大津地方裁判所 昭和55年(行ウ)1号 判決 1983年11月28日
原告 園城寺
(第四号事件)被告 建設大臣
(第一号事件)被告 滋賀県収用委員会 参加人 建設大臣
訴訟代理人 森下康弘 松本捷一 若井幸雄 水野二郎 外六名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
(昭和五三年(行ウ)第四号事件)
一 請求の趣旨
1 被告建設大臣が昭和五三年一〇月二五日建設省告示第一六四八号によりなした大津市園城寺町を起業地とする土地収用法二〇条に基づく事業認定を取り消す。
2 訴訟費用は被告建設大臣の負担とする。
二 請求の趣旨に対する被告建設大臣の答弁
主文と同じ。
(昭和五五年(行ウ)第一号事件)
一 請求の趣旨
1 被告滋賀県収用委員会が昭和五五年五月七日別表記載の各土地についてなしたる権利取得裁決および明渡裁決を取り消す。
2 訴訟費用は被告滋賀県収用委員会の負担とする。
二 請求の趣旨に対する被告滋賀県収用委員会および同訴訟参加人建設大臣の答弁
主文と同じ。
第二当事者の主張
一 請求原因
(本件各行政処分)
1 被告建設大臣は、起業者建設大臣からの申請により、昭和五三年一〇月二五日、土地収用法(以下法という)二〇条に基づいて、原告所有の別表記載の各土地(別紙ルート関係図表示の赤線のルートが原告寺域内を通過する部分の土地。以下本件各土地という)を含む左記各土地につき、左記のような事業の認定(以下本件事業認定という)をなし、同日付建設省告示第一六四八号をもつてこれを告示した。
記
起業者の名称 建設大臣
事業の種類 一般国道一六一号「西大津バイパス」(大津市地内)改修工事
起業地
(1) 収用の部分 滋賀県大津市錦織一丁目字王子山、皇子が丘一丁目字南川、字王子山、字前山および字部屋ケ谷、山上町字不動山、字前山、字武士ケ谷および字常在地谷、園城寺町、園城寺町字常在寺、藤尾奥町字大谷、字宮ノ前、字下出、字又谷、字三本松、字五本松、字割谷、字ヒル場、字茶戸および字十二盃、稲葉台字割岩、字ヒル場、字一二盃および字稲葉山、茶戸町字十二盃および字稲葉山、追分町字山面および字上長通、横木二丁目字山面、字後藤および字上長通、横木一丁目字下長通、字上長通および字北上ケ田地内
(2) 使用の部分 滋賀県大津市山上町字常在地谷、園城寺町、藤尾奥町字大谷地内
(これらの部分は別紙ルート関係図表示の赤線のルートが滋賀県大津市錦織一丁目字王子山から同市横木一丁目字北上ケ田に至るまでの地域内にあたる)
2 被告滋賀県収用委員会(以下被告収用委員会という)は、起業者建設大臣からの申請により、昭和五五年五月七日、本件各土地につき、権利取得の時期および明渡しの期限をいずれも同年六月五日とする収用および使用の権利取得裁決ならびに明渡裁決(以下本件各裁決という)をなした。
(本件事業認定の違法事由)
1 実体的違法事由
本件事業認定にかかる事業計画(以下本件事業計画という)は別紙目録記載の内容を有するものであるが、これは「土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものである」(法二〇条三号)とはいうことができないから、本件事業認定は違法である。
(一) 本件各土地を含む原告の寺域は、次に述べるように、原告が宗教活動を行うのに必要な境内地であるとともに、一般の寺院仏閣における境内地とは全く異質の宗教的価値を有し、天台寺門宗の総本山である原告の三〇〇末寺の僧侶や一〇〇万人信徒から法身として信仰の対象とされ、かつ修行の行場として神聖視されているだけでなく、広く国民一般にとつてもわが国の歴史と宗教文化を伝えるうえでかけがえのない貴重な宗教的文化的価値を担つた文化財である。
(1) 本件各土地の存する長等山は、古くから神々の並座(なみくら)の山という意に由来し、祖先の精霊の宿る所、すなわち神山、神体山として古代から神聖視され、全山が神霊そのものであるという神体山信仰の対象とされていた。このような長等山に六八六年(天武一五年)弘文天皇の皇子大友與多王が天智、弘文、天武三帝の勅願を受けて園城寺を創建し、爾来大友家が奉仕して神祠が営まれていたが、平安時代初期の八五八年(天安二年)入唐求法の巡礼を遂げて帰朝した延暦寺五代座主智証大師円珍は、唐から持ち帰つた貴重な経典や図像を園城寺に納めてここに唐房を経営し、密教を主とした顕密一如、修験道の包含、神本仏迹説等独自の仏教思想を立てて天台宗を発展させた。その教学の特徴は顕・密・修験の三道融合が強調されていることにある。八六六年園城寺は公式に天台別院として円珍に付託されたが、九九三年(正歴四年)密教に対する理解の違いなどから園城寺門徒は比叡山延暦寺から独立し、それ以来延暦寺は山門、園城寺は寺門と称するようになつた。
(2) このように園城寺が天台寺門宗の総本山として発展する過程で、古代人の神体山信仰の対象であつた長等山は天台密教の道場となり、これに神仏習合の最も典型的な修験道が導入されたことにより、古来の山岳信仰が一層強まつて園城寺修験道の聖なる行場として重視されるに至り、歴代すぐれた修験者を輩出し、いわゆる本山派修験道の根本道場として多くの崇敬者を集めてきた。
(3) 一方、平安末期から鎌倉初期にかけての中古天台の思潮はさらに進んで、長等山全山がそのまま法身であり、胎蔵界曼荼羅を形成するものであるというところまで発展し、今日においても、園城寺僧侶の修行生活の中で僧侶になるためには必ず経なければならない行法の一つである回峯行(または入峯行)として生き続けている。これは、長等山自体を法身とし、そこにある一木一草、一水一石あらゆる神祠仏堂を礼拝、巡峯する百日一期の行儀であつて、もし高野山を霊山と呼び、比叡山を学山と呼ぶならば、長等山園城寺は行山と呼ぶにふさわしいのである。
(4) また、長等山は豊かな湧水が出る所といわれ、古来から自然神信仰としての湧水信仰があつたが、円珍の時代にこれが天台密教の教学に取り込まれ、爾来園城寺本堂(金堂)に近接する閼伽井の湧水が霊水として信仰され、寺門宗信仰の中核をなしてきた。それ故園城寺は御井寺と呼ばれていたのが転じて三井寺と称されるようになつたものであり、今日においても、閼伽井の湧水は霊水として寺で行われる重要な修行における諸仏への献水や天台密教最高の行法における灌頂水に用いられているのである。
(5) 原告の寺域は、明治年間、社寺領上知令(これは「現在ノ境内ヲ除クノ外」社寺等の上知((知行を返上すること))を命じたものである)や地租改正条例によつて官有地に編入され、その後、国有財産法により無償で貸付けを受けたり、国有林野法により保管させられたりしていたものを、社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律(昭和二二年法律第五三号。一条には、「社寺上知、地租改正によつて国有となつた国有財産で、現に社寺等に対し、国有財産法によつて無償で貸し付けてあるもの、または国有林野法によつて保管させてあるもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものは、その社寺等において申請したときは、主務大臣がこれをその社寺等に譲与することができる」旨が規定されていた)に基づいて譲与され、現在に至つているものである。してみると、原告の現在の寺域は原告が宗教活動を行うのに必要な境内地であることを国が認証してその所有を許しているものであり、しかも、その管理運用について同法案を可決した第九二回帝国議会は「本法実施によつて、社寺等に譲与、売払した財産については、本法の趣旨に反せざるよう社寺等において責任をもつてその管理運用に最善をつくされたきこと」という付帯決議をなしており、このことは、審議会その他事務当局が本法に基づく国有境内地等の処分や事務処理をするにあたつて現在まで護持されてきた境内地の由緒沿革を大いに尊重したように、今後も譲与された境内地が令法久住の精神をもつて将来長く護持されることを世論が強く切望していることを表明したものである。
(二) しかるに、本件事業計画の計画路線(本件ルート)は、前記のような宗教的文化的価値を有する原告境内地を通過するものであつて、そのこと自体宗教の尊厳を全く無視するものであり、また、本件各土地のうち収用地に存在する石仏二一体は前記回峯行の巡拝対象の一つでもあるのに、これらを原告寺域内の他の地に移転することを余儀無くされるとともに、本件各土地のうち使用地の地下にはトンネルが設けられるが、その工事の際必ず地下水に影響をきたすので前記閼伽井の霊水やその他の湧水が枯渇するなど宗教の尊厳に及ぼす影響は大きい。
(三) しかも、本件事業計画が一般国道一六一号の劣悪な交通事情の緩和を目的とした公共性の高いものであることは認められるが、道路というものは一般的に代替性を有するものであつて、原告境内地を外した長等山の山返り側に路線を計画しても右の目的は十分に達成できるはずである。現に、被告建設大臣は技術的に建設可能で道路構造令にも合致した路線として別紙ルート関係図表示のA、B各ルート(以下Aルート、Bルートという)があることを原告に提示しているのであり、これらのルートは、道路の技術的安全性や工費等の経済性において本件ルートより劣るとしても、その地域の大部分が国有林によつて占められているため、原告を含め民間人に与える被害は本件ルートよりはるかに少なくてすむのである。
(四) 被告建設大臣は、法二〇条三号所定の要件の存否を判断するにあたつて以上の諸利益を比較検討すべきであるのに、これを怠り、技術的観点と目先の経済性のみにとらわれて、宗教の尊厳を無視した技術本位の机上計画を強引に実現しようとしたものであるから、本件事業認定には被告建設大臣に許される裁量権の範囲を踰越または濫用した違法がある。
2 手続的違法事由
事業計画が法二〇条三号所定の要件を具備するか否かの裁量判断にあたり、合理的路線決定の手段、方法の探求において当然尽すべき考慮を尽さないでした判断は、裁量判断の方法ないし過程(裁量権の行使の仕方)に過誤あるものとして違法(手続的権利侵害)たるを免れないところ、被告建設大臣は次に述べるような到底適正、合理的な仕方でなされたものとはいえない手続を容認して本件事業認定をなしたものであるから、本件事業認定は裁量権の行使を誤つたものとして違法である。
(一) 法は一一条ないし一五条で起業者に対し事業の準備のため他人の土地への立入権を認めその要件および手続を定めているが、これは、公共事業のためとはいえ、いやしくも他人の土地等を強制的に収用または使用することから、その要件や手続は慎重であらねばならないとの当然の要請に基づくものである。しかるに起業者建設大臣は、昭和四三年六月、右の立入調査や測量を行わないまま、安易に机上で図上路線を引いて本件ルートを採用決定し、その後も、原告境内地内への立入調査が必要であつたことから、同年七月一二日付書面をもつて原告に対し同月下旬から昭和四四年三月末日までの間の原告境内地内への立入りにつき協力を要請したものの、原告がこれを拒否するや一回として正式な立入調査や測量を行わないまま本件事業認定に至つたものである。このように起業者建設大臣は法の所期する慎重な手続を履行しなかつたもので、これは基本的な手続違反である。そのため、本件事業認定告示後の被告収用委員会の審理の過程で、本件事業計画のうち最も基本となる収用対象である原告所有地の字名、地番および面積の一部につき原告から実地のそれと異なつていることを指摘され、被告収用委員会で実地調査をした結果ようやく起業者建設大臣においてその誤りを認め裁決申請書および明渡裁決申立書の一部を訂正しているのである。
(二) 本件ルートは、昭和四三年六月、起業者建設大臣が昭和四二年六月付の原告宛照会文書に添付されていた図面に表示の路線(別紙ルート関係図表示のIIおよびIIIルート((以下IIルート、IIIルートという)))を急遽変更して策定した路線であるが、右策定当時、起業者建設大臣は、宗教の尊厳に対する配慮を全くなさず、また、長等山の山返り側について路線調査をする意思もなく、現に何らこれを調査しなかつた。右は手続的にみて尽すべき裁量の手段を尽さなかつたことに帰し違法である。
(三) 原告は起業者建設大臣に対し、昭和四五年九月一〇日を初めとして再三にわたり、「<1>境内を外して長等山の山返り側に路線を変更してほしい。<2>もし、右の変更路線が不可能というのであれば、当寺の方でも専門家に検討してもらつて態度を決めたいので、そのデータを文書で明示してほしい。<3>右調査検討の費用は官側で負担してほしい」との申入れ(以下三点申入れという)をなし、その回答を文書で示されたい旨を要望してきたが、起業者建設大臣は、当初山返り側は技術的に工事は不可能であるとの一点張りであり、最後の昭和四七年八月一〇日付文書では、「トンネルの延長が長くなつてトンネル内の安全、円滑な交通維持に種々の問題が生じるので変更不可である」との極めて抽象的な回答をするにとどまり、本件事業認定に至るまで原告が期待し納得するに足る十分かつ肝心な説明を全くしようとしなかつた。三点申入れは宗教者たる原告として最も真摯な要望である(原告は、日本鉄道建設公団((以下鉄建公団という))から国鉄湖西線のトンネルを原告境内地の地下に通させてほしい旨の申入れを受け、トンネル工事により地下水脈が切断されて境内地の湧水が枯れるのではないかという懸念もあつたため、これに反対していたが、鉄建公団から、工事により地下水に影響が出るとしてもせいぜい三分の一か最悪の場合でも半分程度の減水であつて、工事が終れば三か月ないし六か月で元どおりに復水するとの説明を受けたため、昭和四五年一月二五日右のトンネル工事を了承した。ところが、藤尾側からトンネル工事が開始されてわずか二か月足らずで閼伽井の霊水を初め境内、僧坊の閼伽水の水源が枯れてしまつたほか名勝史跡の庭園池まで減水し、原告は、鉄建公団の科学陣の説明を信じた結果、取返しがつかない宗教上致命的な過誤をおかすことになつてしまつた。そこで、原告は、このうえは自らの手で納得できる科学的究明を尽さない限り安易な妥協はできないと決意し、三点申入れをするに至つたのである)から、起業者建設大臣からは当然原告を納得せしめるに足る説明がなされてしかるべきであるのに、これを怠つた起業者建設大臣の右のような態度は、行政庁に求められる民主的かつ公正な運用手続に背くものであつて、適正手続への期待を裏切るものである。
