大津地方裁判所 昭和27年(行)4号 判決
原告 岡本庄之進
被告 笠縫村選挙管理委員会
一、主 文
原告より申立てた村長解職請求署名簿の署名に関する異議について、昭和二十七年十月二十九日被告のなした決定のうち、別表第一号の(イ)に記載した請求者の署名に関する部分はこれを取消す。
原告その余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「昭和二十七年十月十六日原告より申立てた村長解職請求署名簿の署名に関する異議につき、原告が同月二十九日なした却下決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、その請求原因として次のようにのべた。
一、原告は滋賀県栗太郡笠縫村の村長であるが、訴外山本重孝同宇野敏成は、笠縫村長解職請求代表者となつて、右解職請求署名簿に同村における選挙権を有する者の署名捺印を求め、有権者総数二千五百四十九名中千五十一名の連署を得たとしてこれを被告委員会に提出し、被告委員会は審査の結果、昭和二十七年十月九日右署名のうち八百七十二名の署名を有効署名、その余の百七十九名の署名を無効署名と決定し、その旨の証明をなし署名簿を縦覧に供した。
ところで、右委員会の決定に対しては、請求代表者より異議の申立がなされると共に、原告もまた有効証明が与えられた署名に関して異議の申立をなしたところ、被告委員会は、右両者の異議につき審査の上、それぞれその一部を認容して、有効署名の数は八百九十一名で法定所要数八百四十九名を四十二名超過することに当初の署名の効力に関する証明を修正告示すると共に、別表第一号乃至第三号に記載した者の署名に関する原告の異議を全部却下し、同月二十九日これを原告に通知して来た。
二、しかしながら、右却下決定には左の如き違法がある。
(イ) 別表第一号に記載された者の署名はすべて自署でない。地方自治法施行令(以下単に施行令と略称する)第百十六条によつて、普通地方公共団体の長の解職請求に準用される同施行令第九十二条第一項によれば、「請求代表者は……選挙権を有する者に対し、署名し印を押すことを求めなければならない」と定められ、厳格なる要式行為として自署が要求されているのであつて、これに違反した自署でないものはすべて無効といわねばならない。従つてこれを無効として申立てた原告の異議を却下したのは違法である。
(ロ) 別表第二号に記載した者の署名は請求代表者より署名収集の委任をうけた訴外山元辰蔵によつて集められたものであるが、山元辰蔵に対する委任の届出は本件署名簿が選挙管理委員会へ提出された昭和二十七年九月二十日以後の同月二十五日になつてはじめてなされたものである。施行令第百十六条第九十二条第三項によれば、右の委任をしたときは、直ちに受任者の氏名及び委任の年月日を文書をもつて選挙管理委員会に届出でなければならないことになつているのであつて、前記山元辰蔵の収集した署名は、右施行令の規定に違反し、地方自治法(以下単に法と略称する)第八十一条第二項によつて普通地方公共団体の長の解職請求に準用されている同法第七十四条の三第一号にいう「法令の定める成規の手続によらない署名」として無効のものであり、この点に干する原告の異議を却下したのは違法である。
(ハ) 別表第三号に記載された署名者は、いずれも解職請求代表者またはその受任者から、村長解職請求書に記載された解職請求要旨の説明をきき、これを真実と信じて署名をなした者であるが、右の事実は全く真実に反するものであり、従つて前記署名は虚偽の事実を真実と誤信してなされた詐偽による署名である。
原告は右の事由に基き詐偽による署名の無効を主張して異議の申立をしたのであつて、かかる場合、異議の申立をうけた選挙管理委員会としては、各個人につき果して詐偽の事実があつたかどうかを実体的に審査すべきであつたのに拘わらず被告委員会は、右のような詐偽の事実の有無についてはこれを審査する権限なしとして、何等の実体的審査をなさず、「詐偽の決定し難きにより」との理由で原告の異議を却下したのは違法である。
