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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(う)451号 判決 1953年2月28日

控訴人 被告人 今村辰蔵

弁護人 大橋茹 外一名

検察官 宮崎与清

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

原審未決勾留日数中三十日を右本刑に算入する。

原審訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人加藤茂樹同大橋茹の論旨の詳細は同弁護人ら連名の控訴趣意書に記載する通りであるからこれを引用する。

論旨第一点について。

本論旨の要点は被告人は蛇捕を生業としているものであるところ本件当日所要の捕獲具を携え本件被害者増田方裏手附近の農道に沿い蛇捕りに従事中捕えた蛇が所携の袋の中から逃れ出て増田方裏門内にかくれたと思つたので之を探すべくその庭内に入つたに過ぎず、而して同人は蛇捕のため諸所に赴きしばしば無断で他人の邸内に入ることがあるが、このような場合、未だ曾つて叱られたことがなく却つて捕獲を喜ばれ応援してくれる者もあつた位であるから当日も増田方家人の意思に反するとは考えずむしろ喜ばれる位に思い入つたのである。故に同人の所為は社会通念上不法の侵入と目すべきでなく主観的にも違法の認識がないものであると云うのである。

そこで原審施行の検証調書並にその附図の記載、原審証人増田千代栄、増田鑑堯、増田邦夫に対する各証人尋問調書中の供述記載、原審公判調書中証人増田千代栄並に被告人の供述記載を綜合すると被害者増田鑑堯方邸宅は福井県吉田郡東藤島村上中地内を東西に走る県道と同県道から丁字型に南方に分岐する村道とが形成する交叉点の東南角を占める位置にあり、その表側は右県道に沿うて北面し角から順次同人所有の土蔵、同人経営の郵便局、同人居住の住家が東方に向つて相接続し更にその東方隣家との間の空地表側に高さ二米の板塀が築かれその中央辺に表門があり門内に入れば右住家東側に設けられた玄関となる。邸宅西側の横手は前述村道が通りこれに沿うて北端角に前記土蔵の側面と南端の角に同家作業場の建物とが位置し、且つその間を結ぶ高さ二米の板塀が長さ二十三米に互つて築かれている。邸宅裏側は右村道から東方に分岐する農道が通つており、同農道に南面して前記作業場の南側面とその東方に一列に植えられた樹木とが並列する。更に同樹木の稍内側にこれと平行して東西に長さ六、六米の板塀が高さ二米に設けられその西端は前記作業場の東側に接し、東端は裏門に接する。裏門は東方隣家の裏手から起り南西の方向に両地の境界を劃する生垣の西端と右板塀の東端とが、喰違いに相寄る二米余の間隙に設けられた設備であつて本件発生当時には先の台風の被害を受け門扉は横に仆れたまゝ放置されていたものである。右裏門より邸宅内に入れば西南隅に前記作業場があり、其の北に隣接して前記表側土蔵とは別個の同家裏土蔵一棟が建ち両者の間に僅かに空地の間隙を存する。該土蔵の西側は前記村道に面して築かれた板塀の内側に少しの空地を置いて沿うようになつている。同土蔵の東南角の附近に榊の木一本が生立し同樹下の北側に当る土蔵東側軒下に本件ケーブル線約八米のものが輪に巻いて存置されていた地点及び右土蔵と作業場との隙間の空地東端に近い作業場の軒下に被告人が本件邸宅内に入り右ケーブル線を其の存置場所から移動した地点がある。右二点間の距離は二、五米である。右裏手土蔵並に作業場を除けば裏門より表側建物並に板塀に至る間は庭園その他の空地を為し、その略中央を略東西に小川が流れこれに架した石橋を渡つて邸宅の表側と裏側を連絡する仕組みになつている。そして右土蔵と住家裏手との距離は約二十米でその間に見透しを妨げるものは右榊の木以外には存在しない。然るところ本件当日午前十時三十分頃住家裏手湯殿附近の戸外で味噌豆を煮ていた増田千代栄が約二十米離れた裏土蔵の方面からびしびし物の折れる音を聞いたので立ち上つて見たところ土蔵東南角の榊の木が風もなく揺れているので不審に思い前記小川に架けた石橋の所まで走つて行くと被告人が屈み姿勢で前記ケーブル線を引張つているのを見たので急いで走り寄ると既に被告人の姿はそこになかつたが、やがて土蔵の西側と村道側板塀の隙間から手に蛇捕りの布袋を持つた被告人が土蔵南側と作業場間の空地に現われて来たのでこれを難詰すると被告人は蛇捕りに入つた旨陳弁に努めケーブル線移動の事実は頑強に否認した事実、増田千代栄に聞えた物音は被告人がケーブル線を引き擦り榊と土蔵東南角の間を抜けようとした時、木の傍の庭石の苔に足を踏み滑らせ体を木に打ちつけその枯枝を折り下にあつた古板を踏み折つたものと推定された事実、右被告人の現われた辺りの塀の外側には村道に置いた被告人乗用の自転車が立て掛けてあり、その自転車の荷台には竹籠がつけてあり籠の中にあるものは底二三寸の高さに入れられた屑鉄に天秤と、尚お一個の蛇捕りの袋であつたが袋は空で蛇が入つていなかつた事実が認定される。

