大分地方裁判所 平成19年(ワ)225号 判決 2008年9月16日
原告 株式会社Xリース
同代表者代表取締役 甲野春男
同訴訟代理人弁護士 相場中行
松嶋泰
寺澤正孝
竹澤大格
鈴木雅之
井上昌治
被告 乙山太郎
同訴訟代理人弁護士 吉田祐治
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,772万5052円及びこれに対する平成16年7月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告が原告との間で名義を貸与する等して実体のない空リース契約を締結し,これにより,販売店に支払った840万円の損害を被ったとして,原告が被告に対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,回収済みの損害を控除した772万5052円及びこれに対する損害発生の日である平成16年7月30日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。
1 争いのない事実等(証拠等による認定を要するものは文中に掲記)
(1)ア被告は,Zグループの経営者であった丙川次郎(以下「丙川」という。)から依頼を受け,真実債務を負担する意思はなかったにもかかわらず,契約名義を貸すことにし,平成16年7月22日,原告との間で,原告が有限会社Aから購入したセルコム製ウォーターベッド1台,ミナト医科学製低周波治療器1台及び赤外線治療器2台(以下「本件物件」という。)を,以下の約定で原告が被告に対しリースする旨の契約書(甲1参照。以下,この契約を「本件リース契約」という。)に賃借人として署名及び押印をした。
① リース期間 平成16年7月22日から同22年7月21日まで
② リース料 月額13万0725円(消費税込)
総額941万2200円(消費税込)
③ 支払方法 初回分,第2回分は平成16年7月22日に現金払いし,第3回分(平成16年9月分)以降各月6日限り支払う。
④ 遅延損害金 年14パーセント(年365日の日割計算)
⑤ 期限の利益喪失約款
被告が,リース料の支払いを1回でも怠ったときは,原告は,何ら催告を要しないで被告に対し,リース料残額の即時弁済の請求をすることができる。
この契約の原告の担当者は丁谷夏男(以下「丁谷」という。)であった。
イ 被告は,平成16年7月22日,本件物件の引渡を受けていないにもかかわらず,原告に対し物件借受証(甲2参照)を発行した。
なお,本件リース契約は,資金を確保する目的でなされた実体のない空リース契約であった(弁論の全趣旨)。
ウ 原告は,同月30日,本件物件の販売店である有限会社Aに対し,商品代金として840万円(消費税込)を支払った(弁論の全趣旨)。
エ 原告は,その後,リース料支払名目で68万4948円を回収した(弁論の全趣旨)。
(2)被告は,本件リース契約以外についても,原告との間での,以下のとおりのリース契約に係る契約書(以下,これらの契約と本件リース契約と合わせて「本件リース契約等」という。)に賃借人として署名及び押印をした。なお,被告が丙川の依頼に応じ名義を貸与し,物件借受書を発行したこと,空リース契約であったことは上記(1)同様であった。
ア 平成15年9月30日付けの有限会社B外1社から購入したフクダ電子製自動血球計数器1台及び超音波診断装置1式,日立製作所製X線撮影装置1式に関するリース契約(リース料総額808万9200円。消費税込)
イ 同日付けの有限会社Aから購入したサンゲツ製防災カーテン27枚外に関するリース契約(リース料総額854万2800円。消費税込)
ウ 同年11月25日付けの有限会社Bから購入したオリンパス光学工業製電子内視鏡1式に関するリース契約(リース料総額801万3600円。消費税込)
なお,これらの原告担当者は,元原告の大分営業所長であり丁谷の上司である戊沢秋男であった。
(3)ア原告は,平成17年12月15日,被告外を相手方として,別府簡易裁判所に対して調停を申し立てた(同庁平成17年(ノ)第33号)が,被告に対する申立は,被告との間の本件リース契約等に基づく未払リース料の支払を求めるものであった(甲3)。
イ 平成18年5月17日,同裁判所において,本件訴訟の原告訴訟代理人弁護士相場中行が原告の代理人として立ち会って,本件リース契約等について,原被告間に下記の内容の調停が成立した(以下「本件調停」という。乙1。なお,調停調書の申立の表示は,原告が本件リース契約等を解除したことによる未払リース料相当の損害金の支払を求める調停と表示されている。)。
記
① 被告は,原告に対し,本件の解決金として50万円の支払義務があることを認める。
② 被告は,原告に対し,前項の金員を次のとおり分割して支払う。
平成18年5月末日限り10万円
同年6月末日限り40万円
③ 被告が前項の金員の支払を1回でも怠ったときは,期限の利益を失い,被告は原告に対し,残元金及びこれに対する期限の利益を喪失した日の翌日から支払済みまで年14パーセントの割合による遅延損害金を支払う。
④ 原告は,被告に対し,被告が期限の利益を失うことなく②の10万円を支払った場合はその余の40万円の支払義務を免除する。
