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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(う)574号 判決 1953年7月18日

控訴人 被告人 中川きよ子

検察官 宮崎与清

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役弐年に処する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人深井龍太郎、同古屋東、同高見之忠の控訴趣意は昭和二十八年一月十日受理、弁護人小原正列の控訴趣意は同日付、各控訴趣意書記載の通りであるから、此処にこれを引用する。

弁護人小原正列の論旨第一点について。

記録に依れば原審は、第三回公判以後に於ける証拠調の施行に先んじ、第二回公判廷に於て、被告人に対する司法警察員並に検察官作成の各供述調書合計四通並に被告人作成の供述書一通など、被告人の自白を録取した合計五通の文書について、所論の如く、逸早く証拠調手続を履践していることを認め得るけれども、しかしながら、原審第一回、第二回各公判調書の記載によれば、右証拠調手続は、これより先、証人羽根よね外九名に対する各証人尋問調書合計十通医師滝邦彦作成の死体検案書一通、司法警察員作成の実況見分調書一通、長沢久作に対する検察官作成の供述調書一通及び証人杉村利一外六名をその対象とする証拠調手続が完了した後に至つて、はじめて行われたものであることが明白であり、其の後なお多数の資料についてさらに証拠調が続行されたとしても訴訟指揮の巧拙如何はさておき斯る方式に依る証拠調もまた適法であり、これを目して、刑事訴訟法第三百一条に違背するものと言うを得ない。また、自白調書の成立の真否、供述に関する任意性の有無等については、裁判所は、各種の方法に依り、弁論の終結に至る迄の間、自由にこれを審査し得べく、斯る審査手続を履行した後でなければ当該資料について証拠調を為し得ないものでないから、たとえ原審が証拠調手続の開始に当り、特に斯る審査手続を施行せず即時、該資料について証拠調手続を履行したとしても、原審の措置は必ずしも違法でない。

なお、記録によれば、原審は昭和二十七年八月二十三日、所論の通り「本件について弁護人の数を四名に制限する」旨の決定を為し、同日該決定を関係人に告知したこと及び該決定には理由が附されていないことをそれぞれ肯認し得るけれども、かゝる決定は、その性質上独立して上訴の申立をすることが許されない裁判に属し、従つて、刑事訴訟法第四十四条により、理由を附する必要がないものであることが明白であるから、前記の決定に理由を附してないことそれ自体は何等非難に値せず、また、当時弁護人の数を制限するについて、刑事訴訟規則第二十六条に定める特別事情の認めるに足るものがあつたか否かについて審査するに、記録に徴すれば

(一)本件審理の当初より被告人に対しては四名の弁護人が選任されて居り、防禦権の行使には遺憾の点が全くなかつたこと(二)第五回公判終了後、さらに新に一名の弁護人より弁護届の提出があつたこと、(三)新な弁護人の選任は、被告人の意思によるものでなく其の親族によつて為されたものであつたこと、(四)此の上弁護人を増加することに依り、記録の閲覧、謄写等のため訴訟手続の遅延するであろうことが予見されたこと等の諸事情を看取するに足り、これ等各事情を綜合すれば、当時の状況は、敍上刑事訴訟規則に所謂弁護人の数を制限すべき特別の事情ある場合に該当すると解し得るから、敍上の如き原審の措置は、被告人に対し特に不利益な取扱をしたものと言うを得ず、従つてその訴訟手続は違法でない。そうして見れば、以上の諸点に関する論旨はいずれも理由がない。

弁護人深井龍太郎、同古屋東、同高見之忠の論旨第二点について。

記録を精査しても、被告人に対する司法警察員又は検察官作成の各供述調書、被告人作成の供述書の各記載が、所論の如く捜査官憲の暴行、脅迫に依り其意に反して為されたものであることを肯認すべき資料がない。此の点に関する被告人の弁疏は原審第二回公判調書中証人小林茂信同第三回公判調書中証人田島喜一の各供述記載並に当審に於ける証人小林茂信の供述に照し到底措信し難い。さらに原審並びに当審各証拠調の結果に徴すれば、叙上被告人の自白は、これ等の資料に依つて認め得る諸般の状況とよく符合し、ただ、わずかに、その中「本件犯行後被告人が自殺を図つてこれを果さなかつた」旨の供述部分のみが虚構であることを認め得る外、総て真実を吐露したものであることを看取し得るから、これ等諸点に関する論旨はいずれも理由がない。(尚被告人の供述の信憑力については後記第一点第四点に対する判示をも参照のこと)

同論旨第三点について。

鑑定人が死体の解剖をするに当り、死者の親族の立会を得なかつたとしても、これによつて鑑定の内容に何等影響するところがなく、従つて斯る鑑定の結果もその証拠能力に欠けるところがないものであることは言う迄もないから、たとえ、医師井上剛が死体を解剖するに際し、死者の親族の立会を待たずこれを為したとしても、同人の作成に係る鑑定書の証拠能力に欠陥ありとするを得ず、従つて、該書面の記載を証拠として採用した原判決は、証拠能力なき資料に基いて事実を認定したものでない。論旨は理由がない。

弁護人小原正列の論旨第二点、弁護人深井龍太郎、同古屋東、同高見之忠の論旨第一点第四点について。

しかしながら、原判決挙示の証拠により原判示の事実を肯認するに十分である。まず原審証拠調の結果を概観すれば、(一)本件被害者中川和子(当時生後九月)の失踪当時、中川清方家族は被告人と右和子を除き、挙げて外出し不在中であつたこと、(二)右和子は発育が稍遅れた子であつて、歩行することが出来ないのは勿論、いまだもつて這い歩き、又は其の他の方法により、身体を移動することも出来ない状態にあつたこと、(三)被告人方に他人の立入つた形跡がなかつたこと。(四)和子失踪後に於ける被告人の挙措に幾多の不審な点があつたこと、すなわち、近隣の者に対し、和子の失踪を告げた後、突如として、該事実を何人にも口外しない様申入れたり、和子の死体が水中から引揚げられたと聞いても、容易に其の現場へ行こうとしなかつたり、子の失踪を嘆く肉親の母の振舞としては、斯る場合世の常の母親達が示すであろう態度に比較し、その挙動にすこぶる異常なものがあつたこと等の諸点を容易に看取することが出来、また、被告人に対する司法警察員及び検察官作成各供述調書の記載、被告人作成の供述書の記載によれば、被告人の本件所為の動機が原判示通りの事情によるものであつたこと、すなわち、被告人は夫及び家族の自己に対する仕打ちに堪え難く、面当てに自殺をしようか、又は婚家を去つて新生活を開拓しようか等と思い、迷つた挙句、いずれにもせよ和子の存在がその障碍となると考え、遂にこれを亡きものにしようと決意し、その結果、原判示の所為に出たものであつたことを肯定するに足る。被告人の叙上自白は、原審第二回公判調書中証人前田忠俊の供述記載、証人谷口ふみに対する原審証人尋問調書の記載、当審証人羽根よね、同面谷ちよ、同谷口ふみ等の各供述によつて裏付けられて居り、措信すべき価値が十分にあると考えられる。なお、関係人の供述及び鑑定の結果等によつて認め得る和子死亡の時期及び死因は、被告人の右自白によつて知り得た犯行の時刻、犯行の手段と一致していることもまた、前示自白の信憑力を一層完全ならしめるものである。原審及び当審に於ける証人中川清、同中川シゲ等の各供述は、いずれも自家の内紛を隠蔽せんとする意図より、必ずしも真実を述べていないものであることが、該供述自体の裡より自ずと窺われ、従つて、これ等の者の供述中、中川清方家庭内が平素円満であつた旨の部分は、信を措くに足らぬと言わねばならぬ。さらに当審は、被告人の犯行当時の心神の状況如何について調査を遂げたが、記録によつて認め得る各種の徴候より、その性格に衝動的、且爆発的な傾向を帯有していることを肯認し得たに止り、被告人が叙上犯行当時、心神喪失乃至心神耗弱の状況にあつたものであることを認定するに至らなかつた。そうして見れば、原判決は事実を誤認したものでなく、論旨はその理由がないと言わざるを得ない。

最後に職権をもつて原審量刑の当否を案ずるに、被告人の性格、境遇、犯罪の状況、殊に其の動機に憫諒すべきものがあることなど諸般の状況を斟酌して案ずるに、被告人に対し懲役四年の刑を言渡した原判決の科刑は重きに失し、相当でないと考えられる。原判決は此の点に於て破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十一条により原判決を破棄した上同法第四百条により次の通り判決する。

原審認定の事実に法律を適用すれば、被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、犯罪の情状に憫諒すべきものがあるから、同法第六十六条第七十一条第六十八条第三号により、酌量減軽した刑期範囲内に於て、被告人を懲役弐年に処すべく、訴訟費用の負担につき、同法第百八十一条を適用し被告人をして其の全部の負担を為さしむべきものとする。

よつて、主文の通り判決する。

(裁判長判事 吉村国作 判事 小山市次 判事 沢田哲夫)

弁護人深井龍太郎外二名の控訴趣意

第一点原判決は著しく事実の認定を誤り、原判決破毀の上、無罪の言渡相成度

一、原判決判示事実に依れば、被告人は富山県婦負郡黒瀬谷村葛原千四十四番地農業入井喜三治の二女として生れ、同村の尋常高等小学校卒業後富山市清水町所在の第一ラミー紡績株式会社の女工となり、昭和二十年八月同工場戦災焼失のため解散となつたので、一旦実家に帰つて家事の手伝をし、次で同二十一年再び同県上新川郡大沢野町笹津所在の敷島紡績株式会社の女工として働いていたのであるが同二十四年八月頃中川清と知合い交際している中に、同二十五年七月頃右清と結婚し、肩書住居地の中川家に起居を共にする様になつた。けれども被告人の結婚生活は当初から、必ずしも被告人が日頃想像し希望していたものとは異つておつたものの様で、夫や舅、姑の被告人に対する態度は愛情薄く冷淡であると思つていたとこる同二十六年八月五日長女和子を分娩した。これより先に、被告人の姙娠を知つた夫清からは俺の子供ではないとか、墮ろしてしまえ等と言われ、家族のものの態度も依然として被告人を優しくいたわつてくれる様子がないと考えられて、被告人の夫清等に対する不平不満の念は益々その内訌の度を高めていつた。ところが、同二十七年四月二十五日朝食(午前七時頃)後、夫清と舅は早々に山へ出かけ姑も午前十時頃に畠へ行つたのであるが、被告人は食後和子を同家の炬燵の間へ連れ下りて授乳し、「ツヅラ」(幼児を容れる籠)に入れてねさせ同家裏手にある南から北向きに流れている巾約一尺五寸の小川(用水)へ「おしめ」を洗いに行き、終つて同家馬小屋の二階で干草を二束程切つて午前十時四十五分頃南京袋に詰めて下ろし、同家台所土間の風呂桶に移し、次で同家二階へ前記の「おしめ」を干し直しに上つたのである。その際被告人は当日姑と畠へ行く約束であつたが舅の言いつけで前記干草を切るために、家に残ることになつたので姑が一人で出かけねばならなくなつたため出かけに示した不気嫌な態度を思い浮べ、また姑が出かける前に和子に対し、平常ならかき餅の焼いたのを持たせるのに、その日に限つて、昆布をもたせたので和子がこれを喉に詰まらせかかつたのを思い出し、和子がそんなに憎いのかと思つたり等している中に、今までの中川家に於ける夫や家族の冷淡な態度をあれこれ想い起して、にわかに感情がとみに興奮し、とつさに和子さえなければと考え、同女を殺害しようと決意し階下に下り、和子を前記「ツヅラ」からとり出して(時刻は午前十一時から十一時二十五分位迄の間)抱いた上、台所から土間を通つて外に出て、前記の小川(用水)へ小走りに行き、俯向いて抱いていた和子を右川中に投棄し以て同女をして間もなく溺死するに至らしめ殺害したものである。と説示している。