(四) 起業者建設大臣は、昭和四六年三月三〇日本件ルートにつき事業の認定を申請し、昭和四八年七月三〇日被告建設大臣から事業の認定(以下旧事業認定という)を受けたが、その後の原告との交渉のなかでA、B各ルートの提示を余儀無くされるなど本件ルートの必然性がなくなつてきたため、ついに、昭和四九年七月三〇日収用部分につき、昭和五一年七月三〇日使用部分につきそれぞれ旧事業認定を自ら自然失効せしめるに至つた。ところが、起業者建設大臣は昭和五三年五月二六日格別の客観的な事情の変化もないのに事業計画が旧事業認定のそれと同一である事業の認定を再度申請し、被告建設大臣も安易にこれを容れて同年一〇月二五日本件事業認定をするに至つた。右のような被告建設大臣および起業者建設大臣の措置は、はなはだ異例であつて収用権の濫用であり、原告の正当な手続を受ける権利を侵害したものである。
(五) 昭和五三年六月二七日、本件紛議の決着をつけるため、当時の建設大臣桜内義雄と原告代表役員長吏福家俊明との会談が国土庁長官室で行われ、席上、同大臣は「国道一六一号バイパスの建設にあたり、技術的観点を重視し、宗教の尊厳についての配慮に欠けた点につき遺憾の意を表し、今後これらのことに十分留意する」旨を発言して今後は宗教の尊厳につき十分留意することを約し、同年七月二日には同大臣の意を受けた佐々木近畿地方建設局長から近日中に起業者建設大臣の新しい案を持つてくるとの言明があつたが、同月二七日同局長が新案として提示したものは当初の案と何ら変らない路線(本件ルート)を表示するものであつた。このようなことは、協約の信頼を裏切る信義則違反の行為であつて許されない。
(六) 法によると、建設大臣は、事業の認定を行おうとする場合、事業計画について専門的学識または経験を有する者の意見を求めることができ(二二条)、また、公聴会を開いて一般の意見を求めなければならない(二三条)のであるが、被告建設大臣は本件事業認定をするにあたつて右のいずれの意見聴取も行つていない。もつともこれらの意見聴取は建設大臣において必要があると認めるときに行われるのであるが、本件にあつては、本件ルートの折衝が一向に進捗せず、紛争が宗教の尊厳に対する理解の相違や山返り側工事の技術的能否等専門分野に及び、かつ、その理解と認識が、当事者間の対立にとどまらず、大津市議会の議決や各種団体等広汎な市民層からの陳情、署名運動にみられるように多岐にわたる意見の対立が認められた客観的な状況に徴せば、右の各意見聴取は正に必要であつたと認められる。したがつて、右の必要性の有無を考慮しなかつた被告建設大臣の判断には、裁量権の踰越または濫用の違法がある。
3 以上述べたとおり、本件事業認定は違法であるから、取り消されるべきである。
(本件各裁決の違法事由)
1 違法性の承継
土地収用手続のように、一連の手続を経て初めて全体としての終局的な効果が発生する場合には、先行の行政処分が適法に行われることが後続の行政処分の適法要件である。したがつて、先行処分の違法の瑕疵はその後の手続に承継されると解するのが相当である。そして、本件事業認定と本件各裁決とは右のような先行、後続の関係にあるところ、本件事業認定には前記のような違法事由が存するので、本件各裁決も右違法性を承継して当然に違法となる。
2 手続的違法事由
法は、収用委員会の収用または使用の裁決のうち損失の補償については、主として当事者の利害のみに関するため厳格な当事者主義をとる(四八条三項参照)とともに、その審理においても当事者主義を徹底させる立場から当事者の活発な意見表明の機会と権利を保障している(六三条二項)。しかるに被告収用委員会は、次に述べるように、その審理において損失補償に関する事項について当事者に意見を聴かず、かつ、右事項についての審理をしないまま、いまだ裁決に熟さない状態で結審し、本件各裁決をなしたものであり、本件各裁決には審理不尽の手続的違法がある。
(一) 被告収用委員会は、審理に先立つて原告には五項目(<1>収用または使用される土地は起業者の説明どおり園城寺の所有か。<2>収用または使用される目的物は起業者の説明どおりで異議はないか。<3>損失補償額等について起業者の説明に意見はないか。<4>使用される土地((トンネル部分))について起業者は無償の申請をしているが意見はないか。<5>今日までの所有者と起業者との交渉経過を簡単に述べ西大津バイパス通過に対し土地所有者が反対意見であることの理由を具体的に述べよ)、起業者建設大臣には八項目の説明をそれぞれ要求し、右質問事項に基づいて、昭和五四年二月一〇日から昭和五五年三月二二日までの間に一〇回の審理と二回の現地調査を行つた。
(二) ところが、原告は、第二回審理において、右質問項目<3><4>の損失補償に関する事項について意見を述べる意思のあることを表明し、その機会の留保を申し出ていたが、被告収用委員会は、これを無視し、右審理のうち第一回を起業者建設大臣からの説明に、第二回ないし第四回、第一〇回を収用目的物の範囲の特定に関する説明と議論に、第五回ないし第九回を右質問項目<5>についての原告の意見陳述にあてたのみで、原告に対して右の損失補償に関する事項についての意見の陳述を促すことなく(法六四条により、収用委員会の会長は、意見陳述の機会を与えた場合には、その意見陳述を促したうえで審理を遂げる責務を有する)審理を終結した。
(三) また、被告収用委員会は、損失補償に関する事項についてわずかに第九回審理において職権で鑑定に付する旨の決定を行つているのみであるが、その鑑定結果について審理を経ないまま結審している。
3 以上述べたとおり、本件各裁決は違法であるから、取り消されるべきである。
(結論)
よつて、原告は、本件事業認定および本件各裁決の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否および反論
(被告建設大臣)
1 「本件各行政処分」の1は認める。
2 「本件事業認定の違法事由」の1の冒頭部分のうち、本件事業計画が別紙目録記載の内容を有すること、同(一)の(5)のうち、原告が、社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律(昭和二二年法律第五三号)に基づき、大蔵大臣と農林大臣にそれぞれ原告寺域の譲与申請を行い、これが原告に譲与されたこと、同法案が可決された第九二回帝国議会において「本法実施によつて、社寺等に譲与、売払した財産については、本法の趣旨に反せざるよう社寺等において責任をもつてその管理運用に最善をつくされたきこと」という付帯決議がなされたこと、同(二)のうち、石仏二一体が被告収用委員会の裁決により現在の場所から原告寺域内(収用地外)に移転されることになつていること、同(三)のうち、起業者建設大臣が原告にA、B各ルートを提示したことはいずれも認めるが、その余の「本件事業認定の違法事由」の1は争う。
3 「本件事業認定の違法事由」の2の(一)のうち、起業者建設大臣が原告寺域内に立ち入つて測量または調査をしなかつたこと、被告収用委員会の審理の過程で起業者建設大臣が収用対象となつている原告所有地の字名、地番および面積の一部を訂正したこと、同(三)のうち、原告が起業者建設大臣に対し三点申入れをしたこと、原告が国鉄湖西線のトンネル工事を了承し、右トンネル工事の着手後閼伽井の湧水が減水したこと、同(四)のうち、被告建設大臣が昭和四八年七月三〇日旧事業認定をなしたこと、起業者建設大臣が原告との交渉のなかでA、B各ルートを提示したこと、旧事業認定が自然失効したこと、被告建設大臣が昭和五三年一〇月二五日本件事業認定をなしたこと、同(五)のうち、昭和五三年六月二七日の桜内建設大臣と原告代表役員長吏福家俊明との会談において、同大臣が「国道一六一号バイパスの建設にあたり、技術的観点を重視し、宗教の尊厳についての配慮に欠けた点につき遺憾の意を表し、今後これらのことに十分留意する」旨を発言して今後は宗教の尊厳につき十分留意することを約したこと、同年七月二七日佐々木近畿地方建設局長が同大臣の意を受けて新案を原告に提示したことはいずれも認めるが、その余の「本件事業認定の違法事由」の2は争う。
(被告収用委員会)
1 「本件各行政処分」はいずれも認める。
2 「本件事業認定の違法事由」の1の冒頭部分のうち、本件事業計画が別紙目録記載の内容を有することは認める。
3 「本件各裁決の違法事由」の1は争う。収用裁決取消訴訟においては、事業認定が不存在であるとか無効であるような場合はともかく、それ以外の場合には、事業認定の違法が収用裁決に承継されるものではないと解するのが相当である。同2のうち、(一)は認めるが、その余は争う。
(被告収用委員会訴訟参加人建設大臣)
被告建設大臣の認否2および3、ならびに被告収用委員会の認否(および反論)1および3と同じ。
三 被告らの主張
(被告建設大臣)
1 本件事業計画の公益性
(一) 本件事業計画は、自動車交通量が増加した一般国道一六一号の第二次改築工事(湖北バイパス改築事業((延長約一〇・八キロメートル))、高島バイパス改築事業((延長約一五・三キロメートル))、小松拡幅改築事業((延長約六・五キロメートル))、志賀バイパス改築事業((延長約六・一キロメートル))、湖西道路改築事業((延長約一五・八キロメートル))、西大津バイパス改築事業((延長約一一・〇キロメートル)))の一環として、西大津バイパス改築事業の一部区間を計画するものであるところ、右国道の現況は次のとおりである。
(1) 一般国道一六一号は、福井県敦賀市を起点として同市を南下し、滋賀県内に入り琵琶湖西畔の高島郡マキノ町、同郡今津町、同郡新旭町、同郡安曇川町、同郡高島町、滋賀郡志賀町を経て大津市に至る約八七キロメートルの道路であり、建設大臣(現実には近畿地方建設局長)がこれを管理している。右国道は、琵琶湖西岸地域の唯一の幹線道路であり、それぞれの沿道地域の生活基盤の維持、発展を支えることはもちろん、同地域と京阪神地域との経済的、社会的、文化的交流の促進を図るという重要な使命をもつとともに、近畿圏と北陸圏とを最短距離で連絡する国道として両圏を社会的、経済的、文化的に結ぶ重要な基幹道路となつており、さらに、その沿線には自然的景観にすぐれた地域が多いため、レクリエーシヨン施設や観光施設が集中し、行楽を楽しむ人々の交通を確保するという重要な役割も果たしている。
(2) 右に加えて一般国道一六一号は大津市街地の中心部を通過することにより市民生活にも多大の便益を与えていることから、交通量は年々激増し、大津市内(茶が崎地先)においては、昭和四五年二万八五四六台/日、昭和四八年三万一三三九台/日、昭和五二年三万三一九六台/日となつており、その交通容量一万二三〇〇台/日を大幅に上回つている。そして、同所付近の交通の内容を昭和四九年全国道路交通情勢調査の自動車起終点調査でみると、同所付近断面交通の五〇パーセント以上が茶が崎地区以北の地域と京阪神地域とを結ぶ通過交通によつて占められている。
(3) 一般国道一六一号を利用する場合の経路は、大津市内茶が崎交差点から浜大津交差点で直角に右折し、京阪電鉄京津線との併用区間(延長約六〇〇メートル)を経て、逢坂一丁目交差点において一般国道一号に合流し、逢坂山の峠を越える経路であり、その間には信号交差点一四箇所、踏切三箇所が存在し、また、浜大津交差点から逢坂一丁目交差点に至る区間(京阪電鉄京津線併用区間)については七時から二〇時まで大型車の通行禁止の規制措置がとられているため、大型車は、浜大津交差点から県道大津湖岸線を経て琵琶湖文化館前交差点において右折し、市道大七三号線を介して本宮交差点において一般国道一号に合流し、逢坂一丁目交差点に至る間を迂回しなければならず、その輸送効率は極端に低下している。
(4) そのため、一般国道一六一号の交通混雑は恒常化しており、特に、その沿線には琵琶湖、比叡・比良山系および若狭地方を背景としたレクリエーシヨン地域が集中しているため、夏冬のシーズンには車両が殺到し、渋滞距離は大津市中心部を頭に安曇川付近まで約三〇キロメートルに及ぶこともある。このような現状から、通過交通車両が大津市中心部の狭い道路に入り込むことも多く、当該地域住民が交通の危険にさらされるなど日常生活にも重大な支障をきたしている。
(二) 本件事業計画は、かかる劣悪な交通事情にある現状を打開し、将来予想される交通量に対処し、円滑な都市機能の保持、良好な都市環境および地域住民の利便増進を図るために計画されたものである。すなわち、本件バイパスを利用する場合の経路は、一般国道一六一号の茶が崎交差点から都市計画道路三・三・九号を介して皇子山インターチエンジで本件バイパスに入り、藤尾インターチエンジから一般国道一号に合流し、さらには同国道を介して名神高速道路の大津インターチエンジおよび京都東インターチエンジに至るものであり、本件バイパスの完成により、現在大津市内の一般国道一六一号を走行している通過交通の相当部分が本件バイパスを利用するものと予想されるので、最も混雑する大津市内の一般国道一六一号および一般国道一号の逢坂山付近の交通混雑が著しく緩和されることになり、その結果、大津市内の地域内交通の便益は大幅に増進するとともに、周辺住民に対するものを含めて交通の安全に著しく寄与し、これらにより一般国道一六一号周辺の沿道生活環境は著しく改善されることになる。また、本件バイパスの沿道にある藤尾奥町は、幅員二・九メートルの市道に交通のすべてを依存している現状に加えて、大津市中心部と短絡する小関越えの道路が幅員二、三メートルと狭小であるうえ通行制限されており、かつ、迂回すべき一般国道一号の逢坂山付近における交通量が二車線で四万五〇〇〇台/日と混雑度の極限に達しているなど孤立状態を呈しているが、本件バイパスの完成によつてこれらの悪い環境が一挙に解消されることになる。
2 本件ルート選定の経緯および理由
本件バイパス事業については、当初滋賀県さらには日本道路公団が調査を実施していたが、昭和四二年度からは起業者建設大臣が事業を進めることになり、近畿地方建設局滋賀国道工事事務所(以下滋賀国道工事事務所という)においてその事務を担当し、滋賀県および日本道路公団の調査成果を参考としつつ、さらに実施調査を進め、事業目的および関係地域の土地利用の実情を考慮して、昭和四三年六月本件ルートが採用されるに至つたものであるところ、その選定の経緯および理由は次のとおりである。
(一) 現道一六一号を拡幅する方法の難点
現道は大津市浜大津四丁目地先の浜大津交差点において直角に屈折しており、そのままの状態で拡幅したのでは交通混雑の緩和に益するところが少ない。したがつて、市街地において右の部分に代わる小バイパスを設けざるを得ないことになるが、バイパス用地およびその周辺はもとより、沿道はすでに人家、商店、工場、ガソリンスタンド等の永久構造物が連なつている状況にあるため、右の方法では大規模な改築工事を必要とし、これに伴い莫大な事業費を要する。さらに、現在でも交通渋滞の激しい現道でこれを一般交通の用に供しながら大型建設機械等を使用して施工すれば、交通障害の激化、工期の長期化等は避けられない。結局、経済的、技術的見地からはいうに及ばず、交通保安上の面からも現道を拡幅する方法は採用し難い。
