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大津地方裁判所 平成16年(行ウ)3号 判決 2005年10月31日

主文

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,aに対し,475万3588円及びこれに対する平成16年2月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を請求せよ。

第2事案の概要

本件は,当時,彦根市長であったaが彦根市と日本電気株式会社との間で締結した彦根市と他の3町の合併に伴う電算システム統合業務に関する委託業務契約は違法無効であるからその解除に伴う支出も違法であるなどとして,彦根市の住民としての原告が,地方自治法(以下「法」という。)242条の2第1項4号に基づき,彦根市の執行機関としての被告に対し,補助参加人a個人に上記損害の賠償を請求することを求めた事案である。

1  前提事実(証拠を掲記しない事実は争いがない。)

(1)  当事者等

ア 原告は,本件訴訟提起当時,彦根市の住民であり,現在も住民であるが,本件訴え係属中の平成17年5月10日,彦根市の執行機関である彦根市長に就任した。

イ 補助参加人は,アの原告の就任まで彦根市長の地位にあった者である(本判決において,同日以前の行為について「被告」という場合には,当時の彦根市長であった補助参加人aを指すものとする。)。

(2)  彦根市,豊郷町,甲良町及び多賀町の合併(以下「本件合併」という。)に係る取り組みの経緯

ア 彦根市,豊郷町,甲良町及び多賀町(以下「1市3町」という。)は,平成14年8月1日,本件合併に関する協議を行うため,「彦根市・豊郷町・甲良町・多賀町合併協議会」(以下「合併協議会」という。)を設置した。

イ 被告は,本件合併のため,早急に,1市3町の電算システムを統合する業務(以下「本件業務」という。)に着手する必要があるとして,平成15年12月,彦根市議会に対し,一般会計,特別会計及び企業会計で総額8億4188万円の債務負担行為を提案し,彦根市議会は,同月17日,本件業務に関する一連の議案を可決した。

ウ 彦根市は,平成16年1月27日,上記債務負担行為に基づき,彦根市と日本電気株式会社(以下「NEC」という。)との間で,本件業務のうち一部を,代金6億6570万円で委託するという内容の委託業務契約(以下「本件契約」という。)を随意契約の方法で締結した。

エ 彦根市は,合併協議会が平成16年2月18日付けで公表した本件合併に関する1市3町の住民の意向調査の結果を受けて,同月23日付けで本件合併の準備作業を停止した。

オ 彦根市は,平成16年2月26日,NECとの間で,本件契約を合意解除した(乙7)。

また,被告は,平成16年3月に行われた彦根市議会に対し,上記イの債務負担行為を取り消す旨,及び,本件契約中の追加条項2条を準用し,同年2月23日までの出来高相当額として673万4000円を支払う旨の補正予算案を提出し,彦根市議会の議決を得て,NECに同金額を支払った。このうち,彦根市の負担分は,475万3588円であった(以下,同金額の支出を「本件支出」という。)。

(3)  監査請求

ア 原告は,平成15年12月19日,彦根市監査委員に対し,本件契約を締結することは違法であるなどとして,本件契約締結を停止すべきことの勧告を求める監査請求を行った(甲1)。

イ 彦根市監査委員は,平成16年2月12日,原告に対し,上記監査請求は認められない旨の監査結果を通知し(甲1),原告は,同月14日,本件訴訟を提起した。

2  争点及び当事者の主張

(1)  本件訴訟の適法性(本案前の争点)

【補助参加人の主張】

本件訴訟は,原告が彦根市の執行機関である市長に就任したことにより,訴えの利益を欠き,不適法である。

原告は,彦根市の執行機関である被告に対し,補助参加人に損害賠償を請求するよう求めているが,原告が彦根市長の立場でこれを行えば足りるから,本件訴訟について,司法機関による判断を得る法律上の利益を失ったというべきである。

【原告の主張】

彦根市の住民としての原告個人と,彦根市の執行機関としての被告の立場は別個のものである。判決の効果が及ぶのは彦根市であり,市長個人に及ぶものではないから,本件訴訟は適法である。

(2)  本件契約の違法性等について

原告は,以下のとおり本件契約が違法であるからその解除による本件支出も違法であると主張し,被告はこれを争う。また,原告は,本件支出は,成果物のないものに対する支払であり,本件契約に含まれないものに対する支払であるとも主張する。

ア 随意契約によったことについて

【原告の主張】

本件契約は,随意契約の要件を定めた法施行令167条の2第1項に反する違法な契約であり,契約当事者がその違法性を認識している無効な契約である。

本件業務は,大きく分けて,データ作成,移行,統合等の業務とシステム構築の業務の2つがあり,前者について約5億円,後者について約3億4000万円の費用が見積もられているが,本件業務の内容からすれば,いずれも,なぜこのような高額の費用が必要なのか疑問があり,本件契約の相手方であるNEC以外の業者であっても,同様の業務をもっと安価な費用で行うことができたと考えられる。

【被告の主張】

本件業務の内容からすれば,本件契約の代金は適正である。また,NECは,彦根市の既存の電算システムのハードウェア等の製造者であり,統合作業を行う61システムのうち35システムの標準ソフトの製造者であるから,他の業者に比して迅速安価に本件業務を行うことができるのは明らかである。

よって,NECとの間で本件契約を随意契約の方法で締結したことに何ら違法性はない。

イ 1市3町の費用の負担割合について

【原告の主張】

本件業務は,1市3町の異なる電算システムを並列的に統合するのではなく,彦根市の電算システムに3町の住民データを入力する方法で行われるから,彦根市民としては,システム開発もデータ入力も不要であるのにもかかわらず,合併協議会の会長であった被告は,彦根市の負担割合を70.6%とするとの提案を行い,合併協議会はその旨の費用負担を決定した。被告の提案は本来負担すべきでない費用を彦根市に負担させるものであり,彦根市に対する背信行為である。この点においても本件契約は違法である。

