大分地方裁判所 平成14年(ワ)258号 判決 2004年1月19日
原告
阿部昭
外45名
原告ら訴訟代理人弁護士
南谷知成
同
南谷洋至
同
朝雲秀
同
田村雅樹
同
西依大輔
被告
兼中津競馬組合訴訟承継人
大分県
同代表者知事
広瀬勝貞
同指定代理人
野中信孝
外4名
被告
兼中津競馬組合訴訟承継人
中津市
同代表者市長
新貝正勝
同訴訟代理人弁護士
石津廣司
同
山本洋一郎
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告らは、連帯して、別紙請求額一覧表原告欄記載の各原告に対し、それぞれ同表請求額欄記載の各金員及びこれに対する平成14年5月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
第2 事案の概要
本件は、原告らが、被告大分県、同中津市及び中津競馬組合(中津競馬組合は本件訴え提起時の被告であったが、後記のとおり訴訟係属中に解散したことにより被告大分県及び同中津市がその訴訟上の地位を承継した。以下、併せて「被告ら」という。)に対し、被告らが中津競馬を廃止したことは、同競馬に出走する馬のための厩舎に入厩していた競走馬(以下「在厩馬」という。)を所有していた原告らの法的信頼を侵害した違法な行為であり、競走馬の購入費・管理費等が損害にあたるとして、主位的に不法行為に基づく損害賠償を求め、予備的に憲法29条3項に基づく損失補償を求め、併せて、訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 前提事実(以下の事実は、当事者間に争いがないか、末尾掲記の証拠等によって認めることができる。)
(1) 当事者
ア 原告らは、平成13年4月1日当時、大分県中津市にある中津競馬場に入厩していた別紙損害額内訳表馬名欄記載の各競走馬(以下「本件競走馬」という。)を所有していた馬主である(乙イ17の1ないし5、弁論の全趣旨)。
また、原告らは、大分県内において施行せられる地方競馬に協力し、その円滑なる運営と健全なる発達に寄与するとともに会員相互の親睦と共同の利益の増進を計ることを目的として組織された大分県馬主会の会員である(甲1)。
イ 中津競馬組合(以下「本件組合」という。)は、被告大分県及び同中津市の地方競馬に関する事務を共同処理するために設立された一部事務組合(地方自治法284条以下参照)であり、被告大分県及び同中津市が本件組合の構成団体である。
本件組合については、構成団体である被告大分県及び同中津市がそれぞれの議会の議決を経て、解散の協議を行い、平成15年3月31日限りでこれを解散することとし、同月13日付けでその旨を総務大臣に届け出た。
(争いがない。)
(2) 地方競馬及び中津競馬の沿革
ア 地方競馬を施行する主体(以下「施行団体」という。)は、昭和23年に制定・施行された競馬法上は都道府県及び著しく災害を受けた市で内閣総理大臣が指定したものに限られていたが、昭和24年及び昭和26年の同法改正により、上記のほかに著しく災害を受けた町村及び地方競馬場が存在する市町村が追加され、これらの市町村で自治大臣(現総務大臣。以下同じ。)が指定したもの(以下「指定市町村」という。)も含まれるようになった。
その後、昭和37年の同法改正により、昭和40年4月1日以降、指定市町村が地方競馬を行うためには、新たな指定を受けなければならず、また、その指定については期限(以下「指定期限」という。)が付され、期限が経過した場合には施行権限を失うものとされた(ただし、一定の基準を満たした場合には、継続して指定を受けることが可能である。)。なお、指定期限は、原則として2年間とされており、前年度決算において実質収支又は単年度収支が赤字である団体については1年間とされている(平成13年3月28日付け総財地第104号による都道府県知事及び指定都市市長宛通知(乙イ3)参照)。
イ 中津競馬場では、戦前から地方競馬が行われていたが、競馬法の制定・施行に伴い、昭和24年度から被告大分県が施行団体として県営競馬を開催し、その後、昭和27年度からは被告中津市が指定市町村の指定を受け、県営競馬と併せて市営競馬を開催するようになった。
被告大分県及び同中津市は、昭和31年10月1日、内閣総理大臣の許可を受けて一部事務組合として本件組合を設立し、その後、同組合が施行団体となって、中津競馬場における地方競馬を開催することになった。
本件組合の設立後、中津競馬事業の収支は当初黒字であったが、昭和47年度に単年度収支が赤字となり、次第に累積赤字が増大するようになった。その後、経営改善の努力があり、昭和63年度以降一時黒字転換を果たしたが、平成7年度から再び赤字に転じた。
その後、本件組合は、収支均衡の見込みがたたないとして、平成13年2月13日開催の本件組合議会の協議会で中津競馬を同年6月限りで廃止する旨を表明した。
(概ね争いがない。乙イ5、6の1、24)
(3) 中津競馬と馬主との関係
ア 地方競馬の年間開催回数は競馬法施行規則別表第2に定められた回数(大分県内では17回)に限られ、1回の開催日数は6日間の範囲内に限られている(同法20条、同施行規則7条の3)。
施行団体は、地方競馬の開催ごとに開催計画を立案し、開催の30日前までに農林水産大臣に届出をした上(同施行規則8条)、競馬番組を作成し、出走申込期限の20日前までにこれを発表する(中津競馬組合地方競馬実施規則(以下「実施規則」という。甲2の1083頁以下)19条)。
