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大分地方裁判所 昭和50年(ワ)97号 判決 1977年12月27日

原告

首藤秀正

ほか二名

被告

株式会社東海車輌

ほか一名

主文

原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自原告首藤秀正に対し、金六、五八八、九三八円及びこれに対する昭和四九年四月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告深沢洋一に対し、金三、六五〇、四四九円、原告幸野敬士に対し、金二、九九三、四三二円及びこれらに対する昭和四九年一一月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告らは、次の交通事故(以下「本件事故」という。)によつてそれぞれ傷害を受けた。

(一) 発生日時 昭和四七年四月一八日午前八時五〇分ころ

(二) 発生場所 大分県宇佐市大字金丸八八六番地の一地先国道一〇号線上

(三) 加害車 普通貨物自動車(福岡一一か八八四号)

右運転者 被告芳川正美

(四) 被害者 原告首藤秀正、同深沢洋一、同幸野敬士

(五) 事故態様 中津市方面から大分市方面に向かつて国道一〇号線を進行していた加害車が、反対方向に進行していた原告深沢運転、同首藤及び同幸野同乗の普通貨物自動車(以下「被害車」という。)の左側面に衝突した。

(六) 結果 原告首藤は、頭部顔面打撲挫創、胸部圧挫傷、第二ないし第七肋骨骨折、脾破裂等の、同深沢は、頭部打撲、頸部捻挫等の、同幸野は、顔面切創、前額部散在性切創、左下腿部挫傷等の傷害をそれぞれ負つた。

2  責任原因

(一) 被告株式会社東海車輌(以下、「被告会社」という。)は、加害車を保有し、自己のために加害車を運行の用に供していたから自賠法三条により原告らの蒙つた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告芳川は、加害車運転に際し、前方不注視、追越不適当等の過失があり、民法七〇九条により原告らの蒙つた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(原告首藤)

(一) 治療費 一九四、四一〇円

宇佐市大字法鏡寺佐藤第一病院で事故当日から昭和四八年四月五日まで三五三日間入院加療した診療報酬から自賠責保険給付金を控除した残額で、昭和四八年八月二〇日原告首藤が右病院に支払つた金額。

928,901-734,491=194,410

(二) 入院中の雑費 一一二、四四九円

右病院に入院中、日用品代として入学商店に支払つた金額。

(三) 付添費 九四、〇〇〇円

右病院に入院中の付添費九四日分。

(四) 治療費 五、八六八円

後遺症である血清肝炎及び両下肢外傷性神経麻痺治療のため臼杵市進来医院に昭和四八年四月一〇日から同年五月一〇日までの間一一回に亘り通院して治療を受けたので原告首藤が同月一九日右医院に支払つた金額。

(五) 交通費一、一〇〇円

原告首藤宅より右医院までのバス代往復一一回分。

(六) 逸失利益 六六六、一二〇円

原告首藤は、本件事故当時、原告深沢に雇傭され、一か月あたり五五、〇〇〇円(日額一、八三〇円)の給与の支払を受けていたが、本件事故による負傷治療のために三五三日入院、一一日通院したので、その逸失利益は次のようになる。

1,830×364(入通院日数)=666,120

(七) 慰謝料 七、四六〇、五〇〇円

(1) 右佐藤第一病院に入院中の慰謝料

3,000×353(入院日数)=1,059,000

(2) 右進来医院に通院中の慰謝料

1,500×35(通院期間)=52,500

(3) 右(1)、(2)以外の慰謝料

6,349,000

1,059,000+52,500+6,349,000=7,460,500

(原告深沢)

(一) 医療費 一四八、二八七円

佐藤病院及び鎌田病院における診療入院費及び入院雑費。

(二) 逸失利益 二、五三〇、七九七円

原告深沢は、本件事故当時、美術工芸品の製造販売業を営なみ、日額六、三七九円の収入を得ていたが、本件事故による負傷治療のために二四三日間休業し、更に、本件事故により第一二級の後遺障害をのこし、労働能力の一四%を三年間喪失したので、その逸失利益は次のようになる。

