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大分地方裁判所杵築支部 昭和47年(ワ)8号 判決 1978年8月29日

原告

江藤正

被告

株式会社本城組

主文

一  被告は、原告に対し金三四七万六一三一円及びこれに対する昭和四八年一〇月一七日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し金五九八万一七八三円及びこれに対する昭和四八年一〇月一七日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  訴外岩尾泰弘は、昭和四六年一月二二日午前七時一五分頃、普通貨物自動車(大分四な八八三四号)を運転して速見郡山香町大字立石龍ケ尾バス停先国道一〇号線を進行中、運転を誤つて右自動車を道路外に逸脱させたため、右自動車に乗つていた原告は、右自動車の椅子等に衝突して後腹膜血腫、左下腿骨骨折等の傷害を被つた。

被告は、右自動車の保有者で自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故の結果原告の被つた損害を賠償する義務がある。

2(一)  原告の本件事故前一年間における収入は、田一町、畑四反二畝余りの耕作による金六二万円、出稼労務に二〇〇日従事したことによる賃金三〇万円、養蚕による金二二万円、牛の肥育による金一〇万円であつて、少なくとも合計金一二〇万円以上であつた。

(二)  ところが、原告は、前記傷害のため昭和四六年一月二二日以降同年一二月二四日まで入院治療を受け、同年同月二五日以降同四八年三月まで通院治療を受けたが右傷害は完治せず、そのため、昭和四六年一月二二日以降少なくとも二年六か月の間は、前記の仕事に従事することができなかつた。

(三)  そのため、田畑の耕作(昭和四六・四七年度の各田植、刈入れ及び昭和四八年度の田植)を他人に依頼しその人夫賃金五〇万円の出損を余儀なくされ、出稼については金七五万円(二年半分)、養蚕については金六〇万円(昭和四六ないし四八年度分)、育牛については金二五万円(二年半分)の得べかりし利益を喪失し、右合計金二一〇万円の損害を被つた。

3  原告には、左下腿前面内側の瘢痕形成及び左膝・足関節の可動制限により一〇級相当の後遺障害が残つたが、右障害により原告は二七パーセントの労働能力を失つたというべきである。原告は、前記のように年間金一二〇万円の収入を得ていたものであり、また、原告は大正一二年生れの男子であるから六五歳までの一三年間稼働できるとして、ホフマン式により中間利息を控除すると、右後遺障害により金三一八万一六八〇円の得べかりし利益を失つたものというべきである。

4  入・通院中の慰藉料は金一八〇万円、後遺障害による慰藉料は金八〇万円とするのが相当である。

5  以上の損害は合計金七八八万一六八〇円であるところ、原告は、前記岩尾、自賠責保険・労災保険から合計金一八九万九八九七円の填補を受けているので、損害残額は金五九八万一七八三円である。よつて、原告は、被告に対し、右損害残金及びこれに対する本件事故後の昭和四八年一〇月一七日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

請求原因第1項記載の事実中、傷害の内容は知らないが、その余の事実は認める。

同第2・3項記載の事実は不知。

同第4項記載の事実は争う。

同第5項記載の損害填補に関する事実は認める。

原告の労働能力は、昭和四八年秋頃からほぼ受傷前の状態にもどり、昭和五〇年秋頃には完全に受傷前の状態に回復したものである。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因第1項記載の事実は、傷害の内容に関する点を除いて当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一八号証、同第二〇号証、証人小関康の証言及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、本件事故の結果後腹膜血腫、左下腿骨骨折、右臀部挫傷等の傷害を被つたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。そうすると、被告は、自賠法三条に基き、右傷害の結果原告が被つた損害を賠償する義務がある。

二  そこで、損害の点について検討する。まず、前記甲第二〇号証、成立に争いのない甲第一九号証、第二一号証、証人増田元彦の証言(第一回)、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、前記傷害の治療のため、昭和四六年一月二二日以降同年四月五日までの間町立山香病院に、引続き同年一二月二四日までの間国立別府病院にそれぞれ入院し、退院後も昭和四八年三月二九日まで右国立病院に通院(昭和四七年四月三〇日まで七回)して治療を受けた事実を認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

1  休業損害

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告の本件事故当時の収入は、原告所有の田約一町七畝及び畑約四反三畝の耕作による農業収入、養蚕、牛の肥育による収入、出稼的な臨時雇労務による賃金収入の合計であつたこと、原告の家族は、七〇歳をこえる母と通学中の子三名(長女は昭和四八年に遠方に就職)であつたため、農業、養蚕、牛肥育はほとんど全部原告が単独で従事し家族労働力の寄与分は無いものとみて差支えないこと、原告は、前記のように昭和四六年一月二二日以降同年一二月二四日までの長期間前記傷害のため入院治療を必要としたが、退院後も主として左下腿骨骨折後の機能障害と骨折部の痛みが継続し昭和四八年六月の田植時期頃までは長距離の歩行に松葉杖を必要とするような状態で、前記各仕事に自ら従事することができなかつたものであることを認定することができ、成立に争いのない甲第三二号証によつて昭和四八年三月二九日症状固定とされていることは右認定を左右するものでなく、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  米作関係