二、然し乍ら、被告人が午前十一時から同十一時二十分迄の間に吾子「和子」を殺害するの時間的余裕なきは固より、殺害すべき原因、動機は絶えて存しないところである。1、被告人が午前十一時から午前十一時二十五分位迄の間に、果して「和子」を殺害すべき時間的機会が絶対に存しない。(1) 証人長沢きよ、長沢久作、谷口ふみ、羽根よねの証言に依つて明らかなことは、谷口、羽根の婆さんが十時五十五分頃に山からわらびをもつて家に帰つて来ている。ことである。(2) 而して証人長沢きよの証言によれば、被告人は十一時すぎ頃飼草を入れた布袋をもつて、家の中に台所から入つているのを明らかに現認し、それから後裏側の作業場に行つて仕事をしているとき「被告人を現認してから約十五分後位」に「和子」が居ないことを聞いたと述べている。(3) 更に証人長沢久作が、こやし桶を持つて行くとき「チラット」谷口方と被告人宅との間に「人影」を見たのは正に被告人が布袋をもつて家に入つた直前後のことであること、等に依ると長沢きよが被告人を現認したその直前後に行われた何人かの犯行であることは推測し得るところである。(4) そこで更に検討しなければならないことは、証人谷口ふみの行動である(同証人の証言は、本件被告人を殺人犯人と認めている最も重要なる一人であることに、特に重視しなければならない。)蓋し犯行直後に於て、現場に直ちに出て来た人物であるが、この谷口ふみの証言を見るに、十時五十五分頃に谷口ふみの母が帰つて来たので、「テンゴ」にわらびやぜんまいを入れて、被告人宅の横(原審認定の現行現場である小川の横に存する)納屋に持つて行き、そこでぜんまいを取りかたづけた後に、納屋から「ケタツ」を取り出して、被告人宅の横を通つて台所に来、そのケタツの上に立つて高い所に生んでいる鶏の卵を母に取つてやり、更にこのケタツを右納屋に持参して行き次いで被告人が和子を投げたと称せられる小川の下流のところで足を洗つてから家に帰り、次で井戸の水をとつてお湯を沸し、米を炊いて台所を見たところ、被告人が和子のおしめを拾つているのを見たというのである。右の証言から見ると、証人谷口ふみは、十一時直前後から十一時二十分前後に至つて被告人宅と証人谷口方及小川との間を二、三回往復し、殊に被告人が和子を投棄したと認めているその小川に赴いているところから、被告人が和子を投棄する時間的余裕は全く存しないのである。(5) 更に又被告人自身の態度を考慮する必要がある。即ち犯行直前と思われる十時二十分前後に於て被告人が馬納屋二階にて干草切断中、通りがかりの長沢きよに対し、被告人が「ニッコリ」突つて之に応接し、その態度の中に、被告人自身の中に不幸なる事件を惹起する因子は存していない許りでなく証人谷口ふみが台所から見ていた際被告人自身「和子」のおしめを拾つている姿を見ているが、このおしめ自身を拾つている姿の中に、之を他に隠匿し、他に転稼するが如き手段方法を弄していないで、その儘馬納屋の傍におりている自然の姿でいるところから見ても、悪びれた態度が発見されていない。以上何れの点から見ても、被告人に於て和子を殺害せんとするが如き動機は素より、その態度に於ても存しない許りでなく、更に原審認定の事実から見てもその時間的余地が存しないのである。

三、更にここに特に注目すべき点は、(1) 最初に屍体を検案した医師滝邦彦は、十二時十分に役場に到着直ちに死体を見ているのであるが、その屍体は詳細に何十分前と医学的に述べよと言われても不可能で、私の感じでは一時間前と思います。何分前という確実な推定は臨床では困難で解剖によらなければ判りませんが、肛門括約節角膜瞳孔の状態から死後直後の水死体という感じを受けず、少くとも死後三、四十分経過していると思いました。と述べ、その検案書に、負傷の日時、死亡の日時に付て、昭和二十七年四月二十五日午前十一時頃と推定さると判断せられている。(2) 更に金沢大学医学部法医学教授井上剛作成の鑑定書説明第八項に於て、本屍ノ胃内ニハ体表ニ附着シ居タルト同様ナル砂粒等異物ガ嚥下セラレ居ル他乳を混スルモノナラント看做サルル液ノ多量ヲ存シ居レリ(検査記録第二十七項参照)カカル所見ニ鑑ミルニ本屍ノ溺死ハ授乳後恐ラク間モナク(厳密ニ言エバ恐ラク一時間以内ニ於テ)起リタルモノナラント推知セラル。と判定せられているところである。従つて被告人が「和子」に授乳したのは何時かの問題に付て更に検討しなければならない。この点は被告人の供述調書の中に一貫して明らかなことで、被告人の義母中川シゲが山の畠に出て行つたのは午前十時頃であり(証人長沢久作の証言も之に符合する)その外出前に被告人が和子に授乳しているのであつて、その授乳したのは午前九時三十分頃、と陳述しているところである。然らば右鑑定書の判断からすれば、授乳後一時間以内とすれば午前十時三十分前後と見なければならない。当時被告人は正に馬屋二階に於いて藁切機にて馬の飼草を切断中であつた時である。以上何れの点からするも被告人自身が夫の愛を受入れんがため、その愛すべき和子を殺し、自己自身生きながらえんとするが如きことは到底考量することは出来ない。(3) 最後に本件に付き、被告人が「和子」を殺したと自供している中に、その自供自体の中に大きな矛盾が存するのであつて到底この自供を措信することは出来ない顕著な点が二点存する。1、その一つは殺害方法である、その何れの自供を見るも殺害方法が一向に明らかにせられていない、被告人は「左きき」であつて「和子」を投棄したという方法について自然の姿がここに出ていないところである。前記井上教授の鑑定書説明の項第五項中に、本屍は水中に入りてより頭部を前進位として押し流され行きたるものにして、とあるところよりするも、頭部から流したこととなるのであるが、若し頭部から投棄したものとすれば「左きき」である被告人は小川の左側に行つて、右側の手で「和子」を投棄するとは考えられないところである。何れにせよ自白している被告人がその投棄の方法を明らかにしていない許りでなく五月七日に書いた上申書にすら殺害の方法を自ら書かず、特に後刻之を附加えている点から見ても良く被告人が行わなかつた行為について、あらぬことを述べた、その間の事情を知ることが出来ると確信する。2、その二つは、被告人が馬納屋から布袋をもつて降りて来たとき既にその時落ちていたと思われる和子の「おしめ」を何故発見出来なかつたかと言う点である。この事は検証の際の写真で見られる如く相当大がさのものであり、更に被告人が「左きき」であつたところから見て直ちに発見し得なかつたところであると共に人間通常の注意力から見て予想し得ないものに付て、他の方に力が及んでいるときたやすく之を発見出来るものではない。

四、以上の点から見るも被告人は決して本件犯行を犯しているものではない、被告人は当弁護人接見以来強く自己の犯行を誠意を以て陳述しその態度は寔に潔白なものである。以上の次第であるので原判決破毀の上、無罪の判決を賜り度。

第二点原判決は憲法第三十八条第一項及第二項、刑事訴訟法第三百十九条第一項、同第三百二十二条に牴触する違法の証拠を断罪の証拠として採用したもので、刑事訴訟法第三百七十九条所定の訴訟手続に法令の違反があるので、破棄せらるべきものと信ずる。

原判決は、証拠の項に於て、被告人に対する司法警察員並検察官作成の各供述調書(前者昭和二十七年五月三日付、同七日付、同八日付三通、後者同年同月三日付何れも自白調書及被告人作成の昭和二十七年五月七日付の書面(手記))を各証拠として採用挙示して居る、

