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名古屋高等裁判所金沢支部 平成22年(ネ)35号 判決 2010年12月15日

控訴人

X眼鏡株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

村松謙一

後藤正志

宮原一東

岡本成道

file_4.jpg野弘樹

前川理佐

被控訴人

株式会社福井銀行

同代表者代表執行役

同訴訟代理人弁護士

山川均

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  控訴人

(1)  原判決を次のとおり変更する。

(2)  被控訴人は、控訴人に対し、680万円及びこれに対する平成19年9月29日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人

主文同旨

第2事案の概要

1  本件は、控訴人が、銀行である被控訴人に対して手形割引を申し込み、手形割引の準備のため、平成19年7月13日、原判決別紙手形目録記載の約束手形2通(額面合計680万円。以下「本件各手形」という。)を被控訴人に預けたが、その後、控訴人が、同月24日、民事再生手続開始の申立てをし、同月31日、再生手続開始決定がされたことから、被控訴人が、控訴人からの本件各手形の返還要求に応ずることなく、控訴人との間の銀行取引約定(以下「本件銀行取引約定」という。)に基づき、同年9月28日本件各手形を取り立てた上、本件各手形金合計680万円全額を控訴人に対する5000万円の貸金債権(以下「本件貸金債権」、「本件貸金債務」という。)の弁済に充当したことにつき、控訴人が、被控訴人による上記弁済の充当は民事再生法85条1項に反し許されず、したがって、控訴人の被控訴人に対する上記貸金債務は消滅せず、一方、被控訴人は理由もなく本件各手形金相当額である680万円を保持したままであるから、被控訴人は680万円を法律上の原因なく利得し、控訴人には同額の損失が生じていることになると主張して、被控訴人に対し、不当利得返還請求権に基づき、本件各手形金相当額合計680万円及びこれに対する本件各手形の取立ての日の翌日である平成19年9月29日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による利息の支払を求めた事案である。

これに対し、被控訴人は、本件銀行取引約定5条1項は、民事再生手続開始の申立てを期限の利益喪失事由としているところ、控訴人は平成19年7月24日民事再生手続開始の申立てをしたから、控訴人は本件貸金債務につき期限の利益を失ったし、本件銀行取引約定4条2項は、「甲(債務者)が乙(銀行)に対する債務を履行しなかった場合には、乙はかならずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法、時期、価格等により担保を取立または処分のうえ、その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず甲の債務の返済に充当できます」とし、本件銀行取引約定4条3項は、「甲(債務者)が乙(銀行)に対する債務を履行しなかった場合には、乙はその占有している甲の動産、手形その他の有価証券についても前項と同様に取り扱うことができます」としているから、被控訴人は上記約定に基づき、本件各手形金を本件貸金債権の弁済に充当したのであるが、被控訴人は本件各手形につき民事再生法上別除権とされる商事留置権を有するから、本件各手形の取立金を控訴人に対する貸金債権の弁済に充当することは許されるなどと主張して、控訴人の本件不当利得返還請求を争った。

原審は、民事再生法は、商事留置権に優先弁済権を認めていないし、銀行取引約定に基づく上記弁済の充当も許されないが、被控訴人は、本件各手形の取立金に対して商事留置権を有するから、被控訴人はその被担保債権である本件貸金債権の弁済を受けるまで手形取立金の返還を拒むことができるとして、被控訴人の留置権に基づく引換給付の抗弁を認め、控訴人の本件請求を、控訴人が被控訴人に対して被担保債権の元本4458万9728円を支払うのと引換えに、被控訴人に対して680万円の支払を求める限度で認容し、その余の請求を棄却したところ、控訴人が不服を申し立てた。

2  前提事実(いずれも当事者間に争いがない。)

(1)  当事者

控訴人は、眼鏡枠用部品の製造及び販売等を目的とする株式会社である。

被控訴人は、福井市に本店を置き、銀行業務を目的とする株式会社である。

(2)  控訴人と被控訴人は、両者間の銀行取引に関し、平成16年12月8日、以下の各条項を含む銀行取引約定(本件銀行取引約定)を締結した。

ア 甲(控訴人、以下同じ。)が乙(被控訴人、以下同じ。)に対する債務を履行しなかった場合には、乙はかならずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法、時期、価格等により担保を取立または処分のうえ、その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず甲の債務の返済に充当できます(4条2項)。