⑤ 原告は,その余の請求を放棄する。
⑥ 原告,被告双方は,本調停条項に定めるほか,本件に関し何らの債権債務の存在しないことを相互に確認する(以下「本件清算条項」という。)。
⑦ 調停費用は,各自の負担とする。
ウ 被告は,原告に対し,本件調停条項②に基づき,平成18年5月末日までに10万円を支払った。
2 争点及びこれに関する当事者の主張
(1)訴権の濫用
(被告)
本件訴えは,丁谷に対する損害賠償請求訴訟(以下「別訴」という。)において証人とされた被告に,原告の主張どおりの証言をさせるために,威圧する目的でなされたものであり,公序良俗に反し,訴権の濫用に当たり不適法である。
(原告)
被告の主張は争う。
(2)不法行為の成否
(原告)
被告は,Zグループの経営者であった丙川から依頼を受け,Cクリニック開業のために資金を確保する目的で,いわばつなぎのために医師であると偽って,契約名義を貸したものであり,実体的に債務を負担する意思はなかったのであるから,原告の担当者であった丁谷からの意思確認に対しては,実際には名義貸しであること,自分が医師でないことを告知すべき義務があった。また,被告は,本件物件の引渡を受けていないにもかかわらず,原告に対し物件借受証を発行し,原告は,これを確認した後に有限会社Aに購入代金を支払った。
このように,被告は,丁谷による意思確認に対し,不作為によって欺罔したと評価することができるというべきであり,少なくとも過失により実体のない本件リース契約を締結することによって実質上丙川の支配下にあった上記販売店に原告をして代金相当額である840万円を交付させ,これにより原告に同額の損害を与えたものである。
したがって,被告は,丙川との共同不法行為責任を免れない。
(被告)
被告には不法行為責任はない。
被告は,丙川から「診療所を立ち上げるために医師を探しているが,見つかるまで準備を進めておきたい。医療器具のリースをするについて名義を貸してほしい。」旨要請され,名義を貸しただけであり,リースの実体のない架空取引であることについては全く知らなかった。また,リース会社である原告がリース物件の引渡の有無を現地で確認さえすれば,原告の損害の発生を防止することは十分に可能であったのであるから,被告の行為と原告の損害との間には相当因果関係がない。仮に,因果関係が存するとしても,原告側に著しい過失が認められるべきであり,原告の回収額と被告が本件調停によって支払った10万円によって被告の損害賠償債務は既に消滅している。
(3)本件清算条項の解釈
(被告)
本件調停条項が「解決金」を定め,「その余の請求を放棄し」たうえ,「本件に関し一切の債権債務がないことの確認」を定めていることに加え,本件調停の成立に至った経緯などの諸事情を総合すれば,本件清算条項は,本件リース契約に関する請求については,訴訟物的なものに限定されることなく,契約責任とか不法行為責任等の法的構成にかかわらず,基本的事実関係を同一とする紛争を本件調停によって一括して終局的に解決しようとしたものであることは明らかである。
したがって,原告は,不法行為による損害賠償請求権を含めて一切の請求権を放棄したものである。
なお,原告は,本件調停成立時には,本件リース契約が名義貸しであり,しかも空リースであることを認識していたのであるから,被告に対し不法行為責任を追及することも可能であり,現に,原告は,不法行為の成否についても検討したうえ,代理人弁護士が関与して,本件調停を成立させたものである。
(原告)
原告は,平成18年4月19日,被告から,被告の面前で丁谷も同席し,名義貸しについての説明もなされたとの説明を受け,丁谷も名義貸しを知っていたとして,被告に対するリース料債権としての請求を断念し,被告との本件調停を成立させ,直後に,丁谷に対し,別訴を提起した。
ところが,被告は,平成19年4月12日の上記訴訟における証人尋問において,丁谷不在の時点で名義貸しについての説明を受けたと供述を覆したが,原告は,本件調停成立の時点ではこのような事実は全く知らなかった。
このように,被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求権は,本件調停成立の時点で知りえた事実のみでは請求が不可能であり,これは上記証人尋問の時点において明らかになった事実に基づいて,初めて成立する請求権であり,本件調停成立当時の合理的意思解釈として,調停による清算の効力が当事者が知りえない事実に基づく請求権まで含む余地はない。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(訴権の濫用)について
被告は,本件訴訟は,丁谷に対する別訴において証人とされた被告に,原告の主張どおりの証言をさせるために,威圧する目的でなされたものである旨主張するが,確かに,平成19年4月12日の丁谷に対する別訴における被告の証人尋問がなされた(甲5)ところ,その直近の同年3月29日に被告を相手に本件訴訟に移行する前の支払督促申立がされたことは当裁判所に顕著であり,また,原告訴訟代理人相場中行(以下「相場」という。)が証人尋問前の被告とのやり取りの際に,証言の内容いかんでは本件調停の無効を主張して被告に訴訟提起をする旨告げたことが認められる(弁論の全趣旨(原告の平成19年11月14日付け準備書面1(2)))ものの,被告は名義貸しを承諾していたものであって,被告に対する本件リース契約に基づくリース料請求も法的には可能であることも考慮すれば,これらの事実のみでは,被告主張事実を裏付けることはできないし,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。