(二) 他の地点にバイパス道路を建設する方法による場合のバイパス位置
この場合、現道一六一号の東側(琵琶湖沿岸側)か、西側(山側)のいずれかのルートが考えられるが、東側のルートについては、現道と琵琶湖沿岸との間が狭隘なうえ人家、商店街等が密集しており、しかも前記のような浜大津交差点に関する難点を解消させることが困難である。したがつて、西側にルートを求めるべきことになるが、本件バイパスは現道一六一号の大津市内の交通混雑の緩和を主たる目的としたものであるから、そのルートは、一般国道一号と接続させるとともに、これを介して名神高速道路との連絡を図る必要があること、かつ、大津市街部および逢坂山の狭隘な地形を避けるべきことを考慮すれば、一般国道一号との合流点は地形、周囲の土地利用状況から大津市横木地先に自ずと限定され、このことにより、湖西道路との連絡の経過地としては長等山をトンネルで通過せざるを得ない地理的制約を受けることになる。
(三) 本件ルートの選定
(1) およそルートは、地域の地形、地質等の自然的条件の範囲内で、自動車の走行性の面からは、できる限り平面線形が良好で、かつ縦断勾配が緩いことが好ましいし、また、道路投資額の効率性の面からは、できる限りトンネル、橋梁等の構造物が最小であることが好ましい。さらに、道路の社会的経済的利用価値、沿道の開発可能性を考え、できる限り平地部を通すことが好ましいことはいうまでもない。
(2) IIIルートは、右のような点を配慮して検討したものであり、大津市下阪本比叡辻町付近で現道一六一号と分岐し、これとほぼ平行に平地部を南下し、長等山をトンネルで抜けて一般国道一号に取り付くルートである。このルートは、可能な限り平地部を通つており、したがつて沿道の開発の可能性を高めるとともに、長等トンネルの延長が短く、かつ事業費も最も安価なルートであり、また、通過する平地部は、当時においてもすでにある程度の家屋が集中しており、国鉄湖西線西大津駅の設置が予定されていたこともあつて、今後さらに住宅地等として発展していくことが予想されていた。しかしながら、ここにバイパスを通すことになれば当然平地部を分断してしまうことになり、右地域の発展を阻害することになる。
(3) IIルートは、IIIルートの右の難点を考慮して検討したものであり、IIIルートから大津市坂本穴太付近で分岐し、滋賀里付近より丘陵地を南下し、長等山トンネルを抜けて再度IIIルートに合流するルートである。このルートは、人家密集地帯を避けるとともに、地域一帯に推定される埋蔵文化財を避けており、また、比較的開発の遅れている地域を通つているので地域開発に寄与することが大きいなどの点においてIIIルートより優れている。しかしながら、このルートは、大津市内における最大規模の都市公園である皇子が丘公園の中央部を分断するとともに、近江神宮の参道を分断するなどの問題点を含んでいる。
(4) II、III各ルートの右のような問題点を回避するだけならば他にもルートを考えられないではないが、いずれも原告寺域のうち文化財の集中する付近を堀割構造とトンネルで通過せざるを得ないため、滋賀国道工事事務所が、実施調査の本格的着手に先立ち、予め原告の内意を確かめてルート選定の参考とすべく、昭和四二年六月一五日付でII、III各ルートについて原告に意見照会をしたところ、同年七月原告から「境内を両分せらるることは当山千古の伝統と歴史とその宗教性を破壊し到底忍び難きをもつて遺憾ながら賛意を表しかねる」旨の回答がなされた。そこで、滋賀国道工事事務所は、原告の意を尊重したうえ、道路の安全性、建設費等の経済性および地形、地質等の自然的条件等を総合的に勘案して、できる限り原告寺域の中央部から遠ざけるとともに、皇子が丘公園の分断を避けるべく、本件ルートを作成した。本件ルートは、IIルートから大津市南滋賀町付近で分岐し、皇子が丘公園の西端を通り、長等トンネルを抜けてIIルートに合流するルートであり、建設の難易性および構造の面ではII、III各ルートの方がやや優れているが、II、III各ルートの前記問題点をすべて解消し得るものである。
3 本件事業計画の実施による影響
(一) 本件各土地の現況
(収用地について)
収用地は、原告寺域のほぼ北端境を東西に流れる熊野川の上流部に位置し、熊野川をはさむ約二〇〇〇平方メートルの土地である。地形は、熊野川を境として、北側において東向きに緩やかに傾斜している沢地であり、南側において北向きにかなり急勾配の傾斜を有している。そのほとんどは、桧の人工植林された用材林となつており、胸高直経一センチメートル程度のもの、八センチメートル前後のものおよび一二センチメートル前後のものの概ね三つの林相に分かれているほか、熊野川沿いに雑木が自然生育している現況である。
(使用地について)
使用地は、収用地より南西の方向へ帯状に延び、本件ルートのトンネル部分となる約一万三〇〇〇平方メートルの土地である。地形はかなり急峻な山であり、現況は、ほとんどが桧、杉の植林地であるが、一部には天然発芽による雑木林もある。
(二) 宗教的諸要素に対する影響
(収用地について)
収用地は、前記の場所に位置する寺域境より奥行約三五ないし五五メートル、幅員約五〇ないし六〇メートルの土地(このほか北側に約一五平方メートルの飛地がある)であり、前記のとおり用材林地として利用されているにすぎない。また、収用地と原告の諸施設との位置関係をみるに、収用地は、原告の総本堂(金堂)からは三つの尾根を隔てて直線距離で約八〇〇メートル離れている。原告寺域に存在する堂塔、伽藍および一山寺院(塔頭寺院)は、そのほとんどが総本堂に隣接するか、それより南側に集中しており、これから大きく離れて北側にあるのは、原告寺域の東北端にある新羅善神堂とその西側の法明院の二施設にとどまるのみである。収用地から最も近い建物はこの法明院であり、法明院は収用地から直線距離にして約一七〇メートルも離れた位置にある。したがつて、収用地について本件事業計画を実施することが原告の宗教活動に直接影響を及ぼすとは到底考えられない。
(使用地について)
使用地は、延長約五〇〇メートルのトンネルとなる部分であり、このトンネルは、地表から最も浅い箇所で約五メートル、最も深い箇所で約一六〇メートルの地下部分に位置する(しかも、地表からの深さが二〇メートルに満たない部分は、収用地より下り線でわずか一八メートル、上り線で四〇メートルにすぎない)から、使用地の地表面は原告の通常の土地利用に支障をきたすものではなく、原告の宗教活動に対する影響も考えられない。
(三) 風致、景観に対する影響
(1) 原告寺域については、昭和二五年七月二四日厚生省告示第一九七号をもつて当時の国立公園法一一条の二第一項により琵琶湖国定公園の区域に指定され(右は自然公園法附則三項により現行の自然公園法に基づいて指定された琵琶湖国定公園の区域とみなされている)かつ、昭和三七年一一月九日厚生省告示第三九三号をもつて自然公園法一七条一項により、総本堂を含む一帯が琵琶湖国定公園の第二種特別地域(自然公園法施行規則九条の二第二号)に、収用地を含む一帯が第三種特別地域(自然公園法施行規則九条の二第三号)に指定されている。すなわち、収用地の付近は、特別地域のなかでも風致を維持する必要性が比較的低く、農林活動を行つても原則として風致の維持に影響を及ぼすおそれが少ない地域であるとされているのである。また、原告寺域一帯(八八八万七〇〇〇平方メートル)は、風致の維持のため、当時の都市計画法一〇条二項により昭和一二年三月五日内務省告示第一〇六号(昭和四七年六月二〇日滋賀県告示第二四三号により変更)をもつて園城寺風致地区に指定されている。
(2) そして、本件ルートは、前記のとおり原告寺域からかなり離れているうえ、そのほとんどが地下をトンネルで抜ける構造となるため、地上に出るのはわずかに原告寺域北西部で上り線約五五メートル、下り線約三五メートルにすぎない。しかも、地上に出る部分は、前記のとおりの位置であつて、総本堂付近からは本件バイパスの存在を窺い知ることすらできない。しかも、収用地に一番近接している法明院は、前記のとおりの位置にあり、収用地より約三五メートル低いところに存在しているうえ、法明院と収用地との間には竹藪とか雑木が繁茂し、かつ、本件バイパスの法面等に中低木を植栽し修景に努めることにしているので、法明院から本件バイパスが直接視野に入ることはない。また、道路照明は周囲に光の漏洩を少なくするよう工夫するとともに、トンネル坑口もコンクリートの面壁を作らず、山の斜面に合わせてできる限り目立たない構造とし、その周囲は周辺に生育する桧等の樹木と同種の樹木で修景するなどすることにしている。
(3) 右のとおりであるから、本件事業計画の実施によつて原告寺域の風致、景観が損なわれるとは考えられない。
4 原告主張の本件事業認定の違法事由に対する主張
(1の(二)について)
(一) 原告寺域がその諸施設とともに原告の宗教の尊厳の形成に寄与するところが大きかつたとしても、次に述べるように、それがいわば絶対不可侵のものであり、宗教目的以外のことに使用されることが直ちに宗教の尊厳を害することになるとは考えられない。
(1) 神体山、胎蔵界憂荼羅としての長等山は、現在の原告寺域に限つたものではなく、これによりはるかに広域の長等山全体をさしているものであり、現在の原告寺域のみが由緒、伝統による宗教現象の特殊の土地であるというわけではない。また、三井寺秘仏特別開扉(会期昭和四八年一一月八日から二〇日まで)の際に発行された「園城寺」のなかの「園城寺の概要」においては「平安時代には、南都(東大寺、興福寺)北嶺(延暦寺、園城寺)の天下四個大寺の一つに数えられ、当時の寺域は、東は湖、南は逢坂山、西は如意ケ嶽を経て京都に接し、北は比叡山麓にちかいところまでの壮大なものであつた。寺は南・北・中の三院と五別所からなり数百の堂塔、僧房と数千の一山大衆を擁していたことが古絵図や記録にそのおもかげをとどめている」と述べられており、原告の寺域が歴史とともに大きく変化したことを物語つているのである。
(2) そして、現在、長等山には、その頂上付近に広大なゴルフ場が、山麓に住宅団地、ユースホステル、浄水場、市役所、市民文化会館等が建設され、原告の寺域内には、東海自然歩道が設置されているとともに、その中央部に国鉄湖西線のトンネルが約一三〇〇メートルにわたつて貫通しており(昭和四五年の工事による)、また、原告寺域における代表的施設の一つである観音堂の直下に琵琶湖疎水トンネルが設置されている(明治二三年完成)。さらにかつての原告寺域の一部が大津市役所、大津商業高校等の敷地になつているほか、原告は、昭和三〇年に寺域の一部を国有林と交換したり、昭和四七年から四八年にかけて仏堂があつた敷地を分譲したり、これとは別に約五四〇〇平方メートルにおよび寺域を譲渡したりしており、また、寺域の一部を用材の植林地として利用している。
(二) 回峯行の巡路については、起業者建設大臣は、本件事業計画の実施にあたり、収用地に隣接して存する里道が通行の用に供されていることを考慮して本件バイパスの路面下に箱型の通路(ボツクス・カルバートという)を設け、里道の従前の機能を回復するから、石仏を移転することにより従前と同様に巡拝が可能となる。
(三) トンネルを掘削すれば、最悪の場合トンネルの場所ではトンネルの高さにまで地下水位が低下するが、トンネルから離れるにしたがつて地下水位の低下は小さくなり、また、透水係数の大なる土や岩ほど地下水位低下の度合いと範囲等に及ぼす影響は大きくなる。そこで、原告が請求原因の「本件事業認定の違法事由」2の(三)で主張するように、もし国鉄湖西線のトンネル堀削により霊泉の湧出量に大きな影響があつたとすれば、それは、トンネルの位置が霊泉に比較的近いこと(最短距離約四〇〇メートル)、トンネルが霊泉よりも低いこと(約一五メートル下)およびその一帯の地質(霊泉を経て琵琶湖に至るまで基盤が一応に古生層であつて、その透水係数は花崗岩類の透水係数の約七倍で地下水を透しやすい)に大きな原因があると考えられ、本件バイパスの場合、トンネルは霊泉から最短距離にして約七〇〇メートルも離れ、かつ約六五メートルも高いところに位置し、地質もこの一帯は花崗岩類であるから、仮に国鉄湖西線のトンネルが堀削されていない状態で本件バイパスを拙削したとしても、霊泉の湧出量に与える影響は極めて小さいといい得る。そして、既に国鉄湖西線のトンネル掘削のため地下水位が大きく低下してしまつているとすれば、本件バイパスのトンネルが霊泉の湧出量に与える影響はほとんどないといつても過言ではない。
(同(三)について)
(一) A、B各ルートは、本件ルートが公益と宗教との調和を図つた最良のものであることを説明する便宜として想定しただけのものであつて、実際に本件ルートに代わり得るものとして考えられたものではない。A、B各ルートは、次に述べるように、実際には採用し得べくもないものなのである。
(1) 関係地域の地形、地質
原告寺域から皇子山インターチエンジに至る山麓斜面は、地形が急峻なうえ、地表は脆く指で押せば簡単に砂状に崩れるような風化花崗岩に覆われている。また、南から熊野川、山上川、不動川と三つの河川があるが、いずれも、地表が脆いため大雨のときには土砂の流出が激しく、砂防法二条による砂防指定地の指定を受けた河川またはそれに準ずる河川となつており、過去には氾濫した事実もあり砂防堰堤が設置されている。そして、この付近一帯は、一〇メートル以上の土石流の堆積土またはそれに類する層で地層が構成されており、したがつて溪床の勾配が急で流速の大きい溪流であるだけに洪水時の溪床の変動等が予想される。
(2) A、B各ルートの想定根拠
本件バイパスを設置するにあたつて、前記三河川を橋梁で渡るとすれば、土石流や流木の危険性を考慮して橋桁と河底との間に相当の空間を確保する必要があるし、各河川の一部または全部をトンネルで通過する場合には、前記のような事情から溪床の変動等による悪影響を受けるおそれがある。そこで、原告の寺域には全く触れないことを前提にして、右の事情を考慮し、前記各河川による影響を受けない上流部までルートを寄せたのがAルートであり、熊野川による影響を避け不動川および山上川を橋梁で渡ることにしたのがBルートである。
(3) Aルートの難点
