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大分地方裁判所 昭和49年(行ウ)1号 判決 1976年2月10日

原告 淡路イチ

被告 佐伯労働基準監督署長

訴訟代理人 渡嘉敷唯正 樋掛親男 松村弘 ほか二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一  原告の夫訴外水口兼義(以下訴外兼義という)が労災事故によつて昭和四六年五月二六日死亡し、被告は、原告に対し、同年七月労災保険法による遺族補償年金を支給する旨の処分をなしたが、その後昭和四七年一二月原告が同法一六条の四、一項三号の遺族補償年金受給受給権消滅事由に該当するに至つたとして同年六月二六日以降の遺族補償年金を支給しない旨の処分をなしたこと、原告は被告の右処分を不服として大分労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが棄却され、さらに労働保険審査会に対して再審査請求をしたところ、昭和四九年六月二九日右請求を棄却する旨の裁決を受け、同年七月二六日以降にその旨の通知を受けたことはいずれも当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によると、支給処分の日時が昭和四六年七月二二日同不支給処分の日時が昭和四七年一二月一五日、同通知が同年一二月二一日であることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

二  そこで、つぎに被告の抗弁について判断する。

(一)  原告が訴外淡路ハマと養子縁組をし、同訴外人の養子となつたことは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によれば、原告が訴外淡路ハマの養子として縁組の届出をしたのは昭和四七年六月二六日であること、訴外淡路ハマは、原告の法律上の直系血族又は直系姻族以外の者であることがそれぞれ認められ、他に右認定に反する証拠ははない。

右事実によれば、原告は、労災保険法による遺族補償年金の受給権者となつた後に自己の直系血族又は直系姻族以外の者の養子となつたものであるということができる。

なお、原告は労災保険法一六条の四、一項三号の「直系姻族」には事実上の直系姻族も含まれると解すべきであるかの如く主張するが、およそ身分関係を表現する法律用語としては、身分関係を画一的に取扱う意味から法律上の身分関係をいい、事実上のものは「事実上の」とただし書をつけて表現するのが通常の用法である。そして、同法においても婚姻、養子縁組(同法一六条の四、一項二、三号参照)につき同用法を使用しているので、右用法のとおり法律上のもののみをいい、事実上のものは含まれないものと解する。又事実上のものと法律上のものとの身分関係に差があることは、以下にのべることからも明らかである。

従つて、原告の右主張は自余の判断をするまでもなく理由がない。

(二)  次に原告は、受給権発生前から訴外淡路ハマと事実上の養子縁組関係と同様の事情にあり、ただ受給権発生後に養子縁組の届出をしただけで、実質関係に全く変動がないので、この様な場合には労災保険法一六条の四、一項三号に該当しない旨主張するので、この点について判断する。

1  そして原告はその例として受給権の発生後に事実上の養子縁組関係と同様の事情に入つたものが受給権を喪失する(法一六条の四、一項三号)に対し受給権発生前から事実上の養子縁組関係と同様の事情にあるものは受給権を喪失しないことをあげている。右事例は正にそのとおりである。しかしながら、そもそも同法による遺族補償年金は、労働者の死亡により被扶養利益を喪失した遺族に対し、それを填補することを目的として支給されるものであるところ事実上の養子縁組関係が受給権発生の前後を通じて続いている場合には、受給権者の被扶養利益の喪失状態に何ら変動がないから受給権を消滅させる事由は全く存在しないのに対し受給権発生前から事実上の養子縁組関係同様の事情にあつた者が、受給権発生後に右縁組の届出をした場合はそれによつて受給権者たる養子は養親の嫡出子たる身分を取得し、これに付随して、両者間の法定血族関係を基にした扶養関係、相続関係が生じ、ひいては、受給権発生後における受給権者の被扶養利益の喪失状態を解消する何らかの変動をきたすことは、一般的に考えられるところである。

そうしてみると、同法一六条の四、一項三号が受給権の消滅事由として「養子となつたとき」を規定する理由は、受給権者に右事由が生じた場合は、具体的、個々的場合の財産状態の変動はさておき、一般に養子は、養親から扶養される場合が多いこと、新たな法律上の身分関係から生ずる扶養利益があること、養親らの財産について相続ができる状態になることなど養子たる受給権者の被扶養利益の喪失状態を解消するような変更が生じる場合が多いことを考えて、同条一項三号の事由の発生をもつて一律に受給権を消滅させることとしたものと解される。