然し之等の証拠は何れも左記の如く無智の若い婦女である、被告人が強制、脅迫、暴行に耐え得ずして司法警察職員に対して為した全然任意性を欠いた陳述から出来たものであつて、前記憲法及訴訟法の規定に照し、絶対に証拠として採用すべからざるものである。その理由と反証を挙ぐれば、(1) 自白が強制、暴行、脅迫によるものである点。(一)原審第二回公判調書中検察官が証拠調を求めた書類中、(四)、(五)、(六)の被告人の供述調書及手記に対する被告人の供述内容として、被告人に対する弁護人の質問及その供述、問、被告人が大久保地区警察署で子供を殺したのは、自分だと言つたのは何時か、答、五月二日です、問、警察へ呼ばれたのは何時か、答、五月一日の朝でした、問、自白するに至つた状況はどうか、答、私は五月一日の朝から二回取調を受けました、警察官は、お前がやらなければ誰がやるものか、お前は子供がかわいくないのか、あやまれ、お前がやつたのだろう。と繰返され、私は乳が張つて来て痛くて堪らず、黙つていますと、何を眠つている、と肩をつつかれ、乳が張つて痛いと言つても、にせだ、にせだ、と責められるので、目まいがして目の向うが真暗になつてゆくように思いました、そして同夜遅く階下へ降されたことも覚えなく、滝医者が手に一本注射されたときに、やつと気がつきました。翌日も朝から二人にやりこめられ、やつて居らんのに、やつたと言つたのです。問、被告人は普通通り食事をとつたか、答、少しは喰べましたが、食事をすると乳が張つて来るので食べられませんでした、問、肩をつついたのは誰か、答、小林部長です。問、どちらの肩をつついたか、答、左の肩でした、問、何回つついたか、答、二、三回つつかれました(暴行の事実)、(註被告人は此の当時は勿論尚未決勾禁中であつたので、此の公判廷に於ける被告人の告白は十分信憑すべきものであると思料する。)尚此被告人の告白に対する裏付として左の如き確証が挙げられる。(二)原審第五回公判に於ける証人小林茂信(本件被告人を取調べた刑事部長)証言を見ると、問、午後は何時頃迄取調を行つたか、答、昼に一時間程休んで、八時頃迄取調をしたように記憶します、本人は別に体が悪いと言わなかつたのですが、七時頃であつたか、和子の屍体の状況を話していて、母としてどう考えるかと、女としての立場を話していたところ、本人が泣き出したので、慰めていたのであります、本人はその儘二十分乃至三十分位声を挙げて泣き続けました、その中に意識がなくなつたような恰好になつたので、二、三人で本人を監房に運んだのであります。問、被告人はどんな恰好をしたのか、答、本人は椅子に座り、机に顔をつけたまま泣いていたので、一言もしやべらず顔がいくらか赤みを帯びて見えました、私共は身体の都合が悪いのかも知れないから、休んで貰おうと本人に立つて呉れと言いましたが、立たず、目のところをパチパチさせて居りました、私共は大した事はないのだろうが、一応医者に診して置いて貰おうと、その手続をとりました、しかしその晩は医者の都合から診て貰えず、翌日早く診て貰つたと思います。問、五月一日か、二日の取調中、被告人の肩へ手をかけたことがなかつたか、答、記憶ありませんが、本人が泣いていて意識がないような恰好になつた時に肩に手をやつて居るかも知れません、本人が意識を失つていたとすれば、私が手をやつた事が判る筈がありません。問、被告人を監房に運んだのは、誰々か、答、三人か四人居たと思いますが、両脇下に肩を入れて運んで行つたのです。問、被告人が乳が張るので困つていたようなことがなかつたか、答、警察へ来てから二日目であつたかと思いますが、乳がはると申しますので、家へ案内して乳をしぼる器具をとりよせ茶碗を与えてしぼらせた事があります。(註 右証言により被告人が愛児を失つた精神的衝撃苦痛に悩んでいた際犯人として嫌疑を受け烈しい取調追及を受けたため、之に耐えず意識喪失の状態に陥り、三、四人の警官が両脇下へ肩を入れて階下監房迄被告人の身体を運び、医師を迎えると言う様な重大な状態を現出した事実及被告人は当時乳が張りその痛みに非常に苦しんで居た実状が証明されていること)(三)原審第五回公判証人滝邦彦(警察医)の証言、問、証人は本年五月一日か二日頃被告人を診察した事があるか、答、あります、問、どこで診察したか、答、大久保地区署でありました、問、診察したのは何時頃か、答、患者を沢山診て居りますので記憶ありません、問、証人が被告人を診察した際、症状はどうか答、本人の訴は頭痛でありました、体温は普通であり、全身に著明な病状は認められませんでした、問、どの様な手当を施したか、答、グレランカダン系統の鎮痛剤一本注射しました。(註 此の証人は警察医である関係上本人の症状を詳細に述べ得ない状況にあると思われるが、一時相当重態であつた事は失神状況や警官三、四人で抱え運んだ現実の事実が十分に証明するところである、又警察官としても軽症のものならば、夜間態々医師を呼んで診察させる様な事をする理由はない。)(四)原審第六回公判に於て、証拠として提出された大久保地区署備付留置人診療簿の記載((註 此帳簿の記載によれば五月二日及七日の二回滝医師が警察に出張して被告人を診察手当を施して居る事実が明白である。)(五)原審第三回公判に於ける証人田島喜一(国警県本部捜査課強力犯係第一主任で、本件捜査につき大久保地区署に出張して捜査に当つた者)の証言、問引致したのは何時頃か、答、午前六時半頃でした、問、引致後朝食をとらせたか、答、一日の午前中は引致後七時半頃まで取調べてから、朝食する機会を与え、九時から昼食まで取調を行いました、問、一日の午後はどうか、答、晩の七時頃まで取調を行いました、問、最初の日きよ子は何と述べていたか、答、自分が和子を殺したのではない、殺した者は他にあると言つて居りました、問、五月二日は何時から何時まで取調べたか、答、午前中は八時頃から十二時頃まで、午後は一時一寸過ぎから、晩六時半頃まで取調べを行つたと思います、問、被告人を取調べた時、証人はいつも側に居たか、答、大体おりました、問、被告人を晩の九時か十時頃まで取調べた事があるか、答、十時頃まで取調べた事があります。問、その日はいつか、答、五月二日であつたと思います、問、きよ子を取調べた際に医者を呼んで注射をしたような事がないか、答、引致した晩であつたか気分が悪く嘔吐を催すような恰好をしたので取調を中止した事があり、本人は顔を赤くして居りました、医者の都会もあつたし、仁丹か何かを与えて休ませたようで……(註 右証言により供述拒否権の告知は形式的に告げたとしても、本人が否認するに拘らず、連日連夜自白を強要した事実及被告人が之に耐えず直ちに医療を要する程の症状に陥つた事実は明らかに立証されて居る。)以上の各証拠だけで見ても少くとも警官が、かよわい婦女子に対し、何時も二名以上で威圧的の取調をしたこと、引続き長時間の取調をして手を替え品を替えて自白を強要した事実、被告人が身体の苦痛(乳のはるため)に悩んでも容赦なく取調を続け、自白を強要した事、遂に取調官の一人が被告人の肩を数回突いて被告人の身体に対し、有形力を行使して自白を迫つた事、被告人は遂に之に耐え得ずして、意識を喪失する状態に陥つた事、それがため夜間医師の往診を求め注射治療を要する程の事態に立至つた事実は余りにも明白であつて、到底之を粉飾糊塗する事は許さるべきでない。若し斯る実情の下に於ける供述が強要、脅迫、暴行による自白でないとすれば、強要、脅迫、暴行による自白なるものはあり得ないと思料する。況や刑事訴訟法第三百十九条第一項は、強制、拷問又は脅迫による自白云々、その他任意にされたものでない疑のある自白は之を証拠とすることは出来ない。と規定し、又同第三百二十二条第一項も同様、第三百十九条の規定に準じ、任意にされたものでない疑があると認めるときは、之を証拠とすることは出来ない。と規定し、任意性につき、些少の疑でもある場合は絶対に証拠とすることを禁止して居るのであるから、本件被告人の自白の如く任意性の無い事が極めて明白であるに於ては証拠となすべきものでない事は当然である。刑事訴訟法第三百二十五条は、裁判所に対し、供述の任意性の調査義務を課し、その任意性を確認した上でなければ、証拠に採用することを禁止して居るのである。然るに原審は第二回公判に於て、弁護人から特に右検察官提出の被告人自白調書は何れも任意性がない事を主張し、証拠とすることに異議を述べ、反対したのに拘らず右調査義務を無視し且任意性につき何等の調査をなさず、即座にその場で弁護人の異議を却下して、之を証拠として取調を行い延て之を断罪の証拠として判決に於ても採用した事は、結局違法の証拠を採用したもので破棄を免れない。(2) 被告人の自白はその内容実質上の検討に徴しても、その任意性のない事は明らかである。(一)犯罪の動機に関する被告人の自白が支離滅裂であり、少しも真実性がない。イ、田島警察官の第一回自白調書(五月三日付)によれば、中川家に居るのがいやになり出て行からと思つたが、実家の事や和子の事が気にかかり、一層和子を殺して自分も死なうと覚悟した、とあり、ロ、田島警部補第二回自白調書(五月七日付)によれば、第十四項、可愛い和子は、憎い和子、邪魔な和子になつてしまい、川へ流して誰か人がした様にしておけば判らんと決心した。第十九項、和子さえ居らなければ、私も自由になれ、又家の者からもあの様に言われなくても済むと思い、和子を殺す気持で川へ流した。とあり、ハ、検事自白調書(五月三日付)に依れば他所へ行けば子供を残して行くのがかわいそうと思い、自分も一緒に子供と死なうと決心して猫入らずを呑んだ、とあり、ニ、田島警部補第三回自白調書(五月八日付)によれば、私はそれからすぐ家に戻り、和子の入つていた「つづら」を見て「だら」な事をしたと考え、此の様にした事は、どうせ判るのなら、自分も和子の所へ行こうと思い猫入らずを呑んで死なうと思つたが、云々、とあり。即ち右イ、ハ、ニに依れば、和子の殺害は主因でなく、被告人自身の自殺が主因である、自殺するに付き子供を残すのは不憫だから、一緒に死すべく殺したと言うにある。然るにロ及ニに依れば、和子の殺害が主因であり、被告人の自殺の事は全然無関係である、寧ろ憎い和子、邪魔な和子を殺し他人の所為の様に装つておけば、自分の生存が楽になる、自由になるし自分の生存の手段として和子を殺したとの趣旨が明白に表われて居る。斯る重大事犯の動機として少しも一貫性がなく斯程に氷炭相容れざる大なる矛盾撞着が見られるのは、畢竟被告人の真実の告白描写でない真実性を欠く供述である確証であると信ずる。警察官に依つて無理に強制的に自白調書を作成されると、その後検察官に対し之を是正すると言う事は言うべくして行われ得ない事実であると思料する。(二)被告人自殺(猫入らず服用)に関する自白の架空無根なる事。イ、田島警部補第一回自白調書(五月三日付)に依れば、裁縫箱に入れてあつた紙に少し包んだ猫入らずを取出してなめた、とあり。ロ、検事自白調書(五月三日付)前から家にあつた猫入らずを出して呑んだ、苦しくなつたので死ねると思つたとき子供が泣いたので子供を出して裏の川に入れた。とあり、何れも確実に猫入らずを呑み自殺せんとしたとの自白になつているが、被告人が実際猫入らずを全部呑んで居らぬ事は、田島警部補の第三回自白調書(五月八日付)で明白であり又被告人の身体に全然その服用形跡の存しない事実に依つて明白であつて、全然架空の自白である事が暴露するに至つたのである。その当時被告人方に実際猫入らずの現品が台所の棚においてあり現存して居たものであることは、第四回公判の中川シゲの証言で明らかであるから、真実被告人が死を決じ、和子を殺したと言うなら、その自白に一致する通り猫入らずを服用し、自殺行為に出てた筈である。然るにその様の事が全然なく、此の点の自白が架空無根であつた事は延て、自白の全体が同様真実性のない証拠だと言わねばならない。(三)犯罪手段状況に関する自白の不一致不鮮明なる事。警察官の第一、二回自白調書に依れば、和子を川の中に落したが、別に泣きもせず、流れて行つた、とあるも、検事の自白調書に依れば、赤坊を溝川の中へ投落した、赤坊は水中へ落ちてウ、ウ、と声を出しただけで流れて行つたとありて、声を出した事になつて居て、その間二者に相当の差異があつて、信を措き難い上に、両者とも、唯上から「落した」とか「投落した」とあるのみで、此の浅い小さい溝川にどの様にして、どの位の高さから落したかは少しも判明して居ない。若し被告人が真に犯行をしたとすれば、その点の状況はもつと詳細鮮明に自供さるべきものと信ずる。(四)被告人の手記作成事情と信憑性。此の手記の作成が被告人の任意に出てたものでなく、警察からの要求により作成され、而かも最初の手記には、和子殺害の点を記載してなかつたのに、それを後で警察官から追加記入すべく命ぜられて記載した事実は原審第三回公判に於ける、裁判長の被告人に対する質問応答に、つぶらに入つて居た子供をせどの小川に流したからの部分は後に警察の人に言われて、一行書き加えたのであります、との陳述と、之に照応する第五回公判の証人小林茂信の供述中にも同様の陳述あるに徴し動かすべからざる事実である。元来被告人に対し手記を作成せしめるが如きは、普通行われて居らぬ稀有の手段(以前思想犯被告に対し行つた例は聞くが)で斯様な手記等作成せしめる事自体が既に捜査官自身に於て、被告人の自供調書の薄弱不信を補強せんとの意に出てた事情が察せられ、真実性はないものと信ずる。殊に被告人自身にとり最も不利益となる殺害行為に関する事実を、無智無抵抗なる被告人に要求して記入追記せしめるに至つては不自然極まる違法証拠の作成と言わざるを得ない。頗る危険なる事と断ぜざるを得ない。斯る姑息、不明朗な、ヘヤプレーを欠く因子の伏在する本件は此事実だけでも断乎無罪の御宣告により捜査取調上につき、当事者に対し厳しい指針と反省の範を与えらるべきであると信ずる。(五)自白と死因との矛盾。原判決は死因を溺死と断定して居り、被告人の自白調書も之に符合する供述をして居る。原審第三回公判にて検察官提出の井上鑑定人の鑑定書も死因は溺死なりと鑑定して居るも、原審第二回公判に提出された滝医師の死体検案書末項記事に依れば、水中にて多量の水を飲んだと思わるる所見を有せず、とあり、又同公判に提出された警察官実況見分調書第六項死体の状況の記事に依るも、下腹部を押せば鼻口より泡が出て、口より水は出ない、とあり、同第二回公判に於ける証人杉村利一、同滝邦彦の両名の証言によるも、盃に半分程度しか水を呑んで居らぬ事が明瞭であり、尚井上鑑定人の鑑定書第二十七項及説明第八項によれば、胃内に乳を混ずる白色又は灰白色粘稠液の存在が証明されて居るが、若し多量の水を嚥下し溺死したものならば、斯様に粘稠乳液が存在する理なく水液が大部分となるべきであるから溺死であるとの認定は頗る疑わしい。右事実に徴すれば、本件は何人かが川へ投入する以前に和子の鼻口を平圧する等の方法により窒急死に致し、死後投水したものとしか認められないから、被告人の自白は此の点に於ても客観事実と一致しない不合理のものである。(六)被告人が犯人であるとの自白が信じられない重要反証。原審第一回公判後の証拠調期日の証人長沢久作の証言及第二回公判に提出された同人の供述調書によれば、同人が二回目に肥料を運ぶ際、犯人に匹敵する人物を目撃した事が明であり、証人長沢きよの証言に依れば同人が被告人が切草を入れた袋を抱えて家に入るを見たのは、夫の久作が肥料桶をかついで出た後であつたと思うとの事であるから(きよがそのとき小川で手を洗うとき、肥料桶がそこにあれば、横を見た際当然目に入る理であるから夫の久作が担いて出た後であることは証言の通り違いないと思われる)、此の事実に徴すれば証人長沢久作が、犯人と思われる人物を目撃した際は、被告人は未だ馬小屋の二階に居た訳であり、被告人が二階から下りる前に何人かが和子を運び出し犯行に及んだものとしか認められない。被告人の自白は此点に於ても到底首肯し得ない処である。以上被告人の自白は内容、実質に於ても少からぬ矛盾疑惑を包含して居り、その任意性真実性につき大なる疑を存するので、此の意味からしても刑事訴訟法第三百十九条、同第三百二十二条により証拠となし得ないものと信ずる。