(トンネル延長と線形について)
Aルートは、約一八〇〇メートルをトンネルとしなければならず(本件ルートのトンネル延長は約一三〇〇メートルである)、トンネル内に半径七〇〇メートルの曲線が入る(本件ルートのトンネルはほぼ直線である)。一般に、トンネル内は、それ以外の部分と比較して視界が極端に狭くなるため、車両が事故を起こす可能性が高く、ひとたび事故が発生すれば玉突き追突等連鎖の大事故となる可能性が高いところ、延長が長くなればそれだけ事故発生の件数も増加し、カーブであればなお一層条件が悪くなり、また、車両火災事故が発生した場合には、延長が長ければそれだけ排煙効率が悪く脱出が困難になり、類焼車の増大等大惨事につながることが危惧される。特に、本件バイパスの長等トンネルは、交通量が都市部と同様に多いばかりでなく、北陸圏と近畿圏とを結ぶ最短ルートであるため、大型車混入率も高いものと予測され、なお一層その危険が大きい。
(皇子山インターチエンジについて)
<1> 本件バイパスの皇子山インターチエンジは、大津市街中心部やこの周辺に集中している大津市役所、市民文化会館、大津商業高校、皇子山中学校、皇子山総合運動公園、皇子が丘公園等の公共、文化、教育、体育運動施設へ最も近い連絡路として、利用者への便宜供与をはかるうえからその重要が非常に高く、一方各施設および人家が密集した市街地中心部からの利用者が非常に多いと考えられ、利用度も最も高いインターチエンジであり、どうしても設置することが必要である。また、その設置位置については、取付道路の縦断勾配等から考えて皇子山地区の谷間に設置せざるを得ない。
<2> Aルートを採用する場合、皇子山インターチエンジは、本件ルートよりさらに山側の、宇佐山トンネルと長等トンネルとの間の谷間に設置する必要があるが、これらのトンネルの間隔は極めて狭く、インターチエンジの連絡路は、これをトンネル構造にすることは不可能であるため、深さ六〇メートル、長さ四〇〇メートルの大幅な掘割構造にせざるを得ない。しかしながら、この掘割する谷間は水車谷と呼ばれ、前記のとおり指で押せば簡単に崩れる脆い地質であるため、このように人工的に高い急な斜面を造れば災害の発生するおそれは十分考えられる。また、このインターチエンジの部分の掘削土量だけで約一〇〇万立方メートル(現在一般道路を走行している大型ダンプカー積載量の六立方メートル以下に換算すれば一六万台以上に相当する。因に、皇子山における工事の土砂搬出の実積では一日最高八〇台である)にも達することになるため、これらの膨大な量の土砂につき捨場を見つけて処理することは事実上不可能に近い。
(支障物件について)
Aルートの皇子山インターチエンジ予定地には、昭和四七年当時から既に鉄筋コンクリート五階建の市営住宅や一般住宅が建ち並んでいたばかりでなく、現在では人家が密集しており、特に、掘割の箇所においては大規模な団地が開発されているため、多数の家屋が支障となる。
(4) Bルートの難点
(トンネル延長と線形について)
Bルートは、約一六〇〇メートルをトンネルとしなければならず、トンネル内が曲線半径五〇〇メートルのS字カーブとなり、しかもS字カーブの途中に路面の最上部があり、トンネル前後の縦断勾配は道路構造令の特例の五パーセントになつている。したがつて、トンネルの前後は急勾配でもトンネル内は緩い勾配であり、急勾配でアクセルを一杯に踏み込んでやつと上つてきた車が、トンネルに入つた途端に視界が狭められ、急に勾配が緩くなつてスピードが上昇するとともに、S字カーブが始まり、しかも前後に車両が多い状態では、危険性が大である。
(溪床の切下げについて)
<1> Bルートの上り車線は山上川の横架地点が本件ルートより七〇メートルも上流側になるため、橋梁が河底につかえることとなるが、前記のとおり橋梁の桁下には空間を確保する必要があるため、本件ルートの真下に昭和四七年設置された高さ八メートルの砂防堰堤(既に堆砂で満杯近くなつている)を除去し、なお溪床を一〇メートルも切り下げる必要がある。
<2> 現在山上川の流域は、砂防堰堤によつて溪床が上昇し、勾配が緩やかになり、溪床が広がつて全体的に安定した状態となつており、また、笹、竹、杉等の根の張る自然植生によつて斜面の安定が保たれているが、右のように砂防堰堤を除去し、溪床を切り下げることは、ようやく安定した要素をすべて取り除くこととなり、斜面の浸食が一挙に助長され、砂防堰堤以前よりなお一層危険な状態になる。
(5) A、B各ルートの共通の難点
(南坑口付近について)
長等山トンネル南側の大津市藤尾奥町地区では、狭隘な平地部にルートを設定せざるを得ないが、右地区は狭隘な谷間の集落であるから、希少な平地を奪つてしまうことは土地利用の面からも好ましくない。
(自然環境への影響について)
A、B各ルートおよび本件ルートとも、琵琶湖国定公園、園城寺風致地区に指定された長等山の琵琶湖に面する山腹斜面を通過することになるため、ここに道路を建設する場合にはできる限り自然保護を配慮した方法によるべきであるが、本件ルートが右山腹の掘削土量三万立方メートルであるのに対し、Aルートは、前記のとおり水車谷から早尾神社近くまで約一〇〇万立方メートルの掘削土量となり、Bルートは、山上川左岸の琵琶湖に面する斜面で掘削土量約一二万立方メートルのほか、山上川の溪床の切下げおよびこれに伴う砂防対策のための山上川左右岸山腹の膨大な切土を生じ、その自然破壊ははかり知れないものがある。
(地下水への影響について)
A、B各ルートおよび本件ルートについて地下水への影響範囲を水理解析によつて予測調査した結果によると、本件ルートに比較してA、B各ルートともその影響範囲が大きくなる。なお、トンネル内に湧出した地下水は、本件ルートでは熊野川を介して原告寺域に還元されるが、A、B各ルートでは、その各坑口の位置からいつて熊野川以外の河川に流出せざるを得ず、原告寺域への還元は困難である。
(工事の施行について)
A、B各ルートは前記のように極めて大規模な山腹斜面の掘削工事を伴うが、これらの工事は、地質が脆いことや工期が長期間続くことにより、極めて多くの困難と危険を伴う。また、A、B各ルートは、本件ルートに比較してトンネル延長が長く、山腹斜面の掘削工事もはるかに大規模となるから、建設費の増大は莫大なものとなる。
(完成後の維持管理について)
A、B各ルートは、本件ルートに比較してトンネル延長が相当長く(トンネルの維持管理費は換気、照明等トンネル以外の部分より極めて膨大なものとなる)、加えて大規模な不安定な法面を生ずるなどその維持管理費の増大は無視できない。
(二) A、B各ルートおよび本件ルートが土地所有権の取得を要する部分についてみると、本件ルートにかかる起業地のうち国有地は約二万四〇〇平方メートルであるのに対し、Bルートを起業地とした場合の国有地は約一万六五〇〇平方メートルであり、Aルートには国有地はほとんどない。
(2の(一)について)
法一一条ないし一五条は、その必要もないのに事業の準備のため他人の占有する土地に立ち入つて測量または調査をすることを要求しているものではないところ、本件バイパスについて、起業者建設大臣は、空中写真測量、原告寺域周辺での地表踏査および既往文献資料等を参考にして本件ルートを決定したものであつて、必ずしも原告寺域内に立ち入つて測量または調査をする必要がなかつたのであるから、何ら手続上の違法はない。
(同(三)について)
起業者建設大臣は、本件ルート採用後、原告に対し本件ルートが最良のルートである所以を説明して、その理解を得るべく努力を重ね、さらに、三点申入れに対しても、本件ルートのほかこれと比較するためのA、B各ルートを図示した図面を原告に交付して、本件ルートが最良のルートであることを繰り返し誠実に説明している。
(同(四)について)
起業者建設大臣が一年以内に裁決申請および明渡裁決の申立てを行わずに旧事業認定を失効させたのは、原告の意を尊重して任意で解決する方針であつたからである。このことは、右期間内に事業認定申請区間内の原告を除く六件について裁決申請および明渡裁決の申立てを行つていることからも明らかである。ところが、その後、起業者建設大臣は、原告と任意交渉による解決をはかるべく協議を重ねたが、解決しなかつたためやむなく被告建設大臣に対し改めて事業認定の申請を行つたものである。
(同(五)について)
起業者建設大臣はルートの変更を約したものではない。佐々木近畿地方建設局長が提示した新案は、起業者建設大臣として宗教の尊厳に対するできる限りの配慮を行つたものであり、また、長等山の風致景観に与える影響を考慮し、自然環境を極力損なわないようにするとともに、トンネル坑口付近の修景等についても特段の配慮を行つたものである。
(同(六)について)
法二二条、二三条による各意見聴取を行うことが必要であるかどうかの判断は、正に行政庁の自由な裁量にゆだねられているところであるから、原告主張の状況があつたとしても、被告建設大臣が右の各意見聴取を行わなかつたことがその裁量権の踰越または濫用の違法にあたるものではないことは明らかである。
5 以上が述べたとおり、本件事業計画が法二〇条三号所定の「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」の要件を具備していることは明らかであつて本件事業認定に実体的違法はなく、また、本件事業認定には何ら手続的違法もない。
(被告収用委員会および同訴訟参加人建設大臣)
1 被告建設大臣の主張と同じ。
2 次に述べるとおり、本件各裁決の手続には審理不尽の違法はない。
(一) 被告収用委員会の会長は、損失の補償に関する事項につき、第四回、第五回、第七回の各審理において、原告に意見陳述を促しており、一方、原告も、審理に先立つて提出した意見書のなかで、トンネルとして使用する土地を無償とする起業者建設大臣の意見に対して異議を述べたほか、第五回、第八回、第九回の各審理において、損失の補償に関する事項について意見陳述を行つている。
(二) 被告収用委員会は、第九回審理の後、株式会社谷沢総合鑑定所に依頼して、本件各土地の収用、使用および明渡しに伴う正当な損失補償額について職権で鑑定をなしたが、右鑑定はいわゆる調査のための手続として行われたものであつて、その結果を審理手続にのせなければならないというものではない(法六三条四項参照)。法は、当事者が参加する審理手続において十分に審査を尽す一方、審査の迅速適正をはかるため、収用委員会が独自の立場で審理手続外において資料を収集することを認めているのであり、すべての手続を審理手続にのせて行うことを要求しているのではないのである。なお、被告収用委員会がなした右鑑定については、原告が指摘したトンネルの使用料が全然ないのは不合理だという問題を含めて鑑定をなす旨を当事者に申し渡し、鑑定人の人選について予め原告の同意を得、さらに、職権鑑定を行つている旨の報告もしている。
四 被告建設大臣の主張(被告収用委員会および同訴訟参加人建設大臣の主張1)に対する認否および反論
1 1のうち、(一)の冒頭部分、(1)は認めるが、(一)の(2)ないし(4)、(二)は争う。被告建設大臣主張の交通量増加は、毎月二〇数日間にわたつて開催されている競輪、競艇のギヤンブル客の往来が主たる原因となつている。現に、一般国道一六一号の浜大津交差点から競艇場(茶が崎)を経て二本松びわ湖競輪場前までの二・五キロメートルの区間においては、中央線変移システムが導入され、競輪、競艇客の車で込み合う時間帯には中央線を移動させる方法がとられているのである。
2 2の冒頭部分のうち、昭和四二年度から起業者建設大臣が本件バイパス事業を進めることになつたこと、昭和四三年六月本件ルートが決定したことはいずれも認めるが、その余の2は不知。
3 4の「1の(二)について」の(一)の(1)のうち、神体山、胎蔵界曼荼羅としての長等山は、現在の原告寺域に限つたものではなく、これよりはるかに広域の長等山全体をさしているものであり、現在の原告寺域のみが由緒、伝統による宗教現象の特殊の土地であるというわけではないことは認める。
4 同(2)に対する反論
(1) 東海自然歩道(昭和四六年七月一六日滋賀県告示第二八一号により指定)は、国民の教化休養に糧するためのものであり、しかも従来からあつた山道がそのまま指定されたものであるから、宗教活動を阻害するものではない。
(2) 国鉄湖西線のトンネルについては、原告は、宗教、信仰上の理由からこれに反対していたが、鉄建公団から、他に軌道路線を変更することは技術的に困難であり、地下水脈にも影響がないという説明があつたため、国益に協力し済世利人の実践精神から承諾したものである。
(3) 琵琶湖疎水トンネルは社寺領上知令等によつて原告寺域が国有であつた時代に設置されたものであつて、原告が右トンネル部分を処分したものではない。
(4) かつての原告寺域の一部が大津市役所、大津商業高校等の敷地になつているのは、慶応四年から明治六年における国情から鎮台の兵営に召し上げられて九連隊の兵営となり戦時中陸軍用に使用されていたものが、戦後国が大津市等に払い下げた結果によるものである。
(5) 原告寺域の一部と国有林との交換については、農林省から営林署の建設用地とするので寺域の一部を国有林と交換してほしい旨の要請があつたところ、右国有林は社寺領上知令等によつて国有になるまでは原告寺域の一部であつたもので、しかも観音堂の水資源のために必要であつたことから、これに応じたものである。
(6) 仏堂跡地等の処分については、この土地は一般民家、住宅地を隔てて二キロメートル程離れた飛地で明治以来衰微していた別所であり、建物(原告の従業員宿舎として使用していた)は朽廃して維持管理に耐えなくなつていたため、処分したものである。
(7) 寺域の一部を用材の植林地として利用していることについては、右地域は琵琶湖国定公園の第三種特別地域であるから自然公園法一七条により木竹の伐採等現状変更には知事の許可が必要であるところ、原告は、台風や雪害、虫害等によつて折倒したり枯死した樹木の伐採を知事に申請し、その許可条件として示された知事の指示に従つて植林しているものであつて、境内地の尊厳保持のため法に従つて行つている保存行為である。
5 4の「1の(三)について」の(一)は争う。被告建設大臣が主張するところは、原告の同意が得られないまま原告寺域を南北から挾み撃ちするように工事を進行させて既成事実を作りあげ、これを前提として、既成ルートの延長として原告寺域を外すルートを設定する場合の難点をいうにすぎない。同(二)は不知。被告建設大臣は起業地のうち収用部分の国有地を計上しているにすぎず使用部分を計上していない。これを計上すると、A、B各ルートはほとんど国有地になる。
