名古屋高等裁判所金沢支部 昭和32年(う)232号 判決
判決理由〔抄録〕
しかしながら、原判決挙示の各証拠を綜合すれば、原判示の事実すなわち、「被告人は原判示日時原判示大型観光バスを運転し、多数の遊覧客を乗車せしめて、原判示の(場所峻嶮な断崖に直面し、断崖に沿って柵又は垣など保安の設備もなく、前後にカーブの個所多く、幅員の広狭も一様でなく、舗装もしてない脆弱な道路上)に差蒐ったが、運転手たる者が此の様な危険な場所を、しかも大型の重い車を操縦して通行するに際しては、たえず前方を注視して道路の広狭及び曲折を確認し、車輪が道路から外れたり、路端の崩壊に依って車輛が傾いたりしないように、路端より適当な間隔を置いて進行し、また、危険の発生した場合には何時でも急停車し得るよう、徐行すべき業務上の注意義務を負担しているにも拘らず、前方を十分に注視せず、従って車輪が崖際すれすれの個所を通行しているのに気付かず、しかも漫然約二十粁の時速を以て進行を継続した過失に因り、遂に右側前車輪を道路右端の脆弱な個所にめり込ませ、狼狽して急遽把手を左に切ったが及ばず、車体の右側に加わった重量で、路端すれすれの位置にあった右側後車輪の下の土砂を崩壊させ、車体を道路の下方約八十三米の山裾に転落大破せしめ、原判示の通り四十数名を死傷するに至らしめたものである。」ことを肯認するに十分である。弁護人は「本件は道路に隠れた瑕疵が存在し、路端が崩壊したことより発生したものであって、所謂不可抗力に起因し、道路管理者の責任を問うは格別、運転手たる被告人に対し、その責めを負わしむべきでない。」旨主張し、また、論旨援用の資料によれば、本件現場に於ける道路の管理は、決して十分でなく、殊に、保安の設備に至っては、全くこれを欠いていたことを認め得ない訳でないけれども、しかしながら、原判決挙示の各証拠、殊に司法警察員作成昭和三十一年九月十日付検証調書の記載、検察官作成同月十二日付及び同年十月二十日付各実況見分調書の記載、原審検証調書の記載、鑑定人岡田俊雄、同飯田六百の各作成に係る鑑定書の各記載等に徴すれば、被告人が前記注意義務の履行に忠実であって、路端より適当な間隔を置いて徐行したならば、斯る事故は発生しなかったであろうし、そのような措置をとることは、決して不可能でなかったと認められるから、前記の論旨はその理由がない。自動車がカーブを曲る際には、衝突、接触の危険を避けるため、外側を大廻りすべきであることは、所論のとおりであるが、それだからと言って、自動車を道路より顛落する危険に瀕せしめても、止むを得ないと言うことにはならない。しかも、本件の現場は、所論のように外側の大廻りをしなければならぬ個所でないことは、前顕の各証拠に依って明白であるから、この点に関する論旨も採用するを得ない。相当の速度で進行し来った自動車が急激に停車した場合、瞬間的に路面に重圧を加え、道路を崩壊させる虞れのあることは、所論の通りであるが、それ故に徐行すれば常に却って危険であるとの論旨に至っては、前段の所論より著しく飛躍するものであるのみならず、且、吾人の経験にも反するものであって、到底首肯するを得ない。原判決が、車輛の重量に関し、若干の誤謬を犯していることは所論の通りであって、前示各鑑定書の記載に依れば、車輛重量は七屯余、乗客、搭載品の重量を合計した総重量が十屯余であると認められるのに、原判決は、車輛重量を十屯余とし、乗客、搭載品の重量をこれに加算すればなお相当の重量となる旨判示しているのは、その限度に於て、事実を誤認しているものであると言わざるを得ないけれども、要するに原審の説示しようとする点は、原判示大型観光バスが、相当に重いものであると云うことに過ぎず、此の程度の誤認は、判決に影響しないから、この点に関する論旨も理由がない。そうして見れば原判決に事実の誤認ありとする論旨は、すべてその理由なしとして、これを排斥しなければならぬ。