大臣は、収入認定ないし取扱いの基準を定めるに当たり、国民生活が多様化し、他法他施策の充実による多種多様な公的・私的制度等がある中で、これらの給付金等の金銭をどのように収入認定上取り扱うかについては、保護の実施機関の恣意を防止し保護を無差別平等に行う必要があることから、保護の実施機関が客観的かつ合理的に具体的な取扱いの判断が可能となるよう、当該金銭の性格(支給の趣旨、目的等)、支給方法(臨時的か継続的か)、使われ方(自立更生等)を総合的に判断すべきものとしている。

具体的には、次官通達第7(収入の認定)、3(認定指針)により収入の認定指針を定め、同(1)として「就労に伴う収入」の取扱いを、同(2)「就労に伴う収入以外の収入」の項では、ア「恩給、年金等の収入」、イ「仕送り、贈与等による収入」、ウ「財産収入」、エ「その他の収入」と区分して就労に伴う収入以外の収入の取扱いを示し、同(3)により収入として認定しないものの取扱いを示している。

この収入として認定しないものの取扱いについては、前記の総合的判断により収入(金銭)をおおむね①冠婚葬祭の祝儀香典、慈善的金銭等(第7、3、(3)ア、イ、コ及びサ)、②弔慰金等(同(3)シ、ス、ソ及びセの一部)、③特定の者に対しその障害等に着目し、精神的な慰謝激励等の目的で支給される金銭(同(3)ケ、セの一部及びタ)、④自立更生を目的とした恵与金、災害に係る補償金等で自立更生のために使われる金銭(同(3)ウ、エ、オ、カ、キ及びク)に分類・類型化して示している。さらに次官通達により収入認定しない取扱いがされる金銭につき、局長通知及び課長通知により、その金銭の趣旨等を勘案し具体的に収入認定除外できる金額の算定基準等が示されている。

つまり、厚生大臣の裁量基準は、収入の認定については、まず収入を制度的な面からとらえてその基本的な取扱い(収入認定すべき種類の金銭であるか、収入認定しない取扱いが可能な金銭であるか。)を判断し、次に当該収入が収入認定しないものに該当する場合には、個々の被保護者の状況に応じて自立更生の内容及び収入認定しない具体的な額を決定することとしており、無差別平等の原理(法二条)及び必要即応の原則(法九条)に則った合理的な判断基準である。

(2) 本件年金の性格

本件処分は、控訴人が本件年金は次官通達の第7、3、(2)、ア、(ア)「恩給、年金、失業保険金その他の公の給付(地方公共団体又はその長が条例又は予算措置により定期的に支給する金銭を含む。)に該当し、同(3)に該当しないことから、その「実際の受領額」を収入認定した上で行ったものである。

本件年金は、心身障害者の保護者の相互扶助の精神に基づいて、保護者が生存中に一定額の掛け金を納付することにより、保護者が万一死亡し又は重度障害になったときに、障害者に終身一定額の年金を支給し、もって障害者の将来に対して保護者の抱く不安の軽減を図るものであり、保護者が亡くなった後、その扶養に代わるものとして心身障害者の生活費に充てるために支給される金銭であるから、その目的、要件、効果等からすると、心身障害者の生活を安定させるための所得保障の趣旨で支給される金銭と解される。したがって、これは、特定の者に対しその障害に着目し、精神的な慰謝激励等の目的で支給されるものではないから、次官通達の第7、3、(3)、ケには該当しない。

そもそも、年金のように一般的に日常生活費に充当することが予想され受給者の所得を保障する性格の金銭については、補足性の原理により、被保護者の最低限度の生活の維持のために活用されるべきものである。本件年金も、所得保障の趣旨で支給される金銭であることから、他の各種年金と同様に収入認定されるべき金銭であることは明白である。

4 右のとおり、次官通達等に不合理な点はないし、また、本件年金は次官通達の基準に則って収入認定されたものであるから、本件処分はその裁量権の行使に逸脱・濫用はなく、適法なものである。したがって、これを違法とした原判決の判断には、法四条一項及び法八条一項の法解釈、行政庁の裁量行為に関する司法判断の在り方において誤りがある。

三  証拠関係は、本件記録中の原審における書証目録・証人等目録及び当審における書証目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所の認定した判断の前提となる事実は、原判決「第五 争点に対する当裁判所の判断」の一に記載のとおりであるから、これを引用する。

二  他人介護費特別基準の設定についての当裁判所の判断は、次のとおり補足するほかは原判決「第五 争点に対する当裁判所の判断」の二の1に記載のとおりであるから、これを引用する。

