大判例

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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和26年(ネ)180号 判決

被控訴人は控訴人に対し別紙目録<省略>記載の建物の内階上階下共二分し(区分方法は階下間口四間を各二間宛に区分し、右区分点を奥行に沿い進めて区劃し、階上も階下同様に区劃する。)その一半、道路より家屋に向つて左側即ち南側の部分を明渡せ。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

本判決は控訴人に於て金三万円の担保を供するときは仮に執行することが出来る。

二、事  実

控訴代理人は主文同旨の判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は控訴代理人に於て、原判決中本件建物を瓦葺と表示しあるを板葺と訂正する。控訴人夫婦が市内木の新保三番丁三十八番地の友人千田穰方六畳間一室に仮寓した後、母も並木町に居堪らなくなつたので、右六畳の間に接して四畳の間一室を拵えここに母を迎え同居するに至つたのであるが、右家屋の抵当権の実行を申立てられ、昭和二十七年十月訴外和田磯子に売却され、右訴外人より明渡を要求せられて移転先に困り、昭和二十八年四月一日控訴人の妻の実家なる市内長谷川町三十六番地立住山吉郎に懇願してここに同居したのであるが、同所は平家建で六畳一間、四畳間一間しかない狭隘なところで、控訴人一家はその内四畳半一間二畳間一間を使用しているのであるが、控訴人夫婦の間に二幼児あり、母が同居出来ないので、母はやむなくその妹の婚家に同居するに至つた次第である。被控訴人は昭和二十年八月以来本件家屋に居住しているのであるが、控訴人は昭和二十二年八月十七日参加人より本件家屋の贈与を受け、同年同月二十一日右所有権の仮登記を為し、昭和二十六年四月三日参加人より控訴人への所有権移転の本登記をなしたのである。(仮登記を抹消し改めて本登記を為したり)かように本登記が遅れたのは被控訴人から参加人に対し所有権確認と移転登記手続請求の訴訟を提起し処分禁止の仮処分がなされた為である。参加人は本件家屋を控訴人に贈与すると同時にその賃借人であつた被控訴人に対し口頭を以て解約の申入を為し、又昭和二十三年三月書面を以て解約の告知を為したのであり、尚当時控訴人からも明渡を求めたのであつて、参加人と被控訴人との賃貸借は遅くとも同年十月を以て終了したものであり、以後被控訴人は正権限に基かず不法に本件家屋を占有しているのである。固より控訴人被控訴人間には本件家屋について賃貸借の成立なく従つて被控訴人に対し家賃を請求したことはないのである。被控訴人は家賃と称して勝手に計算した金額を供託しているが右は現時の家賃額に相当しない少額のものなるのみならず、賃貸人に非ざる参加人相手に供託したものであるから、右は家賃に該当しないものである。加之被控訴人は本件控訴審の審理中擅に階下全部に大改造を加えたのであり、階下でパチンコ屋営業をなさんとし、営業許可申請に家主の同意書の添付を要するところから、家主に非ざる訴外世戸与三吉を家主である如く装い同人の同意書を添付使用する等不信行為を為しておるのである。控訴人は本件家屋の二分の一を明渡を求めるものであるが、被控訴人は残りの二分の一を以てその本来の営業である竹細工業を営み居住するに十分であると述べ、被控訴代理人に於て訴外世戸与三吉は控訴人が参加人より贈与を受けたと称する昭和二十二年八月十七日の前、既に昭和二十一年十一月十八日参加人より本件家屋を買受け所有権を取得したのであり、被控訴人は右訴外人より本件家屋を賃借しているのであつて、所有権者でもなく賃貸人でもない控訴人が明渡を求めるのは不当である。のみならず被控訴人は朝鮮人を使用して暴力を加えるが如き不徳行為を敢えて為す控訴人とは同居出来ない。控訴人に於て必要あるならば本件家屋の隣家渡辺某居住の家屋の明渡を求めるのが無難であると述べた外原判決事実摘示と同一であるからここに引用する。