競馬番組の発表を受けて、馬主から出走の申込みがあると(実施規則23条)、施行団体は、馬検査を実施した上で(実施規則26条)、馬主からの出走投票を受けて(実施規則28条)、出走すべき馬を確定し(実施規則31条)、競走を行い、競馬終了の日の翌日から3日以内に報償金(賞金及び諸手当)の支出命令をして、これを馬主に支払う(中津競馬組合賞金及び諸手当支払要綱4条、8条。甲2の785頁以下)。
イ 馬主が所有する馬を地方競馬に出走させるためには、地方競馬全国協会に馬主の登録をし(同法22条、13条)、馬の登録をしなければならないが(同法22条、14条)、出走する競馬場を特定して登録するものではなく、上記登録をすれば国内の地方競馬すべてに出走させることができる。
本件組合は、中津競馬に出走する馬の飼育等のため中津競馬組合厩舎を設置しているが、中津競馬の在厩馬が他の地方競馬へ出走することは禁じられておらず、同厩舎から退厩させ、他の地方競馬に出走させることは可能であり、また、他の地方競馬に出走させる目的でその地方競馬施行団体の設置厩舎に入厩させた馬であっても、出走申込日の前日までに中津競馬組合厩舎に入厩させれば、中津競馬に出走させることが可能である。(弁論の全趣旨)
2 争点及び当事者の主張
(1) 不法行為責任の有無(主位的主張)
(原告らの主張)
ア 競馬事業をいついかなる方法で廃止するかについては、被告らに一定の裁量があることは否定できないが、その裁量は全くの無制約ではなく、一定の限界がある。開催権者の自由な判断による競馬の廃止が許容されると、馬主等の競馬関係者が極めて不安定な立場に追い込まれることになり、国家が競馬法により特に許容し、予定した競馬の開催が不可能ないし著しく困難となる。したがって、そのような競馬の廃止は、法の予定するところでなく、施行団体は、適切な予告もせず、代償措置もとらず、関係者の意向を無視して一方的に競馬を廃止してはならないという制約を負っている。
イ 地方公共団体が継続して実施してきた行政計画の変更・廃止によって、その継続を信頼して投資を行ってきた私人につき損害が生じた場合、上記信頼について法的保護に値する特段の事情があり、代償措置をとらずに廃止するなど、変更・廃止の方法について適切さを欠くときは、上記変更・廃止行為は違法性を帯び、行政主体は不法行為責任(計画担保責任)を負う(最高裁昭和56年1月27日第三小法廷判決民集35巻1号35頁参照)。
競馬の開催は長期間の継続を前提とする施策であり、実際に、被告らは約半世紀の長期にわたり中津競馬を開催してきた。競馬には競走馬が不可欠であり、競走馬は競馬場があって初めてその存在意義を有するものであり、馬主である原告らと施行団体である被告らとは、競馬開催という公共目的の実現に向けて相互に依存し合う密接な関係にある。被告らは、中津競馬が赤字を拡大していた平成10年度以降も、九州の地方競馬である佐賀競馬及び荒尾競馬(熊本県)と連携して、いわゆる九州競馬を開催するなどの振興策をとり、また、馬主会の会長であった原告大迫忍(以下「原告大迫」という。)に対し、支援や競走馬の入厩等を依頼するなどしており、その間も、繰り返し中津競馬の存続を表明していた。にもかかわらず、被告らは、突如、何ら正当な補償措置・経過措置等の代償的措置を講ずることなく、中津競馬を廃止したのであって、その方法は適切さを欠いている。原告らは、競馬存続という計画を信頼して、中津競馬に出走させる目的で本件競走馬を購入するなどの投資をしたが、中津競馬の廃止によって上記競走馬は無価値化し、多くが廃馬に追い込まれ、多大な損害を被った。
以上の事実を総合考慮すれば、被告らがその裁量を逸脱して違法に中津競馬を廃止したことは明らかであり、不法行為責任(計画担保責任)を免れることはできない。
ウ 原告らは、中津競馬事業の開催、継続のために、別紙損害額内訳表記載のとおり、本件競走馬の購入代金、調教師に対する預託金(月額9万7000円)、蹄鉄料(月額9800円)、獣医代(月額2万円以上)、輸送料(10万円以上)を支出しており、これらは、いずれも中津競馬事業の存続を信頼したことに基づく投資であるから、同事業の廃止に伴って発生した損害に該当する。
また、中津競馬の廃止措置は、原告らの愛する競走馬及び中津競馬事業に対する深い愛着・思い入れを踏みにじるものであり、当該措置によって原告らは精神的な苦痛を受けているということができ、その慰謝料は原告一人当たり100万円を下らない。
なお、各原告らの損害として支払われるべき弁護士費用は、それぞれ、別紙損害額内訳表記載のとおり上記損害額の1割に当たる額が相当である。
(被告らの主張)
ア(ア) 国や地方公共団体等の行政主体は、政治・社会・経済情勢に応じて公共の利益のため、柔軟適切に施策を講じていかなければならないから、一旦施策を決定した場合であっても、それを変更することについて法的な拘束を受けず、原則として自由に変更することができる。
また、地方競馬の目的は地方財政の充実を図ることであり、その目的を達成できない場合にこれを存続させる理由は基本的には存在せず、法律上、競馬廃止を規制する規定は存在しない。指定市町村は、指定期限の到来により競馬の開催権を失うものであるから、法は特定の行政主体による競馬開催を継続的なものとして予定しておらず、行政主体に対して競馬存続の法的義務を課していないことは明らかであり、施行団体はいつでも自由に地方競馬を廃止することができる。
(イ) 中津競馬は、20億円を超える巨額の累積赤字を抱えており、平成12年度も単年度収支が赤字となることが確実となり、翌年度以降も収支均衡化の見込みはなかったのであるから、収益をあげて地方財政の充実に寄与するという存続の目的を失っていた。
したがって、前記競馬法の趣旨からも、また、財政の健全な運営に努めるべきことを定めた地方財政法2条、4条の2の趣旨からも、中津競馬の廃止は合理的な措置であって、適法かつ妥当なものであった。
