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大分地方裁判所 平成21年(ワ)640号 判決 2011年1月28日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,1000万円及びこれに対する平成21年7月3日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,500万円及びこれに対する平成21年7月3日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,500万円及びこれに対する平成21年7月3日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告との間で自己を被保険者及び受取人として保険契約を締結していた亡Dが,自動車を運転中に自損事故を起こし,同事故により死亡したことによって,同人の妻である原告A,子である原告B及び原告Cが上記保険契約に基づき法定相続分の割合で保険金(搭乗者傷害補償保険金500万円と自損事故保険金1500万円の合計2000万円)の請求権を取得したと主張して,原告らが,被告に対し,原告Aに対しては1000万円,原告B及び原告Cに対しては各500万円並びにこれらに対する訴状送達の日の翌日である平成21年7月3日から各支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求めた事案である。

1  前提事実

以下の事実は,当事者間に争いがないか,括弧内に記載した証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することができる。

(1)  本件保険契約

ア 本件保険契約(甲1)

亡Dは,被告との間で,以下の内容のPAP自動車総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結していた。

(ア) 申込日

平成18年9月1日

(イ) 保険期間

同年10月3日午後4時から平成19年10月3日午後4時まで

(ウ) 保険契約の名称

自動車総合保険

(エ) 契約者

亡D

(オ) 被保険者

亡D

(カ) 受取人

亡D

(キ) 契約対象車両

自家用軽四貨物車  ダイハツ a○○×○○○○(以下「本件車両」という。)

型式  GD-S200V

車台番号  S200V-0069621

(ク) 保険金額

a 搭乗者傷害補償保険金 500万円

b 座席ベルト装着者特別保険金 150万円

c 自損事故保険金 1500万円

イ 本件保険契約の内容

本件保険契約には以下のとおり自損事故条項及び搭乗者傷害条項の規定があった。

第2章 自損事故条項

第1条(当会社の支払責任)

当会社は,被保険者が次の各号のいずれかに該当する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被り,かつ,それによってその被保険者に生じた損害に対して(中略)保険金を支払います。

(1) 保険証券記載の自動車の運行に起因する事故

第5条(死亡保険金)

1 当会社は,被保険者が第1条の傷害を被り,その直接の結果として死亡した場合は,1500万円を死亡保険金として被保険者の法定相続人に支払います。

2 前項の被保険者の法定相続人が2名以上である場合は,当会社は,法定相続分の割合により同項の死亡保険金を被保険者の法定相続人に支払います。

第4章 搭乗者傷害条項

第1条(当会社の支払責任)

当会社は,被保険者が次の各号のいずれかに該当する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を負った場合は(中略)保険金(中略)を支払います。

(1) 保険証券記載の自動車の運行に起因する事故

第5条(死亡保険金)

1 当会社は,被保険者が第1条の傷害を被り,その直接の結果として,事故の発生の日からその日を含めて80日以内に死亡した場合は,被保険者1名ごとの保険証券記載の保険金額の全額を死亡保険金として被保険者の法定相続人に支払います。

2 前項の被保険者の法定相続人が2名以上である場合は,当会社は,法定相続分の割合により同項の死亡保険金を被保険者の法定相続人に支払います。

(2)  本件事故の発生

以下の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

ア 発生日時

平成18年12月22日午後2時10分ころ

イ 事故現場

a市b○○番地E方先路上

ウ 車両

本件車両

エ 当事者

亡D

オ 運転手

亡D

カ 事故状況

亡Dは,中央線によって走行区分が付された片側1車線の道路を走行中,中央線を越えて反対車線に飛び出し,さらに反対側の歩道に乗り上げた上,E方の花壇に衝突した。本件事故は自損事故である。

キ 物的損傷状況

(ア) 本件車両の前部バンパーの下部に擦過痕及び押し込んだような凹みがあった。

(イ) レンガ積みの花壇が崩れ落ちた。

(3)  亡Dの死亡等

ア 亡Dは平成18年12月22日午後3時37分に死亡が確認された。

イ a県立病院の心臓血管外科のF医師が作成した平成18年12月27日付けの死亡診断書には,「病死,自殺,その他変死,中毒の別」欄に「交通事故後心肺停止状態で救急搬送」との記載が,「病名」欄に「心筋梗塞等心臓停止後交通事故となったものか衝突のショックで心臓停止となったものかは不明」との記載がそれぞれある(甲4)。