イ 甲が乙に対する債務を履行しなかった場合には、乙はその占有している甲の動産、手形その他の有価証券についても前項と同様に取り扱うことができます(4条3項)。

ウ 甲について次の各号の事由が一つでも生じた場合には、乙からの通知催告等がなくても、甲は乙に対するいっさいの債務について当然期限の利益を失い、直ちに債務を返済します(5条1項)。

支払の停止または破産、民事再生手続開始、会社更生手続開始、会社整理開始もしくは特別清算開始の申立があったとき(1号)。

(3)  被控訴人は、控訴人に対し、平成19年6月29日、弁済期日を同年9月28日として、5000万円を貸し付けた(本件貸金債権)。

(4)  控訴人は、被控訴人に対し、同年7月13日、割引希望日を同月30日ないし翌31日として本件各手形の割引を申し込み、手形割引の準備として本件各手形を被控訴人に交付した。

(5)  控訴人は、同月24日、福井地方裁判所に民事再生手続開始を申し立て(同裁判所平成19年(再)第3号)、同月31日、同裁判所から再生手続開始決定を受けた(以下、同再生事件における再生手続を「本件再生手続」という。)。そのため、控訴人は、本件銀行取引約定5条1項1号により、本件貸金債権につき期限の利益を失った。

(6)  被控訴人は、控訴人から同年8月6日本件各手形の返却を求められたが、これに応ぜず、本件銀行取引約定4条3項に基づき、本件各手形の満期日である同年9月28日、本件各手形を取立てに回して合計680万円の手形取立金(以下「本件取立金」という。)を取得し、平成20年6月10日、本件取立金を本件貸金債権の残元金4458万9728円の弁済に充当した。

(7)  控訴人について再生計画が認可されたが、再生計画に従った弁済は1回されただけで、控訴人は2回目の弁済をしておらず、現在は廃業状態である。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

(1)  本件銀行取引約定4条3項に基づき、被控訴人が本件各手形を取り立て、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することは、民事再生法85条1項に違反するものとして許されないか。

(控訴人の主張)

以下のとおり、被控訴人が本件各手形を取り立て、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することは許されない(したがって、控訴人は本件貸金債務につき債務消滅の利益を受けず、一方、被控訴人は、法律上の原因がないのに、本件取立金を取得して同額の利得を得ることになるから、控訴人の被控訴人に対する不当利得返還請求権が発生する。)。

ア 本件貸金債権は再生債権であるところ、再生債権は、再生手続開始決定後は「この法律に特別の定めがある場合」を除き、民事再生法85条1項により弁済が禁止される。その趣旨は、債権者に再生手続によらない個別的権利行使を許しては再生債務者の事業の再生を図れないことに加え、債権者間の平等、衡平を図るというもので、同条項は強行規定である。したがって、本件取立金を被控訴人の再生債権である本件貸金債権の弁済に充当することが許されるというには、民事再生法に「特別の定めがある」ことが必要であるが、そのような定めに該当する事由は存在しない。

イ 被控訴人は、被控訴人は本件各手形につき商事留置権を有し、かつ、商事留置権には優先弁済権があるから、本件取立金を弁済に充当することは許されると主張する。

確かに、商事留置権は、民事再生法上別除権とされているが(同法53条1項)、実体法上、商事留置権には優先弁済権は認められておらず、民事執行法195条において形式的競売の手続が定められているのみである。商事留置権が別除権に該当するからといって、実体法上で認められている効力以上の優先弁済権を解釈によって付与することはできない。

なお、最高裁判所平成7年(オ)第264号同10年7月14日第三小法廷判決・民集52巻5号1261頁(以下「最高裁平成10年判決」という。)は、破産の場合につき、破産法が商事留置権を特別の先取特権とみなして(同法66条1項)、優先弁済権を付与したことを根拠に、銀行が、破産手続によらず、銀行取引約定によって、商事留置権の目的となった手形を手形交換に回して換価し、取立金を貸金債権の弁済に充当したことを肯定しているが、民事再生法においては、破産法66条1項のように商事留置権を特別の先取特権とみなす旨の規定が設けられていない。