イ(ア) 原告らは、昭和56年の最高裁判決を引用して、本件について被告らが計画担保責任を負う旨主張する。
しかしながら、上記最高裁判決は誘致企業に関する事例であって、私人の活動が収益を目的とせず、投下資本の回収を予定したものでない場合には、同最高裁判決の法理は適用されない。
競馬の施行団体から馬主に支給されるのは、賞金及び出走手当であるところ、中津競馬における上記賞金等は少額であるので、馬を維持するための経費を賄うことができる馬主は、ごく一部の競走馬の所有者に限られる。そもそも、競馬自体がギャンブルであって、所有する馬がどの程度賞金を獲得できるかの予見は困難であり、馬主には確実な収入の保証がない。馬主は、地方競馬に出走する馬を所有しているとのステイタスとその所有馬がレースで勝つのを見るというロマンに期待して、馬を購入し、所有し続けるものであり、収益をあげたり、投下資本を回収することが目的ではない。したがって、本件には上記法理の適用がない。
(イ) 仮に、上記法理の適用があるとしても、上記最高裁判決はその要件として、①行政主体が将来にわたって継続すべき一定内容の施策を決定し、特定の者に対してその施策に適合する特定内容の活動をすることを促す個別的、具体的な勧告ないし勧誘を行ったこと、②その活動が相当長期にわたる当該施策の継続を前提としてはじめてこれに投入する資金又は労力に相応する効果を生じうる性質のものであること、③行政主体の個別的、具体的な勧告、勧誘を受けた特定の者がこれに動機づけられて、当該施策が維持されるものと信頼して、活動に入ったこと、④行政主体の施策変更により社会通念上看過することのできない程度の積極的損害を被ったこと、⑤行政主体の施策の変更がやむを得ない客観的事情によるものではないこと、⑥行政主体により損害を補償するなどの代償措置がとられていないこと等を要求しており、損害賠償責任が生じる要件を厳格に設定している。
本件では、上記①ないし⑥の要件すべてを欠いており、被告らには不法行為責任は存在しない。
(2) 損失補償(予備的主張)
(原告らの主張)
憲法29条3項は、公共の使用のために財産を物理的に剥奪された場合のみならず、公共の利益のために受忍すべき範囲を超えた財産的損害を被った場合にも広く適用される。
中津競馬の廃止によって、原告らが行った投資は全て無に帰し、本件競走馬は中津競馬場で出走できなくなったことにより無価値化し廃馬等を余儀なくされたのであるから、原告らは財産を剥奪されたに等しい。したがって、別紙損害額内訳表記載のうち、慰謝料を除く経済的損失は、すべて受忍限度を超えた特別の犠牲である。
よって、仮に中津競馬の廃止が適法であったとしても、被告らは、原告らに対し、憲法29条3項に基づく損失補償をする義務がある。
(被告らの主張)
憲法29条3項は、財産権が公共のため剥奪され又は剥奪されるのと等しい制限を受け、受忍すべき範囲を超える特別の犠牲を課された場合に限り、これを保障する旨を規定したものである。
本件についていえば、原告らが有する財産権といえば、競走馬についての所有権であるが、中津競馬の廃止によりその所有権が剥奪されるものではないし、また、その所有馬は、他の地方競馬又は中央競馬で出走させることもでき、その所有権行使を不能ならしめるものでもないのであって、財産権を剥奪・制限するものではなく、原告らは何ら積極的損害を受けていない。したがって、本件は、憲法29条3項が適用される場合には当たらない。
(3) 被告大分県及び同中津市の責任の有無
(原告らの主張)
ア 前提事実のとおり、地方競馬の施行団体となり得るものは、都道府県及び指定市町村であり、本件でも被告大分県及び指定市町村である被告中津市が、中津競馬の施行団体としての資格を有している。また、本件組合の機関は、被告大分県及び同中津市の執行機関・議員等の関係者で構成されており、地方自治法上も、一部事務組合が行う重要な事項については、構成団体である地方公共団体の関与が規定されている。
本件組合と被告大分県及び同中津市との関係は、法令上も、現実の運営上も極めて密接であり、中津競馬の廃止について被告大分県及び同中津市が積極的に関与していることは明らかであるから、本件組合のみならず、被告大分県及び同中津市も不法行為責任を負う。
イ 被告らは、本件組合は平成15年3月31日限りで解散により消滅したが、被告大分県及び同中津市は、その解散にあたり、地方自治法289条に基づく財産処分によって、本件組合の債務の承継先を決めなかった以上、本件組合が負うべき損害賠償債務又は損失補償債務については、本件組合の構成団体たる被告大分県及び同中津市が連帯して承継しているというべきである。
(被告らの主張)
ア 被告大分県及び同中津市は、本件組合の構成団体にすぎず、原告らと直接の法的関係を有していたわけではない。一部事務組合が成立すれば、それによって共同処理するものとされた事務は、関係地方公共団体の権限から除外されるものであり、仮に本件組合が中津競馬を廃止したことにつき法的責任を負うとしても、その構成団体にすぎない被告大分県及び同中津市が、原告らに対し、損害賠償責任又は損失補償責任を負うことはない。
イ(ア) 本件組合は、平成15年3月31日をもって解散したものであるところ、地方自治法上の一部事務組合については、商法上の会社や民法上の法人のような清算手続がなく、解散により直ちに法人格が消滅するものである(同法288条ほか)。したがって、本件組合に対する訴えについては訴訟終了宣言により処理すべきものである。
