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和歌山地方裁判所 平成11年(ワ)417号 判決 2002年2月19日

原告

甲山花子

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

山﨑和友

由良登信

岡田政和

被告

A農業協同組合承継人

B農業協同組合

同代表者代表理事

丙野二郎

同訴訟代理人弁護士

山本光彌

主文

1  被告は、原告甲山花子に対し八五九万八五四〇円、その余の原告らに対し各三一四万九五一三円及び上記各金員に対する平成九年八月二二日から各支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを六分し、その五を原告らの、その余を被告の各負担とする。

4  この判決は、上記1に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  当事者の求めた裁判

1  原告ら

(1)  被告は、原告甲山花子に対し五三七二万一八八三円、その余の原告らに対し各二〇一八万七九六〇円及び上記各金員に対する平成九年八月二二日から各支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

2  被告

(1)  原告らの請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第2  事案の概要

1  事案の要旨

原告らは、亡甲山三郎(以下「亡三郎」という。)が死亡(自殺)したのは、後記旧組合に過失又は債務不履行(安全配慮義務違反)があったためであるとして、被告に対し、不法行為又は債務不履行(安全配慮義務違反)による損害賠償請求権に基づき、それぞれ後記各損害及びこれらに対する亡三郎死亡の日である平成九年八月二二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求めた。

これに対して、被告は、原告ら主張の過失及び債務不履行(安全配慮義務違反)を否認するなどして争っている。

2  前提事実

以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠(甲1ないし3、29、39、乙38)及び弁論の全趣旨により容易に認めることができる。

(1)  当事者等

原告甲山花子(以下「原告花子」という。その余の原告も同様に名のみをもっていう。)は亡三郎(昭和一五年一二月一〇日生)の妻であり、原告太郎、同春子、同夏子は、いずれも亡三郎と原告花子との間の子である。

亡三郎は、昭和三九年四月一日A農業協同組合(以下「旧組合」という。)に就職し、平成九年当時、旧組合が和歌山県東牟婁郡C町内に設置したC給油所(以下「本件給油所」という。)の所長として旧組合に勤務していた。亡三郎が平成八年に旧組合から支給された給与総額(年額)は六四二万八〇〇〇円であった。

平成九年当時の旧組合の組織形態は、組合長戊谷四郎以下、本所内に総務部、経済部、共済部、金融部、監査室を設置していたほか、七か所の支所を有していた。本件給油所は経済部の直営であり、本件給油所の所長であった亡三郎は経済部長を務める東山五郎の指揮監督に服する立場にあった。

被告は、平成一三年五月一日、旧組合、D農業協同組合及びE農業協同組合が合併して設立された農業協同組合であり、これにA農業協同組合が従前有していた権利義務関係の一切を承継した。

(2)  平成九年当時(平常時)の本件給油所の概要

本件給油所の従業員は、所長である亡三郎を除くと職員一名(南川六郎)、パート従業員一名(西谷秋子)であった。

給油所の営業時間は午前七時三〇分から午後六時三〇分までであり、職員二名(亡三郎、南川)の勤務時間は、早番の者が午前七時三〇分から午後四時三〇分まで、遅番の者が午前九時三〇分から午後六時三〇分までとされていた(いずれも、このうち一時間の昼食休憩があった。)。いずれの者が早番・遅番を担当するかについては、原則として一週間交代とされていたが、その時々の各自の都合によって、互いの話し合いで融通し合うこともあった。パート従業員(西谷)の勤務時間は、午前八時三〇分から午後三時までであった(そのうち一時間の昼食休憩があった。)。

本件給油所は日曜日が休業日であり、その他の曜日には営業していたが、亡三郎を含む従業員は、日曜日に加えて一週間に一日休日をとっていた。

(3)  台風の襲来とその後の処理等

平成九年七月二六日(以下、月日の記載において特に断らない限り平成九年をいう。)、台風の襲来による河川の急激な増水により、給油所が約一五〇センチメートルの高さまで浸水し、機械類の破損、帳簿・書類等の汚損を生じ、給油所としての通常業務ができなくなった。本件給油所は、浸水被害の後片付けなどのため、四日間休業したが(うち一日は日曜日)、同月三一日から営業を再開した。

