大津地方裁判所 昭和47年(ワ)218号 判決 1977年5月31日
原告 山口木材有限会社
右代表者代表取締役 山口鉄雄
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 徳永正次
同 小原正列
同 圓藤正香
同訴訟復代理人弁護士 笠原克美
原告 北山治良
右訴訟代理人弁護士 吉原稔
被告 滋賀県
右代表者知事 武村正義
右指定代理人検事 岡準三
同指定代理人 森正弘
<ほか八名>
主文
一 被告は
1 原告山口木材有限会社に対し金六三六万四、七三七円及びこれに対する昭和四六年九月一日から支払済まで年五分の割合による金員を、
2 原告山口鉄雄に対し金七七万円及びこれに対する右同日から支払済まで右同率の金員を、
3 原告丹羽あやに対し金一七六万六、〇〇〇円及びこれに対する右同日から支払済まで右同率の金員を、
4 原告北山治良に対し金四七三万五、五〇〇円及びこれに対する右同日から支払済まで右同率の割合による金員を
それぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、1原告山口木材有限会社と被告との間においては、同原告に生じた費用の五分の四を被告の、被告に生じた費用の三〇分の一を同原告の各負担とし、その余は各自の負担とし、2原告山口鉄雄と被告との間においては、同原告に生じた費用の五分の二を被告の、被告に生じた費用の三〇分の三を同原告の各負担とし、その余は各自の負担とし、3原告丹羽あやと被告との間においては、同原告に生じた費用の五分の三を被告の、被告に生じた費用の三〇分の二を同原告の各負担とし、その余は各自の負担とし、4原告北山治良と被告との間においては、同原告に生じた費用の五分の四を被告の、被告に生じた費用の三〇分の二を同原告の各負担とし、その余は各自の負担とする。
四 この判決第一項は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
(一) 被告は
原告山口木材有限会社(以下「原告会社」という)に対し金八九三万八、九〇〇円、同山口鉄雄(以下「原告山口」という)に対し金四六二万五、〇〇〇円、同丹羽あや(以下「原告丹羽」という)に対し金三六五万一、〇〇〇円、同北山治良(以下「原告北山」という)に対し金七五二万一、二〇〇円及びそれぞれ右各金員に対する昭和四六年九月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
二 被告
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決並びに被告負訴の場合には担保を条件とする仮執行免脱宣言。
第二当事者の主張
(請求原因)
一 災害の発生
1 昭和四六年(以下「昭和」を省略する)八月三一日午前一時頃、前夜来の淀川水系一級河川安曇川流域一帯に降り続いた大量降雨により、同川の前川橋下流東岸の護岸(以下「本件護岸」という)が約四十数メートルに亘り決潰し、同護岸の東側に地続きの、大津市葛川梅ノ木町字川原二二二番地の二二原野四〇三平方メートルの内約一二六平方メートルの土地(以下「会社敷地」という)の一部並びに同所字築山五五番一、畑一五八平方メートル、同所五六番畑四八二平方メートル及び同所五六番一原野三九平方メートルの三筆の一部の土地(以下「北山敷地」という)がいずれも流失した(以下「本件災害」という)。
2(一) 原告会社は昭和四三年頃右会社敷地を借地し翌年同地上に別紙目録記載(一)の建物(以下「会社建物」という)を建て、四五年五月一日から素材の販売、食堂の経営、美容業を営んでいたが、右護岸の決潰により会社敷地中右護岸沿の約五〇・七平方メートル部分を流失し、そのため地上の会社建物中西側(護岸壁側)半分近くが一階床下敷地を奪われ宙に浮いたほか、同部分の土間コンクリート床、揚間の基礎、根太、畳、及び室内にあった後記動産等を右敷地と一緒に流失し、後記の損害を蒙った。
(二) 原告山口は原告会社の代表取締役であり、会社建物内に個人所有の動産等を置いていたが右災害によりこれらを流失し、後記の損害を蒙った。
(三) 原告丹羽は原告会社の食堂及び美容部の従業員で会社建物に住込んでいたが、右災害により室内にあった動産等を流失し後記の損害を蒙った。
(四) 原告北山は前記北山敷地を賃借し、地上に三一年六月頃新築しその後順次建て増した別紙目録記載(二)の建物(以下「北山建物」という)を所有し食料品販売店を営んでいたが、右敷地の流失に伴い家財道具を含む右建物全体を流失し、後記の損害を蒙った。
二 被告の帰責原因
1 滋賀県知事(以下「知事」という)は、河川法九条所定の指定区間内にある、本件護岸を含む前記安曇川の管理(機関委任事務)を行い、被告は右管理につき費用の一部を負担している(同法六〇条)。
2 右管理には次の瑕疵があった。
(一) 本件護岸は、北流する川巾約八〇メートルの安曇川本流にそれよりも水量水域の多い針畑川(支流)が東流してT字型に注ぎ込む合流点の東岸にあたり、その構造は川床上に七~八〇センチメートルないし一メートル位の高さのコンクリート基礎を作り、その基礎上に平均四ないし五メートル位の野面石積を重ねていた。
