和歌山地方裁判所 平成4年(ワ)271号 判決 1997年10月22日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
1 被告らは、原告に対し、連帯して、五〇〇〇万円及びこれに対する平成二年一〇月一二日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、連名で、読売新聞和歌山版、朝日新聞和歌山版、毎日新聞和歌山版に別紙一記載の謝罪広告を別紙二記載の条件で二回掲載せよ。
第二 事案の概要
本件は、原告の経営する貴志川ゴルフ倶楽部の増設工事に反対する住民運動を行っている被告らが、作成し、和歌山県記者クラブで発表した「貴志川ゴルフ倶楽部のコース増設に対する住民の反対運動にかんして」と題する文書の中の、
「一四年間にわたるし尿、生活用水のたれ流しや、毒性の強い農薬や特殊肥料の大量散布によって数多くの溜池はすべて汚濁、汚染されており、(中略)なかには今夏、鯉や鮒が全部死んでしまった溜池もある。」との記載が、事実無根で原告の名誉を侵害するとして、不法行為に基づく損害賠償及び名誉毀損における原状回復措置としての謝罪広告の掲載を求めた事案である。
一 前提事実(争いのない事実又は弁論の全趣旨によって認められる事実)
1 原告会社は、和歌山県那賀郡《番地略》において、「貴志川ゴルフ倶楽部」の名称でゴルフ場(昭和五一年四月開設、以下「本件ゴルフ場」という。)を経営する株式会社である。
2 被告らは、和歌山県那賀郡貴志川町尼寺自治区に居住し、同地区内の山畑地区(本件ゴルフ場のある山嶺の麓にある。)において、農業、建築業等を営んでいる者らであり、本件ゴルフ場の増設の動きに反対して、「貴志川町森と水を守る会」を結成し、その世話人をしている。被告根来は、代表世話人である。
3 被告らは、平成二年一〇月一二日、「貴志川町森と水を守る会」の代表幹事として、「貴志川町ゴルフ倶楽部のコース増設に対する住民の反対運動にかんして」と題する文書(以下「本件文書」という。)を作成し、和歌山県記者クラブで発表した。
4 右文書の中には、「一四年間にわたるし尿、生活用水のたれ流しや、毒性の強い農薬や特殊肥料の大量散布によって数多くの溜池はすべて汚濁、汚染されており、水面は緑藻に覆われ、夏季には悪臭が堪えられないほどである。なかには今夏、鯉や鮒が全部死んでしまった溜池もある。」との記載(以下「本件記載」という。)が、あった。
5 さらに、被告らの右発表行為により、翌日の一三日付け読売新聞に、「ゴルフ場増設反対運動拡大、貴志川町で「守る会」結成」との見出しのもとに、貴志川ゴルフ倶楽部の行為により、「今夏、別の農業用ため池のコイ、フナが全滅」という記事が掲載された。
二 争点
1 本件記載の内容が、原告の名誉権を侵害し、違法か否か。
2 損害額
三 争点1に対する原告主張
貴志川町大字尼寺所在の摺鉢池で、平成二年池の魚が死んだ事実はあるが、この原因は同年に同池の桶を修理するために池の水を全部抜いたことによるのであって、本件ゴルフ場の農薬や特殊肥料の散布によるものではない。したがって、本件ゴルフ場の農薬や特殊肥料の散布によって、鯉や鮒が死んだという記載は虚偽の記載である。
被告らは、右事実を知っていたにもかかわらず、敢えて原告会社を害する目的で、本件記載をしたのであり、その行為は、原告の名誉を毀損するものである。
四 争点1に関する被告の主張
1 被告らは、平成二年八月一四日、摺鉢池で魚が大量死しているのを目撃しており、本件記載は右事実に基づくものである。原告らの指摘する桶の修理は、同年九月三日以降のことであって、本件記載とはかかわりがない。
2 本件文書には、本件ゴルフ場の農薬や特殊肥料の散布によって、鯉や鮒が死んだという記載はないし、そのような断定もしていない。よって、原告の主張するような虚偽記載はない。
3 住民運動は、地域住民が、その生命、身体の安全や、人格権、土地所有権等、日常生活に直結する権利、利益を公害や開発等から擁護することを目的として行われる活動であり、資本を有する事業主体によって行われる権利侵害に対し、弱い立場にある住民らが団結して行う正当な権利、利益の擁護活動として評価されるものである。
このような権利、利益の擁護活動としての住民運動は、用いられた手段そのものが著しく社会的妥当性を欠き、公序良俗に反するような場合や本来の目的を逸脱して行われる場合を除いて、原則として、違法性を欠き、不法行為を構成しないと解すべきである。