ウ F医師が作成した平成19年2月28日発行の死亡診断書(以下「本件診断書」という。)には,「死亡の原因 (ア)直接死因」欄に「急性心筋梗塞」とある(乙5)。

(4)  亡Dの相続人は,妻である原告A,亡Dと原告Aの子である同B及び同Cである。

2 争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  亡Dは本件事故により死亡したか。

(原告らの主張)

ア 亡Dの死亡は本件事故によるものであって,急性心筋梗塞による自然死ではない。

イ 亡Dの死因1-本件事故による迷走神経反射による死亡

(ア) 迷走神経反射による死亡とは,外傷がない場合であっても,事故による衝撃や精神的衝撃により,迷走神経反射の結果,心臓の収縮力が低下等し,死に至ることである。

(イ) 本件事故は,亡Dが運転する本件車両が道路脇の花壇に衝突したものであるところ,本件事故により亡Dに大きな衝撃が加わったことは明らかであり,加えて,本件事故の発生及びそれにより大きく損壊した花壇から亡Dは精神的に大きな衝撃を受けた。亡Dが,心臓疾患の診断を受けたこともなかったことに鑑みれば,本件事故により,亡Dが衝撃及び精神的ストレスを受け,迷走神経反射の結果,心臓の収縮力が低下等して死亡した可能性が高い。

(ウ) よって,亡Dの死因は自然死ではない。

ウ 亡Dの死因2-心筋梗塞による心不全

(ア) 亡Dは心臓疾患等の診断を受けたことはなく,健康状態は良好であった。事故当時の健康状態はいつもと変わらず,仕事にももちろん何ら支障はなかった。本件事故が発生した日の午後零時ころまでは,メーカーの担当者と打合せをし,事故直前まで配達のために運転を継続していた。また,運転中に何らかの異変を生じて,店にいた原告Aに連絡をするということもなかった。したがって,心不全の原因が自然的経過により悪化し,それが亡Dの心不全を出現させたわけではないことは明らかである。仮に死因が心筋梗塞による心不全であることを前提にしても,本件事故により亡Dが激しい精神的衝撃を受けたことは明らかであり,そのため亡Dの心臓機能に過大な負担をかけ,それが心筋梗塞を発症させるに至ったのである。よって,仮に死因を心不全としたとしても,自然死でないことは明らかである。

(イ) また,本件事故による強い精神的緊張が既存の心筋梗塞を急激に悪化させて急性心臓死の結果を招くに至ったことも考えられる。

(ウ) 以上のように,本件事故が有力な原因となって心筋梗塞が発症したと認めるのが自然であり,本件事故と亡Dの死亡との間には相当因果関係があると認められるから,亡Dの死亡は本件事故に起因するものといえる。

エ 亡Dの死亡原因3-心筋梗塞以外による心不全

心不全を起こす要因があっても,心臓自体あるいは心外性に多くの代償機序が働いていることから直ちに症状を現すとは限らず,この場合,運動,感動その他のストレスによって容易に代償不全の状態に陥る。本件において心不全の原因疾患が立証されないとしても,本件事故前の亡Dの健康状態から,本件事故に起因する精神的・肉体的負担がそれ自体でまたは他の基礎疾病と共働して心不全の有力な原因として作用したといえる。したがって,この場合も亡Dの死亡は本件事故に起因するものといえる。

オ 被告の主張に対する反論

(ア) 後記の最高裁平成19年10月19日第二小法廷判決・判例タイムズ1255号179頁を前提にしても,上述のとおり,亡Dの死亡の外来性及び因果関係は認められる。

(イ) 本件車両が道路を進行中に対向車線にはみ出した原因は,亡Dの居眠り,脇見,前方不注視等の過失と考えられるが,その原因は不明である。

(ウ) 強い衝撃を受けたとしても外傷が生じないことはあるのであり,本件車両が衝突した際に亡Dが受けた衝撃は決して軽微ではない。

(エ) 心筋梗塞を含む心不全は,事故による精神的な負担によっても生じる。

(オ) F医師が本件診断書に直接死因として急性心筋梗塞と記載したのは,死亡統計上診断書には何らかの記載をせざるを得ないため,死因は不明であるがあくまで心筋梗塞の可能性があるという意味で記載したにすぎないのであって,F医師の正確な所見としては,亡Dの死因は不明というものであった。したがって,本件診断書の記載から亡Dの死亡原因を心筋梗塞と判断することができないことは明らかである。