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和四六年(六反)、四七年(一町)の水稲耕作全部及び同四八年(一町)の田植を他人に依頼して行なつたため、その労賃を支払う必要があつたことが認められ、右本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したものと認められる甲第三六号証並びに分離前共同原告児玉日吉、同本幡武吉の各尋問の結果を綜合すれば、右費用として少なくとも原告主張のとおり合計金五〇万円を要したものと認めるのが相当であり、右認定を覆えすに足りる証拠はない。そうすると、右費用は、本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。

(二)  養蚕関係

原告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第二四号証及び右本人尋問の結果によれば、原告は、昭和三六年頃から養蚕に従事してきたが、昭和四五年の一年間に春及び晩秋蚕期の繭を出荷し協同飼育代、肥料代等の経費を控除して合計金二〇万一二八三円の利益を得たことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないところ、前記のように、原告は、昭和四八年六月まで養蚕に従事することができなかつたのであるから、合計五蚕期の繭出荷による収入を喪失したものというべく、昭和四五年の前記利益を基準とすると、その金額は、合計金五〇万三二〇八円(円未満四捨五入。以下同じ)となる(二〇万一二八三円×二分の五)。

(三)  牛肥育関係

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、牛の肥育は、小牛を購入して成牛としこれを売却して利益を得るものであるが、小牛は、成牛を売却する際に入替に購入するものであり、肥育の期間は一年ないし一年半位であることを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。ところで、右本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したものと認められる甲第二五号証によれば、原告は、本件事故当時肥育していた牛一頭は他人に世話をたのんで肥育を続け、昭和四七年五月にこれを代金一六万五〇〇〇円で訴外尾越直次郎に売却したが、前記のとおり肥育を更に継続することができなかつたため、新たな肥育をしなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないところ、前記認定事実によれば、原告は、本件事故による負傷がなかつたとすれば右売却時に少なくとも一頭の小牛を購入し、昭和四八年六月頃までには売却することのできる成牛に肥育することができたものと認めるのが相当である。

原告本人尋問の結果(第一回)のうちには、原告は、従前おおむね二頭づつの牛を肥育しており、尾越には昭和四六年一二月にも一頭売却している趣旨の部分があり、そうであるとすると、前記休業期間中に前記認定程度にとどまらず、一頭を越える数の牛肥育をすることのできた蓋然性が高いことになるが、右本人尋問の結果は裏付がなく、前記甲第二五号証に照らすとたやすく採用することができないというべきであり、その他には、前記認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、分離前共同原告児玉日吉、同本幡武吉各尋問の結果によれば、同様の肥育業を行なう場合の小牛の購入価格は一頭当り高いもので金八万円程度のものであつたと認められ、他方原告本人尋問の結果(第一回)及び前記甲第二五号証によれば、原告は、昭和四五年一二月に一頭を代金一五万円で、昭和四七年五月に一頭を代金一六万五〇〇〇円で売却した実績を有しその平均値は金一五万七五〇〇円であることが認められ、控除すべき特段の経費があることを認めるに足りる証拠はないから、計算上、原告は、前記のように牛一頭を肥育できなかつたことにより七万七五〇〇円の収入を喪失したものと認めるのが相当である。

(四)  出稼関係

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和四〇年頃から農繁期を除いて出稼的な臨時雇労務につくことを常として来たものであると認められるところ、前記のように、原告は、昭和四八年六月まで右出稼をすることができなかつたためその間の賃金収入を得られなかつたものである。ところで、成立に争いのない乙第二号証によると、原告は、昭和四五年二月に五日、三月に二五日、四月に一七・五日、五月に三日、同四六年一月に一一日の合計六一・五日を被告会社に出稼に出て、合計金一〇万一二八五円の賃金を得たもので一日当り平均賃金は金一六四七円であることを認めることができ、原告本人尋問の結果(第一回)のうち右認定に反する部分は採用することができず、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかして、本件事故は昭和四六年一月二二日に発生したものであり、同年一月中になお五日は就労することが可能であつたと認めるべきであるから、結局原告は、昭和四五年二月ないし五月、同四六年一月の五か月間に合計六六・五日就労したものと解するのが相当であり、また、成立に争いのない乙第一号証によつて認められる関係者の就労状況からすると、農繁期である六月及び一〇月には出稼に就労し得た事実を認めることはできないものといわなければならず、他方原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、被告会社に出るほかにも農繁期を除いて毎月可能なかぎり他の仕事場に出て働くことを常としていた事実を認定することができるから、以上の事実によれば、原告は、本件事故前、一年間に六六・五日の二倍である一三三日間出稼に出て一日当り金一六四七円の割合による合計金二一万九〇五一円の賃金収入を得ていたものと認定するのが相当である。原告本人尋問の結果(第一回)のうちには、原告は、右認定以上の日数(少なくとも年間二〇〇日位)出稼に出ていた旨の部分があるが裏付証拠がないので採用することができず、証人本幡繁樹の証言のうち右認定に反する部分も同様に採用することができない。ところが、原告は、前記のように、昭和四八年六月まで出稼に就くことができなかつたのであるから、原告は、昭和四六年一月二二日以降同年一二月末日までは一二二日間(年間一三三日から昭和四六年一月二一日までに現実に就労した一一日を差引いた日数)、昭和四七年一月一日以降同年一二月末日までは一三三日間、昭和四八年一月一日以降同年六月末日までは六六・五日間、以上合計三二一・五日間の一日当り金一六四七円の割合による合計金五二万九五一一円の出稼による賃金収入を得られずに同額の損害を被つたものというべきである。

