名古屋高等裁判所金沢支部 昭和42年(行ケ)1号 判決 1968年5月31日
原告 岩崎一馬
被告 福井県選挙管理委員会
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告訴訟代理人は、
(1) 被告が、昭和四二年八月一八日付でなした、昭和四二年四月二八日執行の大飯町議会議員一般選挙の当選の効力に関する審査申立を棄却する旨の裁決は、これを取消す。
(2) 前項の選挙における松宮仁平の当選を無効とする。
(3) 訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決を求め、
二、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二、当事者双方の主張
一、原告訴訟代理人は、つぎのようにのべた。
(一)1、原告は、昭和四二年四月二八日施行の福井県大飯郡大飯町議会議員一般選挙の選挙人である。
2、右選挙について即日開票の結果、選挙会は、同日、立候補者の訴外松宮仁平が一三一・一四五票を得た者として最下位当選を決定し、その後その旨告示した。
そこで、原告は、昭和四二年五月六日大飯町選挙管理委員会(以下町選管という)に対して異議の申立をしたところ、同選管は、同年六月二日右申立棄却の決定をなし、同月三、四日頃右決定書が原告に送達された。そこで、原告は、同月一一日被告に対し、審査申立をしたが、同年八月一八日申立棄却の裁決があつた。
3、しかし、訴外松宮仁平を当選者と認めた前記裁決は、つぎに述べる如く、公職選挙法の規定に違反し、しかも選挙の結果に異同を及ぼすことが明白であるから、同裁決を取消し、右訴外人の当選を無効とすべきである。
(二)1、訴外松宮仁平の得票のうちには、「ニヘ」と記載されたもの一票、「仁平」と記載されたもの三票、「仕平」と記載されたもの一票が含まれていた。
しかし、右投票のうち、少くとも「ニヘ」と記載された一票は、右選挙において立候補し、一九七・五三票を得て当選者となつた訴外山本義夫の得票に按分すべきものである。
2、即ち訴外山本義夫の家は、父銀蔵が大飯郡大飯町岡安より同町笹谷に移住して以来、代々仁兵衛または仁平(いずれも「ニヘ」または「ニヘー」と呼称し、仮名で表すときは「にへ」または「にへい」)の屋号を称しており、右山本義夫は、山本仁兵衛または山本仁平の屋号にて笹谷区内の各種の寄附をなしているほか、葬儀その他の儀札上の交際においても右屋号を用い、また菩提寺である同町岡安の実相寺保管の過去帳にも山本仁兵衛と記載されている。また笹谷区の関係書類にも同様の記載があり、同人宛の郵便物のうちにも、山本にへいと記載されたものが応々存在していた。なお最近では、仁兵衛よりも仁平と記載するのが普通であつた。
3、右山本義夫の仁平または仁兵衛なる屋号は、本件選挙の開票区である大飯町、ことに同町内の旧佐分利村の区域(以下佐分利地区という)において広く知れ渡つていた。この点に関する被告の審査手続における証人抽出方法は不合理であり、また結果の集計に誤算があつてその認定は不当である。即ち右証人決定は、当該地区の選挙人数に比例し、抽せんにより無作為抽出を行つたものと思われるが、実際に取調べの行われた証人中、右山本義夫の住所がある笹谷部落を包含する佐分利地区から出た証人数は、その地区の有権者数に比例した適正証人数を下廻つている(別表1のとおり)ばかりでなく、右各証言内容を集計してみると、知名度及び通称度の数値に誤りがあり、右山本義夫の屋号を知つている者の比率は、被告の集計結果を上廻つている(別表2のとおり)。