三、以上の次第であるから、原告は本件異議却下決定の取消を求めるため本訴に及ぶ、とかように陳述した(証拠省略)。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として次のように述べた。
原告主張の請求原因(一)記載の事実はいずれもこれを認めるが、原告の異議を却下した被告委員会の本件決定が違法のものであるとの原告の主張はすべて争うものであつてこの点を左に詳述する。
一、別表第一号に記載された者の解職請求署名簿の署名はいずれも本人の自署であつて有効な署名である。被告委員会はその自署なりや否やにつき慎重審査の結果これを自署と認めたものであつて、原告の主張は理由がない。
二、本件解職請求署名簿の署名収集を訴外山元辰蔵に委任したことについて、右署名簿を請求代表者より選挙管理委員会へ提出した昭和二十七年九月二十日までその委任の届出がなされていなかつたことはこれを認める。しかしながら、本件解職請求の署名収集期間は昭和二十七年九月二十一日までであつて、該署名簿の提出期間はその翌日より五日以内となつているところ、期間満了の前日たる九月二十日をもつて代表者より被告委員会へ署名簿を提出し、同時に不備の点があつたら指示されたいとの申出があつたので、調査の結果、受任者山元辰蔵に対する委任届が未済であることを発見しその旨を指示したところ、同日附でその届出がなされたものである。
而して、施行令第九十二条第三項には、請求代表者より右の委任をしたときは「直ちに」届出でねばならない旨を規定しているが、その限定を何時と定むべきかは明かでなく、結局法令全体の趣旨よりして「署名簿提出期間満了迄」と解するのが最も隠当であると考えられる。すなわち、本件における山元辰蔵に対する委任届は前記署名簿提出期間中になされたものであり、且つ署名簿の審査に何等の支障をも来たさなかつたのであるから、前記施行令の定めに違背したものというを得ず、従つて山元辰蔵が受任者として収集した署名は法第七十四条の三第一号の「法令の定める成規の手続によらない署名」に該当しない。
三、原告は、別表第三号に記載された請求者の署名は、本件解職請求書に記載され且それに基いて説明された虚偽の事実を真実と誤信してなされたものであるから、詐偽に基く署名であると主張するが、法第七十四条の三第二項にいう詐偽に基く署名とは、例えば知事の解職請求なりとして村長解職請求の署名を求めたような場合を指すのであつて、請求要旨の事実を誤信した如き場合は含まないものである。被告委員会は、この見地に立つて原告の異議を審査した結果、右の各署名者は、村長解職請求の署名なることを認識して署名したものと認められたから、原告の異議を採用しなかつたのであつて、何等審査をせずにこれを却下したものではない。
以上述べるように原告の本訴請求はすべてその理由がなく、棄却せらるべきである、とかように陳述した(証拠省略)。
三、理 由
原告主張の請求原因(一)に記載した事実及び別表第二号に記載した署名者の署名が請求代表者より署名収集の委任をうけた訴外山元辰蔵によつて集められたものであることは、いずれも当事者間に争いがない。
原告は、別表第一号及び第二号に記載した署名者の署名は実質的に無効とさるべきものであると主張し、また第三号記載の署名者の署名に関する異議については、法令に定められた審査を経なかつた手続上の瑕疵があるとして、それぞれ右署名に関して原告の申立てた異議を却下した被告委員会の決定は違法であり、取消さるべきものだと主張するので、この点について考えてみる。
第一、別表第一号記載の請求者の署名の効力について