(イ) また、地方自治法上の一部事務組合が解散した場合には、その財産は構成団体に法律上当然に承継されるものではなく、構成団体がそれぞれの議会の議決を経た上で行う財産処分の協議において、その承継先を定めた場合にはじめて構成団体に特定承継される(同法289条)。これは、市町村の合併(廃置分合)の場合において、例えば市町村におけるその職員の地位のように、消滅した市町村の法律関係が合併後の市町村に当然に引き継がれるという関係にはないのと同様である。なお、ここでいう財産とは、債権・債務等を含めた積極・消極財産のすべてを意味しており(昭和24年10月11日付け山連第1号山口県総務部長宛連絡行政部長回答)、損害賠償債務等も上記財産処分の協議において定められた構成団体に特定承継されるものである。
本件組合の解散の際、同組合には解散時に処分を必要とする財産が存在しなかったので、上記財産処分の協議は行われていない。したがって、仮に本件組合が原告に対して損害賠償債務等を負っていたとしても、被告大分県又は同中津市がこれを承継することはない。
なお、一部事務組合の解散については、地方自治法施行令5条の規定が準用されるものとされており(地方自治法292条)、同施行令5条の事務承継の手続がされることになっている。本件組合の解散の際にも、上記事務承継に関する協議がなされているが、これは議会の議決を経ずに行うものであり、しかもその対象は公用文書類、公法上の未徴収金、歳計現金等であって(昭和26年11月21日付け地自発第36号各都道府県総務部長宛地方自治庁次長通知)、上記の財産処分の協議とは別個のものである。
第3 当裁判所の判断
1 本件組合に対する訴訟の承継について
(1) 一部事務組合を解散しようとするときは、構成団体である関係地方公共団体の協議により、総務大臣又は都道府県知事(構成団体に都道府県が含まれる場合は、総務大臣)に届出をしなければならない(地方自治法288条)。
前記前提事実(1)イのとおり、本件組合は、上記地方自治法288条の手続を経て、本件訴訟係属中である平成15年3月31日限りで解散した。地方自治法上の一部事務組合については、商法上の会社法人や民法上の公益法人の場合のような清算を経て法人格が消滅する手続が存在せず、解散により直ちに法人格が消滅するというべきであるから、本件組合は、同日限り、解散により消滅した。
(2) 一部事務組合の解散に際し、同組合につき財産(債務等の消極財産も含む。)がある場合は、構成団体がそれぞれの議会の議決を経た上で財産処分の協議を行い、その承継先を定める必要がある(同法289条、290条)。しかしながら、弁論の全趣旨によれば、本件組合の解散に際しては、本件訴訟で問題とされている同組合の損害賠償債務についても、本件訴訟についての事務の承継先についても、構成団体である被告大分県及び同中津市の間で協議はなされず、財産処分についても定められなかったことが認められる。
(3) 一部事務組合の解散に際して同組合に財産がある場合は、上記(2)のとおり、構成団体による財産処分により承継させる必要があり、これは特定承継と解すべきものであるが、財産処分が定められなかった財産がある場合には、組合が解散により消滅した後、当該財産は、その構成団体に当然承継されるものと解すべきである。その理由は次のとおりである。
一部事務組合の設立目的は、地方公共団体が他の地方公共団体と共同で事務を処理することにある。そして、一部事務組合が設立されると、規約で共同処理するものとされた事務の処理機能は設立団体から一部事務組合に移転し、一部事務組合が解散するときは、組合の共同処理事務は、解散によって当然に構成団体に復帰する。その制度の趣旨は、複数の地方公共団体が共同で事務を処理する場合は、事務分担やその事務から発生する債権債務等がいずれの地方公共団体に帰属するかにつき複雑な問題が生じるところ、地方自治法は、これを円滑に処理するため一部事務組合という法人格を創設することで解決したものと解される。したがって、一部事務組合が有する財産(債務のような消極財産も含む。)は、その事務と同様に、当該一部事務組合が存続する限り同組合に帰属するものであるが、本来的には構成団体に帰属すべきものであるということができる。一部事務組合の解散時には、財産処分を必要とするときは関係地方公共団体の協議によりこれを定めるものとされ(同法289条)、また、その協議については関係地方公共団体の議会の議決を経なければならないとされているが(同法290条)、これは、上記財産処分は、本来的には関係地方公共団体(構成団体)に帰属すべき財産を処分するという性質のものであることから、消滅する一部事務組合ではなく、その構成団体が協議をするとされ、かつ、各構成団体の議会の議決を要するとされたものと解される。
以上の規定の趣旨に照らせば、一部事務組合が解散する際に同組合が有する財産があるにもかかわらず、財産処分を定めなかったような場合には、組合解散後、当該財産は、原則に戻り、その構成団体に当然承継されるものと解すべきである。
(4) この点について、被告らは、本件組合の財産は、本件組合の解散により構成団体である被告ら(大分県及び中津市)に当然に引き継がれるものではなく、構成団体を承継先と定める内容の財産処分がされて初めて特定承継される(同法289条)ものであるから、仮に、本件組合が本件損害賠償債務を負っていたとしても、構成団体である被告らに承継されることはない旨主張する。
しかしながら、被告らの主張のように、財産処分がなされない限り財産が承継されないとすれば、本件組合について本件損害賠償債務が存在した場合には、同債務については財産処分がされなかった結果、承継主体が存在せず消滅することとなるが、もしそうであるとすると、一部事務組合が解散する際に、構成団体が意図的に債務を消滅させる目的で財産処分を行わないとすることも可能ということになり、不相当な結論となる。また、組合の解散の際に見落とされて財産処分のなされなかった動産、不動産等の財産についても、無主物に帰することになり、法解釈としては相当でない結論になる。被告らの上記主張は採用することができない。
