大分家庭裁判所 昭和57年(少)1595号 決定 1982年11月09日
少年 R・S(昭四二・四・二八生)
主文
少年を初等少年院に送致する。
理由
(非行事実)
少年は、津久見市立○○中学校三年生であるが、ほか同級生一六名、(A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P)と共謀のうえ、昭和五七年八月二四日午後二時頃、津久見市大字○○島××番地の×海抜約一〇〇メートルの雑草山の通称峠において、下級生に対する本年二回目の気合入れのため同校二年生男子二四名を集合させ、上級生の指示命令に従わず態度が横着であつたとして二年二組Q(当一三歳)を標的にして立たせ、他の二年生六名で右Qの両手両足を持たせ背後から羽交い締めにし身動きできない状態にして、その腹部、胸部を少年ら一七名が全員で順次約五周にわたり手拳で殴打し或いは足蹴りにする暴行を加え、よつて同人に対し胸・腹部打撲傷等の傷害を与え、同日午後二時三〇分頃同所において右傷害に基づく肝臓及び盲腸腸管膜破裂により、同人を失血死するに至らしめたものである。
(法令の適用)
刑法第二〇五条第一項、第六〇条
(主文決定の理由)
一 本件非行の背景
1 本件非行の発生せる津久見市○○島は、津久見港より船で約一時間弱大分県南部四浦半島の東、豊後水道に浮かぶ面積〇・八六平方キロメートル(周囲約四キロメートル)、人口約三〇〇〇人(六七〇世帯)の離島で、島民の大半は漁業によつて生計を立てており、マグロ船一五〇隻以上、年間水揚高一〇〇億円を超す遠洋漁業の島である。住宅は島の西側の港を中心に昭和四五年頃から建ち始めた鉄筋コンクリートの二~三階建の建物が約9割を占め狭い地域に密集している。
2 このような○○島では働ける男性の殆んどは遠洋漁業に出漁し年数回帰宅する程度であるため、家庭には女性と子供や老人が残され、長期不在の父親は子供の監護教育を母親まかせにせざるをえない事情にあるが、船員不足の折から卒業後はマグロ漁船に乗る男子中学生は在学中からいわゆる金の卵として甘やかされて育てられ十分な躾教育のなされないまま中学時代を終えている実情である。しかも家庭内において親子関係の対話が欠けているため母親が少年らの行動を具体的に把握できないため躾教育は事実上放任状態にあるといえる。
3 ○○中学校は、現在二年生男子二六名、女子三一名、三年生男子二四名、女子二〇名で各学年二クラスから成るが、少年ら三年生男子の大部分は、中学校卒業と同時にマグロ船に乗り組んで船員となるため体力さえあればよく、船乗りに学問は要らないという考えから勉学への意欲は乏しく、授業中の態度も悪く○○中学校の教師はその改善に苦慮してきた。また○○島の若者たちが同級生(同学年)を単位にして集まり一緒に寝泊りするいわゆる門弟宿(若者宿)の影響から、同級生間の連帯意識が強く、何事も集団で行動し、各個人がこれと異なる行動をとることは仲間外れにされることにつながり事実上むつかしく、少年や保護者にも将来のきびしい海上生活に耐えるには下級生に上級生の命令を守らせ、これに反する者には多少の気合入れ(しごき)も必要という暴力肯定の気風が存し、これらが本件非行の背景となつている。
4 上記事情から○○島の中学生の生活にはこれまで特異な慣習が受け継がれてきた。
最上級生の中学三年生は二年生に対し、小遣銭や菓子、煙草といつた金品を要求して持参させ、また昼夜の時間を問わず三年生の都合のため二年生を買物などの使役に使うため、二年生は深夜でも三年生からの電話による要求に応じなければならなかつた。さらに登下校のための通学路について海岸線沿いの下の道は専ら三年生が利用し、二年生はこれより上の山際の道を通行しなければならず、これらの慣習に違反した場合はきびしい制裁が加えられた。しかも、かかる不合理な制裁が加えられたとしても被害者は後難をおそれて警察や学校側には勿論、家族の者にも口外することをしなかつたため、これらの慣習が島の伝統とされ、三年生は殿様、二年生は奴隷とさえいわれた。