1  被控訴人は、右に判示(原判決引用)する他人介護費特別基準の設定が厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられ、右基準が現実の介護需要を無視して著しく低い基準を設定する等、憲法及び生活保護法の目的を逸脱したような場合でないかぎり右基準に基づいて行われた処分を違法ということはできないとの考えは、余りに広範な行政裁量権の存在を認めるもので不当であると主張する。

しかしながら、生活保護の内容である「健康で文化的な最低限度の生活」という概念は抽象的な相対的概念であって、その具体的内容は国民の一般的生活水準や国の経済状況その他多数の不確定要素を総合考慮してはじめて決定しうるものであり、保護の内容の一部である他人介護費についても、その基準設定の前提となる介護需要の測定、保護の程度・内容、介護に要する諸経費の把握・算定等については高度に技術的かつ専門的な知見、判断が要求されるのであり、さらに保護の実施には相当の費用を要することから他の福祉政策その他国全体の諸政策との均衡も念頭に置いた高度に政策的な判断が必要となると認められる。確かに、他人介護費特別基準の設定は、政治・外交問題といった極めて高度の専門的、政治的判断が要求される場合ではないから、その裁量の範囲にはかなりの限度があるとはいえ、法が要保護者の需要基準を厚生大臣の定める基準によるとしていること(法八条一項)及び右にみたとおりそれは高度の専門的、政策的判断を要すると認められることから、他人介護費特別基準の設定は厚生大臣の合目的的裁量に委ねられていると解するのが相当である。

2  被控訴人は、他人介護費特別基準に上限を設定すること自体違法であり、また、被控訴人に右上限額(月一二万一〇〇〇円)を認定したことはあまりにも低額であって本件処分は違法であることが明らかなのに、これを行政裁量の範囲内とする判断は不当であると主張する。

(一) しかしながら、生活保護の態様としては在宅保護のほかに施設等による収容保護の制度もあり(法三〇条一項ただし書)、この収容保護の可能性も念頭に置いた場合、在宅保護の場合の金銭給付額につき一定の上限を設けることもまた厚生大臣の政策判断の一つとしてその裁量の範囲内にあると解するのが相当である。そして、被保護者が在宅保護によるか収容保護によるかの選択については原則として被保護者本人の意思によって決せられるべきであり、かつそれは最大限尊重されなければならないことであるが、その場合に、在宅保護か収容保護かの選択が単純に先にあるのではなく、施設保護の実態及び他人介護を含めた在宅保護の実態を踏まえて、被保護者が在宅保護か施設等による収容保護かを選択することになると考えるべきである。

ただし、右厚生大臣の他人介護費特別基準が違法でないというためには、それが現実の介護需要を無視して著しく低い基準を設定する等、憲法及び法の趣旨、目的を逸脱したような場合でないことが必要なことは前判示(原判決引用)のとおりである。

(二) そこで、月額金一二万円一〇〇〇円という他人介護費特別基準の上限額が著しく低額であるかについては、収容保護が可能であることのほか、原爆被爆者特別措置法による介護手当の重度障害分の金額(平成六年度の金額は一〇万三〇五〇円)や自動車事故対策センター法に基づく給付額(重度後遺障害者の介護料は日額四〇〇〇円)等他法による給付金額との均衡、国民一般の所得水準・生活水準や介護享受水準、一部国民の感情、特に要介護者を持つ世帯との均衡等を総合考慮すると、他人介護費特別基準の上限額が月額金一二万一〇〇〇円とされ、被控訴人について同額の金額が他人介護費と認定されたことについても、それが憲法及び法の趣旨、目的を逸脱するほど著しく低額で行政裁量を逸脱した違法なものとまでいうことはできない。したがって、右金額が被控訴人の現実の介護需要を無視した著しく低額なものであって行政裁量を逸脱しているとの被控訴人の主張は理由がない。

なお、被控訴人は、個別具体的な事情に応じた認定(絶対評価)がなされるべき場面において、他の制度の金額との比較という相対評価的な判断はすべきでない旨主張するが、右基準金額の合理性を判断する場合には、他の制度の性格の相異も勿論念頭に置いて各制度における同種の要介護者に対する給付額と比較することは考慮すべき一事情として重要なことであると考えられる(この意味で、介護保険法が施行され保険による介護が定着してくれば、それによる介護水準の実態等も基準設定の参考とすべき一事情になるといえよう)。被控訴人の右主張は理由がない。

三  当裁判所も本件年金を収入認定したことについては違法であると判断するが、その理由は、次のとおり補足するほかは原判決「第五 争点に対する当裁判所の判断」の二の2に記載のとおりであるから、これを引用する。