(1) 治療のために休業したことによる分

6,379×243(休業日数)=1,550,097

(2) 後遺障害のため労働能力を喪失したことによる分

2,335,000(年収額)×0.14(労働能力喪失割合)×3=980,700

1,550,097+980,700=2,530,797

(三) 慰謝料 一、五九七、三六五円

(1) 入院(九五日間)中の慰謝料

一月につき二〇万円の割合で計算すれば六一六、六六五円

(2) 後遺障害による慰謝料

後遺障害による逸失利益額と同額の九八〇、七〇〇円

616,665+980,700=1,597,365

(原告幸野)

(一) 医療費 一九四、五五六円

佐藤病院、鎌田病院及び長崎共立病院における診療入院費及び入院雑費並びに通院交通費及び宿泊費。

(二) 逸失利益 七七四、八七六円

原告幸野は、本件事故当時、原告深沢に雇傭されていたが、本件事故による負傷治療のため、昭和四七年四月一八日から同年八月二四日までの一二九日間及び昭和四九年三月五日から同年六月一六日までの間に二五日間休業したが、右一二九日間の収入は日額一、六六九円、二五日間の収入は日額二、三八三円であり、また顔面傷害の第一二級後遺障害により、面貌容姿を要する業務には就けなくなつたことによる不利益は最小限五〇万円に相当する。従つて、逸失利益は次のようになる。

1,669×129(休業日数)+2,383×25(休業日数)+500,000=774,876

(三) 慰謝料 二、六七八、〇〇〇円

(1) 入院期間中の慰謝料は六七八、〇〇〇円が相当である。

(2) 顔面傷害という後遺障害により終生醜い面貌で苦しまなければならない苦痛は二、〇〇〇、〇〇〇円に相当する。

678,000+2,000,000=2,678,000

4 損害の填補

原告首藤は一、九四五、五〇九円、同深沢及び同幸野は各一、〇二〇、〇〇〇円の保険金をそれぞれ自賠責保険から受領したので、その限度で原告らの損害は填補された。

5 弁護士費用 原告深沢 三九四、〇〇〇円

原告幸野 三六六、〇〇〇円

しかし、被告らはその余の任意の弁済をしないので、原告深沢及び同幸野は本訴の提起追行を弁護士である本件原告右両名訴訟代理人に委任し、弁護士費用として、原告深沢は着手金一九七、〇〇〇円を、同幸野は同一八三、〇〇〇円を同弁護士にそれぞれ支払つたほか、成功報酬として着手金と同額をそれぞれ支払うことを約した。

6 結論

よつて、原告首藤は、以上の損害金合計六、五八八、九三八円及びこれに対する本件記録上明らかな本件訴状が同被告に送達された日の翌日である昭和四九年四月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告深沢は、以上の損害金合計三、六五〇、四四九円及びこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の翌日である昭和四九年一一月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告幸野は、以上の損害金合計二、九九三、四三二円及びこれに対する原告深沢と同様の遅延損害金の支払いを、それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、(一)ないし(五)は認める。(六)は不知。

2  請求原因2の事実のうち、(一)は認めるが、(二)は否認する。

3  請求原因3のうち、慰謝料についてはいずれも否認し、その余の事実は不知。

4  請求原因4の事実は認める。

5  請求原因5の事実は不知。

三  抗弁

1  自賠法三条但書―被告会社

(一) 被告会社及び運転者たる被告芳川は自動車の運行に関し注意を怠らなかつた。

(二) 本件事故は原告深沢の一方的過失によつて惹起された。

(三) 加害車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつた。

2  相殺―被告会社

被告会社は、昭和五〇年一一月二一日の本件口頭弁論期日(第九回)において、原告深沢に対する左記の損害賠償請求権(計二、三一〇、三五〇円)をもつて、同人の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

(一) 車両修理代金 三四五、九七〇円

(二) 積荷損害金 七九四、三八〇円

(三) 休車料 一二五、〇〇〇円

(四) 救援費 四五、〇〇〇円

3  相殺―被告芳川

被告芳川は、昭和五〇年一一月二一日の本件口頭弁論期日(第九回)において、原告深沢に対する左記の損害賠償請求権(計五〇〇、〇八〇円から自賠責保険給付金一七九、六六〇円を差し引いた三二〇、四八〇円)をもつて、同人の本訴債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