亡三郎は、八月二二日午前九時三〇分ころ、縊死(自殺)した。

(4)  本件前の亡三郎の抑うつ状態の発症等

亡三郎は、昭和六一年一月末ころ、当時勤務していF支所からG支所への転勤を命ずる旨の辞令を受けたが、これに難色を示し、約四か月間欠勤した上、一旦は辞表を提出した。これに対して、旧組合は、上記欠勤の全期間を病休扱いとして給与を支給するとともに、G支所への転勤を命ずる旨の辞令を撤回して事態を収拾した。

この間の昭和六一年二月五日、亡三郎は、A市内に所在するH病院を受診(初診)し、初診日の症状として、「抑うつ状態が中心であり、合併症として糖尿病が存在した」との診断を受けた。亡三郎は、その後も引き続き数か月間にわたって、同病院に通院し、抗うつ剤及び糖尿病治療薬の各投与を受けた。

3  争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  亡三郎の自殺と業務遂行との間に因果関係があったか。

(原告らの主張)

亡三郎は、本件給油所が過去二〇年間における最大規模の洪水による浸水被害を受け、被害後には復旧作業に忙殺されるとともに、請求書の作成や在庫把握という急を要する担当業務が書類の汚損によって困難になり、さらには、旧組合に対して被害を与えたことや他の職員の応援を受けざるを得なくなったことに対する自責の念を募らせ、それらの強度な精神的、肉体的負荷によりうつ病を発現させ、高度な焦燥感や睡眠障害が加わるなどした結果、自殺するに至ったのであるから、亡三郎の自殺と業務遂行との間には因果関係がある。

このことは、平成一一年に労働省(当時)が策定した「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(甲18)に照らしても認められるところである。

(被告の主張)

原告らの上記主張は争う。

上記因果関係が認められるためには、社会通念上、当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり、これによって当該業務にその心因性精神疾患を発症させる一定程度の危険性が存在すると認められることが必要と解されるところ、浸水被害前の亡三郎の職務は、通常のサラリーマン等と比較しても決して過大なものではなかったから、上記危険性は認められない。浸水被害後の職務内容を検討しても、本件給油所は四日間休業し、その間、旧組合本所から十数名の者が応援に駆けつけて清掃や在庫品の点検等に当たっていたから、亡三郎は、点検後作成されたリストに倉庫内商品の価額を記入するほか、水に浸かった書類を広げて乾かす作業や、手書き請求書の下書き作業を行えばよく、これらも決して過重な負荷といえるものではない。

(2)  旧組合に過失又は債務不履行(安全配慮義務違反)があったか。

(原告らの主張)

亡三郎の直属の上司に当たる東山は、亡三郎が、八月四日ころには集中力が低下した状態であること、八月一五、一六日には体調不良であったこと、八月一七日には既に保険査定されたはずの在庫内容について蒸し返すように話をしてきたことを認識し、また、浸水被害後、亡三郎が悩み自責の念をもっていることを感じていたのであるから、遅くとも八月一七日ころには、亡三郎に対して、休養や精神科医への受診を勧めるなど適切な職務上の対応をとるべき義務があった。戊谷は、昭和六一年当時の亡三郎のうつ病既往を知っており、八月一九日に面談した際には亡三郎が高度な自責感、加害感を有していたのであるから、その時点で、亡三郎のうつ病の再発に気付き、これに対して適切な対応をとるべき義務があった。さらには、南川は、亡三郎と同じ職場に勤める者として亡三郎と身近に接し、亡三郎が精神的に異常を来していたことに気付いていたのであるから、上司である東山らに亡三郎の状態を報告し、対応を検討するよう促すべき義務があった。

以上のとおり、亡三郎の上司らは、亡三郎のうつ病発現を予見・認識することが十分可能であったから、亡三郎のうつ病発現に対する適切な対応をとるべき不法行為上の注意義務又は雇用契約上の安全配慮義務があったというべきであり、亡三郎の上司らはその義務を怠ったものである。

(被告の主張)

原告らの上記主張は争う。

亡三郎の上司らが認識し得た限りにおいては、亡三郎は、週に二日の休日をとり、勤務時間も平生と変わらず、仕事ぶりも従前どおり普通にこなしていたのであるから、亡三郎がその業務に起因して自殺することを予見することは不可能であったし、上記(1)の被告の主張のとおり、旧組合は、本件給油所が浸水被害を受けた後、復旧作業等に関して十分な手当てをしていたから、旧組合には原告らのいうような義務違反はない。