証人山元賀世、山元ゆか、山田とく、藪内みき、藪内こと、藪内勇吉、山中とみ、飯沼澄子、飯沼フサ、徳田いよ、徳田耕一、山中忠三郎、藪内いち、藪内いさ、川那部きぬ、山元勘一、木村良太郎、木村進三の各証言と、当裁判所が検甲第一号証(本件解職請求署名簿)の後記各本人の署名文字を証人尋問調書添付の宣誓書の同人等の自書した氏名の文字と対照して検した結果とを綜合すれば、別表第一号の(イ)記載の請求者のうち、村田そ江、山元すて、山田うの、北出ゆきを除くその余の者の右署名簿の署名は、いずれも代筆によつてなされたもので、本人の自署でないことを確認するに足りる。
なお、前記第一号表(イ)記載の山元すて、山田うの、北出ゆきの各署名簿の署名については、証人山元辰蔵、山田うの、北出ゆき、木村進三は、各本人が署名簿にその氏名を自書するに当つて他人に手を持つて貰つて書いたとの証言をしているけれども、「山元すては自分方のお婆さんであるが、すては全然無筆の者である」旨の証人山田うめの証言、山田うのに対する証人尋問の際同人が無筆なる旨を申立て宣誓書に署名をしなかつた当裁判所に顕著なる事実及び検甲第一号証の北出ゆきの署名文字を、証人尋問の際同人が宣誓書に自署した文字と対照して検した結果等よりすれば右三名の署名簿の署名は、もつぱらこれを書くに当つて本人の手を持つてやつた他人の運筆によつて書かれたものと推断せざるを得ないところであるから、これ等の署名は実質的には代筆と何等選ぶところがないものといわねばならない。
さらに、本件解職請求者村田そ江の署名簿の署名について、同人は自ら署名簿に署名した旨を証言しているが、検甲第一号証中村田そ江の署名欄の記載によれば同欄の文字は二重に書かれた跡がみえ、先に書かれた薄い文字は後から書かれた濃い文字のため完全に消し去られて全くこれを判読し得ない状態であるので、明瞭に顕出されている後から書かれた氏名を村田そ江の署名と認めるの外なきところ、これを同人に対する証人尋問の際同人の自署した氏名の文字と対照して検するときは、全然筆跡を異にすることが明かであるから、本件署名簿の右村田そ江の署名もまた自署に非ざるものと認めるのが相当である。
而して、地方自治法の解職請求は、有権者総数の三分の一以上の者の連署をもつてなすことを要し、且つ右の連署は、請求者署名簿に署名し印を押すことによつてなされるのであつて、一般に法が要式行為について署名すべき旨を定めている場合は、特別の規定なき限り、原則として氏名を自書すべきものと解すべきであるのみならず、この請求における署名の本質、竝びにこの請求について法の定めた高度の形式的安全性の要求から考えるときは、右の署名は氏名を自書することを要するものと解せざるを得ない。従つて前記自書によらない十八名の署名簿の署名(第一号(イ)記載の請求者の署名)は、実際の本人の意思如何に拘わらず、いわゆる法の定める成規の手続によらない署名として無効であるといわねばならない。従つて右の署名に関する原告の異議を排斥した被告委員会の決定は違法であつて、取消しを免かれないが、その余の署名(第一号(ロ)記載の請求者の署名)については、本件に顕われた全証拠によるも、未だこれを自署に非ずと確認するに足らないので、この部分に関する原告の異議を容れなかつた被告委員会の決定は相当であつて、原告の本訴は理由がない。
第二、別表第二号記載の請求者の署名の効力について、
証人駒井修の証言によれば、本件解職請求者署名簿は署名収集期間満了の前日である昭和二十七年九月二十日をもつて被告選挙管理委員会に提出されたが、その際請求代表者より委任をうけて署名収集に当つた訴外山元辰蔵に対する委任届が未済であることを発見したので、被告委員会の書記駒井修よりその趣を注意した結果、九月二十四日になつて右の届書が提出されたものであることが認められる。