第三点原判決は訴訟手続に反して作成された鑑定書を証拠として採用した点に付き、破棄せらるべきものと信ずる。原判決は、本件断罪の証拠に、井上剛作成鑑定書を採用して居るが、右鑑定については、和子の屍体解剖を行うにつき、同死者の親族その他何人にも通知せず、金沢医科大学内に於て、全然親族の立会なく施行したものである事は同鑑定書の記載自体に照し明白である、然し刑事訴訟法第二百二十二条同第百二十九条刑事訴訟規則第百一条同第百三十二条等の規定によれば、屍体を解剖する場合には、死者の配偶者、直系親族又は兄弟姉妹に通知しなければならない、と明規されて居る故に右の如く本件解剖を何人にも通知せず、且立会なくして施行し、且作成された鑑定書は法定の手続を履践しない非合法のものとして、証拠に採用すべからざるものと信ずる。

第四点被告人が和子を殺害しようと決意した動機は本件では認められぬ。原判決は、被告人の結婚生活に於て、夫や舅姑の被告人に対する愛情薄く、冷淡であつたことに対する不平不満の念から和子を殺害するに至つたと認定しているが、被告人の原審に於ける供述、証人中川清、同中川シゲの各証言によれば、夫婦仲は円満で家庭生活も平隠であつたことが充分認めらるるのである、被告人の供述調書には、夫清や姑シゲの被告人に対する態度が愛情を欠き、冷淡であつたいろいろの事実、夫の清は被告人の姙娠したとき俺の子でない、と放言した、平素小遺銭を呉れなかつた、里帰りをとめた、云々、又舅姑から百姓仕事について、叱られた、馬鹿飯を喰うと言われた、云々、それが耐えられぬ不平不満となり最後に和子を殺して中川家を決意をしたものであると陳述しているが、被告人の公判に於ける供述では、夫は俺の子でない、と言うたがそれは夫婦の間で冗談に言うたことで自分は別段気にとめなかつた、小遣銭も結婚当時余分に所持した金があつたので、夫から貰わなくてもよかつた、里帰りのことは、そのときは農繁期であつたからとめられたので別に不平不満を言わなかつたものである。姑シゲの原審に於ける証言によれば百姓仕事を教えて注意してやつたが、被告人を叱責したり虐待したこともなく、馬鹿飯云々は被告人のことを言うたのでない、嫁姑として口争いしたことはない、と陳述している。司法警察官に、被告人が陳述したことは、被告人の真意を語つたものでなく、仮りにその通りの事実があつたとしても、可愛い子を生きた儘川へ投げ入れ殺す気になるような動機と認めらるる筋合のことでなく、全くどこの家庭にでもおこる日常の茶飯事にすぎないことばかりである。検事は、被告人の陳述する不平不満の事実だけでは普通殺人の動機と考えるのに、非常に困難のことであるが、被告人の性格異常の点を併せて考えると、被告人の犯行であると論断できると言わるるが、被告人の性格異常の云々は何等根拠のない独断にすぎないと思う。被告人は、教育の程度こそ低いが常識に欠くるところなく、温順貞淑な婦女である。結婚してからも夫や、その両親に従順に仕え被告人の言動によつて、かつて、家庭に風波が起つたことはなく、日常生活に常規を逸した言動は絶えてなかつたものである。夫清に対しても、貞淑な妻であつて、二人の情愛も濃やかで夫婦喧嘩で家出里帰りしたこともかつてなく、和子を中心に円満に暮して来たことは、中川清の証言で充分認められる。犯行のあつた日、被告人の行動を見るに温い母性愛で和子に授乳して愛撫したこと舅の言いつけにより、一心不乱に飼料の草を切つていたこと、何一つ不審の言動もなかつた、又その間、被告人の身辺に同人の精神を錯乱させるようなこと毫もおこらず、静かに一家の留守をしていたことは事実である。更に被告人の自白調書を検討するに、第一回供述は、自分が自殺を決意した、和子のことは考えずに、第二回供述は、和子を殺して中川家を去る考えであつた、第三回供述は、自殺するについて和子を道連れにする、云々とある。和子を殺すのが真意か、自殺するのが真意か、中川家を去るのが真意か、甚だ明確を欠き猫イラズを呑んで自殺せんとしたことが真実か自殺を思いとまつたことが真実かこれ又疑問である。被告人の自白は、前後矛盾し首尾一貫せぬ供述である。被告人の自白は、被告人が真実を語つたものでなく全く任意性のない虚偽の自白であると信ずる。

要するに本件は被告人が和子を殺したものであると認定するにつき、その動機を欠くものであつて、無罪であると確信する。

弁護人小原正列の控訴趣意

第一点法令の違反 原審訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明かな左の如き法令の違反がある。

(一)刑事訴訟法第三百一条等違反

一、本件公訴に係る犯罪事実は、被告人が中川和子を殺意を以て殺害したというにあるところ、其の犯罪事実に付ては被告人に於て原審の第一回公判以来結審に至るまで終始一貫して之を否認し通した。

二、而して、検察官は第一回公判の冒頭陳述に於て、被告人は捜査の段階に在つては右犯罪事実を是認して居たものである旨の陳述を為した上第二回公判期日に於て被告人の犯行に関する挙証として捜査機関作成の当該捜査機関に対する被告人の自白を録取した供述調書四通及被告人の作成名義ある自白手記一通を刑事訴訟法第三百二十二条に則り提出して其の取調請求を為した(同法第三百二十八条の証拠として提出したものではなかつた)。

三、けれども、第一回公判以来該各自白書面の提出あるまでの間に於て其の各書面と同時に提出のものをも含めて多数の書証、人証、物証の類が既に公判に顕出せられてはあつたのであるが、それら既出証拠類の顕出のみに依つては未だ自白書面提出の時期に熟していたものとは決して為し得なかつた。

四、何となれば、右既出証拠に依つて証明せられた事実の範囲は公訴事実に関連しては、精々のところ、イ、中川和子は被告人の長女であつて、昭和二十七年四月二十五日午前十時近くの頃(中川シゲ外出の時間)までは存命であつたこと、ロ、当時和子は生後八ケ月の(また這うこともずることもできぬ漸く人見知りを覚えた程度のよく泣く但し急に自然死するような病状のない一見健康な)幼児であつて、出生以来中川滋次郎方に於て祖父滋次郎、祖母シゲ、父清、母被告人きよ子と同居し主として被告人の手に依り養育せられつつあつたこと、ハ、其の和子が、同日午前十時近くの頃から同十一時過頃までの間の不詳時刻に中川滋次郎方居間の藁籠(つぶら)の中から何人かに依つて何処かに運び去られたこと、ニ、其の時刻頃に中川滋次郎方に居合せた同家家人は和子の外には被告人のみであつて其の他には他家の者も居合せなかつたこと、ホ、被告人に於て同日午前十一時過頃隣家の谷口ふみ等に対し、和子が(被告人の言うところに依れば被告人が中川方馬屋二階に上つて居た間に不意に)居なくなつた旨を報じて其の行方探索方を依頼したこと、ヘ、其の依頼に基き谷口ふみ及同女の夫谷口保等に於て被告人と共に和子の行方を探索中同日午前十一時五十五分頃、公訴事実に指摘の「中川滋次郎方裏用水」とは異る場所の但し其の用水の通じて落ち込む主用水である通称大久保用水の大久保町役場横水中に於て和子が死体となつていたのを附近通行の学童に依つて発見せられたこと、ト、其の死体は即日行われた医師の検案では推定死亡時間同日午前十一時頃推定死因他殺且つ水死但し外部所見上は水中にて多量の水を呑んだ様子なく其の他致死の原因と思われるような外傷等もなかつた、というにあつたこと、チ、被告人に於て四月二十一、二日頃、谷口ふみに対し家庭生活上の不満を訴へて子供(和子)さへ居らねばよい等漏らしていた事実があつたこと及中川清に於ても其の頃知人の前田忠俊に対し妻被告人に嫌気を生じて家から出さうと考えているというようなことを述べた事実のあつたこと、リ、被告人に於て捜査拘禁中の同年五月七日面会に来た生母に対し、自分が悪い旨述べた事実のあつたこと、ヌ、被告人に於て同月二日司法警察員に自白(但し自白内容不詳)した事実のあること、等の辺以上には出でないからである。

