和歌山地方裁判所新宮支部 昭和31年(わ)48号 判決 1958年6月10日
被告人 新田裕次郎
主文
被告人を懲役三年に処する。
但し、本裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予する。
右執行猶予期間中、被告人を保護観察に付する。
訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
罪となるべき事実
被告人は、小峰守と共謀の上、
第一、昭和二十七年二月一日午前二時頃、新宮市新宮初之地蒲団商近藤平右衛門方に故なく侵入し、同人所有の蒲団五枚、服地約三百二十九碼(時価合計約十万二千八百八十円相当)を窃取し、
第二、同年同月十六日午前二時頃、同市新宮仲之町洋服商岡田英晴方に故なく侵入し、同人所有の背広服三つ揃等衣類雑品合計約百六十五点(時価合計約九十万九千九百円相当)を窃取し、
たものである。
(証拠の標目)(略)
前科
被告人は、昭和二十二年七月十一日、当庁において窃盗罪により懲役一年以上二年以下に処せられ、当時右刑の執行を受け終つたものであつて、この事実は、奈良少年刑務所から当庁に宛てた昭和三十二年二月十一日附「前科執行状況照会について回答」と題する書面により明かである。
法令の適用
被告人の判示所為中、住居侵入の点は各刑法第百三十条、第六十条に、窃盗の点は各同法第二百三十五条、第六十条に該当するところ、両者の間にはそれぞれ手段結果の関係があるから、いずれも重い窃盗罪の刑により処断すべく、被告人には前示前科があるから、同法第五十六条第一項、第五十七条第十四条に従い再犯の加重をし、右は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条、第十四条により法定の加重をした刑期範囲内において、被告人を懲役三年に処し、なお、刑の執行を猶予すべき情状があると認め同法第二十五条第一項第二号により、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予すると共に、同法第二十五条ノ二に則り、右執行猶予期間中、被告人を保護観察に付し、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従い訴訟費用は全部被告人に負担させることとする。
執行猶予付与の適格性について
一、なお、被告人は、昭和二十四年七月二十九日、和歌山地方裁判所田辺支部において、窃盗罪により懲役二年以上四年以下(未決通算十五日)に処せられ、右判決が同月十三日確定し、刑の執行終了日が同二十八年七月二十八日と予定されていたところ、同二十六年八月二十三日、被告人が仮釈放を受けて奈良少年刑務所を出所したことは、前示同刑務所からの当庁宛回答によつて明かであるが、右仮釈放期間中たる同二十七年四月二十八日公布された、同年政令第百十八号により、被告人の右刑の減軽の有無――延いては刑法第二十五条第一項第二号所定期間経過の有無――について検察官及び弁護人間に争いがあるので、この点について考えてみる。
二、恩赦法第六条、第七条第一項により、政令をもつて、刑の云渡を受けた者に対し、一般的に罪若しくは刑の種類を定めて刑を減軽する場合――いわゆる一般減軽――にあつては、いわゆる特別減軽(同法第七条第二項)の場合と異り、政令に減軽の対象として定められた罪若しくは刑に該当する者は、政令が公布されその効力が発生した日において、刑の執行機関その他の国家機関において減軽該当者としての手続が採られたと否とを問わず、当然にその刑を減軽されるものであり、又、政令に定められた特別の事情ある者に対しては減軽しない旨定められている場合に、前記各機関において、これに該当する者として、減軽不適格の通知その他の手続が採られたときにおいても、その者が当時これに該当しない者であつたことが判明したときは、政令の効力発生の日に当然その刑が減軽されていると解すべきである。換言すれば、政令による刑の減軽、不減軽の効果は、政令の効力発生と同時に直接政令自体の効力によつて生ずるものであつて、前記国家機関が減軽不減軽の通知その他の手続をするのは、政令によつて既に発生した減軽、不減軽の効果を明確にして刑の執行に過誤なからしむると同時に、刑の執行を受ける者に対してこの効果の発生、不発生の事実を知らしめるためにするに過ぎず、これによつて、減軽、不減軽の効果を形成するような効力を生ぜしめるものではないと解すべきである。
三、これを本件について考えてみると、被告人の第一項掲記の刑が昭和二十七年政令第百十八号第一項本文、第七条により減刑の対象たるものであることはいうまでもなく、従つて、同令施行当時被告人に同令第一条但書の事由が存しない限り、刑の執行機関等において右但書に該当する者として減軽不適格の取扱いをしているかどうかにかかわらず、被告人は当然右刑の減軽を受けたといわねばならないことは、前項の説示により明かである。
