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和歌山家庭裁判所妙寺支部 昭和52年(家)106号 審判 1981年4月06日

申立人 家田イネ

相手方 家田一男

主文

相手方は申立人を扶養する義務を負担する。

相手方は申立人に対し、昭和五六年四月一日より毎月金五万三、一一〇円をその月一五日限り支払わなくてはならない。

理由

本件申立の趣旨は、相手方は申立人に対し扶養料として金一、四二六万二、一〇六円を支払えとし、その理由の要旨は、申立人は相手方の父家田誠太郎(以下単に誠太郎という)の後妻として昭和二一年七月一六日婚姻届を了し、以後二人で農作業に従事し、財産を保全充実させてきたが、誠太郎は昭和四八年六月一四日死亡し、申立人と相手方とは一親等の姻族の関係にある。申立人は法定相続分三分の一を有し、誠太郎には多額の不動産があつたが、昭和四八年六月二一日書面で相手方が扶養してくれることを条件に該不動産を相手方名義にすることを承諾した。相手方の申立人に対する右扶養義務の負担は、相手方が誠太郎の全ての不動産を相続することと対価的な関係にあるもので、民法八七七条二項の特別の事情があるときに該当し、このことは、右書面作成にあたつて申立人の実弟佐山寿徳も立会つており、相手方は申立人の弟妹が存在することを承知のうえで申立人を扶養することを約していることからも明白である。しかるに、相手方は昭和五〇年一一月に申立人と同居を開始した直後頃から誠太郎の遺産に不明な点があると主張しはじめ、申立人が昭和五二年三月約二〇日間和歌山県立医大に腎臓疾患のため入院後は同居を拒み扶養義務を全くつくさない。そこで申立人はやむなく実妹植木洋子方に同居させてもらい毎月三万円の住居費を支払つているが、和歌山県人事委員会が昭和五五年一〇月に給与勧告した際の標準生計費によれば、世帯人員一人の一か月当りの食料費は二六、七三〇円、被服費は三、四九〇円、雑費は二七、二四〇円であり、その合計五七、四六〇円に住居費三万円を加算すると申立人の生活費は月額八七、四六〇円を下らない。ところで申立人は現在七五歳であり、その平均余命は一〇・一七年(昭和五三年簡易生命表)であるから、上記金額の年額にこの年数を乗じたものが満七五歳になつた昭和五五年九月一二日以降将来の扶養料の全額であり、将来の分も一括請求するので中間利息年五%を控除すべきであるが、その程度は毎年の物価上昇率の中に解消されるから、将来の扶養料額は単純に乗じた一、〇六七万三、六一八円であり、これに扶養を拒まれたこと明らかな昭和五二年四月一日以降昭和五五年九月一一日までの扶養料三五八万八、四八八円を加算すると合計一、四二六万二、一〇六円が本件扶養料の金額であるからこれが支払いを求めるというにある。