五、換言すれば、第二回公判の当時に在つては事件は尚混沌の域に低迷し、右既出証拠の類のみを以てしては、事件に対する予断又は既出証拠に対する飛躍的判断に於てするならば格別、厳正客観の立場上よりは、中川和子の死亡さへ明確に「他殺」に因る「溺死」であるとの断定を為し難く況や其の加害者が真に被告人であるとのことや被告人に於て和子を「殺害の意思をもつて」「中川滋次郎方裏用水に投げ込み」「溺死せしめ」て「殺害した」との犯行の如きは之を推断するにも甚しく足らないものが存したのである。

六、要之、右証拠類は個別的にも綜合的にもそれらのみに依つては直ちに公訴事実の中核事実たる被告人の犯行即ち被告人が殺意を以て殺害したとの犯罪事実そのものに関する証明ありとは為し得ず、就中例之「被告人に於て司法警察官に自白した事実あること」の証言証拠の如きはそれが刑事訴訟法第三百二十四条、第三百二十二条の証拠たるべきものであるよりして第三百一条の規定を履まなけねば仮令それが犯罪事実に関するものではあつても未だ証拠適格さへも之を認め難かつた筈のものであり、其の如きものをも含めて該既出証拠類は其の之が顕出を見たというだけの訴訟程度に在つては爾後に於て更に追加提出せられることあるべき犯罪事実自体に関する別個の証拠と相俟つて甫めて或は犯罪事実の動因、結果其の他の外側事項殊に公訴事実中の補足的説明的事項部分に関する言わば情況証拠たるの意義と価植とを認められ得べきかとの期待の蓋然を蔵したに過ぎなかつたのである。

七、果して此の見解の如くならば、刑事訴訟法第二百五十六条第六項第二百九十六条但書等の規定に於て同法が庶幾した法の精神上より言えば、本件に於て検察官が犯罪事実殊に(其の犯人の特定又は犯意の存在等の主体的乃至主観的方面のことは姑らく措くとしても少くとも)被害者の死因が他殺であること又は其の他殺手段等の客観的方面即ち罪体に関する証拠の提出を等閑にし乃至は之を後にして、斯の如き単に犯罪事実の存在が明かにせられた上でなければ其の外側事項にもなり得ないに止まつたのみの辺に関する而も之が顕出の時期如何に依つては裁判所に事件に付予断又は偏見を生ぜしむる虞の多分に存する挙証を其の之に対応する事実主張と共に公判の最先に行つたということ自体許されないところであつたものとも観らるべく、仮りに之が提出に其の如き時期的不適法がなかつたとしても、それら証拠類の顕出があつたのみに過ぎなかつた間に卒如として被告人の自白書面に付取調請求が為されたことは明かに刑事訴訟法第三百一条の違反である。

八、而も亦、右被告人の自白書面に付第二回公判期日に於て提出せられた他の証拠と分離することなくそれら証拠と一括して検察官より之を公判に提出して同時的に其の取調請求が為されたことも刑事訴訟法第三百一条及第三百二条違反である。何となれば其の同時的に取調請求の為された自白書面以外の証拠は仮令それが其の実質に於て単なる情況証拠たるに止まつたとしても検察官の意向上はそれらも亦犯罪事実に関する証拠たるの価値を有するものとして之を提出したものであることは之が証拠提出の順序に照して明白であり、果して然らば斯る証拠に付ての取調の終らない間にそれが提出と時期を同じくして自白書面の類が提出せられたということは其の取調をも之を相互同時に繋はらしむるの必然を免れないところであつたからである。(但し自白書面の内被告人作成の自白手記に付てはそれが捜査記録の一部でなかつたとすれば第三百二条に関しては此の点の論議を姑らく措く。)

九、而して刑事訴訟法第三百一条、第三百二条の各規定は単なる訓示規定に止まらず又単に検察官を拘束するというのみのものではないこと明かであつて、之に違反して為された取調請求に基き行われた自白書面に付ての取調は一面に於て其の証拠調手続が無効であつたと同時に他面に於て其の無効の手続に依つて顕出の当該書面の証拠能力を否定するの外なきに置いたものと言わざるを得ない。

十、更に又、右自白書面の中に就き被告人作成の自白手記に付ては、それが捜査機関の手中に入つたのは領置に依つたのか令状処分に依つたのか手続経路不明であつて其の辺にも捜査規定違反あるものの如くであるが、仮りにそれが合法入手のものであつても、其の之が検察官よりの証拠としての提出は刑事訴訟法第三百七条に則つて為されたものであること疑ないに於て之に付ての取調は第三百六条及第三百五条の規定に依るを要した筈であるのに其の手続を履践せられた形跡がないに加えて該自白手記は第三百二十七条に所謂合意(又は同意)書面の如きではなく寧ろ弁護人側に於て当該書面の作成の任意性を争うて其の証拠調に異議を唱へたことに依り之を証拠とすることに不同意である意思をも明かにしたものであつたに拘らず、原審が右自白手記に付、それが果して其の作成名義通り被告人の作成に係るものであるか否かをさへも明確に究めず、殊に作成名義者たる被告人に付十分に其の作成の任意性乃至書面内容の真実性を取調べることなく其の他被告人又は弁護人に対し第三百八条所定の之が証明力を争うために必要な機会を与えないままに検察官の取調請求を容れて之が提出即日其の取調を行つたのは総べての点に於て手続違反である。(尚、此の書面に付ての証拠調としての取調は第二回公判期日に於て之を行われ且つ終了したものであつて第三回公判期日に於て被告人尋問に際し裁判長が該書面を被告人に提示して其の記載内容に関する陳述を求めたのは証拠調手続に該当しなかつたものと観察する)

十一、以上にも拘らず、原審は其の或は無効の手続に依つて顕出せられ或は手続無効のゆへに証拠とすることができないものに帰せらるべき証拠を採つて本件断罪の資料と為したのであるから、原判決は先ず此の点に於て判決に影響を及ぼすこと明かな法令の違反が存するものとして破棄せらるべきものと信ずる。

(二)刑事訴訟法違反 一、本件が原審公判に係属中の且つ被告人に付既選四人の弁護人と其の中に弁護陣を統轄すべき主任弁護人とが存した昭和二十七年八月二十日被告人の実弟入井秀三に於て被告人の為め更に弁護士小原正列を弁護人に選任し該選任届を同月二十二日原審に提出したことに依つて弁護人数が五人に上つたところ、原審は同月二十三日其の五人の弁護人数をそれ以下の数に制限するの必要に付何等特別の事情を示さないままに本件弁護人の数を四人に制限する旨の決定を為した。

二、けれども、右小原弁護人の選任は、其の時期に於て、原審の結局九回に亘つた公判開廷回数の僅かに五回目を終へたばかりの而も審理展開の形勢が被告人の犯行否認と既選四人の弁護人の努力にも拘らず漸く被告人の不利に傾きつゝあつた際に行われ、其の選任の目的に於て、其の如き公判の形勢に考へて事件の成行を憂慮した被告人及其の近親者等としては公判状況を被告人の有利に転換する為めに併せて審判の公正に協力する意味からも一段と防禦に遺漏なきの配意を加ふべきものあるを痛感しそれが為めには弁護陣の数的補強を行ふのもその一策と為したところに専ら出で更に其の選任に対しては被告人に於て其のことに同意し且つ最も之を希望したところであつたのであつて、従つて被告人及其の周辺者としては斯る時期に斯る目的を以て而も被告人の希望に基いて為された其の弁護人の追加選任が、仮令それに因つて弁護人の数が五人になつたればとて、其の為めに裁判所の側より弁護人数を四人に限定せられるの処置の如きを受けようとは予想だもせずそれは全く意外の且つ迷惑此の上もない処置として到底之に承服することを得なかつたのである。

三、惟ふに、凡そ被告人は訴訟に於て弁護人使用の権利を有し、其の弁護人使用権は刑事訴訟法に依つて被告人に認められた各般の権利中でも最主要のものに算へらるべきであり同時にそれは刑事訴訟法以前に於て憲法に依つて之を与へられ且つ其の享有行使に付完全不可侵を保障せられた基本的人権の一に属するものであること言ふまでもなく、而して此の弁護人使用権中には国民が現実の訴訟に臨んで自己の事件に付弁護人の数を何人に選ぶかを自主的に決し得るの権能をも当然に包含するものであることは憲法第三十七条第三項、刑事訴訟法第三十条、第三十三条等の各法文の措辞に考へ其の他弁護制度の本旨に照して明瞭のところである。

四、それゆへに、具体的の訴訟に於て、殊に本件の場合の如く既にして主任弁護人が存し其の主任弁護人が一応弁護陣の統率を行つて審理に協力の実を発揮しつゝあるの間に他より弁護人の数に干渉を加へるということは即ち被告人の有する基本的人権としての弁護人使用権を制肘乃至脅威するものとして、其の干渉者が何人であるにもせよ又其の干渉理由が何であるを問はず殆ど絶対的の厳格さに於て許さるべきではないのであつて、只此の鉄則に対し立法者が刑事訴訟法第三十五条及刑事訴訟規則第二十六条第一項(尚被疑者に付ては多少趣旨を異にするが同規則第二十七条第一項本文)の規定を以て受訴裁判所に限り且つ特別の事情あるときに限り弁護人の数を被告人一人に付三人までに制限することができるものと為したのは、被告人の弁護人使用権と雖もそれが第一次に憲法上の第二次に刑事訴訟法上のものであるよりして憲法第十二条後段、刑事訴訟法第一条刑事訴訟規則第一条第二項等の明文又は規定の精神に於て存する制約に服するものとせられるのを当然として被告人をして其の之に服せしむるの真に例外特殊の必要ある場合に備へて其の設を為したものに外ならぬのである。

