和歌山地方裁判所田辺支部 昭和49年(ワ)27号 判決 1974年12月11日
原告 国
訴訟代理人 永井充 ほか二名
被告 下地好徳
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告
1、被告は原告に対し金二、九九六、九四一円およびこれに対する昭和四五年一一月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2、訴訟費用は被告の負担とする。
3、仮執行宣言
二、被告
主文同旨
第二、当事者の主張
一、原告
(一) 昭和四四年二月一二日午後八時三〇分頃、和歌山市狐島二六七の二五先道路において、訴外長喜代次の運転する自動二輪車(大阪市・城・カ三九一〇)が歩行中の訴外杉原芳樹に衝突し、同人は路上に転倒して頭部外傷(第III型)等の傷害を受け、翌一三日同傷害に基き死亡した。
(二) 被告は、右事故当時、右自動車を自己のため運行の用に供していたものである。すなわち、被告は右自動車を訴外太田豊から譲受けて所有し、これを自宅で保管していたものであるが、同車を自由に使用しうる状態で放置していたものであり、また、前記長喜代次とは叔父、甥の間柄であつて、運転目的が終了すればその返還を受けることは明らかであつたから、右自動車の運行を支配していたものというべきである。
(三) 右自動車については事故当時自賠責保険の契約が締結されていなかつたため、原告は自賠法七二条一項に基き前記杉原芳樹の長女杉原ひろ子より委任を受けた全国共済農業協同組合連合会の請求により、次のとおり査定し、昭和四五年一一月二七日同連合会に対し損害のてん補として合計二、九九六、九四一円を支払つたので、同法七六条一項により右の限度で被告に対する損害賠償請求権を取得した。
(1) 傷害による損害、(イ)治療費九、七四一円、(ロ)文書料一、〇〇〇円、合計一〇、七四一円のところ、過失相殺として八、八〇〇円を減額し残額一、九四一円。
(2) 死亡による損害、(イ)葬儀費九一、九二三円、(ロ)逸失利益七、四六一、四八五円(事故当時四七才の男子、収入は昭和四一年賃金構造基本統計調査報告により月額六六、五〇〇円、生活費は同年全国世帯平均家計調査報告を参考として月額一二、六〇〇円、就労可能年数一六年、ホフマン係数一一・五三六として算定)、(ハ)慰籍料二〇〇万円、合計九、五五三、四〇八円のところ、過失相殺として二、八六七、五〇〇円を減額すると六、六八五、九〇八円となるが、法定限度額を超過するため、同限度額三〇〇万円から加害者側からの支払額三、〇〇〇円および国民健康保険からの給付額二、〇〇〇円を控除した額二、九九五円。
(四) よつて、被告に対し、右損害てん補額二、九九六、九四一円およびこれに対する右支払日の翌日たる昭和四五年一一月二八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、被告
(一) 原告主張の(一)の事実は不知。(二)の事実中、被告が本件自動車を訴外太田豊から譲受けて所有し、これを自宅で保管していたこと、被告と長喜代次が叔父、甥の間柄であることは認めるが、その余は争う。(三)の事実中、事故当時、本件自動車につき自賠責保険の契約が締結されていなかつたこと、原告が杉原芳樹の長女杉原ひろ子より委任を受けた全国共済農業協同組合連合会の請求により昭和四五年一一月二七日同連合会に対し金二、九九六、九四一円を支払つたことは認めるが、その余は不知。
(二) 被告は、新しい単車を購入する際下取りに出すため、昭和四四年一月末頃、訴外太田豊から、すでに性能が衰え経済的には使用不適当になつていた本件自動二輪車の贈与を受け、当時被告が居住していた和歌山市秋月所在の木造二階建アパート「喜楽荘」の階下軒下に置いて施錠し、その鍵は右アパートの被告の居室内のベツトの戸棚の中にしまつていたもので(なお、同アパートの他の居住者も単車や自転車の置場所として右軒下を利用していた)、被告自身は一度同車のエンジン始動の確認をしたのみで、これを運行したことは一度もなかつた。しかるに、昭和四四年二月一二日、大阪経済大学在学中の甥長喜代次が疲れているので休ませてくれといつて被告を尋ねて来たので、右アパートの被告の居室に連れて行つて休ませたところ、同人が被告の不在中被告に無断で右自動二輪車の鍵を捜し出し、同車を乗り廻して本件事故を惹起したものである。右長は、被告と同居していたわけではなく、たまたま一時休息するため被告のアパートに赴いたものであり、被告は、それ以前も同人に同車を貸したことはなく、また、その無断運転を容認していたこともない。したがつて、被告は本件事故当時同車に対する運行の支配および利益を有しなかつたものであり、自賠法三条の運用供用者には当らない。
第三証拠関係<省略>
理由
被告が本件自動二輪車を所有していたこと、ならびに、被告と訴外長喜代次が叔父、甥の間柄であることは当事者間に争いがない。
<証拠省略>を総合すると、被告は和歌山市太田所在のアパート「喜楽荘」に単身で居住し、同市内の「阪和タクシー」に運転手として勤務していたものであるが、昭和四四年一月頃、姉の夫である訴外太田豊から同人が不要になつたため廃車にしていた本件自動二輪車を新しい単車を買う際下取りに出そうと考えて貰い受け、登録名義を同人にしたまま、右アパート(二階建、十数室)階下軒下に置き(なお、同アパートの他の居住者も単車や自転車の置場所として右軒下を利用していた)、施錠したうえ、その鍵を右アパートの被告の居室のベツトの戸棚の引き出しの中に櫛や化粧品等とともに入れていたもので、同車を運転して走行したことは一度もなかつたこと、同年二月一二日昼過、当時大阪市に居住し大阪経済大学に在学していた長喜代次が、被告を前記勤務先に尋ねて来て、疲れたので休ませてほしいというので、被告は同人を右アパートの自室に連れて行き、同人を残して再び勤務に出たところ、同人が無断で前記戸棚の引出しから本件自動二輪車の鍵を取り出して同車を運転し、同日午後八時三〇分頃、和歌山市狐島二六七の二五先道路上で歩行者杉原芳樹に衝突して頭部外傷(第III型)の傷害を負わせ、翌一三日同人を右傷害により死亡させたこと、右事故日までに右長が被告のアパートを訪れたのは一回ぐらいであり、本件自動二輪車を被告から借り受け、あるいは被告に無断で運転したことはかつてなく、また、事故当日、右長が被告に同車使用の承諾を求めたり、被告が右長に同車やその鍵の所在を教えたりしたこともなかつたことの各事実が認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。(なお、右長は本件事故により頭部を負傷し、そのため事故後約一ケ月間意識を失い、事故当日のことについてはまつたく記憶を喪失しているため、同人が果して、いつ、いかなる目的で右自動二輪車を乗り出し、どのような経路を走行したかは不明である。)
そして、右のような事実関係のもとでは、被告が本件事故当時本件自動二輪車の運行を支配し、かつ、その運行による利益を享受していたものとはいいがたく、本件事故につき被告に運行供用者としての責任を問うことはできないものと、いわざるをえない。
それゆえ、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく失当であるから、これを棄却し訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 青木暢茂)