(3)  原告らの損害額はいくらか。

(原告らの主張)

① 亡三郎の損害

亡三郎の逸失利益

六〇一一万六一五〇円

(給与等) 三九四七万〇一一三円

亡三郎は、死亡当時、五六歳であり、旧組合の前記不法行為ないし安全配慮義務違反がなければ、六〇歳までは年額六九八万八〇〇〇円(六四二万八〇〇〇円の給与収入と五六万円の農業収入との合算)、六〇歳から六八歳までは年額五六六万一二〇〇円(賃金センサスによる平均賃金五一〇万一二〇〇円と農業収入五六万円との合算)を得ることが可能であったはずである。以上を基礎に、三割の生活費を控除した上、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、亡三郎の死亡時における給与等の逸失利益の現価を算定すると、次の算定式のとおりである。

{(6,428,000+560,000)×(1−0.3)×2.731}

+{(5,101,200+560,000)×(1−0.3)×6.589}=39,470,113円

(年金)  一九五八万一六三一円

亡三郎は、死亡当時既に年金受給権を得ており、旧組合の前記不法行為ないし安全配慮義務違反がなければ、平均余命である八〇歳までは年額二〇五万四四七七円の年金を得ることが可能であったはずである。以上を基礎に、三割の生活費を控除した上、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、亡三郎の死亡時における年金の逸失利益の現価を算定すると、次の算定式のとおりである。

2,054,477×(1−0.3)×13.616=19,581,631円

(退職金)  一〇六万四四〇六円

亡三郎は、旧組合の前記不法行為ないし安全配慮義務違反がなければ、六〇歳で退職する時点において、一三四八万六六〇六円の退職金を得ることが可能であったはずである。しかるに、現実には一二四二万二二〇〇円を得るにとどまったから、その差額である一〇六万四四〇六円は、本件不法行為ないし安全配慮義務違反による損害である。

以上を合算すると、亡三郎の逸失利益は、六〇一一万六一五〇円となる。

亡三郎の慰謝料

二〇〇〇万〇〇〇〇円

合計 八〇一一万六一五〇円

② 原告花子の損害

原告花子の相続分(二分の一)

四〇〇五万八〇七五円

葬祭費 三七五万〇〇〇〇円

死亡診断書作成料 二万〇〇〇〇円

往診料 一万〇〇〇〇円

原告花子の慰謝料

五〇〇万〇〇〇〇円

弁護士費用 四八八万三八〇八円

原告花子の請求総額

五三七二万一八八三円

③ その余の原告らの損害

その余の原告らの相続分(各六分の一) 各一三三五万二六九一円

その余の原告らの慰謝料

各五〇〇万〇〇〇〇円

弁護士費用 各一八三万五二六九円

その余の原告らの請求総額

各二〇一八万七九六〇円

(被告の主張)

原告らの上記主張のうち、亡三郎が死亡当時既に年金受給権を得ていたこと自体は認め(ただし、その受給額は争う。)、退職金については認めるが、その余は争う。また、原告花子は、平成九年九月から遺族年金を受けているから、その遺族年金の受給額分は損害から控除すべきである。

仮に被告が原告らの損害に関していくらかの賠償責任を負うとしても、亡三郎のうつ病罹患及び自殺は、本人の持つ生来の脆弱性と家族の看護義務違反によるところが大きいから、大幅な過失相殺がなされるべきである。

第3  争点に対する判断

1  判断の前提となる事実関係

証拠(甲9、13、14、16、28、31の1、33、35、39ないし41、44、45、乙29、30、33、36ないし40、証人南川六郎、同東山五郎、同北野七郎、原告甲山花子本人。書証については各枝番を含み、以下も同様に、特に断らない限り各枝番を含む。)によれば、以下の事実が認められる。