1 控訴人は、生活保護法四条一項及び法八条一項は資産等や金銭等に何らの限定も付していないから最低限度の生活に充てうる金品はすべてこれに含まれると解されるので、本件年金が収入認定の対象となる法四条一項の資産等及び法八条一項の金銭等にあたることは明らかであり、これを判断するにあたって特定の金銭が右資産等や金銭等から除外されると解する余地はなく、その上でそれが「利用し得る」ものであるか否か、さらにはその「活用」を求めるべきか否かを判断すべきであり、かつこの判断は行政庁の合目的的裁量に委ねられている旨主張する。

しかしながら、法四条一項及び法八条一項の文言から、要保護者の保有ないし取得するすべての金銭が例外なく最低限度の生活に充てうる金品であると一義的に解釈されるわけではない。法四条一項は資産等について「利用し得る」という限定を付しているのであるし、法は最低限度の生活保障を目的とするものではあるが、同時に要保護者の自立を助長することも目的として掲げていること(法一条)や、右最低限度の生活は健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならないこと(法三条)など、法の目的・趣旨を総合的に考慮し社会通念に照らすならば、右の資産等の中には活用を求めることが相当でなく利用し得ない資産等があることを否定できないものである。したがって、法四条一項及び法八条一項を控訴人が主張するように解するのは相当でなく、要保護者が金銭等を取得する場合、当該金銭等の給付者・給付根拠・要件・目的・効果その他の客観的諸事情を総合考慮の上、法の趣旨に照らして右金銭等が最低限度の生活維持に活用すべきものであり、その余の方途に活用することが許されないか否かによって、当該金銭等が法四条一項の「利用し得る資産等」あるいは法八条一項の「金銭等」にあたるか否かを判断するのが相当である。

控訴人は、法四条一項の資産等が「利用し得る」あるいは「活用する」ものであるか否かの判断は行政庁の合目的的裁量に委ねられている旨主張するが、生活保護法による保護は生活に困窮する国民個々人の生存権に直結する事柄であり、しかも右規定の内容判断は行政庁の特別な専門的、政策的判断を必要とせず、司法判断が可能なものというべきであるから、当該金銭等が法四条一項の資産等及び法八条一項の金銭等に該当するか否かは先ずもって法解釈の問題であると解するのが相当であって、控訴人の右主張は採用することができない。

2 控訴人は、本件年金制度は心身障害者の保護者が死亡等により当該心身障害者の扶養ができなくなった場合に備える趣旨の、いわゆる所得保障を目的とする制度であって、これにより支給される金銭(本件年金)は収入として取り扱うべきものである旨主張する。

しかしながら、本件年金制度は、心身障害者の生活の安定と福祉の増進に資するとともに心身障害者の将来に対し保護者のいだく不安の軽減を図ることを目的とするもの(本件条例一条)であるところ、本件年金の目的は、被控訴人のように重度障害者であって自立生活を営む者にとってはことに、生活保護の面よりも福祉増進、自立助長の面がより強いものというべきであるから、被控訴人が受給する本件年金(月額二万円)をもって法四条一項の資産等及び法八条一項の金銭等に当たるとみるのは相当でない。したがって、本件年金は障害者の自立を助けるために必要な金銭として被控訴人の収入認定から除外するのが相当である。このように解することは、地域における福祉行政の実施主体である地方公共団体(石川県)において社会福祉事業の一環として行う本件年金制度の趣旨に沿うものであり、また、本件年金の契約者(本件の場合は被控訴人の母親)の意思にも合致すると思われる。生活保護法が昭和二五年から実施され、その後障害者に対する社会福祉制度も徐々に拡充されてきていたところ、被控訴人の母親としても、自分の死後被控訴人に、生活保護基準ではなお不足するが、被控訴人の現実の生活の中でどうしても必要があり得るとして、それに備えて本件年金制度に加入し、掛金を納付し続けて本件年金を取得できることにしたものと見ることができるのであって、もし本件年金が収入認定されるのであれば、保護者のいだく不安の軽減を図るという本件条例の目的が達しないことにもなる。前記認定(原判決引用)の被控訴人の生活実態によれば、支給される本件年金はその出費の目的が被控訴人の他人介護費の不足分に充てられると認められるところであり、これは国民の「自立助長」をも目的とする法一条の趣旨にかなうものであって、生活保護費支給の趣旨、目的に反するものと見ることはできない。

右のように本件年金は、被控訴人の自立助長のために活用することが許される金銭とみるべきであるから、これを法四条一項の資産等及び法八条一項の金銭等に該当し被控訴人の収入に認定すべきものとする控訴人の主張は理由がない。

四  本件処分の手続的違法性(理由付記の有無)についての当裁判所の判断は、原判決「第五 争点に対する当裁判所の判断」の二の3に記載のとおりであるから、これを引用する。

五  よって、被控訴人の請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官窪田季夫 裁判官本多敏雄 裁判官榊原信次)

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