以上認定のような邸宅内外の状況に照らし被告人が侵入した本件邸内は人の看守する邸宅の内部に当ることは明白であり、増田家家人の承諾があるか、又はその承諾を十分に期待しうる正当の事由がない限り被告人の所為は住居侵入罪を構成することは論のないところである。そこで右家人の承諾を得ない被告人が蛇捕獲の目的で無断邸内に入ることは弁護人所論の如く家人の承諾を十分に期待しうる事項であるか否かは暫く措いて、被告人の邸内侵入の目的は所論のような蛇捕獲の為めであつたか何うかについて前記認定の事実から推論するに、被告人が村道に面する前記板塀に立てかけて置いた自転車の荷台につけた竹籠の中に蛇の捕獲具である布袋を所持し、又被告人が邸内に於て家人に発見され問責された際その手に同様の捕獲具を携えていた事実と被告人が蛇の捕獲を生業の一部とする者であることとを照らし合わせると、弁護人並に被告人の陳弁は強ち虚構の遁辞と断定し去ることは出来ないようである。しかし、他面被告人が右家人に発覚の際本件ケーブル線に手をかけ前記二点間を移動せしめていた事実と前記自転車の荷台の籠の中に屑鉄と天秤を入れていた事実とを照らし合わせると、被告人は屑鉄にも職業上の関心を示すものであること及び右ケーブル線を窃に盗取して塀外の前記自転車の所に投げ落し逃走を企てていたものであることも亦これを推認するに十分である。しかし右二個の推定事実即ち、蛇捕獲の目的とケーブル線盗取の目的とが如何に調整されるかについて更に前掲諸証拠に被告人の原審公廷における供述、並に原審証人今村まさを、藤野清三郎、今村辰蔵の諸証言を綜合して審案するに被告人は当日の晴天に蛇捕りの傍ら屑鉄の蒐集を志ざし、早朝自転車に乗り福井市の自宅を出たが同日午前十時半頃前記増田鑑堯方の村道側板塀の作業場寄りに自転車を立てかけ蛇を捕獲する袋を携えて増田方裏手の農道に入り蛇を探しながら門扉の倒れている前記裏門に立ち入つたところ前記土蔵東側の軒下にもたせかけてある本件ケーブル線の輪を認め、急にこれが窃取の犯意を生じ前記行動に出たところを家人に発覚されたものであると認めるのが相当である。而して右の如く門内に立ち入る際においては蛇の捕獲を目的としたものであつても、其の立入後偶々窃盗の犯意を生じて邸内に更に進み入ることは故なく他人の看守する邸宅に侵入する行為となり住居侵入罪を構成するものと云わなければならない。故に蛇捕獲の目的で他人の邸内に入ることが他人の承諾を十分に期待しうる事情と認め得るか否かを論ずるまでもなく、弁護人の本論旨は理由がない。

論旨第二点について。

本論旨の要点は被告人は本件ケーブル線に対し全く手を触れていないことは増田千代栄に邸内侵入を詰問された当初から警察並検察庁及び原審に至るまで一貫して被告人の主張するところであり、この点の唯一の証拠である増田千代栄の供述は検察官供述調書並に原審三回の証人供述調書を通じて見ると同人が被告人の所為を発見時の被告人の姿勢ケーブル線の運び方などについて重大な齟齬があるのみならず、後に至る程事実の具体制を失つておるからこれを措信することが出来ないというのである。

