名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(う)618号 判決
原判決は挙示の証拠を綜合し、「被告人は、昭和二十六年十月二十六日武生市N町美容師S子方で、福井県美容協同組合の推薦によつて、昭和二十六年度美容師実地試験委員に嘱託されたA子を辞退させる交渉をするに当り、S子外数名に対し、「A子は売淫行為をしている。こんな人を委員にするのは不都合だから辞めさせてもらいたい」旨申向けて、公然事実を摘示し、右A子の名誉を毀損したものである。」旨の事実を認定し、該事実に法令を適用して、被告人を罰金弐万円に処する旨の判決を言渡したものであることが記録に依つて明かである。
仍て、其の当否を案ずるに、(中略)
(一)福井県には、美容業者をもつて組織する同業組合として、福井県美容商業協同組合(以下甲組合と略称す。)及び福井県美容協同組合(以下乙組合と略称す。)なる二個の組合が存在して居たこと、(二)福井県衛生部医務課に於ては、美容業者たらんとする者に対し、毎年、学術及び実地の試験を行い、学術試験終了後、実地試験を施行するに際しては、これ等両組合より推薦する者をそれぞれ試験委員として嘱託する例になつていたこと、(三)昭和二十六年十月二十二日頃福井県は、甲組合の推薦に係るB子外一名及び乙組合の推薦に係るA子を、それぞれ同年度に於ける美容師実地試験委員として嘱託したこと、(四)同年十月二十三日頃右B子は、同県衛生部医務課員中村末吉に対し、試験委員となることを辞退したい旨申出で、其の理由を質された際、A子は業者として経験が浅く、其の技術は未熟であるのみならず、同人には、売淫行為の仲介をしているとの風説もあり、試験委員として斯る者と席を同じうするを潔しとしない旨告げたこと、(五)福井県当局者は、既に発令した後のことでもあり、諸般の事情を考慮した結果、乙組合の幹部を招致し、これ等の者に対しA子をして試験委員たることを辞退せしめると共に、改めて適当な候補者を推薦する様勧告したが、その際B子の申入れ内容を乙組合幹部に対し不用意に漏洩したこと、(六)甲、乙両組合は、平素より感情的に対立する傾向があり、県当局者の前記の如き勧告は、却つて、乙組合幹部並にA子の、甲組合幹部殊にB子に対する反感を挑発するに至つたものであつたことを各認定するに足り、さらに、(中略)
(一)同月二十六日B子が被告人方に来り、乙組合の幹部に対し、A子をして試験委員たることを辞退せしめると共に、事態を円満に収拾して呉れる様その交渉方を依頼したこと(二)甲、乙いずれの組合に於ても、組合員は婦人であるため、組合の事務的な問題については、夫其の他の男子が、組合員である婦人に代つて、これを処理する場合が多かつたこと、(三)いずれも甲組合員である妻に代つて、被告人及び河端博が、乙組合の幹部若しくは幹部に代つて事務を処理する者と、前記の問題について交渉を遂げる任務を引受けたこと、(四)同日被告人と河端博は乙組合の理事長であるS子方に赴き、同所に於ていずれも乙組合の幹部若しくはこれに代つて事務を処理する者であるS子、嵯峨義雄、嵯峨猛、吉田西等と面会したこと、(五)該席上被告人はこれ等の者に対し、A子をして試験委員たることを自発的に辞退せしめると共に、これに代えて他に適当な人を推薦せられ度き旨懇請し、其の理由を反問されるに及んで、「B子が被告人方に来て、A子は経験年数が浅いのみならず、売淫行為をしていると言う風評もあると言うことを理由に、A子が試験委員となるならば、自分は委員を辞退したいと言つて居るので、売淫行為云々と言うことについては、自分は本当とは思わないが、兎も角そのことで使いに来たものである。」旨語つたものであつたこと、(六)A子は其の後同所に来り、被告人の発言内容を直接聞知したものではなかつたこと、(七)かねて福井県衛生部の勧告があつて以来、此の事あるを予期していた乙組合の幹部(若しくはその事務代行者)は、憤激の余り被告人の発言を最後迄冷静に聴取することなく、敍上売淫行為云々の一語を取上げ直ちに被告人の言辞をもつて「被告人はA子は売淫行為をして居る。」と断言したものと誤解し、被告人の所為は、A子の名誉を毀損したものなりとして、遂に本件告訴に及んだものであつたことを各肯認するに十分である。(中略)
そうして見れば被告人の所為は、A子の素行に関する風評を肯定する趣旨でなかつたことは勿論、間接の表現方法を用いてこれを暗示するものでもなく、却つて、これを否定する趣旨の下に為されたものであることが明白であるから、たとえ其の言辞中に、売淫行為なる語句が挿入されて居たとしても、これによつて名誉毀損の罪に触れるものではない。右認定に反して事実を認定した原判決は、審理を尽さず証拠の価値判断を誤つて事実を誤認したものであり、其の誤りは判決に影響するから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。