大津地方裁判所 平成16年(行ウ)5号 判決 2005年1月31日
原告
甲野太郎
被告
滋賀県警察本部長
上山國隆
同訴訟代理人弁護士
松本佳典
同指定代理人
舘政毅
外9名
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告が原告に対して,平成16年7月14日付けでした公文書非公開決定処分中,ペンネームで記載された領収書についての部分を取り消す。
第2 事案の概要
Ⅰ 本件は,原告が,滋賀県情報公開条例の実施機関である被告に対して,同条例に基づき平成10年度ないし平成15年度に滋賀県警察本部で支出した捜査費,捜査報償費の領収書(以下「領収書」という。)のうち,当該捜査費又は捜査報償費を受領した者以外の氏名又は住所が記載されたものと情報公開請求日現在で実施機関において認識しているもの,すなわち偽造された領収書及びペンネームで記載された領収書について,公文書の開示請求をしたところ,被告がいずれも非公開とする処分をしたため,原告がペンネームで記載された領収書として被告が特定した文書の非公開処分の取消しを求めた事案である。
Ⅱ 前提となる事実(末尾に証拠の摘示のない限り当事者間に争いがない。)
1 当事者
ア 原告は,滋賀県の住民である。
イ 被告は,滋賀県情報公開条例(平成12年滋賀県条例第113号。平成13年滋賀県条例第10号,平成14年滋賀県条例第45号,平成15年滋賀県条例第18号による追加,一部改正後のもの。以下「本件条例」という。)2条1項の実施機関たる警察本部長である。
2 本件条例の規定は,別紙のとおりである。
なお,本件条例付則1条ただし書に規定する規則の施行期日は,滋賀県情報公開条例の一部の施行期日を定める規則(平成13年滋賀県規則第104号。以下「本件規則」という。)により,平成14年4月1日とされた(乙1,2)。
3 情報公開請求等
(1) 平成16年6月2日,原告は,本件条例4条に基づき,被告に対し,平成10年度ないし平成15年度に「警察本部(全課)で支出した捜査費(国費),捜査報償費(県費)の領収書のうち,当該捜査費又は捜査報償費を受領したもの以外の氏名又は住所が記載されたものと情報公開請求日現在で実施機関において認識しているもの」の開示を請求した(以下「本件請求」という。)。
(2) 同月10日,原告は,本件条例5条2項に基づく被告からの補正の求めに応じて,公開請求した領収書は「個人名義の領収書」で,「偽造領収書とペンネームで書かれた領収書の両方」であると補正した。
(3) 同月15日,被告は,原告に対し,本件条例11条2項に基づき,決定に要する期間を同月3日から同年7月20日まで延長する旨通知した。
(4) 同月14日,被告は,本件請求に対し,以下の理由から公文書非公開決定(以下「本件処分」という。)をした。
ア 偽造された領収書は文書不存在。
イ ペンネームで記載された領収書(以下「本件文書」という。)は,以下の理由から本件条例6条1号及び3号に該当する。
(ア) 同条1号(以下,この規定を単に「1号」という。)
① 特定の個人が識別できる情報である。
② 個人の権利利益を害するおそれがある情報である。
(イ) 同条3号(以下,この規定を単に「3号」という。)
① 情報提供者等の特定の個人が識別できることから,これらの者が事件関係者から報復を受けるおそれがあり,以後の捜査協力を得られないなど捜査に支障を来すおそれがある。
② 公にすることにより,情報提供者等から捜査の協力が得られなくなり,以後の捜査に支障を及ぼすおそれがある。
③ 公にすることにより,捜査手法,捜査方針が明らかになり,犯罪を企図する者が対抗措置を講じるおそれがある。
Ⅲ 争点
1 本件文書は3号に該当するか。
2 本件文書は1号前段に該当するか。
3 本件文書は1号後段に該当するか。
Ⅳ 争点に対する当事者の主張
1 争点1について
(被告の主張)
(1) 3号に該当するかは,実施機関である被告に広範な裁量権が付与されており,行政事件訴訟法30条が適用される事案である。
(2) 本件文書が開示された場合,以下のような事態が発生することが考えられ,犯罪の予防又は捜査,その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれが存することは明白であり,3号に該当する。被告には裁量権の逸脱,濫用は存在しない。