4、右別表2記載の通称度(五九%)をもつても、公職選挙法第六八条に所謂「候補者の氏名」とみるに充分である。元来議会議員選挙においては、事実上所謂固定した地盤があつて選挙区一円から遍く得票することは殆んどなく、また無名の新人の立候補もあるのであるから、戸籍名以外の名称についてのみ通用度の一円性、一般性を要求する理由はない。要するに、戸籍名とその他の称号との差は、特定個人の称号が国家的に公証されているか否かにあり、汎称性を本質としない。判例及び行政実例が該称号の通用範囲及びその密度を問題にしているのは、該称号の社会的実在の認識根拠としてであつて、選挙区一円に一般的に知られていることを必要とするなどの基準を立てている訳ではなく、その他諸般の事情に基いて総合認定をしているのである(昭和二六年一一月六日名古屋高判、昭和三五年三月二四日高松高判、昭和三一年一月二一日高松高判参照、なお被告主張の昭和二二年三月一四日付、同年四月四日付、各地方局長回答及び昭和二五年三月三〇日全選局長回答はいずれも昭和二七年法律第三〇七号による公職選挙法改正前のものであるから、右改正により同法第六八条の二が加えられ、同条項が適用される本件には適切ではない。)。
5、また本件屋号の前記通称度によれば、選挙人一般に対し、その氏名と同等の通用力があると解することができ、従つて、前記「ニヘ」と記載した投票については公職選挙法第六八条の二を適用し、競合候補者と按分すべきである。即ち右法条を屋号に適用するには、松宮仁平候補については本郷地区、山本義夫候補については佐分利地区における前記別表2記載程度の通用度をもつて足るものである。
ことに大飯町一帯においては、古くから各家に屋号があり、現在においても、戸籍上の氏名と併せて、右屋号が特定個人の称号として使用される慣習があつて、住民の意に識深く根を下している。そして右屋号は、屋号披露により、地区住民に公証されてきており、現在でも形骸化の傾向はない。
就中本件選挙の立会人が「ヤエモン」「ヒコザ」「ゴヘ」「カエモン」の各屋号票をそれぞれの得票とすることに何等異議をのべず、また本件五票の処理についても、役場職員は、按分票として立会人の点検に廻し、七、八人位の立会人が何等異議をのべず、按分に賛成していた事実があるのである(本件係争となつたのは、開票の際松宮仁平候補届出の立会人訴外田中進が右按分に異議を述べ、紛糾の末、役場職員から「開票区一円云々」の公権的解釈の説示が行われたため、その余の立会人もこれに幻惑され、これ等立会人の賛否に依拠して、開票管理者が、按分を行わず、松宮仁平候補の得票と決定したことに始まる。)。以上の如き大飯町一帯の屋号制の慣習法的効力に基づき、本件「ニヘ」の投票については同法第六八条の二を適用すべきである。
6、なお、同法第六八条の二を通称に適用する場合には、選挙人一般に対し、氏名と同等の通用力を要するとの見解があるが、これは、理論的にも実際的にも理由がない。即ち判例等が通称の通用力を問題にするのは、その実在性を帰納するために過ぎず、右の如き要件を設定することは、同条の適用について特に要件を加重することになる。右は、按分相手候補との不公平な結果を是正し、同条の適用を慎重にしようとする配慮からとも思われるが、しかしながら、同条の適用によつて、どちらに如何なる不公平が生ずるかを考慮することは、投票の効力判定に、元来不可能な票読み的推理を許すこととなり、通称票を一旦は有効票としながら、同条の適用に至り、その通用力によつて選挙人の意思を推測し、結果が妥当か否かを判定してから意思擬制の同条の適用を許すという循環論に陥り、同条の趣旨を没却するものである。結局、競合する称号、即ち本件では、山本義夫の屋号と松宮仁平の名との通用力を比較する限度において、屋号の通用力を必要とすると解すべきである。而して吾人が他人を呼称するとき、氏乃至氏名をもつてするのが一般であり、名のみをもつて呼称するのは近親等極く親しい者相互間に限られる。本件屋号は、部落民に公証され、部落内社会諸般の場合に使用されているから、本件においては、松宮候補の名(ゲマインシヤフト的称号といい得る)である仁平よりも、山本候補の屋号(氏と同視され、ゲゼルシヤフト的称号といい得る)である仁平又は仁兵衛の方がより通用力を有するとみるのが相当である。
