名古屋高等裁判所金沢支部 昭和29年(う)185号 判決
原判決挙示の証拠に依り、原判示の事実、すなわち、被告人が、青葉興業株式会社の木材搬出作業中発生した災害につき、労働基準監督官たる自己の職権に依り、事故並に労災保険関係事項を必要な限度に明確ならしめる目的を以て実地調査中、原判示の日原判示の場所に於て、右会社の専務取締役横田茂から、「調査の施行に当つては矢釜しいことを言わず、速やかに災害補償金の給付を見るよう、便宜な取計らいをして欲しい。」旨請託されてこれを承諾し、其の謝礼として、前記職務に関し贈与されるものであることを知りながら、同会社使用人大角伝一を介し、現金壱万円を受領し、もつて、賄賂を収受したものであることを肯認するに十分である。いやしくも公務員がその職務に関し、賄賂を収受するに於ては、当該公務員の措置に、何等不正不当の点なしとするも、なお、これによつて、賄賂罪の成立するを妨げないこと、勿論であるから、仮令、調査並に其の復命に関する被告人の行為に、格別自己の職責に背き任務を全うしなかつたような点が見当らないとしても、これによつて犯罪の成否を左右するを得ない。また、刑法第百九十七条第一項后段に所謂「請託」とは、公務員に対し、其の職務に関し、公務員の忠実義務に違背する何等かの挙措を要請する、一切の行為を汎称し、敢て公務員に対し、其の為し得べき事項を、具体的に指示嘱託するを要しないと解すべきであるから、仮令要請の趣旨が、帰着するところ、寛大の処分、便宜の取扱を望むに過ぎないとしても、斯る要請もまた、法理上、前記法条に定める「請託」に、該当すると言わざるを得ず、従つて、これを承諾して金員を受領した被告人の行為は、同条に言う処の「請託を受け」たものに該当すると認めざるを得ない。かかる犯罪を実務上如何に取扱うべきやの問題は、叙上法理論とは自ら別個の問題である、さらに、証拠に依れば、所論の通り、被告人には、事実を調査し、復命書を作成する権限があるに止まり、事実を認定し、これに基いて、保険給付に関する行政処分を為すべき権限がないことを認め得るけれども、しかしながら、およそ賄賂罪は、最終的な決定権を有しない公務員の職務についても、その成立を見るべきものであることは、法令の解釈上疑を容れないところであり、従つて、仮令、事案を最終的に処理する権限は、上司にあつて、被告人になしとするも、調査事務の施行中その職務に関し、賄賂を収受した被告人の所為は、刑法第百九十七条に牴触するを免れない。なお、弁護人は、被告人は請託を容れたものでない。」旨主張し、且、証拠を検討すれば、被告人より贈賄者に対し、請託を聴許する旨の意思を、積極的に明示した事実は、これを肯認するに至らないこと、所論の通りであるけれども、しかしながら、証拠によつて肯認し得る調査事務遂行中の受饗応行為、金員の受領に関する行為、その前後に於ける被告人の態度を綜合すれば、職務行為に不正ありや否やはさておき、少くとも被告人は暗黙の裡に、贈賄者の要請を容れる旨の意思表示をしたものと認めるの外なく、従つて前段に於て既に判示した通りの結論に到達せざるを得ないことを、特に此処に附言して置く。そうして見れば原判決には事実の誤認、法令違背、理由不備が存しないから、これ等の点に関する被告人、弁護人の論旨は総て其の理由がない。
(裁判長判事 水上尚信 判事 成智寿朗 判事 沢田哲夫)