ア ペンネームで書かれた領収書のうち,記載された住所,姓名の全てが真実以外であるとは限らず,一部でも真実の記載がなされていた場合,その筆跡と相まって情報提供者及び捜査協力者等(以下「情報提供者等」という。)が特定される可能性が高く,これにより,情報提供者等が特定されることで,情報提供者等本人はもとより,その家族らが事件関係者から報復を受け,生命,身体,財産に危険が及ぶおそれがあり,情報提供者等がこのような危険を回避するため捜査等に対する協力を拒み,捜査等に支障が生じるおそれがある。
イ 情報提供者等の人数や運用所属が判明することで,事件等の態様に応じた捜査手法や方針が明らかとなり,犯罪を企図する者等が対抗措置を講じて以後の捜査等に支障が生じるおそれがある。
ウ 領収書を作成した情報提供者等に対する謝礼の額が具体的に明らかになることにより,情報提供者等が自らの謝礼額と比較することなどによって自らが提供した情報の価値を推測することが可能となり,その結果,以後の協力が得られなくなる等して捜査等に支障が生じるおそれがある。
エ 情報提供者等に対して警察の情報管理そのものに対する不信の念を抱かせることになり,その結果,新たな情報提供者等の獲得が困難となり,今後の捜査に支障が生じるおそれがある。
(原告の主張)
(1) 以下のとおり,本件文書は,3号に該当せず,被告には裁量権の逸脱がある。
ア 情報提供者等や犯罪やその捜査とは全く無縁である者等が事件関係者からの報復をおそれ,警察の事件捜査に協力した事実自体の秘匿を強く求めるなどしてペンネームを使用して領収書を作成したような場合には,作成者が住所,姓名の一部であれ真実を記載することは考えられず,むしろ,全く作成者の身元が分からないようなでたらめの住所及び氏名を記載するはずであるから作成者は特定できない。
イ 原則的には,領収書には真実が記載され,やむを得ない場合に限りペンネーム等の偽名が使用されるところ,原告が公開を求めているのはペンネームが使用された本件文書のみであるから,限られた件数の本件文書が公開されたとしても,全体の人数が明らかになることはなく,運用所属についても明らかにならない。
ウ 情報提供者等への謝礼額が明らかになったとしても,提供された情報に価値の差があるのは当然であり,これにより捜査に支障が生じるおそれはない。むしろ,曖昧な態度や姿勢がかえって不信を招き,ひいては金額に対する不満や貢献度などの無用な憶測を生み出すことになる。
エ 被告の職員が情報提供者等に対し,ペンネームを使用する以上は真実の氏名が公になることはないと説得すれば,情報提供者等が警察の情報管理に対する不信感を抱き,その結果捜査に支障が生じるおそれはない。
そもそも,情報提供者等が真実の氏名によらずにペンネームによる領収書を作成するのは,真実の氏名を使用した場合警察からその領収書情報が漏れるおそれがないとはいえないと考えているためであり,警察の情報管理に信用性があればペンネームの領収書を作成する必要はない。
警察の情報管理の徹底や,情報提供者等に対する説得に欠けるから,情報提供者等からの協力が得られなくなるのであり,情報の公開が警察の情報管理に対する不信感を生じさせるものではない。
(2) 年月日,金額の公開は,個人情報に該当しないばかりか,捜査情報にも該当しない会計的記載であり,公開により警察の会計処理に対する信頼を高め,ひいては情報提供者等からの捜査への協力が得られることになる筈である。
2 争点2について
(被告の主張)
以下の事情に照らせば,1号前段の該当性が認められる。
(1) 本件文書は,その作成者が自筆で作成したものであるから,そこに記載された事項そのものから個人を識別できなくても,これが公開されて新聞等に掲載された場合,領収書作成者の筆跡,使用印鑑の印影,記載された住所など,当該領収書そのものが内包する情報とも相まって,特定の個人を識別することが可能となる。
(2) 領収書に記載された住所が作成者の生活圏と関連性を有している場合もあり,また,謝礼を交付した日,すなわち領収書作成日は,情報提供者等への警察への協力がなされた時期でもあるところ,協力時期と捜査又は検挙など事件着手の時期が関連している場合も多数存し,捜索差押や逮捕等の捜査活動により明らかとなった警察の当該事件への着手に関する情報に,当該事件の被疑者及び関係者でなければ知り得ない事件の詳細に関する事項や組織の内部管理情報などを照合することで,事件関係者等の直近にいる情報提供者等の存在が判明して,特定の個人を識別することも可能である。
(原告の主張)