【被告の主張】

1市3町の間での費用の負担割合については,電算システムは合併後の新市の市民が等しくサービスを受けるものであること,他方で,本件合併は1市3町が対等であることを前提としていることを考慮し,本件業務の費用のうち80%は人口比で分担し,20%は1市3町で均等に分担することが合意されたのであって,合理性を有し,彦根市にとって不利なものではない。

ウ 本件契約の締結時期について

【原告の主張】

被告は,本件合併のため早急に本件業務を進める必要があるとして,平成15年12月17日に彦根市議会で債務負担行為について議決を受けたにもかかわらず,直ちに本件契約を締結をしなかったのに,間もなく住民意向調査の結果が明らかになる平成16年1月27日になってNECとの間で本件契約を締結している。このような本件契約締結の経緯や,住民意向調査において圧倒的に合併反対が多かった事実などから,被告は,住民意向調査の結果を予測し,彦根市に損害を与える可能性があることを認識しながら,本件契約締結を前提に履行の準備行為に取りかかっていたNECに費用を弁償するという不当な目的のため,敢えて,本件契約を締結したといえる。

【被告の主張】

否認し,争う。

本件合併については,合併協議会において合併期日を平成17年2月とすることが確認されていた。本件契約の締結が遅れれば,合併期日までに電算システムの稼働が間に合わないおそれがあり,市民生活に多大な支障を来すことが明らかであるから,原告の主張するような不当な目的がないことはもちろん,被告に故意又は過失もない。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(本件訴訟の適法性)について

平成14年法律第4号による改正以前の法242条の2の定める住民訴訟は,「普通地方公共団体の執行機関又は職員による同法242条1項所定の財務会計上の違法な行為又は怠る事実が究極的には当該地方公共団体の構成員である住民全体の利益を害するものであるところから,これを防止するため,地方自治の本旨に基づく住民参政の一環として,住民に対しその予防又は是正を裁判所に請求する権能を与え,もって地方財務行政の適正な運営を確保することを目的としたものであって,執行機関又は職員の右財務会計上の行為又は怠る事実の適否ないしその是正の要否について地方公共団体の判断と住民の判断とが相反し対立する場合に,住民が自らの手により違法の防止又は是正をはかることができる点に,制度の本来の意義がある」(最判昭和53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号485頁参照)と解され,改正後の現行の制度においてもその趣旨は同様である。

法は,住民訴訟を提起する原告適格について,当該地方公共団体の住民であること及び住民監査請求を経ていること(法242条の2第1項,10条1項)を定めている。原告は市長に就任はしたが,住民としての選挙権や納税義務等の種々の権利義務をそれによって当然に失うものとはいえない。

しかし,地方公共団体の長(以下「長」という。)は,予算調製・執行権及び会計監督権を有しており(法149条2号,5号),財務会計上の違法行為等があるときはそれを是正するため当該職員等に損害賠償金の支払を請求し,また,地方公共団体である市を代表して,当該職員等を被告として損害賠償請求訴訟を提起することができる。地方公共団体が訴訟を提起するためには,当該地方公共団体の議会の議決が必要であるが(法96条1項12号),長は,議会に対し,当該職員等を被告とする損害賠償請求訴訟を提起するという議案を提出することができる(法149条1号)。すなわち,長は,自らの権限をもって,財務会計上の行為の是正を求めることが可能である。

前記判示の住民訴訟の制度趣旨からすれば,住民訴訟は,地方公共団体の構成員である住民全体の利益を保障するために法律によって特別に認められた住民参政の制度であり,原告は住民としての権利を行使するといった迂遠な方法をとらずとも自ら市の執行機関として,財務会計上の行為等について直接是正を求めることができる権限を有する。したがって,原告には本件訴訟を遂行する必要がないといえる。

さらに,原告と被告とが,住民という立場と執行機関という立場とはいえ同一人であることは,利益が相反し,あるいは,馴れ合いのおそれがあり,訴訟の適正な追行を妨げると考えられる。法は,地方公共団体がその長に対し損害賠償の請求を目的とする訴訟を提起する場合には,当該訴訟については,代表監査委員が当該普通地方公共団体を代表するとの定めを置いている(法242条の3第5項)のに対し,法242条の2の住民訴訟については何ら同旨の定めがない。このことからすると,そもそも,現行制度において当該地方公共団体の長が住民として住民訴訟の原告となることは予定していないものと解される。

なお,長が財務会計上の損害賠償等の訴えを提起しようとする場合にはそれについて議会の議決を要することは前記のとおりであるが,長に対して損害賠償等の請求を命ずる住民訴訟の確定判決がある場合は,長は訴えの提起を義務付けられ,そのための議会の議決を要しない(法242条の3第2項,3項)。

しかし,この点から,議会による議決を得られない場合に備えて,住民である長には住民訴訟を提起する利益があるということはできない。長が提出した議案に対して議会の議決を得られない場合の政治手法として,長に住民訴訟が利用できることを認めることは,その制度の全く予定しないところであるといわざるを得ない。

長は,執行機関の権限によって違法不当な行為の是正をはかるべきであって,前記判示のとおり執行機関である長としての権限の行使よりも迂遠な方法である住民として住民訴訟を遂行する利益はない。

2  以上によれば,原告は,彦根市長に就任したことにより,本件訴訟の訴えの利益を失ったと認められ,原告の本訴請求は不適法である。

よって,その余の点について判断するまでもなくこれを却下することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稻葉重子 裁判官 岡野典章 裁判官 矢口順子)

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