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大分家庭裁判所竹田支部 昭和43年(家)84号 審判 1968年6月13日

申立人 渡辺博司(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

本件申立の要旨は、申立人は、その名を「博司」というが、昭和四三年三月二八日上記住所地の○○寺住職渡辺永光(申立人の父)により得度して天台宗の僧侶となつたので、天台宗の規則に従い名を「永真」と変更することを許可する旨の審判を求める、というものである。

審理するに、本件申立書添付の戸籍謄本および天台宗代表役員宗務総長の副申書と題する書面、ならびに申立人および渡辺永光に対する各審問の結果によると、申立人は申立人住所地の○○寺住職の地位にある渡辺永光の二男であつて、昭和四三年三月二八日得度して天台宗の僧侶となり、同宗座主より「永真」なる法名を授与されているものであること、同宗の経歴規定第二条第一項は、「僧侶となろうとする者は、天台座主から法名の授与を受け、初出家戒儀によつて得度受戒し、法名に改称しなければならない」と定められていること、しかしながら、他面、申立人は○○大学教育学部卒業後現在に至るまで中学校教員の職にあるものであつて、僧侶となるための修業をつんだこともなければその道の特段の知識を有するものでもないこと、申立人が僧籍に入つた動機は、申立人の父が将来死亡した場合、前記○○寺の住職の後継者となるべきものが近親者にいない関係上未知の第三者がその新住職として赴任してくることになることを回避するためであること、申立人は現在はもとより将来○○寺の住職となり得た場合においても前記教職を辞することなく継続し、そのかたわら僧職をつとめる意向であること、前示のとおり申立人が天台宗座主から「永真」なる法名を授与されたものはもともと申立人からその名を希望して同宗本山に上申したことによるものであるところ、そのような法名を希望して上申した動機の中には申立人の父がなした姓名判断の観点から申立人の名をよりよい名とすることを期した趣旨も含まれていることを認めることができる。

ところで、戸籍法第一〇七条第二項は、名の変更は正当の事由がない限り許されない旨を規定しているが、この規定の趣旨とするところは、吾人の戸籍上の名がその氏と共に一面においては権利義務の主体を表示する名称として、他面においては社会生活における呼称として、相互に尊重されていることにかんがみ、これをみだりに変更すると社会生活に諸般の支障を生じさせその安定を害するに至るため、特に正当の事由がある場合に限り改名を許すこととしたものである。したがつて、この正当事由の有無の判断に当つては、改名の動機および必要度、改名による社会的影響の程度、変更後の名の相当性等諸般の事情を総合的に検討すべきであり、僧侶となる場合には改名の正当事由の存在が肯定される事例が多いとしても、入僧籍の一事をもつて当然に改名の正当事由があるとするわけにはいかないものと解すべきである。

本件について、先きに認定した事実によると、申立人の改名希望の動機は申立人が僧籍に入つたことによるものであるにしても、その入僧籍の動機は真に仏道に帰依しようとする信仰心の故ではなく、申立人は現在将来共特段の宗教活動に専心精励するような意図をもつているわけでもなく、単に将来生活の一部面において僧侶の資格を活用することを考えているにすぎないものであつて、本件申立を許容した場合には申立人の改名による社会的支障が相当根深くかつ広範囲に及ぶものと推認することができる。しかも、申立人が入籍した天台宗においては前示のような宗規があるが、それが法名について規定するところは、僧侶としての生活面においては法名を呼称とすべきことを意味するにとどまるものであつて、戸籍上の名を変更しない以上僧侶としての資格を認めないというような意図を含むものとは考えられないから、申立人が特に前記法名を新名として名の変更をしなければならない特段の必要性も存在しないものというべきである。

上叙諸般の事情を総合して考えると、前示戸籍法の条項の趣旨にてらし、申立人がその名を「永真」と変更すべき正当の事由は未だ存在しないものと解するのが相当である。

よつて、本件申立は失当としてこれを却下することとして、主文のとおり審判する。

(家事審判官 奥平守男)

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