なお、実質上、養親側に何ら見るべき積極財産がなく、養子側の財産状態に殆んどプラスの変動がない場合であつても、すべてをできるだけ画一的に規定しようとする法の本質からみて、法は当然にはこれを法の適用除外事由としているものとは解し難い。

2  ところで、<証拠省略>を総合すると、訴外兼義は、原告と結婚する以前から母方の実家に当る淡路家の家系を継ぐ者として親族から承認され、母方の祖母の訴外淡路ツルを自宅に引き取つて同居し、淡路家の祖先の位牌を自宅に祭るなどしていたものであるところ、原告は、昭和二八年暮ごろ訴外兼義と結婚し、右淡路ツルが既に死亡していたので訴外兼義と二人だけで同訴外人の実家の別棟に居住し、その後約八年程経て淡路家の屋敷内に転居してそのまま現在に至つているが、結婚当時から訴外兼義と共に近隣の部落内では淡路の姓を名のり、国民健康保険税の納入や農協への出資等も淡路の名で行い、さらに淡路家の当主として親戚付合をし、同家の祭祀を主宰してきたものであること、淡路家の先代には訴外兼義の母を含めて四男五女の子供があつたが、家系を継ぐべき男子は現在いずれも死亡し、同家の家系を継ぐ者としては長男の亡訴外淡路孫助の嫁である訴子淡路ハマただ一人が生存しているのみであること、訴外淡路ハマは、昭和二年ごろブラジルに移住したため、原告とは昭和四八年に帰国した際一度面識があるだけであるが、訴外兼義とは何度か文通もし、すでに昭和三〇年ころから同訴外人が淡路家の家系を継ぐべき者であることを承認していたこと、原告は、結婚以来、訴外兼義と共に淡路家の財産である家・屋敷約一アール、畑約一〇アール及び山林等を管理してきたが、他に訴外淡路イチとの間で互の生活を扶養し合う等の関係が全くなかつたこと、訴外兼義と訴外淡路ハマの養子縁組は昭和四五年ごろから正式の法的手続をすべく準備が進められていたが、その後訴外兼義が死亡したため、原告は、夫兼義との間に儲けた長男水口満一を訴外淡路ハマの養子にしようとしたところ、当時右満一が未成年者であつて、その手続が比較的煩雑であつたので結局自己が養子として訴外淡路ハマと縁組し、届出するに至つたものであるが、その後も訴外淡路ハマから扶養を受けるなどはしていないことがそれぞれ認められ、他にこれに反する証拠はない。

3  以上一、二の事実によると、原告は本件養子縁組の届出によつて、扶養状態そのものには変更はなく、亡夫及び訴外淡路ハマらの意思を尊重したために生活のために重要な受給権を喪失したものであつて、その立場は実に問題とするに値するものである。

しかしながら、右2認定の事実によると、原告は養子縁組の届出によつて訴外淡路ハマらと新しい扶養関係が生じ(これが期待できないことは同認定のとおりであるが、具体的、事実上の問題と法の規定並びに解釈の問題とは別個の問題であることは前記(二)1のとおりである。)、相続関係も発生しているのであるから、右届出の前後によつて、何らその被扶養利益の喪失状態に変動がないものとはいえず、受給権発生の前後を通じて、事実上の養子縁組関係と同様の状態にあつただけのものと、すべての点について同視することはできず、むしろ法律上の届出によつて新しい状態となつたとするのが合理的である。

なお、本件事案においては原告に気の毒な結果を発生していることは前記事実から明らかであるが、これは前記事実を考察して考えれば、法律を知つていればさけられたか、或はそうでないとしても熟慮して、行動しえたいわゆる法の不知から発生したものともいえなくはない。

4  その他、事実上の養子縁組関係につき、特に尊重すべき規定のない労災保険法によれば、原告主張の前記認定の事実関係においては同法一六条の四、一項三号のみ特に右場合を適用除外事由とみることもでき難い。

したがつて、原告の右主張は理由がなく、被告のなした不支給処分には何ら違法の点は認められないものといわなければならない。

三  よつて、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅純一 谷岡武教 市川頼明)

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