記録に編綴の戸主家田仁之助の除籍謄本、筆頭者家田誠太郎、同家田一男の各戸籍謄本、故家田誠太郎の遺産相続についてと題する文書、調査官○○○○○の調査報告書、申立人、相手方の審問の結果(いずれも第一、第二回)によれば、申立人は郷里の和歌山県伊都郡○○○○町(当時○○村)に疎開し、そこで暮していたとき、終戦後アメリカから同○○○○町(当時○○村)に引揚げてきて農業をしていた誠太郎と知人の世話で知合い、昭和二一年五月に婚姻し、同年七月一六日その届出をしたが、当時誠太郎とその先妻イクエとの間には長男相手方と長女敬子、二男則男、二女万里子があり、二男と二女はアメリカにいて音信不通で、長女は戦前に嫁ぎ、相手方は兵役に服してまだ復員しておらず、申立人は誠太郎の父と姪及びその子との五人で暮していたところ、まもなく父は死亡し、姪は再婚し、その子は養子に貰われ夫婦二人だけとなつたが、姪が再婚して家を出る少し前に相手方が復員し、相手方は○○○に勤め、妻信子を迎え昭和二二年四月二日に婚姻届を了し、二組の夫婦が同居することとなり、申立人夫婦は農業で収入を得ていたが、相手方が高額の給料を得ていたのに誠太郎に隠していたのが誠太郎に知れ不仲となつたため昭和三二年頃相手方が家を出て、以後誠太郎が昭和四八年六月一四日に死亡するまで申立人夫婦で農業をしながらその不動産を守つてきたのに対し、相手方はサラリーマンとして各地を転々として暮し、昭和五〇年一一月に退職して帰郷し申立人と再び同居することになつた。その間誠太郎の初七日の昭和四八年六月二一日に申立人、その弟佐山寿徳、申立人の妹植木洋子、相手方、その妹岡田敬子が集まつて誠太郎の遺産相続について協議をし、不動産は相手方が全部相続し、八〇〇万円ほどあつた預貯金等のうち申立人名義の五一八万余円は申立人が当分の間一人で暮していくための生活費として申立人が受け取り、残りの誠太郎名義のものは相手方が受け取り、申立人は従前どおり○○○○町の家で故人の霊を祭り、相手方は申立人を扶養することを約し、その旨を相手方が文書に記載したこと、そして相手方は五年程は戻れないが、戻つてきた時は同居して申立人を扶養するということであつたが、申立人の扶養のこともあり年金生活を決意して予定よりも早く退職して前記のとおり帰郷したものであること。そして同居するようになつて間もなく相手方は誠太郎の遺産の調査を始め、誠太郎の生前処分した不動産の代金のことや生命保険加入の有無などについて申立人に説明を求め、その説明が十分でないとして昭和五一年七月六日には文書で九か条からなる質問書を出し、文書による回答を求め、申立人も文書により一応の回答をしたが誠意ある回答をしないときはこの家から出てもらうしかないと言うに至つた。そして昭和五二年三月七日申立人が腎臓病で和歌山医大附属病院に入院し、同月二八日に退院することになりその旨申立人から前記弟佐山を通じ電話で連絡したところ、相手方は誠意ある回答がない限り帰つて貰つては困まると言つて申立人の帰宅を拒否し、以後申立人は和歌山市在住の前記妹植木洋子方に住み今日に至つていることが認められる。

そこでまず申立人が要扶養者であるかにつき検討するに、前掲筆頭者家田誠太郎の戸籍謄本、申立人代理人提出の昭和五六年三月五日付上申書、申立人の審問の結果(第一、第二回)によれば申立人は、明治三八年九月一二日生まれの当七五歳であり、和裁の他には特殊の技能や学問もなく、和裁も目が悪くなつてできないために何等収入を得ることができず、現在月額二万二、五〇〇円の老令福祉年金を得ているだけであること、誠太郎死亡の際にあつた申立人名義の五一八万余円の預金も相手方と同居するまでの間の生活費や退院後の生活費に費消して昭和五六年三月二六日現在では二五五万余円を残すのみであることが認められる。しかして現在の経済事情のもとで実子を持たない申立人が今後もし妹の家を出て一人で暮していくとすれば借家の敷金や家具代等に多額の出費を要するし、病気になつた場合などのために前記預金程度はそれ等不時の用意に必要であり、今後扶養の要あることが肯認できる。