2  後遺障害による逸失利益

前記甲第三二号証、成立に争いのない同第三三号証、原告本人尋問の結果(第一・二回)、証人増田元彦の証言(第一・二回)によれば、原告には、後遺障害として左下腿前方及び内側に瘢痕形成と左膝及び左足関節に可動制限があるほか、長距離の歩行時、仕事の後、又は気候等によつて骨折部に痛みが生ずること、この痛みは相当長期間継続する可能性があること、左足裏に可動制限に起因するたこができその痛みもあること、なお、前記可動制限は、昭和四八年三月当時医師により自賠法施行令二条別表所定第一〇級に該当する程度のものとされたことがあるが、その制限程度は正常値と比較して「著しい」ものとはなし難いものであるうえ、徐々に回復が期待されるものであり、昭和五〇年秋頃には、前記疼痛を別にすれば、可動制限そのものによる仕事上の支障は軽度になつていること、原告は大正一二年七月一日生れの男子で本件事故前心身とも障害なく前記認定の仕事に従事していたことを認定することができ、これらのことと右仕事の性質、内容に鑑みると、原告が本件事故前に得ていた収入を基本とした場合、(イ)昭和四八年七月一日以降三年間は二〇パーセントの、(ロ)その後就労可能と見込まれる期間のうち七年間は一〇パーセントの労働能力をそれぞれ喪失し、右割合に応ずる分の収入が失なわれたと認めるのが相当であると考えられる。証人増田元彦の証言(第二回)のうち、原告は昭和五〇年秋頃には後遺障害の影響なく普通程度の労働をすることが可能となつた旨の部分は、骨折自体がほぼ完治し右当時には通常の労働に耐え得る状態となつたことを指摘するものであつて、前記のような疼痛の自覚症状による影響を前提としない趣旨のものであると認められるから、前記認定を覆えすに足りないというべきである。

そこで、原告が本件事故前に得ていた収入の額について検討するに、前記のとおり、原告は、養蚕により昭和四五年の一年間に金二〇万一二八三円の利益を得ていたものであり、牛肥育については、昭和四五年ないし同四七年の三年間に二頭を代金合計金三一万五〇〇〇円で売却し各小牛の購入価格は合計金一六万円とみれば足り、その他の特段の経費はないのであるからこれにより一年間の平均収入を計算すると、金五万一六六七円となるところ、本件事故以前に牛肥育によりこれ以上の収入を得ていたことを認めるに足りる確証はないというべきである。出稼については、前記のとおり、年間金二一万九〇五一円の収入があつたものと認定するのが相当である。農業収入については、原告本人尋問の結果(第一回)及びこれによつて真正に成立したものと認められる甲第二二・二三号証によれば、原告は、前記のように田約一町七畝と畑約四反三畝を耕作していたが、昭和四五年度には水稲のうち金五四万三〇九四円相当分を出荷し他に自家保有米一八俵位を保有しその一俵当り価格は金八〇〇〇円位であること、肥料代、農薬代に金二万六四九〇円を要したこと、畑の作物は自家消費に用いていたことを認定することができ、右認定を覆えすに足りる証拠はないから、右認定事実と成立に争いのない甲第三八号証の二のうち資料六―一〇に鑑みると、原告は、本件事故前の一年間に右耕作により少なくとも原告主張の金六二万円の収入を得たものと認めることができるというべきである。したがつて、以上の収入は合計金一〇九万二〇〇一円となる。

そこで、前記減収割合により昭和四八年七月一日当時の逸失利益の現価を複式ホフマン式係数を用いて算出すると、前記(イ)につき金五九万六四五一円、(ロ)につき金五六万九三五八円の合計金一一六万五八〇九円となる。

(イ)  一〇九万二〇〇一円×〇・二×二・七三一〇=五九万六四五一円

(ロ)  一〇九万二〇〇一円×〇・一×(七・九四四九-二・七三一〇)=五六万九三五八円

3  慰藉料

前記争いのない事実及び認定にかかる本件事故の発生日とその態様、傷害の部位・程度、入・通院期間、後遺障害の部位・程度とその性質、原告の年齢その他の事情を考慮すると、本件事故の結果原告の被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、原告主張の金額である金二六〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

4  以上の損害の合計は金五三七万六〇二八円となるところ、原告が、その主張のように合計金一八九万九八九七円の填補を受けたことは当事者間に争いがないから、残額は金三四七万六一三一円となる。

三  以上の次第で、原告の請求は、被告に対し金三四七万六一三一円及びこれに対する不法行為後の昭和四八年一〇月一七日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余は理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤英継)

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