特に、住民運動で用いられた活動手段が、本件のような「言論」である場合には、資金力を有さず、弱い立場にある住民が団結すると共に、世論に訴え、国や自治体に働きかけていくための基本となる重要な手段であり、かつ憲法上の「表現の自由」によって保護されていることに鑑みると、最も強く保護されるべきであり、極めて異例の場合を除いて、違法性を具備することはないというべきである。
本件は、被告らが、住民運動組織として、「貴志川町森と水を守る会」の結成を記者発表するに際して、「コース増設に反対する理由」と題して、このような住民運動に取組み、会を発足させるに至った経緯、理由を述べたにすぎず、その内容、手段、方法とも、通常住民運動として行われる範囲内のものであって、社会的相当性を逸脱するような点はないから、違法性がない。
第三 争点に対する判断
一 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。
1 本件ゴルフ場の山嶺の南付近には、摺鉢池、村池、白岩池といったため池が複数存在する。
2 昭和六三年、原告は、尼寺生産森林組合と同町岸宮地地区の民有地合計四〇ヘクタールの山村を買収し、九ホールを増設造成する計画を立て、同森林組合に申入れると共に、同年八月頃、同森林組合に対し、ホールを増設したいので、組合共有林地を売却してほしい旨の申入れをし、同組合と原告は、事前協議に入った。
被告らは、「本件ゴルフ場の開業による農薬等の化学肥料の散布、日常生活用水の排水等により、付近にある摺鉢池、皿池、村池等の水が汚染され、暗褐色になっていて悪臭がするようになった。そして、この水の汚染と、コースの造成にあたって投与された土壌固定剤や改良材、埋没された樹木の腐食に起因する赤い水(ヘドロ)によって、付近の谷川にいたヒメガニやトンボといった生物がいなくなってしまった。コースの造成工事による大量の雑木林の切木により、自然林が少なくなったため、山の保水力がなくなり、雨の時の一時出水がひどいほか、水路が局所であふれて、畦畔の決壊等の被害のおそれがある。このように本件ゴルフ場の開業による環境破壊や災害のおそれがあるのであるから、本件ゴルフ場を増設すると、これまで以上に農薬等の流出が増え、農作物、農業用ため池等が汚染され、山林伐採による土砂くずれが起きる可能性が強くなる。」と主張して、本件ゴルフ場の増設に反対し、組合用地売却の可否を決する目的で設立された組合用地売却の可否を検討する検討委員会の委員を通じて、「組合用地売却の可否を決するにあたって、組合として、個人地権者や組合用地内にある角蔵池の水利権者の意向を聴取すること、災害防止に関する問題について、信用ある第三者機関に研究、調査を依頼すること、関係各ため池の水質の現状を確認するため、公認の検査機関に検査を依頼し、測定結果を考察すること」等を要求した。
3 昭和六三年一一月五日頃、原告会社に対し、貴志川町長名義の副申書と題する書面が交付されたが、被告らは、この副申書の内容が、地区住民の生命と権利、生活の安全を無視したものであると抗議し、町に対し、ため池及び地下水の水質の検査を要求した。
これを受けて、平成元年八月、貴志川町はため池の水質検査を、岡崎工業株式会社和歌山科学研究センター(以下「センター」という。)に委託して実施した。その結果は、センターの水質測定結果報告書によれば、「すりばち池、角蔵池は、何らかの原因で汚染されているが、有機リン、硫化物が検出されていないため農薬による汚染ではない。すりばち池、角蔵池の窒素、全りんの検査値は、農業用水等の環境基準値を超えている」というものであった。
同センターは、平成元年一〇月にも水質検査を行った。その結果は、同月一三日付け水質測定結果報告書のとおりであるが、それによると、「PH(溶液中の水素イオン濃度を示す尺度)については、全池基準値内で問題なかったものの、COD(化学的酸素要求量、有機汚物の指標となる。)は、一池を除いて、環境基準値を超えていて、中には、環境基準値の六倍、三倍という数値を示した池もあり、付近のため池は、有機物によって汚染されている。窒素、リンについても環境基準値を超えている池が三池ある。総合評価としては、富栄養化現象ないしその傾向があるとされた池が三池、普通の状況にあると評価された池が三池、良好と評価された池が一池であった。」というものであった。
さらに同センターは、平成二年八月にも町の依頼を受けて付近のため池の水質検査を実施し、その結果は、同年九月一日付水質測定結果報告書によって報告された。それによると、「ため池は、一部を除いて、有機物によって汚染されている。(中略)生活排水の流入、魚類へのエサ投与等に起因するものと考える。」旨の記載があり、また「まとめ」として、「全般的に有機物によって若干汚れていて、富栄養化が進んでいる池も三池あるが、有機リンが検出されていないこと、総窒素、総リンの数値から推察して、農薬による汚染はない。」という旨の記載があった。