(一) 治療費 一〇七、四八〇円

本件事故による頸部捻挫及び左肩・左胸部・左腰部打撲傷の治療のために、昭和四七年四月一八日から同年五月一三日まで入通院し、佐藤第一病院及び上野外科医院に支払つた費用

(二) 入通院雑費 七、八〇〇円

300×26(入通院日数)=7,800

(三) 休業損害 四四、八〇〇円

62,700(月額平均給与)×20(欠勤日数)/30=44,800

(四) 慰謝料 三四〇、〇〇〇円

被告芳川は、本件事故による負傷のために二六日間の入通院を余儀なくされたほか、運転手から内勤見習となり給与も月額三万円程度に減少した。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて否認する。

五  再抗弁(消滅時効)―原告深沢

被告らが右抗弁に係る債権を請求した時は、既に本件事故の発生日である昭和四七年四月一八日から三年を経過していた。原告深沢は本訴において右時効を援用する。

六  再々抗弁(消滅時効中断)

原告深沢は昭和四九年一〇月三〇日本訴を提起し、被告らは請求棄却を求める答弁書を提出し、同年一二月四日の本件口頭弁論期日において右答弁書は陳述された。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生について

1  請求原因1の事実のうち、(一)発生日時、(二)発生場所、(三)加害車、右運転者、(四)被害者、(五)事故態様については、当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない甲イ第一六号証、甲ロ第六、第一一号証及び原告本人首藤秀正、深沢洋一、幸野敬士の各尋問の結果を総合すれば、本件事故によつて、原告首藤は、頭部顔面打撲挫創、胸部圧挫傷、第二ないし第七肋骨骨折、膵破裂等の、同深沢は、頭部打撲、頸部捻挫等の、同幸野は、顔面切創、前額部散在性切創、左下腿部挫傷等の傷害をそれぞれ負つたことが認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二  本件事故の責任について

原告らは、被告会社に対しては自賠法三条の自動車損害賠償責任に基づき、被告芳川に対しては民法七〇九条の不法行為責任に基づき原告らの蒙つた損害の賠償を求め、これに対して被告らはいずれも、本件事故は原告深沢の一方的過失によつて惹超されたものであるとして、いずれも損害賠償責任はない旨主張する。そこで、まず、この点について判断することとする。

1  福永祐利の証言により、本件事故当時加害車に着装されていたものと認められる乙第一四号証の一、二(タコグラフ以下乙第一四号証という。)、成立に争いのない甲イ第六号証、鑑定人樋口健治の鑑定の結果により真正に成立したものと認められる乙第二号証(事故チヤート解読報告書)、同鑑定の結果(以下樋口鑑定という。)によれば

(一)  乙第一四号証の一、二のタコグラフは、本件事故当時加害車に着装されていたものと認められるから、加害車の事故当時の走行状態を正確に記録しているものと認められ、右乙第一四号証に記録された事実は客観的事実として疑いの余地なくこれを採用することができる。

(二)  樋口鑑定によれば、拡大鏡を用いて乙第一四号証を解読すれば、被告芳川が運転していた加害車の走行速度、走行距離、経過時間、駐車時間等運行状況を正確に求めることができるところ、前記のとおり右乙第一四号証に記録された事実はこれを客観的な事実として採用することができるから、右解読によつて得られた加害車の運行状況もまた十分信ずるに足るものとして採用できるものといわなければならない。

2  ところで、成立に争いのない甲イ第六号証(被告芳川の司法巡査に対する昭和四七年四月一八日付供述調書)によれば被告芳川は、(1)昭和四七年四月一七日午後三時頃志免駅で東海車輛株式会社九州営業所の普通貨物自動車(加害車)に普通貨物自動車五台を積込み、(2)同日午後三時四〇分頃志免町田宮所在の同会社まで加害車を運転して帰着し、同会社の寮で仮眠し、(3)同日午後一一時四五分頃同会社を出発して宮崎方面に向い、(4)途中前照燈が故障したので翌同月一八日午前六時ごろまで車内で仮眠し、(5)同時刻頃出発して国道一〇号線に至り、沿線で前照燈の修理をしたが、その修理には凡そ二時間位かかつた。(6)被告芳川は、修理を終えて同日午前八時頃再び出発し、宇佐市内に入り間もなく国道脇の商店から会社に電話し、理由を告げて延着予定を知らせ、(7)国道一〇号線の岩崎交差点の信号待ちで本件事故直前に追越した積載量凡そ二トンの普通貨物自動車に追付いた旨の供述記載がある。

