大判例

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大津地方裁判所 昭和36年(わ)278号 判決 1962年5月17日

被告人 狩俣寛

大九・六・五生 薪炭業手伝

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は、沖縄平良市で出生・小学校を卒業し、昭和一二年頃親戚を頼つて大阪市にきて鋳物仕事をはじめたが、間もなく召集を受け中国大陸を転々とし、昭和二二年六月頃復員し大阪市において、薪炭販売店を開いたところ、予期した程収入もなかつたことからいわゆる闇米の運搬・販売をもするようになり、じ来頻々と闇米の運搬・販売をしていたものであるが、これとて取締当局から一三、四回も検挙を受け、利益があがらなかつたばかりかかえつて借財ができ、昭和三六年夏頃には借金が金三〇〇万円にもなり、元金の返済はおろかその利子の支払さえ侭ならぬようになつて苦慮しつづけてきたが、さりとて手近には適当な商売がないし、他方闇米の運搬・販売は取締の目を逃れさえすれば比較的資金の回転がよいことから右のような経済的窮境を打開するため敢えて闇米の運搬・販売を強行しようと考えるにいたり

第一、法定の除外事由がないのに、昭和三六年一一月一九日午前一〇時頃から同日午後二時四〇分頃までの間自己所有の自動三輪車(大六そ―六四五四号)に粳玄米一、四一〇瓩・糯玄米六五六瓩を積載してこれを運転し、亀山市国鉄亀山駅附近から大津市大石を経て京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺にいたるまでの間、右米穀を輸送し

第二、公安委員会の運転免許を受けないで第一記載のとおり同日午前一〇時頃から同日午後二時四〇分頃までの間、亀山市国鉄亀山駅前附近から大津市大石を経て京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺にいたるまでの道路において前記自動三輪車を運転し、

第三、前記米穀を前記自動三輪車に満載し、その上をシートで覆い、これを運転して、大阪市に向い、同日午後一時過頃大津市大石東町地先の県道大津宇治田原線鹿飛橋東詰附近にさしかゝつた際、折から同所において闇米輸送や交通の取締・その他犯罪の予防捜査等をしていた大津警察署大石警察官駐在所勤務滋賀県巡査千代邦雄(当三九年)が右自動三輪車の積荷等に不審を抱き、二・三歩進み寄りながら片手をあげて停車を求めたにもかかわらず、知らぬふりしてそのまゝ時速約一五粁乃至二〇粁の速度で通過進行をつづけたため、同巡査はいよいよ不審を深め右自動三輪車を停車させて職務質問をしようとして、「止まれ止まらんか」等と大声で呼びかけながら約七〇米の間跡を追いかけ、右自動三輪車運転席左扉後方の荷台下に取付けてある当りゴム(長さ四糎直径三糎)片足をかけてこれに飛び乗り「止めんか止めんか」と再三停車を命じたが、被告人はかえつて速度を時速約三五粁に加速して疾走し、前記鹿飛橋東詰附近より約四〇〇米進行した同市大石中町大石警察官駐在所附近において同巡査が身体の危険をさけるため、運転席左扉の窓枠を押し開いて顔と肩を運転席内に突込み、その後部左側に備えてある吊革を片手で掴み他方の手を荷台と運転席の接合点にあるアングル附近に置き、運転席左扉附近にぶら下り、両足共宙に浮き今にも墜落しそうな危険な姿勢になつて、「止めてくれんか危いから止めてくれんか」と数回叫んでいたのを認識したが、これに応じて停車するにおいては自己が犯している前記第一、第二記載の闇米運搬や無免許運転について責任を追及される刑事処分を受けることは必至であり、その結果前記の経済的窮境が更に一層深刻化することを慮り、同巡査を振り落してもこのまゝ逃走しようと決意し、かゝる状況においてそのまま運転を継続するときは同巡査を墜落転倒せしめ場合によつてはそのため死亡させる結果が発生する危険があることを認識しながらそのような結果の発生を何等意に介することなく無謀にも敢えて前記速度のまゝ疾走を続けたため、前記大石警察官駐在所より約八〇〇米進行した同市大石竜門町大石橋南詰道路上において力つきた同巡査を前記自動三輪車から墜落させ左後車輪で同巡査の左足先を轢いてそのまゝ逃走し、よつて同巡査を頭蓋底骨折、頭骨々折、左第一乃至第一二肋骨右第一乃至第七肋骨々折肺損傷等により同所において即死させると共に、同巡査の公務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(本件殺人の罪について未必の故意を認定した理由)