しかし所論増田千代栄の各供述の趣旨を素直に読み取れば、その尋問者の用意した質問の方法並に用語あるいは其の理解力に応じ応答の内容に多少の過不足があり、或は食い違いのように見える部分もあるに拘らず、その供述の根底において把握されるものは前記第一点の説明に判示した通り裏土蔵の辺りに物の折れる音を聞いて立ち上り振り返ると土蔵東西角の榊が揺れているので、石橋のところまで行つて見ると被告人が本件ケーブル線をその存置場所から土蔵東南角と榊の木の間を経て土蔵と作業場間の空地の方へ引擦つている姿を認めたので、走り寄つたところ、これを右空地東端の作業場軒下に放置して姿をかくし暫しの後土蔵西側と板塀の間から姿を現わしたという事実であつて、右事実と前掲諸般の状況を綜合すれば被告人の窃盗の犯意を認めるに十分である。所論は採用できない。

論旨第三点について。

本論旨の要点は仮りに増田千代栄の供述を措信し且つ、被告人の所為が窃盗の目的に出たものとしても右(イ)点より(ロ)点までのケーブル線移動の事実をもつて窃盗の既遂を認めることは重大な事実誤認であるというのである。そこで、前記認定の如き増田方邸宅の内外の状況、本件ケーブル線の存置の場所と被告人のこれを移動した地点との関係及びこれを移動する際の被告人の姿勢と方法などに細心な考慮を払い被告人の本件所為が果して原判決認定の如く窃盗の既遂罪をもつて論ずることをうるか否かを考察すると、本件ケーブル線の存置せられていた場所は周囲を建物及び板塀をもつて取り囲まれた邸宅内部に建在する土蔵の軒先で外部から濫りに侵入を許されない増田方の管理占有する区域内にあり、右ケーブル線を同所から二十米位離れた見透しの地点で表側住宅の裏手に当る戸外にあつて、炊事の煙を上げている家人の存在を認識した者が、同家人の目を免れ外部に搬出する最も容易な方法は前記榊の木にかくれるように前屈みとなり右ケーブル線の輪を地上に引擦りながら家人の視界を離れるに最短距離にある前記土蔵と作業場の間隙の空地に引き込みそこからこれを担ぎ上げて通行人の動静を窺つた上塀外の被告人の自転車の立てかけてある附近の路上に投げ出すことであり、被告人の所期したこともこの方法であつたことは前記認定の如き移動中の被告人の姿勢、移動の方法並にその径路に照らし合わせ十分に推察するに足るところである。

果して然りとすれば、被告人が右推定の搬出方法の下に本件ケーブル線を前屈みとなつて、住宅裏手にある家人の透視を避けながら僅に二米余の邸宅内の地上を引擦つた行為はいまだ邸宅管理者の支配を完全に離脱しない物件を自己の支配内に移しつゝある犯罪実行の過程にある行為と見るべく、右行為の段階をもつては未だ増田家人の所持を排除して自己の支配を確立したものと認めるに足らないと云わなければならない。ここで尚お右に加え、原審証人増田邦夫の供述を推究するに被告人は田舎角力を取る位の体格並に体力を有するに対し本件ケーブルの目方は約五貫位に過ぎないことが認められる点から云つても被告人の前記移動の方法は被告人に適応する所持の態様でないことが知られるのでありこのことも右認定を支持すべき有力な資料となるものと考える。

以上の理由により被告人の本件ケーブル線窃取の所為は結局未遂の形態に止まり既遂に至らなかつたものと認めるのを相当とする。

従つて原判決がこれを既遂と認めたのは罪となる事実を誤認したものであり同違法は判決に影響すること勿論であるから破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書により原判決を破棄し当裁判所において被告事件について更に次の通り判決する。

(事実)

被告人は昭和二十七年五月十二日午前十時三十分頃福井県吉田郡東藤島村上中第二十三号一番地増田鑑堯方住宅裏門よりその邸宅内に侵入し、邸内土蔵の東軒下に置いてあつた同人保管の福井電報通信局所有電話ケーブル線約八米を窃取しようとしたが家人に発見されその目的を遂げなかつたものである。