右被告芳川の供述記載と樋口鑑定の乙第一四号証に記録された事実の解読を照合すると、同年四月一八日午前零時以降の加害車の走行状態と被告芳川の供述と極めて一致することが認められる。即ち、右解読によれば、加害車は同日午前零時二八分駐車し、同日午前五時八分出発し、同日午前五時五八分駐車し、同日午前七時五七分出発し、その後走行中四分間停車し、その後本件事故が発生した同日午前八時五〇分までの間に一回停車していることが認められ、右事実は殆んど前記被告芳川の供述に符号する。

右事実からすると右被告芳川の司法巡査に対する供述記載(甲イ第六号証)は客観的事実に殆んど符合するものとして信用性が高いものといわなければならない。ところで、右甲イ第六号証中には、被告芳川は、国道一〇号線を大分方面に向け走行中、先行車に追い付き、交差点通過後、一度これを追越そうとしたが、前方に横断歩道があるため追越をやめ、横断歩道を通過して後、時速約四〇キロメートルで進行していた先行車を時速約五五キロメートルに加速して追越を開始した。この時被害車は加害車に対向して進行していたが、加害車との間隔は相当に開いていた。また、被害車の後方から大型貨物自動車がつづいて走行していたが、間もなく被害車が突然前照燈をつけ、中央線を右へ越えたりしていたづらのようにじぐざぐ運転をはじめ後方の大型貨物自動車との間隔がずつと開いた。被告芳川は、先行車の前方に加害車の車体の三分の一位が入りかけたとき、前方から被害車が加害車の直前に入つてきたので正面衝突をさけるためにブレーキを踏み、ハンドルを右に転把したが、加害車の左前部と被害車の左側面が衝突した旨の供述がある。信用性の高い前記甲イ第六号証によれば、被告芳川は、加害車と被害車との間に相当な間隔があり先行車を追越しても、加害車が被害車と衝突することはないものと判断し、加害車の時速をあげて先行車の追越を開始し、被害車の進行を見ながら走行していた。しかるに、原告深沢は、被害車の前照燈を点滅させ(いわゆるパツシングライト)、速度を急速にあげながら中央線を右に越えるようなじぐざぐ運転を開始し、遂に被告芳川の進路である原告深沢の進行方向からみて右側車線内に侵入したものと認められる。

3  自動車運転者は、特段の事情がない場合には自車走行線の右側反対車線部分に進出してはならず、前車を追越す必要がある場合等右側反対車線に出る必要がある場合は、対向車との衝突を避けるため、特段の注意を払うべき義務があるものといわなければならない。そして、右特段の事情については事故を避ける場合の運転についても同様であつて、自車線内で減速し、停車し、或は左側に進路をとつて避けるなどの措置をとるべきであり、なお、その様な措置によつては事故の回避ができない場合には右側車線内に進路をとつて事故を回避することも許されるものというべきである。

そこで、原告深沢が本件事故を回避するためその進行方向からみて、右側車線内に侵入しなければならなかつた特別事情があるかどうかについて検討する。

(一)  成立に争いのない甲イ第一一号証(昭和四七年四月一七日付実況見分調書)第八号証、乙第三及び第五号証によれば、被告芳川は、事故の当日司法巡査の本件事故現場の実況見分に立会つて現場の指示説明をなしたが、別紙図面1のとおり加害車が先行車を追越するため右側方へ進路を変えて進出しはじめた同図面の<1>点から衝突地点である<×>点まで、順次<1>、<2>、<3>、<4>、<5>、<6>、<×>と指示説明し、<1>点から<×>点までの距離の合計は一一九・七五メートルであつた。