<立証省略>

三、理  由

被控訴人が昭和二十年八月頃参加人からその所有にかかる別紙目録記載の本件家屋を期間を定めずして賃借し、爾来今日までこれに居住していることは当事者間に争のないところであり、原審証人酒井富士子の証言及び原審並に当審に於ける控訴本人の供述(当審第一回)を綜合すれば控訴人が昭和二十二年七月末頃参加人より売買名義の下に本件家屋の贈与を受け、その所有権を取得し当時仮登記を了したことが認められる。而して控訴人が昭和二十六年三月八日附売渡証に基き同年四月三日参加人より本件家屋の所有権移転の本登記を受けたことは当事者間に争のないところである。被控訴人は昭和二十一年十一月十八日既に訴外世戸与三吉に於て本件家屋を参加人より買受けその所有権を取得したものであり、右贈与は虚偽のものであると主張するがこの点に関する原審並当審証人粟津卯之吉の証言、当審証人世戸与三吉の証言及び当審に於ける被控訴本人の供述は成立に争のない甲第六号証の一、二同第七号証の一乃至三、同第八号証の一、二に徴し措信し難く外に右主張を認めるに足る証拠がない。次に控訴人は控訴人が本件家屋の贈与を受けた当時参加人より被控訴人に対し本件家屋の賃貸借の解約の申入を為したりと主張するが、当審に於ける被控訴本人並に控訴本人(第一回)訊問の結果によればその頃参加人がその妻酒井富士子或は控訴人を介して本件家屋の明渡を交渉したことは認めることができるが、果して参加人、被控訴人間の賃貸借の終了を目的とする一方的の解約申入か否かは明確でなく、これを確認するに足る証拠資料もない。従つて参加人被控訴人間の本件家屋についての賃貸借契約は本件家屋が控訴人に贈与せられ、その所有権が移転した后も依然有効に存続し、控訴人が所有権取得の本登記を了した昭和二十六年四月三日控訴人に於て右賃貸人の地位を承継したものと認むべきである。而して控訴人が本件家屋の贈与を受けた当時仮登記がなされたことは、前段認定のとおりであるが、一旦右仮登記を抹消し改めて本登記を為したるものなることは控訴人の自認するところなるのみならず、右仮登記の内容が如何なるものなるかを確認すべき証拠がないから、右本登記の対抗力を右仮登記の時に遡及せしめることはできないのである。