7、また同一選挙区内である大飯町福谷に居住する訴外中川勇造の屋号も、同様「ニヘ」または「ニヘー」と呼称しているが、山本義夫は、大飯町議四期連続当選し、うち二期は議長を勤める等大飯町有数の政治家として著名であるに反し右中川勇造は、公職としては、わずかに副区長の経歴があるに過ぎず、他に立候補者中「にへ」または「にへい」の屋号を有する者は山本義夫のみであるから、投票の効力判定上中川勇造の屋号を記載したものと解される可能性はない(昭和三一年二月三日最高判、民集一〇巻二号一九頁参照)。
8、さらに松宮仁平の選挙用ポスターに「マツミヤニヘ」と振仮名が付せられていたが、右振仮名が付せられていたことから、山本義夫に対して投票する選挙人が屋号を記載することによる混乱を回避する心理から、屋号を記載しなかつただろうという蓋然性を導き出すことは困難である。むしろ山本義夫は本件選挙に際し、左肩に「仁平」と付記したポスターを発注したが、誤植があつたため、その後「仁平」の記載を抹消したポスターに刷直した。しかし、右抹消後のポスター空白部分にマジツクインクで「にへい」或いは「ニヘ」と記載されたポスターが少くとも二枚貼付されていた事実がある。
また昭和三八年施行の大飯町議選において、山本義夫に投票する意思で記載されたと決定された「ニヘ」票があり、その前回である昭和三四年の選挙の際には、六票以上の同様な投票があり、山本義夫に対し、屋号により投票する可能性は十分あつた。山本義夫が屋号を用いることを意識的に嫌つていた事実はない。
(三) 以上のように、本件「仁平」「仕平」「ニヘ」の投票中、少くとも「ニヘ」の一票は、松宮仁平の名を表示したものとみられる一方、山本義夫の屋号を記載したものともみられるから、公職選挙法第六八条の二に基づき、山本義夫の得票に按分すべきものである。するとその結果は、松宮仁平の得票は、一三〇・五四二票となり、本件選挙に立候補し、次点者として落選した福井正則の得票一三一票より少くなるので、右松宮仁平の当選は無効とすべきである。
よつて請求の趣旨の如き判決を求める。
二、被告訴訟代理人は、つぎのようにのべた。
(一) 原告主張事実中、(一)2の事実、(二)1の事実中、「ニヘ」の一票があつた事実、(二)の3の事実中、各旧村別有権者数が原告主張(別表1)のとおりである事実、(二)5の事実中、開票立会人中に、右「ニヘ」の投票は、松宮仁平と山本義夫に按分すべきであるとする意見を述べた者があつた事実、(二)7の事実中、訴外中川勇造の屋号が「仁兵衛」である事実、(二)8の事実中、山本義夫の刷直し前のポスターに「ニヘイ」の屋号が印刷されていた事実、及び昭和三八年施行の大飯町議選において「ニヘ」なる投票が存在した事実、同(三)の事実中、福井正則が本件選挙において一三一票を得た次点者であつた事実はいずれも認めるも、その余の主張事実は争う。
(二)1、本件投票中、「ニヘ」の一票は、山本義夫と松宮仁平とが按分すべきものではなく、松宮仁平候補の単独得票とすべきものである。
2、大飯町は、昭和三〇年一月一五日、旧本郷村、旧佐分利村、旧大島村の三村と旧加斗村の一部が合併して発足した新町である。係争の選挙の選挙区は、全町一区であつて、総有権者数は、旧本郷村一、九〇八、旧佐分利村一、四六一、旧大島村五一四、旧加斗村九三、合計三、九七六名であつた。