五、而して、其の例外特殊の発動に於て弁護人の数を制限すべき必要ある場合とは如何なる場合を言ふかは具体的各訴訟の現況に応じ裁判所の良識に従つて之を決せらるべきところではあるが、要するに被告人の多数弁護人の使用が如実に公共の福祉と衝突し乃至は明かに其の危惧の切迫が看取せられて被告人に現在又は将来に於ける一定数以上の弁護人の使用を認めて其の基本的人権の保障を貫くとするに於てはそれが為めに公共の福祉の維持に重大な脅威を来すといふ場合のみがそれに該るものであること、従つて刑事訴訟法第三十五条但書に所謂特別の事情あるときとは斯る場合のみを限つて指したものであることは憲法第十二条後段、刑事訴訟法第一条の規定に徴して誤りがない。

六、そこで、本件原審の公判審理に当つては弁護人の数が四人に止まつた間は其の数を減じて之を三人までに制限するの必要ある所謂特別の事情がなかつたことは原裁判所が五人の弁護人数を四人に制限したことに依つても明かであり結局四人の弁護人数は原審公判の終結に至るまで原裁判所に依つて之に干渉の要なきものとして承認せられたのであるが、其の弁護人数が審理の中途に於て一名を加へて五名になつたことに因つて急遽格別例外の発動に出で被告人の基本的人権に触れて之を犠牲に供してまで其の五人の数を四人に制限しなければならぬとする程の抑々何等の理由が存したのであるか。

七、少くとも被告人側より観て其の理由に恰当するものと認められ得る特別事情は全然に之を欠いていたのであり、若し此の被告人側想察の如くならば原審が其の理由なきに其の処分を行つたことは本来職務として人権に直接して之を取扱ひ、それだけに万衆に先じて人権の尊貴其の他遵法の精神に最も徹し且つ人権及諸法の擁護に任じなければならぬ裁判所として踰ゆべからざるの職責の埒域を越えて侵すべからざるの人権冐涜を敢てし最少限度に観るも刑事訴訟規則第一条第二項の令規禁則を裁判所の側から破つたものであること必定であつて、それに因つて当該裁判所は公平な裁判所たるの威信を自ら失墜し其の裁判所を構成した各裁判官は良心に従つてのみ職権を行ふべき裁判官としての適格を亦自ら否定したものとせらるゝも決して過酷の批評ではないのである。

八、而して、右原審の決定は何等の理由をも附さずして即ち弁護人数制限必要に関する特別事情を示さずして之を為されたのであるが其の一事のみに依つても該決定は不法のものとして取扱はれて然るべきものと信ぜられる。何となれば、元来法律に於て一定の処分に付特別事情ある場合に限り之を為し得べきものとせられある場合には其の反面に於て不文の裡に裁判所に対し其の処分を為すには其の特別事情の解示と共に之を為すべき旨を命ぜられあるものと解すべきであり、仮りに此の理解にして過ぎたるものがあるとしても、特別の事情ある場合に限り為し得べき処分にして其の事情の解示を伴はずして為されるに於ては訴訟関係者をしてそれが果して法律の予定したところに適合する職権の発動に於て為されたものであるか否かを納得せしむるに由なく、訴訟関係者としては他の種の一般の処分に付てならば理由明示の如何に拘らず一応は合法に為されたものとして承服すべきであつても斯種の処分に限つては之を為すの必要ある特別事情なくして行はれたものとして観察し得ることが法律上可能であると思考せられるからである。

九、更に論議すれば、凡そ裁判官は従つて裁判所は法律と共に憲法に拘束せられるものであり、而して被告人に対し弁護人数を制限して其の弁護人使用権に干渉することは法律活動であると同時に憲法活動であること疑はないのであるから、其の法律活動の面に於て之が裁判に理由を附することを要しないまでもそれを以て直ちに憲法活動の面に於ても然るものであるとは断じ難く、条理としても被告人の基本的人権に直接触れて之を制禦する程の重大事を行ふ裁判に理由の解示を要しないとするが如きは到底容認せられるの限りではなく、仮りにそれが執法の世界に於て形式的には裁判としての成立ありと為し得ても以て裁判所として人権の取扱に慎重と親切とを尽くしたものとして訴訟関係者乃至社会一般を得心せしめ難きに於て実質的には遂に不当のものとせられるのを免れるに由がない。

十、加之、抑々弁護人数制限決定は、それが被告人の基本的人権の処遇に関するものであり、且つ其の合法非合法は延いては他の一切の訴訟手続の有効無効を左右する程のものである点に於て忌避の申立を却下する裁判、保釈に関する裁判等と其の重大性に軒輊なく、而してそれらの裁判に理由を附するの取扱とせられあるのは単りそれらの裁判が即時抗告の対象と為り得るからとのことに由来するに止まらず法が刑事訴訟法第四十四条に於て原則として凡そ裁判には理由を附しなければならないとした趣旨にも基き前陳の理論と其の他良識の指すところ其の如き人権に直結する裁判には、理由を附すべきこと当然であるからであると理解するならば、弁護人数制限決定もそれが抗告規定上の位置とは別に(法が之に即時抗告を認めなかつたのは察するに立法者の手落である。)裁判に理由を要するの関係に於ては亦同じき拘制下に立つものであること必至であらねばならない。

十一、殊に忌避の申立を却下する裁判等に理由を附すべきものとするは只其の裁判自体の有効の為めに必要であるといふばかりでなく、斯る裁判にして苟くも疎忽に行はれんか爾後の訴訟手続の総べての効力に時に挙げて之を無効ならしむるの影響を及ぼすことあるよりして、其の裁判をして速に確定のものたらしめて以て他の全訴訟手続の安全追行に妨なからしむるが為めにも絶対に必要であるとせられるからであるとするならば、同様の必要は弁護人数制限決定にも存すること明かであつて、弁護人数制限決定に関する場合にのみ理由を附することを要せずとし以て理由の存否如何に拘らず其の審級に於ける限りは一応にもせよ其の裁判の効力効果が維持せられるものとせんか、それに依つて訴訟関係者をして審理終了までの間爾余の全訴訟手続に付て時に将来事件が当該審級を離脱した後に及んで上訴審に依つて一切無効とせられるやも知れない不安定状態の下に或は全然無意義に帰するやも知れない各般煩鎖の努力を行はしめ、就中被告人をして、其の裁判が何の理由に出でたものか従つて之に承服すべきか否かにさへ迷ひながら又それに因つて当該裁判所に対する多分の不信感と自己の権益の帰趨に付ての過大の不安心感とを強ひられながら不満と懐疑との裡に欲する弁護人の弁護も得られないまゝに全審判手続の進行終結に随応を忍ぶの外なきに居らしむることゝなるべく、斯の如きは訴訟経済上よりするも人道上よりするも許さるべきところではなく、殊に被告人に対する関係に於ては明に刑事訴訟法第一条と衝突するのを免れないのである。

十二、尚、弁護人数制限決定は、訴訟手続に関し判決前にせられる決定に止まるとすること一般の見解の如くではあるが、それは同時に被告人の基本的人権に関するものであり其の方面に於ては訴訟の物的客体以外のものに付ての一の実体的裁判であつて、其の之に依る実体形成の限度に於ては亦一の終局裁判に外ならぬがゆへに之が裁判の如きに対してこそは刑事訴訟法第四百十九条本文に則つて通常抗告が許されて然るべきものと思考するのである。

十三、茲を以て、原審の右決定に対しては五人目の弁護人選任者及当該弁護人に於て、之に抗告するも或は右一般の見解に従つて却下せられるやも知れぬとの虞れは十分に感じながらも尚該決定に抗告適格あるものと為し且つ仮令其の適格なしとするも抑々其の決定自体之を為すの理由がないのに何等か裁判所の誤解に出でて不必要にそれが為されたものとのみ推察したところに基き其の誤解を一掃すべく而して其の誤解にして一掃せられるならば抗告審の判断を俟つまでに至らずして当然に原審限りを以て之が決定の撤回乃至更正を受け得られるものと期待し、其の期待の限度に於ては抗告は決して無意義ではなく、却つて抗告を差控えることこそ近親者及弁護人の道徳上乃至法律上の義務に沿はず被告人の利益と希望を正当に擁護実現し併せて審判の公正妥当な実行に協力する所以ではないとの熟慮に発して右決定に対しては当時各自抗告に及んだのであるが、抗告者等の其の意図は案外に裏切られて原審限りを以ては原決定の撤回更正を受け得られず抗告審に於ても亦同年九月十九日附各抗告棄却の裁判が為されたことに依つて各自の抗告は相共に遺憾の終末を告げたのである。

十四、けれども、若し弁護人数制限決定が単に訴訟手続に関し判決前にせられる決定に過ぎないとし、それゆへに其の決定には理由を附することを要せず又其の決定に対しては独立上訴を許さないものであるとするの見解の如きにして行はれるとするならば、被告人其の他の訴訟関係者をして如何なる機会に如何なる方法に依つて其の理由を知るを得しめ又其の決定に由つて被告人の重大な実体権益に加へられた不利益はそれが決定の理由にして不当である場合に如何なる法律手段に依つて回復せられるとするのであるか。

十五、即ち、弁護人数制限決定は之を為すの必要の存する特別事情ある場合に限つて有効に為し得るのであるが反対に特別事情に基かない場合には当然に決定自体を無効とせらるべく従つて之が有効無効は一に繋つて特別事情の存否に依つてのみ決せられるものであること勿論であるのに、其の決定に理由を欠きそれが果して何等の特別事情に由つたか乃至は実際に特別事情が存したか否か等の消息一切不明のままでは之が決定の効力を後日他より判断すること全く不可能であり、それゆへに、判決前の決定に付ては判決に対する上訴の機会に不服を主張して、之が是正を求め得べしとの保障は存するとも其の保障は弁護人数制限決定に関する限りは絶対に貫かれず、上訴審に於てもそれが実際上特に無効である場合にも之を有効に是正するの途がない為めに常に有効のものとして認められることとなり、結局不服ある者は不服のままに不利益を受けた者は不利益のままに永久に救済せられずして終らざるを得ない不合理に帰着するのを避け難いのである。

十六、茲に即して刑事訴訟法は弁護人数制限決定のことを規定するに当つて特に法条の但書に於て之を為し得るの要件を特別事情あるときに限定して以て其の法文の構成形式と立言措辞との間に不文の裡に裁判所に対しそれが単に訴訟手続に関するものであるに止まらず実に被告人の実質的な権利にも関するものであることを諭告し併せて其の之が実施に当つては格別慎重厳正の配慮を須ひ訴訟関係者を十分に納得せしむるの理由に立つて之を為すべく従つて其の理由は客観的に認識を容易ならしむる為め必ず之を決定に掲ぐべきことを命じたものと理解せられるのである。

