大判例

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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和28年(う)230号 判決

当裁判所は検察官の控訴論旨並に原判決を熟読した上記録に現われている全証拠に検討を加え、次の通りの判断に到達した。

第二

二、被告人の司法警察員並に検察官に対する自白調書、

(イ)、真実性(省略)

(ロ)、任意性

原判決はその無罪理由三において被告人の供述調書における自白の任意性を否定する為め多数の紙葉を費しているけれども、帰するところその要点は当初否認していた被告人は一旦警察職員に自白したが検察官に対しては再び否認の態度を示し三転して自白に復帰した捜査過程における経過並に原審公判廷における証人に出廷した警察員間所治左工門、笠松等、中村嘉十郎三名の供述態度と取調に当り同人らの暴行脅迫を受けたと主張する被告人の糺問の態度とを比較し「後者が極めて大胆率直でその受けた不当な取調をこの際徹底的に糺弾せねばやまぬという、真摯にして旺盛な気慨に満ち堂々たるものであつたのに反し、前者においては動もすると、取調の経過方法を詳細開陳することを回避するような態度に出で当然知つている筈と思われる事項についてもその場逃れの返答をした場合が多かつた」ことに鑑み被告人の自白は任意性を有しないということにある。しかし、一般事件の被疑者が捜査の段階において、犯罪事実を否認した後自白し、又は自白した後否認しその供述を二、三にすることは通例見られるところであり、殊にこれを捜査の段階と公判の段階とに分つて見るときは益々其の傾向は顕著であつて、近来公判に繋属する事件の被告人が捜査段階における自白を覆す供述を行う事はむしろ原則ともいわれる状況である。この場合において、これらの被告人の捜査官に対する自白を凡て強制による不任意の自白と認めなければならない理由はない。同様に同一の捜査階梯において、ある時には否認し、他の時には自白しその供述の態度に変化が起つたところでその変化を強制に基くものと断ずべき理由はない。被告人心理は犯罪の悔悟と自己保存の本能との間、及び理性と感情と真実と虚偽の間を彷徨し動揺する孤児の如きものである。善根と理性に立ち返つて真実を語り、利己の慾望に繋れるときに虚偽を述ぶるは人間自然の数理である。故に本件被告人の自白が強制に基くものであるか否かは単に被告人の犯行に対する供述の動揺することや、公判廷における証人としての警察官に対し被告人の執つた態度の「堂々たる勇敢さ」をもつて決すべきではなく、其の自白内容の真実に適するかどうか、被告人の性格並に人物はどうであるか、被告人が何う云う動機で自白するに至つたかなどの具体的事情を証拠に照らして観察することによつて決すべきである。しかるに原審は其の取調た諸般の証拠を十分に検討して被告人の自白内容の真実性を発見する努力を傾けた形迹がない上に既に触れた被告人の激越で特異な性格と窃盗を行うような低級な性癖の示す卑屈で虚構に満ちた人格に目を蔽い前記のような判断の下にその自白調書の任意性を否定したのは不当である。しかして当裁判所は原審の取調べた前記警察員笠松等及び間所治左エ門を再度証人として取調べたところ、被告人の主張する暴行恐迫の事実を否定する同証人らに対し、立会の被告人の追及には何ら原審の観察したような「大胆率直で真摯にして旺盛な気慨に満ち堂々たる」様子がなかたばかりでなく、間所証人によつて、被告人が最初に同証人に自白した動機に関する詳細な陳述を得ることができたのであるが、これによれば被告人は前記製氷会社前の流水に手を洗つた事実の釈明を追求せられ終に犯行を自白するに至つたものであつて、この自白の経路は人間の理性と吾人の経験則に照らし極めて自然の事理に属し何ら強制の観念を容れる余地のないものである。更に同証人二名と被告人立会の下にかねて当審に対し検察官より取調を請求せられていた昭和二十六年十一月二日午後八時五十分より同九時五十分までの間に行われた間所治左エ門の取調に対する被告人の自白の供述状況を採取した録音テープを放送したところ、犯行事実を詳細に供述して行く被告人の音声は頗る穏かに落着いて聴取されたのであつて、右録音は被告人の最初の自白があつた同日の夜、改めて被告人を尋問するに当り、被告人に感知せしめないで施した録音装置によつて採取されたものであるから、その自白の任意性に関する証拠価値は頗る高いものと考えられるのである。そしてこの放送の間の被告人の様子を窺うに椅子に座したまゝ時折面貌を両手に抑え身悶えする風を示したのである。

以上諸般の情況に照らし当裁判所は被告人の自白調書の任意性を認容すべきものと判断する。

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