よつて、被告人が同令施行の日たる昭和二十七年四月二十八日当時、前記法条但書にいわゆる「現に逃げ隠れていた者」に該当するかどうかについて考えてみるに、昭和三十二年五月十三日附和歌山保護観察所長作成の「恩赦関係書類送付について」と題する書面に添付された、同二十七年六月三日附同所長作成検察官宛「仮出獄中の者の所在不明について通知」と題する書面(写)には、被告人が右政令施行の際現に逃げ隠れているものと認められ、減軽不適格と思料せられるから通知する旨記載されているけれども、他面、同三十二年二月十二日附同所長作成当庁宛「前科執行状況照会について(回答)」と題する書面中には、被告人は昭和二十七年二月二十八日頃父親と口論の上家出し、政令施行の際現に所在不明であつたもので政令第一条但書に該当し減刑不適格となつた旨の記載があるのであつて、右両書面の記載ならびに、本件犯行が右政令施行の二、三ヶ月以前に行われているという事実から、直ちに被告人が右政令施行当時逃げ隠れていたと認めることができず、他に右事実を認めるに足る的確な証拠がない。又前掲観察所長の当庁宛回答書(昭和三十二年二月十二日附)第五回公判調書中証人船引豊二の供述記載に、証人森本辰男の当公廷における供述、ならびに、第十回公判廷における被告人の供述記載(一部信用できない)を綜合すると、前記政令施行当時、被告人の保護観察を担当していた森本辰男が、被告人に対する減軽の通知書を届けに被告人の住居(被告人が同居していた実父新田義男の住居)に行つた際、被告人が不在で交付することができなかつたところ、その際、同人は、近隣の者から、被告人が実父と口論の末家出していると聞いたところから、軽卒にも被告人が所在不明であると速断し、その旨を保護観察所長に報告し、同所長が右報告に基いて、被告人が右政令施行の際逃げ隠れているものと判断し、その旨の前示検察官宛の通知書(ちなみに同書面の日附が同二十七年六月三十日附となつている)を発したことが認めらるところであつて、右報告事実から直ちに被告人が逃げ隠れているものと認定し難いことはいうまでもない。却つて、第十回公判廷における被告人の供述、被告人の司法警察職員に対する供述調書の記載ならびに第一回公判調書中証人浜中俊美の供述記載を綜合すると、被告人は、本件犯行直後鈴木絹代を娶り、間もなく前記実父方の住居を出て、右絹代の実母鈴木しな方(熊野市有馬町所在)において同棲し、政令施行当時即ち同二十七年四月当時も同所に居住していたが、その後一時四日市市に夫婦で出稼ぎに行つたところ、病気を得て同年十一月再び右しな方に戻り、翌二十八年頃現在の肩書住居に移り爾来今日まで引続き居住していることが認められるところであつて、右の経過からみて政令施行当時被告人が故らに逃げ隠れていたものとは認め難いところである。尤も、当時仮釈放中であつた被告人が、担当保護司に対し、住居を変更するような場合においては、その旨を届出るべきことを遵守事項として定められていたことは、前掲証人船引豊二の供述記載によつて明かであり、被告人が右不在となつた当時右遵守事項に違反して、住居変更の届出をしていなかつたことは、被告人の第十回公判廷における供述によつて認められるけれども、被告人の右供述によれば、右は被告人において故意に違反したものではなく、既に仮釈放期間が満了したものと思つていたことに起因すると認められるから、右遵守事項違反の事実をもつても、被告人が政令施行当時逃げ隠れていたということができない。
以上述べた通り、被告人は、政令施行当時逃げ隠れていたものと認めることができない以上、検察官その他の国家機関において、被告人を政令第一条第一項但書に該当するものとして減軽不適格の取扱いをしているとしても、被告人が、同条同項本文によつて当然その刑を減軽されているものといわねばならない。
四、そうすると被告人に対する前示の刑は、政令第四条第一項第一号(被告人の生年月日と前示判決年月日を対照すると、被告人が犯時において十八才未満であつたことは明かである)、第二項により、懲役一年四月以上二年八月以下に短縮されたというべく、長期についてみても同二十七年三月二十八日に刑の執行が終了したと認むべきことは日数計算上明かであるが、同政令第五条により同政令施行の前日即ち同年四月二十七日その執行を終つたものといわねばならない。
従つて、右執行を受け終つてから本判決云渡まで、既に五年以上を経過し、その間被告人は禁錮以上の刑に処せられたことがないのであるから、被告人に対して刑法第二十五条第一項第二号を適用するになんらの妨げがない。
以上の理由により、主文の通り判決する。
(裁判官 下出義明)