3、公職選挙法に所謂「候補者の氏名」とは、必ずしも戸籍上の完全な氏名を指すものと厳格に解すべきではなく、屋号乃至それに類する称号をも含むが、この場合の屋号乃至それに類する称号は、当該選挙区一円において、一般的に当該個人を指すものと認められている必要がある。この点に関し、政経書院発行公職選挙法逐条解説(自治省選挙局選挙課長本悟管理課長鈴木博共著)は「通称化とはいかなる限度に解されるかについて、実例は、屋号等の称号が広く開票区の区域内において何れの地においても慣習的に使用せられている状態にあることを要するものとしている(昭和二五、三、三〇実例)。」と述べているが、これは所謂通称化の限度に関する行政上の公権解釈と目せられるものである。右に引用の行政実例は、昭和二五年三月三〇日付山形県選管宛全選局長電信解答を指しているもので、設例の称号が、慣習的に使用せられて市内何れの地においても、戸沢正巳(立候補者)を指すものと認められ、且つ他にこれと混同する者がない場合においては何れも有効とする、としている。又昭和二二年三月一四日付日本社会党中央執行委員長宛地方局長回答及び同年四月四日付愛知県選管委員長宛地方局長回答の両行政実例は、いずれも「通称を使用するの件に付いては、同一選挙区内に他の立候補者にまぎらわしき者が無く、本人であることを判別し得る限りにおいては、その投票は有効と存する。」旨述べている(なお同旨判決例として名古屋高裁金沢支部昭和二七年六月七日判決参照)。
4、被告は、本件裁決に当り、概ね無作為抽出の方法を以て選定した一般有権者一〇三名を証人として喚問し、山本義夫及び松宮仁平の知名度並びに両名の屋号の通称度について証拠調を行つたところ、その結果の集計は別表3及び4のとおりである。
5、右集計結果からみると、山本義夫の屋号は、選挙区一円において、一般的に同人を指すものと認められているとは到底解されない。
また本訴の証拠調の結果に徴しても、その通称化の程度は、おおむね居村(小字笹谷の部落)の住民、かつて住民であつた者乃至郵便局職員、菩提寺の住職等その職業や身分上特別な立場にある者等に限られているか、せいぜい近傍の数部落(旧佐分利村は俗に上、中、下の三つに分けることが出来るが、そのうちの下佐分利に属する二、三の部落)の一部の人達に知られているに過ぎないことが明らかである。
6、なお、山本義夫は、自ら屋号を用いることを意識的に嫌つて居り、同一選挙区内の福谷部落に居住する中川勇造の家の屋号も「仁兵衛」であり、係争選挙の投票中には「ニヘ」と記載された投票は、本件係争の一票しかなく、また松宮仁平は、その選挙運動用ポスター並びにはがきに、「ニヘ」とふり仮名をして、当該選挙の運動を行つていたもので、本件「ニヘ」の一票が山本義夫に対する投票とは到底解することができない。
第三、当事者双方の立証<省略>
理由
第一 昭和四二年四月二八日施行の福井県大飯郡大飯町議会議員一般選挙において、即日開票の結果、選挙会は、候補者松宮仁平が、一三一、一四五票を得た者として最下位当選を決定し、その後その旨告示したこと、そこで、原告は、昭和四二年五月六日右町選管に対し、異議の申立をしたところ、同選管は、同年六月二日、右申立棄却の決定をなし、同月三、四日頃右決定書が原告に送達されたこと、よつて、原告は、同月一一日被告に対し、審査申立をしたが、同年八月一八日申立棄却の裁決があつたこと等の事実は当事者間に争いがなく、また原告が、右選挙の選挙人であつた事実は、成立に争いのない甲第二四号証によつて認められ、同認定に反する証拠はない。
第二 そこで、以下原告主張の当選の無効原因について検討する。
一、(一) 候補者松宮仁平の得票中に、「ニヘ」と記載した一票が含まれていた事実については、当事者間に争いがないし、証人山本義夫の証言によると、同人の五、六代前の当主が山本仁兵衛という氏名であつたところから、同家では、以来「仁兵衛」が屋号として用いられ、右山本義夫の代になつてからも、右屋号を使用したことがあること、その表音は「にへ」或いは「にへー」であるところから「仁平」と表示することもあつたこと等の事実が認められ、同認定に反する証拠はない。