これとは別に、前記乙第二号証によれば、加害車の事故現場に至るまでの走行状況は別紙図面2のとおりであるがこれによれば、加害車は、衝突地点の一、〇八七メートル手前(以下「a点」という。)では時速四六キロメートルで走行しており、a点から二〇八メートル前方(以下、「b点」という。)まで一六秒間加速走行し、b点で時速四八キロメートルに達し、b点から一四三メートル前方(以下、「c点」という。)まで一一秒間減速走行し、c点で時速四五キロメートルとなり、c点から一〇二メートル前方(以下、「d点」という。)まで八秒間加速走行し、d点で時速四六キロメートルに達し、d点から四一二メートル前方(以下、「e点」という。)まで二九秒間加速走行し、e点で時速五六キロメートルに達し、e点から三一メートル前方(以下、「f点」という。)まで二秒間減速走行し、f点で時速五五キロメートルとなり、f点から衝突地点まで一九一メートルを一二秒間加速走行し、時速五九キロメートルで衝突したことが認められる。

右乙第二号証と、被告芳川の前記供述及び右指示とを対比すれば、被告芳川は、別紙図面2のe点で先行車に追いつき、f点までの二秒間に先行車を追越すことが可能であること、即ち、対向車が接近するまでに加害車が先行車の追越を完了するに必要な走行距離間隔があるものと判断したものとみられ、右判断ものとにf点において追越のために速度をあげて先行車の追越動作に入つたものと認められ前記のとおり、被告芳川の指示によれば、別紙図面1の加害車が先行車の右側方へ追越に出始めた地点<1>から衝突地点までの距離は一一九・七五メートルであるけれども、右<1>点が加害車が右側車線に出た地点と考えても、加速地点は衝突地点から凡そ一四五メートル手前ということになつて、乙第二号証の距離と符合しない。しかしながら、被告芳川の右指示と乙第二号証の記録との正確性について考えれば、被告芳川の供述は前記のとおり信用性が高いものということができるとしても、なお、乙第二号証の機械記録がより正確であることはいうまでもなく、被告芳川は、衝突地点手前約一九〇メートルの地点から、時速五五キロメートルから次第に時速をあげて先行車を追越しはじめたものと認められる。

(二)  次に、加害車が先行車を追越すのに必要な距離について考察するのに、成立に争いのない甲イ第六号証、乙第三及び第五号証、樋口鑑定並びに被告芳川本人尋問の結果によれば

被告芳川は、先行車に追いついたが、同車が凡そ最大積載量二トンの普通貨物自動車で時速四〇キロメートルで進行中であるのを認め、これを追越すため、時速五五キロメートルの速度から徐々に速度をあげて追越にかかつたことが認められる。前記のとおり、被告芳川の司法巡査に対する供述調書(甲イ第六号証)の供述内容は信用するに足るべきものと認められ、しかも、その供述中に被告芳川が追越をかけた時の加害車の速度を時速五五キロメートルと述べているところと、前記乙第二号証の加害車が先行車を追越しはじめたと認められる部分の時速が時速五五キロメートルを示しているところと一致しているところをみれば、被告芳川が先行車は最大積載量凡そ二トンの普通貨物自動車で時速四〇キロメートルで走行中であつた旨の供述もまたこれを採用するに足るものといわなければならない。

成立に争いのない甲イ第一一号証及び樋口鑑定によれば加害車は、車高三・二五メートル、車幅二・二四メートル、車長一一・九六メートルの普通貨物自動車であつて、先行車の車長を五メートルとみれば、加害車が先行車を追越すのに九〇メートルの距離を必要とする。そして、加害車は、先行車を追越した後、完全に自車走行線に復帰するために更に三〇メートルの走行距離を必要とし、これを右九〇メートルに加え、合計一二〇メートル走行すれば追越完了は可能であり、追越開始地点を車線変更開始地点とすれば更に二〇メートルが必要であつて、これを加算し、合計一四〇メートルの余裕があれば、加害車は先行車を追越し、自車走行線に復帰して追越を完了はすることが可能と認められる。

