大判例

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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)10610号

原告

甲田乙郎

右訴訟代理人弁護士

浦功

菅充行

被告

株式会社大阪屋

右代表者代表取締役

松本最

右訴訟代理人弁護士

家近正直

山崎武徳

福田正

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告は被告に対し、雇用契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、金二五七万五三二五円及び平成二年一月以降毎月二五日限り一か月金五一万五〇六五円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  仮執行の宣言

第二事案の概要

本件は、原告が平成元年七月一一日被告に提出した退職届けの効力が争われた事件である。

一  当事者間に争いがない事実

1(1)  被告は、従業員約六六〇名擁し、書籍、雑誌、教科用図書、その他一般の出版物の取次、受託販売、配送等を業務とする業界では大手の会社である。

(2)  原告は、昭和三四年三月被告に入社し、爾来一貫して営業を担当し、昭和五〇年一〇月課長代理、同五七年九月営業次長、同六〇年一月神戸支店長、同六一年五月営業第一部部長、同六二年八月営業総括部部長代行(部長待遇)、同六三年五月業務管理部長となった。同部の業務は、在庫商品の管理及び得意先からの書籍の注文に対する出荷作業であり、原告はその総括責任者であった。

2  業務管理部では、平成元年七月初めころ、消費税の導入による業務の複雑化と被告の決算日である七月二〇日をひかえて、他部からの応援体制が組まれていた。被告は同月八日休日であった。同日、原告の部下である平井次長ら管理職七名は原告の承認を得て休日出勤したが、原告は、「田舎に帰る」ことを理由に出勤しなかった。

3  原告は、平成元年七月八日夜、スナックを経営する妻以外の女性を同伴して、京都市右京区にある出版健康保険組合の保養施設である「京都すみのくら」に宿泊し(以下、これを本件事件という。)、同日、同所で直属の部下である藪内課長らに出会った。

4  平成元年七月一〇日、被告会社内で、安井竜馬取締役らと原告との間で同月八日の原告の行動について会談が持たれた。

5  原告は、平成元年七月一一日午後一時ころ、被告会社の鈴木専務に対し、「私こと、このたび一身上の都合により平成元年七月二〇日付をもって退職いたしたくお願い申し上げます。代表取締役社長松本最殿」と記載した「退職願い」と題する書面(以下、本件退職願という。)を提出した。

6  原告は、平成元年七月二一日略礼服を着て被告会社を訪れ、専務、社長らに挨拶し、退職金の一部である一一九万二〇〇〇円を受け取り(残額は平成元年八月一四日付けで原告の指定口座に振り込まれた)、失業保険に関する手続等を了した。

7  被告の従業員の賃金は、毎月二〇日締めの二五日払いであり、原告が、昭和六三年の一年間に被告から支給された賃金総額は金六一八万〇七八四円であった。

8  原告は、被告に対し、平成元年八月一四日到達の書面で、本件退職の意思表示は被告の強迫によるものであるからこれを取り消す旨の意思表示をした。

二  争点

原、被告間の雇用契約が合意解約により終了したと認められるか否か。

(原告の主張)

1 本件退職願の提出は、被告が原告に強要してなさしめたものであるから、その実質は、被告による雇用契約の一方的解約すなわち解雇である。したがって、本件では雇用契約を解約するとの合意は成立していない。

2 1が認められず、仮に原、被告間に雇用契約の合意解約が成立していないとしても、

(1) 被告は、高校卒業後三〇年余にわたって被告に勤続し管理職にあった原告に対し、その進退につき十分に考慮する期間も与えることなく本件事件発覚後わずか一日半で退職願を提出させたのであるから、右合意解約は公序良俗に違反して無効である。

(2) 原告が本件退職願を提出することにより雇用契約を解約する旨の意思表示をしたのは、とりあえず、賞与や退職金を確保したうえ、後に専門家と相談して事に対処する意図であったからであり、真実被告を退職する意思は有していなかった。被告は、原告の右真意を知り、又は少なくとも知り得る立場にあった。したがって、原告の右意思表示は民法九三条により無効である。