(二) ところで、公職選挙法第六八条の二によると、同一の氏名、氏又は名の公職の候補者が二人以上ある場合において、その氏名、氏又は名のみを記載した投票は有効とし、右投票は、開票区ごとにその他の有効投票数に応じて按分するものとされている。そして右法条が選挙人の意思を推定して、その投票をなるべく有効にしようとする趣旨であり、また、通称を記載した投票も有効とする以上、通称についても同条の適用があるものと解するのが相当である(昭和三六年一一月一〇日最高裁判決、民集一五巻一〇号二四八〇頁参照)。
しかしながら、他面右法条は、前記のように、選挙人の意思を推定して、その投票をできるだけ有効にしようとする極めて政策的な規定であつて、その適用の結果は、必ずしも選挙人の真意に合致するものとは断定し難く、合理性に乏しい立法といわざるを得ないから、その適用範囲をみだりに拡張すべきものではなく、その適用が肯定されるのは、当該投票の記載がそれ自体において、誤記の疑や不明確な点もなく、しかもそれが一方では甲候補者を指していると同時に他面また乙候補者をも指しているものとも認められる如き場合、換言すれば、甲、乙両候補者の何れについても、これ等候補者に対して投票されたものであるとの蓋然性が強度であり、且つ相互にその蓋然性の程度が均衡する場合に限られるものと解すべく、従つて、当該投票の記載が、二人以上の候補者の氏名通称等に類似してはいるが、合致してはいない場合即ち甲候補者の氏名、通称等に類似しているが、同時に乙候補者の氏名通称等にも類似し、その結果、甲、乙何れの候補者に対する投票であるか判定困難の場合にまで適用を拡張することはできないものと解するのが相当である(昭和三九年一二月一八日最高裁判決、民集一八巻一〇号二一九三頁参照)。しかし、二人以上の候補者の氏名、氏又は名に合致さえしていれば、それが、甲候補者の氏と乙候補者の名に該当する関係であつても、右氏や名の通用力の程度を検討することなく、当然前記法条を適用して按分が行われるか、本件の如く、氏又は名と通称の競合の場合は、右通称の通用度如何によつて、右法条の適用をみるか、どうかの結論を異にするものといわなければならない。けだし、これを例へば、甲候補の氏又は名と、乙候補の通称が一致していても、乙候補の右通称がその投票区内で氏や名と同程度の通用力を有していない場合に、右通称に合致する投票を、氏や名によつて得た他の有効得票数の割合に按分するとすれば不合理な結果を招くことが明白であるからである。従つて、氏や名と、通称との競合の場合は、その通称について、投票区内でその氏や名と同程度の通用力が認められている場合に限つてのみ、前記法条の適用があり、同条所定の按分がなされるものと解するのが相当である。
(三) そこで、本件についてこれをみるに、本件の「ニヘ」なる投票記載は、候補者松宮仁平の名と、候補者山本義夫の屋号である仁兵衛(または仁平)の各片仮名書きに相当し、且つ他に、右「ニヘ」に相当する氏、名または通称を持つた候補者があつたことについては、何らの証拠もない。
二、そこで次に、山本義夫の右屋号の通用力について検討する。
(一)1、証人浜田勝の証言によると、福井県大飯郡大飯町は、昭和三〇年一月一五日、旧本郷村、旧佐分利村、旧大島村の三村と旧加斗村の一部が合併して発足した新町であり、人口は、旧本郷村が最も多く(本件選挙当時の有権者数一、九〇八名、以下有権者数については当事者間に争いがない。)、ついで旧佐分利村(同一、四六一名)、旧大島村(同五一四名)、旧加斗村の一部(同九三名、以上合計三、九七六名)の順で、あつたこと及び本件選挙の投票区、及び開票区は、右全町一区であつたこと等の事実が認められ、これに反する証拠はない。