よつて次に相手方に申立人を扶養すべき義務を負わせるべきかについて検討する。昭和五六年二月一八日付○○○○町長作成の照会に対する回答書、家裁調査官○○○○の調査報告書、証人佐山寿徳の証言、第四、第五回審問の結果、相手方の審問の結果(第二回)によれば、申立人には法定の扶養義務者として前記弟佐山寿徳、妹植木洋子が生存しているけれども、右佐山寿徳は当六二歳で二年前に会社を定年退職し、現在夫婦と独身の息子との三人暮しで、資産としては約三二坪の宅地とその地上に二階建延べ約八八平方メートルの建物を所有し、預金五〇〇万円位を有しているが、収入としては厚生年金で年一四〇万円ないし一五〇万円を得ているだけであり、また植木洋子は夫が死亡し、独身の息子との二人暮しで、資産としては約三五坪の宅地と約三〇坪の建物を所有し、健康を害するまではパートで働いていたが、現在は病気で寝ていて無収入であり、その息子も昭和五五年末に会社勤めをやめて失業保険を得ている状態であることが認められ、右いずれも殆んど扶養余力なき生活をしている。他方相手方は前記のとおり永年○○○に勤め、現在は夫婦二人暮しで農業を営み、報酬、恩給、年金、農業収入として年収二九四万二、九〇一円を得ており、それから所得税等の各種控除及び相手方夫婦の必要生活費を差引いてもなお月額一〇万四、〇〇二円の扶養余力のあることが認められ、更に誠太郎死亡の際、申立人が誠太郎と結婚後約二七年間申立人夫婦で農業をしながら守つてきて申立人には寄与するところが多いのに対し、相手方はサラリーマンでしかも昭和三二年頃からは家を出て寄与するところの少なかつた誠太郎所有の不動産である田畑五二四三、六一平方メートル、山林一一三六五平方メートル、宅地四〇九、三三平方メートルとその地上の建物及び貸地一九六、一九平方メートルをすべて相手方が相続し、その不動産の相続開始当時の時価は申立人側の評価によれば六、六五〇万円であり、相手方側の評価によつても二、八〇九万余円であるところ、他に預金や農協の出資金で合計約八〇〇万円あつた相続財産についても、そのうち申立人には当座の生活費として申立人名義の預金五一八万余円を渡しただけでその残額も相手方が取得したこと、そして相手方は申立人を扶養することを文書で約したこと前認定のとおりで、かかる事情よりすれば相手方に対し申立人を扶養する義務を負わせるのが相当というべきである。

よつてその扶養の方法程度につき考えるに、申立人と相手方が同居中も融和を欠いていたこと、申立人退院の際相手方が相手方のところへ戻ることを拒んだ事情等前認定のとおりであるから、申立人が相手方と同居し扶養を受けることは適当な方法とは認め難く、従つて金銭給付扶養によるべきであるが、申立人の扶養を要する額は生活保護基準により算出するのを相当とし、申立人の審問の結果(第一、第二回)によれば申立人は動脈硬化で薬を飲み身体の調子も悪く事情の許す限り妹植木洋子方での居住を希望し、妹方を出ることになつても老令の一人暮しになるから面倒のみてもらえる妹の住む和歌山市に居住するものとし、申立人は前記認定のとおり現在七五歳の女性で和歌山市は二級地であるから、財団法人社会福祉調査会発行の昭和五五年版保護のてびき記載の表により最低生活費を算定すると、基本額は、次のとおりである。

21,060円+(17,730円×7+19,220円×5)÷12 = 39,410円

(1類費)       (2類費)      (基本額)

これに老令加算一二、六〇〇円と和歌山県の認める二級地の住宅扶助費の最高限度額二三、六〇〇円を加算すると月額七五、六一〇円となる。

しかし昭和五六年二月七日付和歌山市国民年金課長からの回答によると申立人には月額二二、五〇〇円の老令福祉年金が支給されており、生活保護費算定にあたつて老令福祉年金は収入として保護基準から差し引かれることになつているからこれを控除すると五三、一一〇円となる。しかして右は前認定のとおり相手方の扶養余力の限度内でもあるから、扶養額は月額五万三、一一〇円をもつて相当とする。

ところで相手方は昭和五二年七月三〇日本扶養料請求の審判を申立てたものであるが、前認定のとおり、相続開始の際に当座の生活費として受領した五一八万余円の預金のうち相当額をなお有していたから、昭和五六年三月末までは要扶養の状態になかつたものと認められ、それ以前の過去の扶養料についてはこれを認めるのが相当でなく、また将来に向けての扶養料の一括請求も扶養の性質上相当でない。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 浦上文男)

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