十七、それゆへに又、弁護人数制限決定は、其の訴訟手続に関する決定であるとの方面に於ては独立して上訴を為すに適しないものであるとしても、其の人権の実質に関する裁判であるとの方面に於ては之が是正の実益あるの間は時機を問はず独立して通常抗告を許されて然るべきものであること敍上の如くであり、而して抗告を以て不服を申立られた其の決定にして理由を附さずして為されたものと認められる限りは抗告審は常にそれが法の要求する特別の事情に基かず従つて当然不法に行はれたものであるとして之を取消す旨の裁判を為さなければならないのであつて、斯る理解と取扱に立つて甫めて裁判所が手段としての訴訟法規と目的たる権利の実体との間に不用意に貽された法の盲点を国民の利益に埋めて立法技術の未熟を補ひ以て司法の府たるの使命と任務とを如実に果し得ることとなるのである。

十八、以上にも拘らず、本件原審の公判中途に於て五人の弁護人数に付原審は制限の理由なきに之が制限を行ふの違法を敢てし、それに対し為された抗告の上訴審も亦其の当然に容るべき抗告を容れなかつたことに依つて原審の違法を其のままに決定的のものと為したのであつて、斯る違法処分の存在は其の違法処分の下に行はれた爾後の総べての原審訴訟手続を亦当然に一切無効ならしめたものであること全く疑がないのである。されば其の如き無効の訴訟手続に基き為された原判決は此の点に於ても亦判決に影響を及ぼすこと明かな法令の違反が存するものとして破棄せらるべきものと信ずる。

(三)刑事訴訟法第一条等違反

一、原審が被告人の弁護人数を制限したことは、其の制限処分自体不法のものであつたこと前陳の通りであるが、原審は又同時に其の処分に依つて憲法第十三条、第十四条の各厳規を冒して被告人に対し個人の尊厳を否定して其の幸福追求を妨げ、法の下の平等を破つて一の社会的関係に於て被告人を特別不利益に処遇し、更にそれら違憲且つ不法の状態を改善するの相当の機会を得ながら之が改善を行わないままに処分後判決に至るまでの審判手続を実施したのであつて、斯の如きは刑事訴訟法第一条に明かに違反する。

二、抑々、本件は、其の起訴罪名に於て法定刑に死刑をさへ予定せられる殺人の重罪事件であるところ、凡そ刑事訴訟の実際に於てそれが時に斯種重罪事件の場合でなくてさへ一事件の一被告人に付弁護人の数が五人又はそれ以上の数を以てせられること常時屡々の状況であること経験上の事実に属し、而して其の多数の弁護人数に対し現実に之が制限処分の行われたというが如き事例は本件被告人も本弁護人も必ずしも寡聞にあらずして未だ嘗て一例として之を存するを聞かない。

三、惟うに、凡そ犯罪ありとして訴追せられる程の者は多くは訴訟失費にも堪え得ない資力状況に於て弁護人の使用を為すのであるからそれが多数の弁護人を使用するという場合は真にそれだけの数の必要を感ずればこそであり、其の必要が仮令偶々被告人の主観に於てのみ然るというに止まるにしても其の場合其の数の弁護人を使用することの上には被告人としては猶最小限度に於て事件対処に一の安心感を持し得るとの精神的利益を有し、而も斯る利益は公共の福祉と牴触せず何人もが其の個人としての幸福の為めに之を追求し得るところのものであること言うまでもない。

四、従つて、一事件の一被告人に付弁護人の数は何人を以て相当するかのことは刑事訴訟規則第二十六条、第二十七条等に所定の数とは別に本来抽象的予定的には之を決し難く具体的各場合に臨んで一に被告人自身の自由意思に依つて択ぶところに任すの外はないのであつて而して其の被告人の択んだ若は択ぶべき数に付てはそれが本来被告人の基本的人権としての弁護人使用権及幸福追求権に立つものであるよりして、それら権利の濫用に於てするものであることの明かに看取せられる客観的根拠に依るのでなければ時に公共の福祉にさへ優先して(団藤1条解刑事訴訟法上九頁参照)尊重せらるべく、裁判所と雖も之に干渉すべきの限りではないのである。

五、殊に、其の被告人の択んだ数の弁護人が本件に見る如く総べて弁護士たる弁護人である場合には、其の各弁護人は弁護人たる以前より弁護士として本来的に有する使命と任務(弁護士法第一条)を負い其の之に任へるだけの知識と経験との活用に於て具体的の弁護活動を行い同時に審判の公正追行に協力を為すものであるに加えて訴訟に主任弁護人制度の存する以上は弁護士たる弁護人の数が如何に多数に上るともそれに依つて訴訟上の利益延いては公共の福祉に寄与こそすれ決して妨害となる筈はなく、事実として多数弁護人の存在それ自体が審判に不慮の影響を及ぼした事例の如きは従来も且つ将来に亘つても絶無のことと思料せられるのみならず、仮りに其の如き外形の事例にして存するとするもそれは厳密には或は裁判所の訴訟指揮宜しきを失したか乃至は各弁護人個人の資性が不健全であつたかに因るものであつて決して弁護人数多数のゆへにあらず況んや被告人関知の限りではないのであつて、それにも拘らず其の原由を一に弁護人数の上に求められるというが如きならばそれは裁判所又は弁護人個々の責として問擬せらるべきところを挙げて、無過失の被告人に転嫁するものに外ならぬのである。

六、されば被告人の弁護人数制限の可能は法律に其の規定を存し、而してそれは元来所謂伝家の宝刀として千万回に或は一回も之を抜かざるを得ない程の非常特別の場合がないとも限らないとの立法者の用意に出でて之が設けを為されたものではあつても、実際の面に於ては裁判所に依る弁護人数への干渉は常に同時に被告人の基本的人権にも必然に触れることとなり其の被告人の基本的人権は弁護人に関する制度に遙かに優先するものであること勿論であつて、単に刑事訴訟法に就て言うも其の第一条が同法上の他の一切の条章の根基に横つて之を律している限り元来刑事事件に付ての補充的制度である弁護人制度の中の更に一個の補充的条規に過ぎない同法第三十五条の如きは千万回に一回だに之が発動を容れるの余地がなく其の法律上の一見の可能は結局に於て不可能に帰し当該規定は遂に死文たるべきの運命にあるのである。

七、茲を以て、過去に於て実際裁判上現実に弁護人数の制限処分が行われた事例がないというのも、それは其の処分を必要とする具体的場合が絶無に近く稀有であることにも因るのではあろうが、又一面に於て偶々其の如き場合に当つても之に処する裁判所の良識と解釈とが右同様の結論に到達して賢明にも死文を死文として用いられなかつたことに由来するものであると思考する。

八、然るに、本件に限り本件被告人に対してのみ其の死文を活かして生ける権益を屠るの暴挙を敢てせられたのであつて、それは恰も万人齊しく享有すべき刑罰法令廃止の利益を或特定の一人に付てのみ否定したのと同様であり、殊にそれが恐らく嘗て一例の先蹤もないところに発して空前真に異例の処分として行われたものであるとも言い得る以上は、其の暴挙を其の処分に於て行つた原審はそれに依つて本件被告人に対し其の個人を蔑如し且つ之を訴訟の世界延いては其の他の社会関係に於て顕著に不平等不利益に差別処遇したものに恰当し、此のことは一般の裁判経験と社会の常態に考えて、例えば本件が原裁判所たる富山地方裁判所以外の裁判所に於て審判せられ乃至は本件被告人が国内的地方的著名の又は職業的地位的重要の人物である等の場合に在つて尚且つ斯る処分が殊に客観的理由に依らず且つ其の理由を示されずして行われるというが如きことは想像の絶対に於てあり得ざるものと断すべきに拠つても極めて明白である。

九、更に又、百歩を譲つて、仮りに刑事訴訟法第三十五条の規定が実際に於ても活用を妨げられず従つて弁護人の数を制限するということが概念として之を許され得るものとする。

けれども其の実施の可能は、之が実施を為すことが事件の種類、事案の性質等に考えて十分に条理に適合し、審判に於ける裁判所の立場乃至任務等に省みて訴訟の制度的本旨に背戻せず、殊に之が実施の理由たる特別事情に於て弁護人の多数存在自体が、例えば訴訟の遅延又は審理の妨害となる等のことを以ては足らず必ず被告人の権益保持上不利益となることの客観的に明白な場合にのみ限局せられなけねばならない。

十、何となれば、弁護人数制限の如き異例の処分を条理に反してまで行うことは当然に裁判作用の超過行使として刑事訴訟規則第一条第二項の趣旨と衝突するのあるを免れず、又審判に於て裁判所は原則として第三者的立場を持すべく、それゆへに事件に付事案真相の実体解明を其の第一義的の任務とせられながら之が任務遂行の為めの目的的直接的事項に付てさへ当事者主義の優先下に置かれて稀れにしか職権の発動を行い得ないとせられあるのであるから況や事案の解明そのものとは全然無関係な殊に本来当事者の利益擁護の為めに存し且つ其の随意に任せられある弁護陣容の辺にまで立入つて職権干渉を行うというが如きことは制度の本旨を甚しく混乱せしめ其の種のことにして流行せんか審判過程に職権色を著るしく強めて当事者訴訟の構造を粉砕するに至るの虞が存し更に又、訴訟に於ては裁判所は事案の解明に先行して被告人の権益保障を全うしなければならぬものであり、其の保障は単に公訴の不当攻撃に対してのみ之を全うすれば足るというに止まらず被告人が其の本来個人として憲法上及訴訟法上享有し之を当該訴訟の実際に於て行使し又は行使すべき弁護人使用権及之が行使に伴う利益の如きに付ても亦同様であること言うまでもないのであるから弁護人数が多数に上つても其の多数であることそれ自体が被告人の権益保持に何等か障害となるという特別事情があつてその事情が他からも容易に認められ得るというのでない限りは其の弁護人数はあくまでも之を尊重して通さなけねばならぬのであつてそれを裁判所の訴訟指揮の必要の如きに服せしめめることは手段の為めに目的を犠牲にすることに相当し殊に訴訟に付ては事案の解明の為めにさへも刑事訴訟法第二百九十八条第二項、刑事訴訟規則第二百八条第一項の辺にだけ職権活動を為し得るに止まる裁判所には刑事訴訟法の根本眼目を訴訟指揮の関係で破り得る程の権限が決して与えられてはいない筈であるからである。

十一、そこで、今、本件の場合を特に条理の上から観る。本件は、殺人の重罪事件であつて、斯種事件は一審裁判の機構さへ法律上他の種の通常事件に対すると大いに殊別して必ず三人の裁判官の合議に於てするを要する。

斯る裁判組織への法律の要求は斯種事件の審判には最も慎重を尽くすべしとしたところに基くは勿論であり、従つて其の組織に於ける裁判官の数三人ということは一面に於て少数の偏見を防ぐとすると共に他面に於て衆智の鍾合を期待したものであつて、而して其の衆智に対する期待は素より本則的には裁判所内部に之を向けられたものではあつても、法律の精神上は裁判官の複数ということを標識として広く訴訟関係者に対してもそれに相応する協力型態と能力発揮とを要請したものに外ならぬと理解する。