(被告の主張)

ア(ア) 被告は,原告らに対し,「急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被り」かつ「その直接の結果として」死亡した場合には,保険金を支払うべきものであって,外来性とは,身体に生じた事故が身体の内部に原因があるのではなく外部からの作用に原因があることを要件とするもので,疾病による身体の事故を傷害から除外することに要件としての意味があるとされ,「直接の結果として」とは,通常,相当因果関係を意味すると解されているところ,本件において,亡Dは急性心筋梗塞によって死亡したのであるから,外来性の要件も,因果関係の要件も満たさない。

(イ) 最高裁平成19年10月19日第二小法廷判決によれば,保険金請求者は,運行事故と傷害・死亡結果について相当因果関係のあることを主張・立証しなければならないから,原告らは,亡Dが本件事故を原因として心筋梗塞を発症し,心筋梗塞により死亡したことを立証しなければならず,他方,被告として保険金の支払を拒絶するためには,亡Dが本件事故を原因としない急性心筋梗塞で死亡したことまで主張・立証する必要はない。

イ 以下のとおり,亡Dの死因,事故態様,事故の程度,心筋梗塞の発症原因などを考慮すれば,亡Dが本件車両を運転中,本件事故発生前に,急性心筋梗塞を発症し,本件事故を起こしたと考えるのが相当であるから,亡Dの死亡は本件事故に起因するものではなく,あくまでも心筋梗塞による病死である。したがって,亡Dの死亡は本件事故と関係がないのであり,本件事故は外来の事故に該当せず,かつ,本件事故と亡Dの死亡との間には因果関係もない。

(ア) 事故態様と急性心筋梗塞の発症原因

本件車両は,ほぼ直線で見通しのよい道路を進行中,突然,対向車線にはみ出し,対向車線の歩道を越えて,E方の花壇に衝突したところ,直線の道路を走行中,突然,対向車線を超えて民家の花壇に衝突していることから,運転中に亡Dに異変が生じたと考えられ,このような事故態様からすれば,本件事故発生前に急性心筋梗塞を発症したことは明らかである。

(イ) 本件事故は,本件車両がE方の花壇に衝突したものであるが,かかる衝突により,本件車両には前部バンパー下縁部の擦過痕とごく軽い押し込みくらいしか生じておらず,極めて軽微な事故であった。救急搬送先の病院においても亡Dに外傷がないことが確認されている。したがって,本件事故が,それを原因として死亡するような事故でなかったことは明らかである。よって,亡Dは本件事故を原因として死亡したものではない。

(ウ) 心筋梗塞の発症原因

心筋梗塞とは,心臓の筋肉を養う冠状動脈が血栓により詰まることによって起こる疾患であり,その原因は冠動脈硬化である。そもそも,冠動脈の硬化は,高脂血症,糖尿病,喫煙,運動不足等の危険因子が作用し少しずつ進行するもので,急激に起こるものではなく,事故のショックでは発症しないことは明らかである。よって,亡Dの心筋梗塞は,本件事故発生前の運転中に生じたものである。

ウ 亡Dは,病院搬送時に既に心肺停止状態であって,直ちに心臓マッサージ,人工呼吸等の蘇生が開始されたが全く反応せず,平成18年12月22日午後3時37分に死亡が確認された。亡Dの頭部・頚部DT,胸腹部DT,血液生化学検査等全てにおいて,死因となるような外傷・外因による内部損傷を示唆する所見はなかったことから,F医師は,検査所見及び身体的診断所見から,最も可能性のある急性心筋梗塞を死因とした。

(2)  原告らが取得した保険金請求権の額

(原告らの主張)

ア 亡Dが本件事故により死亡したことによって,妻である原告Aは2分の1,子である同B及び同Cは各4分の1の割合により,本件保険契約の保険金(搭乗者傷害補償保険金500万円と自損事故保険金1500万円の合計2000万円)の請求権を取得した。

イ 仮に,亡Dが本件事故当時に既に存在していた障害や疾病の影響も相まって死亡した場合であっても,本件保険契約の保険金請求権は発生する(自動車総合保険普通保険約款第2章第10条,第4章第11条)。仮に,そのような場合であっても,心筋梗塞その他の疾病の寄与率の可能性は10パーセント以下であるから,被告は2000万円の90パーセントに当たる合計1800万円を,原告らの法定相続分の割合により支払う義務を負う。