(証拠)

原判決挙示の証拠により右事実を認める。

(法律の適用)

被告人の判示所為中住居侵入の点は刑法第百三十条に窃盗未遂の点は同法第二百三十五条、第二百四十三条にそれぞれ該当するところ右は牽連犯であるから同法第五十四条第一項後段、第十条により重い窃盗未遂の刑に従い、未遂であるから同法第四十三条本文第六十八条第三号による減軽をした刑期範囲内で被告人を懲役三月に処し、同法第二十一条により原審未決勾留日数中三十日を右本刑に算入し原審訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項により全部被告人の負担とする。

そこで主文の通り判決をした。

(裁判長判事 吉村国作 判事 小山市次 判事 沢田哲夫)

弁護人大橋茹外一名の控訴趣意

第一点原判決は罪とならざる所為を有罪と認めた違法がある。

(一)原判決はその理由に於いて「被告人は昭和二十七年五月十二日頃の午前十時三十分頃増田鑑堯方住宅の裏門よりその庭内に侵入し、南土蔵軒下に置いてあつた同人保管、福井電報通信局所有の電話ケーブル線八米を窃取したものである」旨の事実を認定し前段の事実を住居侵入に後段の事実を窃盗に各該当するものとし尚両事実は手段結果の関係にあるものとして之を処断している。

(二)右事実の内前段の所為(増田方庭内に入つた事実)に就いては被告人に於いても当初より認めて争はない処であり証拠上も明かである。然し乍ら同所為は後に上申する如く窃盗の事実はないのであるから窃盗を目的とする手段行為でないのみならず以下上申の通り専ら生業のため、何等の害意なく、違法と考えないで「入つた」もので本来罪とならない行為であると信ずる。即ち

(三)被告人は最近数年来蛇捕を生業としてゐる者で(証人後野清三郎、同今村まさを、同今村甚蔵の各証言)前記当日も所要の捕獲具を携へて蛇取りに出かけ偶々増田方裏手附近の農道に沿つて蛇捕に従事中一旦捕えた蛇が所携の袋の中より逃れ出で増田方裏門内附近にかくれたと思つたので之を探すべく同人方の庭内に入つたのであつて(被告人の供述)その目的は専ら生業たる蛇捕り従事中取逃した蛇を探すためで之れ以外何等の害意もなかつたのである。

(四)而して当時増田方裏手門内附近には大小数々の樹木が繁茂してゐるため(検証調書添付見取図御参照)右裏門入口附近より南土蔵軒下附近の見通しは極めて悪く加へて本件被害物体は所謂「鉛色」をして目立たない色合であつたので(証人増田千代栄の証言)門外より同物体を発見することは殆んど不可能の状況にあつたのであるから被告人の本件侵入が同物件窃取の目的に出たものでないことは之等状況等に照らしても極めて明かである。尚増田方裏門右手生垣内には当時多数の古鉄物が集積してあり同人方裏手農道附近より直ちに之を認めることが出来る状況にあつたのであるから万一当時被告人に不法な(古鉄物等を窃取する)目的があつたものとすれば恐らく之に手をふれる筈であるが同人は全然之等に着目してゐないのであるから之の点よりするも当時の被告人に窃盗の意思等なかつたことが認められる。

(五)而して同人は従来も蛇捕のため諸所に赴きしばしば無断にて他人の邸内に入ることもあり家人に発見せられることもあつたが斯かる場合未だ曾つて叱られたことがなく却つて捕獲を喜ばれ応援して呉れる者すらあつたので(被告人の供述)当日も被告人は増田方家人の意思に反するとは考へずむしろ喜ばれる位に思い、悪い事をする等とは毛頭考へないで(違法の認識なく)同邸に入つたのである。

(六)以上の次第であるから同人の所為は四回の事情に鑑み社会通念上不法の侵入と目すべきでなく主観的にも違法の認識なきものであるから当然無罪となすべきである。然るにも拘らず原審が之を有罪としたのは明かに事実を誤認し法の解釈適用を誤つたものに外ならない。