(二) ところで(1)本件護岸決潰個所附近は、前記支流の合流のため、そしてそれらや安曇川自体の勾配が急流である等の諸事情で数百メートル上流から前川橋に至る間の川床中央部に土砂が大量に堆積し広大な中洲を形成していた等のため、安曇川本流が東岸沿に偏流し、かつ川床が狭くなり常時強い圧力のある水勢で右護岸決潰個所を洗掘して流下していたし、加えて同護岸決潰個所の基礎附近川床に巨石が露出し右水流に乱流を生じさせたため一層強く同護岸基礎を洗掘していたので、右護岸は極めて危険な状態下にあった。(2)しかるに被告は、これらの危険を長年に亘り放置していたため、前記水流により次第に本件決潰個所護岸のコンクリート基礎下の土砂が洗掘され右基礎下に数平方メートルの浸蝕横穴を生じ更にこの横穴上にある護岸壁内側の土砂が序々に崩落して縦穴を形成し、昭和三五年頃から昭和三八年頃には護岸地表部に巾約二メートル長さ約五メートルの大穴となって現われた。原告北山や附近の住民らはこれを心配し被告に対し度々右護岸部分の修理補強を要求していたが、被告は僅かにダンプカー数台分の土砂を埋込んだだけの応急対策しかとらずそのまま放置していたため、その後再び右の洗掘と崩落が進行していった。
(三) したがって本件護岸の管理には重大な瑕疵があったのであり、そのことは、本件災害時の増水により、僅か二メートル前後の水高で右護岸が前記穴附近から下流にかけ決潰したことからも窺い得るのである。
3 よって被告は国家賠償法二条及び三条に従い原告らの蒙った損害を賠償すべき義務を負う。
《以下事実省略》
理由
一 本件災害の発生について
請求原因一の事実中、1は当事者間において争いがなく、2(但し損害科目、損害額の詳細を除く)は、《証拠省略》を総合すればこれを認めることができる。
二 帰責原因及び免責の抗弁について、
1(一) 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
(二) そこで、右各判断に必要なその余の事実を一括して認定する。
(1) 《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められる。
イ(イ) 本件護岸は琶琵湖に注ぐ安曇川が南から北に流下する中流附近東岸に位置し、その南側約二〇メートルのところには前川橋が掛かり、西側には支流である針畑川が東流してほぼ直角に安曇川に注ぎ込む合流点(正確に言えば、本件護岸は右合流点の南端寄りに位置している)があり、東側には、安曇川東岸に沿って通じる所謂若狭街道(当時県道)と本件護岸に狭まれた細長い三角形状の原告らの敷地等が接している(別紙見取図参照、以下同じ。)。又附近は主として若狭街道沿に人家が散在する山村地帯である。
(ロ) 本件護岸附近の安曇川は川巾約八〇メートルで、前川橋から上流においては、川床勾配が約四〇分の一の幾分急勾配となり、本件災害現場附近を過ぎると、つまり針畑川との前記合流地点附近からは川床勾配が約八五分の一程度に緩くなり、かつ川巾も広くなっている。
(ハ) 本件護岸方向にほぼ直角に流入する前記針畑川は、合流地点附近においては安曇川より川巾も狭く川床勾配も緩やかであるが、その流域流路は同所附近までの安曇川のそれらに比べ次のとおり一〇ないし二〇パーセント程大きい。
流域面積(km2)
流路長(m)
流路高低(m)
針畑川
七五、六
二二、五〇〇
二九〇
安曇川
六六、三
一八、〇〇〇
三七〇
(ニ) 本件護岸は安曇川東岸の高台を利用して構築したもので、現在のそれほど西に張出ておらず、高さも多少低くかった。
ロ(イ) 二八年九月二五日以前における本件災害現場附近の安曇川は西岸沿を流れ、東岸寄りには畑や、住居があり木製の前川橋が架設されていたが、右同日当地方を襲った一三号台風(第二室戸台風)の洪水により罹災して姿を一変し、前記東岸寄りの畑や住居や或は前川橋が流失し、同橋上流に大きな中洲ができ川水は主として東岸沿を偏流するようになり、本件災害時における安曇川の状況の原型ができた。
(ロ) そこで同川の管理者は当時の災害復旧工法の基準(昭和三一年発行、災害復旧、建設省河川研究会編)に則り、昭和三一年頃までかけて、安曇川東岸に本件護岸等の護岸を構築し、或は現存する前川橋を架設するなどして大規模な災害復旧工事を行った(もっとも、右復旧工事の具体的工事実施基準、設計図、施工状況等の諸資料は残存しないもようであり、したがって、その後作成された後記安曇川全体計画書所定の、安曇川の計画高水量その他河川工事の基本となるべき事項を定めた工事実施基本計画を、右復旧工事の実施基準が満していたか、又そのとおり施工してきたかとの点についても判明しない。)。
(ハ) 同管理者の作った右護岸は川床を掘って高さ一メートルほどのコンクリート基礎を入れ、その上に現地河川で採取した耐久性のある雑石を約四分の勾配で高さ四ないし五メートルほど練積し裏込コンクリートを施工した構築物であり、とりわけ本件護岸部分については、同所附近に針畑川との合流点がありその上川床勾配が変化している等の諸悪条件が重なり、川床が洗掘され易いことを考慮し、コンクリート基礎部分の高さを約一、二メートルと補強し、それだけ川床に深く根入れしていたようである(以下「本件コンクリート基礎」という)。