また、被告らは、市町村の合併(廃置分合)の場合につき、旧市町村の職員の任用上の法律関係が当然には引き継がれず、新たな任用行為が必要であることを例に挙げて、合併後の市町村が消滅した市町村の法律関係を当然引き継ぐことはないとし、一部事務組合の解散の場合もこれと同様であると主張する。しかしながら、職員の任用上の法律関係には、一身専属性及び公法上の身分関係の特殊性等の問題があるから、これがすべて引き継がれるかどうかという問題と、通常の財産の承継に関する問題とを同列に論ずることはできない。訴訟係属中に市町村の合併等がされた場合には、合併後の市町村が合併前の市町村の財産及び訴訟上の地位を当然引き継ぐと解するのが一般的であり、被告らの主張は採用することができない。
(5) 以上のとおりであって、本件で原告らが主張する損害賠償債務が仮に存在した場合には、本件組合の解散によって、構成団体であった被告大分県及び同中津市に承継されたものであり、上記両名が本件損害賠償債務を重畳的に引き受けたものと解される。したがって、本件組合の解散に伴い、被告大分県及び同中津市は、本件組合の訴訟上の地位を当然承継したものというべきである。
2 各項末尾掲記の証拠等によれば次の事実を認めることができる。
(1) 中津競馬の廃止に至る経緯
ア 累積赤字の拡大
中津競馬の歳入・歳出の状況及び事業収支は、別紙「中津競馬の決算状況」のとおりである。本件組合の設立後、中津競馬は黒字の運営を続けていたが、昭和47年度に単年度収支が赤字となり、順次その赤字が累積し、昭和60年度決算において累積赤字が10億円を突破した。中津競馬の勝馬投票券販売収入及び入場人員は、昭和54年度ころを頂点として急減し、昭和61年度には最盛期の半分以下まで落ち込むようになっていた。
本件組合は、昭和61年11月25日、同組合管理者の諮問機関として中津競馬経営問題検討委員会を設置し、存廃問題も含めて中津競馬の経営を検討した。同委員会の答申では、従事員等の関係者の生活問題の深刻さを考慮すると「今直ちに廃止する事は困難である」とし、経営の合理化等の当面措置すべき事項を提言するとともに、他方で、「昭和62年度より昭和65年度の3ケ年間を目途とし最終的に存廃を決すべ」きものであるとした。そして、総括のなかで、「62年度〜64年度迄向こう3ヶ年間を再建推進年間と定め、関係者一丸となって遂行するならば、今後中津市に対する貢献価値は充分ありうる事を確信」するとされた。
本件組合は、上記答申を受け、中津競馬の経営改善に努力し、昭和63年度から平成6年度までは単年度黒字を実現したが、平成7年度からは再び単年度収支が赤字に転じ、平成11年度決算において累積赤字が20億円を超える状況となった。
なお、各年度の本件組合の歳入歳出決算審査意見書(本件組合監査委員作成)には、昭和62年度に「極めて深刻な現状に」ある旨の指摘がされ、同様に昭和63年度には「事業の存続すら危ぶまれている」と記載され、その後、毎年度のように「情勢は依然として厳しい」「厳しい財政事情」などと記載されるようになった。そして、平成11年度の意見書には「売得金額及び入場人員(本場人員)とも依然前年度水準を下回る傾向が続いており、累積赤字も多額で、中津競馬は今「最大の危機」にあると言っても過言ではない。」と記載された。
(乙イ6の1ないし19、7の1ないし3、21の1ないし19)
イ 中津競馬振興会議による答申と九州競馬の実現
(ア) 被告中津市は、平成11年4月、中津競馬の諸問題を総合的に調査、検討し、より経営安定化を図ることを目的として中津競馬振興会議(以下「振興会議」という。)を設置し、同年7月以降、地方競馬全国協会・本件組合議会・金融関係・中津商工会議所・中津市観光協会・被告大分県・被告中津市・馬主・調教師・騎手の各関係者が委員となって、中津競馬の振興策を検討した。
振興会議は、平成12年10月22日に中間答申を、同年12月27日に最終答申を出し、その中で、中津競馬の状況からすれば当面累積赤字を増加させないことが最重要課題であり、収支均衡を図ることが当面の目標となるとした上で、緊急に取り組む事項として、競技の賞金・手当を初め、その他の経費においても思い切った削減の努力をすること、及び九州の他の地方競馬である佐賀競馬及び荒尾競馬(熊本県)と連携すること(いわゆる九州競馬の開始)等を提言し、加えて、魅力あるレースを提供するために出走頭数を確保すること、競馬番組等の情報提供の方法を改善すること等を提言した。
(イ) 振興会議の設置に先立ち、同年2月及び3月に開かれた本件組合議会の定例会では、中津競馬の存廃が議論され、同議会議員からは、平成10年度までの累積赤字が17億円にも及ぶなかで市民の中にも廃止の意見が出ており、振興会議の設置で方針を出すことが可能なのかとの質疑がなされ、平成11年度の事業結果を翌年度以降の中津競馬の存廃の判断材料にすべきであるとの意見が出された。これに対し、当時本件組合の管理者であった中津市長鈴木一郎(以下「鈴木市長」という。)は、明言を避けながらも平成11年度の事業結果を上記の判断材料にすることを否定せず、同年度に経営状態が改善しない場合には中津市議会や市民の間で廃止論がさらに強くなるだろうとの見通しを述べた。
また、振興会議による中間答申後である同年11月12日に開かれた本件組合議会の定例会で、鈴木市長は、中間答申で触れられた九州競馬につき、それが実現できない場合は「思い切った判断」をしなければならない旨を発言した。また、同議会議員からは、今後も赤字が増大するようであれば中津競馬の存廃について結論を出さなければならない旨の意見が出された。