(1)  本件給油所における亡三郎の業務等

七月二六日(台風襲来の当日)、南川は午前七時三〇分に、亡三郎は午前八時にそれぞれ出勤した。西谷は休暇をとっていた。亡三郎は、台風が接近する旨役場から警報が出されたため、本件給油所の営業を中止することとし、南川及び旧組合Ⅰ支所から応援に来ていた上山とともに、ポスシステム(売上管理コンピュータ)を机の上に上げたり、伝票類の入った段ボール箱五箱を棚の上に上げるなどして浸水に備え、本件給油所を閉店し、午前一一時三〇分ころ、帰宅の途についた。

亡三郎は、同月二七日、本件給油所に出勤し、南川や西谷のほか旧組合本所から応援に来ていた一二名の者とともに、事務所及び倉庫から備品、カー用品、タイヤその他の商品類を戸外に運び出してこれらを洗ったほか、浸水により汚れた事務所建物や倉庫建物を清掃するなどの作業をした。

同月二八日、亡三郎は、南川及び旧組合本所から応援に来ていた一四名とともに、前日と同様、建物及び商品類の洗浄や清掃を行った。同日は、東山、南川らが中心となって、在庫商品の点検調査及び区分け作業(正常、汚損の区分け)を行った。亡三郎は、上記点検調査等には加わらず、水に浸かった書類・伝票類を乾かし、整理するなどの作業に従事した。

同月二九日も、前日同様、亡三郎は、水に浸かった書類・伝票類を乾かし、整理するなどの作業に従事し、東山、南川らは、在庫商品の点検調査及び区分け作業を行った。また、同日には、専門業者が本件給油所を訪れて、計量機及びポス外設機の修理や、燃料タンクの水抜きを完了した。

同月三〇日、亡三郎は、前日に引き続いて、水に浸かった書類・伝票類を乾かしたり、手書き請求書の作成作業等に従事した。東山はメーカーとの交渉を、応援職員二名は廃油タンクキャスターの取付作業を、西谷は清掃・商品陳列作業をそれぞれ行った。

同月三一日から、本件給油所は営業を再開した。

(2)  損害に関する保険請求手続等

東山は、保険請求の資料とするため、同月二九日、亡三郎に対し、上記のとおり行われた在庫商品の点検調査の結果を取りまとめて金額を記入した一覧表を作成し、旧組合本所に届けるように指示した。これに従い、亡三郎は、棚卸表(乙29、30)を作成し、八月八日、旧組合本所に届けた。

亡三郎は、同月四日、東山とともに、保険会社の調査員に対して、本件給油所内の機械の故障状況等を説明した。

旧組合は、八月末ころ、保険会社及び共済連に対して、それぞれ浸水被害についての保険金請求書を送付したが、事前に保険会社等との間において保険金額の折衝をしており、遅くとも同月一七日ころには事実上保険金額が決まっていた。

亡三郎は、同月一七日(日曜日)午後三時ころ、東山の自宅に電話し、東山に対して、在庫品が上記棚卸表(乙29)に記載したよりももっと多かったように思うから、これに伴って損害額も多くなるのではないかという趣旨のことを話した。これに対して、東山は、在庫品調査は正確であるし、損害もほとんど保険で補てんされるから、心配する必要はない旨答えた。

翌一八日、東山は、北野(課長)に前日の電話のことを伝え、相談した結果、亡三郎に対して、心配する必要がない旨資料を示して説明しようということになり、北野とともに、亡三郎の勤務先である本件給油所を訪れ、亡三郎に対して、資料(乙36等)を示した上で、在庫品調査が正確である旨、保険会社との折衝の結果、機械損と商品損の両方を合わせると損害がほとんど補てんされるだけの保険金が給付されるよう内諾を得ている旨を説明した。

(3)  自宅での亡三郎の様子等

亡三郎は、自宅に書類を持ち帰り、七月三〇日ころから、朝晩書類仕事をするようになったが、八月五日ころからは、「こんなことになってしまったのも全部自分が悪い」、「在庫把握ができない」などとつぶやくようになり、同月一五日ころからは、不眠状態に陥り、書類を広げてその前に座り続けるものの、作業はほとんど進まなくなった。

この間に亡三郎が作成した書類には、平成九年三月末時点(甲31の1)及び同年六月末時点(甲35)の各棚卸表等があるが、これらは、その当時としては作成する必要がなかったものであった。