以下の事情に照らせば,本件文書の記載事項によって個人を識別することはできないから,1項前段に該当しない。
(1) 本件文書では,個人が識別できないようにあえてペンネームが使用されていることから,真実の住所が記載されることは考え難い。
(2) 真実の氏名,住所が記載されていない以上,筆跡のみから個人を特定することは困難である。
(3) 実印が使用されることは考えられず,ペンネームを使用する者は,偽名あるいはペンネーム用の印鑑を使用するであろうから,使用印鑑の印影が公開されても個人の識別にはつながらない。
(4) 支出日が特定されたのみで,誰が情報を提供したか探し当てるのは容易ではない。
3 争点3について
(被告の主張)
情報提供者等は,いずれも情報の提供その他の協力をなすに際し,被告の職員に対し,協力した事実そのものが完全に秘匿されるものと期待し,信頼して情報提供等に応じているので,このような期待も,1号後段の「個人情報」として,法的保護に十分値する。
(原告の主張)
ペンネームを使用する者は,警察の情報管理を疑っているからこそペンネームを使用したのであり,本件文書の作成者には警察に対する信頼は薄く,法的保護に値しないから,1号後段には該当しない。
第3 当裁判所の判断
Ⅰ 本件条例付則1条,8条2号及び本件規則の定めにより,本件条例2章(4条から18条)の規定が適用され,公開請求の対象となる公文書は,平成14年4月1日以後に被告の職員が作成し,または取得した公文書で当該実施機関が保有している公文書に限られる。
このため,本件文書のうち,平成14年4月1日以降に,被告の職員が作成し又は取得した領収書で被告が保有する領収書(以下「本件対象文書」という。)以外の領収書については,本件条例による公開請求の対象とはならない。よって,この部分に関する原告の請求は理由がない。
Ⅱ 争点について
1 証拠(甲4)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 被告は,原告が開示を求める「ペンネームで記載された領収書」を,領収書の作成者がその交付先である被告方職員に対し,作成者自身を表象する符丁の一種として本名以外の氏名を用いることを明示した上で作成した領収書と理解し,これを特定した。
(2) 領収書の徴求状況
ア 警察は,「個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ること」(以下「犯罪捜査等」という。)をもってその責務とする(警察法2条1項)とされ,被告の所管事項には,職員を監督して上記の犯罪捜査等に当たることが含まれる。
イ 犯罪捜査等に際しては,犯罪捜査に関連する情報を有していると思われる者に対し,その情報提供を求めたり,犯罪等に関連しない一般人に対しても,犯罪現場あるいは捜査関連対象者の立寄り先等を監視するための場所提供などの協力を求めることもあり,その場合に受けた協力又は情報等の内容,程度,頻度その他の諸事情を勘案して相応の謝礼ないしは対価として現金を支払う場合がある。
ウ 情報提供等に対し捜査費または捜査報償費を支払う場合には,原則として当該情報提供者等から本人名義による領収書を徴収する。被告の職員は,情報提供者等から①住所,②氏名,③受領年月日,④受領金額について,情報提供者等が自筆で記入した領収書の作成,交付を求め,徴求している。
エ 事件関係者等の周辺に存在する情報提供者等は,被告の職員が,情報提供者等の本名を把握しうる場合でも,住所,氏名の厳重な秘匿を求め,あるいは,警察との接触自体を秘密とすることを強く求め,情報等の提供を求めた当該捜査官以外には,たとえ警察官であっても自分自身に関する情報を一切知られたくないなどの理由から,領収書の作成を拒むことがある。
その他にも,単に捜査対象者立寄り先を監視するための場所の提供,その他の便宜を供与する者などについては,犯罪やその捜査とは平素から全く無縁であるが故に,警察の事件捜査に協力した事実自体の秘匿を強く求める場合がある。
これらの場合,被告の職員は,情報提供者等が自己の安全を確保するなどのため,真実の氏名,住所とは異なる名義や住居所を領収書に記載したいと求めた場合,真実の住所,氏名が記載されていない領収書であっても,これを受領していた。もっとも,そのような場合であっても,作成者は,自筆で領収書を作成し,実際の「年月日」及び「金額」を記載している。
2 争点1(3号該当性)について
