名古屋高等裁判所金沢支部 昭和30年(う)126号 判決
弁護人並に被告人は「被告人の捜査官憲に対する自白は、強要、誘導、暴行、脅迫に基くものであつて、任意性を缺如するものである。」旨主張するけれども、しかしながら、記録を精査しても、被告人の原審並に当審に於ける弁疏を除けば、他に所論事実を肯定せしめるに足る資料の存在を見出し難く、他方、原審第二十一回公判調書中証人蔦外二の供述記載、同第三十二回公判調書中証人千田敏雄、同浅野四朗、同蔦外二、同森重雄の各供述記載、同第三十三回公判調書中証人越村勇の供述記載、当審第二回公判調書中証人森重雄の供述記載等にこれを徴すれば、被告人の右弁疏は、にわかに措信し得ないものであることを、認め得るのみならず、さらに進んで被告人の供述内容を検討すれば、被告人の自白に依つて認め得る前後の状況は、他の証拠に依つて認め得る諸般の状況と、その重要な部分に於て、よく符合し又は照応し、体験者の任意な自白によらなければ到底供述し得ないと認められる事項に迄及んで居り、其の任意に事実を吐露したものであることを看取するに十分である。(もとより供述の真実性と任意性とは、別個の問題であるけれども、特別の事情がない限り、供述内容の合理性より、その両者を同時に抽出することは可能であると考える。)被告人の自白の真実性が、他の証拠に依つて担保されている顕著な例を此処に挙示するならば、(一)被告人に対する司法警察員作成第九回供述調書、被告人に対する検察官作成第四回、第八回、第十回各供述調書の記載中、本件犯行現場に到る途中に於て、被告人と遭遇した数名の通行人の姿に関する供述部分は、前掲原審第四回公判調書中証人北出洋子、同中林英子の各供述記載、証人山上みかに対する原審証人尋問調書の供述記載、沖谷県治に対する検察官作成の供述調書の記載、証人宮野(旧姓中林)英子並に同沖谷県治に対する当審各証人尋問調書の供述記載等に依つてよく裏付けられて居り、(二)被告人に対する司法警察員作成第五回、第六回、第九回各供述調書、被告人に対する検察官作成第四回、第八回各供述調書中、被害者に対する暴行、傷害、姦淫、殺害等の手段、方法、行為の態様に関する供述部分は、前掲安田信行作成の各鑑定書、中田尚及び井上剛の共同作成に係る鑑定書、井上剛の作成に係る鑑定書、司法警察員作成に係る検証調書の各記載、押収に係る人絹腰巻(証第七十五号)同切り端(証第七十六号)の各存在及び当審に於て顕出された大村得三の作成に係る鑑定書の記載などに依つて、よく裏付けられていることを、それぞれ指摘することが出来る。被告人の自白中に、取調の回数を重ねるに従つて、若干の変更又は追加を加えた部分が存することは、まことに所論の通りであるけれども、それ等の浮動部分は、いずれも重要な事項に亘るものでなく、仮令被告人の自白にその様な部分があるからと言つて、その故を以て被告人の供述の全体を、悉く虚構であるとなすべきでない。思うに、何人と雖も過去に於ける自己の体験を再現しようとする場合、再現しようとする努力を反覆するにつれ、該再現内容は、次第に粗より精に移行すると考えられるから、仮令被告人の供述に所論のような浮動があつても、何等これを異とすべきでない。弁護人は「司法警察員は見取図を机上の見え易い位置に拡げ、該図面の記載と符合するよう、被告人の供述を誘導、歪曲した。」旨主張するけれども、この点に関する被告人の弁疏の措信し難いことは、既述の通りであるのみならず、前掲蔦外二、森重雄等の供述に依れば、司法警察員が所論のような方法で取調を行つた事実は、全くなかつたことを認めるに足る。
弁護人は「司法警察員は昭和二十七年十一月二十五日午前九時頃より翌二十六日午前七時頃迄、夜を徹して長時間の取調を行い、被告人に対し自白を強要した。」旨主張し、また、記録によれば、司法警察員が所論の日時被告人に対し、断続的ではあつたが、夜を徹して取調を行つた事実を、必ずしも窺知し得ない訳でないけれども、しかしながら前顕蔦外二、森重雄等の各供述にこれを徴すれば、司法警察員が斯る取調方法を採用した所以のものは、次のような事情に基いた結果であつたことを認め得る。すなわち被告人は昭和二十七年十一月二十五日午後九時頃より、はじめて本件犯行について自白をしはじめたのであるが、調書を作成する時間を含めると、取調が相当深更に及ぶことを予測し得たので、係官より被告人に対し、一旦休養の上、明朝取調を続行すべきや否やを問うたところ、今夜中に全部を自白して仕舞つた方が、気分も楽になるから、是非共今夜中に調書の作成を完了して欲しいとの希望であつたので、被告人の意思に従い、なお、二十六日には取調を行わず、調書完成次第、引続き一日を休養させることとし、その結果、夜を徹して取調を行い、取調終了後一日の休養を与えたものであり、また、十一月二十五日午前九時頃より取調をはじめたとは言うものの、取調中に屡々休息時間を与えて居り、所論のように長時間継続して取調を行い、自白を強要したような事実は、いずれも存在しなかつたものである。以上のような事情が認められるのであるが、そうして見れば、司法警察員の叙上の措置は、被告人の自由な意思に副つた方法を採用したものであり、所論のように被告人の人権を侵害したものではないから、これを目して違法、不当の措置であると言うべきでない。
(裁判長裁判官 高城運七 裁判官 沢田哲夫 裁判官 至勢忠一)