大分地方裁判所 昭和33年(行)3号 判決 1960年11月11日
原告 佐藤敬二
被告 大分県知事
主文
被告が昭和二十二年七月二日なした別紙目録記載の物件に対する買収処分は無効であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、原告は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
一、別紙目録記載の物件(以下本件土地と称する)は原告所有の農地であつたところ、被告はこれにつき昭和二十二年七月二日不在地主所有の小作地として自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項第一号により買収処分をなした。
二、しかしながら、本件土地は次に述べるように右買収処分当時自創法第五条第五号にいう近くその使用目的を変更することを相当とする農地であつて買収除外地の指定をなすべきものであつた。しかるにこれが指定をなさず買収した右処分は違法である。即ち、
本件土地は国鉄久大線日田駅よう約四百米の距離に所在し、且つ昭和十六年六月十一日建設省告示第四〇三号により昭和三隈通線(自日田駅至三本松通称寿通り)として新設され、日田市重要幹線に認定せられた幅員八米余りの道路に沿つている。この道路は新設時より舖装され、街路樹として銀杏の木が植えられていた。
そして前記買収処分当時において本件土地の六十米東方には南北に走る中央通りがあり、これより日田駅まで約三百米の間は道路の両側に家屋が並んで市街地を形成し、本件土地の道路を隔てた南側には約十四米の連絡路により日隈小学校に通じ、さらにこれに続いて日田高等女学校があり、一方同小学校の西にも一軒家があり、さらに一屋敷隔てゝ日田市の繁華街である三本松通りに連らなつておりこれに面してバスの車庫があつた。本件土地の西側には日田魚市場、それに間口三間の引揚者長屋が二軒あり、その西方は魚市場用の宅地であり、これに続いて三本松通りの繁華街に連らなつていた。また本件土地の北側は狭い田で約八十米離れて久大線が通つており、北東方は製材所があつた。
以上のような四囲の状況からみて本件土地は買収処分当時において客観的に市街地となる形勢の土地であつて、近くその使用目的を変更することを相当とする農地に該当するものであつた。
しかして政府が本件土地を買収した後もこれを小作人に売渡すことなく政府において所有し、昭和二十三年五月三十一日付の訴外古野正美外九名よりの申請に基き本件土地を同人らが商店街建設に使用することを許可し現に右古野正美らにおいて家屋を建築し、本件土地が商店街を形成しているが、この事実は本件土地が買収当時既に使用目的を変更することを相当とするものであつたことを示すものである。
三、右のとおり本件買収処分には違法があり、その違法は買収処分時において明白であり、且つ重大な瑕疵であるから、本件買収処分は無効であり、その確認を求める。
第二、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の請求の原因に対する答弁として次のとおり述べた。
一、原告の請求原因事実一は認める。
二、請求原因二の事実中、本件土地が昭和三隈通線(寿通り)に沿い、本件買収当時本件土地の南側に日隈小学校、日田高等女学校、西側に魚市場、引揚者長屋、北側に製材所がそれぞれあつたことは原告主張のとおりであるが本件土地の買収当時における四囲の状況として原告の主張するその余の事実は否認する。
本件土地の買収当時における四囲の状況は次のとおりであつて近い将来市街地化されるべきものとは考えられず自創法第五条第五号所定の場合に該らない。
即ち、買収処分当時の本件土地の附近は前記中央通りの南東角は畑で、そこから日田駅までの間は家屋が点々としていただけであり、本件土地附近から前記日隈小学校横門に至るには農作道を利用し、本件土地の西側は魚市場、引揚者長屋等を除いては水田はかりで家はなく、北側も水田であつた。
政府において売渡保留していたことは原告主張のとおりであるが昭和二十二年農政第二四六〇号通牒により都市の将来の発展を考慮し五ケ年の期間内に使用目的変更を相当とするに至つたときは小作人に売渡さず市町村に売渡す趣旨で保留していたのである。