ウ また、本件銀行取引約定4条3項は、銀行が占有を取得した債務者の財産について、簡易な換価方法や弁済充当を定めているが、このような合意の効力を無制限に認めれば、事前の合意によって、商事留置権者である銀行が、債務者の再生手続開始後に留置目的物を換価して独占的、優先的に債権回収できることを認めることになり、商事留置権を有する者に商事留置権の本来の効力を超えた権能を付与することになる。

民事再生法上、再生債務者が別除権付き債権に対する弁済を行うことが許されるのは、別除権の受戻し(同法41条1項9号)及び担保権消滅請求(同法148条)であり、いずれも裁判所の許可が必要である。

エ また、以下のとおり、そもそも、被控訴人は本件各手形につき商事留置権を有していない。

控訴人と被控訴人との間では手形割引契約が成立しておらず、控訴人が本件各手形を被控訴人に預け入れたのも将来の手形割引契約のための事実上の行為にすぎず、商行為に該当しない。

また、手形の割引は、早急な資金調達の目的のため、満期に先立って割引代金を得るためのものであって、特に控訴人のように再生手続開始申立直後の場合には、資金繰りが相当逼迫しているから、被控訴人としては、期日に割引を実行しないと決めた時点で直ちに手形を返還し、控訴人に他の割引先を探すなどの措置を講じさせるべきであった。控訴人からの手形割引依頼に応じる意思がないのに、控訴人の割引依頼によって本件各手形を占有するに至ったのを奇貨として商事留置権の行使をするのは、信義則違反あるいは権利の濫用に当たり許されない。

(被控訴人の主張)

以下のとおり、被控訴人が、本件銀行取引約定4条3項に基づき、本件各手形を取り立て、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することは許される(したがって、被控訴人が本件各手形金を取得することについては法律上の原因があるといえるし、一方、控訴人は、本件貸金債務への弁済充当により本件各手形金相当額の債務を免れたことになって損失がないことになるから、結局、控訴人に不当利得返還請求権は発生しない。)。

ア 控訴人と被控訴人との間で締結された本件銀行取引約定には、前記のとおり、「甲が乙に対する債務を履行しなかった場合には、乙はかならずしも法定の手続によらず一般に適当と認められる方法、時期、価格等により担保を取立または処分のうえ、その取得金から諸費用を差し引いた残額を法定の順序にかかわらず甲の債務の返済に充当できます」(4条2項)、「甲が乙に対する債務を履行しなかった場合には、乙はその占有している甲の動産、手形その他の有価証券についても前項と同様に取り扱うことができます」(4条3項)との約定があるほか、「甲について支払の停止または破産、民事再生手続開始、会社更生手続開始、会社整理開始もしくは特別清算開始の申立があったとき」は、「乙からの通知催告等がなくても、甲は乙に対するいっさいの債務について当然期眼の利益を失い、直ちに債務を返済します」との約定(5条1項)もある。

そして、被控訴人は、平成19年7月13日、同月30日ないし翌31日を手形割引実行予定日として、控訴人から本件各手形を預かったところ、控訴人は同月24日、民事再生手続開始の申立てをし、これにより控訴人は本件貸金債務につき期限の利益を失い、直ちに債務を返済しなければならなくなったので、被控訴人は本件銀行取引約定4条3項に基づき、本件各手形の満期日である同年9月28日、占有中の本件各手形を取り立て、平成20年6月10日、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当した。

イ 民事再生法85条1項は、「再生債権については、再生手続開始後は、この法律に特別の定めがある場合を除き、再生計画の定めるところによらなければ、弁済をし、弁済を受け、その他これを消滅させる行為(免除を除く。)をすることができない。」と定めているが、以下のとおり、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することは同条項に反しない。

(ア) 被控訴人は、手形割引実行の準備のため控訴人から本件各手形を預かり、これを占有していたところ、控訴人が平成19年7月24日民事再生手続開始の申立てをして本件貸金債権につき期限の利益を失ったから、本件各手形につき商事留置権を取得した。

再生手続においては、商事留置権は別除権として規定されている(民事再生法53条1項)ところ、別除権者には、再生手続によらないで別除権を行使して目的物の対価から優先的に債権を回収する地位、すなわち優先弁済権が認められている。

