大分地方裁判所中津支部 昭和45年(わ)83号 判決
被告人 池永則義
昭五・六・二生 バス運転手
新宮章信
昭五・六・二四生 会社員
一、主 文
被告人新宮を懲役三月に処する。
右裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人新宮の負担とする。
被告人池永は無罪。
一、罪となるべき事実
被告人新宮は自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四四年一一月七日午前一一時二〇分頃普通貨物自動車を運転し先行する大型ダンプカーに追従し時速約五〇キロメートルで西進して大分県宇佐市江熊の国道一〇号線小倉起点より八七キロメートル附近にさしかかり先行する大型ダンプカーを追越そうとしたがそれより前から自車後方約一〇メートルを池永則義運転の大型バスが追従しているのを知つていた被告人新宮としては右追越を開始する前に後方を見て安全を確認すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠つたため右池永がすでに自車右後方で道路右側に出て追越し態勢に入つているのに気づかずハンドルを右に切つて道路右側に出た過失により自車右側を右池永運転の大型バス左前附近に衝突させた結果両車とも道路右下の田圃に転落し、自車に同乗中の石丸菅音に全治約三週間の腰部等打撲傷を、右池永運転の大型バスに同乗の別紙一覧表(略)記載の田中浅夫外二八名に同表記載の傷害をそれぞれ負わせたものである。
一、証拠の標目(略)
一、法令の適用
判示業務上過失傷害の事実につき刑法二一一条前段
各傷害の事実は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段同法一〇条により新田文吾に対する傷害の刑に従い所定刑中懲役刑を選択
執行猶予につき刑法二五条一項
訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文
一、被告人池永無罪の理由
(一)、被告人池永に対する起訴状記載の公訴事実は次のとおりである
被告人池永は自動車運転の業務に従事する者であるところ、昭和四四年一一月七日午前一一時二〇分頃大型バスを運転し、先行する大型ダンプカー及びこれに後続する新宮章信運転の普通貨物自動車に追従し、時速約五〇キロメートルで西進して宇佐市江熊の国道一〇号線小倉起点より八七キロメートル付近にさしかかり先行する右両車両を追越そうとしたが、このような場合運転者は追越開始に際しては、右新宮が同所に到る前から屡々前車を追越そうとしていたので自車が追越中同車もまた追越しすることのないよう予め追越しの合図をしてその反応を確かめ事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然これらの措置をなさず、ハンドルを右に切つて自車を道路右側に進出させ、加速して追越しを開始した過失により、追越中右新宮もまた前車を追越そうとして自車前方で道路右側に進出するのを認め、慌てて警笛を鳴らし急制動したが及ばず、自車左前付近を同車右側に衝き当てて両車操行の自由を失つたまま道路右下の田圃に転落させ、よつて自車に同乗の別紙一覧表記載の田中浅夫外二八名に同表記載の傷害を、右新宮章信に治療約二ヶ月間を要する頭部挫傷、外傷性歯牙脱臼、歯肉挫傷等の傷害を、同人の運転する普通貨物自動車に同乗の石丸菅音に全治約三週間を要する腰腹部打撲傷をそれぞれ負わせたものである。
(二)、右公訴事実における被告人池永の過失内容は、先行車である被告人新宮運転の普通貨物自動車が先行大型ダンプの追越しを計ろうとしていたのであるから自車の追越開始に先立ち予め追越しの合図をし、かつその反応を確かめるべきであつたのにこれを怠つた、という点にある。