2、そして成立に争いのない甲第六号証の一乃至九、同第七号証、同第八号証の一及び二、同第九及び一〇号証、同第一一号証の一乃至四、同第一二及び一三号証の各一及び二、同第一四号証の一乃至三、同第一五乃至一七号証の各一及び二、同第一八号証、同第一九号証の一乃至三、同第二〇号証の一乃至六、同第二一号証の一乃至五、同第二二号証の一及び二並びに証人山本義夫の証言によると、候補者山本義夫家は、父の代より、旧佐分利村笹谷部落に居住し、主として農業を営んでいたこと、山本義夫は、学業を終えた後、京都市、舞鶴市等で勤務し、昭和二〇年一月に右笹谷部落に帰つてからは、農業に従事するかたわら、昭和二八年頃より山本組の商号で土建業を始めたこと、その後右土建業は次男に譲り、昭和三〇年四月大飯町議会議員に当選して以来、現在まで四期連続して議員をし、その間二期議長を務めたことがあること、従つて、同人は、農業や土建業としてよりも、町議会議員として町住民に広く名を知られていた者であるが、議員としての立場において、屋号を用いたり、相手より屋号をもつて呼ばれたりしたことはなく、主として神社その他の寄附、慶弔等笹谷部落内や知人間の私的な交際において、さきに認定の「仁兵衛」または「仁平」なる屋号を使用したり、右屋号をもつて呼ばれたりすることがあつたこと並びに時には屋号を使用した郵便物が配達されることもあつたこと等の事実が認められる。
3、ついで、成立に争いのない甲第一号証並びに証人松田幾太郎の証言によると、大飯町選挙管理委員会は、原告よりの本件異議申立を審理する際、大飯町内の各投票所備付の選挙人名簿に基づき、四五名を無作為抽出し、証人として右山本義夫の屋号を知つているか否かを尋問したところ、右屋号を知つている旨答えた者は五名に過ぎず、その他の者は右屋号を知らなかつた旨答えたこと等の事実が認められる。
4、また、成立に争いのない乙第六号証並びに被告代表者本人尋問の結果によると、被告は、原告よりの本件審査申立を審理する際、大飯町内の各投票所(一三ケ所)備付の選挙人名簿に基き、一〇三名を無作為抽出し、証人として、右山本義夫の屋号を知つているか否かを尋問したところ、右屋号を知つている旨答えた者は四〇名に過ぎず、その他の者は右屋号を知らなかつた旨答えたこと、右屋号を知つている四〇名のうちでも、屋号を使用している者は一九名に過ぎず、他の二一名は、単に屋号を知つているとか、人から聞いたことがあるというだけで、実際には右屋号を使つたことがないこと、右四〇名の内訳は、本郷地区一〇名(証人数六一名のうち)、佐分利地区二七名(証人数三三名のうち)、大島地区一名(証人数七名のうち)、及び加斗地区二名(証人数二名)であり、大部分が佐分利地区、ことに山本義夫が居住する笹谷部落に近い部落居住の証人であつたこと等の事実が認められる。
原告は、被告のなした右証人の抽出は、各地区毎の有権者数に比例していない旨主張する。そして適正証人数が別表1のとおりであることは計数上明らかであるが、被告のなした証人抽出方法は、総有権者集団中より抽出したものではなく、前記認定の如く、大飯町内の一三の投票所備付の各選挙人名簿記載の有権者集団毎に一定比率で抽出したために生じた誤差であると認められ、その誤差は、佐分利地区において五名の不足に過ぎない。