5 少年や保護者の記憶にのこるケースとして、昭和五四年四月九日三年生が二年生に対し、弁当代を要求してことわられたことから三年生三名でその二年生の両手掌、腹部及び足などにライター用オイルをふりかけて点火し、治療三週間の火傷を負わせるという集団暴行事件が発生し、当裁判所に係属したことがあつた(昭和五四年少第五六八号ないし第五七〇号傷害保護事件)。その際、事件の背景に上記事情のあることが判明し、事態を重視した学校や教育委員会関係者、二年生の父兄やPTA役員、漁協組合代表者らは、島特有の中学生の非行問題について対策を協議し、再発防止のため協議し、後記のような今回と同様の対策をとり、当裁判所もこれまで調査官の試験観察(終局処分、不処分決定)や保護観察決定などの在宅処分により個別の処遇をしてきたが、下級生いじめの悪い慣習は改められず、昭和五六年中にも三月、五月、九月の三回にわたり当時二年生であつたC、P、Rが三年生から集団暴行を受けるという事件が発生した。
二 本件非行の概要
1 昭和五七年四月一一日津久見市大字○○島○○海岸において、本年第一回目の集団暴行事件が発生した。その際、○○中学二年男子二四名が三年男子一八名位から呼び出され、そのうち二年生S、同Tの二名が標的として立たされたが、Sだけが本件同様身体を背後から羽交い締めにされ三年生一八名位から順次二周にわたり腹部に暴行を受けたが幸いこの時は傷害に至らず、Sは後難をおそれて父母、教師らにも集団暴行を受けたことを一切口外しなかつた。
2 上記第一回目の集団暴行後、八月の盆前頃、三一年U方にR・Sら数名の三年生が集まつた際、最近二年生に横着な態度がみられ気合入れの話が持上つていたところ、八月一九日から二泊三日の予定で三年生が○○のキャンプに出かけた際、二〇日頃の夜三年男子の殆んどの者がいたバンガロー内でR・S、A、B、Cを中心として、今後の気合入れの標的をQにすることにほぼ決定した。
3 八月二三日午後三時頃からR・Sら三年生一二名は○○小学校グランドにおいて、二年生一一名を呼んでソフトボールの練習試合をしたが、その際三年生は最終的に二年生への気合入れとQに対する暴行の日時、場所を決定し、二年生に対しては、練習の終つた午後七時三〇分頃R・Sらから具体的に伝えられた。これを受けて二年生男子二〇名位は午後八時頃○○郵便局前に集合し、発覚しないように三人一組で五分おきに出発して峠に集まること、各自指示されたタバコ、着替シャツ、水、薬等持参すべき物を相談して決めた。
また、三年生への連絡は、L、Hが担当してなした。
4 二年男子は犯行当日八月二四日の午後一時頃までに二四名が峠に集合し、草刈をすませて現場を整えたが、午後一時三〇分頃までに三年男子一七名全員も集合した。
R・Sは、二年生に対し持参したタバコを全部集めさせたのち○○浜海岸に面した東側に一列に座らせ、周囲警戒のため二年生四名を見張に立たせた。
そこで、いよいよ気合入れに入り、R・S、A、F、Dらはこもごも二年生に対し、電話で買物を指図したのにこれに従わず又は間違つた買物をした者がいること、夏休み出校日に登校しなかつた者がいることなどを述べ、二年生の態度が横着であるので三年生の言うことを聞けと説教した。
その後R・SらがQ、V、Tの三名を前に出るよう命じて立たせ、三人の体が動かないように二年生に持たせた。
Qの前にJ、Vの前にM、Tの前にHがそれぞれ立ち残つた三年生の号令でJだけがQに対してその腹部を手拳で殴つたが、○○浜での釣人に発見されないよう南側に移動させたうえ、Qの身体につき二年生のSが右腕を、Vが左腕を、Wが右足を、Xが左足をそれぞれ掴み、Tが背後から羽交い締めにし、YがTの体を支えてQの体を身動きできない状態にして固定し、見せしめのため他の二年を見易い位置に座らせた。
このようにして三年生一七名は全員でJを第一撃として順次Qの腹部を各自一回ないし数回手拳で殴打し、或いは足蹴りにする暴行をQの悲痛な叫びを無視して繰り返し加えた。四周目が終つた時、すでにQは顔面蒼白となり、気力を失いぐつたりとなつたが、R・Sはなおも「最後あと一周じや」と声をかけ、少年らは最後の一周りの暴行を終えた。なお、暴行の部位を腹部に限つたのは発覚を防ぐためであつた。
5 その後三年生は、Qを傍の木陰に寝かせたまま二年生を相手に、人間棒倒し、騎馬戦、プロレスなどの名目で暴行を加え、大部分の二年生に傷害を負わせた。
一部の者は、Qの様子がおかしいことに気付いて、腹部を冷やしたり人工呼吸をしたりしたが、Qに反応がなかつたため驚いて三年二組の担当教師○○○○を呼びに行き、同教師の指示で医師を呼んで診察してもらつたときはすでにQは死亡していたのである。
三 本件非行後の状況