このことは、民事再生法上、別除権者は、別除権の行使によって弁済を受けることができない債権の部分についてのみ、再生債権者として権利行使できる旨規定されている(同法88条)ことや、別除権が担保権消滅請求の対象になっている旨規定されている(同法148条以下)ことにも現れている。そして、この優先弁済権は、別除権すべてについて認められる効力であって、商事留置権だけが例外であるとは解されないし、そのような明文の例外規定も存しない。

また、民事再生法上、再生債務者が別除権の受戻し(同法41条1項9号)を行う際には被担保債権を全額弁済しなければならないし、担保権消滅請求をする際には別除権の目的である財産の価額に相当する金銭を納付しなければならないが(同法152条)、これらは、結局のところ、商事留置権者が被担保債権の弁済を受けられること、すなわち優先弁済権があることを認めるものである。

そして、民事再生法上、商事留置権者は別除権者として、一般の再生債権者よりも保護されるはずであるところ、商事留置権に優先弁済権が認められないとした場合、商事留置権者としては、自費で目的物を換価しても換価代金を被担保債権に充当できず、再生債務者に返還するだけということになるが、これでは別除権としての意味がなくなってしまう。

確かに、民事再生法には破産法66条1項のような規定が置かれていないが、特別の先取特権など持ち出さなくても、民事再生法には、商事留置権は別除権である旨の規定(同法53条1項)が置かれているのであるから、それだけで優先弁済権を認めれば足りる。

したがって、再生手続において、商事留置権には優先弁済権が認められる。

(イ) 金融実務上、手形割引は、担保提供が困難な企業への融資手段として重要な位置付けにあり、銀行は、自己の占有下にある割引依頼手形の預り残高を管理、注視しつつ、債務不履行時にはこれを取り立て、相殺ないし弁済充当により債権の回収を行っている。そして、本件銀行取引約定4条3項は文字通り「担保」を設定したものであり、また、被控訴人に対する本件各手形の預入れは、「代金取立・割引手形・譲渡担保手形預り規定」(《証拠省略》)に従って行われているところ、その16項には「お客様から債務を履行していただけない場合には、銀行は占有しているお客様の手形について、担保となっていなくても、銀行は取立しお客様の債務の返済に充当いたします」と規定されているのであって、実質的には、割引依頼された本件各手形の上に担保が設定されたといえる。

このように割引依頼手形が担保的機能を有することにかんがみると、本件銀行取引約定4条3項に基づく弁済充当を認めないのは、商事留置権を有する銀行の保護に欠けることになり、不合理である。

(ウ) 弁済充当が許されないとすると、銀行が割引依頼手形につき商事留置権を有していても、債務者が破産手続を選択すれば当該手形を取り立てて自己の債権に弁済充当することができるのに対し、債務者が再生手続を選択すれば、銀行は手形取立金を返還しなければならなくなる。しかしながら、破産手続も再生手続も倒産処理手続という点では共通しているのに、当該債務者が破産手続を選択するか再生手続を選択するかによって結論が異なるというのは不当であるし、割引依頼手形に担保的機能を持たせようとする取引当事者の合理的意思にも反する。

(エ) 最高裁平成10年判決について

最高裁平成10年判決は、再生手続においても当然に当てはまるのであって、商事留置権を有する銀行は、再生手続開始後においても手形の返還請求を拒絶することができ、手形の占有を適法に継続し得る上に、銀行取引約定による合意に基づき、手形を取り立てて被担保債権の弁済に充当することができる。

また、仮に最高裁平成10年判決が再生手続において妥当しないとしても、控訴人は、平成20年5月19日に再生計画認可の決定を受けたが、第1回目の弁済を行った後は再生計画に従った弁済を実施しておらず、事実上の廃業状態にあるから、名目的に再生手続を選択したにすぎないといえる。したがって、実質的に破産状態にある控訴人に関する本件では、破産に関する事案である最高裁平成10年判決の法理が当てはまるべきである。

(オ) したがって、本件銀行取引約定4条3項に基づく本件取立金の弁済充当は、上記別除権の行使としてされたものであって、民事再生法上禁止されることにはならない。

(2)  仮に、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することが許されず、控訴人に不当利得返還請求権が発生したとして、被控訴人は本件貸金債権の弁済があるまで不当利得金の返還を拒絶できるか。