而して、施行令第九十二条第三項には、上述の委任をしたときは、委任者より「直ちに受任者の氏名及び委任の年月日を文書をもつて選挙管理委員会に届け出なければならない」ことが規定されているのであつて、ここに「直ちに」というのは、普通の用語例に従い「委任をなした後遅滞なく」との意に解すべきものと考えられるから、何等特段の事情が認められない本件において、署名簿を選挙管理委員会に提出後四日目になつて、はじめてその届出がなされたという前記の場合が「直ちに」届出のなされなかつた場合に該当することは明かだといわねばならない。しかしながら、飜つて前記施行令第九十二条第三項の法意を考えてみるに、同条項が、前記委任の届出を選挙管理委員会に対してなすべきことを命じた趣旨は、(1)請求代表者より委任をうけて署名収集に当る者がある場合、その者が正式の受任者であることを選挙管理委員会に明かにすると共に、(2)選挙管理委員会が署名簿の提出をうけてその署名の審査をするに当り、個々の受任者につき一々署名簿添附の委任状が合式のものであるか否かを調査することはその煩に耐えない場合があり、迅速に事を処理する妨げとなるので、請求代表者より委任届をさせることによつて、その委任の正確性を担保すると同時に、委任状と委任届とを照合することにより、選挙管理委員会をして簡便迅速に委任の合式性を確定して署名の審査を行わしめんがための目的に出たものであつて、その主眼とするところは上述(2)の点にあるものと解される。そうだとすれば、本件において山元辰蔵に対する委任の届出が直ちになされなかつたとはいえ、選挙管理委員会に署名簿の提出があつてその審査に着手する以前の九月二十四日に届出でられたのであるから、右の届出の遅れた点の瑕疵は未だ署名自体の効力を左右する程重要なものではなく、従つて山元辰蔵の収集した別表第二号記載の請求者の署名が、法第七十四条の三第一号の「法令の定めた成規の手続によらない署名」として無効だという原告の主張は、到底これを採用し得ない。
第三、別表第三号記載の請求者の署名に関する原告の異議を却下した手続の適否について、
法第七十四条の三は、直接請求の署名簿の署名の効力に関して、従来の形式的審査主義を廃し、選挙管理委員会に実質的審理の権限を認めたものであつて、署名簿の署名につき詐偽に基く旨の異議の申立があつた場合、選挙管理委員会は、その署名の効力を決定するため必要があると認めるときは、関係人の出頭及び証言を求めることができ、従つてまた、かかる実質的審理をなすべきであることは、同条第三項の規定によつても明かである。
しかしながら、前記法条にいわゆる「詐偽」とは、例えば寄附金募集の署名集めだといつわつて解職請求の署名を収集する等の如く、署名自体の内容乃至目的をいつわつたとき、その他これに類する重要な要素に関する詐偽を意味するものであつて、解職請求の要旨乃至右要旨に基いて説明された事実がかりに誹謗にわたり、真実と異なるところのものであつたとしても、かような事実の存否及びこれに基く請求の当否は、有権者たる村民が署名をなすに当り、自己の良識に基いて判断すべき事柄に属し、右の事実が虚偽であるのに、これを真実と誤信して署名したようなものは、ここにいわゆる詐偽に基く署名には当らないものというべきである。そして証人駒井修の証言によれば、被告委員会においては、原告の本件異議につき審査するに当り、上述の如き見地よりして、その異議として述べられた事実自体詐偽に当らないものと判断し、これが内容の審査に入ることなくして原告の異議を却下したものであることが認められるのであつて、この事実からすれば、被告委員会は原告の異議について必要な審査を遂げた上正当にこれを却下したものというべく、原告側の証人長谷川智忍、中村幸正、中村光蔵、長谷川新三郎、小寺達雄等の証言によつても右認定を左右するに足らない。従つて、原告のこの点に関する主張もまた理由がない。
以上説明の如く、原告の本訴請求中別表第一号の(イ)の署名に関してなされた被告委員会の決定の取消を求むる部分は正当であるからこれを認容すべきも、その余はすべて理由なきものとしてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条但書を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 小石寿夫 八塚英一 松本保三)
(別紙省略)