1 本件非行後、少年らは在宅のまま警察の取調をうけていたが、二学期が近づいてそのまま登校を始めることに反発した二年生の保護者は、三年生が登校すれば二年生は全員登校拒否する構えをみせた。
そこで、学校側は八月二七日午後八時から○○島の○食堂内において、教師と二年生父兄との会合を持ち、学校側から事件の経過説明のあと、今後の措置について説明した。
次いで八月三〇日には○○体育館において、PTA臨時総会を開催し、全学年の父母、教師ら約二〇〇人が集まつた中で、○△○○校長は事件後学校側で取り組んでいる指導対策を説明した。総会後、三年生とその父母及び二年生の代表が参加した親子集会で今後の対策を協議し、暴力、飲酒、喫煙の禁止、下級生の使役の禁止、通学路の差別廃止など六項目からなる遵守事項を柱に学校正常化に取り組むことを申し合わせた。
学校側は、事件が未だ捜査中であり、その後も止むなく少年らを自宅学習の形で家庭内に待機させざるを得なかつたが、校長及び担任教師らは九月一三日から一九日までの間、宇佐市の○○寺に少年らといわゆる「おこもり」をして合宿生活に入り、本件非行を反省させると共に少年らに心の安定を得させようとした。
その後、学校側は、少年らをいつまでも自宅学習させておくわけにいかず、一〇月一日から全員登校させることにしたが、なお二年生の父兄の間でこれに反対する動きがあつたため、九月二四日○△校長は再び○食堂において二年生の父兄に対して、少年らの生活状況を説明したのち、その協力を求め、同日津久見市の定例議会においても全会一致で教育の正常化に関する決議が行われた。
一方被害者Qの父母は、五人目に出生した独り息子の長男が無抵抗の状態で上級生の集団暴行の犠牲となつた事への憤りと悲しみから、しばらくは仏前での祈りと買物以外は外部との交渉を断ち、加害者側の墓参もことわり、たとえ加害者が親戚関係(少年Gは亡Qとは親戚関係にあつた)にあつても本件を許すことはできないと述べ、今後慰藉の方法についても解決は容易でないことが予想される。
このような経緯で、少年らは一〇月一日から登校し始めたが、当裁判所は九月二八日事件受理後本件非行後の状況と同種事件のこれまでの経過等から一〇月一五日少年らについて観護措置をとつた。
四 処遇
以上認定のとおり、本件は○○島という狭い閉鎖的社会における特異な慣習を背景として発生した中学生の集団暴行事件であるが、本件の処遇に当つては、少年事件における個別処遇の点に留意しながらもその慣習の担い手が少年自身であり、これを改めさせるためには少年に対し、いかなる措置が適当かを本件非行の内容にてらして検討すべきところ、本件非行の態様、少年の地位・役割、結果の重大性、地域社会に与えた影響、教育現場の状況、被害者の遺族との関係、その他本件調査、鑑別、審判の過程にあらわれた一切の事情を総合すれば、この際少年を初等少年院(一般短期処遇相当)に収容して現在の保護環境から引き離し、規律ある集団生活を通じ基本的生活習慣を身につけさせ、○○島における誤つた慣習を見直させ、本件非行の重大性を認識させると共に被害者のめい福を祈らせることが最も適切な措置であると認める。
なお、少年は中学校三年在学中であり、学校教育と今後の矯正教育を有機的に結びつけ、就職、進学への影響を考慮し、一般短期処遇意見のほか、「(1)在籍中学校との連携を密にすること、(2)できる限り早い時期に仮退院させるように努めること、(3)仮退院後速やかに学業に復帰できるように配慮すること」との別途処遇勧告をしたが、具体的には卒業時期との関係でおおむね三か月以内での仮退院を目標に大阪矯正管区における一般短期処遇(特修科)処遇要綱(昭和五四年二月一三日付け大管甲六二一号大阪矯正管区長通知「一般短期処遇(特修科)について」を参考にしながら、今後の環境調整と円滑な社会復帰を目ざすのが相当である。
よつて、少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項、少年院法第二条第二項を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 三村健治)
処遇勧告書<省略>
〔編注〕 本件少年を除いた共犯者一六名(いずれも中学三年生)については、本件少年と同日付けで三名、一一月一〇日付けで四名、一二月二日付けで五名、同月三日付けで四名がいずれも初等少年院(一般短期処遇)に送致されており、本件と同様の処遇勧告がされている。