(被控訴人の主張)

被控訴人は、前記のとおり、本件各手形につき商事留置権を取得したから、被控訴人は本件取立金の上にも商事留置権を引き続き有することになる。

そして、本件各手形に対する商事留置権は本件貸金債権も被担保債権とするから、被控訴人は、商事留置権に基づき、控訴人が本件貸金債権全額を弁済するまで、本件取立金の支払を拒絶できる。

(控訴人の主張)

そもそも、前記(1)(控訴人主張)のとおり、被控訴人は本件各手形につき商事留置権を有していない。

また、仮に被控訴人が商事留置権を有していたとしても、留置権は、留置権者の占有に属した物自体について成立し、留置目的物の占有が失われれば留置権も消滅するのが原則である(民法302条)。とすれば、被控訴人が、本件各手形を取立てに回して本件各手形の占有を喪失した以上、本件各手形上の商事留置権は消滅したのであり、本件各手形の価値変形物である本件取立金の上に留置権の効力を及ぼすことはできない。

また、仮に本件取立金に留置権の効力が及ぶことが認められたとしても、被控訴人は既に本件取立金を本件貸金債権の残元金4458万9728円に充当したのであるから、本件取立金は被控訴人の一般財産に混入して特定性を失っている。

したがって、本件取立金に対しては商事留置権の効力は及ばず、被控訴人は本件取立金につき商事留置権に基づく主張をすることはできない。

第3当裁判所の判断

1  被控訴人は、控訴人から手形割引の依頼を受け、平成19年7月13日、割引実行日を同月30日ないし翌31日とする手形割引の準備として、本件各手形の交付を受けたが、同月24日、控訴人が本件再生手続開始の申立てをしたため、控訴人は本件貸金債権について期限の利益を失った(本件銀行取引約定5条1項)として、同年8月6日にされた控訴人からの本件各手形の返還要求にも応ずることなく、本件銀行取引約定4条3項に基づき、本件各手形の満期日である同年9月28日、本件各手形を取立てに回して本件取立金を取得し、平成20年6月10日、本件取立金を本件貸金債権の残元金4458万9728円の弁済に充当したこと、福井地方裁判所は、平成19年7月31日、控訴人につき民事再生手続開始決定をしたことは前提事実に記載したとおりであり、また、本件取立金の上記弁済充当が控訴人の再生計画の定めるところによる弁済でないことは弁論の全趣旨により認められる。

2  ところで、民事再生法85条1項は、「再生債権については、再生手続開始後は、この法律に特別の定めがある場合を除き、再生計画の定めるところによらなければ、弁済をし、弁済を受け、その他これを消滅させる行為(免除を除く。)をすることができない。」と定めている。

そこで、被控訴人が民事再生開始決定後である平成20年6月10日に本件取立金を本件貸金債権の残元金4458万9728円の弁済に充当することが、民事再生法85条1項により許されず、効力を生じないかが問題となる。

上記弁済充当が有効であれば、控訴人は本件各手形の換価物である本件取立金を失うことになるが、その対価として、本件貸金債務の一部である680万円の支払義務が消滅するから、控訴人に損失はないし、また、被控訴人が本件取立金を受領することにつき法律上の原因があることになり、一方、上記弁済充当が許されないものであれば、控訴人は債務消滅の利益を受けないことになるし、被控訴人が本件取立金を受領することにつき法律上の原因がないことになる。

3  民事再生手続は、経済的に窮境にある債務者について、その債権者の多数の同意を得、かつ、裁判所の認可を受けた再生計画を定めること等により、当該債務者とその債権者との間の民事上の権利関係を適切に調整し、もって当該債務者の事業又は経済生活の再生を図ることを目的とする(民事再生法1条)ものであることや同法85条1項の規定の仕方からすると、同条項は強行規定と解さざるを得ず、単に、控訴人と被控訴人との間で締結された本件銀行取引約定に弁済充当の合意があるからといって、直ちに、本件取立金を再生手続によることなく、本件貸金債権の弁済に充当することが許されるということはできない。

そこで、本件銀行取引約定に基づき本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することが、民事再生法85条1項の「この法律に特別の定めがある場合」に該当するか否か検討する。