又本件土地を訴外江藤正一外九名のものに一時貸付し、店舖住宅などを建築せしめているが同人らから本件土地使用の許可申請があつたのは昭和二十四年十二月三日であり、同人らは外地引揚者で生活と住宅に困窮していたので昭和二十六年十二月一日より貸付をなすに至つたのである。
三、以上のように本件買収処分当時本件土地は近く使用目的を変更する土地とは認められず買収より除外さるべき事由はないからその買収処分には違法はなく無効とすべきでない。
第三、証拠の提出並にその認否<省略>
理由
一、原告所有の本件土地につき被告が昭和二十二年七月二日不在地主所有の小作地として自創法第三条第一項第一号により買収処分をしたことは当事者間に争いのない事実である。
二、よつて本件土地が右買収処分当時近く使用の目的を変更することを相当とする農地であつたか否かについて判断する。
本件土地が昭和三隈通線に沿い、買収処分当時本件土地の南側に日隈小学校日田高等女学校西側に魚市場引揚者長屋北側に製材所が存在していた事実は当事者間に争いがなく、右事実と成立に争いのない甲第二号証、同第六号証の一、原本の存在成立につき争いのない甲第七号証の三乃至五、乙第一号証の一乃至三、同第二乃至第四号証、証人武内秋生、同安心院正造、同武内兼蔵の各証言及び検証の結果を綜合すると次の事実を認定することができる。
本件土地は国鉄久大線日田駅の北西方約三百九十米の地点に位置し、日田市豆田町と同市隈町とに挾まれた中間部に当り、昭和十六年六月十一日建設省告示第四〇三号により日田市重要幹線街路線として認定され本件買収処分当時既に街路樹として銀杏の植えられていた昭和三隈通線(自日田駅至三本松、通称寿通り)の北沿の地であり、昭和十二年四月二十六日樹立され、昭和二十二年頃から実施されていた日田市都市計画区域内に含まれていたこと。
そして本件買収当時の本件土地及びその附近の状況は本件土地及び北方及び東方、右道路を距てゝ南方はいずれも田であつたが、近隣には前記争いのない各建物が存在していたほか、西方約二百米離れ南北に走る三本松通りには旧市役所、旧郵便局、商工会議所等が立ち並び官公街を形成し、右三本松通りと寿通りの交叉点以西は商店街をなしていたこと、又本件土地及び附近の田地は地質、排水の便悪く田としては不適当とされていたこと。
さらに昭和三十四年十月二十六日当裁判所検証当時における本件土地附近の状況はその前を走る寿通りは歩道、車道の区別があり銀杏並木道となつており一部を除き、西側には商店が軒を連らねて建ち並び商店街を形成し、人車の往来多く東方約六十米距て南北に走る中央通りより日田駅まで約三百数十米の間も商店街をなし、反対の西方の前記三本松通りも繁華街をなしていること。
政府もまた本件土地買収後も売渡処分を保留し昭和二十四年十二月頃訴外江藤正一外九名の申請により被告は同人らに対し本件土地を商店街建設に使用することを許可して昭和二十五年八月頃右江藤らに対する一時貸付がなされて店舖住宅等が建築されて現在に至つていること。
本件土地の北方は水田が残り、約九十米距てた久大線までは殆んど家屋がないが、この水田も徐々に埋立てられていく傾向にあること。
以上の事実が認められ右認定を動かすに足る証拠は存しない。
以上の認定事実を綜合すれば本件土地は買収処分当時農地ではあつたけれども、むしろ住宅地に適した土地であり、四囲の状勢からみて近き将来住宅若しくは店舖が建設され宅地となるべきものであり、このことは買収処分当時既に何人においても予見し得たものと認めるのが相当であるから自創法第五条第五号にいう近く使用目的を変更することを相当とする農地に該当する。
三、してみれば本件土地については自創法第五条第五号所定の指定をなすべく、同法第三条による買収をなすべきものではないから右指定をなさず、買収処分をなしたことは違法であり右の違法は重大かつ明白であるから、本件買収処分は無効である。
四、よつて本件買収処分の無効の確認を求める原告の請求は理由があるをもつてこれを認容し、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 綿引末男 奥輝雄 芥川具正)
(別紙物件目録省略)