(3) 原告が退職の意思表示をしたのは、被告の役員らが、原告に対し、十分な考慮期間を与えることなく、依願退職しなければ査問委員会にかけるとか、賞与を支給しないとか等を申し向け、よって原告を畏怖困惑させたためである。

(被告の主張)

原告は、当時繁忙を極めていた業務管理部長の要職にあったにもかかわらず、本件事件を発生させ、これが発覚したことによる自責の念から自らすすんで退職の意思を表示し、被告がこれを承諾したものである。したがって、右合意解約が公序良俗に違反するものでないことはもちろん、その意思表示に瑕疵がないことは明らかである。

第三争点に対する判断

一  本件証拠によれば、本件退職願が提出された経過につき以下の事実が認められる。

1  本件事件発生時点での被告業務管理部の業務状況

原告が統括責任者である被告業務管理部は、平成元年七月八日ころ、同年四月一日からの消費税の導入による業務の繁雑化と七月二〇日の決算、棚卸を控え極めて多忙な時期であった(<人証略>)。

これを原告作成の業務日報(<証拠略>)により詳細にみると、六月二一日以降業務管理部に対しては六月二一日から二三日まで延べ三〇名、二六日から二八日まで延べ五八名もの人員が他部署から応援のため派遣されているほか、七月四日には同月一七日から一九日にかけての応援体制の実施が検討されていたこと、休日出勤についても、六月二五日(日曜日)の予定されていた出勤こそ中止になったものの、七月二日(日曜日)には平井次長、神田課長が出勤しており、本件事件が発生した七月八日には、管理職七名及びパート五名、アルバイト四名が出勤し、一〇日以降の作業の段取を行ったことが認められる。もっとも、原告は、七月八日の出勤は、平井がジェスチャーとしてやる気を示すために申し出たものにすぎず、実際には業務管理部の業務はこれを必要とする程には忙しくはなかった旨供述するが、前記認定の事実及び(証拠略)によれば七月五日開催の被告の総本部早朝会議の席上でも七月八日の出勤について話し合いがなされていることに照らして措信できない。

なお、原告は、七月八日に出勤しない理由として「法事で田舎に帰る」旨を部下及び上司である鈴木専務に伝えていた(原告本人尋問の結果)。

2  安井竜馬(以下、安井という。)ら被告役員と原告との会談経過及び原告が退職を決意した時期

証人安井の証言、原告本人尋問の結果(双方とも一部)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、七月一〇日午前一一時ころ、被告鈴木専務に呼び出され、安井も同席のうえ本件事件について釈明を求められた。

この時、原告は、「京都すみのくら」に同伴したのは妻である旨を弁解し、業務管理部が多忙な時期にこのような行動を取ったのは適切でなかった旨を述べた。

(2) 次に会談が行われたのは、同日の午後であり、被告側は安井及び新妻常務が出席し、時間は安井の仕事による中断等もあり二時間程度であった。

この席上で、原告はあくまで同伴したのは妻であると主張した。しかし、安井らは、同伴したのが妻以外の女性であることは部下の報告により明らかであること、管理職として責任を取るべきであること、原告から退職の申出がない場合には査問委員会が開かれ懲戒処分として部長としての責任を問う(具体的には降職処分)ことになるかもしれない等を告げ、原告に対し、翌朝までに退職するか否かの決断をするように迫った。これに対し、原告は、右決断をする時間的余裕を与えて欲しいと述べていたが最終的には進退を自分で決定して明日返事をする旨を答えた。

(3) 原告は、右会談の結果、退職することもやむなしと考え、退社後、部下である平井次長と飲食を共にし、同人にそのことを告げた。なお、原告は、その後同日は自宅に帰宅しておらず、したがって退職について家族とは相談をしていない。

(4) 翌一一日は、被告の賞与の支給日であったが、午前一一時ころ原告は被告代表者から呼び出しを受け、「賞与の支給は他の人より遅れる。理由はあなたがよく分かっているでしょう。」と告げられ、賞与を支給されなかった。