ハ(イ) その後年月の経過により、本件護岸上流の安曇川の流れは、川床勾配のきつさと最高出水時にも水没しなかった川中央の大きな中洲の存在のため、一層東岸沿を偏流して川床を浸蝕し水面巾狭く岩にささくれて流下していたが、本件護岸附近では川床の勾配が緩くなるため右川床の洗掘が強く、加えて増水時には前記のとおり水量の幾分多い針畑川の水流がほぼ直角に合流し安曇川の水流を東岸に押しつけその流下断面を圧迫する等のため流速が増したりなどしより一層複雑な流れを形成して川床を削っていったのであるが、その結果前記の大改修から一〇年を経ずして川床が一メートル前後下ってしまい、右改修時川床下に埋められた本件コンクリート基礎が殆んど川床上に浮き出てしまいそれと共に右大改修時には同様殆んど川床下に隠れていたと思われる大小の石も川床上に出現し、そのため増水時には右石の周辺に複雑な渦流を生じますます激しく川床を洗掘していった。
わけても、別紙見取図点附近には上面が数平方メートルもある、高さ一メートル余の大石が川床上に露出し本件コンクリート基礎と一メートル足らずしか離れていなかったため、出水時には右大石の左右及び下流側附近に激しい洗掘作用を引き起こした。
(ロ) これらの諸事情のため、右大石の少し下流にある本件コンクリート基礎下の川床がえぐれて本件護岸奥に約一ないし二メートルの浸蝕横穴を生じ、次第に右横穴上の護岸壁内側の土砂が崩落して縦穴となり、昭和三九年前後頃には北山敷地の西南側境界に北接する附近の地表部に、護岸壁にほぼ平行した長径二メートル余、短径約一メートルの惰円形の穴(以下「旧縦穴」という)になって現われた。護岸地表部からこの穴を見下ろすと、下方ほど幾分先細りとなり護岸壁裏側に沿い、かつ多少下流方向にも傾いた深さ約六メートルほどの縦穴で、穴底には水面が見え本件コンクリート基礎下から光が差し込んでいた。
(ハ) この縦穴は、災害を心配した原告北山やその義母らの陳情により、その後被告の大津土木事務所堅田出張所の職員らによって修復されたが、その修復方法は、トラック二台分弱の砂礫混りの土砂を護岸地表上から投入して埋立てただけであり、穴底部にコンクリートを入れる等の基本的な補強工事さえ施していなかった。
(ニ) そのため修復後遠からず(遅くとも昭和四三年までに)旧横穴附近の本件コンクリート基礎下に再び浸蝕横穴(以下「本件横穴」という)が明いてしまった。もっとも今度の横穴はその後大洪水が比較的少なかったせいか地表部に縦穴となって現われはしなかったが、竹等でそれを突くとその奥行は一メートル前後あり、魚の住家となっていた。又右横穴上の本件コンクリート基礎部分にはいつの間にか底部附近から左右上方に向け放射状に広がるヒビ割れができていた。
(ホ) なお、安曇川の東岸沿を偏流してきた前記水流は、通常は本件コンクリート基礎の底近くの水位で流れていたが梅雨期等の増水時には右コンクリート基礎や前記大石を越えて流れることも少くなかった。
ニ 前記管理者は、昭和三五年頃東岸への偏流を防止するため前川橋上流東岸護岸に鉄砲水制を設けたり、前記のとおり縦穴を補修したり等して安曇川を管理してきたが、川床がえぐれて本件コンクリート基礎が浮き上ってしまったり、大石が露出したり、或は右縦穴跡附近のコンクリート基礎下に再び横穴が明いてしまったりしている点については、早くから原告ら附近の住民達より補強して欲しい旨の陳情を受けておりながら、しかたる対策を講じず、本件災害の数ヶ月前頃係職員が現地を調査し写真を撮るなどしてそれを検討はしていたものの、未だその補強に着手しない段階で本件災害をむかえてしまった。
ホ(イ) 本件災害時の状況は、四六年八月三〇日の朝から降り続いた雨が夕方頃から豪雨に変わり安曇川、針畑川共後記のとおり増水し、その結果早くとも同日午後一一時過ぎ頃以降に従前旧縦穴があった附近の護岸地表上に再び縦穴が現われ、同穴内を川水が渦巻き急速に大きくなり、原告山口が同北山の建物を覗き込んだときには既に同家の調理場や土間にまで達していたが、程なく護岸壁が倒壊すると同建物及び敷地も一挙に流失してしまい、更に流失部分が広がり、原告会社敷地の半分近くに及んだが、同敷地内にかつて架橋の際機械を据えつけるため作ったコンクリート基礎があった等のため、原告会社建物はかろうじて流失を免れた。護岸壁の倒壊時刻は右同日一二時近くから翌日午前一時過ぎ頃までの間頃であり、本件洪水のピーク時近くであったと推測される。
(ロ) 右災害により、本件護岸は数十メートルに亘りコンクリート基礎が折れ曲る等して破損し、右護岸附近の安曇川川床は洗掘による浸蝕のため更に低くなり、逆に川床勾配が緩くなり川巾も中洲が無く数倍も広くなっている同所の下流一〇〇ないし一五〇メートル附近には土砂が堆積していた。
ヘ(イ) 本件災害時の降雨は、(a)安曇川流域に偏在して多く(別表1のとおり)、(b)同川の坊、梅ノ木各観測所、中村発電所(これら及び市場観測所の所在位置は、被告の不可抗力の主張中記載のとおり)の過去六〇年間の日雨量記録中最高であった二八年九月の台風一三号時のそれを一、一倍余上まわり(別表2、3のとおり。なお市場観測所を含めると、同観測所では三四年八月に四〇六ミリという、第二位の本件災害時のそれを一、三倍近くも上まわるそれが記録されている)、(c)短時間雨量記録中、本件災害時の八月三〇日午後七時過ぎから翌三一日午前一時までの六時間に降った雨量の点において、中村発電所及び市場観測所でいずれも過去最高であった前記一三号台風時のそれを一、〇五倍近く上まわっている。もっとも、中村発電所では一二時間雨量の点で台風一三号時のそれの方が本件災害時のそれより一、〇五倍余上まわっている(別表4、5のとおり。なお市場観測所では、一時間、三時間、一二時間の点で、三四年八月時の方がそれぞれ一、三五倍余、一、〇五倍近く、一、二倍余、又台風一三号時の方がそれぞれ一、一倍余、一倍余、一、〇五倍近く各本件災害時のそれを上まわっている。)。