ところで、前記のとおり、被告芳川は別紙図面2のf点から時速を五五キロメートルにあげて同地点から凡そ一九〇メートル走行して衝突しており、加害車が衝突地点から同被告の進行方向からみて右側車線に出てこれを突破し、道路外に横転するまでの走行距離凡そ二二メートルを差引いても一六八メートル走行していることとなり、右事実をみれば、被告芳川は、被害車と衝突する時点においては完全に自車走行線内に復帰していたものと認められる。

前記甲イ第六号証によれば、被告芳川は、加害車の車体が三分の一位自車線内に入りかけた時、被害車が被告芳川の進行路線内に侵入してきたと記載されているけれども、被告芳川本人尋問の結果によれば、同被告は警察官から取調べを受けた際、追越を完了していた旨述べたが、何度もたゞされるうち、ひよつとしたら車体の一部が残つていたかも知れないと思つてそのように述べたことが認められ、右取調状況を考えれば右供述部分を直ちに採用することはできない。

(三)  次に、加害車と被害車との衝突地点について考えるに、成立に争いのない甲イ第一一号証及び第一二号証によれば、本件事故現場は大分県宇佐市大字金丸八八六番地の一先国道一〇号線(ほゞ南北に通じる中央線によつて上下線が区別された幅員七・五〇メートルの道路)上であるが、被告芳川は事故発生当日である昭和四七年四月一八日警察官の実況見分に立会い衝突地点として同被告の進行方向からみて左側車線内の地点を示し、原告深沢は、同年五月二四日警察官の実況見分に立会い、衝突地点として前同左側車線内の地点を示したことが認められ、事故直後においては原告深沢と被告芳川との間に衝突地点の指示について多少の違いはあつてもその位置が前同左側車線内であることについては争いがなかつた。そして、被告芳川は、事故当日の実況見分の立会に際し警察官に対し、衝突地点の位置を同被告進行方向からみて道路左側端(道路側帯白線)から一・七五メートルの地点(左側車線内)を示した。

前記甲イ第一一号証及び成立に争いのない甲イ第八号証によれば、本件事故発生直後、事故現場には被告芳川運転の加害車の走行方向に沿つて二本のタイヤによるスリツプ痕が存在し、そのうちの一本は加害車左側前輪によるものと認められ、長さ一・六五メートルでほゞ中央線によつて二分されたように被告芳川の進行方向からみて右側に斜めに走行してこれと交差し、そのうち一本は加害車右側後車輪によるものと認められ、長さは九・二五メートルで同被告進行方向からみて右側路線のほゞ中央付近から路肩まで右側に加害車が走行したように斜めについていることが認められる。そして、加害車は、前記二本のスリツプ痕の前方、同車進行方向からみて右側通路外に進行方向に道路にほゞ平行に右を下にして横転して停車し、被害車は、同車進行方向からみて右側道路端に後輪を道路外に逸脱させ、辛うじて転落を免れるように道路に対し同車進行方向から左に四五度斜めに転回した状態で停車していることが認められる。

(四)  次に両車輪の損壊状況について考えるに、成立に争いのない甲イ第一一号証によれば、被害車(スカイラインライトバン、車幅一・五九メートル、車長四・二六メートル)には左前扉に地上から高さ約〇・七〇メートルの位置に前方に浅く、後方に深い前方から後方に向う擦過痕、左後部扉全面に圧壊、地上から高さ約一・〇メートルの位置に激しい曲損部があるほか、左後部ホイールキヤツプ脱落、左後フエンダー圧損、左側面窓ガラス全部脱落、屋根左後圧壊、後窓ガラス脱落、前窓ガラス破損脱落、同枠外れの各損傷が認められ、加害車(日野レインジヤー車両運搬車)には、前部バンパー、ラジエーターグリル部分に、いずれも左端部圧壊、左前車輪ステツプ曲損、左ヘツドライト、サイドランプ破損(以上いずれも地上からの高さ約〇・七〇メートルないし約一・〇〇メートルの間において顕著である)の各損傷が認められる。