5、さらに、証人田中キヌ、同渡辺五一郎の各証言等により当裁判所が真正に成立したものと認める甲第四号証、並びに同各証言及び証人田中和雄、同中川隆三、同山本治男、同山端敏夫、同岩崎鉱吉、同大谷繁春、同森下銀蔵、同辻亀三、同筒井勝太郎、同中川清、同新谷清夫、同堀口明、同森口育太郎、同木村治、同石橋好次、同柿本角太郎、同田辺利一、同安田勇、同永谷良夫、同石橋公也、同牧田宗矩、同柳原啓司、同中川恭爾、同岩田上、同柿本富貴男、同森田道龍、同渡辺なを江、同渡辺正治、同杉谷安雄、同福尾治郎吉、同中村日出男、同谷口安三、同山崎美津江、同小畑寛子、同福井かな、同渡辺一司、同渡辺武男、同柿本保、同中川勇造の各証言によると、佐分利地区笹谷部落内では殆んどの有権者が、山本義夫の屋号を知つており、右地区のその他の部落でもかなりの程度に知られていたこと、しかし、右屋号を知つている者の中でも大部分の者が、右屋号を使用するのは、部落内や、私的な場合であり、公的な場合、ことに選挙の投票の際には使用していなかつたことが認められるが、しかし、右佐分利地区を除くその他の地区において右屋号が広く知られていた事実を確認するに足る証拠はない。
以上の認定事実によると、前述の抽出方法による五名の適正証人数の誤差を考慮に入れても、山本義夫の前記屋号は、佐分利地区笹谷部落内では殆んどの有権者に知られ、また同地区内のその余の部落内でもかなりの程度に知られていたものということができるが、大飯町の他の地区である本郷地区、大島地区、及び加斗地区においては、殆んど知られていなかつたものというべきであるから、結局本件選挙の投票区である大飯町全体についてみると、山本義夫の前記屋号は、いまだ右投票区内において、広く知られていたものとみることはできない。
(二) つぎに、成立に争いのない甲第一〇号証、乙第三乃至第六号証並びに証人山本義夫の証言及び原告本人尋問の結果によると、候補者山本義夫が本件選挙の際に印刷した選挙用ポスターには、当初氏名のほか左肩部分に「仁平」と、その屋号が併記されていたが、その氏名の一部に誤植があつたのと、他に候補者松宮仁平がいたことから、屋号の「仁平」を記載することは不利であると考え、右ポスターは結局これを使用せず、改めて、屋号を記載しないポスターを印刷し直して、右選挙に使用したこと、また候補者山本義夫は、本件選挙運動に際しては、屋号を使用せず、戸籍上の氏名によつていたこと、一方候補者松宮仁平(本郷地区居住)は、選挙用ポスター及び葉書に印刷した候補者氏名に「マツミヤニヘ」と振仮名をつけて、これを選挙に使用していたこと等の事実が認められる。なお証人安田勇、同杉谷安雄の各証言中には、当時候補者山本義夫のポスターにマジツクインクで「にへい」と書き加えたものが一、二枚掲示されていた旨の供述部分があるが、証人山本義夫の証言によると、右屋号の附記は、自己の意思に基いたものではない旨述べており、前記供述部分のみでは、まだ右山本義夫が、選挙運動の際その屋号を使用していたと認めることはできない。
(三) 以上上来説示の候補者山本義夫の屋号の知名度、その使用状況、本件選挙運動の実情等を総合して判断すると、本件選挙当時候補者山本義夫の右屋号は、その氏名と同程度に選挙区内全般に通用していたものとみることはできず、かえつて候補者松宮仁平が、その戸籍名をもつて選挙運動をしていた事実に対比すると、本件「ニヘ」と記載された投票は、候補者松宮仁平に対する投票であつて、候補者山本義夫に対するものとは認め難く、従つて、結局、右投票については、前記第六八条の二の適用はないものといわねばならない。
三、(一) 原告は、屋号について選挙区一円に知られていることを要件とするのは相当でないと主張するが、他に競合する氏や名の候補者がない場合なら格別、(かかる場合は、問題票が或候補者に対するものであると識別出来る程度に通用しておればよいと解される。)本件の如く、屋号と同じ音の戸籍名を持つ候補者がある場合には、戸籍名の候補者と同等の立場において、各その有効得票数に応じて問題票を按分しようというものであるから、その屋号の通用力がその氏や名と同程度でなければならないことは当然である。戸籍上相互の競合の場合、その通用度を検討する必要がないのは、戸籍制度上氏名は個人を特定する標識として国家に承認せられ、また自由なる変更は許されず、公益的色彩を帯びており、公職選挙法においても、投票は候補者の氏名を記載するものとされ、従つて候補者の氏名に合致する記載があれば、一般的にその候補者に投票する意思で投票したものと推定されるのであつて、かかる推定は、元来、候補者によつて区別せられるべき性質のものでなく、その蓋然性は平等であると考えられるからである。