4  まず、民事再生法53条は、再生手続開始の時において再生債務者の財産につき存する商事留置権を有する者はその目的である財産について別除権を有し、別除権は再生手続によらないで行使することができる旨定めているところ、前記のとおり、被控訴人は、控訴人から手形割引の依頼を受け、割引希望日を平成19年7月30日ないし翌31日として、同月13日、本件各手形の交付を受けることによって本件各手形の占有を開始し、また、被控訴人の控訴人に対する本件貸金債権は、同月24日、控訴人が本件再生手続開始の申立てをしたことにより、本件銀行取引約定5条1項1号により期限の利益を喪失して弁済期が到来したのであるから、被控訴人は、控訴人が本件再生手続開始の申立てをした平成19年7月24日に本件各手形につき商事留置権を取得したといえる。

この点につき、控訴人は、被控訴人との間では手形割引契約が成立しておらず、控訴人が本件各手形を被控訴人に預け入れたのも将来の手形割引契約のための事実上の行為にすぎず、商行為に該当しないため、そもそも本件各手形に対する商事留置権は成立しないと主張する。

しかしながら、前記のとおり、控訴人は被控訴人との間で手形割引を受けることを合意して、手形割引実行のための準備として本件各手形を被控訴人に交付しているのであり、本件各手形の交付は単なる事実行為ではなく、控訴人から被控訴人に対する委託の合意に基づく交付であり、被控訴人の本件各手形の占有取得の原因は商行為というべきであり、控訴人の上記主張は理由がない。

また、控訴人は、手形の割引は、早急な資金調達の目的のため、満期に先立って割引代金を得るためのものであるから、被控訴人としては、期日に割引を実行しないと決めた時点で直ちに手形を返還し、控訴人に他の割引先を探すなどの措置を講じさせるべきであり、控訴人からの手形割引依頼に応じる意思がないのに、控訴人の割引依頼によって本件各手形を占有するに至ったのを奇貨として商事留置権の行使をするのは、信義則違反あるいは権利の濫用に当たり許されないと主張するが、前記のとおり被控訴人は平成19年7月24日には本件各手形上に商事留置権を取得したのであるから、被控訴人は、本件各手形を留置する権能を有しており、控訴人から本件各手形の返還を求められても、商事留置権を行使してこれを拒絶し、本件各手形の占有を適法に継続することについては理由があるというべきである。そして、被控訴人による商事留置権の行使が信義則違反あるいは権利濫用に当たることを窺わせる事情は認められない。控訴人の上記主張も理由がない。

そうすると、被控訴人は、本件各手形上に、別除権として再生手続によらないで行使することのできる商事留置権を取得したことになる。

5  以上のことを前提として検討するが、まず、民事再生法においては、破産法とは異なって商事留置権を特別の先取特権とみなす旨の規定(破産法66条1項)が設けられておらず、その他優先弁済権を付与する趣旨の規定もない。また、民事執行法195条は、目的物を留置し続ける負担から留置権者を解放させるために、留置権に基づき留置物を換価する形式競売の制度を設けているが、優先弁済権を与えているわけではない。そうすると、商事留置権が民事再生法上別除権として扱われている(同法53条1項)ことの一事をもって商事留置権に優先弁済権が認められるということはできない。

6  しかしながら、被控訴人のような銀行は、長く本件銀行取引約定4条2項、3項、5条1項と同様な取引約定を顧客との間で結び、顧客について債務不履行があった場合には、担保の実行として、銀行が占有している顧客の手形を取立てに回し、取立金をもって顧客の債務の弁済に充当するという取扱いをしてきた。

そして、手形割引は手形を手段として簡易迅速な方法で金員の融通を受けるために広く利用されており、また、手形割引実行前にその準備のために銀行が手形を預かることもあり得るところであるが、銀行及び債務者のいずれとも、割引実行前の割引依頼手形が、他の借入金の担保として取り扱われ、万一、銀行借入れにつき債務不履行があった場合には、銀行が割引依頼手形を取り立て、取立金を優先的に弁済に充当することを当然の前提としてきたし、そうしたことは取引界においては広く知れ渡っていたことといえる。

そういう意味では、既に銀行の占有下にある手形について、銀行が銀行取引約定に基づき、これを取り立て、債務不履行となっている債務の弁済に充当することが、再生債権者の予期に反するものとはいえない。