(被告の主張)

ア 否認ないし争う。

イ 原告らは,本件事故時,亡Dに障害,疾病が存在していたことを前提に,心筋梗塞その他の疾病が寄与した旨主張する。しかし,かかる主張は,原告らが亡Dの生前の健康状態に問題がないことを前提に急性心筋梗塞を否定していることと矛盾する。また,亡Dの生前の健康状態が不明であること,心筋梗塞その他の疾病が既存の障害,疾病に影響したのか否か,影響しているとしてどの程度なのか全く不明である。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(亡Dは本件事故により死亡したか。)について

(1)  認定事実

前記前提事実((2)),証拠(甲7,甲9の1,甲13,14,21,28,ないし30,乙2,4,F医師に対する書面尋問の結果及び同人の証言,原告A本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 亡Dには喫煙の習慣はなく,飲酒もほとんどしなかった。

イ 亡Dは,若いころからテニスをしており,本件事故のころには週に1回から3回くらいの頻度で,1回あたり2時間から3時間くらいテニスのコーチをするなど,定期的に継続的な運動をしていた。

ウ 亡Dは,昭和58年ころから本件事故まで健康診断を受けたことはなく,病院を受診したことも何年もなかった。また,亡Dは,生前に心臓の疾患を患ったことはなかった。

エ 亡Dには,過去に少なくとも1回,脇見又は居眠りによる追突をした交通事故歴があった。また,亡Dは,原告Aが同乗している時に,運転しながら居眠りをしたことがあった。

オ 亡Dは,運転中に眠くなったら,できる限り車を停めて仮眠をとるようにしていた。

カ 本件事故が発生した平成18年12月22日,亡Dはいつもより2時間ほど早く,午前5時ころに起床した。なお,その前夜に亡Dが就寝したのは,午後10時半ころであった。

キ 亡Dは,普段は午後11時ころに就寝し,午前7時半ころに起床していた。

ク 平成18年12月22日午後2時10分ころ,本件事故が発生した。

ケ 本件事故の際,本件車両が衝突したことによってF方の花壇は崩れ落ちたが,本件車両には前部バンパーの下部の擦過痕と押し込んだような凹みができた程度であった。

コ 本件事故の現場には,ブレーキ痕は見当たらなかった。

サ 同日午後2時14分ころに救急隊が本件事故を覚知した際か,又は午後2時21分ころに救急隊が事故現場に到着した際に,亡Dにはいびき様の呼吸が確認されたが,心肺停止状態(DPA)であった。

シ 救急隊が到着したころから,亡Dには心臓マッサージ等心肺蘇生措置(DPR)が施行された。

ス 亡Dが救急搬送されたa県立病院でも,亡Dに対して心臓マッサージ等の蘇生措置が施された。

セ 亡Dがa県立病院に搬送されて間もなく施行された血液検査(以下「本件血液検査」という。)の結果,心筋梗塞の急性期に増加が認められる白血球数については8.64(単位は省略する。以下同様とする。基準範囲は4.00ないし9.00)であり,急性心筋梗塞時に上昇する心筋逸脱酵素であるAST値は45(基準範囲は13ないし33),LDH値は275(基準範囲は119ないし229),DK値は388(基準範囲は62ないし287),DKMB値は43(基準範囲は2.0ないし20.0)であった。

ソ 本件血液検査の結果,TD値(総コレステロール値)は214(基準範囲は128ないし220),HDL‐D値(善玉コレステロール値)は38.9(基準範囲は41ないし96),TG(中性脂肪)値は199(基準範囲は38ないし207),血糖値は300以上(基準範囲は60ないし110)であり,本件血液検査の結果を基に算定すると,LDL‐D値(悪玉コレステロール値)は135.2(基準範囲は<140)であった。

タ a県立病院では,頭頚部DT,胸腹部DT,血液生化学検査等が施行されたが,全てにおいて死因となるような外傷や外因による内部損傷を示唆する所見はなかった。なお,亡Dの外傷として確認されたのは,部位も記憶に残らないような擦過傷と内出血程度であった。

チ 亡DのDT検査の結果,冠動脈の石灰化が認められた。

ツ F医師は,亡Dの死因について,外傷や外因による内部損傷の可能性には否定的であり,最も可能性の高い死因としては急性心筋梗塞と考えたが,運転中に心肺停止に陥って本件事故を起こしたのか,本件事故後に心肺停止に陥ったのかは分からなかった。