(1) 上記1(2)エのとおり,真実の氏名と異なるペンネームにより領収書を作成した情報提供者等は,自己が捜査に協力したことが明らかにならないようにペンネームで領収書を作成したことが認められ,ペンネームの記載のみから直ちに情報提供者等が特定されることは,通常,想定しがたい。
しかし,他方で,上記1(2)エのとおり,領収書は,作成者が自筆で作成しているところ,領収書に記載された氏名や住所に加え,作成日付等の内容及びその筆跡等の情報に事件の関係者等が知りうる捜査や犯罪に関する情報等を総合すれば,作成者を特定することも不可能とまではいえず,これにより情報提供者等やその家族に対する事件関係者等からの報復等がなされるなどすれば,犯罪の捜査,公訴の維持に支障が生じるおそれがあるといわざるを得ない。また,直ちに情報提供者等が特定されなかったとしても,情報提供者等が領収書に記載した氏名や住所が公開されることによって,情報提供者等に対して自己が情報提供者等であることが事件関係者等に明らかになるのではないかとの危惧感を抱かせ,その結果,捜査への協力が得られなくなり,捜査に支障が生じる可能性も否定できない。
そうすると,本件対象文書は3号に該当すると認められる。
(2) なお,原告は,年月日,金額の公開は,個人情報に該当しないばかりか,捜査情報にも該当しない会計的記載であると主張し,一方において,本件条例7条1項本文は,「公開請求に係る公文書の一部に非公開情報が記録されている場合において,非公開情報が記録されている部分を容易に区分して除くことができるときは,公開請求者に対し,当該部分を除いた部分につき公開しなければならない」と定めているので,本件対象文書のうち,年月日及び金額の記載部分だけでも公開すべきかどうかをさらに検討する。
ところで,本件条例7条は,1項において上記のとおり部分開示に関する原則規定を置きつつ,同条2項において,不開示情報が記録されている文書のうち特に1号の個人識別情報のみを取り出し,これに限って部分開示の一態様として,個人識別部分のみを不開示とし,その余の部分を開示する開示の方法を定めている。本件条例7条1項にいう「部分」は,1個の文書の部分を意味し,2項にいう「部分」は,1個の文書に含まれる情報の部分を意味することは,その文理から明らかということができる。また,同条2項は,個人識別部分を除いた部分は,1号の情報に含まれないものとみなして本件条例7条1項の規定を適用すると規定しており,「みなして」という文言が使われていることからして,1号に該当する個人識別情報は,個人識別部分に限られずこれを除いたその余の部分も同号に該当すると考えているものと解される。これらの点からすれば,本件条例7条1項の規定のみに基づいては個人識別部分のみを除くという部分開示を義務づけることができないことを前提に,特に同条2項の規定を設けて,上記のような部分開示についての根拠を与え,最大限の開示を実現しようとしたものと解することができる。
よって,本件条例7条1項は,1個の文書に複数の情報が記載されている場合において,それらの情報のうちに非公開事由に該当するものがあるときは,当該部分を除いたその余の部分についてのみ,これを公開することを実施機関に義務づけているものと解することができ,非公開事由に該当する独立した一体的な情報を更に細分化し,その一部を非公開とし,その余の部分には非公開事由に該当する情報は記録されていないものとみなしてこれを公開することまでをも実施機関に義務づけているものではないというべきである。
本件対象文書は領収書であり,①住所,②氏名,③受領年月日,④受領金額が記載され,印影が押印されているものと認められるが(上記1(2)ウ,弁論の全趣旨),これらの記載は,情報提供者等に対する謝礼の1回の支払毎の独立した一体的な情報である。この記載をさらに細分化して,住所氏名等の個人が識別できる部分とその余の年月日や金額等の部分とを切り離して取り上げても,それ自体は情報として意味のあるものということもできない。
したがって,本件対象文書について部分開示を認めることはできない。
Ⅲ そうすると,争点2及び3について判断するまでもなく,本件文書を開示しないとした被告の決定は本件条例に反するものではなく,原告の請求は理由がないので,棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民訴法61条,64条本文を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・稻葉重子,裁判官・島村典男,裁判官・永井美奈)
別紙<省略>