仍て進んで控訴人が被控訴人に対してなした本件賃貸借契約の解約の申入の当否について案ずるに、控訴人が本件家屋の贈与を受けた当時屡々被控訴人に対し明渡方を求めたことは当事者間に争のないところであるが、右は控訴人が昭和二十六年四月三日本件家屋の所有権取得の登記を為して賃貸人の地位を承継する以前のことであり、有効な解約の申入と解するに由なきものであり、結局右地位の承継以后になされた本件控訴状の送達を以て正式に被控訴人に対し解約の申入をなしたものと認めるの外はない。而して本件控訴状が被控訴人に送達せられたのは昭和二十六年十一月九日であることは、本件記録に徴し明白である。そこで進んで正当事由の有無について案ずるに、原審証人大谷君子、千田穰、酒井富士子、長谷川善松、小林ゆき、当審証人邑井ちよの各証言及び原審並当審に於ける控訴本人の供述(当審第一、二回)及び当審に於ける検証の結果を綜合すれば控訴人は本年三十歳の会社員であるが、昭和十二年頃以来金沢市並木町六十四番地所在の家屋を賃借して母と共に居住していたところ、昭和二十二年頃その家主が満洲より引揚げ来り右家屋に居住するに至るや明渡を要求せられて階下の一室に追立てられ、移転先なく困惑した結果、昭和二十二年八月頃親戚に当る参加人に窮状を訴え同人より本件家屋の贈与を受けたものであり、同所で商売を始める必要から当時屡々被控訴人に対し明渡を求めたが応ぜられず、一方並木町の住居は家主の追立烈しく、右家主の慫慂もあつたので昭和二十三年二月頃朝鮮人平山某に被控訴人との明渡交渉を依頼したが、目的を達するに至らなかつたこと、その交渉の際右平山某が被控訴人に対し控訴人の予期しない暴行をはたらいたこと、その後控訴人が昭和二十四年十月頃市内木の新保三番丁所在のバラツク建の工場の一部に移り、ここで妻帯し六畳と四畳の二間に控訴人との母、妻、幼児二名の五人が居住するに至つたが狭隘のため不自由極りなく、家財道具の大部分は前記並木町の一室に預け置き、母は親戚の家に泊りあるく次第であつたこと、当時控訴人は右工場に於て友人と共同で鉄工業を営み右工場はその友人と共有のものであつたが、事業不振のため右工場を他に売却するの已むなきに至り、ここにも居住することが出来なくなり、昭和二十八年三月妻の実家なる現住所の立住方に間借りするに至つたが同家は平家建の建坪十六坪位の建物で六畳一室、四畳半の間二室、二畳の間一室あり、二畳の間は便所に接し悪臭のため使用できぬこと、立住家は夫婦二人住で控訴人夫婦親子四人は四畳半の間一室を使用し、母はその妹の婚家に一時身を寄せている次第であり尚控訴人は本件家屋店舗で、繊維品販売の店を開き生計を立てねばならぬので被控訴人の占居に係る本件家屋の一半を是非使用する必要があること、被控訴人に対し明渡を求めると共に控訴人は被控訴人の移転先を捜し市内金屋町に一軒、森下町に一軒、中石引町に一軒空家を発見して被控訴人に通知したことを認めることができる。一方被控訴人は原審証人小林ゆき、当審証人邑井ちよの各証言、原審並に当審に於ける控訴本人(当審第一回)、被控訴本人の訊問の結果及び当審に於ける検証の結果を綜合すれば、被控訴人は元北海道釧路市で竹籠製作業を営んでいたが空襲にあつて金沢市に移住し来り、昭和二十年八月頃本件家屋を参加人より賃借して以来同所に於て引続き今日まで竹籠製作業を営みおること、その間道路より向つて左の半分の店舗に於て万頭、蒲焼、人絹等の商売やパンチコ屋営業を営み或は他人にその部分を貸して他人にそれ等の商売をなさしめ、現在二階に於て竹籠の製作を為し一階店舗全部を使用して自転車預り業を営みおること、被控訴人は本年五十四歳で夫婦と子供四人の六人家族なること、昭和二十一年十月頃訴外世戸与三吉が本件家屋を参加人より買受けた旨を訴外粟津卯之吉より聞いた当時三箇月分の家賃を右世戸に支払つて以来、家主不明の故を以て今日まで控訴人に対し家賃の支払をしていないこと、昭和二十二年八月頃参加人より本件家屋の明渡方を求められて以来屡々控訴人より明渡の請求を受けたが移転先を捜さなかつたこと、控訴人より市内金屋町等の空屋二、三軒の通知提供を受けたが営業に不適当なりとして移転しなかつたこと、本件家屋の道路より向つて左半分の使用を控訴人に譲るに於ては従前よりは不便を感ずることではあるが、被控訴人本来の営業たる竹籠製作並びに自転車預り所経営についてはさまで不自由でないことが認められるのである。これを前記控訴人側の状況と比較考慮するときは、被控訴人のために本件家屋の道路より向つて左半分の使用を譲らねばならぬものであり、控訴人の解約申入は正当の事由あるものと認めざるを得ぬ。而して右正当事由は本件最終口頭弁論の日たる昭和二十八年十月十二日までに六箇月間継続経過しているのであるから、本件家屋の賃貸借契約は右昭和二十八年十月十二日を以て前記の範囲に於て一部終了したものと認むべきであり、被控訴人は控訴人にこの部分を明渡さなければならぬ。従つて控訴人の請求を棄却した原判決は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条第九十六条第八十九条第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田市平 小山市次 村上久治)

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