第三証拠関係<省略>
理由
第一本件事業認定について
一 請求原因のうち「本件各行政処分」の1は、当事者間に争いがない。
二 そこで、まず、実体的違法事由の有無(本件事業認定が法二〇条三号所定の要件を満たしているか否か)について検討する。
(一) 法二〇条は、事業の認定をするにあたつては一号ないし四号の要件を充足することを要求しているが、右各要件が自由裁量事項であるか否かは法文の形式、趣旨、目的に照らして決すべきところ、四号の公益性に関する判断は行政庁の専門技術的、政策的判断を尊重せざるを得ないため自由裁量に属するものと解すべきであるけれども、三号の要件は、その判断事項が収用制度の根幹にかかわるものであり(法一条、二条参照)、しかも事業の認定が収用権の発動という国民の権利を剥奪するに至る一つの処分であることに鑑みれば、その判断は覊束されているものと解するのが相当である。そして、法が「公共の利益の増進と私有財産との調整を図り、もつて国土の適正且つ合理的な利用に寄与することを目的とする」(一条)ものであることに照らすと、三号所定の「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」という要件は、当該土地が当該事業の用に供されることによつて得られる公共の利益と、当該土地が当該事業の用に供されることによつて失われる利益とを比較衡量した結果、前者が後者に優越すると認められる場合をいうものと解するのが相当であり、その判断にあたつては、事業認定にかかる事業計画の内容、事業計画が達成されることによつて得られる公共の利益、事業計画において収用の対象とされている土地の状況、その有する私的ないし公共的価値等を総合的に検討して行うべきものと考えるので、以下この観点に立つて本件事業計画が三号の要件を充足しているか否かについて検討する。
(二) 本件事業計画の内容
本件事業計画が自動車交通量が増加した一般国道一六一号の第二次改築工事の一環として西大津バイパス事業(延長約一一・〇キロメートル)の一部区間を計画するものであり、別紙目録記載の内容を有することは、いずれも当事者間に争いがない。これに加えるに、いずれも成立に争いのない甲第七六、第七九号証、証人田尻文宏の証言を総合すると、長等トンネルが原告寺域(すなわち原告所有地。以下同じ)を通過する部分は、標高を約一八〇メートルとし、地表からの距離を一番浅い箇所で約五メートル、一番深い箇所で約一六〇メートル、二〇メートル未満の箇所は下り線(東側ルート)で延べ約一八メートル、上り線(西側ルート)で延べ約四〇メートルと計画され、熊野川には橋梁を設置することが計画されていること、さらに、起業者建設大臣は、<1>長等トンネルの北坑口について、その位置を山の面と道路が交差する熊野川の箇所まで北側に出す(そのため通常の場合に比べて一二ないし一五メートル北側寄りとなる)ものとし、坑門は目立たないようにするため壁面を有しない竹割型とし、山の切取りを最小限にとどめるとともに切り取つた部分には元の土や植生によりできるだけ元の姿に修復し、<2>長等山の環境保全について、トンネル内の自動車の排気ガスは坑口からの排出量を極力少なくするように換気するとともに換気塔は原告寺域外に設置し、熊野川付近の道路法面には中低木の植栽を施し、道路照明は周辺に光の漏洩がないよう工夫し、<3>熊野川の環境保全について、トンネル内の湧水は集中して熊野川に環元し、トンネル内の路面排水は湧水と完全に分離して熊野川に設置されている取水口から下流まで樋管で導水して放流し、自動車等から熊野川に廃棄物が投げ込まれないように美観を損なわない範囲で柵等を設置することを計画していることが認められる。
(三) 本件事業計画が達成されることによつて得られる公共の利益
(一般国道一六一号等の状況)
(1) 一般国道一六一号の概要およびこれが果たしている役割が被告建設大臣の主張1の(一)の(1)のとおりであることは、当事者間に争いがない。
(2) いずれも成立に争いのない甲第三一、第四九号証、乙第一号証の一ないし一〇、第三号証の一、二、第七号証、第一一号証、証人田尻文宏の証言、検証の結果を総合すると、以下の各事実が認められる。
(イ) 一般国道一六一号を利用して京阪神方面へ向かう主要な経路としては、<1>浜大津交差点で直角に右折し、逢坂一丁目交差点において一般国道一号に合流し、逢坂山の峠を越える経路、<2>浜大津交差点から県道大津湖岸線を経て琵琶湖文化館前交差点で右折し、市道六七三号線を介して本宮交差点において一般国道一号に合流し、逢坂一丁目交差点を経て逢坂山の峠を越える経路、<3>浜大津交差点から県道大津湖岸線を経て琵琶湖文化館前交差点で右折し市道六七三号線を経て一般国道一号を横断し、大津インターチエンジから名神高速道路に入つてこれを西進する経路がある。
(ロ) 一般国道一六一号においては、これが前記のように重要な役割を担う幹線道路であるため、年々交通量が増加し、これに対処すべく昭和三九年度までに完了された第一次改築工事(主に舗装工事)後も、増加の一途をたどり、これら通行車両は前記<1>ないし<3>の経路により福井県敦賀市や湖西方面から、あるいは京阪神方面から大津市内に流入している(昭和五一年八月八日滋賀県警察本部交通部が実施した交通量調査の結果によると、右国道の滋賀県高島郡今津町弘川における午前七時から午後七時までの通行車両は八七五二台で、前年より四一七六台減少しているのであるが同時に調査された県道大津湖岸線の大津市打出浜琵琶湖文化館前においては二万八九一六台で、前年より五四六五台増加していること、および昭和五三、四年ころの右国道の通行車両が大津市尾花川で一二時間に二万五五六三台、同市茶が崎で一日三万三〇〇〇台であつたことをみれば、少なくとも、大津市内に流入する通行車両が増加していることは明らかである)。そのうえ、大津市内の区間においては、信号交差点が短い間隔で多数存在していること、道路が浜大津交差点で直角曲りをしていること、浜大津交差点から京都方面へ京阪電鉄京津線が約六〇〇メートルにわたつて併設され、その併設区間には三箇所の踏切りがあることから車両の円滑な通行が妨げられ、<1>の経路を通行する車両や混雑する<1>の経路を避けて<2>、<3>の各経路を通行する車両によつて大津市内の一般国道一六一号、県道大津湖岸線および市道六七三号線は慢性的な交通混雑を呈しており、殊に、年末年始、お盆の帰省シーズンや夏、冬のレジヤーシーズン(琵琶湖西岸には多数の水泳場やスキー場がある)、さらに琵琶湖西岸の一般国道一六一号沿いにある競輪場や競艇場の開催日には著しい交通渋滞を惹起している。そこで、滋賀県警察本部は、右国道について、浜大津交差点から逢坂一丁目交差点までの区間に大型車進入禁止の時間規制をしたり、柳が崎交差点付近から浜大津交差点付近までの区間に中央線変移システムを導入したりして交通混雑の緩和に努めている。
(ハ) このような対策にもかかわらず、交通混雑は一向に解消せず、交通混雑を避けた車両が大津市内の狭い道路にまで進入するため、昭和四九年一二月ころ大津市長等学区自治連合会会長ほか二二六六名の大津市民が大津市議会議長に対し、昭和五一年四月ころ大津市全学区自治連合会会長ほか四万四九三七名の大津市民が建設大臣に対し、このままでは交通事故が多発し、騒音、排気ガス等の交通公害も甚だしくなつて市民生活に重大な危険を及ぼすことを理由として西大津バイパスの早期開通を要望している。
(本件ルート選定に至る経緯)
(1) 昭和四二年度から起業者建設大臣が本件バイパス事業を進めることになつたこと、昭和四三年六月本件ルートが決定したことは、いずれも当事者間に争いがない。
(2) 右の各事実と、いずれも成立に争いのない甲第五九号証の二、第七一、第七二号証、乙第一一号証、証人田尻文宏の証言とを総合すると、以下の各事実が認められる。
(イ) 昭和三九年ころ、滋賀県は、前記のような大津市内の交通混雑を解消するためにはバイパスの建設が必要であると考え、日本道路公団に対して有料道路建設の事業実施を依頼した。日本道路公団は、これを受け、昭和四〇年から四一年にかけてバイパス建設について調査を行つたが、昭和四二年に至つて起業者建設大臣がこれを引き継ぐことになつた。
(ロ) 起業者建設大臣は、まず、一般国道一六一号を拡幅するか、新たにバイパスを建設するかについて検討したが、拡幅する場合には、<1>前記のような多数の信号交差点、浜大津交差点における直角曲り、京阪電鉄京津線との併設という従来の難点を存置したままとなつて交通混雑の緩和には役立たないこと、<2>右国道の大津市内沿道には人家が多いため、用地を確保するのに時間と費用がかかること、<3>国道の交通状況に鑑みると、これを供用しながら工事をすることは安全上問題があるうえ、その間の交通混雑もひどくなることの各難点があるということから、その採用には至らなかつた。
(ハ) 次に、琵琶湖湖岸沿いの局部的なバイパスを建設することについて検討したが、これも、<1>琵琶湖湖岸沿いには人家が密集しているため、用地の取得が困難であること、<2>局部的なバイパスを建設するとしても浜大津から逢坂山までは拡幅によらざるを得ないところ、逢坂山の峠は地形が急峻で崩落のおそれがあるためその拡幅は困難であり、そもそも、拡幅では前記(ロ)の<1>と同様の難点があつて交通混雑の緩和には役立たないことの各難点があるということから、その採用には至らなかつた。
(ニ) そこで、長等山に本件バイパスを建設する以外に方法はないということになり、航空測量写真、地質図、地質の概要図その他地形、地質、地物、公園関係、埋蔵文化財関係の各資料に基づきI(本件ルート)、II、IIIの各ルートを想定して比較検討し、その際、原告に対しII、III各ルートが原告寺域内を通過する部分を示した図面を添付の昭和四二年六月一五日付書面をもつて意見照会を行つたが、原告からは同年七月一日付書面をもつて「境内を両分されることは当山千古の伝統と歴史とその宗教性を破壊することになるので賛意を表しかねる」旨の回答があつたので、これをも勘案したうえで、本件ルートはII、III各ルートに比べて構造的に建設が難しく、経費がかかるものの、住宅地、皇子が丘公園、近江神宮の参道等の分断という地域社会への影響を回避できるということから、昭和四三年六月本件ルートが採択されるに至つた。
(結論)
以上によると、一般国道一六一号は、琵琶湖西岸地域の唯一の幹線道路であるとともに北陸圏と近畿圏とを最短距離で連絡する基幹道路であるため、右の各地域と近畿圏とを社会的、経済的、文化的に結ぶ重要な役割を担つており、これを通行する車両も年々増加しているにもかかわらず、大津市内の区間においては多数の信号交差点、浜大津交差点における直角曲りの線形、京阪電鉄京津線との併設という悪条件が重なつて輸送効率を極端に悪くしており、県道大津湖岸線や市道六七三号線をも巻き込んで慢性的な交通混雑を呈するとともに時期によつては著しい交通渋滞を惹起している。このことは、右の各道路における交通事故発生の危険性をはらんでいるのみならず、右の交通混雑や交通渋滞を避けた車両が大津市内の狭い道路に進入して地域住民の健康、身体に重大な危険を及ぼすことにもなつており、将来予想される交通量の増加に鑑みるとこれらの状況はますます悪化することが懸念される。してみると、一般国道一六一号あるいは一般国道一号により大津市内に流入する大量の車両を安全、迅速に処理して右の状況を解消あるいは緩和するためには新たにバイパスを設置しこれを介して右車両を一般国道一号あるいは一般国道一六一号へ流出させる緊急の必要があるというべきであり、西大津バイパスの一部区間を企図する本件事業計画は高度の公共的必要性を有しており、本件事業計画が達成されることによつて得られる公共の利益は甚だ大きいものがある。
(四) 原告寺域の有する宗教的文化的価値
(1) 原告が、宗派を天台寺門宗とする宗教法人であつて、「弥勒菩薩を本尊として宗祖智証大師所流の円密禅戒の四業と修験道の教義を宣揚し儀式行事を執行し祖訓に則り、信者を教化育成してもつぱら済世利人の実践に努めその他天台寺門宗の総本山としてのこの寺院の目的を達成するため業務および事業を行う」(宗教法人登記事項による)ことを目的としていることは、記録上明らかであり、原告代表者尋問の結果によると、その教義の特徴は、法華経(顕教。円教ともいう)と大日経(密教。なお、密教とは人間の知性では窺い知ることのできない教えという意味であり、その最も端的な信仰形態としては、密教の信仰をもつ者はだれでも口に真言を唱え、手に印契を結び、心を仏の三摩地((悟りの境地))におけば、仏の身口意の三密と修行者の三密とが加持感応するから、この身このまま仏になることができる((即身成仏))と説くものであるといわれている)とを融合した天台宗の教えに、日本古来の山岳信仰と密教の呪法、行法との習合による実践仏教、実践信仰の行である修験道を加えた顕、密、修験三道融会の教風にあることが認められる。
(2) いずれも成立に争いのない甲第四、第五、第一〇、第九三号証、乙第四号証、いずれも原告代表者尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第六四ないし第六六号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六七ないし第七〇号証、原告代表者尋問の結果を総合すると、以下の各事実が認められる。
(イ) 識者によると園城寺における一山曼荼羅信仰、湧水(霊水)信仰、修験道による山岳信仰について次のようにいわれている。