(三)、被告人池永の当公廷における供述、同人の司法警察員に対する各供述調書を総合すると、被告人池永は大型バスを運転し、大型ダンプに追従する被告人新宮運転の普通貨物自動車のうしろ約一〇メートルをこれに追従して国道一〇号線を別府方面から中津方面に向け時速約五〇キロメートルで進行し直線道路である本件事故発生地点にさしかかつたがそれまで被告人新宮運転の先行車が二、三回最先行大型ダンプの追越しを計ろうと道路右側にわずかに移行して対向車の有無をたしかめるような行動に出るのを目撃したことは認めることができる。
(四)、しかし、前車がすでに先行車を追越そうとしている場合の二重追越は禁止されるが(道路交通法二九条)、そうでない先行二車両以上に対する単純な追越は禁止されるものでないこと(本件において前車である被告人新宮運転の普通貨物自動車が被告人池永の追越し時にすでに先行大型ダンプの追越しに着手しこれを開始したと認めるに足りる証拠はない)、最高速度の異同により義務内容は異つても後続車両に追いつかれた段階においてすら前車に加速禁止の義務がありまた追越される場合の避譲義務が存すること(同法二七条)、追越し時にも進路変更の合図を必要とするが(同法五三条)同法施行令二一条規定の合図の方法、時期よりすればこれは先行車に対する合図をも含むとは解されないこと、先行車に対する合図方法としては警笛吹鳴の方法しかないが本件のように二車以上を追越すような場合には強く、かつ継続的警笛吹鳴を行わねばならぬことになり、これは騒音防止の趣旨(同法五四条二項)に反するなどの点を考えると、一般的には勿論、本件のような先行車の追越し意図の存在という事情下においても追越しの合図をなすべき注意義務を自動車運転者が負うかどうかについては否定的に考えざるをえない。(なお、かりに被告人池永に合図の義務があつたとしても被告人池永の当公廷における供述、同人の検察官に対する供述調書によると同人は追越し開始に先立ち警笛を一回吹鳴していることが認められるから被告人池永にこの点の過失を肯認するわけにはいかない)。
(五)、次に、合図の義務を仮定し合図に対する反応まで確認しなければならないかという点について念のため考えてみると、これは一層否定的に考えざるをえない。
もともと道路交通法における合図に対しその了解、反応確認までが要求されるとすれば合図を必要とする諸行動は事実上不可能となるから合図に対しては相手方の了解を推定し、この推定を前提として相手方に正しい行動がなされることを信頼して合図者は行動を開始することが許され、了解、反応確認までは要求されないのが普通である。
勿論例外的に現に進路上に存する人または車を避譲させるような特別の事情がある場合には合図に対する了解、反応(すなわち避譲行為)が示されなければ合図者は行動を開始することはできないが前記認定のような前車に先行車追越しの意図の存在という事情は右記特別事情に相当するものとは考えられず被告人池永に対し(かりに合図が必要だとしても)右記一般原則に反して特に合図に対する反応確認まで行動(追越し)をさし控えるべきであるという要請をすることは酷であり、従つて同人に本件事故発生地点において被告人新宮運転の普通貨物自動車を追越すに際し追越しの合図に対する(了解の)反応を確認したうえで追越しを開始すべきであつたという注意義務を肯定するわけにはいかない。
(六)、ここで追越しから衝突までの経過を検討してみると、前記被告人池永の供述、各供述調書に証人稲月武雄の当公廷における供述を総合すると被告人池永は前記直線道路(約二、九キロメートル)に入つてから二、三台の対向車と離合したのち対向車が残る直線道路七乃至八〇〇メートル間に全くないことから前記先行二車両を追越そうと思い転把するに先立ち前記のように警笛を一回吹鳴し、しかるのち右に転把して道路右側に出てその車体前部が被告人新宮運転車の後尾をこえその運転席辺に迫りつつあつたとき突然被告人新宮運転車が前記前車、大型ダンプを追越すため右に転把してきたためこれと衝突したことが認められこれよりすれば右衝突は被告人新宮の追越し開始前の後方の安全不確認だけに起因するとみるのが妥当である。
(七)、以上結局被告人池永に対する公訴事実についてはその過失責任を肯認するに足りる証明がないことになるから刑事訴訟法三三六条に則り無罪の言渡をする。
(一覧表省略)