(4)  「辞表」の作成とその内容

亡三郎は、八月上旬、「辞表」と題する書面(甲9の2)を作成した。同書面には、「今回の台風により給油所浸水私の判断の誤りから多大な損害を与え又不適切な事後処理呆然自失のまま復旧も捗らない東山部長や若い南川君等に迷惑を掛けて居る現況このままの辞職は誠に卑怯ですが只今の錯乱とした精神状態で職務は不可能で有ります。危険物を取扱う上からも又運営上多くの方々に迷惑が増えるばかりと思われ懲戒処分も覚悟の上辞表を提出致します。今迄組合長以下温く育てて下さった方々を裏切ってしまった事、深くお詫びするとともにどうにも出来ない私の現状お許し下さい。」との記載がある。

(5)  精神科医の意見

精神科医中川八郎は、亡三郎が、七月三〇日ころ、うつ病に罹患していたとの判断を示し、その理由として、①台風後ボーっとしていた点に集中力の低下がみられる、②部下に配達先をメモで渡されるなどの行動があり、集中力・記銘力の低下が窺われ、思考抑制の状態が考えられる、③上記時期ころから朝刊を読むという生活習慣が崩れ、強迫的に書類を自宅の机の上に広げており、不眠状態にあった、④辞表の内容から認められるように、台風による被害を過大に考え、自責念慮が高度であった、ことを挙げた。

2 争点(1)(亡三郎の自殺と業務遂行との因果関係)について

亡三郎が、自宅へ書類を持ち帰り、七月三〇日ころから、朝早くあるいは夜遅くに書類仕事をしており、やがては書類を広げるものの、仕事がはかどるような状態ではなくなったことや、八月五日ころから、自らを責めたり、仕事がはかどらない旨つぶやくようになったこと、「辞表」の記載内容からすると、亡三郎は、台風後の処理がうまくはかどらないことや、台風に対する対処のまずさ(六月末の棚卸しを行わなかったことや、台風襲来時に書類や商品等を水に浸からないようにする処置が不十分であったこと等)について思い悩み、しかも、それは日を追うごとに深刻になっていき、ついには正常な精神状態ではなくなっていったと認めることができる。この点、中川医師は、上記のとおり、亡三郎がうつ病に罹患していたとの意見を述べているところ、同意見が挙げる理由には首肯することができる部分があるし、前記前提事実のとおり、亡三郎が以前抑うつ状態にあったとの診断を受けていたことをも併せると、相応の説得力を有するといえる。これに対して、被告は、当時の亡三郎は、自動車を運転したり、種々の書類を作成するなど、通常の業務に支障を来していなかったのであるから、その当時うつ病に罹患していたとは考え難いと主張するが、うつ病患者といえども、その程度に波があることは広く一般に知られたところであり、およそ日々の業務が不可能になるほど日常生活全般にわたって支障が生じることはむしろ稀であると考えられるから、被告の主張は採用することができない。少なくとも、上記認定によれば、亡三郎が当時うつ病に罹患していたか否かはともかくとしても、自殺を惹起するような、うつ病に比肩すべき精神疾患に罹患していたことは優に認められるというべきである。

そして、亡三郎の精神状態が不安定になったのが台風後であり、また、本件全証拠によるも他に自殺を考えるような原因が一切窺われないことからすると、前記前提事実のとおり、亡三郎は、昭和六一年に転勤のことを思い悩んで四か月ほど病欠したことがあり、思い悩む性格の持ち主であったと考えられること、およそ自殺の原因を当人以外の傍から正確に窺い知ることが困難であることを考慮しても、亡三郎は、台風に対する対処のまずさなどを思い悩んで上記精神疾患に罹患した末に自殺したものと認めるのが相当であって、亡三郎の自殺と業務遂行との間には因果関係が認められるというべきである。

3 争点(2)(過失ないし安全配慮義務の有無)について

使用者は、その雇用する従業員に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身を損なうことがないよう注意する義務を負い、その義務違反は、雇用契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)に該当するとともに、不法行為上の過失をも構成するというべきである。