(ロ) そのため本件災害時における本件護岸附近の安曇川等の洪水量も既往の最高値を示したもようで八月三一日の凡そ午前一時半頃をピークにして数時間に亘り大量出水状態が続いた。その洪水量は昭和四〇年頃(早くとも三六年一〇月以降)作られ現在近畿地方建設局琵琶湖工事事務所に保存されている安曇川全体計画書所定の計画高水量(別表7)をかなり上まわっていたもようである(なお右災害時及び既往の二八年九月(一三号台風)時、三四年八月時、三六年一〇月時の各洪水量は、《証拠省略》によっても仮定の要素が多分にあり必ずしも詳らかではないが、前記安曇川全体計画書及び測量士竹村久一の計算によれば、別表7、8の数値が提供されている。ちなみに右計算によれば昭和三四年及び同三六年時の本件護岸附近での水位は、本件災害時のそれと比べ八〇センチメートル前後低くなっている。)。
(ハ) そのため護岸附近の安曇川を、土砂を捲き込んだ相当高速の水流が通過し、その結果前記ハ(イ)ないし(ニ)を始めとする前記諸悪条件の重なった本件護岸の川床を激しく洗掘し前記ホの災害を引き起した。
(ニ) 本件災害時における安曇川の水位は、(a)ピーク時において、前川橋の東詰から一番目の橋脚附近で橋の欄干上から約四、八メートルほど下の辺までであり、これを本件護岸附近でみると本件コンクリート基礎を含めた同護岸の高さの半分にも達していないが、警戒水位を数十センチメートル突破しており、かかる警戒水位超過状態が数時間に亘って続いた。(b)中村橋(本件災害現場から約四キロメートル上流)、舟橋(同約一一キロメートル下流)、常安橋(同約二一キロメートル下流)における水位は別表9のとおりであり、いずれも警戒水位を六〇ないし八〇センチメートル突破し、かかる状態が六ないし七時間ほど継続していた。
(ホ) なお右安曇川流域に降った有効雨量が本件護岸附近において流出する状況は、降雨一時間後ほどから急激に流出量が増加し、同二時間でピークに達し、数時間で急激に減少していたものと思われる(なお、前記同様測量士竹村久一は別紙グラフの数値を算出している。)。
ト 前記管理者は本件災害後、倒壊した本件護岸附近に新しいコンクリートブロック護岸を基礎から作り直し、川床上の本件大石等を除去し、前川橋上流の鉄砲水制より下流附近から本件被災現場一帯にかけ護岸東岸寄りの川床に三連ブロックを設置し、更に前川橋上流の中洲を削っている。
(2)イ 乙第三号証の一記載及び証人竹村久一の証言中には、旧縦穴は、原告ら宅等から家庭用雑排水が本件護岸に落下して石積の目地離れを生じ長年の間に裏込土砂を流失して出来たものであり、その大きさは二立方メートルほどで護岸表面から中程にかけて明いていたに過ぎない旨述べる部分があるが、《証拠省略》に照らし到底措信しがたい。
ロ 証人伊藤茂生の証言中には、旧縦穴に栗石を投入した旨述べる部分があるが、《証拠省略》に照らしにわかに措信しがたい。
ハ 前記竹村久一が事実上作成した乙第三号証の一記載中には、被告が不可抗力の主張中であげる数値を裏付けたうえ、本件護岸の破壊流失原因を「台風二三号に伴なう異常降雨による未會有ともいうべき洪水の出水で、地形的に危険な場所において、河川合流による複雑な水の流れとなり、河床が異常洗掘して石積の基礎が崩壊し、護岸の流失をまねいたもので、異常自然現象による不可抗力な被害である。」旨結論づける部分があり、証人竹村久一の証言もほぼそれに副うものであるが、同証言によれば、竹村は降雨量、洪水量、流速、水位等の破壊エネルギーの検討に力を入れる余り、当時の本件護岸等破壊対象側の諸事情に対する分析が杜撰であって、これを採用しがたい。
ニ その他に前記(1)の各認定を左右するに足る証拠はない。
2 右1の諸事実に基づき原、被告の各主張を判断する。
(一) 営造物の管理の瑕疵について
国家賠償法二条一項にいう営造物の管理と瑕疵とは、営造物がその目的、機能、所在場所等の具体的諸条件の下に営造物全体として通常有すべく予期される性質を後発的に欠くにいたったのを放置したことを指称するもので、主として営造物の物的側面から客観的にとらえた概念であると解するところ、これを本件についてみるに、(1)本件護岸附近の安曇川は前川橋上流の西岸から川中央にかけ大きな中洲があるため川水が東岸沿を偏流していたこと、しかも川床勾配がやゝきつく急流であったこと、ところが本件護岸附近で川床勾配が緩むため同部分の川床が洗掘され易く増水時ほど顕著であったこと、しかも増水時には同川より水量の多めの針畑川の流れが同護岸附近に直角に流入し、安曇川の流れを一層東岸壁に押しやり流下断面を圧迫し複雑な急流となることなど(前記認定(1)イ(イ)ないし(ニ)、ロ(イ)、ハ(イ))の諸悪条件が重なっているため、東岸沿の川床、とりわけ本件護岸附近のそれが洗掘され易く