また、平成二年八月一六日、社団法人和歌山県薬剤師会の医薬品公衆衛生センターによっても、付近のため池の検査が実施された。その結果は、PH、COD、全窒素等で高い数値を示す池が複数存在したものの、総合的には、ため池としては、比較的良好であり、農業用水としては、特に問題がないというものであった。
以上の水質検査結果は、いずれも、検査後間もなく、被告らに開示された。
4 原告は、本件ゴルフ場増設についての事前協議中であった平成元年一二月頃に、九ホール増設特別縁故会員権を発売し、更に、平成二年五月に既存ホールの改造、九ホールの増設、クラブハウスの新築等を内容とする縁故会員権を発売した。
5 平成二年一月、被告らを含む白岩谷の水田耕作者及び東山畑地区の住民一五名は、本件ゴルフ場の増設に反対する団体として、「尼寺区の森と水を守る会」を結成し、原告会社代表者や貴志川町長に対し、増設に反対する内容の文書を提出する等、本件ゴルフ場の増設に反対する住民運動を繰り広げた。
6 平成二年四月一五日、原告と尼寺区長稲垣一男は、「「し尿浄化槽設置ならびに排水放流同意(承諾)書」の内容(条件)にかんする協定書」と題する協定書を作成合意したが、その第一条には、「甲(原告)は、その経営地にある本件ゴルフ場の開設以来一〇有余年にわたるし尿排水放流により、尼寺区内各ため池の農業用水を極度に汚濁させてきた事実を認め(以下略)」という記載がある。
7 平成二年八月一四日昼頃、被告根来は、自身の家の近くの水田を見に行こうとして、道を歩いていたところ、同じ町内会に住んでいて、摺鉢池の西斜面にみかん畑をもっている坂口譲に会い、同人から、摺鉢池と村池で魚が多く死んでいるということを聞いた。
そこで被告根来は、被告稽古庵に連絡して、二人で一時過ぎ頃、摺鉢池と村池を見に行った。
そして、まず摺鉢池に行ったところ、同池の水量は、満杯時の半分以下であり、池の水は暗褐色で、水はよどんでいて、魚が池の中で泳いでいる様子はなかった。
被告根来らは、池を一周したところ、池の西側の岸(水辺から約一メートル程度の範囲)に、点々と、二〇匹程度の魚の死骸(大きさ一〇センチから二〇センチ位)があった。また、水面に、魚の死骸が一つ浮いていた。魚の死骸は、死後何日か経過しており、中には骨だけのものもあった。
その後被告根来らは、村池の状況を見に行ったところ、同池の水量はほぼ満水の状況であり、池の水は暗褐色であった。
そして、同池では、約一〇匹程度の魚の死体(大きさ三〇センチ前後)が浮いていた。
8 平成二年九月三〇日に開催された和歌山県リゾート、ゴルフ場問題連絡会において、「尼寺区の森と水を守る会」の活動範囲を拡大し、本件ゴルフ場の増設に反対する住民運動を更に強力に展開させていく目的から、同会を発展的に解消させ、新たに「貴志川森と水を守る会」を発足させることを決議した。そして、平成二年一〇月一二日、同会を正式に発足させることとなり、同日和歌山県県庁記者クラブで、新聞報道機関に発表した。本件文書はその際の文書の一つであり、被告らが「コース増設に反対する理由」と題して、本件ゴルフ場の増設に反対する住民運動を行い、同会を発足させるに至った動機、理由を述べたものである。
9 被告らが本件文書を作成した平成二年一〇月当時、摺鉢池、村池、山谷池の本件ゴルフ場からの排水口付近の水が、赤状の色を呈していた。
本件ゴルフ場が出来るまでは、このような赤状の水が、右各池に存ずることはなかった。
二 以上の事実を下に、争点について判断する。
1 住民運動は、地域住民が、その生命、身体の安全や、人格権、土地所有権等、日常生活に直結する権利、利益を公害や開発等から擁護することを目的として行われる活動であり、その活動の多くは、憲法二一条による表現行為として、同条の表現の自由としての保護を受けるものである。
もとより、住民運動といえども、相手方の名誉等を侵害する違法なものであってはならない。
しかし、住民運動が、前記のような権利、利益が公害、開発等によって侵害される危険に直面した際に、世論や国、自治体に働きかける住民の基本的な手段であり、社会運動であることからして、多少の誇張や表現の行きすぎは少なからず存在しがちであることを考慮すると、住民運動の一貫として行われた言論等の表現行為は、その内容が全く根拠のない憶測である場合等、その手段、内容において明白に社会的相当性を逸脱し、公序良俗に反していると評価しうる場合に、初めて不法行為の対象となる違法性を帯びるものと評価すべきである。