本件給油所は、台風による浸水被害を受けたことにより、通常業務に加えて、その復旧作業を要する事態に至ったのであるから、使用者である旧組合としては、通常業務に加えて復旧作業に従事する本件給油所職員、とりわけ、所長という責任ある立場にあった亡三郎に対して、通常時以上に、その健康状態、精神状態等に留意し、過度な負担をかけ心身に変調を来して自殺をすることがないように注意すべき義務を有していたといわなければならない。しかるに、上司として亡三郎に対し指揮監督命令をなしうる立場にあった東山らにおいては、亡三郎が、台風後の処置の中で既に処理の目途が立った損害について思い悩み、東山らに対して、蒸し返すように同じ趣旨の発言を繰り返していたことなどからすると、亡三郎の異変を認識しうる可能性を有していたにもかかわらず、旧組合は、浸水被害を受けた日の翌日から四日間通常業務を休業することとして(うち一日は日曜日であって、浸水被害にかかわらず休業する日であった。)、その間、旧組合本所等から応援の者を派遣して清掃等を手伝わせたに止まり、亡三郎を筆頭とする本件給油所従業員にその後の復旧作業を委ねた結果、上記2のとおり、亡三郎を自殺させるに至ったものであるから、旧組合には安全配慮義務違反及び不法行為上の過失が認められる。

4  争点(3)(損害額)について

(1)  亡三郎の逸失利益

二六九九万〇二七二円

(給与等) 二六一一万五三三一円

前記前提事実、証拠(甲4、5、39、原告花子本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡三郎(死亡当時五六歳)は、死亡当時、妻である原告花子、亡三郎の母冬子(当時八一歳)、原告花子の母十子(当時八二歳)、亡三郎と原告花子との間の子である原告夏子(当時二一歳、知的障害者福祉施設勤務)と同居して、旧組合に勤めていたこと、亡三郎は平成八年当時年額六四二万八〇〇〇円の給与収入を得ていたこと、旧組合において職員は六〇歳をもって定年退職するとの制度が設けられていたことが認められるところ、亡三郎の生活状況、勤務内容、給与額等に照らすと、旧組合の前記不法行為ないし安全配慮義務違反がなければ、亡三郎が自主的に退職することは考えにくく、定年である六〇歳までは旧組合に勤務し、年額六四二万八〇〇〇円を下らない給与収入を得ることができ、退職後六四歳までは、平成九年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・六〇ないし六四歳男子労働者の平均賃金である年額四六四万一九〇〇円の収入を、六五歳から六七歳までは、同六五歳以上男子労働者の平均賃金である年額三九〇万三〇〇〇円の収入をそれぞれ得ることができたものと認めるのが相当である。原告らは、亡三郎には給与収入とは別に年間五六万円の農業収入があったから、これを基礎収入に加えるべきである旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

以上を前提に、生活費控除(控除率はいずれも四割をもって相当と認める。)をした上、各期間の中間利息の控除(民法所定年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除する。)をして、亡三郎の死亡時における逸失利益を算定すると、以下の算定式のとおり、二六一一万五三三一円となる。

6,428,000×(1−0.4)×3.545

+4,641,900×(1−0.4)×(6.463−3.545)

+3,903,000×(1−0.4)×(8.306−6.463)

=26,115,331(円未満切り捨て。以下同様に計算する。)

(年金)  〇円

前記前提事実のとおり、亡三郎は、死亡当時既に年金受給権を得ていたものの、本件全証拠によっても、その受給額は不明であるから、これを損害として認めることはできない。

(退職金)  八七万四九四一円

亡三郎が六〇歳で退職する時点において得られるはずであった退職金額が一三四八万六六〇六円であること、亡三郎が現実に受け取った退職金額が一二四二万二二〇〇円であったことは当事者間に争いがないところ、その差額である一〇六万四四〇六円を基礎に、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して、退職金差額の現価を算定すると、以下の算定式のとおり、八七万四九四一円となる。

1,064,406×0.822=874,941円

(2) 亡三郎の慰謝料

一八〇〇万〇〇〇〇円

旧組合の前記不法行為ないし安全配慮義務違反の態様ないし内容、亡三郎が自殺するに至った前記認定の経緯等本件に現れた一切の事情を考慮すると、旧組合の前記不法行為ないし安全配慮義務違反により亡三郎が受けた精神的、肉体的苦痛による損害を慰謝するには一八〇〇万円をもって相当と認める。