十二、殊に、衆智というも、本来裁判所側のそれのみを以て足るとは限られないに加えて、其の裁判所は事件に対しては一切の予見を封ぜられながら審理を公判集中主義に則つて為さざるを得ず又其の審理は究局に於て証拠の採否と判断とに帰すするに拘らずそれが資料の蒐集提出には第一次的に当事者主義が採られてある現行刑事訴訟法の下に在つては、事件が如何に重大であつても又其の審判を如何に慎重にすべしとせられても只単に裁判所の機構の完全のみを以てしてはそれに対応する十分な訴訟関係者の合力と俟たないでは到底事件に付誤謬なき実体的発見への到達は不可能なのである。

十三、是に依つて、検察官側に在つては、斯種事件に対処するには他の種の通常事件の場合に比し捜査の当初から一段の熱意と努力とを傾け其の背後に擁する強大な捜査陣容の全的動員下に綿密の捜査機能を可能の最大限に発揮して公訴の準備乃至其の維持を図るのを通例として本件に付ても亦其の通りであつたのである。

十四、そこで、被告人側に在つても、此の検察官側の対事件体勢に拮抗する為めにも能う限りの対訴訟姿形を整えるとすることは勢の当然であつて、殊に被告人としては事件は他人事ではなく直接自分自身の生命の絶対権益にも関するものであり審判にして寸尺を誤らんか永久の禍害に於て恨を呑むの危険に直面して公訴の攻撃に曝らされつつあるのであるから其の被告人としては其の攻撃が無実に加えられる場合は勿論、有罪の自覚に立つて之を受くる場合に在つても防禦に特別入念の用意と手段とを以てして万遺漏なきの最善を致すとすることは人情の自然に於て必至のところに属する。

十五、されば斯種事件に在つて、被告人側の信じて以て訴訟の為めに策定したものが如何に周到夥大であつても又それが弁護陣容に付てであつても、他より之を過ぎたものとすることは被告人に対し汝死ぬべしとの宣告を為すに等しく其の如きは人道の上よりして絶対に許されるところでなく、少くとも憲法上乃至法律上被告人の為めに認められある範囲内の種類のものに付ては被告人は公共の福祉にさへも超越して自由且つ無制限に之を利用し得るのであつて、其の限りに於ては弁護陣容の如きの辺には仮令裁判所と雖も又憲法以外の法令に如何なる規定があるとも之に干渉を加え得るの余地は全く存しないのである。

十六、而して、凡そ斯種事件の審判は殆ど総べての場合被告人に対する身体拘束裡に進められ従つて被告人としてはそれが自分自身の事件に係る審判にあるに拘らず自ら利益の証拠の類を探索する等の実質的対訴訟手段さへも事実として抑制せられたままに而も全体的な検察官と個体的に且つ訴訟の案内不案内、法廷行動の熟練と未熟に於て本来的な不利益制約下に之を行われるのであるから、当事者主義、弁論主義の手続構造に於ては其の構造が本来被告人保護の為めのものであるに拘らず実際には被告人は防禦に多く消極に居らされそれだけ不利な立場を忍ばされるのを免れないのであり、其の被告人に付之が手足を補い事件対策を案じて之を実行し其の他利益の擁護に任ずる者は成法上弁護人以外にはないのであるから、被告人側の訴訟姿形に関してはせめて弁護人の数の上にだけでも被告人の必要とするところを自由に満たさしめ、それら各弁護人をして亦それぞれの能力を尽くし法律上可能の全手段を挙げて弁護活動を行わしむとすることは条理に合し殊に人情に適し結局に於て訴訟の進行と事案の解明とを速からしめて法律が一審裁判官の数さへ三人を要すとした制度の趣旨にも沿うことになるのである。

十七、以上にも拘らず本件に於て原審は斯る看易きの条理を無視して叙上の如く被告人に対し其の訴訟上の人格的取扱に於て違憲不法且つ異例の不利益的処遇を行い而も其の直後に当該処分の原裁判所として前陳二人の抗告人より各抗告申立書の差出を受けた際に其の不利益処遇を是正するに十分な機会を得ながら之が是正を為さず因て被告人の基本的人権の保障を全うすることのないままに処分後判決宣告に至るまでの諸多の訴訟手続全部を続行したのであるから、それら訴訟手続は総べて刑事訴訟法第一条に違反した無効のものであること全く疑なきに於て原判決は更に此の点に於ても判決に影響すること明かな法令の違反が存するものとして当然に破棄せらるべきものと信ずる。

第二点事実の誤認

一、本件の事件は、其の被告人が、年齢未だ青きに加えて、智力乏しく世故に馴れず平素より狂譟の気風あつたにもあらず要するに只可憐というの外なき罔々乎たる農家の一女性であり、其の事案は斯る女性が殺人の如き重罪を、而も自己が初めて産んだ生後僅かに八ケ月の愛児に対し母子の情に背いて春遅き北陸の地の寒冷尚四月の交に際して択ぶに之を水中に投ずるの残虐手段を以てして犯したというにあつて、事件そのものの一見に於て既にして人情上甚しい不自然感ある世間的にも容易に納得せられ難い稀有にして奇異な相貌を存するものであつたのである。

二、従つて、公判に於ける之が事案に付ての真相の解明には裁判所も当事者も斯る事件の具体的、特殊的外貌に即しても特段に慎重な態度と用心とに於て之に当ることを要し、殊に裁判所としては事件に付一切予断の如きを持すことなきよう最も努め、事案自体の事実が先ず直接且つ適切の証拠に依つて明確にせられた後でなければ単なる情況又は被告人の自供の如きの類のみに根拠しては有罪の認定は之を行うの限りにあらず、仮令それら第二義的のもののみを採るとしても尚且つ其の犯行は万人を首肯せしむるに足るだけの動機に由つたものか否か乃至は被告人の精神的欠陥の如きに因るものではないか否か等の辺に亘り又殊に当該事案の外形に現われた被害者の死亡現象は或は過失に因つて「死に致」すことに依つても生ずる場合があり、或は最初は不注意に由つて水中に落した者を故意に出でて救助の義務を尽さないで「殺す」の不純正不作為に依つても生ぜしめ得るものでもあるから、其の辺の主観的要件の機微、所為の手段的所在等にも触れて詳細調査を遂げた上に於てしなけねばならなかつたものであることは事理明白である。

三、それにも拘らず原審は本件審判を其の慎重の態度と用心とに於てせず、検察官側より公判の最初に多分に証拠法上の順序に違反して提出せられた且つ単にそれのみを以てしては被告人の犯行を直接には絶対に証明不可能な而も其の価値を最大限度に見ても精々犯行の動機又は結果の辺のみに付被告人に利益でない説明資料としての情況を示すに止まる程度の殊にそれを公判の初めに提出することに依つて裁判官に事件に付予断を生ぜしむることの必至な証拠の提出があつたことに因つて果然裁判所は当時にあつては未だ事件に付ては公訴に係る犯罪事実は独り訴追機関の主観に於てのみ存在したに過ぎなかつたところを其のまま裁判官の予断として懐くに至り、それゆへにこそそれら事案の実体そのものには多く無関係な、言わば犯罪事実自体の情況説明にも値しない証拠類、又殊に被害者の死因が他殺であることを科学的に明かにし得る証拠さへ未だ提出もない間に被告人の自白書面の如きに付て証拠調を行つた上、右予断と其の違法の手続に依つて提出取調の行われた証拠能力のない且つ犯罪事実に関しては実質的にも直接の証拠価値を認め難い若は他の客観的証拠と相俟つてのみ証拠価値を生ずべき資料とのみに主として基いて被告人に対し有罪の事実認定を為した形跡が一件記録上極めて顕著に存するのである。

四、斯の如きは公平な裁判所に依つて且つ其の裁判所を構成した各裁判官の法律のみに依る拘束下に良心に従い独立して行われた審判活動とは言い難く其の如き違憲不法の作用に於て為された原判決は絶対に社会乃至国民の信頼を得難くそれだけの理由に依つても判決に影響を及ぼすことが明かな事実の誤認があると断じて誤がないのであるが、原審の審理には実質的にも例えば、1、被告人は妙齢の且つ婚嫁後年月浅き女性であるのに犯行の動因として或は存したかも知れない、被告人の身体乃至精神上の異常的生理現象其の他の変調の有無の調査、婚家に於ける生活不満、愛児に対する母子感情上の欠陥等の有無の辺を最も敏感正確に知る筈の実母(入井キヨ)の取調、2、被害者と目されある者は被告人と其の夫中川清間の愛児であるから被告人に於て真に之を殺害したとせば少くとも其の後の夫に対する態度に於て機微の間に犯行の証左と見らるべきものを現わすことがあつたかも知れないのに其の辺の、殊に未決拘禁中に夫から同意を求められた離婚届の始末の如きに付ての取調、3、被害者を投込んだものとせられある中川滋次郎方裏用水の幅、水深、両岸及水底乃至其の之を投込んだとせられある場所から死体の発見せられた大久保用水に至るまでの間にある二箇所の各直角曲折等の状況と被害者の裸形に於て存した体重六、〇五瓩に被害時の着衣を合した重量(記録上不明)とに考えて絶対に百四米もの間を其の生体又は死体が流れる筈がないと思料せられ現に司法警察員に依る実況見分及裁判所に依る検証に依るに於ても右重量より軽かつたことの確実な材片又は人形でさへ各二回宛手で押さなければ之が流れ切らなかつたに拘らず其の物体の流下という自然現象を自然現象のままでする観察に付ての取調、4、犯行時間の認定上不可欠な雨中の地上に落されあつたという「おしめ」の発見当時の濡れ具合、法医学上の一般に於て生存者が溺死するに至るまでの所要時間等に付ての取調、5、被告人に予て被告人が他人に対し家庭生活の不満等を漏らしたことがある等の不利益情況があつたとすれば近隣者の中にも平素被告人方一家と不仲であつた上に被告人自白の由を聞いて安心した旨を漏らした者がある等のことが存するに依つて仮りに被害者の死亡が殺害に因るものであつても其の所為者は人違ではないかと疑へば疑い得べき情況も見受けられるのに其の辺の取調等を行うべくして行わなかつたのは審理不尽の譏を免れず其の審理不尽の存することに依つても原判決は亦判決に影響を及ぼすことが明かな事実の誤認に於てせられたものと為すに十分である。

五、乃て原判決は破棄せらるべきものであり少くとも控訴審に於て右原審の遺漏した各事実点其の他に付調査取調の必要あること極めて明瞭である。

附記 本控訴趣意書には原審の為した弁護人制限決定に対する入井秀三外一名より為した各抗告事件に於ける各抗告申立書に於て抗告人等が各主張した事実乃至事項は総て之を援用する。

尚、被告人の自白書面類に付ては其の任意性乃至事実性に付多くの疑問を存するのであるが詳説の時間的余裕がないのと貴審に於ける事実調査ある場合に其の機会に之を明瞭ならしめ得るものと考え本趣意書には其の記述を省略する。

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