2 これを本件について見ると、本件は、本件ゴルフ場の増設の動きに反対する被告らが、その反対行動の一貫として本件文書を新聞社等に配付したというものであり、その内容自体は、本件ゴルフ場の増設の動きに反対する会発足の経緯、及びコース増設の動きに反対する理由等であって、本件文書の記載は、「コース増設の動きに反対する理由」の中に存在するものである。そして、その内容は、コース増設に反対する理由としての、本件ゴルフ場によるため池周辺の環境の悪化を訴える文言の一貫として評価しうるものである。
本件記載の内容は、本件文書の読者にとって、本件ゴルフ場付近のため池の中には、本件ゴルフ場からの生活排水等によって、池の魚が全滅したものがあると読めるものであり、また、そう読むのが通常であると思われるものであって、本件で認められる事実関係に照らして、行きすぎ、誇張と評価しうるものであるが、本件ゴルフ場の生活排水等によって、池の魚が全滅したため池が存在すると直接明言しているものではなく、その内容の不当性は、後述する理由も考慮すると、事実関係の表現の誇張、行きすぎにとどまると評価しうるものである。
そして、被告らが、このような記載をなすに至ったきっかけは、被告根来らが八月一四日に、摺鉢池及び村池において、少なからぬ魚の死体が、池の水面に浮いていたり、岸に散在しているという異常な状況を目撃したことにあると認められる。
また、貴志川町の委託によって行われたセンターによる本件ため池の水質検査結果によると、本件ゴルフ場付近のため池の中には、有機物によって汚染されていたり、PH、COD、全窒素等で高い数値を示す池が複数存在し、環境庁の定めた適正基準を上回る数値を示したものがあった旨報告されていて、農薬による汚染はないとされたものの、付近のため池の汚染の事実自体は確認されたものである。
そして、センターによって、三回目に行われた水質検査結果によると、農薬による汚染はないとされたものの、付近のため池の有機物による汚染は進行していて、その理由として生活排水が掲げられている。
そして、前述のように、本件ゴルフ場開設後、摺鉢池、村池等の排水口において、付近の水が赤色状になっているという現象があった。
また、原告が同意した協定書の中に、本件ゴルフ場のし尿等によって、ため池の農業用水を汚濁させてきたことを原告が認めている文言が存在する。
以上述べた事柄、すなわち本件は、摺鉢池等において、少なからぬ魚の死体が、池の水面に浮いていたり、岸に散在しているという異常な状況を被告根来が目撃したことがきっかけであること、貴志川町の委託によって行われた本件ため池の水質検査結果によると、付近のため池が有機物によって汚染されている状況自体は認められ、その検査結果たる数値は、環境庁の定めた適正基準を上回るものがあり、その原因として、生活排水が指摘されていたこと、本件ゴルフ場からのため池の排水口付近に見られた赤色状の水の存在、原告自身、本件ゴルフ場のし尿等によって、ため池の農業用水を汚濁させてきたことを認める協定書を作成、合意していること、本件ゴルフ場とため池との位置関係等を考えると、本件の文言は、表現行為として行きすぎの面があるとはいえるものの、相応の根拠、きっかけを有しているものであることが認められる。
そして、被告らによる本件文書の配付時、原告は、本件ゴルフ場の増設に向けて、新規会員の募集のための会員権の販売を始めており、増設に向けて具体的な動きを開始していたが、被告らとの話し合いは、未だ行われていなかった。
このように本件文書が相応の根拠、きっかけを有していること、本件記載は、全体として、事実関係に照らして、行きすぎ、誇張があったと評価しうるものの、本件ゴルフコースの生活排水等によって、池の魚が全滅した池が存在すると直接明言しているものではないこと、本件記載の内容がコース増設の動きに反対する理由としての、本件池周辺の環境の悪化を訴える文言の一貫として評価しうるものであること、本件文書配付時に、原告は、本件ゴルフ場増設に向けて、新規会員の募集を始めており、増設に向けて具体的な動きを開始しており、本件文書はこのような具体的な動きに対抗するための、被告らの住民運動の一貫であることを総合考慮すると、本件記載は、誇張、行きすぎの面があるとはいえ、その内容、手段において、明白に社会的相当性を逸脱しており、不法行為の対象となるほど違法なものと評価することはできないものである。
第四 結論
よって、原告の請求はその余の点を判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 東畑良雄 裁判官 和田 真 裁判官 桝沢直人)