以上の加害車、被害車の走行状況、スリツプ痕の状況、加害車、被害車の破損状況等諸般の事実を基礎にしてなされた樋口鑑定によれば、本件加害車と被害車との衝突地点として被告芳川の指示した地点、即ち、前記国道一〇号線路上、国道東側の建設省設置道路基点、(別紙図面1のs点)から北西に約一三・九メートル、道路中央のコンクリート継目線から加害車線寄りに約二・〇〇メートル、加害車の進行方向からみて左側車線側の路側帯を区画する白線の内側から道路中央方向へ約一・七五メートルの地点が衝突地点と認められる。

成立に争いのない甲イ第一二号証によれば、原告深沢は昭和四七年五月二四日の実況見分に立会い、警察官に対し加害車進行方向からみて左側車線内、道路左端から約二・六〇メートルの地点を衝突地点として指示したが、右実況見分の日は事故後一ケ月半を経過していたこと、被告芳川の立会つた実況見分の日は本件事故の当日であり且つ、同被告の供述は前記のとおり信用性が高いと認められること、事故車両相互の事故後の位置関係、現場にのこされたスリツプ痕両車両の破損状況等諸般の状況をみれば、右原告深沢の指示は直ちにこれを採用することができない。

(五)  次に、原告深沢の被告車運転状況について考えるに、成立に争いのない甲イ第九及び第一二号証によれば、原告深沢は、前記実況見分の立会に際して衝突地点の手前約一四八メートルの別紙図面1の<ア>の地点(以下地点は同図面のもの。)において、対向進行してくる加害車が先行車を追越すためその進行方向右側路線に出るのを凡そ二五〇メートル前方に発見し、同地点から三四・四メートル進行した<イ>点において、加害車が前同右側路線に出たのでいわゆるパツシングライトを点滅し、同地点から七〇・八〇メートル進行した<ウ>点で加害車が前同右側車線を進行中であるのをみていたが、同地点から六・五〇メートル進んだ<エ>点で加害車が先行車の前方、自車線に戻りはじめるのを目撃し、同地点から二・九五メートル進んだ<オ>点において危険を感じて被害車に制動をかけたこと、<オ>点から被害車は更に三三・五五メートル進行し、被害車の進行方向からみて右側路線に進入して<×>点において加害車と衝突したことを指示した。

前記のとおりの加害車の進行状況の位置関係と被害車の右進行状況の位置関係とを対比してみれば、被告芳川が進路を右側にかえて追越を開始した<1>地点から衝突地点<×>まで凡そ一一一メートルあり、原告深沢が凡そ二五〇メートル前方で加害車が追越を開始するのを目撃したと指示した<ア>点とは距離的にほぼ符合する。右事実からみれば、右原告深沢の<ア>点の指示は信用性があるものと認められる。

樋口鑑定によれば、右原告深沢の指示、現場のスリツプ痕の状況、両車両の破損状況、両車両の停止状況等諸般の状況をみれば、原告深沢は、加害車を発見した別紙図面1の<ア>点から加害車に追越をやめさせるべく、いわゆるパツシングライトを点滅させた<イ>点を経て、加害車が自車線に戻り始めるのをみた<ウ>、<エ>、<オ>地点までの間被害車を時速七〇ないし七五キロメートルで走行していたものと推認される。そして、原告深沢は加害車が近寄り危険を感じ始めた<オ>地点では時速約七五キロメートルから制動をかけて次第に減速し、<コ>地点では時速約七三キロメートルに減速して被害車を右に転把し始め、<サ>点で中央線上に至り、衝突地点<×>では時速約六五キロメートルにまで減速していた。衝突時は、時速約六五キロメートルから停止まで減速し、その後加害車から離脱する時は時速約五〇キロメートルで押し戻されて<7>地点で停止したことが認められる。

そして、右認定の事実は、成立に争いのない甲イ第六号証において、被告芳川は、先行車を追越しはじめた時、対向車(被害車)との間隔がだいぶ開いていたのに、間もなく被害車と、その後続車との間が開きはじめたのを目撃し、被害車が相当の高速度を出していたことを述べているところと符合する。