さらに、平成12年3月7日の中津市議会でも中津競馬の存廃が議論され、鈴木市長は、平成12年度が赤字であった場合につき、仮定の問題について答えることはできないとしつつ、「その時の情勢を見つめながらそれなりに対応をするということになる」、「その時の状況に応じて適切な判断をするのが私の責務」であると答弁した。
(ウ) 振興会議の最終答申を受け、本件組合では、中津、佐賀、荒尾の競馬場が連携して、同年6月以降、相互に他の競馬場の馬券を購入できる制度を導入し、上記3競馬場で競馬の開催期日を調整し、年間を通じて競馬を開催する措置をとる、いわゆる九州競馬を開始させた。九州競馬の開始によって、佐賀・荒尾競馬場においても中津競馬の勝馬投票券が販売されることから、投票券収入の増加を期待でき、また、中津競馬場で佐賀・荒尾競馬の投票券が販売されるようになることから、その手数料収入の増加が期待された。
(イ全体につき、乙イ8の1ないし5、9、10の1、24、証人寺岡好信(以下「証人寺岡」という。))。
ウ 廃止の決定
(ア) 本件組合では、平成13年1月中旬から2月上旬ころ、九州競馬開始以降平成12年12月末(平成13年正月を含む。)までの間の実績を踏まえ、平成12年度の決算見込みを推計したところ、九州競馬開始後も中津競馬の投票券収入はそれほど増加せず、逆に本件組合から佐賀・荒尾競馬に支払うべき手数料が増加したこと等の影響が大きく、本件組合が所有していた土地の売却益1億3030万円を計上しても、なお、約1億1000万円の赤字が見込まれた。さらに、同様に、平成13年度収支を推計したところ、約1億8000万円の赤字が見込まれた。そこで、本件組合は、九州競馬を開始後も、平成12年度収支について多額の赤字は必至であり、振興会議の答申が当面の最重要課題としていた収支均衡の見込みも全く立たないとの判断に至った。
なお、本件組合の平成12年度収支は、結果的には約4200万円の単年度赤字となっており、上記決算見込みである約1億1000万円の赤字を下回っているが、これは競馬事業の廃止に伴い経費が減少したこと等によるものであって(乙イ33、証人寺岡)、前記の決算見込みについて大きな誤りがあったと認めることはできない。
平成12年12月9日の本件組合議会の定例会において、組合議員より、中津競馬廃止の議論をすべき時期にきた、構成団体(被告中津市)からの財政援助がなければ中津競馬は助からないとの意見が出され、鈴木市長も、平成13年度に黒字転換することは難しいことを認め、中津競馬の経営再建のために構成団体(被告中津市)から財政援助を行うことは困難であると答弁した。
(イ) 上記状況を踏まえて、本件組合は、平成13年1月中旬から同年2月上旬にかけて、構成団体たる被告大分県及び同中津市とも協議して中津競馬の存廃を検討し、廃止すべきとの結論に達し、同月13日開催の本件組合議会の協議会で、同年6月限りで廃止する方針を表明した。
その後、同年3月末に、本件組合と、レースの写真判定・場内映像等を請け負っていた映像会社との間における同年4月以降の契約交渉が決裂し、そのため同月1日以降の競馬開催は中止となり、結果的に中津競馬は同年3月の開催を最後に廃止された。
(ウ全体につき、甲27、乙イ10の2、11、12、24、33、証人寺岡、弁論の全趣旨)
(2) 馬主らの経費及び収入等
ア 原告ら馬主は、中津競馬組合厩舎に本件競走馬を入厩させていたが、競走馬を維持するためには定期的に蹄鉄を打ち直す必要があり、また、中津競馬に出走させるためには、調教師との間で預託契約を締結して出走の申込み・馬検査の立会等を依頼する必要があり、その費用(平成12年度は月9万円)が必要となる。そのほかに、競走馬の体調管理のための獣医代及び出生地からの輸送費等の費用も必要である。なお、原告らは、中津競馬場における競走馬1頭当たりの維持費(預託料、蹄鉄料及び獣医代)として、月12万円以上の費用を要すると主張する。
他方、馬主の収入は、出走手当及び賞金であるが、中津競馬の出走手当は1開催につき2走義務馬(1開催で2回出走する競走馬)の場合で4万7000円にすぎず、仮に、2走義務馬が全ての開催レースに出走したとしても、平成12年度においては、年間80万円に満たない手当の支給を受けるにすぎない。また、賞金も、同年度における競走馬1頭当たりの1レース当たりの平均の賞金合計額は、約29万円程度にすぎない。
以上によれば、中津競馬における出走手当及び賞金等では、競走馬の維持費分を賄うのも困難な状況であるということができる。
イ(ア) 競馬事業の運営には競走馬が不可欠であり、馬主による競走馬の提供が必要である。前記のとおり、振興会議は、魅力あるレースを提供するために出走頭数を確保することを提言したが、中津競馬の在厩馬数は答申後減少し、同年10月17日には299頭となり、平成11年度末における在厩馬数390頭を大きく下回った。
馬主会は、馬主及び在厩馬数が減少していることが売上の減少に関係しているとして、本件組合に対し、平成12年8月11日付けで競走馬の確保のためにも出走手当等の見直しを検討されたい旨の依頼文書(乙イ20の1)を提出し、併せて同年10月13日付けで馬主各位に対し競走馬の確保について協力の要請文書(乙イ20の2)を交付した。これを受け、本件組合においても、馬主らに対し、同月17日付けで、「中津競馬競走馬確保のご協力について」と題する書面(甲4)を送付し、競走馬の確保について、ご協力を賜りたくお願い申し上げます。」と依頼した。
上記依頼文書郵送後、同年12月末時点で在厩馬数は316頭にまで若干増加したが、その後、再び減少に転じ、平成13年2月13日の中津競馬廃止公表時点の在厩馬は294頭となっていた。