、危険な個所であったのに、(2)本件災害直前頃には、イ川床下に根入れしてあった本件護岸等のコンクリート基礎が、川床の洗掘によって殆んど川床上に浮き上がり(同ロ(ハ)、ハ(イ))、ロ本件コンクリート基礎や上流に、増水時複雑な渦流を起こす原因となる本件大石が浮きで(同ハ(イ))、ハとりわけこれらのため右コンクリート基礎下の土砂が流失し本件護岸下に達する横穴ができてしまっていた(同ハ(ロ)ないし(ニ))のであり、ニ右コンクリート基礎部にひび割れも見られた(同ハ(ニ))のであるが、にも拘らず、管理者はその補強をしていなかった(同二)のであるから、も早やその余の欠陥を吟味するまでもなく(なお付言すれば、そもそも同管理者が昭和三一年頃にかけて修復した本件護岸等自体が既に、同川の計画高水量その他河川工事の実施について基本となるべき事項を適切に計画し、それを遵守して施工していたものか疑問の存するところである(同ロ(ロ)(ハ)、ハ(イ)(ロ)参照)が、これにも触れない)、山間部近い一級河川の護岸等としては、初歩的致命的な基本的欠陥を呈していたことが明らかであり、同所を管理していた知事(前記二1(一))の管理に瑕疵があったと断ぜざるを得ない。
本件災害は右のような重大な瑕疵と出水(前記認定(1)ホ(イ)(ロ)、ヘ(イ)ないし(ホ))により生じたものである(もっとも右災害が、後記の異常出水時前に生じたものか、それとも、その後に生じた、ないしは拡大されたものかの点については、後記理由により、これを詮議しない。)。
(二) 免責の抗弁について
被告は、本件災害が所謂不可抗力によるものでありその責任を負わない旨主張するところ、所謂不可抗力の主張とは、前記のごとく営造物に後発的瑕疵がありひいてはその管理に瑕疵があるとして管理者に自己責任が追求されるときでも、右管理者にとって客観的に災害の発生を全く予測しえないとか予測しえても災害回避の可能性を全く欠くとかの場合はもとより、それらの予測可能性ないし災害回避可能性が少いとか、営造物の瑕疵が軽微でそれによる危険性が小さいとか、侵害される被侵害利益が軽微であるとかの諸事情を総合して前記営造物の管理の瑕疵に具体的違法性が無いものと判断される場合には抗弁として国家賠償法所定の責任を阻却されることを指称するものである。
そこで本件について右の主張を検討するに、
イ 本件災害時における本件護岸上流の、一時間及び三時間降雨量は、過去に当地方に甚大な被害をもたらした二八年九月の台風一三号時より上まわっていたらしく、又、同洪水量は安曇川全体計画書所定の計画高水量をかなり上まわり既往の最高値を示したもようで、そのため右出水は前掲の悪条件が重った本件護岸附近をかなりの高速で流下し、水位も警戒水位を数時間に亘り数十センチメートル突破していたことが窺われるのであり(同ヘ(イ)ないし(ホ))、総じて数時間に亘り、今までに一度も、ないしは殆んど、経験したことがない異常出水が続いたものとみとめられる(もっとも前記のように(イ)本件被害が右異常出水以後の時点で発生したものと認めうるか、(ロ)仮に認めえないとしても本件被害が右異常出水により拡大されたと認めうるかの点については、前記において、本件護岸壁の決潰した時刻及び異常出水状態に達した時刻が必ずしも明白でない(同ホ(イ))ため、後者においては、本件護岸決潰部分の流失所要時間及びその状況、右流失が架橋の際の機械据え付け用基礎によって食い止められた時刻状況(同ホ(イ))等が同様必ずしも定かでないため、いずれも問題であるが、仮にこれらの点が肯認されるとしても、結論においては後記のとおり差異が出ないものと解するので、この点の判断をしない。)。
ロ しかしながら
a 右降雨量、洪水量、流速、水位等の異常性は、以下のとおり必ずしも明白なものでなく、むしろさして高度のものとも思われない。つまり(a)本件災害時の洪水量に直接影響する降雨量は、本件護岸より上流における一時間ないし三時間降雨量である(同ヘ(ホ))ところ、その資料は別表4、5のとおりであるが、これと比較すべき具体的資料は別表4の二八年九月の台風一三号時のそれのみしか提出されておらず、それを僅かに一、〇五倍前後上まわっているにすぎないし(もっとも右二八年九月時の資料は推測値であり、当時梅ノ木部落に及ぼした被害の甚大さからすれば果して相当なものか一抹の疑問が残る。)、その余の前記データー(同ヘ(イ))は本件災害時の洪水量予測には間接的なものであり、その中には、別表4の市場観測所の一時間及び三時間降雨量が、三四年八月時において各一、三五倍、一、〇五倍余、二八年九月の台風一三号時において各一、一倍余、一倍余本件災害時のそれをそれぞれ上まわっている等の本件災害の異常性を打消す方向に働く資料等(同ヘ(イ)参照)も散見されており、(b)別表6の市場観測所確率日雨量は、本件安曇川のような小さな河川では短時間雨量しか殆んど意味をなさないこと、別表3に照らせば市場観測所のそれは本件護岸上流の観測点のそれと比べ幾分差異があること、及び同表の観測期間が五〇年余で短いためか確率計算自体が必ずしも説得力に富まない(例えば、二〇〇年確率の日雨量がこの六〇年間に二度も記録されている)ことなどからみて、殆んど評価し得ないし、(c)本件災害時の洪水量は、必ずしも定かでないし(同ヘ(ロ))、又安曇川の川巾がかなり広いところから、これが正常に管理されていた場合には、さほどの水高差となって現われるものでもないし(同イ(ロ)、ハ(イ))、別表7の安曇川全体計画書所定の計画高水量も既往の二八年九月の一三号台風時の推定高水量をさえ下回っておりその妥当性に一抹の疑問が残るなど、以上のごとき各事情があるからである。
