名古屋高等裁判所金沢支部 平成3年(う)58号 判決
所論は,被告人が破棄した本件図録に写真が掲載されている本件作品は,昭和天皇(以下「天皇」という。),皇太后や皇族及び英国の貴顕の人達の肖像写真と女性の陰部,裸体,骸骨等の写真を組み合わせて構成したものであって,これを見る人に著しく不快感を覚えさせるとともに,天皇ほかその作品に写真を利用された人達の人格を傷つけてその名誉を侵害し,かつ天皇に対する一般国民の尊敬,崇拝の念を損ない,ひいては日本国と日本国民総体を侮辱するものであり,これを公開すること,とくに公務員である富山県知事や県の機関である県立図書館が公開することは著しく違法な行為というべきものであるところ,県当局は,それまで図録の非公開を約束していながら,突然その公開を決定したため,これを禁止する法的手段を取る余裕がなかった被告人は,天皇ほかの人達及び日本国や日本国民の名誉を守るため,やむことを得ざる行為として本件図録の当該部分を破棄するに至ったものであるから,その行為は正当防衛に該当する,というのである。
そこで案ずるに,本件作品は,もともと美術作品として展覧会に出展された10連作のものであるが,それらの内容は,社会的に高貴なものと俗悪なものとを同じ一つの画面の中に混在させることにより,常識的な価値の混乱と共存の両方を顕示しているように見られはするものの,その描写表現が難解かつ奇抜なものであるため,作者の制作意図を容易に知ることはできず,その評価は様々に分かれるであろうことも推測されるところ,いずれにしても,その作品に肖像写真を使用されている各個人の名誉感情や鑑賞者それぞれの感性に従った理解の仕方は別にして,本件作品の内容自体から,作者がその肖像写真を用いた天皇や皇族等の尊厳を傷つけることを意図的に目的としたものとまでは直ちに決めつけ難い。
本件において,右のような内容の作品を制作し,これを公開展示したということが,直ちにその中で肖像写真を使用された天皇や他の人達の個人的名誉を毀損し,あるいは侮辱したことになるかという観点で考察した場合,これが具体的に事実を摘示してはいないのは明らかであるから,名誉毀損罪として人の社会的名誉を侵害したといえないのはもちろん,事実を摘示しないまでも公然と人を蔑視愚弄してその社会的な評価を損なう犯罪行為にまで達しているとみなすことも困難であり,まして,本件作品自体を直接に公開展示するというわけではなく,図書館が所蔵する一資料として,一部に本件作品の写真が掲載されている本件図録の閲覧を,所定の手続きを取った個別の希望者に限って許すという形での公開措置が,直ちにこれらの刑罰法規に触れる違法なものとすることはできないのである。
もっとも,自己の肖像写真が使用されることを本人が好まず,その名誉感情が損なわれるということがないともいえず,その場合にはまた,プライバシーの権利の保護という見地からの配慮も求められるのではあるが,それはたちまち,その好ましくないと思う状態を解消するため,防衛行為として有形力による実力行使が正当なものとして許されるような急迫不正の法益侵害があったことを意味するものでないのはいうまでもない。
次いで所論は,本件図録の公開措置によって,単に天皇やその他の人達の個人的な法益としての人格が侵害されるだけでなく,憲法上日本国及び日本国民統合の象徴たる高い地位にある天皇やこれに伴う皇族の名誉が汚されることが,同時に,日本国及び日本国民自体の名誉と誇りをも侵害することになるのであって,そのような侵害に対しても正当防衛が成立する旨の主張も併せ行うのであるが,これが天皇や皇族の名誉は個人的法益と離れて直ちに国家的又は公共的法益に結びつくものであるという見地に立って,その擁護のためには私人が直接正当防衛として刑罰法規に触れる実力行使をすることも可能であるという見解だとすれば,すでにその主張自体を容れることができない。
けだし,天皇や皇族の名誉といえども,個人的法益として一般国民と等しく刑法上の保護を受けること以上に,直接的に国家的又は公共的法益として特別の保護の対象になっているとはいえないからである。
いずれにしても,直接その作品の一部を破棄するという実力行使に及んだ被告人の行為を正当防衛とみなすことはできない。
(以下省略)