(イ) 原告ら馬主は、平成13年4月1日当時、本件競走馬(合計158頭)を所有し、中津競馬組合厩舎に入厩させていたが、中津競馬廃止後、そのうち43頭が廃馬となり、88頭は他の地方競馬又は中央競馬に入厩し競走馬として使用されており、その余の競走馬は乗馬又は繁殖用の馬として飼育されている。なお、本件競走馬の中には、他の地方競馬等から中津に移動してきた競走馬も多く含まれている。
((2)全体につき、甲4、乙イ4の1・2、13、14の1・2、15、17の1ないし5、19の1・2、20の1・2、証人寺岡、原告大迫の一部、弁論の全趣旨)
3 不法行為責任の有無(主位的請求)について前提事実に加え、前項で認定した事実を基として、中津競馬廃止の適法性及び不法行為責任の有無について検討する。
(1)ア 地方公共団体が一定内容の施策を決定し、それを継続的に遂行していた場合であっても、その施策が社会情勢の変動等に伴って変更されることがあることはもとより当然であって、地方公共団体は、過去の決定や継続してきた施策に拘束されることはなく、原則としてこれを自由に変更又は廃止することができる。
イ 前提事実のとおり、地方競馬の施行団体は都道府県及び指定市町村に限られているが、指定市町村が実施する地方競馬については指定期限が付されており、継続して指定されることは必ずしも前提とされていない。したがって、少なくとも、指定市町村が実施する地方競馬については、競馬法上、本来的には継続的な事業として予定されていないということができる。また、昭和23年7月に競馬法が制定された際、当初は、国及び都道府県にその施行権限を限定する法案が提出されたが、当時戦災復興が急務であったことから、議会修正によって「著しく戦災を受けた市で内閣総理大臣が指定したもの」についても施行権限を与えるように修正され、その後、これが現行の指定市町村制度につながったものである(乙イ1、2)。このような立法経緯に鑑みれば、指定市町村制度は、元来戦災等の災害復旧に寄与することが目的で設けられた制度であるということができる。さらに、指定市町村が、指定期限経過後、継続して指定を受けるためには、競技を継続して施行する財政上の必要性があること、経営の健全性が確保されていること又は確保すべき適切な経営改善努力がなされていること等の基準を満たしている必要があり(乙イ3)、前年度決算において実質収支又は単年度収支が赤字の団体は指定期限が1年に限られている。
以上を総合すると、少なくとも指定市町村が主催する地方競馬は、当該市町村の財政上の必要性からその財政の充実を図ることを目的とした事業であるというべきであり、また、都道府県が主催する場合についても、主たる目的は同一であると解すべきである。競馬法上、施行団体が地方競馬を廃止することを規制した規定が存在しないことを考慮すれば、施行団体は、地方競馬事業について、財政上の必要性が失われた場合には、原則として自由に廃止することができると解するのが相当である。
ウ しかしながら、他方、地方競馬事業は、施行団体が直接雇用する者のみならず、調教師・装蹄師・獣医・厩務員・騎手等多くの競馬場・厩舎関係者にその職場を提供しており(甲23、弁論の全趣旨)、そのような多くの関係者にとって、地方競馬がその収入を得る手段となっているから、そのような関係は実際には長期に及ぶことが通常であるといえる。また、原告らのように競馬場に競走馬を提供する馬主らも競馬には不可欠の存在である。したがって、施行団体は、地方競馬の廃止にあたり、上記関係者に対して一定の配慮をすることが望ましいというべきであり、廃止の合理性もなく、かつ上記関係者に対し何らの補償措置をとらないで、地方競馬を廃止した場合についても、およそ不法行為責任に問われる可能性がないとまで断定することはできない。
地方競馬の廃止により、施行団体等の行政主体が競馬事業の関係者に対して不法行為責任を負うか否かについては、その関係者が競馬事業の継続を信頼又は期待して活動したことにつき、上記信頼について法的保護の対象となるか否かという観点から検討されるべきであり、その検討にあたっては、競馬事業廃止の要否、廃止の可能性についての認識可能性、当該関係者と行政主体との関係(特に、行政主体から当該関係者に対し、積極的かつ個別、具体的な投資等の勧誘行為があったか否か)、当該関係者が投入した資金又は労力の性質とその損害、損害を補償するなどの代償的措置の有無等を考慮すべきである(最高裁昭和56年1月27日第三小法廷判決民集35巻1号35頁参照)。
(2)ア これを本件の事実関係についてみると、前記のとおり、中津競馬事業は昭和47年に単年度収支が赤字となり、以後、累積赤字が増大して平成11年度には20億円に達していたこと、既に、昭和61年に存廃を含めた議論がなされていたが、平成11年から平成12年には本件組合議会や中津市議会の中でも廃止の意見が出されていたこと、その他前記の中津競馬廃止に至る経緯等を総合すると、今後の中津競馬の経営改善の見込みは極めて難しい状況であったといわざるをえない。したがって、被告らが、そのような経営状況を考慮した上で中津競馬の廃止を決定したことについて、合理性がない判断であるということはできない。
イ 原告らは、鈴木市長が繰り返し中津競馬を存続させる旨を表明していたと主張するが、平成11年以降の同人の発言は、今後も赤字が増大する場合には廃止を含めて検討することを示唆しており、上記原告らの主張は採用できない。
また、前記のとおりの中津競馬の状況等に照らせば、原告らにも廃止の可能性について十分に認識されていたというべきである。