b 本件護岸等の瑕疵は、前記のとおり、通常本件のごとき一級河川の護岸として当然満たすべき初歩的で基本的な部分の欠陥であり、水害発生の危険性の高い右護岸附近の前記地形からみてこれを放置した管理者の不作為はすこぶる危険性の大きいものであった、
c かかる場合客観的にみて管理者は右の瑕疵態様から本件災害の発生を十分予測しえたものと評価しうるのであるが、とりわけ同管理者は、原告らから過去に旧縦穴の補修を要求されたり、その後も何度か本件横穴等の修理を陳情されていたのに、上流に鉄砲水制を設けたりはしたものの旧縦穴には土砂を放り込んだだけで済ませる等しかせず、殆んど有効な対策を講じていなかった(同ハ(イ)ないし(ニ)、ニ)、
d 又右瑕疵は、本件護岸を継ぎ足して根入れし直すとか本件大石を除去するとか、本件横穴にセメント等を入れてこれを塞ぐとかの比較的容易な工事によりこれを修復しえこれにより本件災害の発生を未然に回避しえたものと考えられる、
e 本件災害により同護岸上に建っていた原告らの建物等が甚大な被害を蒙っている、
のであるからこれらの諸事実を総合して判断すれば、仮に右異常出水後の時点で本件護岸が決潰し、ないしは同部分を拡大されていたとしても、同管理者の前記管理の瑕疵が、その違法性を欠くものと認められて同管理者の責任が解放されることはありえない。
してみれば、右河川の管理につき費用の一部を負担していることについて争いのない被告(前記二1(一))は国家賠償法二条及び三条に従い本件災害により原告らが蒙った損害を賠償すべき義務を負う。
三 損害について
1 原告会社の損害
《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。
(一) 会社建物の復旧費用 四〇六万四、〇〇〇円
原告会社は昭和四四年に会社建物を新築し付属工事共で四二〇万円余を支払っていたところ、本件災害により右建物中護岸壁側の半分近くが一階床下敷地を失い宙に浮いたほか、同部分の建物の一部も流失する等の大きな被害を蒙ったため、本件護岸の修復に続き右建物全体を持ち上げて基礎の補強工事をしたり、大巾に木工事を行ったりして右建物を復旧し、そのために総額四〇六万四、〇〇〇円を下ることがない多額の復旧費用を要した。
(二) 仮店舗設置費用 六〇万円
原告会社は営業を継続する必要から、罹災数十日後、近くに最少限度の設備を満した仮店舗を建設し、三七年八月修復なった会社建物で営業ができるまでの間これを使用した。右仮店舗の建設費用は六〇万円を下ることがない。
(三) 休業損害 六七万三、一三七円
原告会社は原告山口の所謂個人会社であり、会社建物において、原告山口が人夫を使い素材の販売を、原告丹羽が美容及び食堂営業と傍ら素材販売事務手伝を各担当し、本件災害前頃、美容部門において休日である日曜日等を除き一日平均四、〇〇〇円程度の、食堂部門において一日平均一万五、〇〇〇円程度の各売上げをあげていたところ、右建物の罹災により、美容部門を被災の翌日である四六年九月一日から同年一〇月一三日まで実働三七日間に亘り、食堂部門を右九月一日から同年一〇月二〇日まで五〇日に亘り各休業せざるを得なかったし、その後も仮店舗のため、四七年八月三日まで食堂部門の売上げが一日平均三、〇〇〇円ほど減少した。ところで裁判所に顕著な資料である商工庶業等所得標準率表(交通事故損害賠償必携資料編二二七頁)によれば、美容関係の所得率(但し、従業員の給与を控除していない)は六八、四パーセント、食堂関係のそれは三五、五パーセントであるから、以上の諸事実を基本にして原告会社の従業員の給料控除前の得べかりし逸失利益を計算すると、少くとも美容部門において一〇万一、二三二円、食堂部門において五七万一、九〇五円、計六七万三、一三七円の得べかりし利益を喪失したことになる。しかるに原告会社は本件災害後も営業を継続して行く必要上右休業ないし仮店舗期間中も被告丹羽に従前同様の給料を支払ったので、結局右六七万三、一三七円の休業損害を蒙ったことになる。
物品名
数量
認定損害額(円)
買値(円)
購入時期
(本件災害時基準)
備考
イ
カラーテレビ
一台
八万三、二〇〇
一三万
四四年八月
小野電化(株)より購入
ロ
ステレオ
一台
二万六、九〇〇
四万二、〇〇〇
同右
同右
ハ
テープステレオデッキ
一台
一万六、三〇〇
一万九、八〇〇
四五年九月
同右
ニ
洗濯機
一台
二万三、九〇〇
二万八、〇〇〇
四五年一一月
同右
ホ
食堂用テーブル
六個
一万一、六〇〇
一万八、〇〇〇
四四年五月
(株)久大家具より購入
ヘ
食堂用椅子
一二個
三万〇、八〇〇
四万八、〇〇〇
同右
同右
ト
金魚ケース
一個
二万九、二〇〇
五万三、〇〇〇
四五年八月
金魚諸設備を含む
チ
ホームコタツ
一個
六、七〇〇
九、五〇〇
四四年一二月
小野電化(株)より購入
リ
トースター(パン焼)
一台
二、九〇〇
三、三〇〇
四五年九月
同右
ヌ
布団
純毛毛布
二組
二組