原告寺域の存する長等山は古来より神山(神体山)、神々の並座(なみくら)の山(これが訛つて山名になつたと伝えられている)として神聖視されるとともに、これと表裏一体の関係でこの一帯に湧出する地下水も無限の霊力を発揮するものとして神聖視され、この霊水の湧出する場所は古代人の祭祀の場として崇拝されてきた(例えば、早尾社境内を流れる不動川、三尾社の存する琴尾((音))谷、園城寺金堂西隣の閼伽井)。その後、弘文天皇の皇子大友與多王は壬申の乱(六七二年)によつて戦没した父帝追善のため田園城邑を投じて(ここから園城寺の名が由来したものと伝えられている)この地に氏寺(神祠)を建立し、以後大友氏がこれを営んでいたが、平安時代の初めころ、入唐求法から帰朝した(八五八年)智証大師円珍はこの地に園城寺を開き、ここを天台密教(台密)の道場とした。そして、円珍あるいはその門流は、霊水とされていた閼伽井の水を台密最高の行法である伝法灌頂会(三部灌頂会)の法水に用い(ここから御井寺と称されていた園城寺を三井寺と称するようになつたと伝えられている)、また、公には認められていなかつた修験行者を台密の中に正当な位置を与え、自ら熊野三山検校(熊野の信仰を支配、統括する勅令の職)を兼ね、後には熊野権現を熊野社に観請して長等山をもつて修験道場の熊野三山に擬し、ここを修験道の聖なる行場とするなど台密の中に自然信仰である湧水信仰や神体山信仰、修験道による山岳信仰を習合してゆき、さらには、中古仏教の本覚界想(その思想内容は、徹底的な現実肯定論であつて、現実のありとあらゆるもの、またいかなるありようもすべてそのまま仏身法界そのものであるという考え方であり、煩悩即菩堤、一即一切、此土即仏界等といつて絶対的に現実を肯定するものである)の影響のもとに、長等山をもつて曼荼羅、すなわち長等山全体を神秘霊妙な山、そのまま仏国浄土であり、その一木一草、一水一石に至るまでことごとくが仏身であるとする思想にまで徹底していつた(なお、円珍の教学によつても園城寺一山を胎蔵界の曼荼羅にかたどり、胎蔵界の四菩薩たる弥勒、文殊、普賢、観音の影向した土地であると説いている)。原告に伝わる「本寺の三宝」と呼ばれる画幅は、この一山曼荼羅信仰の信仰形態を図絵にあらわし、弥勒菩薩を中心にして、その上下左右に尊皇王、黄不動尊、十八明神、新羅明神、三尾明神、護法善神、山王権現、智証大師の図像を配列しているが、原告の宗教施設もこれに従つて配置されており、弥勒は一山の中枢たる金堂の本尊、文殊は新羅明神の本地仏、普賢は地主神たる三尾明神の本地仏、観音は護法善神たる訶利帝母神の本地仏とそれぞれに配当され、不動尊は黄不動尊画像を円珍像とともに唐院に安置するという形をとつている。
(ロ) 園城寺流の僧侶の修行過程の中には台密を実践する遮那業の長等山回峯行(「四度加行」と呼ばれる百日一期の行儀と「初行護摩加行」と呼ばれる三五日一期の行儀とがある)があり、その根底にあるものは長等山自体を神体として一木一草、一水一石あらゆる神祠仏堂を礼拝し遶堂巡峯するというものであるといわれ、行者は閼伽樋で閼伽井の水を汲み、これを持つて一歩一歩が蓮台の上を歩く観想をして口に真言を唱えながら巡り歩き、自坊に帰つてその水を仏に供えるのである。その回峯巡路は、江戸時代のころには、「まず自坊の本尊法楽の後、出発し、金堂を最初に閼伽井等を巡拝し、唐院にゆき、三尾大明神社辺を一用し、南院の観音堂を経て、さらに麓の仁王門に下り、北行して新羅明神、常在寺に歩みゆき、早尾明神、岩神(千石岩)等を遥拝して自坊に帰つて一巡しておわる」というものであつたといわれているが、その巡路は現在もほとんど変わらず、行者は専ら原告寺域の東側を巡峯している。一方、ここには修験道の長等山回峯行もあつて、毎年七月二二日のほか、修験における最高の行法である深仙灌頂あるいは当道秘法といつた伝法のときに、行者は心に一歩一歩蓮台を踏みしめながら、本件各土地のうち収用地内に安置されている石仏二一体等の礼拝対象物を拝んで巡峯する。また、閼伽井の水は右のように遮那業の長等山回峯行に用いられているほか、現在でも伝法灌頂会の法水に用いられている。
(ハ) 仏教関係者は、次のように述べて本件バイパスの路線を原告寺域外に変更するよう起業者建設大臣等に要望し、あるいはその旨を決議している。
天台宗関係の寺院(昭和五〇年一〇月一日) 天台仏教は歴史的にみても明らかなように山岳仏教として発達してきたもので、霊山信仰は今も脈々としてその流れを受け継いである。その意味において霊山の中心部をトンネルで抜かれることは信仰のよりどころを破壊することになり、到底私たち宗教者としては耐え得るところではない。
天台寺門宗第四七回宗議会(同年五月二〇日)、同第五三回宗議会(昭和五三年五月二三日) 本件バイパスの園城寺境内通過は全く総本山の尊厳と祖山の宗教性を破壊するものである。
大津市仏教会(昭和五一年八月二五日、昭和五三年六月一七日)長等山園城寺は古来古仙伏蔵の聖地といわれ三井霊泉、閼伽井竜神、熊野権現等による修験道修行の霊山としての特性と慣習があり、また大津の鎮山として崇仰されているところである。われわれ地元の仏教同信同朋たる大津市仏教会としても霊山園城寺の破壊を座視することができない。
滋賀県仏教会(昭和五三年三月一一日) 長き歴史と伝統を有する長等山園城寺は観想修行の道場として、また修験道練行の霊山として一〇〇〇余年の法灯を受け継ぎ、全国一〇〇万教信徒が尊崇する信仰の聖山である。われわれ同信仏教者として誠に重大な問題であり、座視するに忍びない。
三井寺婦人会(昭和五五年五月五日) 三井寺は一三〇〇年の伝統と尊厳を今日まで持ち続け、霊山長等山三井寺として宗教、信仰のうえからも、また文化のうえからもかえがえのない聖域である。また、長等山聖域の地下水は三井寺の生命であり、他にかえがえのない法の水であり、信仰の水である。これに影響でもあれば大変なことである。
(3) 以上によると、原告寺域は原告僧侶や天台寺門宗信徒により曼荼羅そのものとして信仰の対象とされる聖地であるとともに、天台寺門宗の重要な行儀である遮那業の長等山回峯行、修験道の長等山回峯行、伝法灌頂会という宗教活動を行うのに必須の境内地となつており、このことは広く仏教関係者からも認知されているところである。しかも、原告寺域内にはその信仰にとつて重要な宗教施設が存し、これはまた原告寺院が以上のように長い歴史と伝統を有するところからわが国の歴史と宗教文化を知るうえでかけがえのない貴重な宗教施設であることが知られており、これらのことからすると、原告寺域は無視することのできない貴重な宗教的文化的価値を有しているものということができる。
(五) 原告寺域の状況
原告が国鉄湖西線のトンネル工事を了承し、右トンネル工事の着手後閼伽井の湧水が減水したことは、原告と被告建設大臣との間では争いがなく、同収用委員会との間では同被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。右事実と、いずれも成立に争いのない甲第一〇、第二五、第二九、第七六、第八九、第九三号証、乙第四、第一一、第一四、第一五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一三号証、いずれも昭和五四年四月一三日本件事業計画にかかる地域およびその付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第一号証の一、二、いずれも同年一一月二九日園城寺の仁王門付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第二号証の一ないし四、いずれも同年一二月一八日園城寺の観音堂付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第二号証の五ないし一四、証人田尻文宏の証言、原告代表者尋問の結果、検証の結果とを総合すると、以下の各事実が認められる。
(1) 平安時代のころ、原告の寺域は東は琵琶湖、南は逢坂山、西は如意ケ嶽を経て京都に接し、北は比叡山麓に近いところまでの壮大なものであり、寺は三院(中院、南院、北院)五別所からなり、中院には金堂、唐院、熊野社、護法善神を祀る護法社等、南院には三尾明神を祀る三尾社、山王権現を祀る新日吉社(長等神社)、十八明神等、北院には新羅明神を祀る一山の総鎮守たる新羅社、法明院等、五別所には常在寺(ここには千石岩を神体とする早尾社があつた)等と数一〇〇の堂塔、僧房を擁していたといわれているが、その後種々の社会的、政治的状勢等の変化により変遷を重ねて、原告の寺域は長等山東部の一画に縮小し、寺域外の寺社は消失あるいは原告から分離(例えば、早尾社、三尾社、新日吉社)している。そして、原告の信仰上および文化的にも重要な宗教施設とされている金堂、閼伽井、唐院、護法社、観音堂等は原告寺域の南東端に集中し新羅社は北東端にあつて、本件各土地を含む寺域の西方は杉や桧の植林地、竹や雑木の山林となつている。金堂と本件事業計画による長等トンネルとの距離は約八〇〇メートルであつてその間には三つの尾根があり、金堂から本件事業計画によつて建設される道路を見通すことはできず、また原告の宗教施設のうち右道路に最も近接している法明院は右道路から約一七〇メートル離れており、ここからも右道路を見通すことはできない。なお、原告寺域は琵琶湖国定公園の第二種特別地域(自然公園法一七条一項、同法施行規則九条の二第二号「第一種特別地域((同条一号『特別保護地区に準ずる景観を有し、特別地域のうちでは風致を維持する必要性が最も高い地域であつて、現在の景観を極力保護することが必要な地域をいう』))及び第三種特別地域以外の地域であつて、特に農林漁業活動についてはつとめて調整を図ることが必要な地域をいう」)、第三種特別地域(同条三号「特別地域のうちでは風致を維持する必要性が比較的低い地域であつて、特に通常の農林漁業活動については原則として風致の維持に影響を及ぼすおそれが少ない地域をいう」)に指定されており、本件各土地のうち収用地および使用地北側約三分の二の部分は第三種特別地域であり、使用地のうち南側約三分の一の部分は第二種特別地域である。
(2) 昭和四五年二月ころ鉄建公団は原告の承諾を得て国鉄湖西線(昭和四七年ころ別紙ルート関係図表示の位置に完成した)の長等山トンネル(標高約一〇一メートル)の建設工事を藤尾側から着手したが、同年四月ころ閼伽井の湧水、光浄院および法明院の各庭園の湧水が減少し始め、結局、閼伽井の湧水は減少したまま復水せず、右各庭園の湧水は枯渇してしまつた。鉄建公団は、原告の承諾を得るにあたり、原告に対し、今後の渇水に備えて一九箇所の各寺院に上水道設備を施行すること(原告寺域内には防火用水と一部雑用水のための水道設備があつたが、各寺院とも主として溪流水と自然湧水を飲料に利用していた)、実害を生じた場合は誠意をもつて対処することなどを約束していたので、これに基づき、右の各寺院に上水道設備を施工したほか、七箇所の井戸を堀削し、熊野川から導水する設備を施工した。そのため、現在の閼伽井は、わずかな湧水に井戸水を補い、井戸揚水ポンプが故障したときには熊野川の水を補つている状況にある。
(六) 結論
前述のとおり原告の寺域は貴重な宗教的文化的価値を有しているが、信仰者各人の精神作用の面においては格別、この内心の表現である宗教活動や宗教施設の面から考えると、原告寺域の全体がすべて均等の価値を有しているものとは考えられず自ずとそこには価値の差異があるというべきところ、遮那業の長等山回峯行の行場や伝法灌頂会の道場は寺域の東側に位置し信仰上かつ文化的にも重要な宗教施設は寺域の南東端あるいは北東端にあつて、原告寺域において最も宗教的文化的価値の認められる箇所は本件各土地からかなり離れた東側の位置にあるということができ、一方、本件各土地は修験道の長等山回峯行の行場の一部になつているのみで本来的には山林であつて琵琶湖国定公園の第二種、第三種特別地域に指定されているにすぎず、宗教的文化的価値の最も少ない箇所というべきである。しかも、本件バイパスが原告寺域を通過する部分はそのほとんどが地下深く設置されるトンネル内の道路であり、収用地内の地表を通過する本件バイパスも原告の宗教施設から視野に入ることはないうえ収用地内のトンネル坑口や長等山、熊野川の環境保全についても配慮が払われており、さらに、収用地内には修験道の長等山回峯行における巡拝対象である石仏二一体が存するのであるが、これが収用地外の原告寺域内に移転されることになつていることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五六号証、いずれも昭和五八年一月一一日西大津バイパスを横断するボツクスカルバートを影響した写真であることに争いのない検乙第五号証の一ないし四、弁論の全趣旨を総合すると、本件バイパスによつて分断されることになる収用地内の里道にはトンネルが設置され、これを通行して石仏二一体を巡拝することができるというのであるから、右の回峯行が本件事業計画の達成によつて妨げられることはないものと考えられる。また、本件事業計画によるトンネル工事が閼伽井の湧水やその他原告寺域内の湧水に与える影響は、本件バイパスが国鉄湖西線より遠く寺域の西側に寄つていることやその標高において国鉄湖西線が約一〇一メートルであるのに対し本件バイパスは約一八〇メートルであつて本件バイパスのほうがかなり高位置に設置されることに照らすと、極めて少ないものと推測され、殊に閼伽井の霊水については、そもそもその湧水は国鉄湖西線のトンネル工事中減水を始めて現在はほとんど井戸水や熊野川の水で賄つているのであるから、本件事業計画によるトンネル工事がこの霊水に与える影響は皆無だともいうことができる。してみると、本件各土地が本件事業計画の用に供されることになつたとしても原告の宗教活動や宗教施設に与える影響は極めて少ないものといわざるを得ない。そこで、最も考慮すべきは本件事業計画の達成によつて原告僧侶や天台寺門宗信徒各人の精神作用に及ぼす影響であるが、原告も認めるように、神体山、胎蔵界曼荼羅としての長等山は現在の原告寺域に限つたものではなくこれよりはるかに広域の長等山全体をさしており現在の原告寺域のみが由緒、伝統による宗教現象の特殊の土地であるというわけではないのであり、原告寺域はその長い歴史の間に種々の社会的、政治的状勢等の変化により現在の範囲に縮小されたにもかかわらずその信仰は脈々と生き続けているのであるから、この園城寺や天台寺門宗の歴史に鑑みると前述した内容を有する本件事業計画の達成によつては信仰者各人の精神作用が多少の影響を受けることがあるにしてもその信仰が困難になることはないものと相当程度の確信をもつていうことができる。そして、これらの事情と、前述したような本件事業計画が達成されることによつて得られる公共の利益とを比較衡量すると、本件事業計画の達成によつて原告寺域の宗教的文化的価値が多少失われることがあるにしても、なお本件事業計画は土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものであるといわざるを得ず、本件事業認定には法二〇条三号に違背する違法はないというべきである。
三 なお、原告は、技術的に建設可能で道路構造令にも合致したA、B各ルートの代替案があることをもつて本件事業計画が法二〇条三号所定の要件を満たさない旨を主張するが、前述のとおり、同号の要件を充足しているか否かの判断は当該事業計画とこれに供される土地との比較衡量によつて行うべきものであるから、当該事業計画のみが判断の対象となり、代替案の有無、内容といつた事情は判断の対象とはならないものというべく、むしろ、これらの事情は同条四号所定の「土地を収用し、又は使用する公益上の必要があるものであること」という要件の有無を判断するにあたつて考慮するのが相当と解するから、以下この点について付言する。