(2)  亡Dの死因が迷走神経反射であったかについて

原告らは,亡Dが,本件事故により大きな衝撃及び精神的ストレスを受け,迷走神経反射の結果,心臓の収縮力が低下等して死亡した可能性が高いと主張する。

たしかに,上記認定事実((1)ケ,コ)のとおり,本件車両がブレーキをかけることなくE方の花壇に衝突したことや,その花壇が崩れ落ちたことからすれば,本件車両が花壇に衝突した際の衝撃は決して軽微なものであったということはできない。しかしながら,上記認定事実((1)ケ,タ)のとおり,本件事故による本件車両の損傷が前部バンパー下部の擦過痕と押し込んだような凹みのみであったことや,亡Dに死因となるような外傷や外因による内部損傷は認められず,外傷として確認されたのは,部位も記憶に残らないような擦過傷と内出血程度であったことからすれば,上記衝突により亡Dに加わった物理的な衝撃は,それほど大きなものではなかったと認めるのが相当である。そして,甲8によれば,迷走神経反射が惹起されるには激しい衝突が前提とされていることや,甲8及びF医師尋問結果によれば,亡Dが迷走神経反射により死亡した可能性は100パーセント否定することはできないとされる程度にすぎないこと,その他に亡Dに迷走神経反射があったことを窺わせる証拠すらないことからすれば,亡Dが本件事故による迷走神経反射の結果死亡したことの証明があったということはできない。

よって,この点に関する原告らの主張を採用することはできない。

(3)  亡Dの死因が心筋梗塞であったかについて

ア そして,①前記認定事実((1)タ)のとおり,亡Dに死因となるような外傷や外因による内部損傷を示唆する所見がなかったこと,②前記認定事実((1)セ)のとおり,本件血液検査の結果,心筋梗塞の急性期に増加が認められる白血球数が基準の上限に近い値であったこと,急性心筋梗塞時に数値が上昇する心筋逸脱酵素であるAST値,LDH値,DK値及びDKMB値がいずれも基準範囲を超えていたこと,③証拠(甲11,16)によれば心筋梗塞の危険因子には,脂質代謝異常,肥満,喫煙,高血圧,ストレス,糖尿病などがあるとされているところ,前記認定事実((1)ソ)のとおり,亡Dの中性脂肪値や悪玉コレステロール値が基準の上限に近い値であったこと,亡Dの血糖値は基準を超えており亡Dが糖尿病に罹患していた可能性があること(F証言),④前記認定事実((1)チ)及びF医師尋問結果のとおり,亡DのDT検査の結果,冠動脈の石灰化が認められ,何らかの冠動脈病変が存在していたことが示唆されたこと,⑤証拠(甲7,F証言)によれば,亡Dには救急隊が事故現場に到着して間もないころから心室細動(VF)が複数回認められたところ,心室細動がストレスや外傷により発生することは非常にまれであって,心臓自体に高度の障害が起こらないと通常は発生しないことからすれば,亡Dの死因は,F医師の診断とおり,心筋梗塞であった可能性が最も高いというべきである。

イ(ア) これに対し,原告らは,亡Dは心臓疾患等の診断を受けたことはなく,喫煙も飲酒もせず,健康状態は良好であったと主張し,亡Dの死因が心筋梗塞であった可能性を否定する。

たしかに,前記認定事実((1)ア,ウ)のとおり,亡Dが生前に心臓の疾患を患ったことはなかったことや,亡Dに喫煙や飲酒の習慣がなかったことが認められる。しかしながら,甲11によれば,心筋梗塞は全く前兆なしに突然発生することが少なくないとされていること,前判示((3)ア)のとおり,喫煙や飲酒のみが心筋梗塞の危険因子とされているわけではないこと,前記認定事実((1)ウ)のとおり,亡Dは昭和58年ころから平成18年の本件事故まで20年以上もの間健康診断を受けたことがなかったというのであって,健康状態の異変に気付いていなかったにすぎないということも十分に考えられる(現に,前判示((3)ア)のとおり,亡Dの中性脂肪値や悪玉コレステロール値は基準の上限に近い値であり,また亡Dが糖尿病に罹患していた可能性もある。)から,亡Dの健康状態が良好であったことを当然の前提にすることはできないことからすれば,この点に関する原告らの主張は,上記認定((3)ア)を左右するほどのものではないというべきである。