ウ 原告らは、鈴木市長から馬主らに対し、競走馬の入厩の働きかけがあった旨主張し、原告大迫はこれに沿う供述をする。同人の陳述書(甲22)も同旨である。しかし、原告らの上記主張を裏付ける客観的な証拠としては、本件組合から馬主に対し送付された、「中津競馬競走馬確保のご協力について」と題する平成12年10月17日付けの書面(甲4)が存するのみであり、また、上記文書は、前記2(2)イ(ア)に判示したとおり、本件組合が馬主会から競走馬確保の依頼を受けたことから、各馬主らに対し、本件組合からも併せてその依頼を行ったという趣旨の文書であると考えられ、この事実だけから、被告らから原告らに対し、積極的な投資等の勧誘行為があったと評価することはできない。また、前記のとおり、累積赤字が増大して中津競馬の存続も危ぶまれる状況の中での振興策の一つとして要請されていた競走馬確保への協力を依頼したものであるから、競馬の廃止の可能性についても十分認識された状況の中でなされたものというべきであって、これが中津競馬の相当長期にわたる継続を前提としたものともいえないし、当事者間にそのような信頼関係を生じさせるものともいえない。さらに、上記依頼に動機付けられて原告らが新たに競走馬を購入し、中津競馬に入厩させたことを認めるに足りる十分な証拠もない。
エ 前提事実のとおり、馬主は、競走馬を中津競馬に出走させるためには、中津競馬組合厩舎に入厩させなければならないが、出走手当及び賞金は、一回の競馬の開催ごとに支給されるものであって、競馬の開催が終了した後は、競走馬を退厩させ、他の地方競馬に出走させることも可能である。したがって、馬主ないしはその所有する競走馬と施行団体の関係は、専属的なものではなく、馬主には、一つの地方競馬に対し継続的に資金や労力を投資することによって、その収入を得るという活動をすることは必ずしも予定されているとはいえない。そもそも、中津競馬については、出走手当及び賞金はかなり低額で競走馬の維持に要する費用を賄うのも困難なものであって、中津競馬において、原告らが投下した資金の回収が予定されていたものと認めることはできない。また、必ずしも原告らが投下した資金の回収を目的として中津競馬に競走馬を提供していたと認めることもできない。
なお、証拠(甲24ないし27、原告大迫)によれば、本件組合は、原告大迫が代表取締役の地位にあった株式会社ゼンリンとの間で、中津競馬場内に上記株式会社の看板広告を設置するなどの契約を締結していたこと、同原告が本件組合に対し競技賞金として200万円を寄付したことが認められるが、前者は本件組合と株式会社ゼンリンとの間の契約であり、後者も、同原告が自らの動機に基づいて積極的に行った寄付行為であるから、いずれも原告らの投資とは無関係のものである。
(3) 前項で検討したところによれば、中津競馬の廃止については合理性のない判断ということはできず、その廃止の可能性についても認識されていたところであり、原告らの投じた資金は性質上必ずしもその回収が予定されたものとも、その回収を目的としたものともいえず、また、被告らから原告らに対してこれらの投資に対して中津競馬の相当期間の存続を前提として積極的かつ個別、具体的な勧誘があったともいえず、これらを総合すると、仮に原告らが中津競馬の継続を期待してその主張する投資を行っていたとしても、その期待は事実上のものにとどまり、法的な保護の対象となりうるものではないというべきである。したがって、原告らが仮に、その主張する損失を被ったとしても、これについて被告らが不法行為責任を負うことはない。
4 損失補償責任の有無(予備的請求)について
(1) 原告らは、仮に中津競馬の廃止が適法であるとしても、これによって、受忍すべき範囲を超えた損失を被っているから、被告らは憲法29条3項により、その損失を補償すべき義務がある旨主張する。
この点、適法な公権力の行使によって、公共の利益のために、財産権が剥奪又は剥奪されるのと同視しうる侵害を受け、財産権に内在する社会的制約として受忍すべき範囲を超える特別の犠牲を受けた場合については、憲法29条3項に基づき、損失補償を請求することが可能である。
(2) 原告らは、別紙損害額内訳表記載の各費目につき一定の費用を支出してきたと主張するところ、競走馬を維持するために一定の費用を必要とすることは前記2(2)アのとおりであるが、上記各費用は原告らが競走馬を所有し、維持する限りは、中津競馬の存廃にかかわらず必要な費用であるということができる。また、原告らは、中津競馬のために本件競走馬を購入したのであるから、中津競馬の廃止によって本件競走馬は無価値化した旨主張するが、本件競走馬の中には、他の地方競馬等から中津に移動してきた競走馬も多く含まれており、また、中津競馬の廃止後も活用された競走馬も多いことから、全ての原告らについて上記事実を認めることはできず、本件全証拠を精査しても、上記主張を認めるに足りる的確な証拠は存在しない。
(3) 上記(2)のとおりであって、本件競走馬が中津競馬の廃止によって無価値化したということもできないし、原告らが支出したと主張する費用については、これら競走馬を維持するためには中津競馬の存廃にかかわらず必要なものであるから、原告らが中津競馬の廃止により、財産権を剥奪又はそれと同視しうる侵害を受けたものではないことはもとより、積極的な財産的損失を被ったことについてもこれを認めることはできない。したがって、同条項を適用する余地はないというべきであり、この点に関する原告らの主張は、到底採用することができない。
5 結論
以上によれば、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・関美都子、裁判官・細野なおみ、裁判官・家原尚秀)
別紙
請求額一覧表<省略>
損害額内訳表<省略>
中津競馬の決算状況<省略>