第二点原判決は重大な事実の誤認がある。即ち

(一)原判決は前上申の通り被告人に対し電話ケーブル線窃取の事実を認定し窃盗罪を以て処断した。然し乍ら被告人は前第一点ぎ(三)(四)項に上申の通り当日は全く生業たる蛇捕のため増田方附近に赴き取逃した蛇を探すために同人方邸内に入つたにすず本件「ケーブル」線には全然手を触れてはいないのである(被告人は当日家人に発見されて以来終始一貫此の通りの主張をしている)。

(二)被告人は目下前科執行猶予中であるため殊更に事実を否認するに非ずやとの疑念を受くべき立場にあるのであるが被告人は本件検挙を受けて以来警察員、検察官の各取調に於いてしばしば「被害はないのであるから自白さえすれば釈放してやる」旨を聞かされており弁護人等又幾度となく右の旨を伝えたのであるが被告人は其都度堅く無実を主張して之に応じなかつたもので同人の否認は決して不当に罪を免れんがためのものではないと確信している。

(三)本件事実は専ら被害者側三名(特に増田千代栄)の証言によつて有罪と認定されたのであるが同人等方では同年三月頃銅線約百貫程の盗難に遭つていたため証人増田千代栄が被告人を発見した際、てつきり先の泥棒と速断し此の先入感に基いて被告人を追究したものと考えられ(此の事は証人増田千代栄の検察官に対する供述中「私宅では本年三月頃にも銅線約百貫程盗られた事があるのですが未だに其の犯人は判りません今度入つた男の人は前からケーブル線のあることは知つていたので入つて来たものと思います」旨の供述により充分窺がわれる)。従つて同人等の供述乃至証言を直ちに本件断罪の証拠とすることは極めて危険なる処本件有無罪を決する証人増田千代栄の証言は左記上申の通り全く措信し難いものである。即ち

(四)当時被告人の犯行を目撃したと称する増田千代栄は、検察官に対しては、「私は何だろうと思つて庭の小川の橋の処迄行つて見ました処庭木が風もないのに動いているのでおかしいと思つて尚良く見ておりましたら大きな男の人がうつむいて私宅土蔵軒下においてあつたケーブル線約八米のものを作業所の方にゐてするすると引張つているのでそれがため枯木が折れる音が云々」と述べており、証人として取調を受けた際は、「小川の橋のたもと迄来て見ると一人の男がうつ向き乍電話ケーブル線を引きづつて作業所の裏の狭い処へ持運んでいたのです」と証言し、更に原審公廷に於ける証人調の際には、「石橋の所まで行つて見ると(ロ)点の所に丸めて土蔵にもたせかけてあつたケーブル線を赤線で示されたとおりに持つて行く人影がありました」と述べ、最初は被告人が作業所の処にいてケーブル線を引張つているのを見たと云い、次いで引づつて持運んでいるのを見たと述べ、最後には持つて行く人影があつたと証言している。斯くの如く同人の証言は発見した当時の被告人の姿勢、ケーブル線の運び方等その内容に重大な齟齬があるのみならず後に至るに従い事実の具体性を失つており此の点に関する同人の証言は全く措信することが出来ない。

(五)以上の次第により被告人が本件ケーブル線を窃取したとの事実は之を認むべき証拠なきに帰し当然無罪たるべきに不拘前示の如く之を有罪と認定したのは証拠によらずして事実を認定したか若しくは重大なる事実の誤認あるに帰し原判決の違法は洵に明かなり。

第三点原判決は重大な事実を誤認した違法がある。

(一)原判決が有罪と認定した本件窃盗が事実無根であり原判決が右断罪の證拠として援用した各証言の措信し難い理由に関しては前第二点に於て上申した通りであるが、仮りに右各証言を措信するとするも之等によつては被告人が本件ケーブル線を検証調書添付図面ロ――ハ間移動した事実を認め得るにすぎない。従つて仮りに右移動が被告人の窃盗目的に出でたものとするも未だ完全に之が保管者増田の占有を奪つてはおらず(従つて同人の完全な占有下にもなかつた)当然未遂を以つて処断すべきである。然るにも不拘原審が之を窃盗の既遂と認めてその罪を断じたのは重大な事実の誤認であり此の点よりするも原判決は破毀せらるべきである。

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