(一) 法二〇条四号は同条一号から三号までの具体的基準のほかにさらに公益的見地からあらゆる諸事項を検討して当該事業計画に供される土地を収用または使用する必要の有無を考慮すべきことを要求するものであるから、被告建設大臣は本件ルートおよびA、B各ルートの工事費用、工期、工事の難易、車両の走行の安全性等の技術的、経済的事項にとどまらず、右各ルートに供される各土地の価値、これが失われる利益等を総合的に検討して右要件の有無を判断すべきである。そして、同号の公益性に関する判断は前述のとおり自由裁量に属するから被告建設大臣の右判断が違法となるのは同被告が本件ルートについて事業の認定をするにあたりA、B各ルートの代替案の存在にもかかわらずなお本件各土地を収用または使用する公益上の必要があるものと判断したことに裁量権の踰越または濫用があると認められる場合に限られるというべきであり、裁判所がこれを判断するにあたつてはA、B各ルートを排して本件ルートが採用されるに至つた判断過程およびそこで考慮された判断資料、判断要素に社会観念上著しく妥当を欠く点があるか否かを検討して行うべきものと考えるので、以下この観点に立つて検討する。
(二) 起業者建設大臣が原告にA、B各ルートを提示したことは、原告と被告建設大臣との間では争いがなく、同収用委員会との間では同被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。右事実と、いずれも成立に争いのない甲第五二、第七六、第七九号証、証人田尻文宏の証言、原告代表者尋問の結果、弁論の全趣旨とを総合すると、以下の各事実が認められる。
(1) 起業者建設大臣は、前認定(二の(三)の「本件ルート選定に至る経緯」(2)の(ニ))のとおり昭和四三年六月本件ルートを選定し、近畿地方建設局長や滋賀国道工事事務所長において原告に対し任意の交渉を開始したが、原告が本件バイパスを寺域外の西側に建設するよう強く要望して交渉が進展しなかつたため、本件ルート選定に供した前記各資料を検討し直し、昭和四七年ころ本件ルートが最良のものであることを説明するために原告寺域外に本件バイパスを建設するとした場合の最も典型的な路線としてA、B各ルートを想定し、以後原告に対しA、B各ルートとの比較において本件ルートが最良のものであることを説明するという形で交渉を続行した。
(2) 起業者建設大臣は次のように判断してA、B各ルートを採用できないものとした。
(イ) 本件バイパスを長等山に建設するにあたつての制約
(道路構造上の制約)
道路を建設する場合、走行の安全性を確保するためには道路の構造においてできるだけ縦断勾配(道路構造令二〇条参照)を緩やかに、曲線を少なく視距(道路構造令二条一九号において「車線の中心線上一・二メートルの高さから当該車線の中心線上にある高さ一〇センチメートルの物の頂点を見とおすことができる距離を当該車線の中心線に沿つて測つた長さをいう」と定義されており、それは走行中危険な物を発見して制動をかけて止まるまでの距離を目安としている)を長く、トンネル(トンネル内では極端に視界が狭いため事故の起こる確率が高く、また事故の規模も大きい)延長を短くすることが望ましいところ、本件バイパスは前認定(二の(三))のとおり一般国道一六一号等の交通混雑の緩和を目的とするものであるから供用後交通量が非常に多くなることが予想されるため、本件バイパスの建設にあたつては特に右の道路構造が要求される。
(建設予定地の地形、地質上の制約)
(a) 皇子山インターチエンジは、本件バイパスを都市計画道路三・三・九号に接続して一般国道一六一号の通行車両を本件バイパスに流して交通混雑を緩和することを目的とするとともに、その建設予定地付近には大津市役所、皇子山総合運動公園、皇子が丘公園、競艇場、競輪場があつてこれらの利用者に便宜を与えることをも目的としているため、これを設置することは必須であるが、次の<1>、<2>の各理由によつてその位置を本件事業計画のものより西側に寄せることはできないし、次の<3>の理由によつてその高さも制約されている。
<1> 本件バイパスの本起点下には急な縦断勾配で上がつている市道があるため、皇子山インターチエンジを西側に寄せるとすれば右市道につかえることとなり、これを避けるためには右市道を付け代えなければならないことになつて多額の費用が必要となる。
<2> インターチエンジを設置する場合、建設スペースを確保するため大規模な堀割りを必要とするところ、建設予定地の西側付近は水車谷といつて地質が風化花崗岩で脆いうえ、地形が急峻であるため、工事中はもちろん、人工斜面(高さ約六〇メートルになると考えられる)が完成した後も非常に危険な状態となる。しかも、山を削り取つた土砂は膨大な量となり、これを処理することは事実上不可能である。
<3> 西大津バイパス(本件バイパスもその一部)は近江神宮本殿の裏側から約五〇メートル離れた箇所に建設される宇佐山トンネルを通つて本件バイパスに接続することになるが、宇佐山トンネルはその天端から地表までが薄くトンネル構造にするにはこれが限界であるため、これ以上トンネルを上げることになれば掘割構造にせざるを得ず、その結果近江神宮の宗教施設に影響が出てくる。そうかといつて、宇佐山トンネルをそのままにして皇子山インターチエンジだけを上げることは道路の縦断勾配の関係から困難である。
(b) 別紙ルート関係図表示の熊野川、山上川、不動川は、いずれも流域が急な斜面であるうえ、流域の地質は風化花崗岩で土砂の流出が激しいため、熊野川には二〇数個の砂防堰堤が設けられ、不動川、山上川はいずれも砂防指定地に指定されており、これら三河川は過去に氾濫したこともある。もつとも、右三河川は、長い年月のうちに、土砂の堆積によつて勾配が緩くなり同時に川幅が広がつて流れの勢いが緩くなつたこと、流域の斜面に竹や杉等が繁茂していることなどから、現在比較的安定しているが、土石流や流木の可能性が全くないわけではないので、右三河川と橋桁との間には一定の空間を確保する必要がある。
(ロ) Aルートについて
(a) Aルートは、原告寺域を外し、前記三河川の制約を避け、しかも道路構造令に合致する単一曲線のできるだけ交通安全上の問題を解消できるものとして想定した。
(b) しかしながら、トンネル延長が本件ルートより五〇〇メートル長くなり、トンネル内には曲線半径(道路構造令一五条参照)七〇〇メートルのカーブが入るため、本件ルートより危険性が高いうえ、そもそも、前記皇子山インターチエンジの位置の制約を回避できない。
(ハ) Bルートについて
(a) Bルートは、原告寺域を外し、前記皇子山インターチエンジの位置と高さの制約を満たし、しかも道路構造令に合致するできるだけ交通安全上の問題を解消できるものとして想定した。
(b) しかしながら、トンネル延長が本件ルートより三〇〇メートル長くなり、トンネル内に曲線半径五〇〇メートルのカーブが入ることは本件ルートと同じであるが、それがS字型に入つてき、同時にそこに縦断曲線(縦方向の曲線。道路構造令二二条参照)の頂点が入つてくるため、視距が短くなつて非常に見通しが悪く本件ルートより危険性が高い。しかも、前記のとおり皇子山インターチエンジの高さは制約されているから、縦断勾配を安全な限度に維持するとすれば、道路が山上川の上流部につかえるため、ここを約一〇メートル切り下げ、さらに土砂流で埋らないように下流側を約一〇〇メートルにわたつて切り下げなければならないが、そうすると前記のとおり現在安定している山上川の状態を不安定にすることになる。
(ニ) A、B各ルート共通の難点
(a) 狭隘な谷間である藤尾奥町の貴重な平地部をつぶすことになる。
(b) 優良な植林地をつぶすことになる。
(c) 非常に大規模に長等山の山腹を切土することになるが、そうするとこの付近の自然が破壊される。
(d) 水理解析して予測調査した結果、本件ルートよりA、B各ルートのほうが長等山系全体の地下水に与える影響が大きい。
(e) 施工期間が長くなるうえ山腹を大規模に切土するため、不安定な状態が長く続き工事中の危険性が大きい。
(f) トンネル延長が長くなるため、換気、照明のための電力消費量が多くなりその維持管理に多くの費用を必要とすることになる。
(三) 起業者建設大臣の以上の判断過程およびそこで考慮された判断資料、判断要素をみると、起業者建設大臣はA、B各ルートを排するにあたり専ら工事費用、工期、工事の難易、車両の走行の安全性等の技術的、経済的事項およびA、B各ルートに供される土地が失う利益を考慮したにすぎず、原告寺域の有する宗教的文化的価値については全く考慮しなかつたことが窺われる。しかしながら、原告寺域が本件事業計画の達成によつて失われる利益は前述したとおりであるからA、B各ルートにおける前記諸事項の内容に鑑みると起業者建設大臣が原告寺域の有する宗教的文化的価値について考慮したとしてもその判断が左右されたものとは到底考えることができず、右の事項が考慮されなかつたことをもつて起業者建設大臣の判断に社会観念上著しく妥当を欠くものがあるということはできない。また起業者建設大臣の前記諸事項にかかる判断は、いずれも成立に争いのない甲第五一、第一〇〇号証、いずれも昭和五四年四月一三日本件事業計画にかかる地域およびその付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第一号証の一、二、証人田尻文宏の証言、原告代表者尋問の結果、検証の結果に照らして一応の合理性を有しており(なお、証人田尻文宏の証言によると西大津バイパスには近江神宮付近に近江神宮インターチエンジが設置されることになつていることが認められるが、一方、同証言によると右インターチエンジは皇子山インターチエンジから一六〇〇ないし一七〇〇メートル離れているうえ京都北白川から大津に至る県道下鴨大津線を西大津バイパスに接続する特別の機能を有していることが認められるのであるから、近江神宮インターチエンジが設置されても皇子山インターチエンジの必要性は何ら減殺されるものではない。また、証人田尻文宏は熊野川、山上川、不動川がいずれも過去に氾濫したことがある旨を証言するが、原告代表者尋問の結果に照らすと山上川が昭和一〇年以降氾濫したことがあるとの事実は右証言をもつてしても認定することができない。しかしながら、検証の結果によると山上川の現況は水流は少量であるもののそこには砂防堰堤が設置されており溪は深く溪床部分には雑草や竹が生い茂り溪の両側は杉林や竹藪になつていることが認められ、この事実を証人田尻文宏の証言に照らすと山上川はかつて危険な状態にあつたが現在は比較的安定した状態になつていることが推認される)、そこに社会観念上著しく妥当を欠く点を認めることはできない。
(四) そして、ほかには被告建設大臣がA、B各ルートの代替案の存在にもかかわらずなお本件各土地を収用または使用する公益上の必要があるものとした判断に裁量権の踰越または濫用があるとの事実を認めるに足りる証拠はないから、本件事業認定には法二〇条四号に違背する違法はないというべきである。
四 次に、手続的違法事由の有無について検討する。
1 手続的違法事由の(一)の主張について
(一) 起業者建設大臣が原告寺域内に立ち入つて測量または調査をしなかつたことは、原告と被告建設大臣との間では争いがなく、同収用委員会との間では同被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。右事実と、いずれも成立に争いのない甲第五八、第七三、第九四、第九五号証、原告代表者尋問の結果とを総合すると、起業者建設大臣は、原告に対し昭和四三年七月一二日と昭和四七年一〇月九日の二回にわたつて原告寺域内への立入調査を要望したが、これをいずれも原告から拒絶されたため、本件事業認定の申請に至るまで原告寺域内に立ち入つて測量または調査をしなかつたことが認められる。
(二) しかしながら、法一一条ないし一五条は、法文の形式から明らかなように、起業者が強制的に事業の準備行為をする権限およびその手続を定めるものであつて、事業認定の申請に先立つて必ずこれを実施することを要求しているものではなく、起業者は事業計画を作成するのにほかに十分な資料が存するならば(起業者建設大臣は前認定((二の(三)の「本件ルート選定に至る経緯」(2)の(ニ)))のとおり航空測量写真、地質図、地質の概要図その他地形、地質、地物、公園関係、埋蔵文化財関係の各資料に基づいて本件事業計画を作成している)これだけで事業の認定を申請することもできるのであるから、起業者がこの権限を行使しなかつたことをもつて違法とはいえない。したがつて、起業者建設大臣が原告寺域内に立ち入つて測量または調査をしなかつたからといつて違法ということはできず、この点に関する原告の主張は失当である。
2 同(二)の主張について
右主張は、特定の手続違背を主張するものではなく、本件事業認定が尽すべき裁量の手段を尽さないままなされたというのであるから、結局法二〇条各号の要件の有無に帰着するものと解され、この点についてはすでに判断したとおりである。
3 同(三)の主張について
(一) 原告が起業者建設大臣に対し三点申入れをしたことは、原告と被告建設大臣との間では争いがなく、同収用委員会との間では同被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。右事実といずれも成立に争いのない甲第六〇号証、第七四ないし第七六号証、証人田尻文宏の証言、原告代表者尋問の結果とを総合すると、原告は任意の交渉の過程で起業者建設大臣に対し昭和四五年九月一〇日を初めとして再三口頭または書面により三点申入れをしたが、起業者建設大臣はこれに対する回答として昭和四七年八月一〇日付書面により「本路線を設定するに際しては、種々のルートを選定し、それぞれのルートの構造上の問題を比較検討し、併せて経済性も考慮のうえ、総合的な見地よりルートが決定された。御指摘の貴寺領域外山側を通過するルートについても、もちろん慎重に検討したが、トンネル延長が非常に長くなり、当地域のように交通量の多い都市周辺においては、交通渋滞が予想され、かつ、トンネル内での安全かつ円滑な交通を確保するうえに種々の問題が生じるので、採択されなかつた。なお、本件に関して、貴寺独自に行われる調査の費用については、当局で負担することはできない」旨を答えるにとどまつたことが認められる。