(3) 小括

上記(1)及び(2)を小計すれば四四九九万〇二七二円となる。

(4) 原告花子の葬祭費等の積極損害 一五〇万〇〇〇〇円

証拠(甲30の1ないし37)及び弁論の全趣旨によれば、原告花子は、亡三郎の死亡に伴う葬祭のための支出(死亡診断書作成料、往診料を含む。)として、合計三七五万三二七二円を支払ったことが認められるところ、その費目、金額等に照らし、うち一五〇万円の限度において相当因果関係のある損害と認める。

(5) 原告ら固有の慰謝料

原告ら各自につき

各二〇〇万〇〇〇〇円

亡三郎と原告らとの関係に加え、亡三郎の精神的損害の額について斟酌した上記一切の事情を合わせ考慮すると、その精神的苦痛による損害を慰謝するには、原告ら各自につき各二〇〇万円をもって相当と認める。

(6) 各自の損害額

以上をまとめると以下のとおりとなる。

亡三郎 四四九九万〇二七二円

原告花子 三五〇万〇〇〇〇円

その余の原告ら各自

各二〇〇万〇〇〇〇円

(7)  過失相殺等

前記認定判断のとおり、旧組合には安全配慮義務違反及び不法行為上の過失が認められるものの、台風襲来から亡三郎の自殺までが一月足らずという比較的短い期間であったこともあって、東山らは、実際にはその異変に対して直ちに何らかの対処を要するとは考えておらず、また、およそ通常人であれば誰しもが直ちに対処を要する事態であることを容易に認識することができるほどの認識可能性があったとまではいえない(①)。

他方、亡三郎の損害については、同人の自殺が前記のとおり同人の素因(精神疾患)に主たる原因がある。また、亡三郎の家族である原告らの損害については、上記同様のほか、原告らは、自らの手によって亡三郎の勤務環境を改善し得る立場にあったとは認められないものの、亡三郎の家族として同人の症状に気付いて対処すべきであり、また、前記前提事実のとおり、昭和六一年当時、旧組合が従業員である亡三郎の勤務環境に対して相当な配慮をなしていたことからみると、亡三郎が精神疾患に罹患したと認められる八月ころにおいても、亡三郎の異変に気付いた家族の者から、その旨連絡がなされれば、旧組合において相応の対処がなされたものと考えられる(②)

上記①と②を比較考量すると、亡三郎の損害及び原告ら固有の損害のいずれにおいても、その損害を算定するに当たり、過失相殺ないし同類似の法理により、亡三郎及び原告らに生じた各損害の七割を減額するのが相当である。

上記(6)記載の各損害額から、上記過失相殺等による減額をすると、以下のとおりとなる。

亡三郎 一三四九万七〇八一円

原告花子 一〇五万〇〇〇〇円

その余の原告ら

各六〇万〇〇〇〇円

(8) 相続等

亡三郎の損害につき、原告らの相続割合(原告花子が二分の一、その余の原告らが各六分の一)に従えば、原告花子は六七四万八五四〇円、その余の原告らは各二二四万九五一三円の限度においてそれぞれ相続したことになる。

そうすると、原告らの損害の合計は、以下のとおりとなる。

原告花子 七七九万八五四〇円

その余の原告ら

各二八四万九五一三円

なお、被告は、原告花子が受給する遺族年金を損益相殺の対象とすべき旨主張するが、その受給金額はおろか、受給の事実自体をも認めるに足りる証拠はないから、被告の上記主張は採用することができない。

(9) 弁護士費用

原告花子につき 八〇万〇〇〇〇円

その余の原告ら各自につき

各三〇万〇〇〇〇円

原告らが弁護士に依頼して本件訴訟を追行したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の難易、訴訟の経緯、認容額、その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、本件不法行為ないし安全配慮義務違反と相当因果関係にある弁護士費用は、原告花子につき八〇万円、その余の原告ら各自につき三〇万円と認めるのが相当である。

(10) まとめ

よって、被告は、原告花子に対し八五九万八五四〇円、その余の原告ら各自に対し各三一四万九五一三円及びこれらに対する亡三郎死亡の日(不法行為の日)である平成九年八月二二日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務がある。

5 結論

以上によれば、原告らの本件請求は上記の限度で理由があるから認容すべきであり、その余は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・礒尾正、裁判官・間史恵、裁判官・田中幸大)

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