したがって,本件訴えが,訴権の濫用である旨の被告の主張は採用することはできない。
2 争点2(不法行為の成否)について
前記のとおり,被告は,本件リース契約につき名義貸しを承諾したうえ,本件物件の引渡を受けていないにもかかわらず,物件借受証を発行したものであり,しかも空リースであったのであるから,被告がそのことを知らなかったとしても,少なくとも被告に過失があることは明らかであり,担当者であった丁谷の関与があったかどうかに関わりなく(なお,丁谷の関与を認める甲4は,甲5~8に照らし採用しない。),被告が不法行為責任を負うことは免れないというべきである。そして,本件のようなケースにあっては,原告が名義貸しを承諾したことにより,契約の当事者として契約責任を負うことになる場合であっても同様であると解される。
3 争点3(本件清算条項の解釈)について
(1)原告が被告外を相手方として,本件リース契約等に基づいて未払リース料の支払を求め別府簡易裁判所に対して調停を申し立て,本件調停が成立したことは前記のとおりであるが,本件調停における訴訟物的なものは,リース契約に基づく残リース料請求権ないしは調停調書の申立の表示にある債務不履行による損害賠償請求権であると解され,本件の訴訟物である不法行為に基づく損害賠償請求権とは異なるものであるから,本件訴えが本件調停の既判力に抵触するということはできない。
(2)しかしながら,本件調停条項には,訴訟物的なものに関し「その余の請求を放棄する」とともに,その後に引き続き,「当事者双方は,本調停条項に定めるほか,本件に関し何らの債権債務の存在しないことを相互に確認する。」との清算条項(本件清算条項)が設けられ,訴訟物的なもの以外についても何らかの処理をしていると解されること(一般に,この種の和解等における「本件」とは,訴訟物及びこれに社会的又は経済的に密接に関連する範囲を意味すると解されている。),そして,この当時,原告は,本件リース契約が被告による名義貸しであるうえ実体のない空リースであることを認識していたものであり(弁論の全趣旨),契約責任と不法行為責任とは一般には異質なものとはいえ,少なくとも本件の場合は,名義貸し,空リース契約といった同一の社会的事実を単に異なる観点からとらえたにすぎず,このことは本件調停の成立に関与した法律の専門家である原告訴訟代理人相場も十分理解しえたこと,他方,被告としては,名義貸しの件はこれで全て解決するとして本件調停に応じたことは容易に推察することができること等の事情を合わせ考慮すれば,本件清算条項については,いわゆる包括的な清算条項の形をとることなく「本件に関し」との限定はあるものの,本件リース契約に関する請求については,契約責任ないし不法行為責任等の法的構成に関わらず,同一の社会的事実に基づく紛争を本件調停によって一括して終局的に解決する旨の合意をしたものと解するのが相当である。
もっとも,原告は,本件調停成立当時,被告に対する不法行為に基づく損害賠償請求権は想定されていなかったかのような主張をするが,上記のとおり,原告は本件リース契約が名義貸しであるうえ空リースであることを認識していたのであるから,被告に対する不法行為責任を追及することは可能であり(被告が名義貸し及び物件借受証の発行に関与している以上,空リースにつき知らず,他方,原告の担当者である丁谷がこれに関与していたとしても,大幅な過失相殺の問題は生じうるとしても,被告が不法行為責任を全く免れるということはないと解される。),のみならず,原告は,被告に対する不法行為責任の追及も検討したうえで本件調停を成立させたことは弁論の全趣旨上明らか(原告の平成19年7月20日付け準備書面参照)であるから,原告の主張は,採用することはできない。
(3)そうすると,被告が不法行為に基づく損害賠償義務を負うとしても,本件清算条項により,その支払義務を免除されたものであるということができる。
(4)なお,付言するに,仮に,原告が本件清算条項に不法行為に基づく損害賠償請求権は含まれないと誤信したとしても,以上の事実に照らせば,原告に重過失があることは明らかである。
また,原告は,本訴の訴えの交換的変更に伴い,本件調停の錯誤無効の主張を撤回したが,原告が主張する動機が黙示的にも表示されていたと解することができるとしても,本件調停における原告訴訟代理人相場の関与や原告の担当者である丁谷が本件契約の締結においてどの程度被告と交渉したかを原告が容易に調査できる立場にあったこと等に照らせば,原告が誤信した点について同様に重過失があったことは免れないというべきである。
4 よって,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
(裁判官 金光健二)