一、まず千代巡査が被告人運転の自動三輪車に飛び乗つてから墜落するまでの情況を観察するに、第二回公判調書中証人下西彰の供述記載並びに同人の司法警察員に対する供述調書によると、同人は「千代巡査が鹿飛橋東詰から約二〇米宇治田原町寄りの地点で鹿飛橋の方から来た自動三輪車に対し、「止まれおい止まらんか」と大声で叫びながらかけ寄り車のドアに手をかけ一緒に走つていたが三輪車が止まらないのでその左扉枠辺りを掴んで飛び乗り、足を突張つて(く)の字型になつていた」旨、証人駒村鷹子は「千代巡査は私宅前の道路(検証調書によると鹿飛橋から約二〇〇米の地点)時速約四〇粁の速度で走つて行く自動三輪車の運転台の左ドアに上半身を入れてぶら下り足をあげてピンピンして何か大声で叫んでいた」旨、証人井戸春枝は「大石小学校の門の近く(林喜三作成の昭和三六年一一月二一日付実況見分調書によると鹿飛橋から約四〇〇米の地点)でバスを待つている時千代巡査が時速四〇粁に近い速度で走つていた自動三輪車の運転台の左外側で片手で荷台アングル附近を握り運転席内に上半身を押し入れるようにし、両足を宙に浮かせ、あぶない状態でぶら下り大声で叫んでいるのを見た」旨、証人深田文枝は「大石橋北詰附近(前記林喜三作成の実況見分調書により鹿飛橋から約一二〇〇米)で千代巡査が時速三五乃至四〇粁の速度で走つている自動三輪車左外側で右手をもつて荷台アングルのあたりを握り左手で左扉窓枠後部を掴み車体に宙吊りの状態になつてぶら下つており、大石橋の上に進んだ頃は左足膝を地表で擦り、橋を渡つたところで右に半回転して墜落するのを見た」旨それぞれ供述しており、被告人も検察官に対する昭和三六年一二月二日付及び司法警察員に対する同年一一月二〇日付同年一一月二五日付各供述調書において「大石警察官駐在所附近で危いから止めてくれんかと云う声を聞いて左側をみると、巡査が窓のカバーを押し開き顔を運転席内に押しこみ、助手席に吊つてある吊革を握り身体全体を斜後にしてぶら下つて居り今にも落ちそうな姿勢をしていた」旨供述しているのであつて又右各証拠と裁判所の検証調書及び司法警察員林喜三作成の昭和三六年一一月二〇日付実況見分調書によると当時本件自動三輪車の荷台には米穀が運転席天井の高さ近くまで満載されしかも、その上をシートで完全に覆つてあり運転席左側側面には判示の当りゴム以外に足場になりうる突起物がなかつたことが認められるから千代巡査は当りゴムに片足をかけて飛乗つたものの側面から荷台や積荷の上へ乗り上ることは極めて困難な状態であつたものと考えられるので同巡査が被告人運転の本件自動三輪車に飛び乗つてから墜落するまでの間における情況は判示のようであつたと認められる。(もつとも、被告人は当公判廷において同巡査が判示のような危険な姿勢になつていたのは思いも及ばないことで、同巡査は荷台左側辺りに乗つて居りそのうちに飛び降りてくれるだろうと思いつつ運転をつづけていたが、大石橋を過ぎて約一〇〇米程進行したとき道路脇にいた萩原みつが笑顔で自分をみていたことから同巡査が飛び降りたのだろうかと思つた旨供述するが、前示の如く本件自動三輪車の運転席左側荷台辺りにその構造上及び積荷のため被告人が供述する如く容易に荷台に乗りうる足場がなかつたものであるし証人萩原みつの尋問調書及び裁判所の検証調書によると同人は同巡査が墜落するのをみて、被告人に対し手を振り停車の合図をしたのに、むしろ被告人が笑つて通過したものであることが窺われる点及前掲各証拠に照し右被告人の公判廷における供述は信用できない。