原告は、これにより同日辞表を提出することを決意し、自らの席で本件退職願を作成し、午後一時ころ、鈴木専務の不在中に同人の机の上にこれを提出した。

(5) 同日午後三時ころ、安井及び鈴木専務は、原告を呼び出し、同人に対し退職の意思を確認した。これに対し、原告は、「退職は家族と相談のうえ決めた。賞与を受給できるようにしてくれ。二〇日までは休暇を取って職捜しをしたい」旨を述べ、鈴木はこれを了承した。なお、原告は、前記業務日報(<証拠略>)の同日欄に「甲田儀七月二〇日付で一身上により退職願い提出す。右に伴い日常業務及び業務引き継ぎは平井次長に申し送りす。長い間本当にお世話になりました。」旨を記載している。

(6) 同年七月二一日、原告は、退職の挨拶のため略礼服を着て被告を訪れ、代表者、鈴木専務等に会い型どおりの挨拶をした。

二  右事実に基づき原告の主張につき判断する。

1  合意解約の成立について

一で認定した事実によれば、原告は、本件退職願を提出することにより雇用契約を解約する旨の意思表示(申込み)をし、被告がこれを承諾したことは明らかである(右意思表示に瑕疵があったか否かについては後に判断する。)。原告の主張は採用できない。

2  合意解約の効力について

(1) 公序良俗違反との主張に対して

原告が被告に三〇年余に渡って勤務し管理職にあったこと、事件発覚後一日半で被告役員の退職するか否かを決定するようにとの言に従い本件退職願を提出していることは前記認定のとおりである。

しかし、右事実のみでは本件合意解約が公序良俗に反すると認めるに足りず、他にも右合意が公序良俗違反であることを示す事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 心裡留保との主張に対して

原告が本件退職願を提出するに際し、被告を退職する意思を有していなかったと認めるに足りる証拠はない。

(3) 強迫によるものとの主張に対して

前記認定事実によれば、被告の役員らが、原告に対し、退職の申出がない場合には査問委員会が開かれ懲戒処分としての部長としての責任が問われるかもしれないと述べていること、退職するか否かの決定に時間的余裕が欲しいという原告に対し翌朝までにこれを決定するように迫っていること、さらに、原告は本件退職願を提出する以前に被告代表者から賞与の支給が他の従業員により遅れる旨を告げられていることが認められる。

しかし、まず、被告の役員らの言動につき考えるに、これが原告に対する友人としての忠告にすぎない(人証略)とは到底いい得ないとしても、前記一1で認定した本件事件発生時点での業務管理部の状況、原告が上司及び部下に対し当日出勤しない理由につき偽りを述べていたこと、同伴の女性が原告の釈明にもかかわらず妻ではなかったこと等の事実からすると、査問委員会が開かれ原告の部長としての責任が問われることになるかもしれないとの言動自体は必ずしも不穏当なものとはいえず、また、懲戒解雇には触れていないことからしても右役員らにこの言動によって原告を畏怖させ退職の意思表示をさせるとの故意があったとまでは認められない。次に、代表者の賞与に関する発言についても、当時の状況からみて右発言により原告が賞与をもらえるか否かにつき不安を覚えたことは認められるにしろ、代表者自身にこれを手段として原告を畏怖させ退職の意思表示をさせる意図までがあったとは認め難い(なお、右賞与の件がある以前に原告が退職することもやむなしと考えていたことは前記認定のとおりである。)。

さらに、当時の原告の立場からみても、事件の発覚が、右に述べた業務管理部の状況等からして客観的に無視できない重大さを有していたこともさることながら、業務に精励し同僚より早く管理職に登用されたと自負している仕事人間(原告本人尋問の結果)である原告に相当な屈辱感を与えたことは想像に難くなく、このことから原告が部下に対するけじめをつけるため自ら退職を申し出ることはさほど不自然なこととも考えられない。先に認定した業務日報の記載及び七月二一日の態度は、右原告の矜持の表れであるとともに、本件退職願が原告自らの意思によるものであることを示すものと考えられる。

以上によると、結局、原告の退職の申出は事後的にみればやや軽率になされたものであり(原告が冷静になった状態でこれを悔いたであろうことは容易に想像できる。)、その原因の一端が早期の決断を迫った被告の役員らにあるとはいえるにしても未だ被告の強迫によってなされたとまでは認められない。

第四結論

以上によれば、原告請求は理由がないから棄却し、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野々上友之)

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