(二) また証人松宮幾太郎の証言によると、本件開票に際し、「ヤエモン」「ヒコザ」「ゴヘ」及び「カエモン」の各屋号票を有効票として取扱つた事実が認められるが、右各屋号票については、各候補者より右各屋号の届出がなされ、しかもこれと競合する戸籍名の候補者が存在しなかつたことが右証言により明らかであり、また原告主張の如く、右開票の際、立会人のうちに、本件「ニヘ」の投票を候補者山本義夫と同松宮仁平に按分すべきものであるとの意見を述べた者が存在したことは当事者間に争いがないが、右事情は、いずれも前記認定を覆すに足るものではない。
(三) さらにまた、原告は、大飯町一帯においては、古くから各家に屋号があり、現在においても戸籍上の氏名と併せて右屋号があり特定個人の称号として使用される慣習があると主張するが、前記認定の如き本件屋号の知名度、使用状況に照らすと、本件屋号は、大飯町の中で候補者山本義夫の居住地を中心とする限られた一部の地域内において、しかも主として私的な場合に使用されていたに過ぎず、原告主張の如く、大飯町一般に、氏名と同程度に使用される慣習があるものと認めることはできない。のみならず証人牧田宗矩、同杉谷安雄の証言によれば、元来右地区における屋号は、住居または「家」につけられた呼称であつて、同姓の多い部落で個人を識別する際に使用されてきたものであるが、しかし、個人の活動が右の如き部落単位を越え、ことに本件の如く山本義夫が町議会議員(四期)として町全般の単位で活躍するようになると、屋号による呼び分けの必要性が減少するばかりか、公式の場において屋号をもつて呼ぶと、かえつて本人を軽蔑する響きを与える懸念さえあるということさえ、これをうかがい知ることができる。
(四) なおまた原告本人尋問の結果によると、前回の町議会議員選挙において「ニヘ」と記載した投票があり、候補者山本義夫の得票とされた事実がある旨指摘するが、前掲乙第六号証によると、当時の選挙の際には本件選挙の候補者松宮仁平は立候補していなかつたことが認められるから、事情を異にし、右指摘事実をもつて前記認定を覆すことはできない。
四、なお証人松田幾太郎の証言によると、本件選挙の投票中、前記「ニヘ」と記載した投票のほか、「仁平」と記載したもの三票、「仕平」と記載したもの一票が存在していた事実が認められるが、右「仁平」三票は候補者松宮仁平の名に合致し、また「仕平」は、「仁平」の誤記と認められ、右松宮仁平の名に相当すると解され、以上いずれも、候補者山本義夫に対し、屋号をもつて投票したものでないと解されることは、前認定と同様である。
第三 以上説示の次第であつてみれば、本件「ニヘ」と記載のある一票を除く、前記四票はもとよりのこと、本件「ニヘ」と記載された投票も候補者松宮仁平の得票として、同人の当選を決定し、右投票を候補者山本義夫と按分しなかつた選挙会の決定は相当であり、これを維持した被告の本件裁決も相当である。
そうすると、右裁決の取消と松宮仁平の当選の無効を求める原告の本訴請求は失当であり、これを棄却すべきものといわなければならない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西川力一 島崎三郎 井上考一)
(別表1~4省略)