(二) ところで、起業者が公共の利益となる事業を施行するにあたつて土地を必要とする場合には、できるだけ収用権の発動という強制的な手段によらず任意の協議によつてこれを取得することが望ましく、その交渉に際してはできる限り当該土地の所有者あるいは関係人の疑問を解消すべく説明を行うことが相当であるけれども、法は起業者に対し任意の協議にあたつて微細な部分に及ぶ説明までも要求しているとは解されず、起業者建設大臣が原告の三点申入れに対して前認定の回答をするにとどまつたとしても、これをもつて違法ということはできない。したがつて、この点に関する原告の主張は失当である。
4 同(四)の主張について
(一) 被告建設大臣が昭和四八年七月三〇日旧事業認定をなしたこと、旧事業認定が失効したことは、原告と被告建設大臣との間では争いがなく、同収用委員会との間では同被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。被告建設大臣が昭和五三年一〇月二五日本件事業認定をなしたことは、当事者間に争いがない。右の各事実と、いずれも成立に争いのない甲第五九号証の一、二、証人田尻文宏の証言、原告代表者尋問の結果を総合すると、起業者建設大臣は本件ルートを採択した後昭和四六年三月三〇日付けで旧事業認定の申請をなし、昭和四八年七月三〇日旧事業認定がなされたが、そのうち収用地に関する部分は一年以内に収用の裁決を申請しなかつたため昭和四九年七月三〇日ころ失効し(法二九条一項)、使用地に関する部分は手続の保留をしていたが三年以内に使用の手続を開始する旨を申し立てなかつたため昭和五一年七月三〇日ころ失効した(法三四条の六、三四条)こと、昭和五三年五月二六日起業者建設大臣は本件事業認定を申請し、同年一〇月二五日本件事業認定がなされたが、旧事業認定にかかる事業計画と本件事業計画との間には細部についてはともかく基本的な部分については全く差異がなかつたこと、旧事業認定の申請から本件事業認定の申請に至るまでの間、近畿地方建設局長や滋賀国道工事事務所長等起業者建設大臣の関係者は任意協議により本件各土地を買収あるいは使用すべく何度も原告寺院に赴くなどして原告との交渉を継続していたことが認められる。
(二) ところで、法が事業認定の効力に期間を限つたのは、事業認定によつて土地所有者や関係人の権利が種々の制約を受ける(法二八条の三、七一条、七二条、八九条等)ため、できるだけその期間を短くして法律関係の安定を図る趣旨と解され、起業者が何ら特段の事情がないのに事業認定の失効後さらに同一内容の事業認定を申請することは、土地所有者等の権利の制約を長期化させることになり、右の法の趣旨に反するものといわなければならない。しかしながら、法は一一六条(協議の確認)や五〇条(収用委員会における和解)において事業の認定後も起業者が任意の交渉を進めることを予定しており、これに照らすと、起業者が任意の交渉に手間取つた結果、事業認定を失効せしめた場合には右の特段の事情があるものとして再度の事業認定の申請も許されるものと解するのが相当である。そして、本件においては前認定のとおり起業者建設大臣は任意協議により本件各土地を取得すべく継続的に原告との交渉を行つていたというのであるから、本件事業認定の申請をもつて違法ということはできず、この点に関する原告の主張は失当である。
5 同(五)の主張について
昭和五三年六月二七日の桜内建設大臣と原告代表役員長吏福家俊明との会談において、同大臣が「国道一六一号バイパスの建設にあたり、技術的観点を重視し、宗教の尊厳についての配慮に欠けた点につき遺憾の意を表し、今後これらのことに十分留意する」旨を発言して今後は宗教の尊厳につき十分留意することを約したこと、同年七月二七日佐々木近畿地方建設局長が同大臣の意を受けて新案を原告に提示したことは、いずれも原告と被告建設大臣との間では争いがなく、同収用委員会との間では同被告において明らかに争わないから自白したものとみなす。原告は右の新案が従前の案と変りなく本件ルートを表示するものであつたことを非難するけれども、右大臣の発言内容から明らかなように、右大臣は抽象的に宗教の尊厳について十分留意する旨を発言したにすぎず路線の変更に関しては全く言及しておらず、ましてや、路線に関して何らかの協約をしたものとも認めることができない。しかも、成立に争いのない甲第七九号証、証人田尻文宏の証言を総合すると、右の新案には新たに長等トンネルの北坑口、長等山の環境保全、熊野川の環境保全について前記二の(二)の<1>ないし<3>の各工事を実施する計画が盛り込まれていたことが認められ、起業者建設大臣は宗教の尊厳を維持するための一応の手段を講じているのであるから、起業者建設大臣にそもそも協約違反はないものといわざるを得ない。したがつて、この点に関する原告の主張は失当である。
6 同(六)の主張について
本件全証拠によるも被告建設大臣が本件事業認定をするにあたつて法二二条、二三条所定の各手続を行つたことは認められない。しかしながら、法二二条所定の意見の聴取や法二三条所定の公聴会の開催は事業の認定をするにあたつて必ず行わなければならないものではなく、事業認定庁が自由な裁量により必要があると認めるときに行われるものであるから、事業認定庁の右判断に裁量権の踰越または濫用があると認められない限り右の各手続を経ないでなされた事業の認定も違法とはならないというべきである。これを本件についてみるに、本件事業計画については当初から原告寺域における宗教の尊厳が問題となつていたことは原告主張のとおりであるが、その判断にあたつては宗教の教義にかかわる観念的な事項が争点となるものであるから、原告の意見を十分に聴取することが重要であつて(成立に争いのない甲第八〇号証、原告代表者尋問の結果によると、原告は、昭和四六年九月三〇日法二五条に基づき旧事業認定申請書等の縦覧期間内に宗教の尊厳について述べた意見書を提出したのを初めとして、本件事業認定の申請に至るまでの間宗教の尊厳について書面あるいは口頭により意見を開陳していることが認められる)特段の事情のない限り専門的学識および経験を有する者の意見を聞いたり公衆の面前で利害関係人の意見を聞いたりして検討を加えることにはなじまないものと解されるところ、本件全証拠によるも右の各手続を必要とした特段の事情を認めることはできない。また、起業者建設大臣と原告との交渉過程においてA、B各ルートの技術的能否等が問題とされたことも原告主張のとおりであるが、右の各ルートが本件事業計画における路線ではないこと、起業者建設大臣は右の各ルートにつきその専門技術的能力をもつて前認定(三の(二)、(三))のとおり一応の合理性を有する結論を得ていることに照らすと、被告建設大臣が右の各ルートにつき右各手続の必要性を認めなかつたことに未だ裁量権の踰越または濫用があつたものとはいうことができない。そして、ほかには被告建設大臣の右の必要性の判断において裁量権の踰越または濫用があつたものと認めるべき証拠はなく、この点に関する原告の主張は失当である。
五 以上説示したように、本件事業認定には何らの違法もないというべきである。
第二本件各裁決について
一 請求原因のうち「本件各行政処分」の2は当事者間に争いがない。
二 原告は本件事業認定は違法であるから本件各裁決もこの違法性を承継して違法となる旨を主張するが、前述のとおり本件事業認定に違法はないから違法性の承継が認められるか否かを論ずるまでもなく、右主張は失当である。
三 そこで、以下、本件各裁決の手続的違法事由の有無について検討する。
1 請求原因のうち「本件各裁決の違法事由」の2の(一)は当事者間に争いがない。
2 いずれも成立に争いのない甲第五四ないし第五七号証、丙第一ないし第七号証によると、本件に関する被告収用委員会の審理の経過は次のとおりであつたことが認められる。
(一) 第一回審理(昭和五四年二月一〇日) 起業者建設大臣側が被告収用委員会から事前に指示されていた八項目の事項(<イ>本件申請にかかる事業と法二六条一項により告示された事業との同一性。<ロ>本件申請にかかる事業計画と事業認定申請書のなかに記載された事業計画との同一性。<ハ>収用する土地の区域。<ニ>使用する土地の区域。<ホ>収用する土地上に存在する物件。<ヘ>収用および使用する土地が本件事業に必要である理由。<ト>補償額の見積り。<チ>現在までの土地所有者との交渉経過)について説明を行つた。
(二) 第二回審理(同年三月三〇日) 被告収用委員会の会長(以下会長という)が原告側に対し前記1の当事者間に争いがない事実にある質問事項について説明を求めたが、原告側は収用地の一部に地番の異なるものがあることを理由に、<3>(損失補償額等について起業者の説明に意見はないか)については意見を留保し、<4>(使用される土地((トンネル部分))について起業者は無償の申請をしているが意見はないか)については起業者建設大臣が原告寺域を単なる山林とだけ見ているとしてこれを批判するにとどまつた。そこで、会長は審理を進めるべく原告寺域について現地調査することを決定した。
(三) 第三審理(同年六月一六日) 起業者建設大臣側が同年五月二六日に実施した右の現地調査をもとに収用地の一部について原告主張の地番に訂正し、これに伴い面積、補償額の一部を手直しして、原告側も地番、面積の訂正について異議がない旨を答えたので、会長は原告側に対し収用すべき土地の面積や地上物件等の詳細な内容について意見を求めたが、原告側はこれについては次回に述べる旨を答弁した。
(四) 第四回審理(同年九月八日) 会長は原告側に対し再三土地の面積、地上物件、補償額等について意見を求めたが、原告側は起業地外の土地について質問を重ねるのみでこれに答えようとしなかつた。
(五) 第五回審理(同年一〇月二〇日) 会長は原告側に対し損失補償その他の問題について意見を求めたが、原告側はまず前記質問事項の<5>(今日までの所有者と起業者との交渉経過を簡単に述べ西大津バイパス通過に対し土地所有者が反対意見であることの理由を具体的に述べよ)について意見を述べ、審理時間を経過したため、会長は次回には土地の価格まで入るよう要望した。
(六) 第六回審理(同年一一月二四日) 原告側は前回に引き続いて<5>につき意見を述べた。
(七) 第七回審理(同年一二月二二日) 会長は原告側に対して補償額についての意見が非常に遅れるおそれがあるのでそういうことのないようスムースに運んでもらいたい旨を要望したが、原告側は<5>について意見を述べるにとどまつた。
(八) 第八回審理(昭和五五年一月二六日) 原告側は起業者建設大臣側との間で<5>について議論の応酬をした。
(九) 第九回審理(同年二月二三日) 原告側は<3>、<4>について起業者建設大臣が原告寺域の宗教的価値を全く無視しており損失対象を十分に尽していない旨を述べるとともに、収用地のうち一筆の土地の面積に二三平方メートルの誤差がある旨の異議を述べたので、会長は右の地積およびトンネル通過部分の土地について無償としていることが妥当か否かを谷沢総合鑑定所に依頼して鑑定する旨を告知し、原告側もこれに同意した。
(一〇) 第一〇回審理(同年三月二二日) 被告収用委員会の委員が右地積の誤差については原告と起業者建設大臣との間で合意が成立したので右土地の再測量は必要がない旨を報告し、最後に会長が「職権によつて収用使用等の価額について谷沢潤一という人に鑑定を依頼している。この方はすでに土地所有者とも会つていると聞いている。まだ鑑定書は入つていないが、職権鑑定をやつている」旨を述べて、審理を終結した。
3 手続的違法事由の(二)の主張について
法は、収用委員会の審理に関し、損失補償以外の事項(四八条一項、四九条一項参照)について原則として裁決申請書の添付書類および事前に提出された意見書に記載された事項を説明する場合以外の当事者の発言を禁じている(六三条一項)のに対し、損失補償に関する事項については当事者に新たな事項の発言を認める(同条二項)などその取扱いを異にしているが、これは、収用委員会が事業認定の有効、無効を判定できない(四七条、四七条の二第一項参照)ことから審理においては損失補償に関する事項が主眼となり、しかも右事項が他の公益に属することの明らかな事項と異なり実質的には当事者の私益に属する事項であるところから、損失補償以外の事項についての当事者の発言が無用かつ不当に審理を長引かせることを防止する一方、損失補償に関する事項については当事者の意見を十分に聴取するなどして特に審理を尽させることを意図していることによるものである。したがつて、収用委員会は損失補償に関する事項については当事者に意見陳述の機会を十分に与えたうえで審理を尽すことが特に強く要請されているわけであるが、これを本件についてみるに、前認定のとおり、会長は右事項について審理を尽すべく原告に対し再三にわたり右事項の意見陳述を求めたが、原告はこれを無視して発言を留保し、あるいは他の事項について長時間を費やすなどして右事項については抽象的発言にとどめたのであるから、原告は意見陳述の権利を放棄したものとみざるを得ず、被告収用委員会が原告の意見を聴取しなかつたことをもつてその審理に手続違背があつたものということはできない。この点に関する原告の主張は失当である。
4 同(三)の主張について
前認定のとおり、被告収用委員会は第九回審理において鑑定を行う旨を告知したが、その鑑定結果を審理手続にのせないまま審理を終結している。しかしながら、法六五条一項は、収用委員会に対し審理手続のためのほか調査手続のためにも職権をもつて鑑定人に鑑定を命じる権限を認めているところ、土地収用が私権に重大な影響を及ぼす反面、公共の利益に直結しかつ合目的性を有する行政作用であること、法六三条四項に明らかなように法は調査手続における鑑定人について当事者の審問申立権を認めていないことに照らすと、右の調査手続とは収用委員会が審理手続の外において独自に心証を得るために行う資料収集の手続と解するのが相当であり、収用委員会はそこで収集した資料を必ずしも審理手続にのせなければならないわけではないのである。そして、前認定事実によると被告収用委員会は調査手続のための右権限に基づいて鑑定を行つたものと解されるので、鑑定結果を審理手続にのせなかつた被告収用委員会の所為には何ら手続上の違背はない。この点に関する原告の主張は失当である。
四 以上説示したように、本件各裁決には何らの違法もないというべきである。
第三結論
よつて、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小北陽三 森弘 川久保政徳)
別表、目録<省略>
ルート関係図<省略>