(イ) また,原告らは,DKMB値,AST値,LDH値,DK値の上昇を判断するためには経時的変化を確認することが重要であるとか,本件血液検査が施行された時点ではこれらの心筋逸脱酵素の数値の上昇が一般的に始まる時間を経過していなかったとか,これらの心筋逸脱酵素には心筋梗塞の特異性がないとか,亡Dの白血球数の増加は見られないなどとして,心筋逸脱酵素の数値の上昇や白血球数の増加を根拠として亡Dの死因が心筋梗塞であったとすることはできないと主張する。

たしかに,前記認定事実((1)セ)及び証拠(甲23,24,25,F証言)によれば,DKMB値,AST値,LDH値,DK値の上昇を判断するためには経時的変化を確認する必要があること,本件血液検査が施行された時点ではこれらの心筋逸脱酵素の数値の上昇が一般的に始まる時間を経過していなかったこと,これらの心筋逸脱酵素には心筋梗塞の特異性が高いものから低いものまで含まれていること,DKMB値は測定方法によっては偽陽性を示しやすいこと,DKMB値やDK値は心臓マッサージを施した場合にも数値が上昇すること,白血球数は基準範囲内であったことが認められる。しかしながら,検査が施行されたのが1回のみであって,しかも,その検査がされた時点では心筋逸脱酵素の数値の上昇が一般的に始まる時間が経過していなかったとしても,その検査の結果,複数の心筋逸脱酵素の数値が基準範囲を超えていることが確認できたのであれば,数値が上昇している可能性は高いというべきである。また,心筋逸脱酵素の中には心筋梗塞の特異性が高いものから低いものまで含まれており,しかも,その中には測定方法によっては偽陽性を示しやすいものや,心臓マッサージを施した場合にも数値の上昇するものがあったとしても,4つもの心筋逸脱酵素の数値が基準範囲を超えていることが確認できたのであれば,心筋梗塞の可能性は高いというべきである。さらに,白血球数については,基準範囲内であったとしても,基準の上限に近い値であったのであれば,心筋梗塞の可能性をありと考えることも問題はないというべきである。

したがって,この点に関する原告らの主張には理由がない。

(ウ) 原告らが提出した甲15には,「自動車運転中の突然死の可能性はあるが,重大な事故の発生率は非常に少な」いとか,「心臓性突然死においては心臓機能異常はただちに脳機能に影響を与えないので,自動車を停車させるような努力をする」などの記載があるが,前記前提事実((2)カ,キ)及び前記認定事実((1)ケ,コ)から認められる本件事故の状況は上記記載と必ずしも矛盾するものではないから,甲15も上記認定((3)ア)を覆すに足りるものではないというべきである。なお,原告らは本件事故の原因として居眠り等による可能性を指摘するところ,たしかに,前記認定事実((1)エ,カ,キ)によれば,亡Dに居眠り運転をする可能性があったことが窺われるが,前記認定事実((1)オ)によれば,亡Dは運転中に眠くなったらできる限り車を停めて仮眠をとるようにしていたというのであるから,本件事故が居眠り等による可能性の方が心筋梗塞による可能性よりも大きいということまではできない。

ウ(ア) そして,前判示(ア③ないし⑤)によれば,亡Dに発生した心筋梗塞は,本件事故による精神的衝撃によって発生したものではなく,自然的経過により発生したものと認めるのが相当である。

(イ) なお,原告らは,本件事故による強い精神的緊張が既存の心筋梗塞を急激に悪化させて急性心臓死の結果を招くに至ったことも考えられると主張するところ,たしかに,F医師尋問結果及びF証言によれば,ストレスにより心筋梗塞の病態が増悪する例は稀ではないことが認められるものの,本件事故直後の亡Dの意識の有無等が不明である以上,本件事故によるストレスが心筋梗塞を悪化させたか否かも不明と言わざるを得ない。

(4)  亡Dの死因が心筋梗塞以外であったかについて

原告らは,亡Dの死因が心筋梗塞以外による心不全であった可能性を指摘するが,これを認めるに足りる証拠はない。

(5)  以上のとおり,亡Dの死因は心筋梗塞による自然死の可能性が高いというべきであり,亡Dが本件事故により死亡したと認めることはできない。

2  結論

以上によれば,原告らの本訴請求は理由がないから,これをいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法65条1項本文,61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官 児玉禎治)

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