一万六、一〇〇
四万
二年前
合計
二四万七、六〇〇円
四、〇〇〇円×三七日×六八、四%=一〇万一、二三二円
一万五、〇〇〇円×五〇日×三五、五%=二六万六、二五〇円
三、〇〇〇円×二八七日×三五、五%=三〇万五、六五五円
(なお以上(一)(二)(三)の損害は控え目に認定しているので、中間利息の控除をしない。)
(四) 流失動産 計 二四万七、六〇〇円
なお原告会社の流失動産の価格は、その種類、購入年月日、使用状況等諸種の具体的要因を考慮して個別的に鑑定等の証拠によって評価したり、同種同等の中古動産の購入価格を発見したりすることが、不能であるから、(イ)購入価格、購入年月等の判明するものは、購入価格につき課税上の減価償却基準である定額法(右動産の種類、利用目的等から見て定率法は採用しない)を適用して減価償却したそれを基本として修正算出し、(ロ)購入価額、購入年月日の判明しないもの、或は、同基準の耐用年数を超過するが未だ利用価値の認められるもの等は所謂慰藉料の補完的働きによってこれを評価することにした。以下その余の原告についても同様である。
(五) 慰藉料 二〇万円
原告会社は慰藉料なる項目を上げて請求してはいないが、具体的損害額を認定出来ない前記素材販売利益減や動産流失損を慰藉料として考慮するのが妥当であり、その額は二〇万円をもって相当とする。
(六) 弁護士費用 五八万円
本件事実の性質、審理の経過及び認容額等諸般の事情に照らし、被告に対し本件災害による損害として賠償を求めうる弁護士費用は五八万円とするのが相当である。
(七) 以上損害額合計 六三六万四、七三七円
2 原告山口の損害
前掲1記載の各証拠によれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。
(一) 慰藉料 七〇万円
原告山口は本件災害により背広、男物セーター、ズボン各数着(いずれも個別的にその価額を算定することができない)を流失した他、右罹災及びその後の復旧活動のため諸々の精神的苦痛を味わった。これらの諸事情を考慮するとその慰藉料額は七〇万円をもって相当とする。
(二) 弁護士費用 七万円
本件事案の性質、審理の経過及び認容額に照らし、被告に対し本件災害による損害として賠償を求めうる弁護士費用は七万円とするのが相当である。
物品名
数量
認定損害額(円)
買値(円)
購入時期
(本件災害時基準)
備考
イ
リッカーミシン
一台
五万〇、四〇〇
六万五、〇〇〇
四四年一一月
五五〇型B14キャビネット
ロ
仏壇
一基
五万〇、六〇〇
約五万七、〇〇〇
一年前
ハ
ズボンプレッサー
一台
五、〇〇〇
七、〇〇〇
二年前
合計
一〇万六、〇〇〇円
(三) 以上損害額合計 七七万円
3 原告丹羽の損害
《証拠省略》によれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。
(一) 流失動産 計 一〇万六、〇〇〇円
なお前記動産の他、一一年程前に買い求めた光洋ミシン一台、一〇年程前購入した整理箪笥一棹、一六年程前購入した桜材の洋服箪笥一棹、女物洋服数着、衣類箱在中の営業用又は自己用の婚礼用留袖、打掛け、塩瀬の喪服、訪問着、大島紬の着物等多数の女物衣類、オパールとダイヤの指輪各一個、女物セーター、同ズボン各数着、時計、ネックレス等を流失しているが、その損害額算定困難のため、次の慰藉料額算定中において考慮する。
(二) 慰藉料 一五〇万円
原告丹羽は会社建物に居住し、原告会社の食堂、美容部門及び木材営業事務を担当していたが、本件災害により、前記損害等の個別的立証困難な諸々の物的損害を受けたし、更に諸々の精神的苦痛を蒙ったことも窺われるところ、以上の諸事情を考慮するとその慰藉料額は一五〇万円をもって相当とする。
(三) 弁護士費用 一六万円
本件事案の性質、審理の経過及び認容額に照らし、被告に対し本件災害による損害として賠償を求めうる弁護士費用額は一六万円とするのが相当である。
(四) 以上損害額合計 一七六万六、〇〇〇円
4 原告北山の損害
《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠がない。
(二) 流失建物 一三〇万円
右建物は、昭和三一年頃、古材料等を使って建築し、その後順次改築を重ねてきた、屋根は杉皮葺、壁は板張りの多い粗末な木造平家建の店舗兼用の居宅で、床面積は一〇〇平方メートル前後であった。その価格は、右諸事情の他、昭和四四年頃新築した、北山建物よりはるかに立派で床面積も幾分広い原告会社建物の建築価格が諸雑費を含め四二〇万円余であったこと、原告会社が本件災害後一年足らず利用するため向いの建物を改造して作った前記仮店舗(既存の基礎の上にカラー波型鉄板の屋根、板張りの外装を施し、調理場、物入、便所を備えて必要最低限度を満たした店舗で、建坪も十数坪にすぎない)のそれが六〇万円余であったこと、本件災害後原告北山が現住所に建てた簡素な木造トタン葺平家建居宅床面積約一五坪のそれが約二五〇万かかったこと、その他木造建物の課税上の減価償却基準(耐用年数二四年、定額法による償却率年〇、〇四二――いずれも裁判所に顕著な事実である)などの諸事情をも加味して判断すると、一三〇万円とみるのが相当である。
(二) 流失動産 計 六五万五、五〇〇円