また、再生手続における商事留置権者としては、留置物を留置することによって、これの返還と引換えに再生債務者に対して、裁判所の許可を前提に、被担保債権の任意の弁済を求めることができるから、本来、留置物は再生債務者の責任財産を構成している訳ではなく、再生債務者が再生計画を遂行するための事業原資となることも予定されていなかったものともいえる。

一方、本件銀行取引約定4条3項に基づく弁済充当が許されないと、銀行は、手形取立金相当額を債務者に返還しなければならない一方で、再生債権である被担保債権については再生計画によって変更された内容に従って弁済を受けるにすぎないことになるが、こうしたことは、割引依頼手形に商事留置権を有し、留置権能を行使することができるとともに、本件銀行取引約定により、割引依頼手形による優先弁済を受けることを期待し得た銀行の予期に反する結果をもたらすことになる。

そして、銀行による占有手形の換価は、手形交換制度という取立てをする者の裁量等の介在する余地のない適正妥当な方法によるものであるし、こうした担保権の行使による優先弁済に対する銀行の期待を合理性のないものということはできない。

7  民事再生法85条1項が再生手続開始後における再生債権の弁済を原則として禁止するのは、債権者に再生手続によらない個別の権利行使を許すと、再生債務者の事業又は経済生活の再生を図るという民事再生法の目的を達成できなくなることに加え、債権者間の衡平を図るためと解される。

しかるところ、商事留置権の目的となった留置物は、前記のとおり、再生債務者が再生計画を遂行するための事業原資となることも予定されていなかったともいえるものであり、また、銀行がその占有下にある手形を担保として取り扱い、顧客が債務不履行に陥った場合には占有している手形を手形交換に回して取り立てて債権の弁済に充当することは広く知られていることからすると、銀行が銀行取引約定によって留置手形を手形交換に回し、取立金をもって債権の弁済に充当することが民事再生法85条1項の趣旨ないし目的に必ずしも反するとはいえない。

また、商事留置権は、破産手続では特別の先取特権とみなされ(破産法66条1項)、会社更生手続では更生担保権として扱われる(会社更生法2条10項)結果、会社更生手続を通じて実際には弁済が認められる例が多いのに対し、再生手続で銀行取引約定に基づく弁済充当が許されないとすれば、再生手続における商事留置権者の地位の保護は、他の倒産手続と著しく異なる結果となり、このことは他の倒産手続と再生手続との違いを考慮しても合理的とはいえない。

さらに、銀行及び債務者は、割引依頼手形についても担保の目的とすることを前提に取引をしているところ、割引依頼手形を銀行に預け入れた後に債務者が倒産状態に陥った場合、いかなる倒産手続を選択するかという専ら債務者側の事情によって商事留置権者である銀行の地位に大きな違いが生じることになり、このことは銀行を不安定な地位に置くことになる。

8  上記のような事情を総合勘案すると、本件のように銀行が自ら占有する手形について商事留置権を有している場合には、銀行取引約定により、商事留置権の目的となった手形を手形交換に回し、取立金を被担保債権である貸金債権の弁済に充当することは民事再生法85条1項の趣旨ないし目的に反するものとみることはできず、民事再生法53条による別除権の行使として許されるというべきである。

したがって、被控訴人が、再生手続によることなく、本件銀行取引約定に基づき、本件取立金を本件貸金債権の弁済に充当することは、民事再生法85条1項の「この法律に特別の定めがある場合」に該当するものとして、許されるというべきである。

そうすると、被控訴人が本件各手形金を取得することについては法律上の原因がある一方、控訴人は、本件貸金債務への弁済処理により本件各手形金相当額の債務を免れたことになるから、控訴人主張の不当利得返還請求権は発生しないことになる。

9  結論

以上によれば、控訴人の被控訴人に対する不当利得返還請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから棄却すべきである。

したがって、控訴人が被控訴人に対して被担保債権の元本4458万9728円を支払うのと引換えに、被控訴人が控訴人に対して680万円の金員を支払うよう命じた原判決はこれと結論を異にするが、被控訴人から不服申立のない本件においては、原判決を控訴人の不利益に変更することは許されない。

よって、控訴人の本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本博 裁判官 浅岡千香子 梅澤利昭)

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