(六)  樋口鑑定によれば、被告芳川の運転する加害車の右走行状態を、衝突地点までは前記認定のとおり走行したものとし、原告深沢の運転する被害車の走行路線上の状況を、右側に進路を変えることなく、そのまま同原告の進行車線内を直進したように移して考察すれば、両車両は安全に擦れ違いができたことが推認される。

以上の事実からみれば、本件事故現場に至るまでに、被告芳川は先行車を追越し、加害車を完全に自車走行線上に戻していたものであり、原告深沢が、そのまま被害車を直進していても何らこれと衝突するおそれはなかつたものというべく、原告深沢が自動車運転者として、特別の場合以外絶対に操作してはならない右側回避を行う必要があるような事情があつたとはとうてい認めることができない。

4  再び原告深沢の運転状況について考えるに前記認定のとおり原告深沢は、加害車が追越をはじめた時、いわゆるパツシングライトを点滅させ時速をあげ、中央線を越えてじぐざぐ運転をして被告芳川の進行方向左側車線内で、すでに追越を完了した同被告運転の加害車に衝突したものであるが、成立に争いのない甲イ第一〇号証によれば、被害車に同乗していた原告幸野は、加害車が追越をはじめ、先行車と並進状態になつてから原告深沢がいわゆるパツシングライトを点滅させたのをみたことが認められ、また、成立に争いのない甲イ第九号証によれば、原告深沢は、被告芳川が先行車を追越しはじめたのでいわゆるパツシングライトを六秒間に亘つて点滅させて同被告に追越をやめさせるように警告したが、その時の状況について検察官からアクセルをゆるめたのは被告芳川が追越しをやめてもとの路線に戻つてくれると思つたからか、と質問されたのに対し、「今までは、もとの路線に戻つていたのですが………」と答えている。その質問、答弁の内容からすると、原告深沢は、これまでも対向車が追越をしようとした時、いわゆるパツシングライトを点滅させてこれを断念させていたが、本件の場合もパツシングライトを点滅させれば被告芳川が追越を断念すると思い、すでに加害車が先行車と並進状態になつているのに、被告芳川に対し、速度をあげ、パツシングライトを点滅させ、更に、じぐざぐ運転までして追越を断念させようとしたものと認められる。そして、前記のとおり原告深沢は、前記別紙図面<コ>地点から被害車を右に転把しているけれども、樋口鑑定によれば、被害車が同点に至つた時、前方に走行中の加害車との距離は約五〇メートルあり、衝突までに約一・五秒の余裕時間があつたことを考えると原告深沢には何ら<コ>点において被害車を転把して事故を回避する必要もなかつたものと認められる。

5  以上の事実を綜合して考えれば、被告芳川は、被害車が対向進行して来るのを認め、その間隔をみて先行車を追越しても被害車と衝突することはないと判断したことに誤りは認められず、被告芳川は本件事故発生当時右判断に基づき先行車の追越を完了し、自車走行線内に完全に戻つたものであつて本件加害車の運転について過失はないものといわざるを得ない。他方、原告深沢は、そのまま直進すれば加害車と衝突する何らの危険もないのに、当時の状況下にあつて、完全な追越運転中の被告芳川に対し、無謀ともいえる加速、中央線を越えるじぐざぐ運転までして右追越運転の途中からこれを断念させようとして譲らず、遂に自ら運転を誤つて、加害車との衝突を避けるためなど特別な時以外絶対にしてはならない右側回避行為に出たため加害車と衝突したものと認められる。

三  結論

以上のとおり、被告芳川の加害車運転については過失がなく、本件事故は、原告深沢の一方的過失によつて発生したものであるから、被告芳川には民法七〇九条に基づく責任はない。また、成立に争いのない甲イ第一一号証によれば、被告芳川運転の加害車の操行装置、制動装置に何らの異状もなかつたことが認められるから、被告会社にも自賠法三条に基づく責任がないものといわざるを得ない。

よつて、原告らの請求は、その余の事実を判断するまでもなく、すべて理由がないから、いずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 早船嘉一)

図1 双方の最初の発見から衝突、停止までの状況

<省略>

図2 タコグラフチヤート解読グラフ

<省略>

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