なお、原告北山主張の流失動産中、右記以外のそれ(但し別紙流失動産表(四)の(三)(3)の電話取付料を除く)が存在したことは認められるが、損害額算定困難のため、後記慰藉料額中において考慮する。
物品名
数量
認定損害額(円)
買値(円)
購入時期
(本件災害時基準)
備考
(1)家財道具
イ
ガス乾燥機
一台
五、三〇〇
七、五〇〇
四四年七月
家庭用オシメ干し
ロ
洗濯機
一台
二万六、七〇〇
三万八、〇〇〇
同年九月
自動脱水機付
ハ
スキー
スキー靴
一組
三、八〇〇
五、三〇〇
約一年前
中学生用
ニ
アイロン
一台
一、二〇〇
三、五〇〇
約四~五年前
ホ
電機毛布
三枚
一万六、六〇〇
一万九、五〇〇
四五年一一月
(2)調理用器具、食器類
イ
流し台
一
三、三〇〇
六、〇〇〇
約二~三年前
営業用、木製
ロ
ガス魚焼機
一台
二万六、二〇〇
六万五、〇〇〇
約四年前
ハ
ガス湯沸機
一台
八、六〇〇
一万八、〇〇〇
約三~四年前
家庭用
ニ
焼饅頭用鍋
一
一万二、八〇〇
二万
約二年前
鋼製、自家用
(3)営業用備品
イ
計量機
二台
六万五、六〇〇
八万
約一年前
ロ
レジスター
一台
五万五、〇〇〇
一〇万
約二~三年前
ハ
客用テーブル椅子
五点
六〇〇
六、〇〇〇
約五年前
ニ
牛乳冷蔵庫
一台
三万八、七〇〇
七万
約三年前
ホ
鮮魚用陳列ケース(冷蔵庫付)
一台
一九万三、二〇〇
三五万
昭和四三年
冷凍機及び配管工事一式を含む
ヘ
日立アイスクリーム用ショーケース(冷凍機内蔵式)
一台
一九万三、二〇〇
三五万
同右
ト
氷用冷蔵庫
一台
二、四〇〇
五、〇〇〇
約三~四年前
チ
氷かき機
一台
二、三〇〇
五、〇〇〇
約三年前
合計
六五万五、五〇〇円
(三) 休業等による損害 三五万円
原告北山は、本件災害当時、右建物を利用して店頭又は行商で鮮魚、牛乳等の食糧品販売、婚礼の仕出等の商売に専業し、一ヶ月平均十数万円を下ることがない収入をあげていたが、本件災害の後始末のため二ヶ月間全面休業し、その後、下尾造園に働きに出たものの三ヶ月間ほど十分出勤できず、その間に少くとも本件災害がなければ得たであろう収入三五万円分を失った。
(四) 慰藉料 二〇〇万円
原告北山は本件災害によりその所有する殆んど全財産を建物と共に一挙に流失し、不安におののく妻子四人を抱え四ヶ月半ほど仮住いの苦痛を強いられ、更に資金不足等で転業のやむなきに追込まれ、昭和三二年同所に養子にきて以来、長年築き上げた有形無形の営業利益を失い、これらの諸事情のためにひとかたならぬ辛酸を味わってきた。更に前記(二)に触れたとおりの損害額立証困難な動産を流失したほか、本件災害の性質上立証困難な諸種の物的損害を蒙っているので、これら諸般の事情をも加えて判断すると、その慰藉料額は二〇〇万円をもって相当とする。
(五) 弁護士費用 四三万円
本件事案の性質、審理の経過及び認容額等諸般の事情に照らし、被告に対し本件災害による損害として賠償を求めうる弁護士費用は四三万円とするのが相当である。
(六) 以上損害額合計 四七三万五、五〇〇円
四 過失相殺の抗弁について
《証拠省略》によれば、原告会社及び同北山の各建物は、前記において護岸から約二メートル離れた位置に、後者において護岸一杯にそれぞれ建てられており、いずれもその敷地の一部が河川法所定の河川保全区域内にかかっていた事実が認められ、又前記認定のように、本件護岸附近の安曇川は水害に対する危険個所であった等の諸事実も認められる。しかしながら、《証拠省略》によれば、会社建物は、建築基準法や河川法五五条所定の手続を履行しその指示に違反することなく建てられたものであり、原告会社及び同北山において本件災害前被告らから右各建物が危険であり防災対策を考慮するよう等の指示を受けたことがなく(《証拠判断省略》なお北山建物の一部は、本件護岸沿の国有地を無断使用して建てられた疑があるが、国や被告らにおいて黙過していたもようである。)、又本件護岸附近の安曇川が地形上水害の危険地帯であることは素人目には判断がつきにくい事実が認められ、そうだとすれば、そもそも本件護岸が、前記認定のごとく、天然の高台を利用して作られた国や知事が管理する、コンクリート基礎野面石積等による構築物であるのだから、原告らがその安全性を信頼して前記のごとく右各建物を建てたことは無理からぬところであり、これをもって過失相殺するわけにはいかない。
五 してみれば被告は原告らに対し、
1 原告会社に対し六三六万四、七三七円の、同山口に対し七七万円の、同丹羽に対し一七六万六、〇〇〇円の、同北山に対し四七三万五、五〇〇円の各損害賠償金
2 それぞれ右金員に対する本件災害発生の日の後である昭和四六年九月一日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金
を各支払うべきである。
よって原告らの本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余を棄却することとし、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条(仮執行免脱宣言の申立は相当でないからこれを却下する)に従い主文のとおり判決する。
(裁判官 笠井達也)
<以下省略>