尚弁護人は本件自動三輪車の扉窓にはビニール製カバーがしてあつたのであるが、証人駒村鷹子同井戸春枝同深田文枝等はこれを無視して同巡査の姿勢につき供述しているものであつて、信憑力がないと云うけれども第二回公判調書中証人村田周三の供述記載によると本件自動三輪車左扉の窓枠が大きく外側へ歪められていたことが認められ又裁判所の検証調書によると弁護人指摘のカバーがつけてあつても同巡査がこれを押し開けば右証人等の供述しているような姿勢をとることが不可能でないことが窺えるので、右証人等の供述が信憑力なきものとは云えない。)

二、然して前掲被告人の司法警察員並検察官に対する供述調書によると被告人は千代巡査が前記の如く被告人運転の自動三輪車にぶら下り次第に危険な姿勢になり早晩墜落する以外にない状態に陥つているのを現認しながらこれに応じて停車するにおいては闇米輸送や無免許運転について検挙せられ責任を追求されるおそれ敢えて同巡査を振り落して逃走しようと決意し時速約三五粁の速度の侭疾走を続けた事実を認めることができるから当然同巡査が墜落することはこれを容認していたものと認むべく、そうだとすると、被告人が当公廷において供述する如く只一途に逃走を図り狼狽していたとしても潜在意識において右のような危険な状態において同巡査が墜落するにおいては通常一般的に予見せられ得る範囲の被害結果の生起することについてはこれを予見していたものと推認するのが相当である。そこで右の如き場合通常一般的に予見せられ得る被害結果の範囲について考えて見るに疾走中の自動車から人が墜落した場合車輪にか轢れたり或は地表に頭部等身体の重要部分を強打して傷害を蒙り死亡するにいたることは自動車の交通事故において日常しばしば生起することであるし医師浜岡肇作成の鑑定書、何人作成の回答と題する書面及び第三回公判調書中証人浜岡肇の供述記載を綜合すると判示の如き状態において墜落すれば頭蓋底骨折による死亡の確率が充分であることが認められるから判示の如き状態において墜落する場合「重傷を受けそのため死亡するにいたる」ことは通常一般的に予見せられ得る範囲に属するものといわねばならない。しかも被告人は検察官に対する昭和三六年一二月二日付同年同月四日付各供述調書によると「自分の運転する自動三輪車は時速三〇粁よりも少し早目の速度で進行しており巡査は運転室の左扉あたりに運転席の吊革を片手で掴んで顔と片方の肩だけを扉の窓からのぞかせそれから下は窓から下にさがつていて今にも落ちそうになつて止めてくれんか危いからとめてくれんかと頼んでいるのを見て巡査が自動三輪車から落ちたら時速三〇粁余りの速力で走つていることでもあり荷台には二頓余りの米を積んでいるので身体を荷台や地面できつく打つたり後輪で轢かれたりして即死はしなくても死ぬようなことも起きると思つた」旨供述して居り右供述は強制脅迫等によることなく任意になされたものと認められるから以上の諸点を綜合し被告人は千代巡査が墜落し重傷を受けて死亡することがあつても止むを得ないと考えて逃走したものと認めるのが至当である。

(弁護人の主張に対する当裁判所の見解)(略)

(法令の適用)

法律に照らすと被告人の判示所為中第一の所為は食糧管理法第九条第一項第三一条、同法施行令第一一条、同法施行規則第四七条に、判示第二の所為は道路交通法第六四条第一一八条第一項第一号に、判示第三の各所為中公務執行妨害の点は刑法第九五条第一項に、殺人の点は同法第一九九条にそれぞれ該当するところ、被告人の判示第三の公務執行妨害と殺人は一個の行為であつて二個の罪名に触れるから同法第五四条第一項前段第一〇条により重い殺人の刑で処断することとし以上各罪につき各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条により最も重い判示第三の殺人罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で処断することとし、情状について考えてみるに、本件は被告人が自己の犯罪の発覚をおそれ敢えてなした暴挙により忠実に職務の執行に当つていた警察官を無慙な方法で死に至らしめたもので情状軽いものではないが、他方殺人の故意は未必的であつたし、被告人も千代巡査の死を深く悼みその冥福を願つている等諸般の事情を考慮するときは、被告人を懲役六年に処するを相当とし、刑法第二一条により未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 江島孝 木本繁 杉山忠雄)

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